シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年05月22日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の抜粋紹介の続き。

 ☆  ☆  ☆

新しい田舎作り
http://mikurifarm.exblog.jp/16915157/

《部落民の棄民政策》
 明治革命には、「ヤジの八」や「ウマの四」を動員したものの、あまりに日本原住民の部落民が多く、「棄民政策」と称して北海道樺太やフリッピンやブラジルヘ彼らを送りだして口減らしをした。

 「サンダカン八番館」とか女不足のアメリカの「ガールハウス」へ次々と島原娘が身売りしていた。 

 が、まだ思いの他に原住民が多いのが判り狼狽。治安維持のため男は島流しみたいに労働者としてベンゲネットやボルネオ移民。女は性業婦とし輸出して外貨を稼がせ国益とした政策である。

 国内で虐殺する代りに「生かして使え国の為」と居て貰いたくない原住民の追い出し策だった。

《戸籍は坊さんの私有財産》
 江戸時代は大蔵省が国民皆税で片っ端から搾りとるような時代はかってなかったから、戸籍は坊さんの私有財産を守るための寺人別帳が主であり、町人別は銭さえ包めばすぐにも認めたから、紀州湯浅の居付地で、死なせてもよい奴隷水夫とし荒天の海へだす密柑船にのせられた。

 紀伊国屋文左衛門らだけが、沈没しなかったため、船底に繋がれていた者共は命拾い。漂着した相州の浜で密柑を売り江戸へ出ると、同じ山者ゆえ各地の材木を後払いで集めたのが大火で大儲け。銭をだし町人別や寺人別も購い、ついでに限定収容で残っている湯浅の者もみな呼び寄せたから、「東京都江東区史」には「別所文左ヱ門」の名前で、はっきり今も残っているのである。

《歴史の誤り》
 こうした複合民族の分類がまったく判らずじまいで、七世紀の良賎の大宝律令の儘で解明しようするから、まったく学校歴史は、「本当のことを言えば身も蓋もない」こととなってしまう。

 彼ら歴史家は、崇神王朝系騎馬民族の「四つ」とよばれるのと、黒潮渡来の古代海人族の、「八つ」との区別もできず、10世紀に駿しく日本海を渡ってきた唐を滅ぼして取って換った契丹系。

 が、「唐ない」ゆえに「十ない」であらうと指が八本との妄説までたてる。江戸時代の戯作者でさえも、「和藤内」とし国姓爺合戦に、清に滅ぼされた明の彼が台湾を基地に本国へ挑戦の話をかいているのに喜田貞吉らは気づかず、「特別部落とは杜会の落伍者と三韓征伐の時の捕虜」としてしまう。

《三韓征伐》
 三韓征伐はまったく逆で馬韓・弁韓・辰韓が日本列爵を三分しコロニーの時代。特殊部落は酉暦六六三年に世変りした時に、仏教の宣教師坊主を真っ先に送りこみ徹底的に教化しようとしたのに、あくまで抵抗した連中が又しても収容されたのが、ゲットーの居付き部落と知らぬらしい。

《藤原王朝》
 続いて藤原王朝が中華の風俗に馴染もうとせぬ日本原住民の、降参し奴隷にならぬ徒輩を橋のない川へ追いたて貝を食わせ尽きると自滅させた。日本後記や続日本記に記録されている。

《八つ》


《四つ》
 四つは崇神御孫最行帝が八つの八坂姫にうませた日本武尊の死からは、共に反体制視される。彼らは韓国勢力大陸勢力に追われて山ガツ・餌取り・餌差しとされ、特殊部落民とされてゆく。

《木地師》
 恐れ多くも陽成帝でさえ藤原基経に追われ山へ逃げて木地師とならせたまう。が11世紀は青眼の賊船が次々と来襲、山から原住民を人間狩りしてきて出征させたが、戻ってから叛むかぬよう片刃の刀をもたせた。

《刀イ(伊)」の乱》


《北条政子》
 ようやく文治革命で夷津の夷頭の北条政子の世になると、京を征伐し尊い方を隠岐や土佐へ流罪にし、御所への目付に六波羅探題をおくが、世変りして足利期になると新しく散所奉行ができ、北条氏の残党と共に足利創業に邪魔した南朝方の子孫をも特殊部落にしたから地名にも残る。

《散所を産所・千軒》
 「天の古代史」「庶民日本史辞典」「野史辞典」の三冊をぜひとも順に読んで散所を産所と誤らぬ為にも真相を把握してほしい。またイザナギ、イザナミ二神が天の浮橋で互いに見染められたまい、「工た男」「工な女」と呼び合われた故事で、工民の多い処を工多とよぶのも語源。

 また騎馬民族の蘇我の末裔が「吾こそミナモトの民」と呼ばわっていたのが、白旗の源氏である。先住民族のセンを千に換えて「千軒」と、ゲットーだった地域の押しこめ居付地を呼ぶのとこれまた同じである。

《非人とは騎馬民族の末孫》
 俗にいう処の非人とは騎馬民族の末孫。農耕や漁業製塩をなす「塩尻」とよばれる八つの民が働くのに、彼ら四つの遊牧民族は違うからとの命名で藤原体制に、北方に追われキタともいう。

 「ヤジ・ウマ(野次馬)」と庶民をよぶのは、八つと四つを合せた呼称だが、山野に音から自生の草木や土や石をきりだしたり、人や獣を扱うのが原住系の限定職種。それを加工するのが良の舶来職だった。

《除地》
 「除地」として大名領でも天領でも年貢なしだったのが、明治新政府が収獲物にのみ対しではなく土地を私有化にして地租課税。よって河原や山頂を当てがわれた部落は納税の為に貧窮化した。

《八母音を使う名古屋弁》
 八母音を使う名古屋弁のような太平津岸から日本列島に這い上って住みついたのが八つの民。今もイランのヤスドに祀られている天地水火を拝む祭壇があるゆえ、ヤー公とかヤジとよぶ。

《騎馬民族で四つ・秋田美人》
 裏日本ヘベーリソグの寒流で入ってきたのが騎馬民族で四つと呼ぶゆえ、今いう白系ロシア人も入っていたので、新潟や秋田には白人の肌を今も伝える色白な美人も産出するのである。

《夷をもって夷を制す》
 治安維持のため江戸期になっても、「夷をもって夷を制す」で八つと四つは交互に、互いに監視し牽制しあうように四つの弾左ヱ門家の下に、八つの車善七。その下に四谷者、又その下が谷津もの。とされていたのを、例の「ヤジキタ」もので共に仲よくしあって、世直しをと煽動された。

 その結果、慕末からはポルノでもない東海道膝粟毛の貸本に影響され、キタの騎馬系の末孫の馬方が、八つの大井川の赤フンの川越人足のために「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と白フンドシを振りつつ、向うでは酒手をはずむようにと旅人に馬子唄ですすめもしたものである。

《伊勢神宮を北条政子と思いこんでいた大衆》
 伊勢神宮を北条政子と思いこんでいた大衆へ、お札ふりの「ええじゃないか」の騒ぎといい、部落から脱出してきたものの裸一貫で馬方や車力人足をしていたのを、一つに結びつけさせての大衆動員の策は倒幕の大動力となった。頭の良い人が昔もいたものであると感心させられる。

 己が家系のルーツ調べに学校歴史では納得できず、あれこれ本を読まれる人が多い。人情として美化したがるのなら別だが、もし真実をと想うなら道標は八切史観だけだろう。

 ☆  ☆  ☆

 例えば、最近話題の慰安婦については、上述の八切史観の「部落民の棄民政策」であったことがわかる。





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Last updated  2013年05月23日 15時19分54秒
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