シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年07月29日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 日米開戦の発端となった真珠湾攻撃と、昨今行われた不正選挙の構図が似ていることから、真珠湾攻撃の話を紹介してきた。

 まとめると、アスター家が中心になってつくられたRIIA(王立国際問題研究所)からCFR(外交問題評議会)が生まれ、麻薬と兵器で金儲けするために、太平洋問題研究所(IPR)やドイツ国際問題研究所が、戦争を構想する下請け機関としてつくられたようである。

 その悪魔の遣り口は、ヘーゲルの弁証論に基づき、正反合の舞台、つまり東と西、左と右の闘争的な両陣営を整えることである。

 そして、投資した何倍もの見返りとして全てを合として略奪していく。実は、仲裁役が火付け役とグルで、マッチポンプである。仲裁役が、都合のよい論理を持ち出して両者の間に立って法律をつくるわけで、植民地かどうかは、その国の司法をみればよくわかる。

 連中は、何億人もの人々を麻薬中毒者にし、何億人もの人々を殺傷し、天文学的な巨額な資産を獲得した。もし、その巨大な犠牲がなければ、連中は単なる善良な一文無しであったことだろう。

 全てはカネへの執着と、カネの力であるが、カネで生命は変えないし、宇宙の法則も変えることはできない。ただ、魂が腐敗し、退化の道へと陥り、堕落していく。

 シュタイナーによれば、現在のサルは、太古では人類よりも高度の知識をもっていたという。しかし、いまの悪魔のような連中が仲間を陥れ、犠牲にするために用いたため、魂が腐敗し、退化の道へと堕落していったという。ボスが全てを所有するサルの世界をみればこのことがよくわかる。

 闘争的な動物は、堕落したかつての高度な魂である。そのような魂の腐敗に導くのが、悪魔の仕業である。高度で便利な知識を与えれば、未熟な魂は独占所有したくなるからである。

 パンドラの箱とは高度な知識のトロイの木馬のようなものである。



 「左手の行うことを、右手に知らせてはいけない。」というキリストのセリフを彷彿とさせる。

 「一方の頬を打たれたら、他方の頬を差し出せ。」という解決法を実践すべきなのだ!

 要するに、左も右も同じである。片方の立場に執着するから、闘争になるのだ。左を打たれたら、右で補完せよ、ということである。片方の立場に執着する、というのは中道的な見方ができていない証拠でもある。

 片方の立場に執着させ、両陣営を分けている、差別化している奴らが悪魔であり、お互いを憎ませて戦わせている奴が悪い。人類は賢くなるべきである。

 さて、前回の真珠湾の話をさらに続ける。

 ☆  ☆  ☆

 そもそも白洲次郎こそ真珠湾攻撃と山本五十六のプロパガンダ工作の元祖なのである。「いろおとこ」「ワシントンの桜の下」の仕掛け人は白洲次郎である。五十六暗殺工作に海軍主計・中曽根康弘を使った元締めも白洲次郎である。

 さてジークムントは1925年ロンドンに出て、N.M.ロスチャイルド父子銀行で見習いをしながら、ケンブリッジ大学で経済学を聴講している。次郎がケンブリッジを1925年に卒業し、1928年に白洲商店の倒産で帰国するまでの3年間、密かに接触していたと思われる。

 間を取り持ったのはロビン・ストラッドフォードだろう。ロビンも次郎と同じ身の上にあったと思う。

 二人のオイリー・ボーイ(オイルまみれになるほどの車好きの意味)は「卒業旅行」に出かける。その先にジークムントが待ち構えていたのだろう。次郎はロビンとは終生の付き合いをしたという。二人はお互いの傷を嘗めあう唯一の友だったと思う。

 (車は若者を洗脳するのに格好なツールである。車が欲しいために、若者は容易にモラルを侵すからである。しかし、昨今の日本の草食系男子には通用しない。連中の策略を、潜在下で見抜いたからだろうが、いまでは車ではなくケイタイなどの情報ツールに代わっている。



 しかしジークムントは次郎と同じ年である。そこでもう一度ウォーバーグ家の人間を調べたところ、次郎の養父・白洲文平と接触した可能性のある人物がいる。

 ウォーバーグ家にはアルスターウーファーとミテルヴェークの、2つの家系に分かれていて両家は家風も気質も違うらしい。ミテルヴェークのウォーバーグ家は有名な5人兄弟を輩出しているが、長兄アビー・M・ウォーバーグが一人だけプーなのである。

 そしてアビーはオッペンハイム家の出身の母親の風采を受け継いでいて、髪が黒く肌も浅黒く目は暗褐色で子どもの頃の写真はアラブ人のようである。次郎の親友のロビンの回想によるとケンブリッジ時代の次郎は、色が浅黒く彫が深いので「アラブ人」で通していたという。

 無理矢理にケンブリッジに行かされた次郎と違って、アビーが一族でただ一人だけボン大学に行ったのは、みんなの反対を押しきってのことである。ボン大学で美術を専攻したアビーはその後一度も定職につかず、親と弟たちにたかる生涯を送っている。

 アビーがボン大学に入学したのは1886年。白洲文平は1868年生まれでハーバード大学からボン大学へ留学。ほぼ同時代の出来事として考えられる。樺山愛輔もアマースト大学からボン大学へ留学して文平と学友になる。アビーと文平と愛輔はボン大学で接点を持っていると思われる。



 アビー・M・ウォーバーグについては、ロン・チャーナウ著「ウォーバーグ ユダヤ財閥の興亡」に写真が載っているので参照されたい。但しチャーナウはユダヤ財閥たちのポチらしいので、プロパガンダの記述には注意されたい。風貌や経歴についてプロパガンダではないと思われる箇所から抜粋する。

 『ヨハンノイム実科ギムナジウムに在学中の、13のアビーを撮った写真を見ると、金色で色白の級友たちに交じって、彼の浅黒い髪と肌色に加え、顔の表情が目立つ。アビーは、一目見たらいつまでも忘れられない風采をしていた・・その暗褐色の目は、楽しげに細まったり、怒りでかっと見開いたりした。』

 『生活を一家に頼っていたにもかかわらず、陰気なアビーは依然として弟たちの頭を抑えていた。彼にかかると、弟たちは催眠術をかけられたように言いなりになる有様であって、みんな威張ってはいたものの、兄の前ではどこか怯えて気圧されるところがあった。』

 アビーはインディアンに異常なほど興味を持ってアメリカの奥地に旅行している。

 『のちに弟のマックスは、アビーのアメリカ南西部インディアン調査旅行が、兄にとって決定的な出来事であった、と言った。』

 アビーはインディアンに親近感を持つ。しかし1897年にハンブルクに戻るとアビーはマリーと結婚する。マリーは1899年に長女を出産、白洲次郎が生まれた1902年にも長男を出産、最後に1904年に次女を出産している。

 しかしアビーとマリーの結婚生活はどうだったのか。夫妻は1897年から1904年までフィレンツェに滞在している。チャーナウは奥歯にものをはさんだような書き方しかしないが、夫婦の間に軋轢が生じているのを目撃した女性客がいる。

 『アビーとマリーの結婚上の最大の問題は、夫アビーの極端な自我没頭と精神不安にあった。フィレンツェ時代(1897~1904年)にすでに、彼は、慢性的な不安に苦しめられていると感じていた。当時、フィレンツのアビー邸を訪れたある女性客が、結婚したばかりの頃の彼の痛ましい姿をはっきりと書き残している。その時のアビーは三十三歳であったが、もうすでに彼の心は精神錯乱と正気の間を行きつ戻りつしていたのである。』

 アビーは1905年にボン大学の講師になるべく帰国する。不首尾に終わるがこの時期にもボン大学に関わっている。文平と愛輔と関わる可能性があるのはこのアビーである。

 ジークムント・S・ウォーバーグについては、徳本栄一郎氏が貴重な手紙を発掘している。
1981年6月4日付けジークムント・ウォーバーグから白洲次郎宛。

 『親愛なる次郎、我々が友情を結んで以来、最も有意義で満足感のある職務とは、よき若者を教え導くことだった。』(『英国機密ファイルの昭和天皇』より)

 よき若者を教え導くことに最大の意義と満足感を覚えるジークムントは、自分が所有するスイスの製薬会社でLSDを開発させた人物でもあった。甥のジミーはこのLSDを使って、かの悪名高きCIAのMKウルトラを考案している。

 ジークムントについては『さてはてメモ帳』様にもスゴイ記事がある。

http://satehate.exblog.jp/7966233/

 そもそもFRBの創設者であるポール自身が、第一次世界大戦ではドイツ諜報機関の代表。
兄のマックスも1919年パリ平和会議のドイツ代表。ウォーバーグ一族はインテリジェンスとしてシナリオに深くかんでいるようである。このような一族の隠し玉として白洲次郎が使われたのである。

 ユースタス・マリンズ著『民間が所有する中央銀行』より以下抜粋。

 『過去65年間の合衆国における心理学の発展のほとんどは、英国陸軍の心理戦争局(Bureau of Psychological warfare)によって指示されたものであることを知っているアメリカ人はほとんどいない。ほんの少しまえ、著者は新しい名前、タヴィストック人間関係研究所として知られているロンドンのタヴィストック研究所を知った。「人間関係」は人間行動のあらゆる局面を網羅し、 タヴィストック研究所の穏当な目的は、アメリカ市民の人間行動のあらゆる局面を支配し影響力を行使することである 。』

 『タヴィストック研究所グループは、第二次世界大戦中に戦略事務局(OSS)、戦略爆撃調査部、連合国遠征軍最高司令部などの重要な米軍グループの全員を組織・訓練した。第二次世界大戦中、タヴィストック研究所はロックフェラー財団の医学部門と合同で、意識改革の薬の秘密の実験を行った。現在の合衆国の麻薬分文化はこの研究所に源を発し、この研究所は中央情報局(CIA)のトレーニング・プログラムを管理した。』

 『LSDカウンターカルチャーが発生したのは、S.G.ウォーバーグ商会所有のスイスの医薬会社のサンドス.A.Gが、リゼルグ酸からLSDと呼ばれる新しい薬を開発したときである。ジェームズ・ポール・ウォーバーグ(1910年に連邦準備制度を作成したポール・ウォーバーグの息子)は、政策研究所(IPS=Institute of Policy Studies)と呼ばれる合衆国にあるタヴィストック研究所の支部機関の資金調達を行った。

 ジェームズ・ポール・ウォーバーグはCIAプログラムを設計してLSDの実験を行った。そのなかの何人かはのちに自殺を図った。MK-ウルトラと呼ばれ、ゴットリーブ博士が指導を行ったこのプログラムは、犠牲者たちの家族による合衆国政府に対する巨大な訴訟を引き起こした。』

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2013年07月29日 11時21分41秒
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