シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年08月23日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 これまでのセスの話から、唯物論に染まりきったために、現代人は、「自我硬直」に陥っていることがわかる。

 「自我硬直」とは、独房の一種で、3次元(物質)世界が全てで、そのなかで自己に都合よく構築される世界が全てだと錯覚、洗脳されてしまうことである。 

 後のセスの話にも出てくるが、我々は、意識を拡大するために、仮の3次元(物質)世界で、芝居を演じているだけなのである。それは、芝居を演じることで、割り当てられた配役の立場を理解するためである。

 宇宙には無限の割り当て、配役がある。セスによると、どの人格も、同時に複数の配役を演じているという。だから、3次元世界だけに拘っていると、宇宙の変化についていけずに、支障をきたす恐れがある。

 芝居に熱中するあまり、割り当てられた配役が自分だと錯覚し、芝居が終わっても、その配役になりきってしまうことになる。これでは、芝居の、配役の奴隷になってしまう。例えば、ヒーローとヒロインが芝居をひきづって結婚し、お互いの本当の人格を知って離婚するようなものである。

 現代人のほとんどが、3次元世界での配役の奴隷となっているために、その芝居の終了、つまり死を恐れている。実は、それは恐ろしいことで、3次元世界でしか生きられなくなることで、例えば、複数あるTVのチャンネルのうちの、1チャンネルしかみないで、そのチャンネルしかないと思い込んでいるようなものである。


 これでは意識の働きが停滞してしまう。意識は無限の可能性をもっているのに、例えば、3次元世界だけでも、様々な役割と人生があるのに、いまの自分の立場だけに固執、執着することを意味する。

 少なくとも、なんのために、この3次元世界にきたのかもわからない。1つの芝居の1つの配役を続けることは、本当の人格にも支障をきたす恐れがある。だから、俳優や女優は1つの配役を続けることが困難なのである。



 このような自我硬直から脱出するために、セスの話を、前回から続ける。

 ☆  ☆  ☆

環境は本質的に、意識が様々な形として映し出された、「思考による創造そのもの」なのです 。

 例えば、私は14世紀の探検が大好きで、それをとても楽しんでいます。しかし、貴方がたの物質界での見地からすれば、そんなことはできないことになります。

 私は、それが、自身による観念的産物であることを深く承知しています。そして、机に座って、田舎の風景を眺めることが自分にとって非常に楽しいので、私はよくその物質的形態をとるのです。

 貴方がたも居間に腰をかけて同じことをしているのですが、自分自身が何をしているのか、をよく理解しておらず、しかも、いま現在の貴方がたはやや制限されているようです。

 私が同胞と出逢う時には、純粋な楽しみの実践として、ちょくちょくお互いの思いを様々な姿や形に投影して、その解釈を試みて遊びます。私たちにも、貴方がたがゲームと呼ぶようなものがあり、そこではちょっとした特殊技能が要求されます。

 それは、ある与えられた思考を、両者のうちのどちらがより多くの形に置き換えることができるかを競う、というもので、やはり純粋な楽しみのためです。

 全ての思考の本質に影響を及ぼしている微妙な特質、あるいは感情の漸次的変化というものが存在するため、全く同一な物体は存在しません……。

 そして、ついでに申しあげますが、貴方がたの体系においても、形をもつ物体には完璧な複製(コピー)は存在しません。物質を構成する原子や分子も、それぞれが自らの存在をもっており、その存在が、形づくる物体に特徴や質を与えています。それはどのような物体であっても変わりません。



 よって、貴方がたは極めて差別的で、特定な特質のみを受け入れ、他は無視しているということになります。例えば貴方がたの肉体に関して言えば、7年ごとにすっかり入れ替わるだけでなく、一呼吸するたびに不断の変化が起こり続けているのです。

 (微妙な差異に気づかない)

 肉体の内側では、絶えず原子や分子が死んで新しいものと入れ替わっています。ホルモンも常に動き、変化しています。皮膚や細胞の電磁気的な特性も、絶えず振動しながら変化を繰り返しており、自らを反転させてしまうことさえあるのです。

 ほんの一瞬前まで貴方の体を構成していた物質と、いまこの瞬間に貴方の体を構成している物質とは、肝腎な部分で異なっているのです。

 もし貴方がたが、自らの体の一見不変的な性質に注意を向けている時と同等な執拗さをもって、体内に起きている絶え間なき変化を見て取ることができたなら、自分がこれまで体というものを、多少なりとも一定不変で凝集性のある、1つの独立した存在であると見なしてきたことに対し、驚きを隠せなくなるでしょう。



 そして「過去」の体験から「固有のもの」として想定された概念や思考の傾向を強調する一方で、かつて一度は「固有のもの」として存在し、今では消失してしまったものを完全に無視しています。

 また、思考を1つの形態にとどめておくことができないという真実をも、貴方がたはすっかり黙殺しています。少し前に抱かれた思考は、貴方がたの言い方によれば、消滅することになります。

 貴方がたは、いくぶん不変的で比較的長持ちする環境を維持するために、いくぶん不変的で比較的長持ちする肉体的な自己と主観的な自己を維持しようと努めます。従って、いつでも自分自身を、変化を無視する立場に置いているのです。

 貴方がたが認めるのを拒んできたもの全ては、まさしく貴方がたに、現実の真の様相や個々の主観性、そして貴方がたを取り巻く環境についての、より正確な理解を促すことのできるものばかりです。

 頭を離れた思考には、何が起きるのでしょうか。思考は、実はただ消え失せるわけではありません。思考のその後を追求する方法を学ぶこともできます。

 しかしながら、貴方がたは三次元的な存在に合わせた自己の安定点を、そこから外して別の方向にもっていくことに、いつも怯えを感じているようです。思考が消滅するかのように見えるのは、そのためです。

 また、貴方がたの主観においても、不可解で知られざる特質を持ち合わせているようですが、知的生活においてでさえ、知らぬ間に行き着く、ある種の落とし穴、あるいは、思考や記憶が落下して、そのまま無のなかに消えていくというような主観的な断崖絶壁をお持ちのようです。

 そこで、そんな自分を守るために、あるいは自分の主観を、落とし穴から守るために、危険と思われる地点には様々な心理的な防護壁を張りめぐらしているのです。そのようなことをする代わりに、貴方自身の現実が、最初に認識した方向に加えて、更に別の方向にも広がっていることにただ気づきさえすればよいのです。

 (唯物論以外の道を考える。)

 そうすれば、思考や感情の跡を辿ることができます。おわかりでしょうか。貴方の頭を離れた思考や感情は、貴方を新しい環境へと導くことができるのです。

 思考がそこを境に消滅したかのように見える主観的な落とし穴とは、実際には霊的なひずみのようなもので、貴方がたが知るところの自己を、別の宇宙(次元)体験―象徴的な体系が生き、思考の可能性を否定されない現実―に繋げているのです。

 そうした別の現実や、夢境での貴方の現実との間には意思疎通が存在し、それぞれの体系の間には常時やりとりがあります。

 もし自分の意識が途切れたり、はぐれたりする地点、あるいは自分の意識が終わってしまう地点があるとすれば、それは貴方が心理的な防護壁を立てている地点である、ということを意味します。

 そして、かような地点こそ、まさに貴方が探求すべき領域なのです。

 さもなくば、貴方は、自らの意識から、活動が奪われ、抑圧された状態で、まるで脳のなかに幽閉されているかのように思い込み、また、忘失した個々の思考や記憶は、少なくとも象徴化されたレベルにおいては、矮小化した死のように見なしてしまうでしょう。それらにはいずれも、そのような制限はありません。

第4章

セッション521……1970年3月30日 (月曜日)

 貴方がたの環境は、これまで貴方が信じてきたよりも、遥かに多くを内包しています。先に私は貴方がたの環境の日常の物質性や、それを取り巻く現在の関連性についてお話しました。その実情はより壮大で広範囲にわたり、貴方自身は、その環境のうちのほんのわずかしか気づいていないということです。

 それでは、現在の貴方が、ある芝居に登場する役者であると考えてみてください。目新しい比喩とはとても言えませんが、この場に適切であることは間違いありません。舞台は20世紀という設定です。

 そこで使う小道具や舞台装置、芝居のテーマなどは全て貴方が考え出すとしましょう。実際に脚本や演出や演技という芝居の制作全体が、貴方の手に委ねられます。そして貴方とその他の登場人物や裏方たちがみな総動員で、その芝居を上演するのです。

 貴方は自分の役づくりに熱中し、すっかりそれになりきっているのはよいのですが、逆に自分で創作した芝居の現実にはまりすぎて、その特定の役が演じる課題だの挑戦だの、あるいは希望や悲しみなどにすっかり溺れてしまい、それらが自分の手による創作だったことを忘れてしまいます。

 喜劇あり、悲劇ありで展開していく色濃い芝居は個人レベルで、そして全体レベルで、現在の貴方の生活や環境にも匹敵するでしょう。

 けれども実のところ、その芝居の他にも別に同時進行している芝居が存在し、貴方はそれらのなかでも役柄を与えられているのです。どの芝居も、それぞれに舞台背景や小道具があり、異なる時代背景のもとに展開されています。

 その1つは「12世紀での生涯」と題され、別のものは「18世紀での生涯」、更に「紀元前500年」であるとか「西暦3000年」などという題名のものもあるかもしれません。貴方はそれらの芝居も全て自分で創作し、そのなかで役を演じるのです。芝居の舞台背景は、貴方の環境を表わします。つまり、貴方の人格全体を取り巻く環境と言えます。

 ここでは、あらゆる人格を統合した存在のうちの一部である貴方が、この特定の時間進行のもとで、舞台に出演しているのですが、その特定の進行のもとに、貴方は、現在繰り広げられている芝居に夢中するあまり、他にも貴方が出演している別の芝居があることに気づいていません。

 貴方自身の多次元的現実を理解していないので、貴方が幾人もの存在として「同時に生きている」ことをこうしてお話ししても、とても異質で信じがたいことに感じられるでしょう。

 同時に二ヵ所に存在しうるということも想像に難いのです。ましてや、二ヵ所よりさらに多くの場所だとか、いくつもの時代に同時に存在し得るともなれば、なおさらのことでしょう。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2013年08月23日 11時42分30秒
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