シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年08月30日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回からの続き。

 セスの話からわかることは、唯物論の弊害と、食事や睡眠のとり方の問題である。食事も睡眠も、短時間に頻繁にとることで、全体量を抑え、更に頻繁に、この世とあの世を交互に何度も旅することで、あの世の情報を、この世にもたらし、睡眠中の自我と、覚醒時の自我の統合をはかることが、現代人の課題といえる。

 すると、人は死なないことがわかる。というのも、意識に、死などないからである。現代人はなんと愚かで、自分で自分を洗脳しているのだろう。洗脳を脱却するために、セスの話を続ける。

 ☆  ☆  ☆

 以前この章のなかで、睡眠時間に関わる習慣について提案をさせていただきましたが、それを実生活に取り入れることは、そうした意識のリズムを自然に活用することでもあります。

 意識活動のピークも、ずっと頻繁に体験できるようになるでしょう。集中力が増し、周囲の問題が明確になり、学ぶ素質もより有効に活用されるようになります。

 さて……覚醒状態にある意識に割り振られた「休息のない徒長した」時間に、血液中に、化学物質の増加が見られます。それらの化学物質は、睡眠中に排出されるのですが、肉体から活気を奪い、意識の集中を妨げます。

 意識をクリアにするために、更に、すっかり習慣化している長時間に及ぶ夜の睡眠時間が必要になってくるのです。

 かくして悪循環が形成されます。この悪循環によって、夜間の肉体が過剰な刺激を受けることを余儀なくされる上、睡眠時間が引き延ばされた挙句、夜中じゅう連続して肉体の浄化作用が行われるため、肉体の仕事を増やす結果になってしまいます。



 (長時間睡眠が不眠症につながる。)

 その結果、見せかけの二元性が生じ、同じ自己の一部同士の一方が、他方に対して不信感を抱くことになります。その過程で、非常に実際的な価値をもつ創造的な情報などが大量に失われることになったのです。

 (自我の分裂。夜の自我と昼の自我の争い)

 しかし、ここで開示した(睡眠時間の)方法により、そうした情報を再び手に入れる可能性が大きく膨らみ、また覚醒状態の自己も今以上に活気づくことになります。

 更に、夢に現われる象徴もかなりの明瞭さを見せるようになり、例えば貴方の現在の睡眠時間を経ても、忘失することがなくなります。筋力も恩恵を得ることになるでしょう。血液の浄化も効果的になされます。

 しかし最も大きいのは、「何ものにも脅かされることはない」という感覚が増した自己の「主部」と、最初に創造の煌きを見た自己の「末端部」との間に、遥かに好ましい意思疎通が交わされるようになることです。

 聡明で取り乱されることのない、頼もしく力強い意識が、その力を維持して現実を的確に解釈し続けるためには、頻繁な休息をとる必要があります。さもなくば、知覚結果を歪めることになってしまいます。

 治療として休養や睡眠をとる場合、なかには非常に長い睡眠時間が治癒の助けになる場合もありますが、それは長い睡眠そのものが有益なのではなく、体内に多くの毒素が蓄積されていた分だけ、長時間の睡眠時間を要した、ということなのです。

 現在の貴方がたの習慣をそのまま放置したなら、確実に学びの過程が害されるでしょう。なぜなら、意識には、学びに同調しやすい一定の時間が必要なのにもかかわらず、貴方がたは、意識の周期を見極めることができず、意識の活動が最小レベルにある時でも、意識に対して学ぶことを強要しようとするからです。

 創造力や超自然的能力は、この人為的な区分が存在するために、背景へと追いやられてしまうようになります。その結果、活動の全てを左右する二元性が生じてしまうのです。

 場合によっては、貴方がたの意識活動が、最大レベルに達するような時に、自らに睡眠を強制していることもあります。ついでに言えば、それは夜明け前の時間帯にあたります。



 午後には意識の活動が低迷する特定の時間帯があり、本来、休息が求められるところですが、そうした時間帯の存在は否定されています。

 (夕食後に仮眠をとるべき)

 現在、睡眠中の意識状態については研究されていますが、もし覚醒時の意識状態に関しても同様な研究がなされることがあれば、貴方がたが薄々感づいている以上に、遥かに意識活動の大きな振幅が確認されることでしょう。

 意識状態の推移については、現在、完全に見落とされているものがあります。多くの点において、意識は、実は明滅し、その集中度は様々である、と言うことができます。意識は、むらのない一条の光線のごときものではないのです。

セッション534……1970年6月8日 (月曜日)午後9時5分



 別の言い方をすれば、自分の意識を、肉体という媒体を通して認識している、ということです。ですから、主として肉体という媒体を通さずに働く時の意識、例えば体外離脱や、肉体と乖離した状態で働いている意識についてはほとんど認識していません。

 貴方がたが肉体にある時も肉体の外にある時も、意識の特質は同様です。前に触れた意識活動の「山あり谷あり」に関しても、全ての意識に当てはまり、このことは死後の意識によって採択される形態をまとった時にも変わりません。

 貴方がたの意織の本質は、現在の状態においても基本的には相違ないのですが、貴方がたはその性質の多くを自覚していない可能性があるのです。

 例えば、気づきもされていないようですが、貴方がたの意識には現時点でもテレパシーや遠隔透視の能力があるのです。往々にして自分が無意識にあると見なしている睡眠においても、むしろ貴方がたの意識は、現時点より遥かに目醒めている可能性があります。

 けれども睡眠時の意識は、単に覚醒時には、受け入れることがない意識の能力を使っているにすぎません。そのため、そうした能力を、自身の意識的な体験から締め出してしまいます。

 私の意識や貴方がたの意識はもとより、どんな意識も時間と空間という両者からは、極めて独立した在り方をしています。そして貴方がたは死後になって、それまでともにあった偉大なる意識の能力について、完全に気づくのです。

 意識の偉大なる能力は、言うまでもなく貴方とともにあるのですから、今ここでそれらを探しあて、その使い方を学ぶことは可能です。そうすることは、貴方がたの死後の体験を直に手助けすることにもなります。

 もし、例えば自分の意識は肉体に封じ込められてなどおらず、思うそばから、肉体以外の自己の一部を創り出せる、ということを、死に先立って理解していれば、その時になって起きる自然な反動にも少しも慌てることはないでしょう。

肉体とともにある意識を「過度なまでに自分であると見なす」人々は、自ら創造した苦痛の種に理由もなく苦しめられ、肉体のそばにぐずぐずといつまでも居残る羽目になる可能性があります 。

 それはまさに、「 自分は全く見捨てられ、他に行くところがない 」と思い込んでいる霊のことを言っているのです。

 以前にも申しあげたように、貴方がたは今既に霊なのです。そして、その霊には意識があります。ですから意識は霊に属しているわけですが、その二者は同じものではありません。霊は、自らの意識を作動させたり、止めたりすることがあります。

 意識は、その本来の在り方ゆえに、明滅したり、振動したりすることがありますが、霊にはそのようなことはありません。

 私は「霊」という言葉を特に気に入っているわけではありません。既に、その言葉には幾つかの含意があるからです。しかし、その言葉が「物質形態には依存しない在り方」を示唆している、という点においては、私たちの目的にかなったもの、と言うことができます。

 意識は、睡眠時に自らの回復を期しているわけではなく、単に別の方向へと向きを変えているだけなのです。よって、そのとき意識は眠っておらず、たとえ動作が止められたとしても、電灯が消される、のとはわけが違います。

 「動作を止める」ということは、スイッチを切ると電気の明かりが消える、のとは違い、意識が消滅する、ということではありません。このまま比喩を続けますが、もし、意識が貴方がたに帰属する、電灯のようなもの、であったとすると、たとえスイッチが切られても、そこには暗闇でなく一種の薄明かり、が残ります。

 従って、霊は、意識が消えても無の状態になることはありません。その点の認識は極めて重要です。意識は消滅しない、ということを理解するのは、大変重要です‥…。

 〔ここで、ジョーゼフ(筆記者)が、「実際に意識を失う」〕

 ジョーゼフ(筆記者)、貴方は今夜、「意識は消滅しない」という情報の内容を、実際に実践に移していたのですよ。

 さて……私たちの実践は、言うまでもなく、ご親切にもジョーゼフ(筆記者)に手をお貸りいただいたものですが、お伝えしたばかりの情報の内容を、実践に移していく際の幾つかの要点が示されました。

 先に私は、貴方がたが自身の意識の特質のなかでも、慣れ親しんでいるのは肉体という媒体を通して使っているものだけである、と述べました。つまり意識が知覚した事柄を表現していく際には、肉体をあてにしているのです。貴方がたは、肉体を伴う意識の表現をより好んで認知する傾向があります。

 私たちがお見せした実践では、ジョーゼフは自らの意識を後退させ、あるところまで意識の物質的表現を差し止めることを容認したのです。勿論、ジョーゼフはこの実践において、そうした体験を許諾していました。しかし、ジョーゼフ自身には許諾したことに関する意識的な自覚はありません。

 それは、こうした実験が、単に覚醒状態の通常意識が前もって、それを把握していては、成立しない類いのものだからです。従って、仰天して当然なのです。私は意識が不鮮明になることについて言及しましたが、ジョーゼフはそれを体験してみたのです。

 これは実は意識を扱う練習なのです。死に近づき、肉体という媒体を通した表現はこれ以上もはや不可能と意識が悟った時には、程度の差こそあれ、同様のことが生じます。

 死にゆく人が、肉体にある意識こそが自分である、とあまりにも強く信じ込んでいる場合は、パニック状態に陥ってしまいます。それは、その人が表現手段の全てを断たれ、実際に自らの意識がまさに消滅寸前である、と思っているからなのです。

 自分という存在が次の瞬間には確実に抹消されてしまうという、いわば消滅への信仰は、極めて苛酷な体験であり、その体験自体が幸先の悪い反動をもたらすことになります。代わりにできることは、まず、 貴方の意識が少しも損なわれないこと、そして意識の表現がそれまでより遥かに自由であることに気づく 、ということです。

 ジョーゼフは潜在意識のなかで、自分が使っていた表現手段を乱すことを選択しました。それは、そうした障害に、注目を集めるため当然だったのです。

 理解の援助となるに相応しいと思われる情報を開示したことで、私たちはこれから何章かにわたり、肉体の死後や、死の瞬間における存在の本質について、輪廻の周期の終わりにあたる肉体死に関する情報も織り交ぜて論じていこうと思います。貴方がたはそれに着手する前に、自らの意識の本質や作用について理解しておく必要があったのです。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2013年08月31日 09時48分11秒
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