シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年08月31日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回からの続き。

 セスの話はいよいよ死の真相を解き明かす。何度も先んじて紹介したが、人間は死にはしない。ただ、唯物論に染まっている人は、唯物論から死をつくっているのである。というのも、人間の意識はあらゆる創造が可能だからで、死をつくるからである。

 つまり、死ぬと思えば死ぬわけで、想念の問題なのである。勘違いして欲しくないのは、ここでいう「死」とは、肉体から離れるという意味のもので、意識がなくなるわけではない。

 だから、「死ぬ」と信じる意識は、意識の活動を自ら抑制しているわけである。俗に自分で自分の首を絞めているのに気づいていない。

 これと同じようにやたらと自分だけの正義を振りかざす意識は、その正義の奴隷となっているわけで、意識の活動を自らで制限しているのと同じである。固定観念ほど恐ろしいものはない。

 いまのアメリカ動物園の園長(大統領)のアホが、その典型である。そのうちまた戦争するために、性懲りもなく米国憲法違反をやらかすだろう。一体、いつになったら米国は、真の戦犯者である歴代の憲法違反大統領を裁判にかけるのだろうか?

 一刻も早く、ワシントンの「他国に干渉せず」という建国の精神に立ち返ってほしいものである。

 では、セスの話を続ける。

第9章

セッション535……1970年6月17日(水曜日)午後9時

 第2部第9章を始めたいと思います。この章は 「『死』の体験」 と題することにいたします。

死の瞬間には何が起きるのでしょう 。

 この問いは、この問いに答えるよりも遥かに簡単です。この問いの 「死」の意味での「瞬間」というものは、基本的には存在しません 。それはたとえ突発事故による死であっても同じです。

 しかし、貴方がたが「現実にある」と考えている、この問いに対し、私はできるだけ現実的な答えを出すよう心掛けたいと思います。一般の人々にとって、この問いが一体どのような意味をもつのかと申しますと、つまり次のようなことでしょう。

自分の肉体がもはや息をしなくなったとき、何が起きるのだろう 。

 自分は何を感じるのだろう。まだ私のままでいるのだろうか。私を生へと駆り立てている思いは、ずっと同じように在り続けるのか。天国や極楽や地獄はあるのだろうか。そこで私を出迎えてくれるのは神様や仏様か、それとも鬼や悪魔だろうか、生前憎しみ合った人たちなのか、それとも愛し合った人たちだろうか……。

 そうした問いの大半が意味するものは、自分は死んだ後も現在の自分のままで、自分が大切に思う人々を思い出せるのか、というものです。



 たったいま述べた事実を最初に検討していきましょう。 独立して存在するような、不可分で特定的な「死の瞬間」というものはありません 。

生とは「何かになろうとしている状態」で、死とは、その「何かになろうとしている状態」である「生の一部」なのです 。

 貴方は、いま生きておられ、意識は自らを認識しています。貴方は、その生において、死んだり、死の間際にある細胞の残骸に囲まれながら、認識される存在として光り輝いているのです。

極微の死に囲まれながら生きている 、ということになります。要するに、自らの実像の一部が刻々と崩れ去り、その度に、その一部がとり替えられているのですが、貴方自身がそれを意識することはおそらくないでしょう。

 従って、いまこうしている間にも、ある程度は 自身の死の最中で生を営んでいる 、と言う事ができるのです。物質的見地からしますと、貴方は 己の肉体で無数の死と再生が繰り返されているにも関わらず、生きています 。

 一方から言えば、 貴方の生は、そうした死と再生に支えられている 、とも言えるのです。

 もし肉体の細胞が死んで、そのつど補填されなければ、貴方の物質的実像は存在し続けることができません。そのため、ご存知の通り、 貴方の意識は絶えず変化を続ける身体像のまわりで明滅しているのです 。

 貴方の既知の 意識は、多くの点において蛍(ほたる)の発光に譬えることができます 。なぜなら、貴方の意識も絶え間なく連続しているように見えますが、そうではないからです。 意識もまた蛍の発光のように明滅しており、これまで述べてきたように、完全に消え失せることはありません 。

 それでも意識の焦点は、貴方がたが考えておられるほど不断のものではないのです。貴方にその自覚がなくても、自身の無数の小さな死の真っ只中に実際生きているわけで、また 己の意識が煌く生の最中にあってもしばしば「死んでいる」のです 。

 私は、貴方がたの言葉を用いています。従って「死んでいる」という言葉は、ここでは物質的現実から完全に焦点を外した状態を意味します。

 極めて単純に申しあげますと、いま貴方がたの意識は、物質的に生きて、物質に適応している時間の長さと同じ分だけ、実は物質的に生きておらず、物質に適応していません。

 貴方がたを混乱させてしまう可能性もありますが、私たちはこの点を、願わくばできるだけ明確にしておきたいのです。 意識は振動しており、波動を形づくります 。しかし貴方がたは、そのことも認識してはいないでしょう。

 次の比喩を考えてみてください。意識には、物質的現実に焦点を合わせている「生」の瞬間があります。そして次の瞬間には、既に意識は完全に別の場所の別の現実体系に焦点を合わせています。

 貴方がたの考え方では、後者は生きていない、あるいは「死んでいる」瞬間と見なすことになります。

 そしてまた、その「死」の次に来る瞬間が、再び「生」の瞬間で、貴方がたの(物質的)現実に焦点が定まっています。しかし貴方がたは 、「生」の瞬間と次の「生」の瞬間の狭間に現われる「死」の状態には気づいていません 。

 従って、 自分が連続的な存在である、という感覚は、全て意識の波動の1つおきの「うねり(パルス)」の上に成り立っている 、と言うことができます。理解されましたでしょうか。

 これはあくまで比喩であることをお忘れにならないでください。ですから「瞬間」という言葉にしても、あまり字義通りに受け取ることのないようにしてください。意識には、意識の裏側と呼べる部分があるのです。

 さて同様に、原子や分子も、貴方という体系のなかで「死んでいる」、もしくは不活性な状態と、生き生きとした、活性化した状態とを、繰り返しながら存在しています。

 しかし、貴方は、こちら側に存在しない不活性な「死」の瞬間を知覚できません。貴方がたの物質的宇宙全体は肉体をはじめ、みな原子や分子で構成されています。それゆえ、私は、構築体としての宇宙全体が、意識と同様な在り方をしている、と申しあげているのです。

宇宙は明滅しながら存在しています。言い換えれば、宇宙はいわば呼吸のような一定のリズムをもって、明滅を繰り返しているのです 。

宇宙全体にわたるリズムがあり、そのなかに個々のリズムのバリエーションが無限に存在します―その様子は、宇宙規模の新陳代謝に近似しています 。

 こうした角度から見ますと、貴方がたが、「死」と呼ぶものは、その振動の振れ、または波動の「うねり」のうち、貴方の認識しない部分で、そのうちの波長の長いものが、次の認識に繰り込まれた状態、と言うことができるのです。換言すれば別の次元での長い中休みなのです。

 (最初の生よりも、次の生において活発化することで、間に死があったことがわかる。死は、ジャンプする前に屈むのと同じ。キリストの復活も同じ。キリストは、人は死なないことを教えにきた。)

 肉体の死は、そうです。貴方がたの体系でご存知の生の過程の一部であり、「何かになろうとしている状態」の一過程にすぎないのです。そして、 死んだ組織の只中から、ご存知のように「新たな生」が生まれるのです 。

 意識―ここでは人間の意識を言いますが―は肉体には依存していませんが、たとえ微々たるものであっても、その顕現に関与しないものは存在しません。例えば貴方の個としての意識が、これから説明させていただく方法で、肉体を離れた場合、原子や分子などのそれほど複雑でない意識は、消滅せずに肉体に残り、存在し続けます。

 さて……貴方がたは現状において、自身が定めた唯一の身体像に依拠している、と独断的に思い込んでいます。つまり肉体をもってはじめて自分という存在が成立する、と考えているのです。

 先にも述べましたように、貴方が自分であると見なす肉体は一生のうちに、部分的に死に続けてゆくので、現在の肉体には、10年前には(肉体を)形作っていた物質粒子はもはやただの1つも含まれてはいません。

 今の貴方の体は、10年前のとは全く別ものなのです。10年前の貴方がたの体―読者の方々に慈しみを込めてお伝えいたしますが―それはとうに死んでいるのです。

 しかし明らかに、貴方がたは自分が死んでいる、とは感じていません。貴方の目は完全に新しい構成要素から成っている、にも関わらず、いまこうして、この書を読めるのですから、それも当然でしょう。

 それでも現在の貴方の瞳と「同一の」瞳は、10年前には存在していませんでした。しかしながら、一見、貴方がたの視覚には、これまでに大きな変化や切れ目がなかったように思えます。

 それはおわかりの通り、こうした過程が極めてスムーズに進行するため、貴方がたに自覚されることはないからです。先に述べた波動の「うねり」あるいは振動の「揺れ」の長さが極端に短いゆえに、貴方の意識はそうした切れ目を軽々と飛び越えていきます。

 しかし、波動の「うねり」が長いリズム(振動)が生じると、貴方の物質的な知覚力では、その間隙を埋めることができません。そこで貴方は、そうした長い切れ目を「死」として認識するのです。

 従って、貴方が知りたいことは、自分の意識が、物質的現実とは別の方向を目指していて、どのような肉体像をまとえばよいのか歴然としない時、一体どうなるのか、ということになります。

 極めて現実的に申しあげますと、貴方がた一人一人が既に「個の存在」なのですから、答えは1つだけではありません。概して言えば、勿論、「個の存在」のなかに、この「死」の体験の主題に迫る答えを見つけることは可能です。

 しかし、この「死」には、意識がくぐりぬけることになる体験が大きく関与してきます。また、意識自体がどれだけ進化しているか、そして意識が己の体験をどう扱うか、という点で、意織が採択する方法全般の特徴が関わってきます。

 「何を現実と思うか」などの考えを含め、貴方の保持する概念は、死後の体験を大きく特徴づけることになります。それは、自らの信念に照らし合わせて体験を解釈しようとするからです。

 今でさえ、貴方がたは日常生活を分析する際、何が可能で何が可能でないか、という概念に従って解釈を試みていることは周知の事実です。貴方がたの意識は、様々な変動要因のもと、ゆっくりと、もしくは駆け足で肉体を去ることになります。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2013年08月31日 12時24分17秒
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