シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年10月01日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

ラムサ―真・聖なる預言
http://blog.ap.teacup.com/bookbookbook/17.html

 生は途切れなく、ずっと続いていくものなのです。そして、いまこの瞬間から次の瞬間へと自己を生のなかで表現していくなかで、人生の一つ一つの瞬間を幸福で満たす機会が無限にあります。

 しかし、自分の生の時間を満たすようにどう選ぼうとも、必ず、その人の意志や願望に従ったもので、自分の存在にとって、良いものとなるのです。

 例えば、もし、ある瞬間、ある一人の存在が、他の生命を奪うことを選んだとしたら、次の瞬間、その人は、強烈な罪悪感と自分に対する審判、そして、その行為が必ず自分に跳ね返ってくる、という恐怖の念のもとで生きることになります。

 ですから、その人間のこれから先の時間はけっして安寧なものではありません。自分の行いを赦さないかぎりは・・・。

 生命を奪ったこの者を忌まわしく思い、審判を下し、罵る人も沢山いることでしょう。でも、私(ラムサ)は、この他人を殺めた人間を愛します。愛さない、ということがどうしてできるでしょうか? 



 生命を奪われた者は、また何度でも(この世に)戻ってくるのです。なぜなら、「生」は永遠だからで、継続するからです。「生」は、唯一の永遠でもあるが、また同時に全てでもあります。

 もし私が、この行いを憎悪し、生命を奪った者に審判を下したとしたら、それは自分に審判を下していることになるのです。その人は既に自分に対して審判を下しています。自分の行為については自分の価値判断のもとにあり、これから先、自分の思考と感情の世界で、その行為に直面し、対処していかなくてはならないからです。

 (殺人を赦せない限りは、殺人の被害者と同等の苦しみに遭うような機会を求めていく。だからといって、殺人を肯定しているわけではない。)

 私(ラムサ)は、その行いを憎悪せず、その行いを論証し、理解し、そして超越したのです。生命を奪う者の行為を断罪すれば、私はそれを超える偉大な存在ではなくなります。これだけは確かです。

 そして、私の人生はその審判によって影響されるようになるのです。なぜかといえば「偉大なる唯一の存在」である私が、自分の一部を、そこから切り離してしまったことになるからです。するともはや唯一の全き存在ではなくなってしまうのです。

 (絶えず自分を痛めつけ、孤立させないと気がすまなくなる。)

 神という叡智には、悪も何もありません。あらゆるものは、智恵を与える1つの体験なのです。これが貴方への私の答えです。

 そして、人間がもはや自分の同胞たちから非難されなくなり、自分の存在は悪ではなく、神そのものである、と気づくとき、そして神という名の「生」の営みにより自分の全てが愛され、支えられているとわかったとき、自分の価値、自分の大切さを理解するのに、わざわざ戦争や強 姦や殺人、あるいはそれに類するような出来事を体験する必要はなくなるのです。

 人間が、法律だの、計画だの、規則だの、といったものに溢れた、この制限された意識から自分を解き放つとき、万有万物をつなぐ唯一の存在そのものの喜びと平穏を見出し、その存在が、自分自身を、そして全人類を愛することを可能にしてくれるでしょう。

 (唯一の存在は、人類全てをつなぐ絆のなかにある。)

 そして万有万物が、自らの意図に沿った生の営みを自由に作るようになるのです。そうすれば、その人は神と同じ愛を体現するようになります。そして、神、つまり、万物の生命を育み、支えていく基盤となるのです。人類が目覚め、神となりますように---。



 主よ、自分を愛しなさい。自己が語ることに、そして、自己が何を感じる必要があるのかに、耳を傾けるのです。心を込めて、自己を追い求めることです。つまらなくなるまで、自己を求め続けなさい。

 つまらなくなるのは、その体験から学ぶべきことを全て学んだという、魂からのサインであり、もう別の冒険に進む時期が来ているのです。自分の内面にあるフィーリングだけに耳を傾けられれば、その瞬間、貴方には自分がなりたいものになれる自由があるのです。

 (自己を甘やかすということではない。真剣に自己を求めるべきである。)

 そしてどんな法律にも、どんな教えにも、どんな存在にも申し開きなどする必要がないことを知りなさい。今という瞬間、そして今その瞬間から得られるフィーリングだけが、今もこれからも唯一の大切なものなのです。

 主よ、無法になりなさい。ただし、それは、無秩序(非道徳)になる、ということではありません。貴方の首を締め付けていた縄を解き、自由に呼吸できるようになる、ということなのです。



 そうすれば、貴方が、いまここにいる理由は、誰かにした何かに報いるためなどでなく、自らの唯一の生を謳歌するために生きるのです。そして、新たな冒険が一瞬ごとに展開していくのです。

 (カルマの法則から逃れることになる。)

 本来は神なる人間は、この次元での最初の生の体験の最中にも、すでに自分が神であることを忘れ始めていた。なぜか?

 それは、この物質界という素晴らしい遊び場を心から愛したからであり、この次元を体験し、ここで創造していくことだけが大事になってきたからだ。

 そして、この場所で自分の創造性の表現を探求する過程で、(また、それを可能にしてくれた手段である媒体を維持していくために)無限の思考過程を体現する華麗な生物である人間は、生存や、嫉妬、そして所有欲という制限のある想念の体験を始めたのである。

 (高次元の無限の存在から、低次元の有限の存在へと埋没した。)

 人間の魂と精神は永遠の存在であり、それはけっして変えられない。だが、神々が、自分のために大地の土から創造した化身(肉体)は、そこに宿る有限の想念に影響されやすい。人間自らが受け容れ、感じることを許した想念は全て、その身体(肉体)に表出する。この化身(肉体)は人間界の最終末端部であり、そこに宿る神の思考過程(霊魂)により維持されるからである。

 神なる人間が、この世での生存という価値観に沿って体験し始めたとき、身体(肉体)の中にある永遠の生命の生の営みを点火する思考力を少しづつ弱め始めた。このようにして、段々と思考力が制限され、身体(肉体)がうまく機能しなくなってきた。

 身体が理性的に考える力を失うにつれて、人間の意識において、恐怖が支配し始めたのである。恐れという要素が、人間の思考過程の中で1つの価値観になるにつれ、化身(肉体)のほうは、恐怖の力とその影響を蒙り始めた。それが病気であり、死なのだ。

 皆のいるこの次元の初期文明は、偉大なる覚醒に恵まれていたが、やがて、その無限の思考過程が徐々に陰りを見せ始め、死の予感と生存という価値観を通して、有限なものへと変質していった。

 (レムリア時代に、人間に死はなく、自らを複製し、その知性を親から子に受け継いだが、レムリア時代の後期からアトランティス時代初頭にかけて、性が男女に分かれてきたという。)

 死の恐怖からくる生存という価値観は、俗に「生存本能」と呼ばれる有限な思考を通じて未来の世代へと伝えられていく。人間が考えることは、全てその細胞と遺伝子の構造にパターンとして記録されるからである。

 (現代では、古代からみればガラクタだらけの統計を用いて、更に思考を低次元化しているが、このままいくと、人類は益々平面人と呼ばれるような馬鹿になるだろう。)

 神々は、身体(肉体)という形を通して自分の創造性を体験して見たいという願いから、物質という制限ある世界へと入っていった。しかし、神々がこの次元で、人間として限界という新しい世界観を体験したとき、知らないうちに、この肉体の体験から抜けられなくなっていたのである。

 (麻薬と同じか)

 最初の化身の死を体験した各々の神々は、「空」と呼ばれる世界に入っていった。この空は、実際に、光のある1次元の点だが、「全てを知る神」の意識、叡智のレベルでもなければ、物質の(3)次元に戻ったわけでもなかった。神はもはや無限の思考という次元に戻ることができなかった。制限という価値観を、自分の思考過程の中の1つの変容としてもつようになってしまったからである。

 自分が「生きる」過程で進化し続けるために、またこの物質界という遊び場が素晴らしい体験だったこともあって、神は早くこの世界に戻りたくてしかたがなかったため、自分の子どもという種を通して、神は別の化身のなかに戻ってきたのである。

 物質次元で自己表現を続けるため、また、前の生で、自分の思考過程を変えるのを許してしまった制限のある想念を全て融和させるためであった。しかし、この次元の物質的な面をもっと多く体験し始めるにつれて、神は更なる変容を体験し、制限の中にどんどん深入りしていった。こうして、この視覚の「次元」での転生のサイクルが始まった。

 この世に生まれる、ということは、人を陥れる罠としてつくられたわけではない。永久に続くものとしてつくられたわけでもない。単なる参加のためのゲームであり、創造性と生の探求中での新しい冒険にすぎなかった。

 しかし、皆は即座に化身の五感に埋没して我を失い、身体(肉体)が、貴方という人間全てとなってしまった。この次元での物質界にあまりにどっぷりと浸ってしまったため、貴方は不安に駆られた人間、恐れる人間、か弱き人間、唯一の死ぬ要素をもつ人間となった。

 (この世があまりに楽しかったので、この世に生きるときが全てと制限された思考をもつようになってしまった。)

 全ては貴方が自分の内にある強力な本質を忘れてしまったせいである。そうして、貴方は死を学んだが、(永遠の)生については忘れてしまった。悲しみは学んだが、喜びを忘れてしまった。人間(人生)を学んだが、(永遠の)生については忘れてしまった。自分の好きなように幻を作り出すことを可能にしてくれる荘厳なる本当の知性のことを・・・。

 (人間は、自分が神であることを忘れてしまった。)

 今日でも、皆のほとんどは自分が神であることをいまだ知らないでいる。自分の内に、全てを知り、全てになる力があることを知らずにいるのである。だからこそ、教師や宗教や他の誰にでも自分の人生を支配させ、真実を解釈してもらっている。

 (自問自答するのではなく、誰かに問い、答えを求める。しかもそれを哲学だと錯覚している。)

 地上の時間で、長い間繰り返し語られてきた単純な真理を、他人の考えが態々ややこしくし、混乱させるのを許してしまってきたのである。それは、 父なる存在、天の王国は貴方の内にある 、という真理のことである。

 これより偉大なる真理がどうしてあり得ようか。

 この真理を知らない者の多くは、神とつながり、覚醒するためには、教義やいわば「学問」のようなもの、儀式や祈りやお経や断食や瞑想などが必要だとまだ思いこんでいる。が、このようなことをすればするほど、貴方は自分の魂に、自分がなろうとする存在にはなれず、神の愛、そして自分が求めている叡智からは遠いことを確信させてしまうことになる。

 なぜなら、この真理に到達する道が無い方向を探しまわる苦労を自らに強いているからである。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2013年10月01日 16時45分26秒
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