シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年12月27日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 阿呆の参拝の話はもうしたくないのだが、「今でしょ!」とばかりにするのは、ミエミエで、以下にその理由が簡潔に載っている、あるサイトから、抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

とてもおおまかに世界の構造を解説してみます。1~2分くらいで。

1.WW2戦前、大英帝国が世界の支配権を握っていた。世界の富は英国の王族らが独占していた。

2.ユダ金は、世界の中心を米国に移すことに決めて、まず、欧州で大戦を引き起こした。役者のチャーチル、スターリン、ヒットラーのすべてが隠れユダヤ人であった。後に加わった米国のルーズベルトも同様である。

3.世界大戦に発展させるために、米国を戦争に引き込む必要があった。よって、日本に真珠湾不意打ち攻撃を敢行させ、欧州の戦争へ米国が関与する口実を作った。米国の参戦による欧州の局地戦は世界戦争へと拡大した。

4.戦後、世界最強の軍事大国として予定通りユダヤ米国が覇権を掌握し、世界経済を長く支配した。

5.昨今、中国が経済的に発展する一方でユダヤ米国経済は疲弊し、世界の覇権を中国に奪われつつある。これを阻止して甘い汁を吸い続けるには、大きな戦争を引き起こして軍事大国としての米国の覇権を取り戻し、経済面でも主導権を回復したい。

6.よって、傀儡の安倍晋三がユダヤ中枢の命令によって対中戦争を行うための様々な手口を行使している。すべては金融ユダヤ人の金儲けと権力維持のためである。尖閣国営化、96条改正、9条改正、国防軍創設、集団的自衛権曲解、空母建造、オスプレイ配備強行、徴兵制論議、消費増税、TPPのすべてが困窮した金融ユダヤ人のための売国政策である。

よって、これを阻止し、日本は米国、中国、ロシアなどの大国に阿ることのない独自国家として独立を達成すべきであり、それの障害となる外国勢力、売国奴はこれを駆除せねばならない 。

不正選挙を徹底的に糾弾解明する 。これはまさに世界の構造を根底から変える大革命作業である。

 この歴史に必ず残るであろう大偉業を成し遂げるまでは、我々は奮励努力し続ける。どんな障壁も乗り越える。日本人にしかできない。だから、我々がやる。やらなければ、さらにユダ金はNWO戦争まではじめてしまう。

 ☆  ☆  ☆

 要するに、ニセユダは、阿呆を極東のサダムフセインにしたいのである。泳がせて、孤立化を図るわけである。阿呆の参拝が米国の失望となったのが想定外だったのは、米国に梯子を外されたからであろう。

 そのことがわかる話を、御馴染みのサイトから抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

銃弾提供の日韓分断と靖国参拝の日中韓分断

 昨日の投稿で、自衛隊が韓国軍に銃弾を提供したという記事を書きました。

▼銃弾供与 日韓の食い違いと「緊急」と「人道」
http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20131225/1387964209

 当初は、日本政府は、銃弾不足に陥った韓国軍に


 ところが、韓国側は、おって「銃弾不足ではない」と発表。

 これによって、 日本政府はドタバタ劇を演じた 訳です。

 さてさて、この一連の事件で起こった事を整理すると、

「緊急時でもない平時に、平和憲法破りの前例を作った」

「日本政府は韓国政府に顔を潰された」

 という2つの要素があるんですよね?

 つまり・・・

1,「戦争出来る国作り」

2,「日韓分断」

 という2つのバイアスが見える訳です。

 そんな中、安部偽首相が本日、靖国神社を電撃参拝しました。

安倍首相の靖国参拝 中国・韓国は強く反発
 安倍首相の靖国神社参拝に中国や韓国は強く反発している。
 中国外務省のアジア局長は、インターネットを通じて市民の質問に答える形でコメントを出した。「中国人にとって絶対受け入れられないもので、アジアの人々の感情を大きく傷つけ、両国関係に新たな政治的な障害となる。その責任は日本側が負わなければならない」と述べている。
 一方、韓国政府の関係者は「日韓関係に冷や水を浴びせる行為だ」と述べ、両国の関係がさらに冷え込むという見方を示した。また、朴槿恵大統領の就任後、一度も行われていない日韓首脳会談については「さらに遠のいた」と述べている。
日本テレビ系(NNN) 12月26日(木)12時56分配信
http://www.freezepage.com/1388040802ASBMWUCQZY

 もちろん、韓国だけでなく、中国も強く反発を示しています。

 (強烈に騒ぐのは、いつものようにユダ金ちゃんの手下連中なのですがw)

 いずれにしろ、ユダ金プロデュースの銃弾提供の日韓引っ掻き回事件から引き続き、今度は、日中韓引っ掻き回し大作戦が進行中のようです。

 ☆  ☆  ☆

 冷静に分析すれば、日韓を分断することで、日本は大陸への市場の足場を失うことになる。韓国が大陸市場進出の防波堤になってしまうからである。しかも、参拝は、中国が日本の商品の不買運動をはじめる理由になるので、中国市場から、日本企業は撤退を余儀なくされる。恐らく、日本抜きで、中国東北部の満州を経済特権地域にするのだろう。

 日本企業は、自力で稼ぐ能力を失い政府の補助金目当ての弱者搾取体質になるので、技術力とモチベーションを失う。働けば働くほど搾取が進み、暮らしは益々苦しくなる。現に円安にも関わらず、貿易赤字体質となっている。

 しかも、TPPが追い討ちをかけ、ISD条項で揺さぶりをかけられ、日本企業は外資に乗っ取られるというオマケつきである。

 というような流れが読み解ける。だから、靖国参拝はとんでもない売国であることがわかる。罠に嵌ったというべきだろう。

 米国は、対中政策といいながら、実は日本の経済力を縮小させる政策でもあることに気づいていないから阿呆である。一石二鳥なのである。

 これまでの経緯をみれば一目瞭然なのである。ハシモトに金融ビッグバンをやらせ、日本の金融自由化で、日本経済を仮想化し、事実上破綻させ、コイズミを送りこんで、邦銀を外資に買収させ、政治不信に陥らせ、用済みになると民主党に政権をとらせ、原発事故を起こし、東日本経済を壊滅にする、というように、である。

 しかし、懲りない阿呆は自分がなにをしでかしたかわかっていないので、また同じ過ちを犯すと思う。恐らく脅せばなんでもするチキンと馬鹿にされていることだろう。

 さて、ついでに、靖国を調べる機会から、明治維新の裏側がよくわかるので、続けて、靖国について、以前紹介したサイトから重要な部分を抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

(1)東京招魂社は靖国神社の前身

 靖国神社は皇居の北側、日本武道館と靖国通りを隔てて、東京千代田区九段坂にある。創建当初は東京招魂社と呼ばれていた。招魂社とは、幕末、国のために働き、志なかばで戦死した志士を祀っているということになっている。

 ただ、 靖国神社は、神社であるからといって、伊勢神宮や宇佐神宮のような古い神社とは違う 。東京招魂社ができたのは明治2年である。 靖国神社と改名されたのは明治12年6月で、西南戦争が終結し、新たに官軍の戦死者を加えて祀るのを機会に改名された 。

〈2〉東京招魂社と大村益次郎

 維新政府の当初の方針としては戊辰戦争の戦死者の供養は、上野の寛永寺を買い取って、招魂社を作ろうという案であった。この案を提出したのは木戸孝允であるという。ところが、上野寛永寺を東京大学の付属病院として利用したいという新たな要望が出てきたため、この木戸の案は途中で頓挫してしまった。

 東京招魂社は、靖国神社の資料によると、 平田国学を信奉する 侍従・福羽美静という人物が、 吉田松陰等の安政の大獄での刑死者の霊を祀るために、京都の私邸で祠を作ったのが初めとなっている 。ところが、靖国が九段坂になったいきさつには、福羽は関係していない。それというのも 福羽は侍従であって陸軍関係者ではない 。

東京招魂社は、はじめから陸軍の所有物になるもので、初代兵部大輔である大村益次郎という人物が具体的計画を練ったのである 。すなわち、木戸の案が病院計画のため一時頓挫したことを受け、みずから 招魂社の位置を九段坂にしたのである 。

 第一に、 上野彰義隊の壊滅作戦で官軍の総指揮者として自分が総攻撃をかけ、多数の幕軍の死傷者を出した地であり、賊軍の霊がただよっている場所であること、方位が皇居の乾の方角で縁起がよいといったことを大村が上げたといわれている 。

 大村益次郎とは、明治26年に靖国神社の参道に高く聳える銅像となって、靖国神社の名物となっている人物である。彼は陸軍大将・西郷を差し置いて、陸軍の実務責任者として靖国神社の建設場所を独自の判断で決めたのである。

(7)大村益次郎の憂鬱

 戊辰戦争が終結すると、大村益次郎は政府軍の大阪鎮台の準備に懸命になっていた。大村は西郷のことを常々‘そのうち尊氏になる’と言って徹底的に警戒していた。西郷が、かつて建武の親政のとき、後醍醐天皇を裏切って天下を乗っ取った足利尊氏のように見えたのである。

 事実、西郷の人気と実力からすれば、西郷は足利尊氏どころか、ナポレオン以上の人物となれたことは充分可能であったであろう。むろん、西郷が薩摩でどれほど私心を捨て、改革のために努力をしてきたかという経過を知っている人であれば、西郷の生き方が決して足利尊氏に成り得ないということが分かるのであるが、このことを理解できるのは、残念ながら薩摩人だけであるかも知れない。

 もし、仮に西郷の苦労をしらない人物が、西郷の立場になったらば、あるいは足利尊氏となったかもしれない。いずれにせよ、大村益次郎にとっては、西郷が足利尊氏にしか見えなかったということが重要である。

 このため、 明治二年に、西郷の暴発を予想し、これを迎え撃つため、西日本の軍備を整備するためいそぎ京都大阪へ下った 。周囲の人々が、京都には、維新の中心者である大村に恨みをもつ暗殺者がウヨウヨしており、危険なところであるから行くのを止めるようにと再三言われていた。

 それにもかかわらず、大村は忠告を意に介することもなく、ほとんど単身で出かけていったのである。そして、案の定、京都市中で刺客に狙われ、足に大けがを負い、その負傷がもとで右足を切断したにもかかわらず、同年絶命してしまうのである。

 大村を暗殺したのは、長州藩の大村益次郎に私怨を抱いていた人物の反抗と言うことになっている。しかし、大村益次郎と彰義隊追討を巡って激突した西郷の配下の海江田という人物の影もちらついている。海江田は、大村と激突したお陰で、京都地判事へと左遷されていた。

海江田が京都に下った、ちょうどその時大村は京都で襲撃された 。大村は明治初年の維新政府の治安・軍事権の一切を支配した薩摩藩の過激分子から闇に葬り去られたということができるのである。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013年12月27日 12時52分57秒
コメント(0) | コメントを書く
[軟弱日本を斬る!] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: