シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年01月17日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回は、食物が自我(自己意識)に与える影響のシュタイナーの説から、日本人が全体主義に染まりやすいのは、砂糖の摂取量が少ないことにあることを紹介した。

 日本では昔は砂糖が貴重品だったことをよく聞くが、そのために、日本人が没個性に陥り、全体主義的傾向に走りやすかった可能性も挙げられる。面白いことに、薩摩では、砂糖は貴重品ではなかったそうで、薩摩藩の討幕運動も、他と比べて砂糖の摂取量の多さにあったのかもしれない。

 さて、非常に興味深いので、砂糖に続いて肉食についても考えてみる。

 シュタイナーは、肉食は「勇敢、果敢で、精神を闘争的にする」と述べたことを以前紹介したが、大まかに国別の肉食度を以下に紹介する。

 ☆  ☆  ☆

各国の一人当たりの肉消費量の変化は何を意味するのでしょうか?
http://inness.blog112.fc2.com/blog-entry-163.html

meat-country.jpg
meat-1961.jpg



 1位 米国 90kg

 2位 西ヨーロッパ 70kg

 3位 ヨーロッパ 50kg

 4位 南米 40kg

 と、ここまでが比較的多くて、続いて

 5位 アフリカ 10kg

 6位 東南アジア 10kg以下

 7位 日本 10kg以下

 ここからはさらに少なくなり、

 8位 東アジア 5kg

 9位 南アジア 5kg



 と続きます。〔kg数にはすべて「約」がつきます〕

meat-2005.jpg

 2005年の時点での肉の消費量の順位です。カッコの中は1961年からの増減です。

 1位 米国 125kg(+35kg)

 2位 西ヨーロッパ 85kg(+15kg)



 4位 南米 40kg(+-0)

 5位 中国 55kg(+50kg)* 1961年の約10倍以上

 6位 東アジア 55kg(+50kg)* 1961年の約10倍以上

 7位 日本 45kg(+35kg)* 1961年の4倍強

 8位 東南アジア 20kg(+15kg)* 1961年の4倍強

 9位 アフリカ 15kg(+5kg)

 10位 南アジア 5kg(+-0)

 と続きます。〔kg数にはすべて「約」がつきます〕

 南アジアを除く、ほとんどの地域で食肉消費はものすごい勢いで伸びていますが、特に、 中国と東アジアがスゴイ

 日本は別項目としてありますので、東アジアというのは、具体的には韓国や台湾などを指すと思われますが、この 日中韓、東南アジアは異常なほど肉食文化が浸透してしまった 、ということだと思います。

 また、 アメリカはもともと多いのにさらに増えています

 (アメリカ人に血の気が多いのは肉食のせいといえる。)

 「何をどうしたらそんなに食べられるのだい?」と、さすがに思ってしまいます。

 なお、南アジアの肉食消費の少なさは、インドなど、〔宗教的理由で〕世界でもっともベジタリアンが多い国が集まっているからだと思われます。

 ☆  ☆  ☆ 

 上記の肉食量からいえば、日中韓、東南アジアは異常なほど肉食文化が浸透してしまった結果、東アジア全体が、「勇敢、果敢で、精神を闘争的にする」ようになってきたことがわかる。更に、アメリカ、西ヨーロッパの植民地政策が、肉食と関連している可能性も挙げられる。

 上記のデータには魚肉が入っていないので、魚肉も肉食なので、魚肉をいれると、アジアもそれなりの消費量になると思われる。以下ネット検索のデータを紹介する。

 ☆  ☆  ☆

魚の消費量世界ランキング、日本はとっくに1位転落 なおも低下
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-4092.html

 ■世界主要国の魚介類の1人あたり年間消費量(kg)

 1.モルジブ 139kg
 2.アイスランド 88.3
 3.キリバス 72.4
 4.ポルトガル 61.1
 5.セーシェル 57.4
 6.日本 56.6
 7.韓国 56.1
 8.マレーシア 53.2
 9.ミャンマー 50.8
 10.ノルウェー 50.6
 11.スペイン 42.9
 12.フランス 33.7
 13.中国 31
 14.ニュージーランド 26.1
 15.オーストラリア 24.9
 16.アメリカ 24.1
 17.カナダ 23.3
 18.ロシア 22.3

 農林水産省/我が国における魚介類摂取の特徴
 国連食糧・農業機関(FAO)統計(2009年)資料より作成 

 ☆  ☆  ☆

 いずれにしろ、上述の肉食データから、アメリカ人が肉食量が高く、日本人は、魚介類消費量が高いとはいえ、アメリカ人ほどではないから、アメリカ人が「勇敢、果敢で、闘争的」で、日本人はそれほどではないという話になる。

 そこで、砂糖摂取量のときのブラジル人との比較と同じように、日米の価値観の違いを考えてみる。ネット検索していても、日米の比較論は多いが、ほとんどが抽象論で、なかなか面白い話はみつからず、せいぜい以下の話が肉食と関係がありそうなので、抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

ハイコンテクストとローコンテクストの違い
http://www.pan-nations.co.jp/column_001_006.html


 ハイコンテクスト文化
 聞き手の能力を期待するあまり下記のような傾向があります。
 直接的表現より単純表現や凝った描写を好む
 曖昧な表現を好む
 多く話さない
 論理的飛躍が許される
 質疑応答の直接性を重要視しない

 ローコンテクスト文化
 話し手の責任が重いため下記のような傾向があります。
 直接的で解りやすい表現を好む
 言語に対し高い価値と積極的な姿勢を示す
 単純でシンプルな理論を好む
 明示的な表現を好む
 寡黙であることを評価しない
 論理的飛躍を好まない
 質疑応答では直接的に答える

 ここで一例を挙げましょう。

 ある商社で「先週のインドネシアでの商談はうまくいったのかい」という問いかけがあったとします。日本型のコミュニケーションスタイルでは、

 「人間万事塞翁が馬。今のインドネシア情勢の変動は激しく予断を許さないからね。今回の契約もどうなるかとヒヤヒヤしていたんだ。人間諦めないで最後まで頑張ってみるものだね・・・・」

 のように、問いに対する答えを直接的に伝えることよりも、 周囲の状況や自分の感情などを詳細に説明することで共感を求め、肝心の答えは相手に推測してもらおうとする傾向 があります。

 一方、英語型のコミュニケーションスタイルでは、

 "It was so successful. We got two new big contracts there."「非常にうまく

 いった。大きな新規契約を2つ結んだよ」

 (日本社会だと、没個性なので、自慢話にとられる恐れもある。)

 のように、 問いに対する回答や結果などの重要な情報を明確に伝えます。推測しなければならないような回答は、伝達側の努力不足でありルール違反であり、非常に無責任なものととられます。

日本人とアメリカ人が会話をすると、アメリカ人が盛んに話し、日本人が聞き手にまわっているのをよく見かけます

 その理由は、一般には英語で会話しているからだと考える人が多いと思います。 ところが実際にはアメリカ人と日本語で会話をしても、相変わらずアメリカ人の話す割合が圧倒的に多いのです。1日の会話量を計測したある調査データによると、平均してアメリカ人は日本人の2倍の量を1日に話すそうです

 ローコンテクスト社会では、日本人が想像する以上に、言葉によるコミュニケーションが重要視されているのです。

 ☆  ☆  ☆

 ハイコンテクスト、ローコンテクストの用語はともかく、アメリカ人と日本人の会話を比較すると、アメリカ人が、「勇敢、果敢で、闘争的」ということが伺える。その端的な例は、アメリカ人は会議などではできる限り自分の意見を主張する傾向にあるのに対し、日本人は周囲の発言などをみてから、自分の意見を述べ、あまり突出した個性的な意見をいわない傾向にある。

 昨今は、肉食文化が浸透し、アメリカナイズされたので、自分の意見をあまりいわないという傾向が日本人にみられなくなったが、それでも、だらだらと会議が長引くのも、日本人が突出した個性的な意見をいわない傾向からくる。

 大体、日本語への「ハイコンテクスト、ローコンテクスト」などの横文字用語の急速な増加がアメリカ人の闘争的な精神を物語っているように思われる。同じ用語を使っていても、アメリカ人の考える意味と、日本人の考える意味は、生活環境や文化から大きく異なることを考慮に入れていないのが問題となる。

 例えば、昨今話題になっている靖国参拝問題で、米国高官が「失望した(disappointment)」と述べたことが話題になったが、米国の高官がなぜ失望するのか、全く理解できない日本高官が多いことが明らかになった。

 つまり、日米間の会話の違いは、「失望」を日本人のなかでの意味に解釈する者と、どういう意味なのか、改めて米国駐在のジャーナリストに聞く者に大別されたので、米国は、「失望した(disappointment)」という意味を、わざわざ「日本批判ではない」と解説していることでもわかる。 

 日本人が勘違いしやすいのは、アメリカ人は、闘争的なので、個人的な特定の行為を非難する傾向にあり、日本人のように、全体をぼやかして、曖昧に漠然と非難する傾向をもたないということにある。 日本人がする非難は、特定の個人ではなく、全体にむけて曖昧に述べる。しかも前もって、他者が同調するような根回しを行なって、同意を得てから述べる。

 つまり、早い話、アメリカはアベ個人の特定の(靖国参拝)行為を非難しているのであって、日本全体を非難しているのではない、ということにあり、ややこしいのは、日本人が、アベを非難することは、総理を非難することなので、日本全体を非難するように考えてしまうところにある。全体主義で洗脳されたネトウヨが騒ぐのがその理由。

 日本人は闘争的ではないので、全体の和を重んじるあまり、特定の非難を、全体に対するものと思い込んでしまう傾向にある。どうしてそのような突出した意見をいわれるのか、たちまち思考停止に陥ってしまうのだ! アベ個人の過失なのに、日本全体の過失と考えてしまうアホさにある。

 しかも、日本人が陥りやすいのは、アベの靖国参拝を拡大解釈して、先祖の霊を弔うのがなぜ悪いのか、というような個人の行為ではなく、全体の価値観に拡げて考えてしまうところにある。そして、その拡大解釈を強いる傾向にある。これは闘争的ではないが、過剰防御的である。利己主義ではないが、似非利己主義である。

 そしてA級戦犯が祀られていて、長州神社という靖国神社設立の経緯など、自分たちの主張に都合の悪い部分を全く無視して考えてしまうところにある。

 つまり、早い話、没個性なのである。しかし、最近は、肉食文化が浸透し、悪い意味で、闘争的な意見を述べるクレイマーが増えていることも確かである。個人が犯した過失を全体主義で拡大解釈して責任を追及する傾向にある。

 以上の意味で、アメリカ人はもう少し肉食を抑えるべきで、日本人も肉食を控え、アメリカ人の闘争的な意見を拡大解釈せずに、個人の責任や意見として重んじるべく、砂糖をブラジル人並みに摂取すべきであるように思われる。

 恐らく、ブラジルの大統領が、非難されても、ブラジル人は、ブラジルを非難したとは思わないはずである。過剰防御は日本人特有のものに思われる。





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Last updated  2014年01月20日 16時21分40秒
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