シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年04月24日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 毎度訪問させていただいている「播州武侯祠遍照院」さまのブログに面白い話が載っていたので抜粋紹介する。

 ★  ★  ★

播州武侯祠遍照院
http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/

新井信介 「京の風」
http://www.k2o.co.jp/blog2/2014/04/post-1140.php


靖国神社に拘る限り、日本人は世界の指導的立場になれない。

 靖国神社は、日本の明治維新のときにできた、極めて政治性の強い神社です。



 そして、戊辰戦争のあと、中央集権の近代国家「日本」ができたのですが、このとき、国家の中心に、あらためて、バージョンアップした「天皇」を据えました。日本の霊性の体現者という側面ではなく、日本国家権力の枠組みの中心存在として、絶対権力の立場を作ったのです。

 明治天皇は、二人いました。 孝明天皇の実子、睦仁 と、 伊藤博文の弟分、大室寅之祐。

 問題は、こうした体制を構想し、実現できるように、影で根回ししていた集団がいたことです。

 彼らが、「ええじゃないか」運動を起こし、また、勝海舟にアメリカに行かせ、万世一系の「天皇家」を創作します。 皇室典範を作らせたのも、彼らです。

 中央銀行をつくるアイデアは、ロスチャイルドからのもので、明治維新そのものが、金融資本の動きと一体なのです。

 そのとき、もっとも活躍した財閥が、三菱、三井、住友です。

 国家の経営資源を中央に集中させ、殖産興業、富国強兵です。

 幕末まで、掲げられた「尊皇攘夷」が、いつの間にか、「尊皇開国」になり、本来、あったはずの、「攘夷」のエネルギーは、東アジアへの、領土拡張=帝国主義になります。

 このとき、「インフラ整備」「国民教育」など、イギリスやアメリカとは、異なって、単に、自分の犬になるエリートを育てるだけでなく、現地住民の民生の向上にも努めました。そして、日本の領土に入ったものは、天皇の赤子の流れを汲む、帝国皇民として、日本人と同じ扱いをするという方針でした。

 この中に、進んで、入り込んだアジアの人もいれば、それを嫌がった人もいます。

 私たちは、アジアをみるときには、この部分、戦前の日本の「皇民化」政策に対し、歓迎と拒否という二種類の人間がいた事実を、まず、きちんと認識しておきましょう。(戦前を美化しているようでは、ここは見えません)。



 一方、始皇帝以来の中華皇帝の権威を引き継ぐ中国人、そして、その臣下の立場をつづけた朝鮮半島の人たちには、明治にできた日本の近代国家の権威そのものを嫌う人間が多くいました。 

 倭人の国。 「日本」は、 中華皇帝の権威にあって、卑弥呼時代に、正式に、「冊封」をうけて成立したもの、というのが、3世紀から、19世紀までの、彼らの理解だったのです。

 日本の明治維新では、孝明天皇が「攘夷」を棄て「開国」を意識したときは、実は、西欧列強に負けず、しかも、東アジア全体から信頼される国をつくるためでした。 このことを、海外華僑も、ブルネイにあった明の亡命政権も期待したのです。だから、元号では、「明(みん)が治める」だったのです。

 そのなかで、18世紀末から日本から流出した金塊が、日本で使われるようになりました。

 このときの日本の名義人(代表者)は、もちろん、大室寅之祐ではありません。



 京都に隠れていた本物の明治天皇、睦仁さんの心をです。 

 日本に「天皇」が誕生したのは、7世紀です。 これは、天武の時代です。そのあとに、皇祖神「アマテラス」が不比等と、持統によって、創られました。 691年から3年間に、持統が吉野に31回も通ってる中で作られた「政治概念」です。

 これが、明治になると、「アラヒトカミ」になりました。この神の変革には、光圀以来の水戸藩が、重要な働きをしました。

 そして幕末期に参考にしたのは、495年にバチカンが成立した時の知恵です。ローマ法王が、「神の代理人」になったときの知恵です(実際は、勝手にいいだしたものですが)。

 このとき以来、日本の皇室は、実は、バチカン、なかでも、イエズス会とは、極めて親しいのです。これは、「政治的に創られた神を、どう育て、使うか」という視点での話でした。

 明治維新は、明らかな日本版「文化大革命」でした。しかし、その中に、伊勢を参拝する「天皇」の「創出」、「大宝律令」以来の神聖さの継続性があります。

 ここまでは、だれでも、わかります。

 問題は、そのなかに、縄文以来の日本としての独自性が、どのように吸収・継承されてきたかです。

 そして、アレクサンダーのとき以来、海外の「文明」を日本列島が、吸収するときに、中国と、朝鮮半島とは、どのような関係があったのかです。天皇ができるまでの、日本列島での王権の発生や、日本での神格の問題です。

 「うちの先祖が、天皇を創った」という「奥の院」のかたは、「日本国は、半島、なかでも、北朝鮮に対し、負い目がある」とも、話していました。

 さて、それは何なのか?

 天皇を最初に名乗り、国名を「日本」とし、「太一」を、祭ったのは、天武でした。

 この人間に、多くの秘密が、凝縮されています。

 この辺、私のこれまでの講演会でも、話してきましたが、それと、いまの、国際情勢が絡みます。

 靖国神社は、もう、役割が終わってます。

 横田めぐみさんが、世に出るときが、東アジアに、紛争がなくなるときです。今、そこへの最後の「動き」のなかにあるといえます。

 しかし、明治にできた日本国家の「枠組み」は、国民のイノチを大切にしません。マネーのために、美しい山河を平気で、破壊します。ここには、縄文の感性はありません。

 この部分は、「奥の院」のなかでも、ニギハヤヒ直系の方たちが強く危惧していますが、私たち日本国民が、マネーと国家をどう見るか、主体的に考え、未来を真剣に作り出すと決意しない限り、主導権を回復できません。

 希望をすてず、使命感をもって、毎日、まずは、自分と家族・友人・仲間のイノチを支えあうことから、「いい今」を創りましょう。カネは、そのために使いましょう。

 試練は、続きますが、これが、羽化の苦しみです。 

 (いろいろあるけど、今日はここまで)

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 というように、日本史をみていると、日本の源流が、ツラン(トゥーラーン)民族にあるような気がしてならないので、ツランについてのシュタイナーの話を再掲する。

 ★  ★  ★

 「ツラン(トゥーラーン)民族その1  高橋 巖:訳」の改変

 ヘブライ民族の使命を理解するには、人類の進化を一層深く霊視する必要がある。著書『神秘学概論』や人智学の連続講義のなかで素描した事象を更に詳しく述べないといけない。

 古代アトランティス時代の破局(大洪水)の顛末を、少なくとも簡単にでも取り上げなければ人類の進化についてのヘブライ民族の関与を正しく理解できない。

 古代アトランティス時代の破局が、後に地上に変化をもたらすようになったとき、当時の古代アトランティス大陸に居住していた人々は西から東へと移っていった。この移動には本質的に2つの大きな流れがあり、それは北方の移動と、南方の移動である。

 古代アトランティス居住民による大きな民族移動の1つは、北方のヨーロッパを通りアジアまで渡って行った。カスピ海周辺の地域を探索すると、この古代アトランティス居住民による民族移動がほぼ理解できる。

 一方、別の南方の移動は今日のアフリカを横断した。そして、アジアで、この北方と南方の2つの移動がまるで2つの水流が衝突し合い渦となるように移動の合流が生じた。

 その際特に注目すべき事柄は、古代アトランティスから東方へと移動していった様々な民族のうち、少なくともその主要な民族に相当する人たちの魂の全体(集合)像がどのようなものだったか、ということである。

 実際、ポスト(後)アトランティス時代初期の民族の魂の全体(集合)像は、その後の民族、特に今日とは全く異なっていた。移動した全ての民族にはまだ環境を霊的に知覚する能力をもっていた。当時の人は、霊的な存在を、ある程度見ることができ、現代人が物質として見ている存在を霊的な形で見ていた。

 従って、当時の人々は見霊的な生活様式や見霊的な魂をもっていた。

 しかし、特に重要なのはポストアトランティス時代の根源的な民族の見霊能力が古代アトランティス時代の最盛期の民族の見霊能力とは異なっていた、ということにある。

 古代アトランティス時代の最盛期の民族がもっていた高度の見霊能力は、霊界を純粋な形で(直接)知覚していたので、霊界の啓示そのものが人間の魂に善意を生じさせていた。当時、霊界に深く参入できた人は、それだけ善意を深く得ていた。

 霊界を深く知覚できるほど高次の善意を獲得していた。

 しかし、古代アトランティス時代の大体3分の2が過ぎた頃、特にその後のポストアトランティス時代になると、古代の見霊能力の善の側面は次第に消えていった。

 秘儀参入の場で特別の修行をした人たち(秘儀参入者)だけが、古代アトランティス的な見霊能力の善なる側面を保持していた。

 対照的に、自然(遺伝的)な形で古代アトランティスの見霊能力を受け継いだ民族には、悪の誘惑と遭遇するようになった。ポストアトランティス時代の人間の見霊能力は、高次の善なる力だけを得るのに十分な力強さ(忍耐力)を保てなくなった。

 そして、次第に人間は悪しき存在、すなわち誘惑する存在だけを知覚するようになっていった。ポストアトランティス時代の特定の居住地域には善から全く離れた見霊法が普及するようになった。見霊能力そのものが一種の誘惑者になった。

 今日の人間が通常もつような感覚的な知覚能力は、古代の見霊能力の衰退と結びつき次第に発達してきた。


 ポストアトランティス時代初期の人間が見ていた事物は、今日の現代人の眼に映る事物のようには誘惑的ではなかった。なぜなら、誘惑されるような傾向がまだ当時の魂にはなかったからである。

 今日の現代人なら欲しくてたまらなくなるような外(物質)的な事物があっても、当時のポストアトランティス人はそれほど惑わされなかった。

 古代とは劣る見霊能力が覚醒したとき、当時の人間の心は激しく揺さぶられた。霊界の善なる側面をほとんど知覚できなくなり、その際、ルシファー的、アーリマン的な悪霊が強い力で働きかけた。

 従って、当時の人間は見霊能力により、誘惑者、欺瞞者となり得るような働きだけを体験した。

 連続講義『マタイ福音書』“Das Matthaus-Evangelium”第一講(1910年9月1日)より

(人智学通信 1989年7・8月 第19号より)

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 次回に続く。





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Last updated  2014年04月24日 16時38分24秒
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