シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年04月25日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ★  ★  ★

ツラン(トゥーラーン)民族その4

 カスピ海の東側と南側で生じた出来事を完全に(外的にも)理解したいなら、それよりも北側で生じた出来事、すなわち今日(1910年頃)のシベリアまでに至るロシアと境を接する様々な東側の国や地域の出来事と、ヨーロッパにまで拡がる南側の様々な国や地域で生じた出来事とを比較する必要がある。

 当時、カスピ海の東側と南側に居住していた民族は、太古の霊能力を高度に保持していた。その民族では、太古の霊能力と、新しい外に対する感覚や悟性的な思考との釣り合いがとれていた。

 その民族の大半はまだ霊界をみることができたが、この民族の一部の集団では霊視力が既に低次な段階に堕落し、「低次のアストラル界の霊視力」となっていたが、この低次の霊視力の特徴を考察すれば人類の進化にとっても無視できない結果が生じている事実に気がつく。

 (アストラル界は、高次と低次に分かれる。)

 この低次の霊視力を備えた民族は全く特別な人間になった。その民族は特別な性格を身につけた。この特別な性格は、この低次の霊視力をもっていた民族集団の場合に特に顕著に現れた。

 そのような民族は本質的に生きるために必要なものを周囲の自然環境に求めるような意志をもっていた。そして、必要なものを自然から奪い取る以外に何もしなかった。



 (日本人の「雷様」とか、自然の擬人化に表れている。)

 また、この民族は強力な霊である神霊たちが物質の背後にいる事実を知っていたので、神霊たちと親しくし、あまり労働しなくても、自分たちが置かれた環境のなかで細々と暮していけるように、神霊たちに配慮してくれるように要求できた。

 (このような祈願が、日本人の祭や参拝などに表れている。その祈願の代表者が天皇であろう。)

 この低次のアストラル的な見霊能力をもった民族の気持ちや考え方については様々な特質を話せるが、いまは以上の特質だけを述べるにとどめる。

 いま考察している時代では半ば堕落しつつある見霊能力を備えた上述の民族集団は全て遊牧民族だった。定住せずに遊牧民として放浪し、どんな場所にも特別の愛情を寄せることなく、大地が提供するものを特に大切にもせずに、生活するために必要ならば周囲の破壊も厭わなかった。

 この民族は、文化の水準を向上させるために地球環境を作り変えようとする気などなかった。

 (この遊牧民の末裔であると考えられる民族を載せてみた。

マッサゲタイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%82%B2%E3%82%BF%E3%82%A4

月氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E6%B0%8F

ダアイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A2%E3%82%A4

スキタイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4

 以上、モンゴル系といわれる民族で、日本人も含まれる。)



 北方の様々な民族、つまりペルシア人、メディア人、バクトリア人と、上記の遊牧民との間に大きな対立が生じた。

 ペルシア人の場合は定住して周囲の出来事にも関心を向け、集団としての課題を労働により達成し、精神力により自然を作り変える意識を渇望していた。この意識が、この北方の地域においては最大の関心事だった。

 ペルシア人の居住地域のさらに北側には、直接、境を接して霊界を霊視できた上記の遊牧民族(ツラン)がいた。その遊牧民族は上述したように神霊たちと親密な関係にありながら、働くことを好まず、定住もせず、物質界で文化的作業を前向きに行うことに何の関心ももたない民族だった。

 ペルシア人と遊牧民の最大の対立は、外面的にはポスト(後)アトランティス時代の歴史の中で生じた対立であり、霊的には魂が様々に進化した結果として生じた対立だった。

 外面的な歴史においては、「イランとツラン(トゥーラーン)の対立」として知られた一大対立であった。

 北方領域にはシベリアに至るまで、ツラン(トゥーラーン)民族がいた。この民族は、いわば混成体で、上述したような低次のアストラルの見霊能力を高度に備えていた。

 霊界での生活が豊かであった為に、外(物質)的文化を創造しようとする傾向や感覚をもたず、ツランの人たちは、受身な態度を保ち、民族の祭司たちは低次の魔術師だったので、霊的な事象に際し、低次の魔術、時には黒魔術さえも行使した。

 その南方の古代ペルシアでは、それより前から、周囲の感覚世界を、人間自身の精神力で作り変えようとする意志が働いていた。そして、その結果、外(物質)的な文化を生み出した。

 この相違が、古代ペルシアとツラン(トゥーラーン)の大きな対立となった。

(人智学通信 1990年1・2月 第22号より)

ツラン(トゥーラーン)民族その5

 外的な物質文化の方向で最も進歩を遂げた民族が北からペルシア(イラン)地域まで南下してきたという事実は神話や伝説の中にも美しく表現されている。

 様々な北方の民族を率いて、ペルシア(イラン)ヘと下りてきた伝説の王ジャムシードをめぐって、次のような物語が伝わっている。

ジャムシード
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%89

 王は地上での使命の実現のため、アフラ・マズダ(太陽)神から黄金の短剣を受け取り、ツラン(トゥーラーン)人という怠惰な大衆の中から、黄金の短剣の力で叡智に従って体力を発揮できるように、自分に従う様々な民族をつくり上げた。

 (日本の神話のスサノオの草薙の剣との類似もみられる。オカルトでは、剣とは神経や脊柱のことで、通称、蛇ともいう。)

 それまでの人間の体力はいわば頽廃していたが、体力を再び蘇らせ、この世のために精髄を発揮できるようにした。黄金の短剣は犂となって大地を耕地に変え、様々な人類の最初の器具の発明を可能にしたが、その後も力を発揮して、今日に至るまで、人類が誇りとする様々な文化に成果を導き、影響を与え続けている。

プラウ(犂)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A6

 ツラン(トゥーラーン)からペルシア(イラン)まで移動してきたジェムシッド王が、アフラ・マズダから、この短剣を受けたという事実には、非常に大きな意味がある。この短剣こそが人間に外なる感覚界を作り変える力を授けたからである。

 この黄金の短剣を授けた神(アフラ・マズダ)はツァラトゥストラ、もしくはゾロアスターと呼ばれるペルシア人の指導者に霊感を与えた偉大な神でもあった。

 ゾロアスターは太古の時代(アトランティス没落直後)に、聖なる秘儀参入による叡智により、人間の精神力から、物質文化を発展させようとする意志をもったペルシア民族を指導した。

 ゾロアスターは霊界に参入できる古代アトランティスの霊能力を失っていた様々な民族に、霊界への参入についての新たな展望や、新たな希望を与える使命をもっていた。そのような意味で、ゾロアスターは人智学徒がしばしば語ってきた秘儀参入の「道(方法)」を開いた。

 それは人間の小さなオーラとは対照的に、「大きなオーラ」、つまり「アフラ・マズダ」と呼ばれた高次の霊的存在の体が、太陽光という体をもつという真実を、様々な民族に感得(霊視)させる方法である。

 上記の真実に関連して、ゾロアスターが教えたことは、当時の人類には遥かに遠い、この霊的な存在がいつか地上に降りてきて、人類史のなかで自らの実体を地球に結びつけ、そして人類のために、その後も影響を与え続ける、という事実だった。

 つまりゾロアスターは、後にキリストとして歴史上を生きる存在を、当時の人々に示そう(預言しよう)とした。

 ここで強調すべきことは、今述べたゾロアスターは既に古代ギリシア人たちによりトロイア戦争(紀元前1000年頃と考えられている)よりも5000年も前の時代の存在と考えられていた。この太古のゾロアスターには後にグシュタスブ(?)と呼ばれた後継者がいた。

トロイア戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%A2%E6%88%A6%E4%BA%89


 (このグシュタスブ「?」の名前は色々調べても残念ながら出てきません。)

 ゾロアスターは偉大な祭司として、当時の人々を外なる物質界から再び霊界へと導く太陽神アフラ・マズダの存在を教えたが、グシュタスブはこの教えを普及させるのに尽力した王だった。

 古代ペルシア(イラン)では、ゾロアスターやグシュタスブが与えた霊感や意図は、この古代ペルシア地域の北に隣接する北方の民族(ツラン)と衝突する要因になった。

 古代ペルシア(イラン)民族とツラン民族の衝突から、地上で最大の戦争が生じた。一般には、この太古の歴史的事実があまり知られていないのは、あまりにも古い時代(紀元前5000年あたりか)のことだったからである。

 ペルシア(イラン)とツラン(トゥーラーン)との間に、凄まじい衝突が生じた。数10年どころか、数100年にも及ぶ、この戦争から一種の緊張感が生じ、その気分はアジア内陸部にその後長らく続いた。

 (人智学通信 1990年3・4月 第23号より)

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 次回に続く。





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Last updated  2014年04月25日 16時12分55秒
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