シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年10月27日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 お笑いブームといわれる位、いまこの国は笑いに飢えている。というのも日々の生活、つまり現実が苦悩だらけなんで、非現実世界に逃避したいせいであろう。

 しかし、苦悩に囚われるのは人間に欲があり、執着心があるから、といったのは御釈迦さんである。つまり欲も執着もなければ苦悩もないはずである。

 一般的に老や死は苦悩であるが、それはいつまでも若くありたいし、生き続けたいという欲や執着があるからにすぎない、と看破したわけである。

 では、若いとか生き続けるというのはどういうことなのか?

 若いとは柔軟であり、よく変化できるということで、生き続けるとは、変化のなかで変わらない不変なものをみつけだすことである。環境によく適応できる、ということになる。

 流石に人間の肉体は物質でできているから、歳とともに変化できなくなり、環境にも適応できなくなるが、代わりに知恵と呼ばれる経験量からくる問題解決のノウハウは増えてくる。

 つまり単純にいえば、物質の衰退とともに精神が充実してくるはずである。物質的不自由を精神の自由で解決できるように経験から学ぶはずである。つまり、経験から学べば、歳と共に肉体的に生きられなくなるが、精神的に生きるようになってくる。

 問題は肉体と精神のつながり(絆)は現実として現れる外見ではわからないということにある。人は見かけによらないということである。肉体は子供でも精神は大人という人や、逆に肉体は大人でも精神は子供という人がいる。政治家などはほとんどが後者である。

 つまり現実だけでは人はわからない。振る舞いから多少はわかるが、本心を聞くことはできない。肉体は現実世界を生きているようでも、精神は非現実世界に生きている。例えば、睡眠中は現実世界を逃避している。



 笑いは現実世界がいかに愚かであるかを思い知らせてくれる。

 笑いにより、確かに一時的に現実逃避できるが、この世で生きる以上は現実に戻ってこなければならない。

 つまり笑いだけでは片手落ちなんである。笑いは非現実世界に飛躍させてくれるが、その反対の涙は、現実世界に戻してくれる。笑いに続いて、シュタイナーの涙の話を紹介する。

 ではシュタイナーの笑いと涙の話の紹介を続ける。

 ★       ★       ★

笑いと涙 その3

 ところが、対象との関係を拒む「笑い」とは逆に、魂がもっていた対象との関係を、自我が失う場合がある。

 この場合を考察するために、例えば、日常生活での親密な関係だけでなく、長い間、愛してきた恋人と別れる場合を仮定する。

 恋人の喪失と共に、恋人との経験が魂から奪われる。つまり、恋人との絆が断ち切られ、恋人との関係により長い間に培われてきた魂の経験のために、この絆が断ち切られたことで苦しむ。

 自我から何かが奪われ、その影響が、アストラル体に移行する。この場合、アストラル体は、その喪失の為に収縮する。或いは、もっと正確にいえば、自我がアストラル体を圧縮する。

 この自我の喪失感は、超感覚的観察(霊視)では、アストラル体に苦しみや悲しみを与える。アストラル体の膨張が緊張を解き、肉体に「笑い」や「微笑」をもたらすように、その逆のアストラル体の収縮は、肉体の中に深く浸透し、肉体を圧縮する。この収縮の肉体表現が、「涙を流す」ことなのである。


 アストラル体の収縮→肉体の涙

 自我の喪失感が、アストラル体に残されたため、空隙(喪失)を収縮することで埋め合わせようとするが、その際にアストラル体は周囲にある物質を利用するため、肉(物質)体を収縮させるので、収縮した物質を涙の形で絞り出す。

 では、涙とは何なのか?

 自我は悲しみと喪失の中で貧弱になり、自らを通常よりも弱く感じるために、その弱さは、周囲の対象を愛した経験と関係するので、愛した経験を再び呼び起こし、蘇らせようとする。

 人は、愛を与えるだけでなく、愛することで愛の経験を蓄積し、魂を豊かにする。



 (「心の貧しい人は幸いなり、天はその人のためにある。」とキリストが教えたのは、「自我の貧しい人は幸いなり、愛はその人のためにある」という意味にも置き換えられる。シュタイナーは、この教えの意味を、「乞食のように霊を求める人々、霊を求めてやまない人々は、自分の中に天の国を見出す。」と解釈しているようである。

 「霊」を「愛する」に置き換えれば、「愛する」のを求めてやまない人々は、自分のなかに「愛する国=神」をみつけるともなる。)

 だから、涙は単に流れ出るだけでなく、打撃を受けた自我に対する一種の慰め(補償)となる。自我は、喪失を被る前は、外界の対象を愛することで魂が豊かになったと感じていたが、喪失を被った後は涙を流すことで愛した経験から魂がより豊かになるのを感じる。

 自我の衰弱に苦しむなら、涙を流すような愛の行為へと自分を誘導し、その衰弱を補完すべきである。涙は自我に無意識的な愛の感情を与えるが、この感情により一定のバランスが取り戻される。

 (だからあまり愛したことのない人は自我が弱くなっても回復できない。)

 人間は誰でも、悲しみや苦しみのなかにあるときには、涙に一種の補償や慰めの効果があることを知っている。だから泣くことができない人々にとっては、悲しみと苦しみが遥かに耐え難いものとなる。

 もし自我が外界と満足のいく関係をつくれない場合には、「笑い」を通じて、自我を自由へと引き上げ、もしくは、外界との満足な関係を剥奪された場合には、再び愛の力を獲得するために、自我がもつ愛の力で自分を癒すために愛の経験の中に沈み込み「涙」を流す。

 笑うことと泣くことで自分を表現するのは自我、すなわち人間の中心点であることを見てきた。このことからわかるように、ある意味、自我が笑いと涙に必要な前提条件であることが理解できる。

 実際に、新生児をみれば、生まれてからの何日間かは心から笑うことも泣くこともできないことがわかる。本当に心から笑ったり泣いたりするのは36日、もしくは40日程度経ってからである。それは、前世の経験をもつ自我が、新生児の中に生きているにしても、外界との関係をすぐには持とうとはしない理由による。

 人間は、物質と精神という2つの面からつくられ、この世に生まれる。父、母、祖父の家系から遺伝により獲得される肉体の物質的な性質や能力を引き継ぐ。遺伝的に獲得された物質的な形質全ては、その肉体に受肉する魂の精神的な個性を担い、転生を重ねる自我の精神的な影響を受ける。

 この世に生まれるために自我が魂と共に肉体の中に入っていくとき、最初は肉体の物質的な性質に馴染まないために、不確かで曖昧な表情しか現われない、肉体の成長と共に後になって現れてくる才能や能力、特殊な性格などはもっと不確かで曖昧である。

 しかし、やがて自我が前世から携えてきた力で、幼児期の人体に働きかけ、遺伝された物質的要素を作り替える様子がやがて観察できるようになる。遺伝された性質は、このように受肉から別の受肉へと移っていく霊的な性質と混ぜ合わされる。

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 現実世界に行き詰ったら非現実世界に旅立とう! 笑いと涙が解決してくれる。喜怒哀楽を表に出さないのは悪魔崇拝といえる。





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Last updated  2014年10月27日 11時11分22秒
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