シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年11月06日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 巷にはニセモノの宗教家やニセモノの哲学者ばかりなので、ソクラテスの魂の配慮といわれる「人は身体や金銭のことよりは、魂が出来るだけ優れたものになるように配慮するべきである」を考えている人はほとんどいない。

 ほとんどの人が天国も地獄も空想の世界で現実にはないと思っている。神ですら空想の物語だと語る無神論者もいる。

 そもそも現実にないのなら、なぜ「地獄」や「天国」という名前やイメージがあるのだろうか?

 経験したことがあるからイメージがある。

 以前紹介した観念論からいえば、人の感覚器で捉えられない「地獄」や「天国」は存在しないはずである。だから、人は「地獄」も「天国」も考えられないし、存在しないはずである。

 では、「地獄」や「天国」のイメージはどこからきたものなのか?

 素朴実在論でも、単純に、例えば、苦しみがくる源泉を地獄とし、楽しみがくる源泉を天国として考えることはできる。

 つい先日、「安楽死」が巷を賑わせたが、「安楽死」は、生=地獄、死=楽園=天国と想定して行われているようだが、「地獄」も「天国」もなければ、「安楽死」もあり得ないもので、生が苦しみという意味で当人にとっては地獄かもしれないが、死が何を根拠に救いなのかは意味不明である。

 自分の生命ですら自分のものでないのに、自殺が殺人でないわけがなかろう。



 そもそも、人体のどこかが不調になることで、生きるのが苦しみに変わるのなら、それよりも不利益な人体全てを失う死の方がもっと苦しみ、多大な損失を被る分苦しみが深いと考える方が、論理的に考えて、妥当ではないのか?

 唯物論で考えても、一部の金銭を失うよりも、全財産を失った方がショックが大きいのではないのか?

 「安楽死」の根拠はどこにあるのか? 全く意味不明である。

 百歩譲って、死にたいときに死ねるという自由論を持ち出し反論するアホバカがいるが、それは生まれたいときに生まれることができてはじめて、その自由が成立することに気づいていない。

 生まれたいときに生まれることができれば、死にたいときに死ぬのも可能だろう。

 だから、安楽死は安楽ではなく苦悩死というべきである。必ず地獄に行くので覚悟すべきだろう。神様は悪魔よりも曲がったことが大嫌いなんで、注意すべきである。だから悪魔も神を畏れるのである。せっかく与えた生きる罪滅ぼしのチャンスを自分勝手にやめてしまう人には容赦はないだろう。

 偽自称宗教者や偽哲学者のペテン師などに耳を傾けるほど罪が深くなるだけである。

 要するに、自殺も他殺も殺しにはかわりなく、生まれたいときに生まれることができない人間には生死の自由は与えられていないことに注意しないといけない。それと同様に、この世を自分勝手に地獄にかえるネガティヴな考え方や行いをまずは改めない限り、天国の扉は永久に閉じられたままとなることに注意すべきである。

 古代の書を読めば、そのような戒めが至る所に載っていることに気づくはずである。

 いかに書き換えられているからといっても、良心で解釈すれば、本質は変わらない。

 罪滅ぼしのために生まれてきたのに、性懲りもなくまた罪を重ねるようなアホバカには地獄に行ってでも叩き直してもらうしかないのだろう。



 例えば、加熱した鉄板上に乗っている人から、鉄板を取り去るようなものである。

 しかし、加熱しているのは自分自身のなかにあるネガティヴな考えなんで、その考えを改めない限り永遠と燃やされる運命を背負うことになる。

 なぜこの世は物質という光のエネルギーを奪うネガティヴなものからできているのか?

 それは物質がネガティヴの考え(設計図)をもつからである。だから物質を集めれば集めるほどネガティヴな考えに取りつかれるのである。もうネガティヴな考えを持ちたくないので、殺人の一つの自殺が安楽死になってしまう。

 生きていても死んでいるような考えをもっているアホバカばかりである。



 さて、人間は自分勝手に死んではいけないことを、戦争を美化する悪魔の論理のアホバカたちが行った愚かな特攻から学ぶべきであろう。毎度訪問させていただいている播州武侯祠遍照院さまのブログに特攻の美化が載っていたので紹介する。

 勿論、彼らの死を悲劇として共感することに異論をはさむわけではない。死を悲しむことは愛情の表現なので魂にとっては成長の糧でもあるからである。だから葬式は悲しむことに意味がある。だから葬儀は悲しみの儀式なんである。

 ただ、それを自分の利益のために美化するのはお門違いである。しかも他者の死を利用するのは全く論外で、悪魔の遣り口で人間失格の卑劣なやり方である。だから、死に関係することは他者に利用されないために喪に服すのである。

 アホバカ政治家は冠婚葬祭を票集めに利用するから政治家にはアホバカしかいないのである。本来冠婚葬祭とは、現世というよりも、あの世に関することなんで、人間が自由に利用する裁量は限られているはずである。だから公的行事になっているはずである。

 古代の日本は精神文化を大切にしていたので、公的行事は魂に関するものとして厳格化されていたはずである。だから天皇といえば、魂に関わる仕事をするものという暗黙のルールがあった。だから霊能者でなければ勤まらないとされたのである。

 しかし、もはや天皇すらも霊能者ではなく、単なる民間人と変わりはないのだから、天皇足る由縁もなく、周囲を取り巻く公私混同のアホバカ連中や政治家をみていれば悪魔崇拝といわれても仕方がないだろう。本当の霊能者なら、あのようなアホバカたちは暗黙糧に始末していなければおかしいからである。

 汚職を黙って見過ごすことができないのがホンモノの霊能者である。神様が何より不公平をお嫌いになることを熟知しているからである。

 そういうわけで、特攻などという悪魔の論理に嵌ってはいけないので、戒めのために特攻は自殺と言っておく。特攻するのなら、命令した上司に逆らって殺された方がマシである。

 そのアホバカな上司のために数万人の尊い命が犠牲になるのなら、部下の生命を犠牲に曝すその間違った上司と戦うのが先決である。部下の生命を守れるから上司になっているはずである。少なくとも、命じた自分が先に死ぬべきである。つまり特攻を命じるアホバカは上司でもなんでもなく単なる無能者であって人間失格者なんである。

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狂った日本・・・  渾沌堂
http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%90%91%E3%81%91/%E7%8B%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%80%80%E3%80%80%E6%B8%BE%E6%B2%8C%E5%A0%82


 谷間の百合 より

 上記文抜粋
・・・・・・・・

 お国のためとは?

 集団的自衛権行使容認は余りと言えば余りにも愚かで危険な選択でした。

 世界の警察を降りて凋落の一途を辿るアメリカの手足になろうというのですから、もう狂っているとしか思えません。

 総理は自分が不利になったり、地位が脅かされそうになると見境がなくなるのです。

 自衛隊の軍事財産を隊員も含めてアメリカに差し出すのも、自分の個人的な都合なのです。

 そういう人間が「愛国心」を説き、特攻隊員の遺書を世界記憶遺産に登録しようとするのです。

 大竹しのぶさんが特攻について次のように言っておられます。

 特攻隊の人たちは、自分が死ぬことで(戦争を)やめてくれ、という思いだたと思う。

 安倍総理は御霊をねぎらうのがなぜいけないのですかということをおっしゃっていた。

 しかし、特攻は美しいことではなく、残酷で二度とあってはいけないこと。

 無知な人間の妄想ほど恐ろしいものはない。

 わたしは特攻を美しくないと言い切ることも残酷だと言いきることもできないのですが、それはそう言ってしまうことで、特攻隊員のほんとうの苦しみが置き去りにされるのではないかと思うからです。

 特攻隊に感動する人の多くは、かれらがお国に殉じたと思っていることでしょう。

 遺書の多くもそのように書かれています。

 しかし、「お国のため」のお国とは何でしょう。

 そのことを考える切っ掛けを与えてくれたのが、最初の特攻、敷島隊隊長に選ばれた関行男大尉の言葉でした。

 かれの遺書には「帝国の為」と書かれています。

 (「お国」とは悪魔の洗脳ツールなんで注意すべきである。振り込め詐欺と同じである。)

 しかし、ある通信社の記者が前日に特攻が決まったばかりの関大尉を訪ねると、かれの顔面は蒼白で、厳しい表情で記者にピストルを突き付けたということですが、その後、記者に次のような胸中を語っています。

 報道班員、日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。

 僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある!僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。

 最愛のKA(海軍の隠語で妻)のために行くんだ。

 命令とあらば止むを得まい。

 日本が敗けたらKAがアメ公に強 姦されるかもしれない。

 (洗脳とは恐ろしい。米軍に報道で強 姦をけしかけていたとも思える。)

 僕は彼女を護るために死ぬんだ。

 最愛の者のために死ぬ。

 どうだ、素晴らしいだろう!?

 遺書には書けなかったことを苦悩と激情に任せて吐露しています。

 最愛の妻を護るためという言葉がかなしい。

 日本が敗れることは分かっていたのです。

 妻を守れないことも分かっていたのです。

 守れない妻を守ると言うしかなかった心情が、大竹さんの言われる「残酷」ということではないでしょうか。

 天皇陛下や日本帝国のためではないと言っているのは、大日本帝国の政治家や軍人たちの無能への抗議であり呪詛だったのでしょうか。

 しかし、運命を受け入れざるを得なかったのです。

 守れない妻を守ると自分に言い聞かせるしかなかったのです。

 「お国」のためとは、いまなら安倍総理のためということになります。

 総理は最高責任者である自分の命令で若者が特攻となって死んでくれることを夢見ているのです。

 だから特攻を美化するのです。

 総理の取り巻きも、自分はゼッタイ死ぬことはないところで、若者が国のため(自分たちのため)に死んでくれることを夢見ているのです。

 英霊への尊崇の念と言っていることの本音はそういうことです。

 ほんとうに、無知な人間の妄想ほど恐ろしいものはない。

・・・・・・・・・
 抜粋終わり

 昨今の日本には寒気がする・・・。

 我々は、1500年の歴史を持つ日本が滅びるという歴史的瞬間に生きている。

 お読みくださりありがとうございます。 

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 多くの日本人が特攻隊を拒否していれば特攻が未遂に終わったはずである。そのことに当時もいまも気づかないのはダマスゴミの洗脳の卑劣さに驚くばかりである。

 ダメリカを糾弾する政治家がでてくるのが先決で、そのためには若者が戦地に行かされるよりも、アホバカ政治家が始末された方がマシである。特攻の話はどこか苦行自慢と似ている。 





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Last updated  2014年11月06日 14時07分31秒
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