シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年01月09日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 日本人という言葉は勿論明治維新にはじまる一種の幻想のようなもので、単一の日本民族など存在しないが、ネトウヨなどは無知なので、出鱈目の日本単一民族説を選民意識とともに盲信しているが、明治維新の元凶の悪党伊藤らによるドイツ人御用歴史学者の洗脳に由来することは、八切史観から明らかになっているところである。

 だから日本人論は厳密には成立しないのだが、明治維新以降の洗脳により日本人のような人種があるかのように一人歩きしている。それは没個性で集団性を発揮する性格をもつときによく用いられる言葉である。官僚のような事なかれ主義の典型的人物を表すときにも用いられる。強いものに弱く、弱いものに強い性格である。

 だから、日本人は脅せば言うことを聞く。1人脅かして言うことを聞かせれば、後の日本人は素直に従う、というように、西洋人の強欲さに丸め込まれている事件に事欠かない。振り込め詐欺などはこの典型である。

 このような日本人を西洋人がどうみているかといえば、かつてエコノミックアニマルと呼ばれたように、同じ人間とみなしていないことがわかる。つい最近でも「社畜」という言葉がお馴染みでもある。海外では、ステレオタイプ風にいえば、日本人は一歩譲って「変わり(奇妙な)者」という感じでとられるようである。

 それは日本人が口下手で、何を考えているかがわからないことにあるようだ。

 このような洗脳日本人から脱し、脱日本人となるために、前回のシュタイナーの話を続ける。

 ★          ★          ★

ツラン(トゥーラーン)民族その3

 ペルシア人、メディア人、バクトリア人などは外(物質)的な直観と外(物質)的な知性などの能力を非常に発達させていたが、古代アトランティス人が生まれつき持っていた霊能力を、(古代インド人のように)一種のヨーガのような瞑想などの修行により獲得しようとする意識は、それほど強くなかった。



 古代インド人のような魂の様子(状態)は、これらの北方民族にはなかった。これらペルシア人、メディア人、バクトリア人等の北方民族に見られる魂の様子(状態)は、今日の言葉をかりれば、次のような感覚をもっていた。

 「かつて人間は、霊界の中で、霊や魂を直観し、体験していたが、今や物質界の中に移り、物質界を眼で見て、脳に結びつく知性で理解しなければならないが、そのような認識法は、人間の側だけの問題ではない。幻想として現れる外界の対象を克服するには、人間の内部だけに関わっていてはダメである。人間の内部だけで克服しようとしても、外界は、別段何も変わらないからである。」

 また、さらに古代ペルシア人は、この感覚を発展させ、次のように語った。

 「人間が地上に降下した際の変化は、人間だけに生じたのではない。自然を含む地上の全てが変化した。だから、人間が周囲の事物をそのまま放置すれば、地上の全ては幻想で、マーヤ(幻)のままなのだから、人間だけが霊界へ再び上ることを願うだけでは不十分である。人間の内部を変えれば、確かに自分は変わるが、周囲の世界全体が変わるわけではない。」

 従って、古代インド人のように「外にはマーヤ(幻)が拡がっている。自分は、このマーヤを乗り超え、霊界に到達する」とは、古代ペルシア人は考えなかった。

 「人間は周囲の世界に結びついている。人間は周囲の世界の一分岐である。高度な神霊界から下りてきた人間の中の神性を再び上昇させるなら、人間の中だけを、元の神性へと変えるだけでは済まされない。周囲の世界も、元の姿に変えねばならない。」

 上記のような想いが、北方の民族(古代ペルシア人)に、世界を作り変えようとする意識として、力強く働いた。

 古代インド人は、「世界は堕落した。今、(周囲の)世界が示しているのはマーヤ(幻)である」と考えた。

 北方の民族(古代ペルシア人)は、「確かに世界は堕落したが、人間が、世界を変化させて、再び霊にまで高めなければならない」、と考えた。

 いかに霊の認識を獲得するかが、古代インド民族の基本となる性格だった。感覚的な知覚からくる内容を幻想、もしくはマーヤ(幻)と呼べば十分だった。

 (インド人が一種の幻想ともいえるゼロという数を発見したことはこの基本性格にあるのだろう。インド人がどこか現実逃避なのも、この基本性格にあるのだろう。)



 「周囲の事物は神から下降してきた。しかし、人間はそれらを再び、神に導き、戻す使命を受けている」と、北方民族は語った。

 古代ペルシア(北方)民族の中に既にある上記の基本性格が、秘儀を伝授された霊的な指導者たちのなかでは、最高度に高められ、最大の熱意で充たされた。

 (人智学通信 1989年11・12月 第21号より)

ツラン(トゥーラーン)民族その4

 カスピ海の東側と南側で生じた事柄を完全に理解するなら、それよりも北側で生じた事柄、つまり今日(1910年頃)のシベリアにまで至るロシアと境を接する様々な地域で生じた事柄と、ヨーロッパにまで拡がる様々な地域で生じた事柄とを比較する必要がある。



 その民族の大部分は、まだ霊界を見れた。この民族のある集団では、この霊視力が低次な段階へと堕落し、「低次のアストラル界の霊視力」になっていたが、この霊視力の特徴を考えると、人類の進化全体にとって無視できない結果が生じている事実に気づく。

 (アストラル界は、高次と低次に分かれるようである。)

 この霊視力を備えた民族は自分たちを全く特別な人間とみなした。その民族は自分たちを特別とした。この自分たちを特別視する性格は、この霊視力をもつ民族集団では特に顕著に見られる。

 このような民族は基本的に、生きるのに必要なものを周囲の自然環境から奪うという意識をもっていた。そして、必要なものを、自然から奪い取る以外には何もしなかった。

 この民族は、今日の感覚をもつ人間が、植物や動物などを熟知するのと同じ確かさで、植物や動物など全ての中の霊たちを熟知していた。なぜなら、霊視により、実際に霊たちを見ていたからである。

 また、この民族は、霊たちが物質の背後で強力な霊力を行使している事実を知っていたので、霊たちと親しくし、あまり働かなくても、自分たちが置かれた環境の中で暮らせるように、霊たちに配慮してくれるように要求できた。

 (日本人の祈願好きなのは、この性格による。古代の祈願は霊たちだったが、今は官僚や政治家や似非宗教教祖らに対するオカミ意識となっている。)

 この低次のアストラルの見霊力をもった民族の気持ちや考え方に関しては色々なことを話せるが、今は、そのうちの1つだけを述べるにとどめる。

 いま考察している時代に堕落しつつある見霊力を備えた上記の民族集団は、全てが遊牧民族だった。定住せずに、遊牧民として放浪し、どんな場所にも特別の愛情を寄せることなく、大地が提供するものを特に大切にもせず、生活するのに必要ならば、周囲を破壊することも厭わなかった。

 この民族には、文化水準を引き上げるために、地球環境を作り変えようとする気などなかった。

 (この遊牧民の末裔であると考えられる民族を載せてみた。)

マッサゲタイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%82%B2%E3%82%BF%E3%82%A4

月氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E6%B0%8F

ダアイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A2%E3%82%A4

スキタイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4

 上記の民族の基本性格の違いから、ポスト(後)アトランティス時代の歴史において最重要な事件の1つの深刻な対立が生じた。

 北方の様々な民族、つまりペルシア人、メディア人、バクトリア人と、上記の遊牧民との間に大きな対立が生じたのである。

 ペルシア人は定住し、周囲の出来事に関心を向け、集団としての課題を労働により達成し、精神力により自然を作り変えることを渇望した。このようなことが、この地域では、最大の関心事だった。

 ペルシア人の居住地域の北側に直接、境を接して、霊界を霊視できた上記の遊牧民族がいた。その遊牧民族は、上述のように、霊たちと親密な関係にありながら、働くことを好まず、定住もせず、物質界で文化的作業を前向きに行うことに何の関心もない民族だった。

 (中央アジアの、このような遊牧民の堕落した霊視力から、中華思想が生まれたように思われる。昨今の占いなどは、この堕落した霊視力と関係が深いように思われる。また古代中国の宦官や日本の官僚などの寄生略奪的な性質も、これによく似ている。)

 ペルシア人とこの遊牧民の最大の対立は、外(物質)界ではポスト(後)アトランティス時代の歴史の中で生じた対立だったが、霊界では、霊魂の様々な進化の結果として生じた対立だった。

 外(物質)界での歴史では、「イランとツラン(トゥーラーン)の対立」として知られた一大対立であった。

 北方地域では、シベリアに至るまで、ツラン(トゥーラーン)民族が広く存在していた。この民族は、いわば混合体で、上述したように、低次のアストラルの見霊力を高度に備えていた。

 霊界での生活が豊かであった為に、外(物質)的文化を創造しようとする傾向や感覚をもたず、人々は、受身な態度を保ち、民族の祭司たちは、低次の魔術師だったので、霊的な事柄に際し、低次の魔術、時には黒魔術さえも行使した。

 その南方の古代ペルシアでは、以前からの物質感覚的な手段で、周囲の感覚(物質)界を、精神力から作り変えようとする意識が働いていた。そして、その結果、外(物質)的な文化を生み出した。

 このような違いが、古代ペルシアとツラン(トゥーラーン)の大きな対立となった。

 (人智学通信 1990年1・2月 第22号より)

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 ネトウヨなどに、このような悪徳なツランの選民意識が現れているのは非常に興味深い、一種の先祖返りである。





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Last updated  2015年01月10日 06時03分51秒
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