シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年08月10日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 利己主義者は競争を賛美するが、その競争に加わることがないのは、例の卑怯発言をするジミン議員をみればわかる。弱者を利己主義と罵りながら、当人が一番利己主義であるのに気づかない卑怯振りだからである。

 勇ましいことを言うのなら、まずそれをやってみせてから言うべきである。

 勿論、言論の自由はあるから、何を言ってもいいが、炎上するのはその発言が無責任だからだろう。戦争についての発言については慎重になるべきである。特に政治家については、その発言により、これまで何百万人と人類を殺してきた歴史がある。

 そもそも戦争にまで至る競争がなぜ起こるのかといえば、上下関係をつくろうとする人類のアホバカタワケの意識にある。競争で勝ち負けをつける愚かさを見直すべきである。

 競争をすれば、人類のどちらか一方が勝ち、そして他方が負ける。この根底には人類を区別する愚かな差別意識がある。心の底に優秀じゃなきゃ生きる資格がないと思っている。そんなになぜ裁きたいのか?不思議である。

 愚か者は生きてはいけないというのなら、一番の愚か者とは人類をそのように差別する者である。競争によって序列をつけることに意味はない。

 ラムサも努力は大事だが、勝敗に意味はないと教えている。ただ、両方を経験してみて努力の大事を知ることに意味がある、というようなことを教えている。

 これまでは、勝者が優れ、敗者が劣るという教育を受けてきたために、競争が美化されてきた。

 ではなぜ競争が肯定されるのか、といえば、勝者の努力に価値があるとされるからである。しかし、敗者も努力していないわけではない。お互い努力するなかで、勝者の努力が際立った点にある。



 このような姑息なことをやっていると、精神が退廃して成長せずに停滞し行き詰まるのは目に見えている。俗にいうスランプに陥る。

 勝てばなんでもいい、というような姑息さや卑怯な遣り口をみていると、この国の住人の精神が病んでいることに気づく。この国の代表的スポーツの相撲でもつい2、3年前まで八百長疑惑が持ち上がっていた。

 また例えば、昨今のサッカー日本代表の低迷ぶりには、商業主義の行き詰まりを感じる。商業主義で監督を選び、負けたら監督を代えて誤魔化してきたサッカー協会の体質が最近明らかになってきたようにもみえる。Jリーグ発足時のバブル景気が忘れられないのだろう。

 私には、昔のサッカー選手の方が集中していたようにみえる。なでしこも、悲惨な環境のなかでサッカーをしていたから、ハングリー精神からワールドカップを優勝できたのではないかと思う。

 勝負は時の運であり、実力者が必ずしも勝つわけではない。

 この国には、勝って兜の緒をしめよと、一時の勝ちよりも日頃の努力や精進に重きを置く諺も残っている。

 先日TVで、柔道で金メダルをとった小川元選手が、小さいときからやっていた剣道で、現役選手と戦う番組をみた。残念ながら負けたが、負けた理由を「いける」と思って邪念が入ったことを挙げていた。

 現役選手は日々練習しているわけで、引退選手が勝つなどということは余程のことがない限りあり得ない。しかし、小川元選手は流石に柔道で金メダルをとった経験があるからか、勝負時の精神力を十分に身に着けているようにもみえた。動きに無駄がないようにみえたからである。

 日々、努力や精進をしていると自然と動きに無駄がなくなり、無駄口を叩かなくなってくる。職人をみれば、無駄口を叩かないことがわかる。信用に足る政治家というのも無駄口を叩かないし、だから嘘はつかない。

 この国の政治家は無駄口ばかりで、しかも嘘つきであるから、政治家失格である。



 とどのつまり、雄弁とは発言に責任をもつ、ということなんだろう。黙っていたら、真実を語る機会を失うというわけである。真相は墓場にもっていかれるというわけである。

 デモステネスという古代ギリシアの政治家がこの諺を発言したのは、古代ギリシアという一部の賢者たちを除いてほとんどの人々が霊能力を失っていたからである。霊能力で直観的に真実を得ることが困難になったので、代わりに弁論術で真実を得ようという意識が芽生えてきた。

 だからこのときのオリンピックは弁論大会だったはずである。政治家は弁論によって真相に達する義務を負った。

 当時まだ霊能力をもっていた賢者たちは、政治家の弁術が真相に達していたかどうかを吟味でき、政治は神殿の場で神託を受けたが、そのような賢者、つまり哲学者たちが少数になるにつれ、不正が蔓延るようになっていった。

 というのも、霊能力は集合魂に負うところが大きいので、血の純血を保つ同族婚でない、異族婚が拡がるにつれ、記憶力抜群の霊能力の集合的な潜在意識から、論理や計算力や推理力を高める現在の個人的な覚醒意識をもつようになったからである。



 これ以上話すとオカルトの話に立ち入ってしまうので、とにかく、霊能力を失った現代人には雄弁の論理的推理力によって、真相に近づくしかない。だから沈黙していてはダメで、雄弁でなければならない!

 というわけで、先の大戦について、「日本のいちばん長い日」ならぬ、日本のいちばん醜い日の話を以下に紹介する。

 ★         ★         ★

「日本のいちばん醜い日」 鬼塚英昭
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-536.html

 2007年の書である。

 鬼塚氏の書を読んだのは久々である。いつものように他作家の書を数多く引用しながら独自の見解を進めていくという得意の手法がとられている。

 本書の主題は、終戦発表直前の1945年8月15日の宮城事件が偽装クーデターであったことの立証である。映画にもなった「日本のいちばん長い日」は、「日本のいちばん醜い日」だったとの主張を展開されている。以下、一部引用する。

*偽装クーデター計画を真実に近いクーデターにすべく、三笠宮は木戸と、そしてあえて書かざるをえないが天皇と協議した。天皇と木戸が納得した。どうしてか。事件を起こし、阿南と田中の自殺と森の惨殺で、御聖断に反逆する軍人たちを迎えうると計算したのである。

 不敬であろうとなかろうと、私(鬼塚氏)は真実を追究したい。もし不敬と思う人がいるならば、私の説を論破し、しかる後に私の不敬を論ずればよかろう。

 バーガミニは、偽装クーデターが、できるだけ現実的に見せかけなければならない理由まで追求している。彼の意見に心を開かれよ。

 しかしながら今やそのクーデターは、できるかぎり現実的に見せかけなければならないが、もはや戦争を長びかせる真の努力をめざすものではない、擬(まが)いもののそれでなければならなかったのだ。

 すべては外側の観察者、特にアメリカ人に、 神聖な天皇は日本軍国主義の首魁であるよりはむしろ犠牲者であったのだということを、信じこませるゼスチュアであった 。

 午後の忙しい会議、裕仁の侍従武官長の警戒せよとの言葉、裕仁自身の吹上御苑での散歩~すべてがこの最後のゼスチュアの必要を伝える腹芸として仕組まれたのである。

*私はこの劇場を説明する前に、一つだけ、単純な疑問を投げかけて、読者の心に問わねばならない。それは次のようなものだ。

 あなたは8月14日から15日にかけてのあの宮中事件で、近衛師団の誰ひとりとして知らない一陸軍少佐が、「軍中央を見限って、“少数精鋭”によるクーデターという暴発に向かって奮闘を続ける」ことができたと思いますか。

 この問いを発しないまま、日本現代史の本は8.15宮城事件をなんらの疑問も呈さず語り継ぐのである。その典型的な例が半藤一利の「日本のいちばん長い日」である。少しだけ懐疑的なのが角田房子の「一死、大罪を謝す」である。後はほとんんど半藤一利よりである。

 このような単純な疑問を心の中に発しないからこそ、半藤本、あるいは秦本のようなものが、あたかも真実を伝える書として大手を振ってまかり通っているのではないだろうか。

*私はこの惨殺事件を調べてきて、ひとつ気になることがあった。それは井田正孝中佐である。彼は集団自殺をあおった張本人であったが、自決しなかった。そして「井田手記」を残した。この手記をもとに、「日本のいちばん長い日」他が書かれたことは間違いない。彼は後に岩田姓を名乗る。塚本憲兵中佐が戦後電通に入社すると、岩田は電通に迎えられる。

 (裏切者が生き残るのはヤクザの世界も同じらしい。)

 1965年、塚本は「社長室長」となり、岩田は「総務課長」になる。後に二人は電通社内で出世していく。「日本のいちばん長い日」は一面、日本の憲兵隊の物語である。塚本と井田(後の岩田)は、あの日の演出家から大きな役割をふりあてられていた。

 その二人は、戦後も、その演出家の庇護のもとで、日本最大の広告代理店・電通の力を最大限に駆使して、「この「日本のいちばん長い日」の物語が大宅本の範囲を超えないように、絶えず監視の目を光らせていたのではなかったか、と思うようになったのである。これは私の取り越し苦労ではないであろう。

*井田正孝中佐の著書「雄誥(おたけび)」(1982念、西田雅との共著)がある。どうも「日本のいちばん長い日」を中心に、ほとんどの終戦史はこの本や井田が残した「手記」や「談話」に影響されている。

 この井田中佐の手記に、吉田鈞は「責任は死よりも重し」の中で反論している。貴重な意見である。

 然し乍ら、指揮権のない一少佐や中佐がどうして最古参大佐の芳賀に撤兵措置を命ずることが出来るか、それは不可能な事である。また、正門の司令官室までの乾門から銃前哨に到る5箇所の歩哨線を、どのようにして突破して行ったのか、然も乾門から車で入ったということなのでそれは通常皇族並みではないか。

 また、守衛隊司令官や大隊長などの巡察の目をどのように潜り抜けて、椎崎、畑中、井田の3人が会談出来たのか、守衛を経験した近衛兵の実情からは理解出来ない疑問である。

 なお、指揮権のないものが撤兵を命ずることは出来ない。然も、恰も近衛歩兵第二連隊を宮城占領軍の如くに表現しているが、それは事実に全く反するものである。

 故意に畑中らの妄想を補強しているにすぎない。軍旗を奉じて守衛隊に指揮に当っている連隊長が、若い少佐や中佐に頤使されるようなことは、日本の軍隊では到底考えられないことである。

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 次回に続く。





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Last updated  2015年08月10日 13時36分08秒
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