シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2017年05月25日
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カテゴリ: 神秘体験空間
相変わらず私利私欲で政治を続けるアホ政権のために、この国の政治経済が混迷している。このような地獄堕ちの自覚のない輩に何を言っても無駄なので、改めて、シュタイナーの社会三分節化説から考えてみたい。

 シュタイナーは、この説を、人体を解き明かすことで、提唱しているが、シュタイナーにとっては、社会も人体のようであらねばならないほど自明なのである。

 社会は人間を生かす世界でなければならないので、人体と同じ構造でないと意味をもたない。だから、宇宙が人体をつくるように、社会は人体からつくられないと、宇宙との共生が成り立たないのである。

 全てがフラクタル構造であることを見通した説なのである。

 現政権が非常に問題なのは、行政権を拡大して、三権分立を安易に犯しているところにある。そこで、三権分立を、シュタイナーの社会三分節化説から考え、最後にシュタイナーの人体の話に結び付ける。

 そこでまず、シュタイナーの社会三分節化説を、他のサイトから抜粋引用し、改変する。

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ルドルフ・シュタイナー『社会問題の核心』を読む[3]〜イデオロギー的社会論から倫理的個体主義に基づく三分節化へ
ルドルフ・シュタイナー『社会問題の核心』を読む[3]〜イデオロギー的社会論から倫理的個体主義に基づく三分節化へ

 社会の精神面においては、各人が自分の能力により自由に活動する。

 社会の経済面においては、各人が連携した組織関係の中で、それぞれが自分の役割を遂行する。



 (中略)

 社会三分節化の統合は、この三分野がそれぞれ独立して発展できたときに生じる。

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 シュタイナーの話は、原文がドイツ語で、ドイツ語訳が堅苦しいので、かなり意訳しないと意味が掴みとれない。社会三分節化説を理解するには、人智学の人体論を読み解き、照らし合わせるとわかりやすくなる。

 社会の精神面とは、人体の主に頭部の神経感覚系を表し、社会の経済面とは、人体の腹部や四肢の新陳代謝系を表し、社会の政治=法治面とは、人体の胸部の律動系を表している。

 これら人体の三分節が各々役割を守らずに、他分節を犯したなら、病気になるように、社会も荒廃するというのが、この説の要諦なのである。

 シュタイナーの三権分立ならぬ、三分節分立は、精神、経済、政治=法治だが、現在の三権分立は唯物論に基づいているので、精神が抜け、経済と政治=法治が混合し、立法、行政、司法となっている。

 だから、近いもの同士で組み合わせると、精神=立法、経済=行政、政治‐法治=司法となるだろう。

 人体に直せば、立法が頭部の神経系、行政が腹部や四肢の新陳代謝系、司法が律動系となるわけである。

 そこで、この国の現状を人体で表わせば、行政が暴走しているのを、司法が抑制できずに、立法までひきづられている顛末といえる。簡単にいえば、脳が下半身の暴走にひきづられ、認知症に罹って人体の機能麻痺寸前というわけである。

 下半身が暴走し、新陳代謝が悪いので、至る所に血栓ができやすくなり、心臓が血流を制御できなくなり、血栓が脳にまでまわり、脳梗塞寸前というわけである。



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病気とは何か

 1922年12月27日にドルナッハで、ルドルフ・シュタイナーはゲーテアヌムの労働者に、「人間はなぜ病気になるのか――インフルエンザ、花粉症、精神病」という話をしている。

 労働者の1人が慢性の花粉症に悩んでいる旨を訴えて、人智学的医術が、花粉症の治療法を開発したと聞いたという。しかし、シュタイナーは治療法ではなく予防法と答える。ここに人智学的医術の先見性が現れている。

 つまり、「外に現れる症状、つまり肉体の病気は、精神(霊魂)の苦悩が最終的に現れた結果にすぎない。」という現代の予防医学に通じる観点が重視されている。



 例えば、骨折のような場合は、転落などの物理的要因が明らかだが、感染症の場合、「なぜ、感染者と接触すると、感染するのか?」という疑問が残る。

 物理的に説明するなら、鍬で殴られると怪我をするように、細菌やウイルスに侵されると病気になる。この唯物的な考えを推し進めると、細菌やウイルスを兵器として使おうなどと考える。

 ところが、事実はそれほど単純ではない。というのも、細菌やウイルスに侵されても、病気にならない人もいるからだ。

 シュタイナーは大胆に次のように説明する。

 例えば、喉が渇いたり、空腹を感じるのは、実は精神(霊魂)の苦悩なので、本当は、多少の病気に罹っているのだが、飲んだり、食べたりする事で、苦悩を解放できるので、自然に治癒する。

 だから「飲食行為は、実は、治療行為なのである。」(医食同源)

 では一体、飲んだり食べたりするとき、人体には何が起きているのか?

 唯物科学では、食物が口を通じて腸管から吸収され、消化酵素の助けもあって食物を分解しているとはいえ、食物に含まれる物質が化学構造のままで、体内に存在するもの、と想像している。そして、その物質に標識をつけて、体内でどのように変化したり、移動したりしているのか、を追跡している。

 しかし、それだけでは、人智学では、片手落ち、にみえる。

 食事のとき以外も、人体は絶えず活動している、という事を考慮に入れる必要がある。体内に何も入れなくても、例えば5時間、何も食べなくても、人体の活動は休止しない。

 この活動のエネルギーはどこからくるのだろうか?

 勿論、食物からとられるので、食後に補充されるはずである。この活動を行うのがアストラル体である。アストラル体は決して休止する事はなく。食物を壊し溶かしその活動を維持できたなら、満足し、幸福感に満たされる。

 しかし、もし、食物を摂取できなければ、アストラル体は満足できない。この不満は空腹感で表出される。空腹感は体内で安らぐ事はなく、常に活動的で、静まる事のない霊魂の活動である。

 この活動は、食物との恋愛関係といえる。だから、もし、この活動が、食物を受容できなければ、捨てられた恋人のように、満たされぬ想いをもち、この不満が空腹感になる。

 このアストラル体の活動は、食物を分解する事で成り立っている。栄養分は血液に運ばれ、残りは糞尿を通して排出される。

 アストラル体は人間の知性よりも遥かに賢い。というのも、知らないうちに溶かし、変容させた食物は絶えず血液を通じて器官に運ばれるが、例えば、肺が必要とする栄養は、脾臓が必要とする栄養とは異なり、アストラル体が、栄養分、つまり物質を識別し、区別し、分配している、からである。

 ところが、アストラル体も、その賢さを失う事がある。「自我」による(アストラル体への)制御が緩む時で、シュタイナーは次のように言っている。

 すぐに座りがちになる性分を持ち、長い時間、座り込むのは、怠惰な頭、つまり怠惰な自我を喜ばせる。

 もし、座りがちな性分を持っていると、逆にアストラル体は歩き回る性分を持っているので、アストラル体も怠惰になる。すると、アストラル体は食物を適切に区別し、適切な器官に運ばなくなる。

 ところが栄養分は人体に必要なので、糞尿などで排泄されない。となると、本来必要としない器官に運ばれてしまい、溜まる事になる。例えば、喉頭に行くはずの栄養分が、アストラル体が正常に働かないために、体内のあらゆる場所に放置されてしまう。

 すると、必要な栄養分が与えられずに喉頭は弱くなり、活動を維持できなくなり、苦しむ。対照的に、喉頭に行くはずの栄養分が、体内の様々な場所に放置され、拡がるようになる。既に述べたように、人体の90パーセントは水なので、栄養分は、この水のなかに溶ける事になる。

 栄養分が必要とすべき器官に届かずに、体液のなかに溶ける事で、活力ある純粋な体液が汚染される。

 このような事は、体内で非常にしばしば起こる。体内のある器官に必要な栄養分が溶け、体液全体を汚染させる。

 例えば、喉頭に必要な栄養分が体液のなかに溶け、胃と関係する場合を考えてみる。その汚染は、胃を壊す事はない。というのも、胃は必要とする栄養分を保持し、不足していないからである。

 しかし体液はあらゆる処を流れ、喉頭にも浸透している。喉頭は既に弱った状態で、この汚染された液体、つまり喉頭に行くべき栄養分が溶けた水を受け取る。すると、喉頭は病気になる。喉頭へ行くべき栄養分は、他の器官には影響しないが、喉頭に病気を引き起こす。

 ここでシュタイナーは霊視を披露する。誰かの話を聞くとき、人はただ聞いているだけでなく、非常に弱まった形だが、その話を喉頭(声帯)が模倣し、再生している。だからインフルエンザに罹った人の話を聞けば、その感染者に同情しなくても、話を模倣し、エーテル体が感じてしまうので、インフルエンザへの感受性が高まる。

 このように病気を受け入れる土壌ができあがるところに、ウイルスが来ると、病気になる。だから、人智学は、ウイルス病因説や、そのような環境による感染説を否定しない。それらは、唯物論主流の現代では妥当な考え方である。

 インフルエンザについては、シュタイナーはもっと具体的に指摘している。

 体内にインフルエンザの廃物があると、外界で、上級の玉ねぎやニンニクを生産するのに、土に添加すべき物質(肥料)[硫黄とリン]が、体液に溶けている。そして、やがて、玉ねぎやニンニクと同じような臭いを発し始める。

 インフルエンザに罹ると、その出す臭いのため、頭が鈍くなる。というのも、頭部の「感覚器(臭覚)」が、その臭いのために、必要とする物質が適切に供給されなくなるからで、インフルエンザの廃物がある結果、感覚器が適切な供給を受けなくなる。この臭いは必ず玉ねぎとかニンニクに似ていて、繊細な鼻の持主には探知できる。

 金切り声やかすれ声を模倣するように、病人が発する調子にあわせてしまう結果、自身のアストラル体や活動が乱される。この撹乱が、化学的な基盤を揺るがし、インフルエンザに感染する。外界でいうなら、玉ねぎとニンニクに相応しい土壌を作るようなものである。だから、感染因は細菌(ウイルス)とは直接無関係で、人と人との関係に由来する。

 さて、ここで、シュタイナーは「なぜ人が病気になるのか?」という問いに次のように答えている。

 簡潔に言うなら、

 人体の制御を何かが乱す事で生じる。精神病ですらそうである。汚染された体液には、本来、それを必要とする物質が誤って溶けこんでいて、それが害をなす。

 インフルエンザから花粉症に目を転じると、花粉症の発生は大気中に花粉が舞う季節による。花粉症に罹りやすくなる最大の原因は、「アストラル体が適切に物質の排泄を行っていない」事が挙げられる。

 春が近づき、あらゆる生物が水中で成長しはじめ、人体の液体組織もまた敏感になる。そのようなときには、この液体組織、すなわち「体液」=エーテル体に様々な物質が溶け込みやすくなる。すると、体液が通常よりも少し薄く拡がるようになる。

 (現代の免疫学では、Th1細胞性免疫→Th2液性免疫になる。ヘルパーT細胞のTh1とTh2のバランスが重要。)

 花粉症に罹りやすい人の体液は幾分拡大している。体液は溶解している物質によって、四方八方に押しやられ拡大する。このようにして、春に現われる花粉など全てに敏感に反応するようになる。特に、植物から放たれる花粉は格別に刺激が強い。

 だから花粉が花粉症を発生させるのではなく、ただ花粉は花粉症(体液の拡大)を悪化させるだけである。

 では人智学の霊的洞察から作られた花粉症予防薬の効能へと話を移す。膨張した体液を元に戻すために、少し濁らせる事で、最初に溶け込んだ不適切な物質を外へと排出させる必要がある。そのような薬を注射した後、少し汗をかくようにすればよい。

 以上から興味深い事実が明らかになる。発汗作用はこのようなエーテル体とアストラル体の調整に役立つ。もし寝汗をかくなら、まして夜尿症に悩むなら、これは明らかにアストラル体の問題を指し示している。

 子どもの場合にも、細心の注意を払わねばならない。おそらく少年犯罪者の生い立ちを調べれば、このような考え方の正当性とはいわないまでも、少なくとも、方向性の正しさは立証できるだろう。

 しかし、ここでシュタイナーは性急に人智学の花粉症薬を求めるのを諌め、次の様に言う。

 まず患者が便秘でないか確認しなければならない。もし便秘なら、薬で、体液は更に濃縮されてしまい、かえって外へ出づらくなるからである。

 便秘なら、注射と一緒に通じをよくする薬も投与する必要がある。

 効果的に治療するなら、どの薬がどんな病気を治すのか、知るだけでなく、患者にどのような質問をすべきか、などを知るのが大切である。偉大なる医術は正しい問診から、患者を熟知する事にある。

 この事は、極めて重要である。それなのに、おかしなことに、患者に年齢さえ尋ねない医師にしばしば出くわす。年齢を尋ねるのは重要である。同じ病気でも、例えば50歳と40歳では、全く違った治療法を用いなければならない。ただ単に、「この病気には、この薬が効く」としてはいけない。

 それは、犬と猫という身近な例を挙げればわかる。犬は便秘がちで、猫は下痢気味なので、犬と猫に同じ薬を与えて、作用の違いを観察するとよい。

 人間は「固体」だけでなく「液体」でもあり、さらに、…「気体」でもある。「気体」は一瞬ごとに形を変える。呼吸の瞬間毎に、気体は体外にあり、また次には体内にある。

 不要な固体の物質が体液に溶け込むように循環し、体液は絶えまなく蒸発している。土壌の水が蒸発すれば、大気中に上昇するが、体液が絶えず微量ずつ蒸発すると、体内に吸い込む空気の中に侵入する。

 肺がおかしい場合には気をつけてほしい。というのも、上述したような浸入が起こったと考えられる。このような場合、肺が病気になるかもしれないが、もし体液に不当に沈殿した物質により引き起こされた病気なら治療できる。

 しかし、肺の病として、表面化するほど悪化しなかった場合を仮定してみる。何と言っても、肺は敏感で、炎症するほど強く侵されなくても、少しばかり具合が悪くなる。このような軽い病気には耐えられても、実際には、肺の体液に入り、浸潤し、不適当な物質が溶けこんでいる事になる。そして、このような不純な物質は特に、肺が完全に健康とはいえない場合、蒸発してしまう。

 不適当な物質が体液に溶け込むだけでなく、蒸発して、吸い込む酸素と混じり合うと、神経組織には害となる。神経組織は純粋な酸素を必要とするのに、汚染された体液が蒸発し、酸素と混じりあうからである。肺でこのような蒸発が生じると、肉体的には病気にならなくても、いわゆる精神病になってしまう。

 精神病は実際には全く精神の病気などではない。というのも、精神、あるいは霊魂は病気にはならないからである。精神病は、体液が不適切に蒸発し、酸素が不適切に神経に分配される事にある。

 だから、体液の中に不適切な物質が拡がらないように、更には体液が不適当に蒸発しないように、絶えず体内の物質を正しく管理、処理しなければならない。しかし、日常生活でさえ、体液を不適切に蒸発させてしまう。それは、喉の渇きとして気づく。

 以上から、興味深い特徴づけができる。喉の渇きは精神病に傾かせ、空腹は肉体の病気に傾かせる。だから、次のような結論に至る、

 状況によっては、渇きをうまく癒せない、のを探知するのが難しい事がある。特に乳児の場合、飢えと渇きを明確に区別できない。両方ともミルクで満たされるからで、だから、もし母親や乳母の乳を通じて有害な物質が入ったら、ずっと後になって、体液が不適切に蒸発し、精神病を導く事もある。

 また、間違った接種を受けた場合、牛のリンパ球、もしくは患者のリンパ球を間違って選んで接種すると、体液と関わる器官を苦しめる。たとえ、体液が直接、病気を引き起こさなくても、不適切な接種の結果、体液が不適切に蒸発し、器官が正しく機能しなくなり、やがて何らかの精神病になりやすくなる。

 今日(1920年代?)、非常に多くの人々が早発性認知症…に悩まされている事に既に気づくだろう。この病気は、若い時期に神経が崩壊し始めるのだが、その大部分は乳幼児期の間違った食事に起因している。

 赤ちゃんのミルクを化学的に調査するだけでは不十分で、もっと別の側面を吟味しなくてはならない。現代になって、食事に関心を払うのを止めてしまったので、この認知症が恐ろしい勢いで発生している。

 これまでの話から、この病気にはこの治療法がよい、という知識を基に、医者を訓練するだけでは不十分とわかるだろう。生命全体を健全にするように努めねばならない。それにはまず、健全な生命に関わる事実を発見する必要がある。

 人智学はこのような理解を与える。人智学は、予防衛生学でも有効な認識を目的としている。人智学は健康の諸問題を正しく把握するのを望んでいる。

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 何事もバランスが重要である。 

 この国の行政=新陳代謝が、日本会議のような有害な食事ばかり摂り、依怙贔屓の暴走をはじめるので、善悪の見境を司法が失い、立法が悪法を生み出すようなほうちならぬ痴呆=認知症が進行しているのである。

 あるものをないといったりしている現実をみれば明らかである。ゾンビである。





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Last updated  2017年05月25日 23時07分19秒
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