シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2019年03月16日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
歴史科学捜査班なる番組を先日みたが、あまりに滑稽でバカらしく思えた。このような科学を語って全く科学ではない内容には呆れてしまう。

 まるで、現インチキ政権の買収された御用学者のようである。

 それに比べて、陰謀論とされている、先日読んだ、加地将一氏の「禁断の幕末維新史」方が遥かに素晴らしいと思う。

 このブログでも度々紹介している、八切史観に出会って、日本史の謎が解けた。明治維新とは何だったのか、戦国時代の天下統一とは何だったのか、全ては白村江の戦いからの、古代史からきているのである。

 戦国時代の信長も、明治維新の西郷さんも、部落民の出で、部落民に対する差別を撤廃したかったわけで、だから信長も仏教徒を弾圧して、部落民にも商業権などの特権を与えたのが楽市楽座で、寺管理の農奴を解放したのも、信長の天下布武だったわけである。

 農奴に刀を与えて武士にして、仕官させたのが信長だったわけである。仏教徒から位階を奪い、家臣に分け与えたから、部落民の農奴は、織田家に仕官したのである。

 その際、大陸から持ってきた賭博のバサラ茶を、つまり仏教徒の位階を、わびさび茶の、部落民の源流である原住民の古代文明への忠誠心に変えたのが、後に利休で有名な、千宗易で、だから利休は仏教徒には不人気だったわけである。

 唐由来の茶器文化を、原住民由来の茶器文化に変えたわけで、最も当時は茶器だけではなかった。秀吉が、利休を斬首したのは、豊臣家に反乱するほどの勢力をもったのと、秀吉が仏教徒の頂点の天皇に成り代わって、仏教徒に嫌われていた利休を犠牲にしたのだろう。

 さて、その全く科学ではない出鱈目な番組では、龍馬暗殺について明治維新以来の通説の京都見廻り組が犯人と結論づけているが、歴史の流れを全く無視している。



 一歩譲って、永井玄蕃の単独の命令だとすれば、その後の薩長有利の歴史経過から、玄蕃は腹切りものである。京都見廻り組の犯行だとすると、永井玄蕃か、慶喜がバカだということになる。

 大体、当時の幕府が自分たちの損になることなどするわけがない。常に身柄監視の人物を付き添わさせていたはずで、加地氏によると、龍馬の幕府側の監視役は海援隊の部下の白峰俊馬だという。

 だから、幕府側が龍馬を暗殺するなら、白峰俊馬がキーパーソンとなるはずだろう。

 では、当時の情勢から、龍馬暗殺を考えるために、八切氏の西郷論の龍馬暗殺を紹介する。

 ★     ★     ★

「岩山八郎太の娘いとと祝言せい」と、慶応元年一月二十八日39才の西郷は新郎にされた。
「今度が三度の上の目か」未体験のおごじょの嫁を、いとおしむよう優しく扱かって、「おいどんの上へ跨がるがよか」といった。

 久しぶりに新婚気分を味わっているのに、「京へ来ちょくれ」と大久保がいってきた。「長州が割拠というて独立ばすると、高杉とか桂らが騒いどる、また長州征伐だそうな」物騒な知らせが入ってきた。西郷はすぐ、「おはん長州へ行け」と黒田了介をだした。

 その結果が、松平容保を親任されていた孝明帝の急死となった。少年の帝がたたれた。

「今でごわす。出京して九州独立のため京坂を国境にして、長州に守らせたらよかでごわそ」大久保に言われた通りを久光へ報告した。「念願のハヤト国か」島津は開戦をきめた。なのに坂本竜馬の進言で、土佐山内容堂が、徳川慶喜に大政奉還させてしまった。




「長州へ落ちのび今では九州大宰府の三条卿以下の復位。正式に岩倉具視の処分解除」そして、その日新帝の母方の中山忠能卿は、土佐の陸援隊へ高野山を占拠するため出動させて、御三家の紀州藩の牽制をさせていた。薩摩の大久保から、「御玉音で、勅許がおりた」と発表された。



 12月9日。徹夜の会議がすんで徳川慶喜が退出した後、岩倉具視が参内して、はっきりと、王政復古」を奏請した。帝はまだ幼少。

朝までは和平会議だったが、恐い顔をした岩倉具視に奏上されると、脅えたように、「あッ、そう」とだけ言われたという。

大阪から御所へ参内した徳川慶喜は、なんとかして平和的にと会議している間に、薩摩の大久保と岩倉がどんどん戦争の用意をした。

「まるで平行線じゃ。どうなるんじゃろうな」大村益次郎も双方の情報をきき迷っていた。

しかし岩倉と大久保は三井に命じて銀の有るだけを出させ、土佐だけでなく安芸の広島から尾張、越前といったインフレで困惑している雄藩に、みな金のクツワをかませた。



小栗上野介の信任をえて弾左ヱ門家や徳川家の一切合財を押さえていた三野村利左ヱ門を迎えて番頭にした三井は、その金を逆に岩倉へ廻し討幕資金にし鴻池を蹴落した。それも現銀でなく為替紙を発行してあてた。

「 土佐の山内容堂侯は内ゲバせんとなんとかまとめようとしたというが、西郷が凄い目つきで、文句があるなら徳川より土佐を先に血祭りにあげると脅かした。海援隊はあっても坂本が死んでは何も期待できんし、陸援隊も中岡なき後は薩摩の傭兵化して中山卿についている。土佐も仕方なくうなづいたそうだ。いったい、どうなっとるぞなもし・・・・ 」

 ★     ★     ★

 薩長は土佐を討幕側にするために、中岡に、坂本を殺させたのである。

 だから、黒幕は大久保と岩倉、このコンビで孝明帝も毒殺(便器で刺殺という説もある。)された。

 実行犯は、中岡らの陸援隊士で、補佐役が土佐の谷干城と、薩摩の大久保の片腕の吉井幸輔。

 この加地氏の龍馬暗殺説が真相に思われる。

 そして京都見廻り組はひょっとすると、龍馬でなく、中岡の暗殺を狙ったか、龍馬を保護しに偵察してたのが、現場を目撃してしまい、情報のもみ消しに走ったのかもしれない。

 新選組の犯行にすれば、会津藩預かりなので、慶喜ではなく、松平容保の命令になり、幕府ではなく、会津藩のせいにして、目を逸らせる。

 また幕府側からみると、京都見廻り組は土佐を討幕側につかせないために、中岡暗殺を狙うことはありえるからである。つまり、龍馬が中岡を誘き出して、京都見廻り組に撃たせる手筈だったのが、逆に中岡に先手を打たれたのかもしれない。

 龍馬が討たれて、土佐は薩長に靡き、討幕側に加担し、討幕に反対した、討幕の英雄として龍馬伝説をねつ造するのだから、嘘の上塗りで皮肉である。後の西郷も英雄として実像とは逆の存在に仕立て上げられるのだから、明治政府は嘘塗れである。

 いずれにしろ土佐藩内での内ゲバで、恥を晒すので、暗殺の真相は語られないわけである。

 だから、田中光顕が、土佐藩の恥になるので、「あれは語ってはいけない」といったわけなのだろう。





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Last updated  2019年03月16日 01時28分48秒
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