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3.話し言葉と書き言葉(3)日本の散文は明治・大正期ぐらいまでずっと伝統的な韻文の影響のもとにありました。格調の高い口語文を書いた森鴎外ですら、ドイツ留学の体験を踏まえた小説「舞姫」やアンデルセンの「即興詩人」を訳出するとき、韻文の香りをたたえた文語体を用いました。夏目漱石の作品にもその傾向をはっきり認めることができます。例えば「草枕」の冒頭部分はこうです。○ 山路を登りながら、こう考へた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさがが高じると、安い所へ引っ越したくなる。どこへ引っ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて、画(え)が出来る。昔にさかのぼって例えば、平安期・清少納言の書いた随筆「枕草子」の冒頭を読んでみましょう。○ 春は曙。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜。月の頃は更なり。闇もなほ、蛍の多くとびちがいたる。又唯一つ二つなど、ほのかに打ち光りて行くもおかし。さらに、人生の無常を綴った鴨長明の随筆「方丈記」と、平家一門の栄華・滅亡を描いた軍記「平家物語」の冒頭を順に列挙してみましょう。○ ゆく河の流れはたえずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつきえかつむすびて、ひさしくとどまる事なし。世中(よのなか)にある、人と栖(すみか)と又かくのごとし。○ 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。娑羅雙樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(しょうじゃひっすい)の理(ことわり)を顕(あらわ)す。奢(おご)れる人も久しからず。ただ春の夜の夢の如し。(注)祇園精舎=釈尊とその弟子のために建てた僧坊。インド中央コーサラ国舎衛城の南にある (注)娑羅雙樹=ナツツバキの別称 (注)盛者必衰=勢いの盛んな者も必ず衰えること (注)理(ことわり)=道理、当然のことどうですか。いずれの作品もりっぱな散文でありながら、随所に五七調(あるいは七五調)の韻律を響かせているでしょう。万葉集以来この方、日本人の耳と目はこのような美文体の名調子になじんできました。リズムの言霊となってこの肉体に染み付いているのです。だから、稚拙を問わなければ一句(俳句)ひねり出すことなど、わたしたちにはそんなに難しくありません。日本人はなべて詩人なのです。詩人で国を構成するところなど地球上のどこに存在するでしょうか。ところが喜んでばかりもいられません。詩人はえてして理論家になり得ないからです。五七調(七五調)のくびきに縛られた詩人のわたしたちは、詩語で論法をおぼろにして明快さを欠く民族となってしまいました。論理の筋よりも韻律の辻褄(つじつま)合わせのほうが大切なものとなりました。明快でない文章は、文章の意味をなさないのに、人を酔わせる韻律をもって別の機能を果たすこととなりました。○ 朕惟(ちんおも)うに、我が皇祖皇宗、国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に、徳を樹(た)つること深厚なり上の文章は明治天皇が国民(当時は臣民)に下した「教育勅語」の冒頭部分です。教育の基本理念を示したもので、儒学者の永田永孚(ながざね)や井上毅(こわし)によって起草されたと言われています。おごそかな語調とともに五七調(七五調)の影響を各所にとどめています。韻律の響きと難しい語彙(ごい)とをもって国民の畏怖(いふ)と服従を求めています。官僚の文章は今でも、不思議な韻律を伴った抽象語をもって国民に下されます。政府審議会の答申文などその好例でしょう。審議委員になり代わって官僚の手で書かれる答申文は、意味不明の典型で、解釈の自由な抽象語の羅列です。「Aの解消に努めるとともに、Bの現状を踏まえつつCの扱いに適正を期する。またDに対応しつつEの改善を図る」といった書き方で、「努める」「期する」「図る」どの語の解釈も官僚の腹一つ、仮に事態を放置したままであっても「Fに努めかつGの改善を図ったが、駄目だった」で逃げられるのです。具体的な数字目標を決して掲げないのが官僚のやり方なのです。詐欺的な官僚の文章についてはいずれ具体的に指摘したいと考えています。フランス文学者の桑原武夫はかつて、「俳句は駄目だ」という論陣をはりました。主語がないから主体性に欠けると言うのです。主体性を欠く論法は明快でなくおぼろになりますが、おぼろをもってしては物の本質を衝(つ)けないと言うのです。韻律を尊ぶあまり主体性を欠くのはよくない、それゆえ「俳句は駄目だ」となるのです。わたしたちの書き言葉は、韻律を帯びた格調を重んじるあまり明快さを欠きがちです。とにかく韻律に気を奪われた文章を書かないようにしましょう。桑原は重要な指摘をしていると思います。
February 23, 2005
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2.話し言葉と書き言葉(2)八世紀、特に平安期以降かられんめんと続いてきた日本の書き言葉は、湿った自然に寄り添う「情感」の記録でした。前回の記事でこのように書きましたが、もう少し具体的な説明が要るのではないでしょうか。ただ「情感」と言い切るだけでは、不親切で抽象的にすぎるからです。とりあえず、歴史上の数ある「情感」の記録を韻文と散文に分けて簡単にみてみたいと思います。書き言葉の中に「韻」を含めるから「韻文」というわけですが、日本列島に住みついた原始の人々は発声の中にすら、「韻」をこめるのが好きでしたから、村の長老や巫女(みこ)などの口を借りて伝えられた伝承の中にも、「韻」を踏むものが多くみられました。奈良、京都を中心とした和人(倭人)の軍隊に追われて東北、北海道へ落ちていったアイヌ民族は、文字をもちませんでした。東洋人に白人の血がはいってできた誇り高い人々ですが、多勢に無勢、武力の差はいかんともしがたいものでした。坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)や文屋綿麻呂(ぶんやのわたまろ)は、征夷大将軍(野蛮人を征伐する将軍の意味)となって蝦夷(主としてアイヌ人とみられる)を征伐するのに三千人から五千人を引き連れて東北へ向かいました。当時のアイヌ人には兵団という概念がほとんどなく、せいぜい数十戸からなる村単位(コタン)で和人の軍隊を迎え撃ちました。これでは勝負になりませんが、中には武勇と知略に優れた壮年・青年らもいて、かれらの武勇の数々を英雄詞曲として後世へ伝えました。アイヌ語でユーカラと言いますが、これらはいずれも「韻」を踏む芸術として知られています。八世紀に大伴家持選で成立をみた万葉集(二○巻、約四千五百首)は、国民詩の金字塔としてあまりにも有名です。大和言葉(やまとことば)に中国の漢字を当てた「万葉仮名」という文字で書かれています。音仮名と訓仮名の二種類あって、たとえば「鳴くも」を音仮名で書けば「奈久母」、訓仮名で書けば「名雲」となります。万葉集選者、大伴家持の有名な歌 ○ わが宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも の前半部分を万葉仮名で書けば 和我屋度能伊佐佐村竹布久風能・・・となります。○ 夕さればあかね雲敷くかなたより鶸(ひわ)鳴き群れて寺塔の上へこれを我流の万葉仮名で書いてみましょう。由有沙礼婆阿架根雲志九嘉奈太用利卑倭那企武列天寺塔努宇曳倍夕方になると、真っ赤なあかね雲を敷きつめたはるか向こうの空から、無数の点と化した鶸(ひわ)の大群がころろ、きりりと鳴きながら大寺院の塔の上へ飛来してきました。まるで、あかね雲の空間をまだらの雲で染めあげたかのようです。群れをなして大きくみせるこの習性は、外敵に備えての自己本能でしょうか。体のサイズは雀とほぼ同じです。雀と違うところは、くちばしと前面の胸毛の部分がともに黄色なことです。渡り鳥の仲間だそうですが、小さな野鳥たちはこれから一体どこへ移動していくのでしょう。上の歌は白状すればわたしの作で、余興のつもりで書きましたが、ここで強調したいのは、日本の和歌は五七五七七の定型で「韻」を響かせるという事実です。「五七調」とも「七五調」とも言われる韻律の響きは、原始より自然と共生してきたわたしたち日本人の胸に深く染みこんで、和歌はもとより松尾芭蕉を祖とする俳句をはじめ島崎藤村らの近代抒情詩へ決定的な影響を及ぼしています。○ 古池やかわず飛び込む水の音 芭蕉英語では There is an old pond . A frog jumps into it with a sound left.(古池がある。そこへ蛙が飛び込むと音だけが残った) とでも訳すのでしょうか。芭蕉の五七五の幽玄世界を、理の勝った英語で引き写すことに大きな無理を感じます。ましてわたしの英語力をもってしては・・・。言葉に宿っている不思議な霊威、日本人はこれを言霊(ことだま)と呼んで大切にしてきました。古い祝詞(のりと)を読むと、うやうやしい言霊の世界であることを実感させられます。「五七調」とも「七五調」とも言われる韻律は、古代から伝えられた呪力(じゅりょく)とも無関係ではないでしょう。島崎藤村の詩、「初恋」も伝統の「七五調」で詠まれています。美しい藤村の世界を味わいつつ、韻文の講を閉じたいと思います。○ まだあげ初(そ)めし前髪の 林檎(りんご)のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛(はなぐし)の 花ある君と思いけり ○ やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたえしは 薄紅(うすくれない)の秋の実(み)に 人こい初(そ)めしはじめなり○ わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき たのしき恋の盃(さかずき)を 君が情(なさけ)に酌(く)みしかな○ 林檎畠(りんごばたけ)の樹(こ)の下に おのずからなるほそみちは 誰(た)が踏み初(そ)めしかたみぞと 問いとたまうこそこいしけれ
February 21, 2005
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これから作文教室を始めます。ただちに実践コースに入りたいところですが、その前に三回にわたり、「話し言葉と書き言葉」について説明します。そのあと役に立つ実践コースを開講したいと思います。お付き合いください。1.話し言葉と書き言葉(1)ご存知のように、話すことと書くことは違います。話すときは口を使いますし、書くときは筆記具を使います。話すことは少し格式ばって言うと「音声言語」と呼ばれ、書くことを意味する「文字言語」と区別されます。技術論はとりあえず擱いて話すことから説明していきましょう。「あれ、どこにいった?」「あれ?そこよ」「じゃあ、あれは?」「あれね。さあ知らないわ」これは老夫婦の日常会話の一こまです。第三者には察しのつかない代名詞の「あれ」も、当事者には了解済みのことで、やり取りに弛緩がありません。「美津子がオレの誕生日に財布をはたいて買ってくれた例の老眼鏡はどこに行ったか知らないか」「美津子の誕生日プレゼントの老眼鏡は机の上ですよ」。打てば響く二人の間に、こんな会話は不要です。親しい間柄ならアメリカ人の日常生活でも当然のように、「あれ」「それ」(it)を多用します。「あれはどこ?」(Where is it?)とは言っても、わざわざ「美津子が誕生日のプレゼントにくれた老眼鏡はどこにあるか」(Where is a pair of glasses that Mitsuko gave me for my birthday present?)などとは言わないでしょう。こんなやり取りをしていたら滑らかな折角の会話もつや消しになります。アメリカにしろ日本にしろ、話し言葉が厳しい文法や文章作法にあまりこだわらないのは同じ事情です。形よりもその場のフィーリングに重心があるからでしょう。原始人が書き言葉をもつようになったのはいつごろでしょうか。絵文字が進化を遂げて古代エジプトのヒエログリフ、楔形文字のもとになったシュメール文字、漢字のもとである甲骨文字へ発展していくプロセスは、人間の文明の進化と重なります。学説にもよりますが、わたしたちの先祖が文字をもったのは紀元前六千年のころだと考えられています。王の偉大さや狩でしとめた野牛、鹿の頭数を記録しておく必要に迫られてのことです。書き言葉は脳の発達と学習への意欲があって初めて成り立ちます。語順や表現についてきちんとルールを決めておかないと、正確に第三者へ伝えることはできません。すなわち書き言葉はそれ自体、技なのです。技ならば、これを努めて会得しなければなりません。話し言葉よりややこしい事情があるのはそのためです。日本には昔から大きな流れとして、「話すように書け」「思ったとおりに書け」というのがあります。こう主張し実践した一人に小説家の佐藤春夫がいます。彼は「法無法の説」でこう述べています。○ 文字でする表現すなわち文章と、言葉でもってする日常の談話の表現とに何か本質的な相違があるかのように考えるのがそもそもの迷信なのである。言葉の通りを文字にしたものそれをそっくり文章と心得て差し支えない。差し支えないどころではない。それが本当というのが自分の文章論の建前である。それだからこそ言葉を知り文字を知る限りの人々なら、誰でも文章は書き得るものという気軽さと自信とでもって筆を執り紙に向かって、語ろうとする心のままを、自分の言葉で自分の口から語りながら、手ではそれを文字に筆録してみるだけで、文章はおのずと出来るものなのである。現に自分は今ひとり言をつぶやきながら唇の動きの通りを手で筆記している。・・・・言葉と文字との極端なまでの一致に対する信念、そうして心ゆくままに話すことを喜ぶがごとく文字を操ることこれが文章入門の心得である。宇野浩二によると、「話すとおりに書け」の元祖は武者小路実篤だというのですが、夏目漱石と芥川龍之介が武者小路と同じ白樺派の志賀直哉の書き方について話し込んだことがあるそうです。芥川が志賀の文章をほめ「どうしたらああいう文章を書けるのでしょうか」と水を向けたところ、漱石は「文章を書こうと思わずに、思うままに書くからだろう。おれもああいうのは書けない」と答えたそうです。小説の神様みたいな漱石の言葉ともなれば、その重みが違ってきます。以来、文人のみならず世間の受け取り方まで「文章は話すとおりに書くものだ」という風潮に傾いていきました。わたしの経験では「話すとおりに書け」にはちょっと無理があります。文章の天才ならともかく、たとえば小論文の試験に対して話すとおりに書いて合格するのは至難の業でしょう。書くことはそれ自体、虚構であり儀式なのですから、この事実を無視した対応が成功を収めるとは思えません。選んだ材料の配列を考えて、出だしと結びをどうまとめるかまできちんと計算したうえで書き上げるのでなければ、記事の論理に乱れが生じ明快さを欠いてしまいます。さらに、同じ書き言葉でも、「情感」で書く手紙と「論理」で書く論文の間には大きな隔たりがあります。手紙を書くのは嫌いじゃないが、論文を書くのはイヤだと渋い顔をする人がいます。八世紀、特に平安期以降かられんめんと続いてきた日本の書き言葉は、湿った自然に寄り添う「情感」の記録でした。この伝統を受け継いでいる人なら、文章の行間に「情感」をにじませて書くことはそれなりにできますが、「論理」を問われるともういけません。テーマの事象を科学ナイフで刻むという習慣がなく、論理、論理の科学ナイフなど捨ててただありのままに、あるいはむしろおぼろに詩的に、自分の心と事象とを調和させようと努めるばかりです。言文一致体を唱えた二葉亭四迷以降、書き言葉としての口語体は進化を遂げていますが、今も完成にはほど遠い状況です。欧文脈と違ってセンテンスの文末がとても単調で、概して「だ」「である」「です」「ます」の四つしか選べないうえ、主語を顕わにしないことが名文の条件になっている異常さは、書き言葉をより難しくしています。文章の作法とはあまり関係ありませんが、語彙の選択にも苦労させられます。たとえば、清少納言の書いた古い大和言葉(やまとことば)で現代の複雑な政治や経済を活写しようと思っても無理があります。後発国の常として、先進の欧米言語を日本人の感覚で訳出してきた、その新語彙に頼らざるを得ないのですが、ここにも問題があります。横文字のオリジナルと比べると、意味のズレや曖昧さがみられます。正確に書こうとすればするほど、その欠陥が顕わになってきます。文化が違えば、言葉に込められる意味にもズレが出てくるのは当然でしょう。日本人の現代文を不明瞭なものにする大きな芽がここにもあると思います。そのようなわけで日本語の文章を書くためには、一通りの心得と技を会得することがどうしても必要になってくるのです。
February 20, 2005
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