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100.わたしは報道記者としてこんなことを考えて仕事をしましたあなたの人生は短いと思います。80歳の寿命は二万九千二百日のことです。今35歳の人には一万六千四百二十五日しか残されていません。残された寿命の中で何をしなければならないか。四十年近く前に大学を出て通信社に職を得ました。配属先は内政部でした。余命を数えるにはあまりに未熟者でした。この部の機能は官僚(中央官庁)の仕事(国内政策)をカバーする部分と、自社の84支社局を統括する部分とに分かれていました。三年の地方勤務を終えて東京に復帰すると、部長と次長に「どこを担当したいか」と聞かれたので、「通産省か農林省を希望する」と答えました。経済で世界が廻っていると強く感じていたので、あえて経済官庁の記者クラブに所属して勉強しながら自分の成長を期そうと考えたのです。希望は叶えられました。二十代で通産省(今の経産省)を担当することになりました。田中角栄さんが通産大臣から首相になった年のことで、後任には中曽根康弘さんが五階の大臣室に納まりました。大臣室のあるこの階だけは赤じゅうたんを敷き詰め、私たちの仕事場である記者クラブもこの五階にありました。官僚の発表ニュースは経済部の別の記者がフォローしてくれます。官僚の作文を記事にするという因果な退屈さにかかわらずに済みました。これは幸いなことでした。わたしは庁内を歩いて官僚の仕事振りをチェックしながら、「これは」と目をつけたキャリア官僚のもとに通って出し渋る話を細かく聞き、タイミングを見極めて記事を書きました。独自の取材で書く記事ですから、わたし以外の他社の記者が同じ記事を書くことはあり得ません。その意味では、わたしの書いたものはかなり特別扱いされました。新聞社、テレビ局に配信される記事はいつも言わば特種の形をとっていますから、大きく報じられるのが当たり前でした。そのうちに、やがて手中にした巨大ニュース源の協力で大スクープをものにしました。ロサンゼルス特派員に任じられたのもこのスクープがあったからだと思います。私はある程度自分を知っているつもりです。360度いっぱいに目配りのできるタイプではありません。贔屓目にみてもせいぜい90度の視野しかなく、社会部の記者なら落第の印を押されることでしょう。短所を長所にする道はひとつです。自分の視野に入ってくるものをできるだけ深く調べ、その因果関係を突き止めることです。物事には、表面的にみえるものと違う側面が必ずあるはずだと考えました。その部分を闇から引っ張り出して世に問うことにしたのです。仮に、通産省が主要都市の排気ガスの実態を調べることにしたとします。来年度の予算に調査費を計上するというのです。ニュースになります。排気ガスの害は今に始まったことではありません。だからこう考えるべきなのです。なぜこの時期に公害調査をすることにしたのか。どのような方法で調査をするのか。そして調査で知った結果をどう活かそうと思っているのか。官庁を担当している記者なら、さらにもうひとつの「なぜ」を問わなければなりません。公害は環境庁の縄張りのはずです。それをあえて通産省がやろうというのはどういう料簡なのだろう。そう考えるべきなのです。これらの疑問を解くためにいろんな人と会います。責任者の官僚のほか、環境庁の官僚、公害委員会に所属する国会議員、公害企業の二、三に当たってみるのです。一つの結論に達します。その結論を持って第三者の立ち場にある学者などの意見を聞きます。そして記事を書きます。官僚の問題ではなく広く国民の問題として考えてもらいたいからです。2月下旬から始めたこの書き込み、今回で100回を数えることになりました。とりあえず「文章講座」はこのぐらいにして別のテーマで出直したいと思います。読者の方々にはあつくお礼を申し上げます。
June 18, 2005
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99.野の笑いをあとにして風景は坂道をよじ上る・・・擬人法の、マシュマロのような現代詩をよむのはポジテイブな、心はずむ瞬間です。三富朽葉の「山の木木の中で」の一部から。枝のようにわが思いの揺れるとき。野の笑いをあとにして風景は坂道をよじ上る。言うまでもなく、擬人の冴えは最後の二行「野の笑い」「風景は坂道をよじ上る」に凝縮されています。この躍動感は擬人法をもってはじめて可能です。村野四郎の「市民広場」の一部から。時々雲たちがビルデイングのかげから出てきて遊びやがて遠い田園の不明朗な山へかくれてゆく広場「ビルデイングのかげから出てきて遊び」「不明瞭な山へかくれてゆく広場」に擬人法が巧みに活かされています。「不明朗な山?」立ち止まってしばし、その意味を考えます。次は三木露風の「去りゆく五月の詩」の一部から。「風の歩み」と「去りゆく優しき五月のうしろかげを」の擬人化、その品のよさ・・・。作者の人柄さえしのばれます。折ふしの音なき花の散りかひ。風の歩み、静かなる午後の光に、去りゆく優しき五月のうしろかげを。谷川俊太郎の「空の嘘」の一部から。全編、擬人法の連打です。空は飛行機の舞台。飛行機を操縦する人間が空を傷つけると、やさしい翼の鳥たちがいやしてくれます。空は飛行機のためにあるのではない。鳥のためにあるのです。飛行機はまるで空をはずかしめようとするかのように空の背中までもあばいてゆくそして空のすべてを見た時に人は空を殺してしまうのだ飛行機が空を切って傷つけたあとを鳥がそのやさしい翼でいやしている鳥は空の嘘を知らないしかしそれ故にこそ空は鳥のためにある
June 17, 2005
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98.読まれない名著よ、お前はどこをさまようのか?人を知るには出会いが要ります。しかしただ出会いがあるだけでは親しくなれません。その人の人柄に触れ、惹かれるものをそこに見出すまで会話をしなければなりません。その長いプロセスの中でやっと畏友に巡り会えます。 読書にも同じことが言えます。世には読まれない名著というものがたくさん存在します。たとえばマルクスの「資本論」です。この本を最後まで読んだ人がどれくらいいるか知りませんが、数少ないのは事実のようです。友人の一人にドイツ語の達人がいます。かつて、ドイツ語の原書で「資本論」を読み始めたところ、延々と続くマルクス節に辟易して、途中で読書を放棄してしまいました。マルクスの延々たる話し振りに付き合う用意が、彼にはありませんでした。彼の好みにマルクスが合わなかったとみえます。もちろん日本語訳のほうも覗いてみましたが、驚いたことに、日本語で読むほうを一段と難しく感じたそうです。ドイツ語で読むのと違って難解をきわめ、マルクスの言わんとすることをほとんどクリアに理解できませんでした。欧米語を日本語にするときの限界のようなものがほのみえます。別に翻訳ものでなくても構いません。たとえば紫式部の源氏物語全巻を読んだ人がどれくらいいるのか、ちょっと興味があります。が、源氏物語の愛読者の数はいたって少なく、こちらのほうも読まれない名著なのだそうです。全巻読むということになると、「中高の国語の先生ですらそういないはず」とロスを訪れた地方大学の文学部教授が語ってくれました。出会いがまれなのです。本屋にあふれ、図書館にあふれているわけではありません。どんな美人でも家に引っ込んでいては理想の男性に会えないのと同じことです。コンピューターも飛行機もない時代の貴公子の物語です。出会いがまれなうえに先方の話に、身を乗り出すような臨場感やスリル、心のあやを感じ取れないのです。原文で読むのはマルクスの場合と同じでちょっとしんどい。ちょっとどころか大いにしんどい。かわりに谷崎源氏、与謝野源氏、瀬戸内源氏を紐解くことになります。確かに最も美しい和文体の統一がここにあります。が、偉大な過去の定評を維持するために、むしろ読まれないまま「偉大」を誇っていたほうが「源氏物語」のためとも言えます。五十四帖の全編を読み通すには現代はあまりに忙しいのです。読まれるべきか、読まれざるべきか、それが問題だ。歌舞伎の舞台に立ってハムレットのセリフをうなるような時代錯誤に陥ってしまいますが、名著はやはり読まれなければいけません。多くの人と出会い、語り合い畏友となって尊敬されるのが名著の資格だと思います。一方、時代を超えたいいものを書いてやろうと勇んでいる人がいます。使い捨てのコマーシャリズムで動く現代において、その希望はおそらく叶えられないでしょう。その前にもっと大切な用件があります。現代は売れてなんぼの世界です。俗人が受け入れて話題を呼ぶような作品でなくてはいけません。出版社のほほえみはベストセラー作家の上に投げかけられるものです。売れることと名著であることは同じではありません。それが問題なのはハムレットのセリフの通りでしょう。現代において、売れない名著はありうるが、売れる名著というものは存在しないかもしれません。
June 17, 2005
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97.恋愛のレトリック――男は恋に死に、女は恋に生きる! 恋と咳は隠せないアメリカに住んでいる者の率直な感想です。日本に帰ってテレビをつけるたびに、がっかりさせられます。あまりの低俗さにいや気がさします。この思い、察してください。ジャリタレ、低能(バカぶっているのかもしれません)の横行、世の中を騒がせ煽ることに生きがいを覚えるテレビマン、だじゃれ、妙にわざとらしいニュースの作り。どこの何がうまいか、何が健康によいか、つまり、ああでもないこうでもないといった食い物の話。どこの温泉に混浴があるか、アナ場はどこにあるかといったろくでもない話。そこで飛び出す言葉まで大振りで、うそっぽい。超うま、激カラ、激ヤス・・・。つまり根掘り葉掘りの耳学問とバカ番組のオンパレードなのです。某テレビ局のキャッチフレーズではないが、「面白くなければテレビじゃない」。つまり、日本のテレビ局はこれらの原色で染め上げられているのです。モンゴルの有名な諺に「賢者は思想を、りこう者は世間の出来事を、俗人は食べ物を話のタネにする」というのがあります。モンゴル出身の関取でさえ日本のこの低俗ぶりに驚いているのではないか。アジアの、いや世界の先進国の名が聞いてあきれます。「いや、食欲を無視しちゃあいかんよ」と言われそうです。それも一理。アメリカのウッドロー・ウイルソン大統領(当時)はニューヨーク講演で、「空腹では隣人を愛せない」と言いました。一九一二年五月二十三日のことです。古代のペルシャ人は「人間に愛を望むべきではない。バラの花は塩田では育たないのだから」という言葉を残しています。神ならぬ人間に、完全な愛を求めること自体、間違っている。バラだって塩田じゃ花も咲かせられまいに、というのです。ここでいう愛はアガペー、神の愛です。エロス、人の恋愛のことではありません。エロスのほうに絞ります。まこと、恋とは不思議なものです。ギリシャのオウデイウスは「恋と咳は隠せない」、ドイツの諺は「恋は口を閉ざしていても語りだす」と言っています。百人一首の平兼盛の歌 忍ぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで はあまりに有名です。恋が走り出すと容易にとまらない。恋は闇、恋は盲目(日本)であり、愛欲は歯痛よりも手に負えない(フランス)のです。ため息でさえ分別を欠いてしまいます。「色っぽい学校」(一六七○年)の著者、アントワーヌ・ブレ(フランス)はこう比喩してみせました。「恋の最初のため息は、分別の最後のため息である」。恋に陥ればため息でさえ分別のきかないため息になるようですそして愛を邪魔するのはいつも嫉妬です。「婦人が二人並ぶと冷たい雰囲気になる」(シェークスピア)。フランスのニノン・ド・ランクロが「灰が火を消すように、嫉妬が愛を消す」と言えば、日本の諺は「焼きもち焼くとて手を焼くな」とだじゃれを飛ばします。ついに愛憎の戦い。「可愛さ余って憎さ百倍」(日本)に。しかしそれもやがて時が解決してくれます。「月と恋は満ちれば欠ける」(日本)の道理。旧約・伝道の書は「愛するに時があり、憎むに時がある」と喝破します。「男は恋に死に、女は恋に生きる」と言ったのはフランスのデ・ペリエでした。男はロマンチスト、女のほうがリアリストというわけです。テレビの話から愛の話へ飛躍してしまいました。
June 15, 2005
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96.巷に雨の降るごとく、わが心にも雨の降る・・・巷に雨の降るごとく、わが心にも雨の降る、このわびしさはなにものぞ・・・。知らぬ人とてないベルレーヌの詩です。間段ない雨の音はわたしたちの心をひたすら暗くするばかりです。ショパンが有名な「雨だれ」(前奏曲作品第15番変ニ長調)を書いたのは一八三八年の秋、二十八歳のときでした。恋人のジョルジュ・サンドを伴って転地療養に出かけたマジョルカ島でのことです。健康がすぐれないうえに、連日の雨で落ち込んだショパンの精神状態が曲にも反映しています。途切れなく続く伴奏の変イ音が雨だれのように聴かれます。中間部は、よりはげしく降りしきる雨の音です。わたしはブラームスをこよなく愛しますが、一曲だけ選べという難題に対してもひるむことはありません。バイオリンソナタ「雨の歌」(第一番ト長調)を挙げたいと思います。同名の歌曲(作品五九―三)の旋律をバイオリンに歌わせたもので、その美しさはもはや人間わざとも思えません。ましてまして、最終楽章の消え入るようなあの終わり方は・・・。ミュージカル映画に「雨に歌えば」というのがありました。Singing in the rain。ジーン・ケリーとドナルド・オコナーが雨の中でタップダンスを踊るシーンは圧巻でした。さすがにアメリカ映画です。題材を「雨」にとっても決して暗くなりません。片山敏彦の「真夜中の雨」を取り上げます。擬人法の連打。ベルレーヌの詩は直喩の「雨」でしたが、片山の「雨」は擬人法につぐ擬人法、それに反復法がからみます。レトリックの妙がいかんなく発揮されています。真夜なかの雨が つぶやいている、話している。黒い夜を洗ひ 梢をぬらし 軒を打ち大地の耳に 話している。遠い愛のこだまのようなもの 死とよみがへりとが語り合ふ そのさざめきのようなもの。時間の奥の 深いところに なみなみとたたえているものが真夜なかにうたひ 訴えている。空が 大きな暗さの中で ひとりごとをつぶやいて雨の涙を降らすのを真夜なかの心の灯(ひ)が聴き入って かすかに揺れる・・・
June 14, 2005
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95.僕の骨にとまっている小鳥よ、肺結核よ・・・「わたしは結核に冒された」「結核菌が肺を冒した」。前の文章が受身で書かれているのに対し、後ろの文章は能動態で、「結核菌」に人格を与えています。いわゆる擬人法です。「結核」を受身で書くと、被害者の立場を強調することになり、たちまち暗いムードが立ち込めます。表現としてもなんだか平凡で、魅力が感じられません。擬人法を使うと対等な「自」と「他」の関係が生まれます。まず自分という存在がある。もう一方に結核菌という存在があります。結核菌はこちらの肺を小鳥がくちばしでつつくように攻撃してきます。吐血!痛みが走ります。でもそれは、一人称の情緒的な痛みではありません。「結核菌」を擬人化しているために、痛みが客観化されているのです。暗いムードが排除されてしまいます。擬人法の実例として堀辰雄の詩「病」を挙げます。擬人法のほか、音律法や直喩によって、攻める「結核菌」とこれを受ける自分との戦いが、かわいた詩情をもって語られます。僕の骨にとまっている小鳥よ、肺結核よおまへがくちばしで突付くから僕の痰には血がまじるおまえが羽ばたくと僕は咳をするおまへを眠らせるために僕は吸入器をかけよう苦痛をごまかすために僕は死にからかふ犬にからかふように死は僕に噛みついて彼の頭文字を入墨しようと歯を僕の前にむき出すもうひとつ。山と夕空をこちらの目でみるのではいかにも平凡で、ダイナミックな味わいを出せません。そこで一工夫。山と夕空を擬人化したらどうでしょう。たとえばこうです。山はわたしたちを睥睨して、いたずら好きの闖入を歓迎したくない様子だった。夕空も顔を真っ赤にしてわたしたちに抗議した。
June 13, 2005
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94.ソルベーグの歌――いつ帰郷するか知れない恋人を待って彼女はとうとう老婆になってしまったぼくが、じゃ明日から来ますと答えると支配人は総金歯をにゆっとむいて笑ったので、あたりが黄金色に目映(まばゆ)く輝いた(井上ひさし「モッキンポット師の後始末」)。○ 救助隊のそりの、変わり果てた友の亡き骸をみて、胸が張り裂けるようだった。○ 「この試合に勝って決勝に進みたい」と思った。気合を入れるようにコーチが腹をこぶしでバンとなぐった。私は決死の覚悟でリングの上に立った。文学の効果を挙げるためにしばしば大げさな表現を使うことがあります。井上ひさしの描写は感覚的です。口中金歯の親父が笑うとあたりが黄金色に染まったようにひかり輝いたというのです。目に浮かぶようなタッチです。誇張法といいます。次に誇張法を用いた熟語を少し拾ってみましょう。非常に長い白髪の老人がいました。中国の古典でなら、仙人のような人物といったところでしょうか。中国人はなんでも誇張するのが好きで、李白の詠んだ「白髪三千丈」などは特に有名です。誇張法の伝統は中国人のみならず日本人にも引き継がれています。数字の「百」とか「千」は、「たくさん」「多い」の意味でしばしば使われます。滅多にない好機会のことを「千載一遇」というのはご案内の通り。千年の間に一回あるかないかのチャンスの意味です。ちょっとした仕事で、一時に巨利を得ることを「一攫千金」というのはだれでも知っています。非常に長い年月のことを「千秋」といい、「一日千秋の思い」と言えば、非常に長い年月のように一日を過ごすということで、長い長い一日のことになります。人の寿を祝するときの言葉に、「千秋万歳」というのもあります。文字通り千年万年のことです。子供でも知っているのが「千里眼」。遠くまで眼力が行き届くことで、遠方を何でも見通せる眼の意味になります。したたか者は「海千山千」。ソルベーグはいつ帰郷するか知れない恋人を待ってとうとう老婆になってしまいました。グリークの「ソルベーグの歌」はあわれな彼女の心境を歌ったものです。あてにならないものをいつまでも待つことを「百年河清を待つ」といいます。「百も承知、三百も合点」「うそ八百」「「八百万神」などは日本人の作です。「八百長」にはちょっとしたエピソードがあります。江戸時代の話です。八百屋の長兵衛さんは通称八百長と呼ばれていました。ある相撲の年寄りとよく碁を打ち、なかなかの腕なのに巧みに一勝一敗になるよう工夫したそうです。そうやって人間関係を濃密にしていったのでしょう。表面だけ真剣に勝負を争うように見せかけることで、後世、馴れ合いの意味になりました。
June 13, 2005
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93.目の宝物、耳の宝物――よい文章は目のよさ、耳のよさから生まれる・・・正確なことを書くにはどうしても目がよくなくてはいけません。きちんとしたことを書くには、物事の表面ばかりでなく物事の本質を見抜く目利きである必要があります。目のよさは結局、書き手の腕にかかわってくると思います。「目のよさ」は書き手を支えてくれますが、だからといってそれだけで名文の書き手になれるわけでもありません。名文を書く条件はある程度まで、生まれつきの「耳のよさ」にかかわるのではないかと思っています。音に敏感な人とそうでない人の差はあなどれません。音に敏感な人のことを「耳かしこい」といいます。逆に音に鈍感な人のことを「耳かたい」と言っています。音楽ではあるまいし、ものを書くのに「耳のよさ」なんて問題にするほうが間違っている、そう思う人がいても不思議ではありません。歌を歌うのでも、楽器を弾くのでもないから、物事の理解を混乱させる詭弁に過ぎないと思ったとしても、おかしくありません。しかしたとえば、繰り返される「が」という濁音に気を止めて、「が」のない文章に改めたとします。「耳のよさ」というのはつまりこういうことです。書き直す前の文章と改めた文章の間には、何らかの変化がみられるはずです。改めたあとの文章に、「が」を省いたぶん、すっきり感がくわわったはずです。その変化に気付く人は、つまり耳がよいといえます。たとえばこういうのはどうでしょう。雨傘のうえにできたこぶし大の穴は、折からの雨が激しさを増すにつれ、だんだんおおきくなり、わたしが家に着いた頃には老婆の顔ほどになっていた。ふたつの「が」を取ってしまいます。雨傘のうえにできたこぶし大の穴は、折からの激しい雨でだんだんおおきくなり、家に着いた頃には老婆の顔ほどになっていた。次は角度を変えた論点。フランスの啓蒙思想家、ヴォルテールが「哲学辞典」で書いた「目」と「耳」に関する考察の一部を写しておきます。工夫されたレトリックの効果をチェックするのも楽しいが、読書のひとつとして読むのもいいものです。われわれの目は、たとえ非常によく見えているときでも、つねにわれわれを欺いている。だが耳は欺かない。このことはおもしろいではないか。敏感な君の耳が「あなたはきれいですね、わたしはあなたを愛します」などという声を聞いたら、だれかが「君は顔が醜いから嫌いです」といわなかったことはたしかである・・・。神は君の耳には真理を、目には誤謬をいれておいたように思われる。だが、光学を学んでみたまえ。神は君を欺かなかったのだ。物体は、現在君がみているままにみえる以外には方法のないことがわかるだろう。
June 12, 2005
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92.あの紫式部が使った、平安時代のレトリック!千年前の日本人の書いたレトリックを読んでみましょう。紫式部は平安中期の女流文学者です。伝承に従えば、西暦九七八年に生まれて一○一四年に亡くなっています。享年三十六歳。彼女の書いた「源氏物語」は、千年前の作品とは思えない感覚とみずみずしさにあふれています。古文のオリジナルを読むのは骨が折れるので、どうしても現代文に直した小説家の文章でこれを鑑賞することになります。わたしは瀬戸内源氏を用いました。瀬戸内寂聴訳の「源氏物語」(講談社)は、九巻からなっています。読み進むうちに、流れるような名文の連写に感動を覚えました。たとえばこうです。愛しても愛しても、なお愛したりない思いのしたあの夕顔の君に、花に置く露よりもはかなく先だたれてしまった時の悲しさを、源氏の君はあれから歳月の過ぎた今もなお、お忘れにならないのでした(末摘花)。晩秋の淋しさのいよいよ深まっていく風の音が、身にしみて、馴れないお独り寝に、源氏の君が夜長を明かしあぐねていらっしゃるその朝ぼらけのことです(葵)。和文体の見事な情感表現です。そのうえ自然と渾然一体となったレトリックの素晴らしさは、とうてい千年前の人の表現とも思えません。流れるような文体の中に技巧を感じさせないレトリックがちりばめられています。たとえば、男の気を引こうとする、今も昔も変わらない女心のあやを列挙法で鮮やかに描いてみせます。器量も綺麗で、年頃もうら若いが、自分では少しの塵もつかぬようにと、立居振舞に気を配り、手紙を書いても、おっとりと言葉を選び、墨色を薄くぼんやりと書き、男にじれったく気を揉ませ、今度こそははっきりした返事を見たいものだと、なすすべもなく男を待たせ、ようやくかすかに声を聞けるまで親しくなっても、相変わらず息の下に声が消えてしまいそうに、言葉すくなに応答するというようなのが、なかなかうまく欠点を隠すものです(箒木)。直喩の例をふたつ。あなた方も、お心にまかせて、手折ればこぼれそうな萩の露のように、おとこの誘いを待ちのぞんでいる女とか、手に掬(すく)おうとするとすぐ消え失せそうな風情の、玉笹の上の霰(あられ)にも似た、いかにもはかなそうな、色っぽい女ばかりを面白くお思いでしょうが、まあ、七年、八年もしましたら、そのうちおわかりになりましょう(箒木)。頭の中将は、顔立ちも、心配りも、人よりはるかにすぐれていらっしゃいますけれど、源氏の君と並んでは、やはり咲き誇った桜のかたわらの、深山木(みやまぎ)のように映えません(紅葉賀)。紫式部は現代風の擬人法さえ見事に駆使してみせます。切懸(きりかけ)のような粗末な板塀に、鮮やかな青々とした蔓草(つるくさ)が気持よさそうにまつわり延びていて、白い花が自分だけさも楽しそうに、笑みこぼれて咲いています(夕顔)。
June 10, 2005
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91.漱石はレトリックで笑わせます――西郷ドンのほうは?漱石は江戸・牛込の名主の家にうまれました。落語の好きな人だったようです。イギリスから帰朝して以来ずっと神経衰弱に悩み、根はものごとを悲観的に見る傾向がありました。だからせめて落語で笑いたかったのかも知れません。ペンをとった漱石は自分が笑うだけでは済みませんでした。読者にもたくさんの笑いを提供しました。落語の影響でしょうか、あまり上等でないだじゃれも書きますが、洒脱なウイットやユーモアの中に漱石文学の真骨頂が込められているように思います。一言にウイットと言い、ユーモアと言っても中味はちょっと違います。ウイットの日本語訳は「機知」「洒落」、ユーモアのほうは「滑稽」「諧謔」とあります。これではその違いがほとんど見えてきません。ユーモアには情緒的な思いやりが込められています。人柄からにじみ出る自然の面白さです。一方のウイットには知的な匂いが漂っています。言ってみれば、鋭利な理知のひらめきのようなものです。ウイットとユーモアを区別すること自体、ナンセンスという考え方があります。表現行為を分析的に解剖してみたところで、読書の喜びが倍加するわけではありません。読書は楽しむものです。苦しむために読むのではありません。哲学者の西田幾太郎の随筆によると、正座して難解な本に挑んで自己鍛錬をしたとのことです。こういう読書の方法は西田個人に向いていても大方の人には楽しいものではありません。ハンモックやロッキングチェアに身を委ねて読む本が、愉快であればそれはそれでいいと思うのです。どうですか。漱石を読みながらいちいち「これはウイットだ」、「これはユーモアだ」と詮索したところであまり意味がない、というよりむしろ有害ではないでしょうか。そのための余分なエネルギーを使うことによって、読書の喜びを中断しかねません。読書に余分な期待をかけるべきではないと思っているのです。ウイットとユーモアを合わせ持つ漱石のレトリックをすこしばかり列挙しておきます。○ 「吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、布団をすべり落ちて縁側から飛び降りた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震いした(吾輩は猫である)○ 「おまえか、健康診断をしてもらうのは」と医者は言った。この語勢には、馬に対しても、犬に対しても、ぜひ腹の中でいうべきほどの敬意がこもっていた(坑夫)○ 「父の話し方は、笑うだけ笑えば、あとには何も残らないような気がした。そのうえ、客は笑う術をどこかで練習してきたように、うまく笑った」(行人)○ 「土なべの底は、やがて勘定を払って、ついでに下女にからかって、二階を買いきったような大きな声を出して、そうして出ていった」(野分)「土なべの底」というのはある人物の容貌を活写した表現です。土なべの底のように赤い顔をした男のことをこう言ったのです。この短文の中に、隠喩と直喩を用いています。だじゃれも飛ばします。たとえばこうです。「日の短いうえに気が短い」(明暗)、「勇ましいような、いたましいような」(行人)、「耳も八丁、目も八丁」(吾輩は猫である)・・・。晩年の漱石は天に自らをゆだね自分を虚しくする境地に入りました。「則天去私」です。そう言えば、日本人にもっとも愛される英雄のひとり、西郷隆盛にも、似たような言葉がありました。天を敬い、人を愛するのが西郷ドンのモットーでした。その気持ちを素直に「敬天愛人」という言葉にして残しています。天からみた自分の小ささを漱石も西郷も十分すぎるほど知っていました。
June 9, 2005
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90.「ジャズに狂ってたんだって?」「女狂いほどじゃないがね」柄のいい会話ではないので念のため。「ニューヨークに住んでジャズに狂っていたんだって?」「女狂いほどじゃないがね」。ジャズの始めは南北戦争(一八六一~一八六五)と関係があると聞きました。戦争が終わって廃棄処分になった兵器類やガラクタがたくさんありました。北軍の勝利で解放された黒人奴隷は自由人になったものの、「お前は自由になった。どこへでも行ってよろしい」と言われても都合のよい仕事がそう簡単に見つかるわけはありません。黒人のなかには兵器やガラクタを改造して素朴な楽器に変える者がいました。ドラムを作る者もバンジョーを作る者もいたことでしょう。それをもって歓楽街へ行き、グループで演奏したのがジャズの始まりというのです。発祥の地はニューオーリーンズ(ルイジアナ)で、初期の頃のジャズはデキシーランド・ジャズと呼ばれました。話は変わります。吾輩の尊敬する筋向の白君杯は逢ふ度毎(たびごと)に人間程不人情なものはないと言って居らるる。白君は先日玉の様な猫子を四疋(ひき)産まれたのである。所がそこの家の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ(吾輩は猫である)。遠まわしに言ったり、表現を強調したりするために、二重否定を用いることがあります。あるいは否定語を否定することがあります。このようなレトリックを緩叙法と言っています。「吾輩は猫である」の「人間程不人情なものはない」はその一例です。「人情」という語の否定語に当たる「不人情」を更に否定しています。次にいくつか例文を挙げておきます。○ その目はみっともなくはなかった。むしろ、その輝きのために利発すぎ、尊大にすぎた。○ 「未練ありげな口ぶりだねえ、彼女を愛していたんだろう?」「うん、愛していなかったと言えばウソになるな」○ 「司法試験に合格したんだって?うれしいだろう?」「うれしくないわけではない。むしろうれしさのあまり、飛び上がって叫びたいくらいだ」○ 「ねえ、社長にほめられたんだって?」「ほめられなかったわけじゃない。ガンコ親父に涙を流してよろこんでもらったさ」○ 「日本人にしては珍しいなあ。ニューヨークのハーレムでジャズに狂っていたんだって?」「ああ、女狂いほどじゃないがね」○ だれの犯行か断定はできなかったが、現場検証をした刑事には、ルパン以外の手口とはとても思えなかった。○ 彼女を悲しませたのは、在りし日の幸せな思い出と無関係ではないかもしれない。○ 「済んだことだ。見逃してやろう」。にくい男に違いなかったが、いささか同情しないでもなかった。○ 「ガンコでこうと思ったら節をまげないところ・・・。彼のそういう生き方は嫌いじゃない。いやもっと言えば好きだよ」。○ 「お前の時間はお前のものじゃない。できの悪いヤツの面倒をみるんだ!」「利口者がバカをみるとはこのことだ、全く」。
June 8, 2005
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89.文豪の深い深い悲しみとは・・・鴎外と漱石の場合日本を代表する文豪はだれかと問われたらどうしますか。だれを挙げますか。志賀直哉ですか、川端康成ですか、大江健三郎ですか。あるいは司馬遼太郎ですか。わたしならためらわずに森鴎外と夏目漱石を挙げます。森鴎外を最初に書いたのはこの人のほうが五年前に生まれたからで、他意はありません。ともに明治、大正をまたにかけて活躍しました。ともに東大を出て海外へ留学しました。鴎外の留学先はドイツ、漱石の留学先はイギリスでした。鴎外は陸軍軍医となり、軍医総監、陸軍省医務局長にまで登りつめ、合間に小説を書きました。イギリスから帰朝した漱石のほうは一高、東大で英文学を講義し、なりわいを文学一本に絞るため朝日新聞に入社しました。一言で言えば鴎外は二面的で、俗物(軍務官僚)と芸術家の顔をもっていました。漱石は高踏派と言われましたが、ひどい神経衰弱で根は悲観的でした。この二人がいみじくも明治四十四年(1911)、「欧化日本人」に関して重要な発言をしています。鴎外から始めます。 生まれてから今日まで、自分は何をしているか。始終何かに策(むち)うたれ駆られているように学問ということに齷齪(あくせく)している。 これは自分に或(あ)る働きが出来るように、自分を為上げるのだと思っている。 其(そ)の目的は幾分か達せられるかも知れない。 併(しか)し自分のしている事は、役者が部隊へ出て或(あ)る役を勤めているに過ぎないように感ぜられる。 その勤めている役の背後(うしろ)に、別の何物かが存在していなくてはならないように感ぜられる。 策(むち)うたれ駆られてばかりいる為(た)めに、その何物かが醒覚(せいかく)する暇がないように感ぜられる。 勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生というのが、皆その役である(妄想)。次は和歌山市で行った漱石の講演の一部です。 日本の現代の開花を支配している波は西洋の潮流で其(そ)の波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新しい波が寄せる度(たび)に自分が其(そ)の食客(いそうろう)をして気兼ねをしているような気持ちになる。 新しい波は兎に角、今しがた漸(ようや)くの思いで脱却した旧(ふる)い波の特質やら真相やらも弁(わきま)えるひまのないうちにもう棄てなければならなくなって仕舞った。 食膳に向かって皿の数を味わい尽くす所(どころ)か元来どんなご馳走が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新しいのを並べられたと同じ事であります。 そういう開花の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなれればなりません。又何処かに不満と不安の念を懐(いだか)かなければなりません(現代日本の開花)。二大文豪の思いは、たった今の日本にも当てはまる新鮮な現実です。鴎外の勉強は突き詰めれば、「ペーパーテスト」です。人の一生を「ペーパーテスト」だけで測るのは、後発日本の宿命的な常道で、かつ世界の非常識です。漱石の悲観は終始、西洋の借り物に右往左往しなければならない日本人のいきざまにあります。解決策は漱石にも思いつかないのです。鴎外はレトリックを用いた時期もありましたが、概してこれを避けました。レトリックを好んだのは漱石のほうでした。そのよい例が、「食膳に向かって皿の数を味わい尽くす所か元来どんなご馳走が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新しいのを並べられたと同じ事」などによく表れています。
June 7, 2005
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88.来年の今月今夜、再来年の今月今夜、僕の涙で、月を曇らしてみせる・・・小男の胸に野望の灯がともった。初めは小さな灯であったが、いったんともったものは、他人(ひと)の息で吹いても容易に消えるものではない。この場合がそうだった。熱読していた「英雄伝」(プルターク)と「君主論」(マキアベリ)に背中を押されていた。小男の胸は輝ける未来への夢と希望で、はちきれんばかりだった。小さな灯は確かな光へ変わった。いっそパリへ出て軍隊へ身を投じよう。知恵と度胸さえあれば、どこまでも偉くなれるところだ・・・。父親の引きでブリエンヌ陸軍士官学校へ入隊した。天性の、人を測るするどい目、抜群の数学力と暗記力、そしてすばしこさと要領のよさがその身を救った。下っ端の伍長は同僚をごぼう抜きにして、あっという間に少尉から大尉へ、少佐から中佐、大佐へ、そして気付いたときは20代で少将の位に就いていた。同僚はみんな自前の足で走っているのに、この戦略の天才だけは棒高跳びの棒を使うように高い壁をやすやすクリアしていた。そしてなんと、フランス皇帝の地位へ上りつめた。チビ伍長は、地上の王者「皇帝陛下」と仰がれることになったのだ。その名はナポレオン・ボナパルト・・・。小さなものから発してだんだん大きくなって極限まで大きくなるような、あるいは、微弱なものからだんだん強くなり、ついには最強の状態になるような、あるいは、平凡な状態からクライマックスへ盛り上がるような表現の仕方を漸層法と呼んでいます。萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の中から「竹」を引き抜いてお目にかけます。みごとな漸層法の好例をここにみることができます。光る地下に竹が生え、青竹が生え、地下には竹の根が生え、根がしだいにほそらみ、根の先より繊毛が生え、かすかにけぶる繊毛が生え、かすかにふるえ。かたき地面に竹が生え、地上にするどく竹が生え、まっしぐらに竹が生え、凍れる節々りんりんと、青空のもとに竹が生え、竹、竹、竹が生え。列挙法とみるべきか漸層法とみるべきか、困るような作品もあります。お宮に裏切られた貫一の怒りのセリフは、さあ、どちらに属するのでしょうか。「金色夜叉」(尾崎紅葉)のこのくだりは一応、漸層法ということにしておきましょう。「ああ、宮さんこうして二人が一処(いっしょ)に居るのも今夜限りだ。一月の十七日、宮さん、善(よ)く覚えてお置き。来年の今月今夜、貫一は何処(どこ)でこの月をみるのだか!再来年の今月今夜、十年後の今月今夜、一生を通して僕は今月今夜を忘れん。忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らしてみせるから、月が、月が、月が曇ったらば、宮さん、貫一は何処(どこ)かでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ」(岩波文庫)
June 6, 2005
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87.風のそよぎに耳を傾け、風の方向に気をくばり・・・庵の住人はぎしぎしときしむ縁側に足を組んで座り、座ったかと思うと洞窟を囲む大岩のように動こうとしなかった。風のそよぎに耳を傾け、風の方向に気をくばり、まゆにしわを寄せたかと思うと、くちびるに微笑をたたえ、ときにはその微笑のまま空を仰ぎ、姿勢を改めずにその目でなにかを求め、言葉にならない言葉をつぶやいたかと思うと、深海魚のように黙り込んだ。なんでも構いません。同格の言葉や句を次から次に羅列していくレトリックを列挙法と呼んでいます。庵に住む老人をイメージして書いてみましたが、例によって聖書に目をやると、列挙法のヤマなのです。たとえば旧約聖書の出エジプト記にでてくる「十戒」の一部はこうです。あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主がたまわる地で、あなたが長く生きるためである。あなたは殺してはならないあなたは姦淫してはならないあなたは盗んではならないあなたは隣人について偽証してはならないあなたは隣人の家をむさぼってはならない隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のもちものをむさぼってはならない・・・イスラエルの人々はエジプトに連行され、奴隷の生活を強いられました。いつまでもこの状態に甘んじることはできません。決行!エジプト脱出です。モーゼに率いられた人々はエジプトを出ますが、背後からエジプトの軍勢が追っかけてきます。うしろからエジプト軍、前方は紅海。このままエジプト軍に殺されるか、海に身を投じて溺死するか、絶体絶命とはこういう場面を言うのでしょう。ところが主に守られたモーゼが手を海の上に差し伸べると、海の水は分かれて道となります。人々がその海の道を渡りきると、モーゼがふたたび海に手を差し伸べて海の水を元にもどします。海の道を追ってきたエジプトの騎兵や歩兵はそのまま海へ投げ出され溺死してしまいます。この有名なシーンの一部を紹介しましょう。良質の列挙法がここにあります。主は馬と乗り手を海に投げ込まれた主はパロの戦車とその軍勢とを海に投げ込まれたすぐれた指揮者たちは紅海に沈んだ大水は彼らをおおい、彼らは石のように淵にくだった主よ、あなたの右の手は力をもって栄光に輝く主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕くあなたは大いなる威光をもって、あなたに立ち向かう者を打ち砕かれたあなたの鼻の息によって水は積み重なり流れは堤となって立ち大水は海のもなかに凝り固まったあなたが息を吹かれると、海は彼らをおおい彼らは鉛のように、大水の中に沈んだ・・・。
June 5, 2005
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86.ミスターK――フェアレデイーZを世界一のスポーツカーにした男もうひとつ。ミスターで思い出すのは日産自動車の片山豊さんです。アメリカでフェアレデイーZ(アメリカでの呼び名はダットサン240Z)を売りまくってミスターZと呼ばれました。ピューリッツアー賞作家ハルバースタムの「覇者の驕り」にも登場する人物です。1909年の生まれですから今年で96歳です。日産で総務部長兼広告課長をしていた片山さんは1960年、アメリカ転勤を命じられます。アメリカ車に比べて日本車の性能が著しく劣っていたころのことです。主流外にあった技術者グループと組んでフェアレデイーZを創造してアメリカに投入、1970年から96年にかけて140万台を売りさばきました。単一車種スポーツカーの売り上げで文句なしの世界記録です。スポーツカーファンの買える値段に設定しました。欧米の高級スポーツカーの三分の一という安さです。性能も日本車の悪いイメージを払拭するほどの出来栄えでした。フェアレデイーZを買えた人々は片山さんの功績をたたえてミスターKと呼び、「Zカークラブ」まで結成しました。片山さんは1960年から二十年近くアメリカの日産社長として務めました。70年代後半に社命でロサンゼルス特派員となったわたしには、超高級住宅地のパロスバーデスの片山さんの自宅に招かれて午後の半日、太平洋を一望できる高台の広大な庭で凧揚げをした思い出があります。凧揚げが趣味という片山さんに誕生日のプレゼントに凧を買って、一緒に凧揚げを楽しんだのです。当時70代の片山さんの握力は大変なものでした。30代前半のわたしがどう握り直しても力負けしました。柔和な顔の表情とは裏腹に、不屈の精神がずっしり宿っているようでした。アメリカ人は握手で人を判断すると言います。片山さんの握力と大きな手に、アメリカ人の大きな信頼が寄せられたのだと思います。アメリカの自動車殿堂に日本人として名を連ねているのはホンダの本田宗一郎さんとこの片山さんの二人だけですフェアレデイーZはアメリカではダットサン240Zと呼ばれていました。ところが1980年に変革が起こります。日産はダットサンの車名をニッサンに変更したのです。ダットサンファンは悲しみました。寄る辺(べ)を失ったダットサン240Zは、幻の車となったのです。ダットサン240Zには根強い人気があります。友人の息子は、父親の愛用していた車をわざわざ高い改造費をかけて新品同様に仕上げ、いまだに乗り回しています。前置きが長くなりました。レトリックに話題を引き戻せば、片山さんのミスターKは換喩です。片山さんの言動を代弁する記号です。ダットサンとかニッサンとかの呼び名は正式に言えば、車名というより商標なのだと思います。この商標も会社を代弁する記号と考えていいと思います。「日本は輸出の国」と表現したとします。この場合の「輸出」も換喩的表現で、日本の国情を代弁する記号の役目を果たしています。赤頭巾や山高帽のようなかぶりもの、人の作品を表すベートーベンやトルストイ、国や土地の産物を表すボルドー、ブラジル、宇治は換喩によるレトリックとなります。レトリックとしての換喩をざっと定義付ければ、原因で結果を表すもの、容器で内容を表すもの、部分で全体を現すもの、のことだそうです。換喩は取り組む価値のあるレトリックです。
June 5, 2005
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85.ミスタープロ野球――ここ一番の勝負強さ、ドジもご愛嬌の長嶋茂雄1958年、立教大学からジャイアンツに入団した長嶋は、いきなり三番打者となり、その年のホームラン王(29本)、打点王(92打点)に加えて新人王を獲得します。何をやっても独特の愛嬌があり、絵になる人だったようです。国鉄とのデビュー戦ではエースの金田正一投手の速球とカーブにタイミングが合わず4打席連続三振を食ってしまいました。バットは空を切ってかすりもしません。プロ野球の先輩、金田には「くそ、この小僧め」という意地がありました。はっきり明暗をわけた巌流島の戦いは、むろん金田の完勝でした。それでも落ち込まないのがミスター(換喩)のミスターたるゆえんです。翌年の6月25日、後楽園で行われた対阪神戦は史上初の天覧試合でした。9回裏を迎えた時点で4―4の同点、先頭バッターは長嶋です。ピッチャーは剛速球の村山実。カウント2―2からの五球目、内角高めに食い込んできたシュートをフルスイングしました。打球はライナーで左翼ポール際の上段に突き刺さります。劇的な13号サヨナラ本塁打。昭和天皇の初観戦での快挙です。このように、ここというときの勝負強さは抜群で、ファンの期待によく応えました。もっとも、既にこの世にいない村山は、死ぬが死ぬまで「あの打球はファウルだった」と悔しがりました。わたしも生前の村山がテレビで問われるままに、「長島さんの打球はファウルでしたよ」とぼやいているのを耳にしました。「うっかり長さん」のエピソードも神話になっています。デビューした年の9月19日、広島戦の第三打席でピッチャーの鵜狩道旺から右中間席へ本塁打を放ちました。シーズン第28号の本塁打となるはずでした。ところが前代未聞のドジをやらかします。一塁ベースを踏まずにホームインしてしまったのです。一塁手、藤井弘のアピールによってアウトになり、記録上はピッチャーゴロとなりました。ほかにもあります。二塁ベースを踏まなかったことが三回、前のランナーを追い抜いたことが一回、さらに敬遠球に食らいついてヒットにしたことが三回、しかもそのヒットのうちの2本はなんと本塁打(ランニングホームランを含む)、あとの一本は二塁打でした。現役引退して監督になってもその人気は衰えるどころか高まる一方で、いつの間にか、ミスタージャイアンツはミスタープロ野球へと格上げされていました。野球ファンは天才とドジの相半ばする長嶋の言動を愛しています。その親愛をこめた尊敬の念が、ファンをしてミスターと呼ばしめたようです。ミスタープロ野球はだれでも耳にする換喩型愛称の代表と言えます。もっとも、長嶋にミスタープロ野球の愛称を冠したのはファンではありません。長嶋を換喩にする必要があったのはむしろジャーナリズムのほうです。新聞、雑誌なら、部数を増やすのが仕事ですし、テレビならコマーシャルをとるため、人気者を追って視聴率を伸ばそうとします。ミスターという愛称は長嶋を表すレトリックです。野球に縁のない主婦ですら、ミスターと聞けば長嶋を連想するほどです。繰り返しますが、ミスターは長嶋の言動を換喩で表現したものです。作者はジャーナリズムです。長嶋の一つ一つの言動を全体像として集約するとき、ミスターという愛称を思いついたのです。ジャーナリズムは長嶋の商品化に成功しました。
June 3, 2005
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84.ゴジラ(松井秀喜)と宇宙人(新庄剛志)――あだ名の由来ニューヨーク・ヤンキースで活躍している松井秀喜選手が、読売ジャイアンツに入団したときのことです。松井を一目みるなり監督の長嶋茂雄さんは「ゴジラのような男だな」と側近に語ったそうです。にきび面をみたときの初印象を言ったものでしょう。その後、松井は期待どおりの大活躍で、ジャイアンツのみならず日本球界を代表するプレーヤーへと成長します。長嶋さんの一言は松井のあだ名として定着しました。しかしあだ名としてのゴジラが、松井のパーソナルな面までカバーしているわけではありません。日ごろから彼と接触機会の多いスポーツライターによると、とても温かくて気配りのある人物で、ゴジラのもつ粗暴なイメージとはかけ離れているそうです。あだ名に対する思い入れは、状況に応じて変化します。今では、破壊力のある打撃を怪獣・ゴジラにたとえた愛称と考えたほうが、より実態に合っていると思います。日本ハムの新庄剛志選手は異色の人物で、松井と同じ大リーグを経験していながら、場外活躍ばかり目立ちます。ファッション雑誌にダンデイーな洋装で登場したかと思うと、ハリウッドの特殊メイクに作らせたかぶり物で、メデイアの話題をさらったりします。宇宙人というあだ名がついているそうですが、新しい型のプレーヤーであることは間違いありません。ここで松井のゴジラと新庄の宇宙人について考えてみたいと思います。ゴジラと宇宙人は同じ次元のあだ名でしょうか。どうも違うのではないかと思います。ゴジラというのは、長嶋さんが松井の顔をみたときの「印象」を象徴化したものです。長島さんの主観が言わしめたものといってもいいと思います。いわばアナログです。新庄のほうは奇抜なことばかりやってのけます。本職の野球のことより、どうしたらメデイアのアテンションをとれるか、そのことばかり考えているように思えます。あだ名の宇宙人には地球人と違うという思いがまずあって、だから何を考えているのかわからない。とすれば、常識はずれのことをしても笑い飛ばして、ともに楽しもうという気分にさせてしまいます。だから宇宙人というのは新庄の言動を凝縮し、抽象化したあだ名と言えます。いわばデジタルの世界です。宇宙人は新庄につけられた「記号」と考えたらもっとわかりやすいのではないでしょうか。大きく分けると、あだ名には隠喩型と換喩型とがあるようです。長島さんの口から出た「印象」が象徴化されたゴジラは、隠喩型に属します。メデイアが作り上げた新庄の宇宙人は、新庄の言動を抽象化した「記号」ですから、換喩型に属します。ゴジラと同類の呼び名は赤ひげ(医者)、黒ひげ(海賊)、白雪姫、足長おじさん・・・。宇宙人と同列なのはたとえば宇治。「宇治をすすりながら閑談した」というときの宇治は宇治茶のことです。宇治が宇治茶の記号になっているのです。「ショパンを聴いていた」「シェークスピアは面白い」。新庄の宇宙人と同じ表現の仕方です。ショパンという人物を聴いていたわけではありません。ショパンの具体的な作品(たとえば、雨だれとか別れの曲とか)をひっくるめて抽象的にいっているわけです。佐藤信夫さんの「レトリック感覚」では、赤頭巾をこの範疇に入れて説明してありました。いつも赤頭巾をかぶっている女の子を記号化したものです。言われてみればもっともで、赤頭巾への思い入れはたくさんあるのに、わたしたちは少女の名前を知りません。彼女の名前よりも、赤頭巾という記号が物語を引っ張っていく効果がより重要なので、作者の意図もそこにあるのだと思います。
June 2, 2005
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83.あなたがたは地の塩、世の光・・・見事なイエスのアレゴリー心に渇きを覚えると、本に向かいます。今朝は「マタイによる福音書」を開いていました。心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。イエスが山に登って、やおら口を開き、教えられました。示された教えは十項目で、これは一番目にあたります。世に名高い「山上の垂訓」です。深い内容を、レトリックをもって伝えています。下手な解説で余白をよごしてはいけないと思います。極端なことを言えば、「山上の垂訓」とモーゼの「十戒」の教えを伝えるために、プロテスタントの牧師とカトリックの神父は存在しているようなものです。こざかしい説明は誤解を招きましょう。興味が沸けばぜひ良質の解説書をひもといてください。イエスの言葉はシンボリズムの結晶です。太陽や雨、へびや鳩をシンボルのまな板に載せ、正しい行いや貴いものを「地の塩」、「世の光」、「太陽」などと言っています。このように、直接いわずにシンボルをもって伝える手法は、寓喩(アレゴリー)と呼ばれているようです。あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。・・・あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい(マタイ5-13)。旧約の「出エジプト記」には「目には目を、歯には歯を」という有名な対句があります。イエスの口からはこういう言葉が吐き出されます。体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう(マタイ6-22)。イタリア民謡、「わが太陽」(オーソレミオ)における「太陽」は、恋人のシンボル化です。「ちまたに雨の降るごとく、わが心にも雨の降る」、こう詠ったベルレーヌの心は、悲しみにうち沈んでいました。雨は悲しみのシンボル化です。イエスは言います。その口から出る「太陽」はポジテイブのシンボル化で、かけがいのないもの、希望、幸いなどを指しているようです。雨はまさに「慈雨」、耕作者にはかけがえのないものです。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださるからである(マタイ5-43~45)。聖書における「へび」には二面性があり、イブを誘惑した旧約「創世記」の「へび」は邪悪のシンボルで、イエスにおける新約の「へび」は賢さの象徴です。わたしはあなたがたを遣(つか)わす。それは、狼(おおかみ)の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、へびのように賢く、鳩のように素直になりなさい(マタイ10-16)。新約はこのマタイをはじめ、マルコもルカもヨハネもレトリックであふれています。今回の作業が何よりの証拠です。マタイの数ページを読むだけで、寓喩(アレゴリー)の数例を楽々拾うことができました。
June 2, 2005
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