全100件 (100件中 1-50件目)
100.わたしは報道記者としてこんなことを考えて仕事をしましたあなたの人生は短いと思います。80歳の寿命は二万九千二百日のことです。今35歳の人には一万六千四百二十五日しか残されていません。残された寿命の中で何をしなければならないか。四十年近く前に大学を出て通信社に職を得ました。配属先は内政部でした。余命を数えるにはあまりに未熟者でした。この部の機能は官僚(中央官庁)の仕事(国内政策)をカバーする部分と、自社の84支社局を統括する部分とに分かれていました。三年の地方勤務を終えて東京に復帰すると、部長と次長に「どこを担当したいか」と聞かれたので、「通産省か農林省を希望する」と答えました。経済で世界が廻っていると強く感じていたので、あえて経済官庁の記者クラブに所属して勉強しながら自分の成長を期そうと考えたのです。希望は叶えられました。二十代で通産省(今の経産省)を担当することになりました。田中角栄さんが通産大臣から首相になった年のことで、後任には中曽根康弘さんが五階の大臣室に納まりました。大臣室のあるこの階だけは赤じゅうたんを敷き詰め、私たちの仕事場である記者クラブもこの五階にありました。官僚の発表ニュースは経済部の別の記者がフォローしてくれます。官僚の作文を記事にするという因果な退屈さにかかわらずに済みました。これは幸いなことでした。わたしは庁内を歩いて官僚の仕事振りをチェックしながら、「これは」と目をつけたキャリア官僚のもとに通って出し渋る話を細かく聞き、タイミングを見極めて記事を書きました。独自の取材で書く記事ですから、わたし以外の他社の記者が同じ記事を書くことはあり得ません。その意味では、わたしの書いたものはかなり特別扱いされました。新聞社、テレビ局に配信される記事はいつも言わば特種の形をとっていますから、大きく報じられるのが当たり前でした。そのうちに、やがて手中にした巨大ニュース源の協力で大スクープをものにしました。ロサンゼルス特派員に任じられたのもこのスクープがあったからだと思います。私はある程度自分を知っているつもりです。360度いっぱいに目配りのできるタイプではありません。贔屓目にみてもせいぜい90度の視野しかなく、社会部の記者なら落第の印を押されることでしょう。短所を長所にする道はひとつです。自分の視野に入ってくるものをできるだけ深く調べ、その因果関係を突き止めることです。物事には、表面的にみえるものと違う側面が必ずあるはずだと考えました。その部分を闇から引っ張り出して世に問うことにしたのです。仮に、通産省が主要都市の排気ガスの実態を調べることにしたとします。来年度の予算に調査費を計上するというのです。ニュースになります。排気ガスの害は今に始まったことではありません。だからこう考えるべきなのです。なぜこの時期に公害調査をすることにしたのか。どのような方法で調査をするのか。そして調査で知った結果をどう活かそうと思っているのか。官庁を担当している記者なら、さらにもうひとつの「なぜ」を問わなければなりません。公害は環境庁の縄張りのはずです。それをあえて通産省がやろうというのはどういう料簡なのだろう。そう考えるべきなのです。これらの疑問を解くためにいろんな人と会います。責任者の官僚のほか、環境庁の官僚、公害委員会に所属する国会議員、公害企業の二、三に当たってみるのです。一つの結論に達します。その結論を持って第三者の立ち場にある学者などの意見を聞きます。そして記事を書きます。官僚の問題ではなく広く国民の問題として考えてもらいたいからです。2月下旬から始めたこの書き込み、今回で100回を数えることになりました。とりあえず「文章講座」はこのぐらいにして別のテーマで出直したいと思います。読者の方々にはあつくお礼を申し上げます。
June 18, 2005
コメント(90)
99.野の笑いをあとにして風景は坂道をよじ上る・・・擬人法の、マシュマロのような現代詩をよむのはポジテイブな、心はずむ瞬間です。三富朽葉の「山の木木の中で」の一部から。枝のようにわが思いの揺れるとき。野の笑いをあとにして風景は坂道をよじ上る。言うまでもなく、擬人の冴えは最後の二行「野の笑い」「風景は坂道をよじ上る」に凝縮されています。この躍動感は擬人法をもってはじめて可能です。村野四郎の「市民広場」の一部から。時々雲たちがビルデイングのかげから出てきて遊びやがて遠い田園の不明朗な山へかくれてゆく広場「ビルデイングのかげから出てきて遊び」「不明瞭な山へかくれてゆく広場」に擬人法が巧みに活かされています。「不明朗な山?」立ち止まってしばし、その意味を考えます。次は三木露風の「去りゆく五月の詩」の一部から。「風の歩み」と「去りゆく優しき五月のうしろかげを」の擬人化、その品のよさ・・・。作者の人柄さえしのばれます。折ふしの音なき花の散りかひ。風の歩み、静かなる午後の光に、去りゆく優しき五月のうしろかげを。谷川俊太郎の「空の嘘」の一部から。全編、擬人法の連打です。空は飛行機の舞台。飛行機を操縦する人間が空を傷つけると、やさしい翼の鳥たちがいやしてくれます。空は飛行機のためにあるのではない。鳥のためにあるのです。飛行機はまるで空をはずかしめようとするかのように空の背中までもあばいてゆくそして空のすべてを見た時に人は空を殺してしまうのだ飛行機が空を切って傷つけたあとを鳥がそのやさしい翼でいやしている鳥は空の嘘を知らないしかしそれ故にこそ空は鳥のためにある
June 17, 2005
コメント(0)
98.読まれない名著よ、お前はどこをさまようのか?人を知るには出会いが要ります。しかしただ出会いがあるだけでは親しくなれません。その人の人柄に触れ、惹かれるものをそこに見出すまで会話をしなければなりません。その長いプロセスの中でやっと畏友に巡り会えます。 読書にも同じことが言えます。世には読まれない名著というものがたくさん存在します。たとえばマルクスの「資本論」です。この本を最後まで読んだ人がどれくらいいるか知りませんが、数少ないのは事実のようです。友人の一人にドイツ語の達人がいます。かつて、ドイツ語の原書で「資本論」を読み始めたところ、延々と続くマルクス節に辟易して、途中で読書を放棄してしまいました。マルクスの延々たる話し振りに付き合う用意が、彼にはありませんでした。彼の好みにマルクスが合わなかったとみえます。もちろん日本語訳のほうも覗いてみましたが、驚いたことに、日本語で読むほうを一段と難しく感じたそうです。ドイツ語で読むのと違って難解をきわめ、マルクスの言わんとすることをほとんどクリアに理解できませんでした。欧米語を日本語にするときの限界のようなものがほのみえます。別に翻訳ものでなくても構いません。たとえば紫式部の源氏物語全巻を読んだ人がどれくらいいるのか、ちょっと興味があります。が、源氏物語の愛読者の数はいたって少なく、こちらのほうも読まれない名著なのだそうです。全巻読むということになると、「中高の国語の先生ですらそういないはず」とロスを訪れた地方大学の文学部教授が語ってくれました。出会いがまれなのです。本屋にあふれ、図書館にあふれているわけではありません。どんな美人でも家に引っ込んでいては理想の男性に会えないのと同じことです。コンピューターも飛行機もない時代の貴公子の物語です。出会いがまれなうえに先方の話に、身を乗り出すような臨場感やスリル、心のあやを感じ取れないのです。原文で読むのはマルクスの場合と同じでちょっとしんどい。ちょっとどころか大いにしんどい。かわりに谷崎源氏、与謝野源氏、瀬戸内源氏を紐解くことになります。確かに最も美しい和文体の統一がここにあります。が、偉大な過去の定評を維持するために、むしろ読まれないまま「偉大」を誇っていたほうが「源氏物語」のためとも言えます。五十四帖の全編を読み通すには現代はあまりに忙しいのです。読まれるべきか、読まれざるべきか、それが問題だ。歌舞伎の舞台に立ってハムレットのセリフをうなるような時代錯誤に陥ってしまいますが、名著はやはり読まれなければいけません。多くの人と出会い、語り合い畏友となって尊敬されるのが名著の資格だと思います。一方、時代を超えたいいものを書いてやろうと勇んでいる人がいます。使い捨てのコマーシャリズムで動く現代において、その希望はおそらく叶えられないでしょう。その前にもっと大切な用件があります。現代は売れてなんぼの世界です。俗人が受け入れて話題を呼ぶような作品でなくてはいけません。出版社のほほえみはベストセラー作家の上に投げかけられるものです。売れることと名著であることは同じではありません。それが問題なのはハムレットのセリフの通りでしょう。現代において、売れない名著はありうるが、売れる名著というものは存在しないかもしれません。
June 17, 2005
コメント(0)
97.恋愛のレトリック――男は恋に死に、女は恋に生きる! 恋と咳は隠せないアメリカに住んでいる者の率直な感想です。日本に帰ってテレビをつけるたびに、がっかりさせられます。あまりの低俗さにいや気がさします。この思い、察してください。ジャリタレ、低能(バカぶっているのかもしれません)の横行、世の中を騒がせ煽ることに生きがいを覚えるテレビマン、だじゃれ、妙にわざとらしいニュースの作り。どこの何がうまいか、何が健康によいか、つまり、ああでもないこうでもないといった食い物の話。どこの温泉に混浴があるか、アナ場はどこにあるかといったろくでもない話。そこで飛び出す言葉まで大振りで、うそっぽい。超うま、激カラ、激ヤス・・・。つまり根掘り葉掘りの耳学問とバカ番組のオンパレードなのです。某テレビ局のキャッチフレーズではないが、「面白くなければテレビじゃない」。つまり、日本のテレビ局はこれらの原色で染め上げられているのです。モンゴルの有名な諺に「賢者は思想を、りこう者は世間の出来事を、俗人は食べ物を話のタネにする」というのがあります。モンゴル出身の関取でさえ日本のこの低俗ぶりに驚いているのではないか。アジアの、いや世界の先進国の名が聞いてあきれます。「いや、食欲を無視しちゃあいかんよ」と言われそうです。それも一理。アメリカのウッドロー・ウイルソン大統領(当時)はニューヨーク講演で、「空腹では隣人を愛せない」と言いました。一九一二年五月二十三日のことです。古代のペルシャ人は「人間に愛を望むべきではない。バラの花は塩田では育たないのだから」という言葉を残しています。神ならぬ人間に、完全な愛を求めること自体、間違っている。バラだって塩田じゃ花も咲かせられまいに、というのです。ここでいう愛はアガペー、神の愛です。エロス、人の恋愛のことではありません。エロスのほうに絞ります。まこと、恋とは不思議なものです。ギリシャのオウデイウスは「恋と咳は隠せない」、ドイツの諺は「恋は口を閉ざしていても語りだす」と言っています。百人一首の平兼盛の歌 忍ぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで はあまりに有名です。恋が走り出すと容易にとまらない。恋は闇、恋は盲目(日本)であり、愛欲は歯痛よりも手に負えない(フランス)のです。ため息でさえ分別を欠いてしまいます。「色っぽい学校」(一六七○年)の著者、アントワーヌ・ブレ(フランス)はこう比喩してみせました。「恋の最初のため息は、分別の最後のため息である」。恋に陥ればため息でさえ分別のきかないため息になるようですそして愛を邪魔するのはいつも嫉妬です。「婦人が二人並ぶと冷たい雰囲気になる」(シェークスピア)。フランスのニノン・ド・ランクロが「灰が火を消すように、嫉妬が愛を消す」と言えば、日本の諺は「焼きもち焼くとて手を焼くな」とだじゃれを飛ばします。ついに愛憎の戦い。「可愛さ余って憎さ百倍」(日本)に。しかしそれもやがて時が解決してくれます。「月と恋は満ちれば欠ける」(日本)の道理。旧約・伝道の書は「愛するに時があり、憎むに時がある」と喝破します。「男は恋に死に、女は恋に生きる」と言ったのはフランスのデ・ペリエでした。男はロマンチスト、女のほうがリアリストというわけです。テレビの話から愛の話へ飛躍してしまいました。
June 15, 2005
コメント(1)
96.巷に雨の降るごとく、わが心にも雨の降る・・・巷に雨の降るごとく、わが心にも雨の降る、このわびしさはなにものぞ・・・。知らぬ人とてないベルレーヌの詩です。間段ない雨の音はわたしたちの心をひたすら暗くするばかりです。ショパンが有名な「雨だれ」(前奏曲作品第15番変ニ長調)を書いたのは一八三八年の秋、二十八歳のときでした。恋人のジョルジュ・サンドを伴って転地療養に出かけたマジョルカ島でのことです。健康がすぐれないうえに、連日の雨で落ち込んだショパンの精神状態が曲にも反映しています。途切れなく続く伴奏の変イ音が雨だれのように聴かれます。中間部は、よりはげしく降りしきる雨の音です。わたしはブラームスをこよなく愛しますが、一曲だけ選べという難題に対してもひるむことはありません。バイオリンソナタ「雨の歌」(第一番ト長調)を挙げたいと思います。同名の歌曲(作品五九―三)の旋律をバイオリンに歌わせたもので、その美しさはもはや人間わざとも思えません。ましてまして、最終楽章の消え入るようなあの終わり方は・・・。ミュージカル映画に「雨に歌えば」というのがありました。Singing in the rain。ジーン・ケリーとドナルド・オコナーが雨の中でタップダンスを踊るシーンは圧巻でした。さすがにアメリカ映画です。題材を「雨」にとっても決して暗くなりません。片山敏彦の「真夜中の雨」を取り上げます。擬人法の連打。ベルレーヌの詩は直喩の「雨」でしたが、片山の「雨」は擬人法につぐ擬人法、それに反復法がからみます。レトリックの妙がいかんなく発揮されています。真夜なかの雨が つぶやいている、話している。黒い夜を洗ひ 梢をぬらし 軒を打ち大地の耳に 話している。遠い愛のこだまのようなもの 死とよみがへりとが語り合ふ そのさざめきのようなもの。時間の奥の 深いところに なみなみとたたえているものが真夜なかにうたひ 訴えている。空が 大きな暗さの中で ひとりごとをつぶやいて雨の涙を降らすのを真夜なかの心の灯(ひ)が聴き入って かすかに揺れる・・・
June 14, 2005
コメント(0)
95.僕の骨にとまっている小鳥よ、肺結核よ・・・「わたしは結核に冒された」「結核菌が肺を冒した」。前の文章が受身で書かれているのに対し、後ろの文章は能動態で、「結核菌」に人格を与えています。いわゆる擬人法です。「結核」を受身で書くと、被害者の立場を強調することになり、たちまち暗いムードが立ち込めます。表現としてもなんだか平凡で、魅力が感じられません。擬人法を使うと対等な「自」と「他」の関係が生まれます。まず自分という存在がある。もう一方に結核菌という存在があります。結核菌はこちらの肺を小鳥がくちばしでつつくように攻撃してきます。吐血!痛みが走ります。でもそれは、一人称の情緒的な痛みではありません。「結核菌」を擬人化しているために、痛みが客観化されているのです。暗いムードが排除されてしまいます。擬人法の実例として堀辰雄の詩「病」を挙げます。擬人法のほか、音律法や直喩によって、攻める「結核菌」とこれを受ける自分との戦いが、かわいた詩情をもって語られます。僕の骨にとまっている小鳥よ、肺結核よおまへがくちばしで突付くから僕の痰には血がまじるおまえが羽ばたくと僕は咳をするおまへを眠らせるために僕は吸入器をかけよう苦痛をごまかすために僕は死にからかふ犬にからかふように死は僕に噛みついて彼の頭文字を入墨しようと歯を僕の前にむき出すもうひとつ。山と夕空をこちらの目でみるのではいかにも平凡で、ダイナミックな味わいを出せません。そこで一工夫。山と夕空を擬人化したらどうでしょう。たとえばこうです。山はわたしたちを睥睨して、いたずら好きの闖入を歓迎したくない様子だった。夕空も顔を真っ赤にしてわたしたちに抗議した。
June 13, 2005
コメント(0)
94.ソルベーグの歌――いつ帰郷するか知れない恋人を待って彼女はとうとう老婆になってしまったぼくが、じゃ明日から来ますと答えると支配人は総金歯をにゆっとむいて笑ったので、あたりが黄金色に目映(まばゆ)く輝いた(井上ひさし「モッキンポット師の後始末」)。○ 救助隊のそりの、変わり果てた友の亡き骸をみて、胸が張り裂けるようだった。○ 「この試合に勝って決勝に進みたい」と思った。気合を入れるようにコーチが腹をこぶしでバンとなぐった。私は決死の覚悟でリングの上に立った。文学の効果を挙げるためにしばしば大げさな表現を使うことがあります。井上ひさしの描写は感覚的です。口中金歯の親父が笑うとあたりが黄金色に染まったようにひかり輝いたというのです。目に浮かぶようなタッチです。誇張法といいます。次に誇張法を用いた熟語を少し拾ってみましょう。非常に長い白髪の老人がいました。中国の古典でなら、仙人のような人物といったところでしょうか。中国人はなんでも誇張するのが好きで、李白の詠んだ「白髪三千丈」などは特に有名です。誇張法の伝統は中国人のみならず日本人にも引き継がれています。数字の「百」とか「千」は、「たくさん」「多い」の意味でしばしば使われます。滅多にない好機会のことを「千載一遇」というのはご案内の通り。千年の間に一回あるかないかのチャンスの意味です。ちょっとした仕事で、一時に巨利を得ることを「一攫千金」というのはだれでも知っています。非常に長い年月のことを「千秋」といい、「一日千秋の思い」と言えば、非常に長い年月のように一日を過ごすということで、長い長い一日のことになります。人の寿を祝するときの言葉に、「千秋万歳」というのもあります。文字通り千年万年のことです。子供でも知っているのが「千里眼」。遠くまで眼力が行き届くことで、遠方を何でも見通せる眼の意味になります。したたか者は「海千山千」。ソルベーグはいつ帰郷するか知れない恋人を待ってとうとう老婆になってしまいました。グリークの「ソルベーグの歌」はあわれな彼女の心境を歌ったものです。あてにならないものをいつまでも待つことを「百年河清を待つ」といいます。「百も承知、三百も合点」「うそ八百」「「八百万神」などは日本人の作です。「八百長」にはちょっとしたエピソードがあります。江戸時代の話です。八百屋の長兵衛さんは通称八百長と呼ばれていました。ある相撲の年寄りとよく碁を打ち、なかなかの腕なのに巧みに一勝一敗になるよう工夫したそうです。そうやって人間関係を濃密にしていったのでしょう。表面だけ真剣に勝負を争うように見せかけることで、後世、馴れ合いの意味になりました。
June 13, 2005
コメント(0)
93.目の宝物、耳の宝物――よい文章は目のよさ、耳のよさから生まれる・・・正確なことを書くにはどうしても目がよくなくてはいけません。きちんとしたことを書くには、物事の表面ばかりでなく物事の本質を見抜く目利きである必要があります。目のよさは結局、書き手の腕にかかわってくると思います。「目のよさ」は書き手を支えてくれますが、だからといってそれだけで名文の書き手になれるわけでもありません。名文を書く条件はある程度まで、生まれつきの「耳のよさ」にかかわるのではないかと思っています。音に敏感な人とそうでない人の差はあなどれません。音に敏感な人のことを「耳かしこい」といいます。逆に音に鈍感な人のことを「耳かたい」と言っています。音楽ではあるまいし、ものを書くのに「耳のよさ」なんて問題にするほうが間違っている、そう思う人がいても不思議ではありません。歌を歌うのでも、楽器を弾くのでもないから、物事の理解を混乱させる詭弁に過ぎないと思ったとしても、おかしくありません。しかしたとえば、繰り返される「が」という濁音に気を止めて、「が」のない文章に改めたとします。「耳のよさ」というのはつまりこういうことです。書き直す前の文章と改めた文章の間には、何らかの変化がみられるはずです。改めたあとの文章に、「が」を省いたぶん、すっきり感がくわわったはずです。その変化に気付く人は、つまり耳がよいといえます。たとえばこういうのはどうでしょう。雨傘のうえにできたこぶし大の穴は、折からの雨が激しさを増すにつれ、だんだんおおきくなり、わたしが家に着いた頃には老婆の顔ほどになっていた。ふたつの「が」を取ってしまいます。雨傘のうえにできたこぶし大の穴は、折からの激しい雨でだんだんおおきくなり、家に着いた頃には老婆の顔ほどになっていた。次は角度を変えた論点。フランスの啓蒙思想家、ヴォルテールが「哲学辞典」で書いた「目」と「耳」に関する考察の一部を写しておきます。工夫されたレトリックの効果をチェックするのも楽しいが、読書のひとつとして読むのもいいものです。われわれの目は、たとえ非常によく見えているときでも、つねにわれわれを欺いている。だが耳は欺かない。このことはおもしろいではないか。敏感な君の耳が「あなたはきれいですね、わたしはあなたを愛します」などという声を聞いたら、だれかが「君は顔が醜いから嫌いです」といわなかったことはたしかである・・・。神は君の耳には真理を、目には誤謬をいれておいたように思われる。だが、光学を学んでみたまえ。神は君を欺かなかったのだ。物体は、現在君がみているままにみえる以外には方法のないことがわかるだろう。
June 12, 2005
コメント(1)
92.あの紫式部が使った、平安時代のレトリック!千年前の日本人の書いたレトリックを読んでみましょう。紫式部は平安中期の女流文学者です。伝承に従えば、西暦九七八年に生まれて一○一四年に亡くなっています。享年三十六歳。彼女の書いた「源氏物語」は、千年前の作品とは思えない感覚とみずみずしさにあふれています。古文のオリジナルを読むのは骨が折れるので、どうしても現代文に直した小説家の文章でこれを鑑賞することになります。わたしは瀬戸内源氏を用いました。瀬戸内寂聴訳の「源氏物語」(講談社)は、九巻からなっています。読み進むうちに、流れるような名文の連写に感動を覚えました。たとえばこうです。愛しても愛しても、なお愛したりない思いのしたあの夕顔の君に、花に置く露よりもはかなく先だたれてしまった時の悲しさを、源氏の君はあれから歳月の過ぎた今もなお、お忘れにならないのでした(末摘花)。晩秋の淋しさのいよいよ深まっていく風の音が、身にしみて、馴れないお独り寝に、源氏の君が夜長を明かしあぐねていらっしゃるその朝ぼらけのことです(葵)。和文体の見事な情感表現です。そのうえ自然と渾然一体となったレトリックの素晴らしさは、とうてい千年前の人の表現とも思えません。流れるような文体の中に技巧を感じさせないレトリックがちりばめられています。たとえば、男の気を引こうとする、今も昔も変わらない女心のあやを列挙法で鮮やかに描いてみせます。器量も綺麗で、年頃もうら若いが、自分では少しの塵もつかぬようにと、立居振舞に気を配り、手紙を書いても、おっとりと言葉を選び、墨色を薄くぼんやりと書き、男にじれったく気を揉ませ、今度こそははっきりした返事を見たいものだと、なすすべもなく男を待たせ、ようやくかすかに声を聞けるまで親しくなっても、相変わらず息の下に声が消えてしまいそうに、言葉すくなに応答するというようなのが、なかなかうまく欠点を隠すものです(箒木)。直喩の例をふたつ。あなた方も、お心にまかせて、手折ればこぼれそうな萩の露のように、おとこの誘いを待ちのぞんでいる女とか、手に掬(すく)おうとするとすぐ消え失せそうな風情の、玉笹の上の霰(あられ)にも似た、いかにもはかなそうな、色っぽい女ばかりを面白くお思いでしょうが、まあ、七年、八年もしましたら、そのうちおわかりになりましょう(箒木)。頭の中将は、顔立ちも、心配りも、人よりはるかにすぐれていらっしゃいますけれど、源氏の君と並んでは、やはり咲き誇った桜のかたわらの、深山木(みやまぎ)のように映えません(紅葉賀)。紫式部は現代風の擬人法さえ見事に駆使してみせます。切懸(きりかけ)のような粗末な板塀に、鮮やかな青々とした蔓草(つるくさ)が気持よさそうにまつわり延びていて、白い花が自分だけさも楽しそうに、笑みこぼれて咲いています(夕顔)。
June 10, 2005
コメント(2)
91.漱石はレトリックで笑わせます――西郷ドンのほうは?漱石は江戸・牛込の名主の家にうまれました。落語の好きな人だったようです。イギリスから帰朝して以来ずっと神経衰弱に悩み、根はものごとを悲観的に見る傾向がありました。だからせめて落語で笑いたかったのかも知れません。ペンをとった漱石は自分が笑うだけでは済みませんでした。読者にもたくさんの笑いを提供しました。落語の影響でしょうか、あまり上等でないだじゃれも書きますが、洒脱なウイットやユーモアの中に漱石文学の真骨頂が込められているように思います。一言にウイットと言い、ユーモアと言っても中味はちょっと違います。ウイットの日本語訳は「機知」「洒落」、ユーモアのほうは「滑稽」「諧謔」とあります。これではその違いがほとんど見えてきません。ユーモアには情緒的な思いやりが込められています。人柄からにじみ出る自然の面白さです。一方のウイットには知的な匂いが漂っています。言ってみれば、鋭利な理知のひらめきのようなものです。ウイットとユーモアを区別すること自体、ナンセンスという考え方があります。表現行為を分析的に解剖してみたところで、読書の喜びが倍加するわけではありません。読書は楽しむものです。苦しむために読むのではありません。哲学者の西田幾太郎の随筆によると、正座して難解な本に挑んで自己鍛錬をしたとのことです。こういう読書の方法は西田個人に向いていても大方の人には楽しいものではありません。ハンモックやロッキングチェアに身を委ねて読む本が、愉快であればそれはそれでいいと思うのです。どうですか。漱石を読みながらいちいち「これはウイットだ」、「これはユーモアだ」と詮索したところであまり意味がない、というよりむしろ有害ではないでしょうか。そのための余分なエネルギーを使うことによって、読書の喜びを中断しかねません。読書に余分な期待をかけるべきではないと思っているのです。ウイットとユーモアを合わせ持つ漱石のレトリックをすこしばかり列挙しておきます。○ 「吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、布団をすべり落ちて縁側から飛び降りた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震いした(吾輩は猫である)○ 「おまえか、健康診断をしてもらうのは」と医者は言った。この語勢には、馬に対しても、犬に対しても、ぜひ腹の中でいうべきほどの敬意がこもっていた(坑夫)○ 「父の話し方は、笑うだけ笑えば、あとには何も残らないような気がした。そのうえ、客は笑う術をどこかで練習してきたように、うまく笑った」(行人)○ 「土なべの底は、やがて勘定を払って、ついでに下女にからかって、二階を買いきったような大きな声を出して、そうして出ていった」(野分)「土なべの底」というのはある人物の容貌を活写した表現です。土なべの底のように赤い顔をした男のことをこう言ったのです。この短文の中に、隠喩と直喩を用いています。だじゃれも飛ばします。たとえばこうです。「日の短いうえに気が短い」(明暗)、「勇ましいような、いたましいような」(行人)、「耳も八丁、目も八丁」(吾輩は猫である)・・・。晩年の漱石は天に自らをゆだね自分を虚しくする境地に入りました。「則天去私」です。そう言えば、日本人にもっとも愛される英雄のひとり、西郷隆盛にも、似たような言葉がありました。天を敬い、人を愛するのが西郷ドンのモットーでした。その気持ちを素直に「敬天愛人」という言葉にして残しています。天からみた自分の小ささを漱石も西郷も十分すぎるほど知っていました。
June 9, 2005
コメント(2)
90.「ジャズに狂ってたんだって?」「女狂いほどじゃないがね」柄のいい会話ではないので念のため。「ニューヨークに住んでジャズに狂っていたんだって?」「女狂いほどじゃないがね」。ジャズの始めは南北戦争(一八六一~一八六五)と関係があると聞きました。戦争が終わって廃棄処分になった兵器類やガラクタがたくさんありました。北軍の勝利で解放された黒人奴隷は自由人になったものの、「お前は自由になった。どこへでも行ってよろしい」と言われても都合のよい仕事がそう簡単に見つかるわけはありません。黒人のなかには兵器やガラクタを改造して素朴な楽器に変える者がいました。ドラムを作る者もバンジョーを作る者もいたことでしょう。それをもって歓楽街へ行き、グループで演奏したのがジャズの始まりというのです。発祥の地はニューオーリーンズ(ルイジアナ)で、初期の頃のジャズはデキシーランド・ジャズと呼ばれました。話は変わります。吾輩の尊敬する筋向の白君杯は逢ふ度毎(たびごと)に人間程不人情なものはないと言って居らるる。白君は先日玉の様な猫子を四疋(ひき)産まれたのである。所がそこの家の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ(吾輩は猫である)。遠まわしに言ったり、表現を強調したりするために、二重否定を用いることがあります。あるいは否定語を否定することがあります。このようなレトリックを緩叙法と言っています。「吾輩は猫である」の「人間程不人情なものはない」はその一例です。「人情」という語の否定語に当たる「不人情」を更に否定しています。次にいくつか例文を挙げておきます。○ その目はみっともなくはなかった。むしろ、その輝きのために利発すぎ、尊大にすぎた。○ 「未練ありげな口ぶりだねえ、彼女を愛していたんだろう?」「うん、愛していなかったと言えばウソになるな」○ 「司法試験に合格したんだって?うれしいだろう?」「うれしくないわけではない。むしろうれしさのあまり、飛び上がって叫びたいくらいだ」○ 「ねえ、社長にほめられたんだって?」「ほめられなかったわけじゃない。ガンコ親父に涙を流してよろこんでもらったさ」○ 「日本人にしては珍しいなあ。ニューヨークのハーレムでジャズに狂っていたんだって?」「ああ、女狂いほどじゃないがね」○ だれの犯行か断定はできなかったが、現場検証をした刑事には、ルパン以外の手口とはとても思えなかった。○ 彼女を悲しませたのは、在りし日の幸せな思い出と無関係ではないかもしれない。○ 「済んだことだ。見逃してやろう」。にくい男に違いなかったが、いささか同情しないでもなかった。○ 「ガンコでこうと思ったら節をまげないところ・・・。彼のそういう生き方は嫌いじゃない。いやもっと言えば好きだよ」。○ 「お前の時間はお前のものじゃない。できの悪いヤツの面倒をみるんだ!」「利口者がバカをみるとはこのことだ、全く」。
June 8, 2005
コメント(0)
89.文豪の深い深い悲しみとは・・・鴎外と漱石の場合日本を代表する文豪はだれかと問われたらどうしますか。だれを挙げますか。志賀直哉ですか、川端康成ですか、大江健三郎ですか。あるいは司馬遼太郎ですか。わたしならためらわずに森鴎外と夏目漱石を挙げます。森鴎外を最初に書いたのはこの人のほうが五年前に生まれたからで、他意はありません。ともに明治、大正をまたにかけて活躍しました。ともに東大を出て海外へ留学しました。鴎外の留学先はドイツ、漱石の留学先はイギリスでした。鴎外は陸軍軍医となり、軍医総監、陸軍省医務局長にまで登りつめ、合間に小説を書きました。イギリスから帰朝した漱石のほうは一高、東大で英文学を講義し、なりわいを文学一本に絞るため朝日新聞に入社しました。一言で言えば鴎外は二面的で、俗物(軍務官僚)と芸術家の顔をもっていました。漱石は高踏派と言われましたが、ひどい神経衰弱で根は悲観的でした。この二人がいみじくも明治四十四年(1911)、「欧化日本人」に関して重要な発言をしています。鴎外から始めます。 生まれてから今日まで、自分は何をしているか。始終何かに策(むち)うたれ駆られているように学問ということに齷齪(あくせく)している。 これは自分に或(あ)る働きが出来るように、自分を為上げるのだと思っている。 其(そ)の目的は幾分か達せられるかも知れない。 併(しか)し自分のしている事は、役者が部隊へ出て或(あ)る役を勤めているに過ぎないように感ぜられる。 その勤めている役の背後(うしろ)に、別の何物かが存在していなくてはならないように感ぜられる。 策(むち)うたれ駆られてばかりいる為(た)めに、その何物かが醒覚(せいかく)する暇がないように感ぜられる。 勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生というのが、皆その役である(妄想)。次は和歌山市で行った漱石の講演の一部です。 日本の現代の開花を支配している波は西洋の潮流で其(そ)の波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新しい波が寄せる度(たび)に自分が其(そ)の食客(いそうろう)をして気兼ねをしているような気持ちになる。 新しい波は兎に角、今しがた漸(ようや)くの思いで脱却した旧(ふる)い波の特質やら真相やらも弁(わきま)えるひまのないうちにもう棄てなければならなくなって仕舞った。 食膳に向かって皿の数を味わい尽くす所(どころ)か元来どんなご馳走が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新しいのを並べられたと同じ事であります。 そういう開花の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなれればなりません。又何処かに不満と不安の念を懐(いだか)かなければなりません(現代日本の開花)。二大文豪の思いは、たった今の日本にも当てはまる新鮮な現実です。鴎外の勉強は突き詰めれば、「ペーパーテスト」です。人の一生を「ペーパーテスト」だけで測るのは、後発日本の宿命的な常道で、かつ世界の非常識です。漱石の悲観は終始、西洋の借り物に右往左往しなければならない日本人のいきざまにあります。解決策は漱石にも思いつかないのです。鴎外はレトリックを用いた時期もありましたが、概してこれを避けました。レトリックを好んだのは漱石のほうでした。そのよい例が、「食膳に向かって皿の数を味わい尽くす所か元来どんなご馳走が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新しいのを並べられたと同じ事」などによく表れています。
June 7, 2005
コメント(1)
88.来年の今月今夜、再来年の今月今夜、僕の涙で、月を曇らしてみせる・・・小男の胸に野望の灯がともった。初めは小さな灯であったが、いったんともったものは、他人(ひと)の息で吹いても容易に消えるものではない。この場合がそうだった。熱読していた「英雄伝」(プルターク)と「君主論」(マキアベリ)に背中を押されていた。小男の胸は輝ける未来への夢と希望で、はちきれんばかりだった。小さな灯は確かな光へ変わった。いっそパリへ出て軍隊へ身を投じよう。知恵と度胸さえあれば、どこまでも偉くなれるところだ・・・。父親の引きでブリエンヌ陸軍士官学校へ入隊した。天性の、人を測るするどい目、抜群の数学力と暗記力、そしてすばしこさと要領のよさがその身を救った。下っ端の伍長は同僚をごぼう抜きにして、あっという間に少尉から大尉へ、少佐から中佐、大佐へ、そして気付いたときは20代で少将の位に就いていた。同僚はみんな自前の足で走っているのに、この戦略の天才だけは棒高跳びの棒を使うように高い壁をやすやすクリアしていた。そしてなんと、フランス皇帝の地位へ上りつめた。チビ伍長は、地上の王者「皇帝陛下」と仰がれることになったのだ。その名はナポレオン・ボナパルト・・・。小さなものから発してだんだん大きくなって極限まで大きくなるような、あるいは、微弱なものからだんだん強くなり、ついには最強の状態になるような、あるいは、平凡な状態からクライマックスへ盛り上がるような表現の仕方を漸層法と呼んでいます。萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の中から「竹」を引き抜いてお目にかけます。みごとな漸層法の好例をここにみることができます。光る地下に竹が生え、青竹が生え、地下には竹の根が生え、根がしだいにほそらみ、根の先より繊毛が生え、かすかにけぶる繊毛が生え、かすかにふるえ。かたき地面に竹が生え、地上にするどく竹が生え、まっしぐらに竹が生え、凍れる節々りんりんと、青空のもとに竹が生え、竹、竹、竹が生え。列挙法とみるべきか漸層法とみるべきか、困るような作品もあります。お宮に裏切られた貫一の怒りのセリフは、さあ、どちらに属するのでしょうか。「金色夜叉」(尾崎紅葉)のこのくだりは一応、漸層法ということにしておきましょう。「ああ、宮さんこうして二人が一処(いっしょ)に居るのも今夜限りだ。一月の十七日、宮さん、善(よ)く覚えてお置き。来年の今月今夜、貫一は何処(どこ)でこの月をみるのだか!再来年の今月今夜、十年後の今月今夜、一生を通して僕は今月今夜を忘れん。忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らしてみせるから、月が、月が、月が曇ったらば、宮さん、貫一は何処(どこ)かでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ」(岩波文庫)
June 6, 2005
コメント(1)
87.風のそよぎに耳を傾け、風の方向に気をくばり・・・庵の住人はぎしぎしときしむ縁側に足を組んで座り、座ったかと思うと洞窟を囲む大岩のように動こうとしなかった。風のそよぎに耳を傾け、風の方向に気をくばり、まゆにしわを寄せたかと思うと、くちびるに微笑をたたえ、ときにはその微笑のまま空を仰ぎ、姿勢を改めずにその目でなにかを求め、言葉にならない言葉をつぶやいたかと思うと、深海魚のように黙り込んだ。なんでも構いません。同格の言葉や句を次から次に羅列していくレトリックを列挙法と呼んでいます。庵に住む老人をイメージして書いてみましたが、例によって聖書に目をやると、列挙法のヤマなのです。たとえば旧約聖書の出エジプト記にでてくる「十戒」の一部はこうです。あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主がたまわる地で、あなたが長く生きるためである。あなたは殺してはならないあなたは姦淫してはならないあなたは盗んではならないあなたは隣人について偽証してはならないあなたは隣人の家をむさぼってはならない隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のもちものをむさぼってはならない・・・イスラエルの人々はエジプトに連行され、奴隷の生活を強いられました。いつまでもこの状態に甘んじることはできません。決行!エジプト脱出です。モーゼに率いられた人々はエジプトを出ますが、背後からエジプトの軍勢が追っかけてきます。うしろからエジプト軍、前方は紅海。このままエジプト軍に殺されるか、海に身を投じて溺死するか、絶体絶命とはこういう場面を言うのでしょう。ところが主に守られたモーゼが手を海の上に差し伸べると、海の水は分かれて道となります。人々がその海の道を渡りきると、モーゼがふたたび海に手を差し伸べて海の水を元にもどします。海の道を追ってきたエジプトの騎兵や歩兵はそのまま海へ投げ出され溺死してしまいます。この有名なシーンの一部を紹介しましょう。良質の列挙法がここにあります。主は馬と乗り手を海に投げ込まれた主はパロの戦車とその軍勢とを海に投げ込まれたすぐれた指揮者たちは紅海に沈んだ大水は彼らをおおい、彼らは石のように淵にくだった主よ、あなたの右の手は力をもって栄光に輝く主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕くあなたは大いなる威光をもって、あなたに立ち向かう者を打ち砕かれたあなたの鼻の息によって水は積み重なり流れは堤となって立ち大水は海のもなかに凝り固まったあなたが息を吹かれると、海は彼らをおおい彼らは鉛のように、大水の中に沈んだ・・・。
June 5, 2005
コメント(0)
86.ミスターK――フェアレデイーZを世界一のスポーツカーにした男もうひとつ。ミスターで思い出すのは日産自動車の片山豊さんです。アメリカでフェアレデイーZ(アメリカでの呼び名はダットサン240Z)を売りまくってミスターZと呼ばれました。ピューリッツアー賞作家ハルバースタムの「覇者の驕り」にも登場する人物です。1909年の生まれですから今年で96歳です。日産で総務部長兼広告課長をしていた片山さんは1960年、アメリカ転勤を命じられます。アメリカ車に比べて日本車の性能が著しく劣っていたころのことです。主流外にあった技術者グループと組んでフェアレデイーZを創造してアメリカに投入、1970年から96年にかけて140万台を売りさばきました。単一車種スポーツカーの売り上げで文句なしの世界記録です。スポーツカーファンの買える値段に設定しました。欧米の高級スポーツカーの三分の一という安さです。性能も日本車の悪いイメージを払拭するほどの出来栄えでした。フェアレデイーZを買えた人々は片山さんの功績をたたえてミスターKと呼び、「Zカークラブ」まで結成しました。片山さんは1960年から二十年近くアメリカの日産社長として務めました。70年代後半に社命でロサンゼルス特派員となったわたしには、超高級住宅地のパロスバーデスの片山さんの自宅に招かれて午後の半日、太平洋を一望できる高台の広大な庭で凧揚げをした思い出があります。凧揚げが趣味という片山さんに誕生日のプレゼントに凧を買って、一緒に凧揚げを楽しんだのです。当時70代の片山さんの握力は大変なものでした。30代前半のわたしがどう握り直しても力負けしました。柔和な顔の表情とは裏腹に、不屈の精神がずっしり宿っているようでした。アメリカ人は握手で人を判断すると言います。片山さんの握力と大きな手に、アメリカ人の大きな信頼が寄せられたのだと思います。アメリカの自動車殿堂に日本人として名を連ねているのはホンダの本田宗一郎さんとこの片山さんの二人だけですフェアレデイーZはアメリカではダットサン240Zと呼ばれていました。ところが1980年に変革が起こります。日産はダットサンの車名をニッサンに変更したのです。ダットサンファンは悲しみました。寄る辺(べ)を失ったダットサン240Zは、幻の車となったのです。ダットサン240Zには根強い人気があります。友人の息子は、父親の愛用していた車をわざわざ高い改造費をかけて新品同様に仕上げ、いまだに乗り回しています。前置きが長くなりました。レトリックに話題を引き戻せば、片山さんのミスターKは換喩です。片山さんの言動を代弁する記号です。ダットサンとかニッサンとかの呼び名は正式に言えば、車名というより商標なのだと思います。この商標も会社を代弁する記号と考えていいと思います。「日本は輸出の国」と表現したとします。この場合の「輸出」も換喩的表現で、日本の国情を代弁する記号の役目を果たしています。赤頭巾や山高帽のようなかぶりもの、人の作品を表すベートーベンやトルストイ、国や土地の産物を表すボルドー、ブラジル、宇治は換喩によるレトリックとなります。レトリックとしての換喩をざっと定義付ければ、原因で結果を表すもの、容器で内容を表すもの、部分で全体を現すもの、のことだそうです。換喩は取り組む価値のあるレトリックです。
June 5, 2005
コメント(1)
85.ミスタープロ野球――ここ一番の勝負強さ、ドジもご愛嬌の長嶋茂雄1958年、立教大学からジャイアンツに入団した長嶋は、いきなり三番打者となり、その年のホームラン王(29本)、打点王(92打点)に加えて新人王を獲得します。何をやっても独特の愛嬌があり、絵になる人だったようです。国鉄とのデビュー戦ではエースの金田正一投手の速球とカーブにタイミングが合わず4打席連続三振を食ってしまいました。バットは空を切ってかすりもしません。プロ野球の先輩、金田には「くそ、この小僧め」という意地がありました。はっきり明暗をわけた巌流島の戦いは、むろん金田の完勝でした。それでも落ち込まないのがミスター(換喩)のミスターたるゆえんです。翌年の6月25日、後楽園で行われた対阪神戦は史上初の天覧試合でした。9回裏を迎えた時点で4―4の同点、先頭バッターは長嶋です。ピッチャーは剛速球の村山実。カウント2―2からの五球目、内角高めに食い込んできたシュートをフルスイングしました。打球はライナーで左翼ポール際の上段に突き刺さります。劇的な13号サヨナラ本塁打。昭和天皇の初観戦での快挙です。このように、ここというときの勝負強さは抜群で、ファンの期待によく応えました。もっとも、既にこの世にいない村山は、死ぬが死ぬまで「あの打球はファウルだった」と悔しがりました。わたしも生前の村山がテレビで問われるままに、「長島さんの打球はファウルでしたよ」とぼやいているのを耳にしました。「うっかり長さん」のエピソードも神話になっています。デビューした年の9月19日、広島戦の第三打席でピッチャーの鵜狩道旺から右中間席へ本塁打を放ちました。シーズン第28号の本塁打となるはずでした。ところが前代未聞のドジをやらかします。一塁ベースを踏まずにホームインしてしまったのです。一塁手、藤井弘のアピールによってアウトになり、記録上はピッチャーゴロとなりました。ほかにもあります。二塁ベースを踏まなかったことが三回、前のランナーを追い抜いたことが一回、さらに敬遠球に食らいついてヒットにしたことが三回、しかもそのヒットのうちの2本はなんと本塁打(ランニングホームランを含む)、あとの一本は二塁打でした。現役引退して監督になってもその人気は衰えるどころか高まる一方で、いつの間にか、ミスタージャイアンツはミスタープロ野球へと格上げされていました。野球ファンは天才とドジの相半ばする長嶋の言動を愛しています。その親愛をこめた尊敬の念が、ファンをしてミスターと呼ばしめたようです。ミスタープロ野球はだれでも耳にする換喩型愛称の代表と言えます。もっとも、長嶋にミスタープロ野球の愛称を冠したのはファンではありません。長嶋を換喩にする必要があったのはむしろジャーナリズムのほうです。新聞、雑誌なら、部数を増やすのが仕事ですし、テレビならコマーシャルをとるため、人気者を追って視聴率を伸ばそうとします。ミスターという愛称は長嶋を表すレトリックです。野球に縁のない主婦ですら、ミスターと聞けば長嶋を連想するほどです。繰り返しますが、ミスターは長嶋の言動を換喩で表現したものです。作者はジャーナリズムです。長嶋の一つ一つの言動を全体像として集約するとき、ミスターという愛称を思いついたのです。ジャーナリズムは長嶋の商品化に成功しました。
June 3, 2005
コメント(0)
84.ゴジラ(松井秀喜)と宇宙人(新庄剛志)――あだ名の由来ニューヨーク・ヤンキースで活躍している松井秀喜選手が、読売ジャイアンツに入団したときのことです。松井を一目みるなり監督の長嶋茂雄さんは「ゴジラのような男だな」と側近に語ったそうです。にきび面をみたときの初印象を言ったものでしょう。その後、松井は期待どおりの大活躍で、ジャイアンツのみならず日本球界を代表するプレーヤーへと成長します。長嶋さんの一言は松井のあだ名として定着しました。しかしあだ名としてのゴジラが、松井のパーソナルな面までカバーしているわけではありません。日ごろから彼と接触機会の多いスポーツライターによると、とても温かくて気配りのある人物で、ゴジラのもつ粗暴なイメージとはかけ離れているそうです。あだ名に対する思い入れは、状況に応じて変化します。今では、破壊力のある打撃を怪獣・ゴジラにたとえた愛称と考えたほうが、より実態に合っていると思います。日本ハムの新庄剛志選手は異色の人物で、松井と同じ大リーグを経験していながら、場外活躍ばかり目立ちます。ファッション雑誌にダンデイーな洋装で登場したかと思うと、ハリウッドの特殊メイクに作らせたかぶり物で、メデイアの話題をさらったりします。宇宙人というあだ名がついているそうですが、新しい型のプレーヤーであることは間違いありません。ここで松井のゴジラと新庄の宇宙人について考えてみたいと思います。ゴジラと宇宙人は同じ次元のあだ名でしょうか。どうも違うのではないかと思います。ゴジラというのは、長嶋さんが松井の顔をみたときの「印象」を象徴化したものです。長島さんの主観が言わしめたものといってもいいと思います。いわばアナログです。新庄のほうは奇抜なことばかりやってのけます。本職の野球のことより、どうしたらメデイアのアテンションをとれるか、そのことばかり考えているように思えます。あだ名の宇宙人には地球人と違うという思いがまずあって、だから何を考えているのかわからない。とすれば、常識はずれのことをしても笑い飛ばして、ともに楽しもうという気分にさせてしまいます。だから宇宙人というのは新庄の言動を凝縮し、抽象化したあだ名と言えます。いわばデジタルの世界です。宇宙人は新庄につけられた「記号」と考えたらもっとわかりやすいのではないでしょうか。大きく分けると、あだ名には隠喩型と換喩型とがあるようです。長島さんの口から出た「印象」が象徴化されたゴジラは、隠喩型に属します。メデイアが作り上げた新庄の宇宙人は、新庄の言動を抽象化した「記号」ですから、換喩型に属します。ゴジラと同類の呼び名は赤ひげ(医者)、黒ひげ(海賊)、白雪姫、足長おじさん・・・。宇宙人と同列なのはたとえば宇治。「宇治をすすりながら閑談した」というときの宇治は宇治茶のことです。宇治が宇治茶の記号になっているのです。「ショパンを聴いていた」「シェークスピアは面白い」。新庄の宇宙人と同じ表現の仕方です。ショパンという人物を聴いていたわけではありません。ショパンの具体的な作品(たとえば、雨だれとか別れの曲とか)をひっくるめて抽象的にいっているわけです。佐藤信夫さんの「レトリック感覚」では、赤頭巾をこの範疇に入れて説明してありました。いつも赤頭巾をかぶっている女の子を記号化したものです。言われてみればもっともで、赤頭巾への思い入れはたくさんあるのに、わたしたちは少女の名前を知りません。彼女の名前よりも、赤頭巾という記号が物語を引っ張っていく効果がより重要なので、作者の意図もそこにあるのだと思います。
June 2, 2005
コメント(0)
83.あなたがたは地の塩、世の光・・・見事なイエスのアレゴリー心に渇きを覚えると、本に向かいます。今朝は「マタイによる福音書」を開いていました。心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。イエスが山に登って、やおら口を開き、教えられました。示された教えは十項目で、これは一番目にあたります。世に名高い「山上の垂訓」です。深い内容を、レトリックをもって伝えています。下手な解説で余白をよごしてはいけないと思います。極端なことを言えば、「山上の垂訓」とモーゼの「十戒」の教えを伝えるために、プロテスタントの牧師とカトリックの神父は存在しているようなものです。こざかしい説明は誤解を招きましょう。興味が沸けばぜひ良質の解説書をひもといてください。イエスの言葉はシンボリズムの結晶です。太陽や雨、へびや鳩をシンボルのまな板に載せ、正しい行いや貴いものを「地の塩」、「世の光」、「太陽」などと言っています。このように、直接いわずにシンボルをもって伝える手法は、寓喩(アレゴリー)と呼ばれているようです。あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。・・・あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい(マタイ5-13)。旧約の「出エジプト記」には「目には目を、歯には歯を」という有名な対句があります。イエスの口からはこういう言葉が吐き出されます。体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう(マタイ6-22)。イタリア民謡、「わが太陽」(オーソレミオ)における「太陽」は、恋人のシンボル化です。「ちまたに雨の降るごとく、わが心にも雨の降る」、こう詠ったベルレーヌの心は、悲しみにうち沈んでいました。雨は悲しみのシンボル化です。イエスは言います。その口から出る「太陽」はポジテイブのシンボル化で、かけがいのないもの、希望、幸いなどを指しているようです。雨はまさに「慈雨」、耕作者にはかけがえのないものです。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださるからである(マタイ5-43~45)。聖書における「へび」には二面性があり、イブを誘惑した旧約「創世記」の「へび」は邪悪のシンボルで、イエスにおける新約の「へび」は賢さの象徴です。わたしはあなたがたを遣(つか)わす。それは、狼(おおかみ)の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、へびのように賢く、鳩のように素直になりなさい(マタイ10-16)。新約はこのマタイをはじめ、マルコもルカもヨハネもレトリックであふれています。今回の作業が何よりの証拠です。マタイの数ページを読むだけで、寓喩(アレゴリー)の数例を楽々拾うことができました。
June 2, 2005
コメント(0)
82.いろはにほへと――色は空(くう)、空の空、いっさいは空――経典のレトリック「いろは歌」は平安中期の作と考えられています。だれの作かはっきりしませんが、作者を弘法大師とする俗説もあるようです。日本人ならだれでも知っている「いろは歌」ですが、それは平がな書きでの、ぼんやりとした認識のはずです。漢字を充てるとその意味まではっきりしてきます。色は匂へど 散りぬるを 我が世、誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず冒頭に出てくる「色」は何を指しているのでしょう。「色は匂うけれど散ってしまう・・・」と言っているから、花なのでしょうか。「色」に対する反応なら、小さな子供は純粋に赤や緑の色を思い浮かべるでしょう。血気盛んな男なら、必ずしもそうではなく、色気や男女関係のほうを想像するかもしれません。般若心経(なんにゃしんぎょう)には「色即是空」「空即是色」とあります。シャープな隠喩ですが、この「色」はまさに、色気や男女関係といった煩悩のことかとつい思ってしまいます。女の色なんて虚しいもの、実体のないもの、だから迷わされてはいけないという教えかと、思い込んでしまいます。もちろんその解釈も当たっていないわけではないけれど、般若心経の言う「色」はそれよりもっと広く深いようです。この目でみえるもの、この目のとらえる事象のすべてを、「色」と言っているようなのです。目の捉えるものはいっさい実体のないものだ。そういうことですから、色気もその一つということになるのでしょう。隠喩と対句の逆転が見事な冴えをみせています。「色即是空」の前提に、「五蘊皆空」(ごうんかいくう)という言葉があります。「五蘊」(ごうん)は五感のことです。見ることも、聞くことも、味わうことも、触れることも、匂いを嗅ぐことも、ことごとく実体のないものだという教えです。だから「色」は五感の一つとして「色即是空」だというのです。聖書はレトリックの宝庫と言われています。イエスの喩(たと)えはほとんど、豊富なレトリックを駆使した記録の連続です。直喩、隠喩、擬人、対句、対照、警句、設疑・・・何でもありです。そして、それはイエスの活躍する新約聖書にかぎりません。ヤーヴェ神とイスラエル人の契約の記録である旧約聖書においても、たっぷり使われています。美しいレトリックはそれだけ神の言葉にふさわしいのかもしれません。旧約で「色即是空」の思想に最も近いのは、「伝道の書」でしょう。その虚無思想はジュデオ・クリスチャニテイー(ユダヤ・キリスト教)の中ではむしろ異端に属しますが、ポイントを突いています。十二世紀ペルシャの詩人オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」も虚無思想という一点で「伝道の書」と類似の文学でしょう。ゆっくりと、対句、隠喩、反復、擬人の、技の展示を鑑賞してください。空の空、空の空、いっさいは空である。日の下に人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。世は去り、世は来たる。しかし、地は永遠に変わらない。日はいで日は没し、そのでたところに急ぎ行く。風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐるところに帰る。川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきたところにまた帰って行く。すべてのことは人をうみ疲れさせる。人はこれを言い尽くすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない(旧約聖書「伝道の書」の冒頭部分)。
May 31, 2005
コメント(0)
81.濡らしたハンカチのような影――安部公房の直喩のことなど○ 牛のように耐えてきた妻は、どしゃぶりの雨傘をひったくるように夫をののしった。○ 正義の味方にみえたその教師は、豆腐のような決断、なまこのような怠惰、みぞを外れたドアのような頑固さで生徒の期待を裏切った。○ 小柄な医師に促されて大男の加州山は、ソーセージのような唇から明太子のような舌をがっと突き出した。○ 彼女はアイスクリームのような白衣を着て、赤焼きの瓦のように黙りこくっていた。冒頭でレトリックの名人、安部公房の筆致をちょっと真似てみました。意図的にやったことではなく、ショパンにおけるエチュード(練習曲)のようなものです。人の意表をつく筆致で、表現が斬新で、比喩に妥当性がなくてはならない――。これは直喩を採るときの心構えだそうです。安部公房のレトリックは注意深く読まなければ、ややもすると意図するイメージを追いきれません。くるりくるりと回転する直喩の饒舌は、まるでマジシャンの杖のようです。ふいに、ひんやりと、濡らしたハンカチのような影がおちた(砂の女)海には、鈍く、アルマイトの鍍金がかかり、沸かしたミルクの皮のように小じわをよせていた。食用蛙の卵のような雲に、おしつぶされ、太陽は、溺れるのをいやがってだだをこねているようだ(砂の女)しめっぽいぼたん雪は、まるで飯粒のように、ところかまわずベタベタとはりつくので、十メートルごとに立ちどまって、こびりついた雪をかき落とさなければならない(飢餓同盟)彼女はひびの入った茶碗を箸でうつような声で笑ったが、それさえぼくには、たまらなく美しく思われるのでした(飢餓同盟)やがて焼きたての腸詰のような唇があらわれると、その唇は、規定量をはるかに越えた笑いのために、思いっきりねじ曲げられるのだった(他人の顔)ラフマニノフのピアノ・コンチェルトの2番を聴きながら書いています。ほどほどのボリュームで名曲を聴くと筆が進むタイプなのです。名作「銭形平次捕り物控」三百八十三編を書いた野村胡堂もかつて、似たようなことをその随筆で語っていました。胡堂さんの場合、シューベルトの「冬の旅」を聴くとよろしいそうです。イギリスの詩人、ポープのもの静かな直喩を聴きながらこの稿を閉じたいと思います。音楽は詩に似ている。いかなる方法も教えてくれないし、巨匠の手のみが達しうるような、名状すべからざる優雅さが、そのおのおのの中にある。
May 30, 2005
コメント(0)
80.鎮守の森が騒いでいた――擬人法のことなど○ 折からの強い風で鎮守の森が騒いでいた。○ 沖から立ち上がった白波が、どす黒い巨岩に向かって吠えたてた。○ ポンコツの蒸気機関車は乗客を腹いっぱい詰め込んでいた。急勾配になると息を弾ませながらのろのろ登っていった。○ 朝日が山の端(は)からにょっこり顔を出した。言うまでもなく擬人法の練習です。人でないものの言動を、人であるかのごとく表現する手法のことです。現代詩の中からひろってみましょう。「雪崩の楽章」の坂本明子は詠います。「ああ、欲情の魚が育ち 青い妊(みご)もりの腹をみせてふたたび源に帰る日を私は怖れる」。「欲情の魚が育ち 青い任もりの腹」に工夫がみられます。「花火」を詠った深尾須磨子のレトリックは最後の一行でまさに、花火のような輝きをみせます。擬人法の冴えです。暗い夜空の束の間を かがやくお前の美しさ お前が強く光る時 刹那と永遠とが手を握る。春山行夫の「ALBUM」は透明な爽快感、まるで春風のよう。露台から見える 黄薔薇。 とほってゆく 少女。 遊んでいる 小鳥。 白い雲のしたで 話しごえ。 微風かしら パイプのけむり。「微風かしら」は春山の声?それとも少女の問いかけ?そして、「パイプのけむり」へつなぐ絶妙のタイミング。再び深尾須磨子。渡欧三回。フルートの名人、マルセル・モイーズに師事したこともある変わった経歴の人、レトリックの名手です。「私は若かった」からその一部。その頃私は 若さの容器だった。幸福の容器だった。私を愛するものの容器だった。甘い涙の容器だった。ただ死とのみやりとりの出来る はげしい快楽の容器だった。私のすべては いつもエジプトの女王の 血の容器だった。そして私に一番縁遠いもの、それは冷たい涙と老とだった。みたび深尾須磨子。「牧穫祭」からその一部。匂うリンゴよ 香ばしい地球よ みのりの歌をのせて お前がまわる 悠久の このひととき空につづく夕べの窓 ランプを点(とも)してあなたを呼べば何万光年のかなたから 星がおりてくる「何万光年のかなたから 星がおりてくる」。この一行は擬人法の傑作でしょう。「山本太郎詩集」の「旅」の一部から。擬人法の連続技の面白さ。父親は画家の山本鼎(かなえ)。旅は さすがに 戦慄の あらゆる食卓であった えんじゅの木陰のじつに泥質の茶店に腰かけ 顔をとりはずして 積年の汗をふく街道は かげろう 小童たちの 手足や胴が バラバラになって光のなかを泳いでゆく
May 29, 2005
コメント(0)
79.人生はながいながい、ひとつのため息である――メタフォアとシミリーの冴え新しい発見です。偉人のレトリックにはよく隠喩(メタフォア)が用いられています。短く、するどく切り込む手法が好まれるのでしょう。たとえば、女スパイのすばしこい眼の配りを表すときに「彼女の眼は猫だった」とやって、「彼女の眼はまるで猫のようだった」とは言わないのです。偉人のレトリックで人生を眺めたらどういうことになるか。学ぶにたる類例がここにいくつかあります。甘っちょろい議論の通用しない現実を指摘して、鉄鋼王のカーネギーは「人生はいつまでも学校の討論会ではない」と言います。天才俳優、チャプリンの感想はもっと具体的で正直です。人生は欲望だ、意味などどうでもいい。すべての生き物の目的は欲望なのだ。それぞれ欲望があるから、バラはバラらしく花を咲かせたがるし、岩は岩らしくありたいと思って頑張っているんだ。最盛期の東映の社長だった大川博はやり直しのきかない人生の舞台表をこう表現しています。人生は、リハーサルなし、待ったなしの一回こっきりの本番である。不安や危険には眼をつぶって僥倖(ぎょうこう)だけをたよりに冒険するのはじつに愚かしい。この世の中、思ったとおりにいかないことがしばしばで、つい頭を抱えてしまいます。哲学者のショペンハウエルはその状態をみて「人生は不満と退屈との間を行き来する時計の振り子だ」と喝破します。凡人は「所詮、わたしは振り子」とつぶやくだけです。「人生とは、くたびれていくひとつの長い過程である」という抒情のこもった諦観は、英国の作家、バトラーのものです。それがドイツの作家、ジャン・パウルになるとさらに詩情を増して、「人生は息をひきとる前の、ながいながい、ひとつの吐息である」となります。昔読んだ本の中の、アインシュタインのレトリックを思い出しました。確かめようがないのですが、おおよそこういうふうでした。人間は制限付きの時間を背負って、惑星のひとつである地球を訪れた霊長動物にすぎない。隠喩(メタフォア)のつぎに愛されるのは直喩(シミリー)でしょう。「~のようだ」「~に似ている」といったレトリックです。最初に徳川家康の言葉と伝えられる有名な文章を紹介しましょう。最初の一行に直喩(シミリー)を使っています。偽作の匂いの強いものですが、含蓄のある教訓がちりばめられています。人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望み起こらば困窮したるときを思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基(もとい)、怒りは敵と思へ。勝つことばかりを知りて負くることを知らざれば、害その身に至る。おのれを責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより優れり。そこへいくと芥川龍之介のレトリックはずっと軽快で、家康のような押し付けがましさはありません。「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である」。中世の日本の武士が好んだ幸若舞の「敦盛」も、直喩(シミリー)を使っています。人生わずか五十年 下天のうちに比ぶれば 夢まぼろしのごとくなり ひとたび生をうけ 滅びぬ者のあるべきか下天(けてん)はもともと化天と書いたそうです。大欲天のひとつ。地上から数えて五番目の天を指すそうです。「敦盛」は織田信長の愛した語り舞踊としてよく知られています。桶狭間(おけはざま)の戦いに出陣するとき武将たちの前でこれを舞った信長は、自分の今の気持ちを「敦盛」に込めたのでしょう。
May 28, 2005
コメント(2)
78.お金には頭があがらない――自由も良心も奪ってしまうこの魔物! 切れ味するどい偉人のレトリック働いても働いてもその日暮らし、なかなか金は手元に残りません。「金というものは鳩と同じで飛んできたかと思うと、またすぐに飛び去ってしまう」というドストエフスキーのレトリックは、大衆の嘆きを代弁したものです。と言って、仕事をしなければ金は入ってきません。わたしたちの生活は正義や良心のためではなく、金のためにあるといっても過言ではありません。ゴーリキーは擬人法と隠喩(メタフォア)を用いてこう叫びます。人間の仕事はどれもこれも金にしばりつけられたものだ。われわれはみんなつまらない金のために身を滅ぼすのだ。金はわれわれにとって母でもあるが、またわれわれの死でもある。ちょっと難しい隠喩(メタフォア)を使ってドストエフスキーは、「金は鋳造された自由である」と言います。人間によって鋳造された金が人間の自由を左右するというのです。警句の得意なフランクリンは直喩(シミリー)と擬人法を駆使して、「金が人間の自由と良心を奪う」と訴えます。金銭は底のない海のようなもの。良心も名誉もおぼれて浮かばれない。借金するのは自分の自由を売ることだ。フランクリンにユーゴスラビア市民は同調して、「金はたましいの破壊者だ」と指摘します。ずばりと切り込んだこの隠喩(メタフォア)は、ユーゴスラビア地方に古くから伝えられる格言なのだそうです。金が人間の自由と良心を奪ったら結局どういうことになるのでしょう。社会思想家のラスキンは、「金銭はなに人たるを問わず、その所有者に権力を与える」と言います。とどのつまり、金がものを言う世界、本音のところで金がいっさいを取り仕切り、金持ちがうそを本当にみせかけてしまう社会になるというのです。ロシアの諺(ことわざ)はこのへんの事情を「金がものを言うときは、真理が黙ってしまう」と喝破します。対照法と擬人法の使い方が冴えわたっています。わが日本の諺には「金があれば馬鹿も旦那」というのがあります。古典落語に出てくる若旦那は大ていこのタイプです。大きな商いをしている老舗(しにせ)のどら息子は、遊女に入れあげたり、人妻に横恋慕する役立たずとして描かれています。金さえあればオレのほうが上等な人間なんだが・・・。若旦那を小突き回すことによって溜飲を下げる庶民の群像。バカにしたい気持ちを胸にしまって表向きはつい若旦那にお追従(ついしょう)を言ってしまいます。若旦那に頭を下げているのではない、若旦那のうしろにある金に頭をさげているのだ。取り巻きの連中は、自分にそう言い聞かせているのです。中にはこう息巻く連中もいます。「お金でオレのたましいなんか買えるものか!」。いや、実は買えるのですが・・・。ともあれ、古典落語は貧乏人のやさしい味方です。
May 27, 2005
コメント(0)
77.恋の味は? 結婚の味は?――偉人のレトリックに学ぼう「恋は盲目」と言います。「盲目」というたった二文字のレトリックをもって、恋の本質をズバリ言い当てています。シェークスピアの先輩であるチョーサーの、シンプルにして的を射た技の冴えです。盲目ならば何もみえません。万一みえるものがあったとしても、恋する相手の長所以外はその視野に入ってこないでしょう。「ドン・キホーテ」を書いたセルバンテスのレトリックはこうです。恋は不思議なめがねをかけている。銅を黄金に、貧しさを豊かさにかえて見せるようなめがねをかけている。曇りめがねのまま、結婚へ向かって突入するのかしないのか。「エセー」のモンテーニュは「結婚は鳥籠のようなものだ。外にいる鳥たちは中に入ろうとし、中にいる鳥たちは出ようともがく」と観察しています。この項の話題と直接関係はないのですが、レトリック嫌いを自称したモンテーニュは一行で一冊の本に値するようなレトリックをものしています。それはこうです。法王ボニファキオ八世は狐のようにその地位につき、獅子のようにその職務を行い、犬のように死んだという(佐藤信夫著「レトリック感覚」)。まるでハリウッド映画の活劇をみるような迫力です。結婚の話題に戻りましょう。皮肉屋のバーナード・ショウはこう言います。できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、できるだけ結婚しないでいるのは男のビジネスである。結婚したほうがいいのか、それともしないほうがいいのかと問われるならば、わたしはどちらにしても後悔するだろうと答える。こちらはギリシア哲学の祖、ソクラテスの言葉です。二つのことを提示しておいてその両方を否定するというレトリックです。妻クサンチッペとの間に三人のこどもがいたようです。稼業は石工。終日街頭へ出て青年たちと哲学を語り合うことに熱中していました。家庭も妻もほったらかし、むろんやりくりはすべて妻任せ。亡父が残した財産のあるうちはそれでもよかったのですが、蓄えが底をつくと妻との間で何かといさかいが生じます。彼女にとって、ソクラテスは能なし亭主以外の何者でもなかったでしょう。後世、悪妻の代名詞のように言われるクサンチッペですが、公平にみてちょっと気の毒な気がします。人々は大てい無我夢中に急いで結婚するので、その結果、一生涯悔いを残す(モリエール)。ソクラテスもおそらくこの口で、理屈で人を打ち負かすことはできても自分を自分で打ち負かすことができなかったのでしょう。「金銭のために結婚する人よりも悪いものはなく、恋愛のために結婚する人よりも愚かなものはない」。風刺詩と鋭い批評で知られるサミュエル・ジョンソンのレトリックです。ならばどうするのか。作家のチェホフは「あなたがもし孤独を恐れるならば、結婚すべきではない」と微妙なレトリックをつぶやきます。人間は霊長類のトップの座を誇っていますが、サルからホモサピエンスへ進化してもやることは同じです。恋愛は発情の婉曲語法であり、結婚は異性の独占にほかなりません。偉そうなことを言えば、こういうことになりませんか?つまり――。あなたがそこそこの俗物ならば結婚してもいいが、ソクラテスの徒の仲間なら結婚はきっと「失望の住みか」となりましょう。しかし構わず結婚してしまえば仕方がない、聖職者、トーマス・フラーのレトリックをバイブルとして仰ぐしかないでしょう。結婚まえには両眼を大きく開いてみよ。結婚してからは片眼を閉じよ。これで駄目ならあなたの片眼のつぶり方に問題があると思うべきです。等身大の鏡におのれを映してみれば、寛容を欠く自分というものを認識できるでしょう。しっかり、きちんと、片眼をつぶってください。
May 26, 2005
コメント(0)
76.女って何ですか?――レトリックでその正体をあばこう英国の劇作家、シェークスピアはデンマークの王子ハムレットの悲劇を一六○三年に書き上げました。父王の突然の死からふた月と経たぬうちに叔父クローデイアスと再婚した母親ガートルードに対し、ハムレットは「弱き者よ、汝の名は女なり」と批判して暗い気持ちになります。このセリフは後世のわたしたちの日常においてすらよく耳にします。女というものは弱い存在だということを芝居がかって言ったに過ぎないのに、シェークスピアのレトリックでこう決められると、神の啓示のように深い旋律となって響いてくるから不思議です。女は弱いだけの存在ではなく、いろんな顔をしています。あの偉大な釈迦が、成道後三十七日目に菩提樹のもとで説いたという華厳経(けごんぎょう)は、「女人は地獄の使いなり。よく仏の種子を断つ。外面は菩薩のごとく、内心は夜叉のごとし」と警句を発しています。釈迦自身が残したという生の教えもあります。女の本質を鋭く衝(つ)いていて、シェークスピアに先立つこと二千百年前の言葉とも思えません。女に五つの力あり。一には色の力、二には親族の力、三には因業の力、四には子の力、五には自守の力、この五つの力をもって夫をあなどる。しかし夫の富ひとつの力には参ってしまうものである。この釈迦の言葉にもっと近代的な色をつけてみせたのが作家の芥川龍之介で、「どんな女でもラブレターをもらったときよりも、パラソルをもらったときのほうが瞳を輝かす」と皮肉っています。三島由紀夫も女の物質的な欲求に注目しましたが、「物質的だ」などとあからさまに指摘せずにこう言います。風呂に入るとき腕時計をはずして入るように、女に向かうときは精神をはずしていないと、たちまち錆(さ)びて使いものならなくなる。物質欲ではないのですが、女のこまかい一面をちょっぴり悪意をこめて指摘するのは作家のモームです。つまらないことに情熱を感じてよく記憶していること、これが女の一番の特徴である。数年前の友達と交わした世間話のなかに出てきたこまごましたくだらないことを、その気になればいつでも正確に話せるのである。しかも、やりきれないことには、女はいつでもその気になる(こまごました過去のことをいつでも正確に指摘したり話したりできる)のである。世の中はよくできていて、夫婦喧嘩も口だけなら弱いはずの妻の連戦連勝です。モームが指摘する女の得意技で、してやられるのは亭主のほうです。亭主の中には、ついかっとなって手を挙げたりすることもあるようです。妻の舌鋒の鋭さにこぶしで応戦するしか道がないのに違いありません。モームの言葉を待つまでもなく、女は「過去の引き出し」を持っています。ことに応じてその「過去の引き出し」から記憶の一ページを引き抜いてくるから、無用心な男はかないっこありません。ところが、ドイツ啓蒙主義の代表、レッシングのレトリックになると、愛憎相半ばして「女というものは、やさしいくせに傲慢で、貞淑なくせに虚栄心が強く、煩悩だらけのくせに敬虔(けいけん)である」と絶句するようになります。意外なことに、フランスのルイ14世は気弱なことを言っています。「二人の女を和合させるよりも、むしろ全ヨーロッパを和合させるほうが容易であろう」と。母親と妻を和合させることも、宮廷に囲った愛人同士を仲良くさせることも、ついには出来なかったとみえます。フランス絶対主義の黄金時代、太陽王と崇めたてまつられた専制君主の言葉とはとても思えません。「でも・・・」と怪盗アルセーヌ・ルパン生みの親、ルブランはつぶやきます。女をよくいう人は、女を十分知らない者であり、女をいつも悪くいう人は、女をまったく知らない者である。
May 26, 2005
コメント(0)
75.手綱(たづな)を引き、引きつつ鞭(むち)をあげて――司馬遼太郎のレトリック司馬遼太郎のレトリックには颯爽とした「風」を感じます。言葉をかさねる独特の手法をときどき使いますが、その技の冴えにはほれぼれします。わたしも語彙をかさねて効果を出すのを好むほうですが、なかなか司馬のようにはいきません。「最後の将軍」からちょっと抜き書きしてみましょう。護衛隊がさわぎ、ひきかえしてきて渋沢らを取り籠(こ)めた。渋沢は刀を鞘(さや)ぐるみ抜いて地に捨て、両膝をつき、慶喜の方角を拝した。慶喜は手綱(たづな)を引き、引きつつ鞭(むち)をあげて渋沢らをさしまねいた。その姿は、渋沢の目には、眩(めくら)むほどにかがやいてみえ、文字どおり歴史の中の千両役者であるように思えた。農家出の渋沢栄一が慶喜の家来になろうと決心して、馬上の慶喜の前に両膝をつくシーンです。二人の出会いは慶喜の世話をしていた側近・平岡円四郎の差配で実現しました。慶喜は手綱を引き、引きつつ鞭をあげて渋沢らをさしまねきました。「引き」という語彙をかさねた筆法はじつに効果的で、慶喜の姿は文字どおり眩(めくら)むほどにかがやいてみえます。文体のもつ快いリズム感に加えて、レトリックの冴えが見事に生かされています。次は水戸藩を出て一橋家の養子になった慶喜が、大老の井伊直弼を城内に呼んで問責を始める場面です。将軍に推挙される前のことです。二十代前半の慶喜が上座、三十代後半の直弼は両手を畳の上におき、頭を低くして対座しています。「御養君のことであるが」と、慶喜は言い、いってから、自分でもこの意外な話題を切り出してしまったことに狼狽(ろうばい)した。が、言った以上は言い切らねばならない。慶喜は、生涯かれの特技であった名調子をもって言辞(げんじ)を並べ、朗々と問うた。このシーンは、慶喜の口上が文章いっぱいに満ち、キーワードの「言う」だけでなく類似語である「切り出して」、「言辞」、「朗々と問うた」などをちりばめることによって効果を挙げています。薩摩、長州の軍勢をこらしめようと京に入った慶喜でしたが、戦況の芳しくないのをみてさっさと大阪城へ退去します。そしてとうとう、「江戸へ戻る」と言い、味方の会津藩をもあざむく都落ちを決心します。ときに慶応三年十二月十二日のことです。――そうか、鎮静したか。慶喜はこの報をきいて小さくうなずき、しかし喫(の)みかけた茶器を置き、数秒息をひそめた。これほどの謀才を、自軍の退縮のためにのみつかい、勝利のために使えぬというのは、どういうことであろう。慶喜は自分がうまれる場所をまちがえたことを知った。が、すぐ茶器をとりあげ、喫(の)んだ。喫みほしたときはもう、この愚劣な咏嘆をわすれていたし、慶喜はいそがしくもあった。かれは当夜に京を退去しようと決意し、その準備を命じた。小道具の「茶器」を上手に、印象深く使っています。研ぎ澄まされた技の展示です。司馬の呼吸は一朝一夕でかなうものではありません。「喫(の)んだ。喫(の)みほしたときはもう」の部分。前述の「慶喜は手綱(たづな)を引き、引きつつ鞭(むち)をあげて」と同様に言葉を重ねる筆法に成功しています。
May 25, 2005
コメント(0)
74.小さな風がそこを訪れて・・・レトリックのいろいろ「彼女は白鳥のように優雅だった」。「彼女の目は鹿のように用心深かった」。白鳥や鹿のイメージを借りて、こういうふうに叙述するのをレトリックといいます。稚拙を問わなければ、レトリックの心得のない人などいないと思います。レトリックは文章の化粧です。例によって賛成する側、反対する側の二手にわかれます。千語を必要とするところをたったの一行で済ませることが可能です。賛成者の言い分です。「文章の化粧」という言い方もレトリックです。文章の眉を整えたり、文章の目にアイシャドーをつけたり、頬紅や口紅をあしらって文章のイメージ効果をあげます。こんな言い方もレトリックです。一方、これに反対する人は文章の筋が正確さを失い表現が清新でなくなる点を心配します。情報量もイメージの豊かな人とそうでない人とでは相当違ってくるというのです。しかしわたしに言わせれば、こんな議論は時間の浪費です。論理を組み立てる学術論文や正確が命のレポートに、レトリックなど不要です。レトリックを必要とするのはそういう硬派向けの記述ではなくて、小説や日常文の世界です。イメージに愉快を感じられる世界です。レトリックを使えば想像の領域は広がるが、レトリックを避ければ想像の分野はなくなります。それは接続詞の場合の反対、とも考えられます。論理の道しるべとして硬派の論文に接続詞は欠かせませんが、小説にとって、接続詞の多用は余韻、詩情を高めるのにむしろ障害となります。論文にレトリックは不要なのに小説にはとても必要なのです。レトリックは小説や日常文を書くわたしたちマジョリテイーのためにあると言ってよいと思います。レトリックにはいろんな手法があります。「王女は白鳥のように優雅だった」と書けば、白鳥のイメージとダブらせた王女の優雅さがしのばれます。「王女は白鳥だった」と書けば、「王女は白鳥のように優雅だった」よりもさらに強烈で直截的です。詩には向いていても、長文には、記述のバランスを乱すので不向きでしょう。人物を描写するのに、「短躯(たんく)で、近視で、やせぎすで、下品で、そのくせ悠然と構えていた」といった書き方をすることがあります。「バカにはしていないよ」と言う代わりに、「バカにはしないさ。もっともほめようとも思わないがね」と言えば言葉に膨らみが出てきます。盛り上がった山並みを描写するのに「盛り上がった山並みがその盛り上がりの上にさらに、盛り上がっていた」と書けば躍動感が増してきませんか。汽車の窓から雲を眺めています。「汽車の窓から空を仰ぐと白い雲がふたつ。青い海原を疾駆してわたしたちを追っかけてきた」風の風景。「小さな風がそこを訪れては庭木をそっとゆすった」レトリックにはいろんな可能性があると思います。
May 24, 2005
コメント(0)
73.未熟なり、川端康成!――守・破・離のことなど講演を頼まれたら、当日の話の粗筋を最初に言って始めるのが礼儀ってもんだ、三十代のときある上司にそう助言されたことがあります。予定の一時間半は拝聴に値するのかしないのか。聴衆にも覚悟ってものがあるんだ、というのがその人の言い分でした。言われてみればもっともで、以来、講演の機会をいただくと、「今日はコレとコレとコレの三点を中心に話を進めます」という前口上から始めることにしています。話したいことが五つあるから、正直に五点を中心に話したいと言っても構わないのですが、聴衆の中には「えっ、そんなに・・・」とうんざり顔を隠さない人もいます。話したいことが五点あっても三点に絞り込むのが、話す側の礼儀だろうと思っています。なぜ三点なのか。特別の理由があるわけではありません。一点というのでは子供のおつかいみたいだし、二点でも何だか物足りない。四点、五点ではやや多すぎの感を否めません。手拍子の代表は三・三・七拍子、「人間は動物、わたしは人間、ゆえにわたしは動物」の三段論法は昔から伝わる論理方式です。能の完成者、世阿弥が「花伝書」で唱えた序・破・急、江戸の茶人、川上不白が唱えた守・破・離、いずれも「三」と切っても切れない関係にあります。どうやら人間のリズムはこの「三」に一番合いやすいようなのです。雅楽演奏でも序・破・急の法則は生きているようです。ゆっくりした調子の「序」は雅楽で、普通の調子の「破」は舞と舞楽で、速いリズムの「急」は和太鼓で締めくくることになっています。守・破・離という教えを説いたのは観阿弥・世阿弥親子だったそうですが、これを茶道に応用し修行の道として弟子に伝えたのが川上不白だったのだそうです。「守」は師の教えを忠実に学び習得する第一段階のことです。第二段階は、さらなる経験と修練によって師の教えを基礎にすえつつも、自分の技を磨いて師の教えを破る勢いに達する領域のことで、これを「破」というそうです。「離」の第三段階は師の教えにいっさいとらわれることなく、思うがままに自分の至芸へ飛躍する境地をいうそうです。茶道、華道、舞踊、歌舞伎といった伝統芸術のほか、柔道、剣道、空手、合気道といった武道の世界、書道、水墨画などの稽古事でも広く語り継がれている言葉だそうです。一人の天才の技を型(形式)に集大成したうえで、それを万人で真似て(学んで)大衆個々の技を伸ばそうという考え方が日本文化の底流にあるようです。だから、十分自分のものにしていない稚技で大見得(おおみえ)をきったりすると、職人気質の目利きによってその未熟をしたたかに指摘されます。芸の世界でこういう目に遭った本人はたまったものではありません。目近に好例がありました。知性作家の丸谷才一氏がノーベル賞作家、川端康成の「名人」をとらえて、勇敢にそれをやっているのです。丸谷氏の指摘するくだりはこうです。伊東の暖光園で、名人に二目で打つ呉清源を、私が直木三十五と見たのは、昭和七年のことだった。六年まえのその時は、筒袖の紺がすりを着て、指の長い手、肌の初々しい首など、高貴の少女の叡智と哀燐とを感じさせたものだが、今は高貴の若い僧のような品格も加わってゐた。耳や頭の形から貴人の相で、これほど天才といふ印象の明らかな人はなかった。凡人の目には名文とみえるこの文章を丸谷氏の慧眼は見逃しません。おかしいのは「高貴の少女の叡智と哀燐」のくだりだというのです。誤解を生むといけないので、丸谷氏の原文を以下にそのまま転載します。大和ことばや日常語的な漢語のときはこの種の不用意をほとんど見せず、かなり耳のいい川端なのに、日常語的ではない大げさな意味の漢語となると、どうして変な具合に取り乱すのか。これはわたしに言わせれば、「叡智」も「哀燐」も彼が日ごろ親しんでゐない言葉だからで、その浅い関係にもかかわらず強引にはめこんで用を足そうとするとき、語彙は筆者に対してかういふたちの悪い復讐をおこなふのだ(文章読本)。恐れ入りました。この鑑識眼の鋭さに脱帽です。生半可な知識や技を振りまいていると、慧眼の士にたちまち見破られてしまうということです。日ごろから慣れ親しんだ語彙や言葉で書くようにしましょう。
May 23, 2005
コメント(0)
72.「そして」「それから」――接続詞の是非夏目漱石に「それから」(1909年)という作品があります。接続詞を本の表題にしたという意味で、とても珍しい作品です。教職を捨て朝日新聞社に入った二年後のことで、前年に「三四郎」を書いています。文と文をつなぐ役目の接続詞の使用については議論が分かれます。「そして」「しかし」「なぜなら」の類です。芥川龍之介や井上ひさしのような作家はこれを愛用しているかにみえます。大岡昇平のほうは自らを抑制して接続詞を使わないように書いています。志賀直哉にもその気があります。三島由紀夫は「接続詞を節の初めに使った文章は格調を欠く」と言っています。わたしは大岡昇平や志賀直哉、三島由紀夫らに与(くみ)するほうで、できるだけ接続詞を使わないで済むよう気をつけています。志賀直哉の「焚火」を例に採ったら分かりやすいと思います。達意の人でなければ、カッコ書きの接続詞を無意識に使うのではないでしょうか。Kさんは勢いよく燃え残りの薪を湖水へ遠く抛った。(すると)薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んで行く。上と下と、同じ弧を描いて水面で結びつくと同時に、ジュッと消えて了う。そしてあたりが暗くなる。それが面白かった。(だから)皆で抛った。(そして)Kさんが後に残ったおき火の櫂で上手に水を撥ねかして消して了った。(それから)舟に乗った。蕨取りの焚火はもう消えかかっていた。舟は小鳥島を廻って、神社の森の方へ静かに滑って行った。(すると)梟の聲が段々遠くなった。ごく常識の範囲で補足しても、この短文の中に五つもの接続詞が省かれていることになります。原文とカッコ書きを加えた文章を読み比べるとそれはもう一目瞭然です。俗に言う、品位と余韻が全く違っています。接続詞を使うと論理的というか文章の筋がはっきりしてきますが半面、深みや余韻を失いがちです。学者たろうと思えば、接続詞はなくてはならない存在ですが、詩人たろうと思えば、これほどヤボなものはありません。結論めいたことを言えば、接続詞の多用は論理を重んじる文章に欠かせないものですが、小説、詩、随筆の類にはむしろ有害でしょう。文章の品位にかかわる深みや余韻といったものを低下させるファクターにしかならないからです。それゆえ、接続詞をたびたび使う人は論理の明確化をより尊び、接続詞の使用を避ける人は深み、余韻といった詩情をより重視すると言ってよいでしょう。論理を展開するときは接続詞を使うべきですが、感情に訴えるときはこれを極力抑えたほうが効果的だと言っておきます。接続詞の種類は次のとおりです。1) 前の内容を受けて続けるもの――そして、そうして、そこで、それから2) 次の結果を導いたり展開させるもの――ゆえに、それゆえ、だから、そこで、したがって、そのため、すると3) 前の内容がそうなる理由、根拠を説明するもの――なぜなら、というのは、そのわけは4) 例を示すもの――たとえば、例を挙げれば5) 添加、並列、対照を示すもの――また、または、さらに、かつ、そのほか、そのうえ、のみならず、同様に、あるいは6) 要約、言い換えるもの――つまり、すなわち、とにかく、要するに、ともあれ、換言すれば7) 前と反対の内容を導き出すもの――しかし、が、だが、でも、けれども、ところが、にもかかわらず、だからといって8) 前と別方向の内容を導き出すもの――さて、ところで、ときに、いったい、そもそも、それはともかく、ともあれ
May 22, 2005
コメント(0)
71.「病院について書いてください」 ―― ある入社試験十四、五年前のことです。東京の女子大で教えていた友人がフランスの国際学界に出席することになりました。ヨーロッパに行ったついでに英国、ベルギー、ドイツへ足を伸ばす旅程を組んで結局、三週間ほど日本をはなれるというのです。電話がかかってきました。「軽く一杯どうだい」「よしきた」ということになりました。ジョッキーをあげながら彼は身を乗り出しました。「国際事情」の講義を休講にできないので、その間、学生にジャーナリストの目で見た欧米の話をしてくれないかというのです。当時、通信社海外部のデスクをしていましたが、幸いなことに、その月は夜勤で昼間が空いていました。友人の代役を引き受けました。女子学生は真面目、そしてどこか華やいでいます。二回目の講義のとき、「アメリカ」について作文を書いてもらいました。内容は総じて類型的でした。評論家気取りで新鮮味が感じられないのです。アメリカは世界のリーダー、コロンブスの発見したキリスト教国家。日本の貿易のパートナー、日本に民主主義をもたらした大恩人・・・。日米関係はうまくいっているが、米軍の基地化した沖縄を切り捨てることがあってはいけない、日米摩擦の中心であった日本車の輸出は、米国人を雇う現地生産に切り替えたためホットな摩擦要因ではなくなっている、学校の休みを利用して出かけた米国は日本と違った自由な雰囲気で、広くて、多人種、多価値化の社会であると思った――。ざっとこんな感じです。群を抜いたものが見当たりません。これだけ内容の拮抗した作文の中から「一人あるいは二人選べ」と言われたら困ってしまいます。ある新聞社に勤めている友人から聞いた話です。入社試験の作文に「病院について書いてください」と出題したそうです。やはり女子大生の作文と同じで、類型化していました。一方で、病院は人の命を守る尊い場所と言うかと思えば、人の命を守るよりも金儲けの場所になっているというのです。病院の偽善が日本人を堕落させているのだ、政治化した医師会が与党政府と組んで病院の使命を壊している、病院の原点に立ち戻るべきだというのです。りっぱな病院もたくさんあるのに、こういう場合には、批判めいたことを書くものだという先入観があるようなのです。つまり受験生の多くは病院の使命や現状にばかりこだわっているのです。ジャーナリズムを目指す優秀な学生でも、いきなり「病院について書きなさい」と言われると、とっさによい知恵が浮かんでこないのでしょう。時間の制限もあるので、最初に頭に浮かぶ常識的なことをつい書いてしまうのです。これでは百倍以上といわれるジャーナリズムの試験に勝ち残ることなどできません。ではどう書けばメデイアの採点者をうならせることができるのか。「印象に残ったものが一つあったんだよ」友人はそう言いました。それは大筋こうです。○病院真っ暗だった。そう思ったのは自分だけだったかもしれない。とにかくわたしは闇の底にいた。起き上がりたいという意思はあるが、金縛りにあったようで体の自由がきかない。そのうち体を持ちあげられるような気がした。(ここに祖母から聞いた話を挿入。真っ暗な闇の中で「こっちへいらっしゃい」という女の声がする。「楽園はこちら」幾度もしつこく誘う。ついそちらへ行こうとすると、闇の中で引っ張る力がある。「女の誘惑に乗るな。そっちへ行ったら身の破滅だよ」そう言っている。女の手招きに応じなかった。「ああよかった。女の誘惑に負けていたらおまえは死んでいたんだよ」・・・)かすかな揺れを感じた。何かの上に乗せられている?手押し車か、そういった類のもの・・・。闇の中を移動する気配。車の摩擦音がかすかに聞こえる。おそらく御影石かコンクリートづくりの床の上だろう。暗闇の中で人の声がする。それもわたしの側で。数人の男と女。それは、わたしを乗せた車を押す人と付き添う人であることがあとでわかった。車は右へ左へ幾度も曲がった。わずかだが光を感じた。真っ暗という感じではなくなった。車の摩擦音が大きくなった。何か匂う。かつて、どこかで嗅いだことのある匂い・・・。何の匂いだろう??「はい、着きました」女の声だ。「台の上にのせて。そう、用心して」と男の声が指示する。わかった!この匂いは消毒薬のクレゾール。ということは?「ここは病院だ」。「患者さん、気がつかれたようです」看護婦の声。「よかった」と医師。「あの衝突事故ですから、奇跡ですねえ」。「お名前は?」看護婦の顔がわたしの目の上にあった。
May 20, 2005
コメント(0)
70.からまつの林を過ぎて ―― 愛を語る「あ」の母音「あ」の音の持つ不思議について一言触れたいと思います。日本語は聖徳太子の以前からこの国にある大和言葉と、中国から輸入した漢語、欧米の言葉を訳出した翻訳語からなっています。大和言葉は理詰めの表現には向かないけれど、ほんのりした語感となつかしい趣があります。「静寂」を「しじま」に、「優れた国家」を「まほろば」に言い換えました。大和言葉のよさをたちまち実感できると思います。詩的であたたかい。次の詩は北原白秋の「落葉松」の第一節です。ひらがなの大和言葉が冴えています。からまつの林を過ぎてからまつをしみじみと見きからまつはさびしかりけりたびゆくはさびしかりけり全編八節の構成で、一節ごとに四行、合わせて三十二行からなっています。伝統の五七調で、とても調子のよい詩ですが、調子がよいのは単に五七調だからでしょうか。三十二行のうち、二十七行それぞれのあたまは「あ」の母音をはらみもつ言葉からなっています。第一節あたま三つの「からまつの」の「か」、「たびゆくは」の「た」は、いずれも「あ」の母音をはらみ持っています。五七調の五の部分はすべて「あ」の母音をはらんでいるし、七の部分も「林を過ぎて」の「は」、二つの「さびしかりけり」の「さ」は同じく、「あ」の母音をはらんでいます。すなわち「落葉松」の詩は、あたたかい包容音である「あ」の母音を連打することによって、詩的な効果を挙げています。情感たっぷりな大和言葉を五七調にからめたところに、「落葉松」の成功の秘密があるようです。情緒語(さびしい、さびさび、あはれ)の「あ」音を連打したために、いよいよ深いしじまがからまつの林を包んでしまいました。最上川逆白波(さかしらなみ)のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも斉藤茂吉の歌集「白き山」に収められた有名な歌です。作家の井上ひさし氏は逆白波の字姿(じすがた)をほめたあとでこう解説しています。「逆白波」は六音、そのうち四音が「ア」の母音を孕(はら)み持つことがわかる。そればかりか上句十七音のうち「ア」を抱く音が九音もあるのだ。半分以上が「ア」の母音を響かせている。「ア」は大きな抱擁力(ほうようりょく)を持つ音である。赤ん坊が最初に学習するのもこの音であって、この音はすべてを受け入れる(自家製・文章読本)。「あ」の母音をあたまにもってくる詩は暗唱に向いています。「あはれ、我がめづるりるけの集・・・」(釈迢空)、「雨にもまけず、風にもまけず・・・」(宮沢賢治)、「あわれ、秋かぜよ、情けあらば伝えてよ・・・」(佐藤春夫)。まだあります。「ああ」の発声は、日本人の日常でとりわけポピュラーで、驚くとき、嘆くとき、呼びかけるとき、承諾するときに使われます。赤ん坊もおとなも重病人も恋人も絶景を楽しむ旅人も「ああ」を発しないことはありません。昭和は戦争と平和と繁栄の時代でした。六十二年余の昭和のシンボルだった昭和天皇の口癖は、「ああ、そう」でした。定例の園遊会は天皇の口癖でなごみました。象徴派詩人、薄田泣菫の有名な「ああ大和にしあらましかば」はこう詠(うた)っています。ああ、大和(やまと)にしあらましかば いま神無月(かみなづき) うは葉散り透く神無備(かみなび)の 森の小路を・・・与謝野晶子の有名な詩「君死にたまふことなかれ」は「ああ、弟よ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」で始まっています。旧制の一高寮歌は「ああ、玉杯に花うけて、緑酒に月の影宿し」と歌っています。「あ」音のやさしさに引かれています。「あ」の母音をはらむ言葉は愛を語っていると思います。
May 19, 2005
コメント(2)
69.「ちょっと気取って書け」 一口知識――丸谷才一に学ぶ かつては机のうえに重ねた四百字詰めの原稿用紙とにらめっこをしながら書いていたのに、このごろではそういうシーンもほとんど見かけられなくなりました。コンピューターのキーボードをたたいて書くのが当たり前になって、万年筆派の老作家ですら時代の流れに抗することはできなくなりました。しかし原稿用紙がコンピューターに代わったからといって、執筆の心構えまで代わったわけではありません。これまでと同じで、時間に追われる流行作家やジャーナリストがウンウンうなりながら原稿を書くことに何の変わりもありません。文章というものはあくまで虚構であって、「思ったとおり」や「しゃべるとおり」に書くわけではありません。いかなる筆者といえども、虚構をどう展開させるかでしばし頭を抱えるはずです。丸谷才一著の「文章読本」を読んでいたら、「ちょっと気取って書け」とありました。執筆の呼吸は筆者の気取りにあるのであって、違いがあるとしても気取り方の「多少」にすぎないというのです。執筆の本質を言い当てています。いわれてみるともっともで、さすがだな、と思いました。一挙に一万語を吐き出すわけにはいきません。構想を練ってやおら書き進むうちに、ある種の気取りが執筆の呼吸になっていることに気づかされます。東京の夕陽を描いた永井荷風の『日和下駄』と、白粉っけのない尾崎一雄の『虫のいろいろ』の二作品を挙げ、前者は気取りかえり、後者は気取らないことを気取っていると丸谷氏は指摘します。とても鋭い指摘です。「作文の極意はただ名文に接し名文に親しむこと、これに尽きる」ともいっています。「参考書類がついに教えてくれないものは正しい文章の呼吸で、これは実物に就いてじかに学び取るしかない」というのです。名文の定義も実に的を得ています。こうです。「有名なのが名文か。そうではない。君が読んで感心すればそれが名文である。・・・君の魂とのあひだにそれだけの密接な関係を持つものでない限り、言葉のあやつり方の師、文章の規範、エネルギーの源泉となり得ないのはむしろ当然の話ではないか」。「名文を読め」という教えは何も同氏の専売特許ではなく、過去にもそれを強調した人はいました。しかし丸谷氏のえらいところは、「文語体の名文を読め」と勧めている点です。「口語体ははじまってからまだ百年と経たない未熟なものにすぎず、しかもそれは文語体を基本として成立したものだから」という理由です。一葉や初期の鴎外、露伴、硬いものでは幸徳秋水や山路愛山、変わったところでは斉藤緑雨の戯文などは、足ならしとして絶好、と教えてくれます。同氏の挙げた酒井抱一の「巣兆句集序」(全文)には感動しました。情理を兼ね備えた、これほどの名文にお目にかかったことはかつてありませんでした。繰り返し音読すれば、抱一の呼吸がしっかり身につくと思います。江戸後期を代表するこの俳人画家は姫路藩主酒井忠以の実弟で、名は忠因、号して抱一、武士を嫌って出家しのち世俗に戻って自由に生きました。抱一の文章はこうです。秋香庵巣兆(しゅうこうあんそうちょう)は、もと俳諧のともたり。花晨月夕(かしんげっせき)に句作して我に問ふ。我も又句作して彼に問ふ。彼に問へば彼譏(そし)り、我に問へば我笑ふ。われ画(えが)けばかれ題し、かれ画けば我讃(さん)す。かれ杯を挙げれば、われ餅を喰(くら)ふ。其の草稿五車に及ぶ。兆身まかりて後、国村師を重んずるの志厚し。一冊の草紙とし梓(あずさ)にのぼす。其のはし書せよと言ふ。いなむべきにもあらず。頓(にわか)に筆を採りて、只(ただ)兆に譏(そし)られざる事をなげくのみなり。○秋香庵巣兆=俳人画家、建部巣兆の号 ○花晨月夕=花の咲いた朝、月の出た夕べ ○草稿=したがき ○五車=五台の車にのせるほど多い書籍類のたとえ。書籍類のおおいことにいう語 ○兆身まかりて後=兆が亡くなってのち ○梓=印刷、上梓
May 18, 2005
コメント(0)
68.シャンソンに寄せて 材料の配列(6)――興味、好みの順に自分の好みをただ書き貫ねるのだから気軽です。「好み」を書いて「理由」に触れ「考察」するのです。「シャンソンに寄せて」という表題にしました。好きなシャンソンを二、三挙げろといわれたらどうしますか。どんな曲を思い浮かべますか。枯れ葉? バラ色の人生? パリ祭? それともモンマルトルの丘?どれも甲乙つけがたい味わいがあると思います。生と死、愛、夢、思い出、希望、絶望、悔恨、風刺、抗議・・・。シャンソンはフランス人の人生そのもの、音楽なのに単なる音楽じゃない。あの独特のレシタテイーフ(朗唱)は独自の創造を生んで、ヨーロッパはおろか世界でも愛唱されています。そのルーツは中世にまでさかのぼるようです。当時は読み書きの出来ない人が多くいました。キリスト教布教の使命を帯びた人々にとって、このことは活動のネックになりました。聖書の、ページのある部分を指差して「次の集会までに、ここを読んできて」というわけにはいかないのです。そこで伝道本部や教会の宣教師、修道士たちは考えました。社会批判や不満、風刺、愛や希望、騎士の手柄話などを布教活動とともに、余興として展開しました。ただ口で伝えるだけでは芸がないので、ギターの前身のような楽器で、伴奏をつけ節をつけて歌いました。大受けでした。シャンソンの弾き語りの原型はこうして生まれました。フランス風吟遊詩人のはしりは修道士らキリスト教布教の関係者だったと言ってよいでしょう。セーヌ川に橋が架かったルネッサンス期に、殺風景だったパリもようやく街並みがそろって賑わってきました。街のあちこちにシャンソンを歌う男女や大道芸人の姿がみられるようになりました。それから数百年たち、王制に反対する市民の蜂起によって、圧制の象徴であったバスチーユが襲撃されると、フランス全土は血なまぐさい革命へと突入していきます。目まぐるしい大変革、王制廃止、共和制の採用、ナポレオンの登場などはシャンソンに大きな影響を与えたといわれています。ここで、最初の質問に立ち戻りましょう。好きなシャンソン?少し古いのですが、歌手の好みから言えば、いの一番にコラ・ヴォケール。だから、彼女の歌う「さくらんぼの実るころ」「モンマルトルの丘」を第一に推したいと思います。まがいものでない本物の、「心の歌」が祈りとなって胸をうつのです。それからルシエンヌ・ボワイエの歌う「聞かせてよ愛の言葉を」。スイートなシャンソンの極致、奇跡のような愛の歌声です。ダミアの歌う「暗い日曜日」「人の気も知らないで」。このけだるいデカダン(頽廃)の節回しをどう表現していいのか。圧倒的な、なんとも言えないなげやりな厭世気分。ダミアを聴いてたくさんの自殺者が出たそうですが、わかるような気がします。だれでも知っているのは渋いイブ・モンタン、そして彼の「枯れ葉」・・・。半面、興ざめな歌手もいてその筆頭はエデイット・ピアフ。つぶやかねばならないシャンソンを絶叫するなんて、どういう料簡でしょう。「バラ色の人生」「愛の讃歌」を聴きたいならイベット・ジローのほうにしてください。
May 17, 2005
コメント(0)
67.昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました 材料の配列(5)――頭に「まとめ」を置かない四つのタイプ「まとめ」を頭に置かない書き方があります。大きく分けて四つあります。一つは、頭にマクラを置いたり、読み手の意表をついたりします。論文以外なら普通の文章や随筆によくあるパターンです。こちらのペースに読み手を引き込めるかどうかは、出だしの巧拙によります。読み手の関心を引くように工夫をこらしましょう。たとえば、テーマの中心を「日本の官僚の悪口」に決めたとします。このケースでは、最初からあからさまに言い立てないところがミソです。英国の封建領主を取り巻く宮廷官僚の会議室から入ります。会議は侃々諤々(かんかんがくがく)、彼らの口をついて出るのはロビンフッドへの恨みつらみです。「シャーウッドの森に潜む強盗を何とかせねばならん」「あいつは王に忠実な紳士淑女の馬車を襲う無法者に過ぎん」「ロビンを義賊呼ばわりするバカな住民どもも同罪だ!」。この領主の側近の言い分を受ける形で、日本の官僚の振る舞いを事実に沿って書いていくのです、もちろん辛口で・・・。二つ目は小説や童話の書き出しに見られる手法で、とき、場所、人物を示して始めます。「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」で始まる昔話は、このやり方を採っています。国木田独歩の「窮死」の書き出しはこうです。「九段坂の最寄にけちなめし屋がある。春の末の夕暮に一人の男が大儀そうに敷居をまたげた」。司馬遼太郎の「項羽と劉邦」の書き出しはこうです。「秦の始皇帝、名は政、かれが六国を征服して中国大陸をその絶対政権のもとに置いたのは、紀元前二二一年である」。三つ目は会話文で始めるやり方です。小説に見かけられます。樋口一葉の「にごりえ」の書き出しはこうです。おい木村さん信さん寄ってお出でよ、お寄りといったら寄っても宣(よ)いではないか、又素通りで二葉やへ行く気だろう、押かけて行って引きずって来るからさう思ひな、ほんとにお湯なら帰りにきっとよっておくれよ・・・海老沢泰久の「二人のランナー」の書き出しはこうです。「おまえ、こんなところに突っ立って、どうしたんだよ」と宮本順次が和田武夫にいった。「どうもしないよ」「じゃあ、なんで泣いてなんかいるんだよ」「泣いてなんかいないよ」「それじゃ、ここだけ雨でも降ったってのか?」宮本順次は太陽がギラギラ輝いている夏の空を見あげた。「おれにはそういうふうには見えねえがな」四つ目は物語の背景や場面の描写から始めます。小説によく見かけられる手法です。司馬遼太郎の「覇王の家」の書き出しはこうです。奥三河の山の中の坂をのぼって、松平郷という、これ以上は山径(やまみち)もないという行きどまりの小天地に行ったときの夏の陽盛りの印象は、筆者にとってわすれがたい思い出になっている。(ここがあの徳川家の発祥の地か)とおもえば、草木まで意味ありげにおもえてはくるのだが、なににしても山が深く地がせまく、しかも気づいてまわりを見まわしてみると、みぞほどの流れもない。水がないというのは、米がとれないということである。徳川家の祖である松平氏は、ここでひえやあわを食べ、日常はキコリとして山を駆け、木を伐(き)っていた強悍(きょうかん)なグループであることは、地形をみればたれにでも推察はつく。
May 16, 2005
コメント(0)
66.一口知識――事実に語らせよ人間の感情をただ「楽しい」「悲しい」というのでは芸がありません。喜怒哀楽を「事実」に語らせましょう。「事実」には説得力があります。できるだけ具体的に、仔細漏らさず描写しましょう。これに対する反論があります。「事実」の描写ばかりに拘泥(こうでい)していると、フィクションを駆使する小説の奇想天外や面白みを殺してしまうのではないか。確かにそうです。そういう一面はありますが、フィクションだからこそ細部のリアリズムと具体的な描写をもってしなければ、読み手に現実味を感じてもらえません。作り事だからこそ、細部の描写で本当らしくみせる必要があるのです。フィクションの中のリアリズムです。文尾で志賀直哉の描写の冴えを例示します。「喜び」を「ああ、うれしいわ」で済まさないで、「ダイヤの指輪をもらった気持ち、10カラットの・・」などと具体的に書きましょう。具体性を帯びた会話は、生き生きとしたイメージを読み手にもたらします。メロドラマの「別れのシーン」を引きます。感情の流れに陰影が感じられません。セリフの「さびしい」「悲しい」に注目してください。「次はいつ会えるの」「うん、来年の秋ごろだな」「十カ月先? ああ、さびしいなあ」「ああ・・」男は女の肩を抱きすくめた。悲しい表情で女の顔はくしゃくしゃになった。「さびしい」「悲しい」を使わないようにします。その一例。「次はいつ会えるの」「うん、来年の秋ごろだな」「十カ月?ああ、あなたの夢を三百回もみた後で・・」「ああ・・」男は女の肩を抱きすくめた。涙をみせまいと女は男から目をそむけた。「あなたの夢を三百回もみた後で・・」というセリフは鼻につきますが、今急に妙案を思いつかないので勘弁してください。小説家を目指すなら写実の目、リアリズムの技をみがくのは当然です。写実のないフィクションは、夢の中の風のようなものです。空気の移動すら感じられません。自伝風の小説「暗夜行路」や「和解」は、「目」と「心」をフル回転させてなった傑作です。作者の志賀直哉は、わくわくするような活劇を書かなかった代わりに、直感的な写実力によって新しい分野を開拓しました。その写実の「目」は平易かつ正確をもって知られています。有名な「焚火」の一部を引用します。芥川龍之介と谷崎潤一郎の論争でも褒めそやされている作品です。Kさんは勢いよく燃え残りの薪(たきぎ)を湖水へ遠く抛(ほう)った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んで行く。上と下と、同じ弧を描いて水面で結びつくと同時に、ジュッと消えて了う。そしてあたりが暗くなる。それが面白かった。皆で抛った。Kさんが後に残ったおき火を櫂(かい)で上手に水を撥ねかして消して了った。舟に乗った。蕨取りの焚火はもう消えかかっていた。舟は小鳥島を廻って、神社の森の方へ静かに滑って行った。梟(ふくろう)の聲(こえ)が段々遠くなった。
May 15, 2005
コメント(1)
65.材料の配列(4)――「具体」から「一般」、「細部」から「全体像」へウイルスが増殖して体の器官を侵そうとします。体力が弱っていると、すなわち免疫機能が落ちていると、諸器官のうちの最も弱っている部分にウイルスが襲いかかります。最も弱っている器官、それは肺かもしれないし肝臓かもしれません。やがて肺炎や肝炎を引き起こす原因となります。ウイルスの活動から病気へ,具体から一般へ、細部から全体像へという流れです。土地投機をテーマに再び話を進めたいと思います。具体例をできるだけ「細部」にわたって指摘したうえで、その具体例の数々に共通する原因を抽出し、「一般化」したり「全体像」を提示できればとりあえず合格です。いろんな見方、書き方があるでしょう。ここでは官僚にちょっと手きびしい書き方の一例を示します。(具体) 不動産屋はむろんのこと、本業そっちのけで土地、建物をあさる会社、脅し、すかし・地上げで札束攻勢をかける暴力団や総会屋、土地成金の夢を見て収入に見合わない物件に手をだす庶民たち。欲と欲の突っ張りあい。不動産に振り回される世紀末の狂走曲。史上、土地と建物にこれだけ狂った民族はほかに例がないという。転用の難しい農地はむろんのこと、森も雑木林も河川敷も45度斜面の崖さえも、土地投機の対象になった。法を執行する立場の官僚は黙って見ているだけ、不動産売買に絡んだ脅し騙しに警察は本気で捜査をしようともしなかった。人として守るべきモラルと商業秩序がすっかり地に落ちた。官僚機構は不動産投機に走る国民を阻止しなかった。いや阻止できなかった。ただ黙って傍観していた。(一般化) 日本の官僚機構は今ある現状、動かない物象に対してはよく機能するが、ダイナミックな先の見えない物象の動向に対しては、どんな判断も下せない。税金をただむさぼるだけの存在にすぎないのだ。バブル後の経済失速の大半は、官僚の判断ミスにある。日本の官僚機構はなかんずく官僚のためにある。国民のためにあるのではないから、いわゆる公僕とはいえない。国や国民のことより、自分の所属する省庁のことで頭はいっぱいである。いっそのこと、日本の国名を「日本合省国」と変えたらどうだろう。官僚は国民(既得権者ではない)の立場に立っていない。それどころか機会をとらえては、国民の基本的人権を踏みにじろうとする。お上意識の抜けない国民性がこの官僚の勝手を許している側面は、もっと声高に指摘されるべきだ。
May 15, 2005
コメント(0)
64.材料の配列(3)――日本を救うのは外国人? 「問題」から「解決」へ「解決策」を提示できるテーマなら、まず「問題点」を指摘して始めます。そのうえで、「問題」の中味に触れて、取って置きの「解決策」を提示しましょう。前回に引き続いて土地投機をテーマに取り上げました。(問題点) 金余り時代の金の使い道で、日本列島すみずみの土地が投機の対象になった。会社もやくざも庶民も、土地、建物を買いあさりその勢いはとどまるところを知らなかった。地価は天井知らずで暴騰した。(考察) 不動産がらみの投資に銀行は喜んで融資をした。銀行の重要な仕事である審査もろくにしなかった。監督する立場の大蔵省も銀行のでたらめな融資や審査を咎めだてしなかった。利権を求めて銀行に口をきいて口利き料をせしめる無責任な政治家まで現われた。キリスト教徒の原理主義者が聖書の「創世記」を信じるように、右へならえの日本人は「土地神話」を信じて疑わなかった。この事態に警鐘をならす、まことの硬骨漢は政界、官界、財界、学界にも現われなかった。はじけたバブル経済のツケは人類史上、最高最悪の巨額な借金として子孫に残された。日本は無類の癒着社会だ。改革をしたくても肝心の自分が癒着社会の一員である以上、思い切った改革へ踏み出すことはできない。これは日本に住む日本人のすべてにあてはまることだ。「ノー」と言えば反対者が立ちはだかるし、「イエス」と言えば別の反対者がいきり立つ。正義を通そうとすれば、いろんなところから圧力がかかる。かまわず突き進むと仲間はずれの根なし草、村八分にされて孤立無援になる。賛否を投票で決めればいいのにそれを採らない。一見公平にみえる「審議会」とやらで決めるという。体制に弓を引かない審議委員の話し合いに何を期待できるというのか。「審議会」は官僚のシナリオに沿って粛々と進められるだけ。こんなありさまでバブルのツケを一掃しようとしてもできるわけがない。(解決) 日本人は、欧米人のように、少しの犠牲者が出ても、多くの人が救われればいいとは考えない。それよりも総だおれ、共だおれのほうを選ぶだろう。「理」よりも「情」で考える。だから、大改革を実行できる人物を日本で求めることはあきらめよう。日本社会にいっさい「しがらみ」をもたない外国人に期待する以外に道はないと思う。フランスのルノーから乗り込んだゴーン氏の「合理的な非情」によって日産自動車が立ち直ったように、外国人の合理的手腕に頼る以外に日本の再生はあり得ないと思う。欧米人なら、犠牲者の出ない改革なんてだれも信じない。日本の再生に最も必要なのは「合理的な非情」である。 ちょっと補足しておきます。中国ではお雇い外国人を高官として迎え入れています。導入した資本主義のシステムを操る人材にこと欠いているからです。ほこり高い中国人でも、自分らのおよばないところは外国人の英知で補うべしと割り切っています。異人種、たとえばユダヤ人を首相に迎えた例は英国、フランスでは珍しくありません。米国でも大統領こそまだですが、ユダヤ人が閣僚になる例なら掃いて捨てるほどあります。明治の日本にも高給で外国人を雇った歴史があります。ドイツ、フランス、英国、米国からやってきた学者が中心で、お雇い外国人と呼ばれました。その中には、東大で教鞭をとったベルツ博士や「少年よ、大志を抱け」のクラーク博士がいます。現代は学者よりも、腐った政界と官界を正常化させるための政界大物を雇ったらよいのではないでしょうか。英国のサッチャーさん、米国のクリントンさん、キッシンジャーさんなんかにお願いして辣腕を振るってもらったらいいと思います。そうすれば日本も変わるでしょう。
May 13, 2005
コメント(0)
63.材料の配列(2)――「原因」から「結果」へわかりきったことですが、この世の中、結果があるのはその結果を作った原因があるからです。松井がホームランを打てたのはピッチャーの投げた球をよくみて打ちにいったからです。見逃していたらホームランはあり得ませんでした。ベースに向かって投げ込まれたボールをよくみて、バットの真芯(ましん)でとらえて振り切ったからフェンスを越えたのですどんなテーマでもよいからその原因を尋ねて結果まで書き進めてみましょう。今ある事象は必ず何かの原因あっての結果です。原因を調べ把握してから、だからこのような結果になったと、読み手に伝えましょう。たとえば、日本の経済を疲弊させている原因は、90年代当初から始まったバブル経済によるものと考えたとします。バブルの中心になったのは土地への正気を逸した投機にありました。土地がらみの融資に銀行は喜んで応じました。いかめしい監督官庁の大蔵省(現在の財務省)も咎め立てをしませんでした。銀行の間違った方向をただすために役人は税金を給料としてもらっている身なのに、肝心なときに肝心な役目を果たしませんでした。税金泥棒です。銀行は大蔵省キャリア官僚の有力な天下り先です。国の手あつい保護と監督の、いわゆる「護送船団方式」によって運営されていました。金利などで一切競争をさせないという徹底した大蔵省の統制下にあって、銀行という銀行は、寝ぼけ眼で仕事をしていました。当時の銀行は事情通のアメリカ人に言わせると、政府の「公社」「公団」の類でした。競争を原理とする資本主義下では考えられないことが、つい最近までの日本の銀行の日常でした。財務省と銀行の持ちつ持たれつの関係こそが日本の経済を徹底的に駄目にした元凶といえます。だから、国ベースで1500兆円、地方ベースを加えると3000兆円を超える借金国家となり、これを返済して健全な国家へと蘇るメドは金輪際立っていない現状です。頼りの米国もIMFも世界銀行もこれ程の大借金をカバーする余裕などありません。何はともあれ、人類の史上最悪の赤字に対し、外部から手を貸してくれる国も世界機構もないうえに、自浄努力の強い実行意欲にも欠けているため、日本は絶望の淵へ向かって転げ落ちています。個人としての国民は、世界一の預貯金をたくわえて小金持ち気分のうえに、中国デフレの影響も加わって物価下落をきたしており、消費をする側には朗報でも、生産コストの高い国内製品は売れず倉庫に山積みとなっています。その余波をモロに受けた中小企業の倒産は記録的で、経営に行き詰った関係者の自殺も毎年3万人を超える勢いです。日本の経済不況は政治、行政の不在と無責任によってもたらされたと言ってよいでしょう。特に責められるべきは官僚行政の存在です。内閣にあって官僚は実務の95%を取り仕切っています。財政が深刻で再起を危ぶまれる国情は、正しい執行をなし得なかった官僚の無責任によってもたらされたと言えます。こんな配列で書き進めたらどうでしょう。正気を逸した土地投機(原因)――銀行が会社、庶民、やくざの投機を煽った。法の執行機関である官僚はその役目を果たさなかった(原因の中味)――官僚の無責任で日本は国家破綻寸前だ(結果)
May 12, 2005
コメント(0)
62.一口知識――正しい敬語(2)1. このような過ちが起きないよう注意します 2.このような過ちが起きないよう注意いたします 「注意します」と「注意いたします」は明らかに違います。単に字面(じづら)だけのことではありません。「注意します」は通常語の「注意する」を丁寧に表現した丁寧語です。「注意いたします」は「注意する」をへりくだって言う謙譲語です。1.(わたしは、彼は)一週間かけてその論文を読んだ 2.(わたしは、彼は)一週間かけてその論文を読みました 3.(わたしは)一週間かけてその論文を読ませていただきました 4.(皇太子は)一週間かけてその論文をお読みになりました1の「読んだ」は通常語 2の「読みました」は丁寧語 3の「読ませていただきました」は謙譲語 4の「お読みになりました」は尊敬語です。3の主語は一人称(わたし)か一人称扱いの身内に限ります。したがって「担当の取締役が一週間かけてその論文を読ませていただきました」という表現は成り立ちます。この場合、担当の取締役を自分の側の身内とみているわけです。尊敬語と謙譲語の区別はつきにくいことがよくあります。尊敬語は概して「お」とか「ご」(御)を伴うことが多いのですが、謙譲語のほうはそう簡単ではありません。前に例示したように、「申す」「いただく」「いたす」のほか「うかがう」「参る」なども謙譲語です。「拝」の字を頭につけることもよくあります。代表的なものに「拝見」「「拝読」「拝聴」「拝受」などがあります。使用度の高い言葉のいくつかを、通常語、丁寧語、謙譲語、尊敬語の順で例示しておきます。1. 行く、行きます、うかがう、行かれる(いらっしゃる) 2. 来る 、来ます、参る、来られる 3. 言う、言います、申し上げる、言われる(おっしゃる) 4. 会う、会います、会わせていただく、お会いになる(会われる) 5. 聞く、聞きます、うかがう、お聞きになる(聞かれる) 6. 見る、見ます、拝見する、ごらんになる 7. 食べる、食べます、いただく、お食べになる(召し上がる) 8. 書く、書きます、書かせていただく、お書きになる(書かれる) 9. 読む、読みます、読ませていただく(拝読する)、お読みになる(読まれる) 10.指導する、指導します、指導いたします、ご指導になる(指導される)11.受け取る、受け取ります、拝受する、お受け取りになる(受け取られる)12.察する、察します、拝察する、お察しになる(察せられる)13.任命する、任命します、拝命(拝職)する、ご任命になる(任命される)14.進呈する、進呈します、拝呈する、ご進呈になる(進呈される)15.手紙、お手紙、本状(拙文)、貴信16.僧、お坊(お坊さん)、拙僧、貴僧17.会社、御社、弊社(小社)、貴社18.家、お宅、拙宅(小宅)、貴宅
May 11, 2005
コメント(0)
61.一口知識――正しい敬語(1)わたしたちが敬語と呼んでいるものはかなり複雑で、尊敬語、謙譲語、丁寧語の三つからなっています。身分制文化の名残ですが、困ったことに、敬語のルールを知っていないときちんとしたものを書けません。○ 人の動作あるいは人の物事をあがめるときに尊敬語を使います。人の動作の尊敬語は a)れる、られる b)お・・・になる c)ご・・・になる――の形をとります。たとえばこうです。1.校長先生はわたしの顔を見ながらゆっくり話されました 2.校長先生はわたしの顔を見ながらゆっくりお話になりました(例) 1.歌われる、お歌いになる 2.笑われる、お笑いになる 3.感じられる、お感じになる 4.諌められる、お諌めになる 5.書かれる、お書きになる 6.歩かれる、お歩きになる 7.会われる、お会いになる 8.考えられる、お考えになる 9.卒業される、ご卒業になる 10.開かれる、お開きになる人の、あがめたい物事の前に「お」「ご」「貴」をつけます。(例) 1.お帽子 2.お宝 3.ご高見 4.ご褒美 5.ご結婚 6.お宅 7.ご邸宅 8.ご主人 9.お洋服 10.お相伴 11.貴誌 12.貴市 13.貴社14.お手紙 15.御地ダブった尊敬語の表記は間違いになります。 (誤)ベルギー皇太子はここでお休みされました (正)ベルギー皇太子はここでお休みになりました(例) ご結婚された――「ご」と「された」はともに尊敬語。正解は、結婚された、ご結婚になった。ご卒業された――前例と同様、「ご」と「された」はともに尊敬語。正解は、卒業された、ご卒業になった。ご到着された――正解は、到着された、ご到着になった。お話された――「お」と「された」はともに尊敬語ですから、話をされた、お話になった○ 自分の動作や物事をへりくだって言う場合に謙譲語を使います。尊敬語と謙譲語を混同しないように気をつけましょう。(誤)ブッシュ大統領が講演で申したことは大変重要だと思います (正)ブッシュ大統領が講演で話されたことは大変重要だと思います「申す」は謙譲語で、尊敬語ではありません。(誤)どうぞ、皮をむいていただいてください (正)どうぞ、皮をむいて召し上がってください「いただく」も謙譲語。尊敬語ではありません。○ 自分のことばに「です」「ます」をつけると丁寧語になります。(例)学校に行きます わたしはジョン・F・ケネデイです わたしは現在、アメリカに住んでいます 娘はこの秋で二十六歳になります 一通の封書を受け取りました
May 10, 2005
コメント(0)
60.一口知識――読ませる工夫書いたものが本になり雑誌に載れば愉快ですが、それと同時に「読んでもらえるだろうか」という不安にも襲われます。書き上げた時点で見えなかった記述のアラが印刷されるとたちまち顕わになってきます。ここはこうすればよかった、あそこはこうすべきだったと、悩みは尽きません。わたしの場合、記述の硬さを反省するのはいつものことです。特に出だしなんか「やあ、こんにちは」と気軽な感じでいけばいいのに、それがそう簡単にできないのです。言うはやすく行なうは難(がた)し。先人のこの戒めの重みを、いつもひしひしと感じています。日本の出版社の考え方について書こうと思います。簡単に言えば、出版事業には二通りあります。売れる本を出すか、それとも読んでほしい本を出すか。経営者の立場なら、絶対に売れる本を出すべきで、読んでほしい本などクソくらえでしょう。編集者もまた、経営者の意を汲んで売れる本の発掘に精を出さねばなりません。経営者を喜ばすと社内的な栄達を期待できるので、変わった編集者でない限り、経営者との二人三脚を当然のように思っています。出だしはこうです。○ ある出版社の編集長は、読書離れのはげしい昨今、硬派の著書はほとんど売れない、内容のよしあし以前の問題だとこぼしていた。この文章の内容を全く変えずに、もっと親しみのもてる、やさしい書き方をしたいと思います。ひと工夫、どうしましょう。文章の中心部分をカッコでくくって談話形式にしたらどうでしょうか。たとえばこうです。○ 「読書離れのはげしい昨今、硬派の著書はほとんど売れない。内容のよしあし以前の問題だ」。ある出版社の編集長はこうこぼしていた。この書き方のもたらすメリットはふたつです。文章の中心部分をカッコでくくったために、編集長の具体的な肉声として伝えられたこと、さらに文章をふたつに分断したために、文章メッセージがより鮮明になったことです。文章をカッコ書きにすると読みやすくなります。スパイスの効いたエピソードやたとえを用いることができたら、さらに言うことはありません。社会評論家、大宅壮一の鋭いペンの切れ味をごらんに入れましょう。○ アメリカの「うそ比べ」で行った“うそコンクール”で優勝したうそは何かというと、「わたしはかつて一度もうそをついたことがない」といううそだった。選挙の事前運動もこれに似たようなもので、現に“議員”の肩書きを持っているものの大部分、いや全部は、公職選挙法違反コンクールの地域的な優勝者もしくは準優勝者と見てよい。これは明らかに“選良”ではなく“選悪”である。
May 10, 2005
コメント(0)
59.一口知識――「許可」と「認可」は違う「許可」と「認可」の意味を区別せずに使っていませんか。禁止されている事案を解除のうえで、公的機関に許してもらう法律行為を「許可」と言います。これとは別に、公的機関がある事案を認める行為を「認可」と言います。この場合は禁止された事案ではありません。○ ある行為が法令で禁止されていたとします。ところが、特別の理由にもとづいて、当局がその禁止事案を解除することがあります。これを「許可」と言います。青酸カリは法令で一般人が自由に所有し使用することを禁じています。民間発明家にAと言う人がいたとします。自宅の離れに建てた小さな研究室に閉じこもって連日、研究を続けています。研究の半ばで青酸カリを必要としましたが、薬局や大学でも「青酸カリ取り扱いライセンス」をもっていないことを理由に分けてくれません。県庁の厚生部薬務課を訪ねて、「発明に青酸カリがどうしても必要です」と訴えました。「ライセンスを取ってからにしてください」。応対に出た薬務係長は「例外を認めるわけにいきません」の一点張りです。困りました。友人の親戚筋に県庁の副知事を勤めている人がいるので、友人を通して副知事に「危険なことに使うのではありません。特別の配慮をお願いします」と頼みこみました。県立病院の副院長を紹介されました。殺人や自殺に使用しないことが確認されました。今回に限って「取り扱いセミナーに事前に参加することを条件に、臨時使用を許す」ことになりました。県立病院長の名前で「臨時許可証」が発行されました。このように、禁止されている事案を解除のうえ公的機関が許す行為を「許可」といいます。○ 公の機関の同意を得なければ有効に成立しない法律行為があります。公の機関がこれに同意を与えて有効に成立させたとします。これを「認可」と言います。中年のBは脱サラをして屋台のラーメン屋を始めることにしました。ビジネス・コンサルタントを訪ねて相談しました。衛生管理認可の申請書を保健所に出すことになりました。屋台開業の認可願いは県庁の零細企業課、公道使用の移動商売に関する認可願いは道路整備課で、とらなければなりません。Bさんは小さな屋台を始めるのにさまざまな公的機関を訪ねました。十いくつもの認可をとり終えるのに一年近くかかりました。その間、収入らしいものは一切なく身のほそる思いをしたそうです。
May 8, 2005
コメント(0)
58.一口知識――「た」と「る」の使い分け雨が降ってきた。不安になった。雨脚はいっそうはげしさを増した。ふと美香のことを考えた。稲光が加わった。車が通れば身を挺してヒッチハイクでも何でもする気でいた。この文章は「た」の連打で成っています。この程度ならまだしもさらに延々と「た」の連打が続けば、読み手をうんざりさせます。こういうときには過去形の「た」の醸し出す単調な調子を避けるため、文章の一部を現在形の「る」に変えてみたらどうでしょう。雨が降ってきた。不安になった。雨脚はいっそうはげしさを増した。ふと美香のことを考える。稲妻が加わった。車が通れば身を挺してヒッチハイクでも何でもする気でいた。「ふと美香のことを考えた」を「ふと美香のことを考える」としたために、一本調子の文章にいくぶん膨らみが出てきたと思いませんか。三島由紀夫も同じ気持ちでいたようです。「文章読本」の一部でこう述べています。過去形の多いところをいくつか現在形になほすことがあります。これは日本語の特権で、現在形のテンスを過去形の連続の間にいきなりはめることで、文章のリズムが自由に変えられるのであります。過去形のテンスが続く場合には「・・・した」「・・・た」といふ言葉があまりに連続しやすくなります。そのために適度の現在形の挿入は必要であります。志賀直哉の「城の崎にて」は名文の誉れ高い作品です。芥川龍之介もこれを激賞して、「志賀氏の作品中の最も優れたもののひとつ」と言いました。「た」の連打で成っています。冒頭の部分を紹介しましょう(旧仮名は新仮名にした)。ある朝のこと、自分は一匹の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足は腹の下にちぢこまって、触覚はダラシなく顔へたれ下がってしまった。他の蜂は一向冷淡だった。巣の出入りに忙しくその脇を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立ち働いている蜂はいかにも生きているものという感じを与えた。このあとも延々、「た」の描写が続きますが、少なくともここまでの「た」の用法は成功していて、読み手にある種のリズムとともに爽快感を与えます。実は、志賀の文章には秘密が隠されています。「た」の単調さを補うために、自然・周囲の描写と自分の気持ち・情感が交互に活写されているのです。むろん冒頭の「雨が降ってきた・・・」以下の文章にも同様のことが言えます。「雨が降ってきた」は自然描写、「不安になった」は自分の気持ちです。自然描写―自分の気持ち―自然描写―自分の気持ち―自然描写―自分の気持ち、と人間と自然のかかわりを交互に述べることによって、「た」の単調さから免れているのです。志賀文学は「眼球の目」と「心の目」をもって、詩情を醸し出すところに特徴があります。自然体をよそおいながら、その実、強烈な文章意識をみなぎらせている、と言って差し支えないと思います。
May 8, 2005
コメント(0)
57.材料の配列(1)――時間的順序による配列材料の収拾を終え、文章の構成を「三段構成」(起、承、結)に決めたとします。まだ書き出せません。材料の配列を決めていないからです。いろいろな配列の仕方がありますが、まず時間の経過に沿った書き方から始めたいと思います。自然な配列なので安定しますが、その代わり平凡でメリハリに欠けるきらいがあります。「起」や「結」でちょっと工夫をし、平板に流れる記述を避けるようにしたいと思います。表題は「平成七年の出来事」です。「起」で平成七年の特徴に触れ、「承」で事件を時間的に配列し、「結」で全体を総括しました。○ 平成七年の出来事(起) 平成七年(1995年)は史上まれにみる事件・事故が相次いだ。人々は天災と人災に泣かされた。戦後50年のこの年、村山首相はアジア諸国への「侵略」を認めて「お詫び」をした。(承) この年の事件を順を追って紹介しよう。新年早々の1月17日午前5時46分、神戸・洲本を中心に大地震が発生、史上初の震度7を記録、死者6425人、家屋全壊約11万7500棟の大惨事となった。この地震は後日、「阪神・淡路大震災」と名付けられた。文藝春秋の月刊誌「マルコポーロ」は1月30日、イスラエル政府の抗議で廃刊に追い込まれた。同誌2月号は「ユダヤ人大虐殺は作り話だった」と報じていた。犯罪史上かつてない無差別殺人事件が3月20日に起きた。営団地下鉄の車内に散布された猛毒サリンによって、12人が死亡、約5500人が重軽傷を負った。犯罪集団・オウム真理教の仕業とわかり、東京、山梨の同施設に強制捜査が入った。警視庁は殺人・殺人未遂罪容疑で代表の麻原彰晃(本名・松本智津夫)を逮捕、起訴した。4月9日に行われた統一地方選挙の知事選で東京は青島幸男、大阪は横山ノックのタレント出身者が当選した。就任したての青島東京都知事は4月26日、前任者の決めていた「都市博」の中止を決断した。村山富市首相(社会党)は8月15日、戦後50年の節目を機会に首相談話を発表、「植民地支配と侵略」について、アジア諸国へ「お詫び」を表明した。日教組は9月3日、同大会で文部省の「学習指導要領」を容認のうえ、問題の「日の丸・君が代」を棚上げして大幅な路線転換を行った。(結) 平成七年は事件・事故の当たり年となった。とりわけ「阪神・淡路大震災」、「サリン事件」、「戦後50年の村山談話」の3件は日本史において後世まで語り継がれる事件となった。
May 7, 2005
コメント(0)
56.一口知識――「成り注」は禁句。助詞、助動詞、接続詞は平がなで紋切り型は避けましょう。記事を書いていて、最後の1行に困ることがよくあります。そういうときは、とりあえず「成り行きが注目される」で締めれば、収まりがつきます。業界用語で「成り注」(なりちゅう)原稿と言います。ある時期、記者という記者が、「成り行きが注目される」とやったため、この表現は止めようということになりました。手垢がついてしまって読み手を白けさせるという理由です。デスクに「これはもの原稿は駄目だぞ」とよく言われました。「これは、納税の合理化を図るため国税庁が2年前から精査、検討していたもの」といった書き方です。紋切り型の表現はとても便利ですが、使用頻度が高くなると、読み手には嫌味に感じられます。紋切り型の一例です。・・・と期待される ・・・とみる向きもある ・・・といわれる うれしい悲鳴を上げる 幕を張って落とす 首を長くして待つ ポンと投げ出す記者の世界だけではありません。わたしたちの日常手にする封書でも、「拝啓 貴社ますますご清栄のこととお喜び申し上げます」、「拝啓 新緑の候、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます」といった紋切り型にお目にかかります。退職願や督促状にも型があります。書く側、読む側ともうんざりしているのですが、「決まりだから」とそう問題にしていないようです。日本の日常は欧米に比べて「儀式」「形式」に振り回される社会です。まだ「ちょんまげ」が切り落とされていないようです。ある学校教師から封書をいただきました。最後の1行に「楽しかったアメリカ生活のひとつひとつを思い出す今日この頃です」とありました。これはときどき見かける紋切り型の典型です。「今日この頃です」と書けば「成り行きが注目される」と同じで、それなりに収まりがつきます。問題なのはついた手垢のために、温かい血液を感じられないのです。文章全体がうそっぽくなってしまいます。紋切り型はげんに慎しみたいと思います。ちょっと話題の向きを変えますが、接続詞でも副詞でも構わず漢字にしてしまう癖の人がいます。又、然し、何故・・・。今の新聞、教科書は平がな書きで統一しています。字面(じづら)的にも平がなのほうが親しみやすいのではないでしょうか。以下、平がな書きの実例です。○ これ程、人をバカにした話はない様だ。――「程」は「ほど」に、「様」は「よう」に。○ 今だに、そのことを思い出すと段々腹がたってくる。――「今だに」は「いまだに」、「段々」は「だんだん」に。「いまだに」はもともと、「未だに」でしたが、現代用語では使えません。○ 尚、滅多に出席しないのだから、一日位休んでも体制に影響はないと思う。然し是が1ヶ月となると将に問題になるだろう。――「尚」は「なお」、「滅多に」は「めったに」「位」は「ぐらい」、「体制」は「大勢」に、「然し」は「しかし」に、「是が」は「これが」に、「1ヶ月」は「1カ月」に、「将に」は「まさに」に。接続詞の、尚、又、所が、然し、併し、はすべて平がなにします。助詞、助動詞の、ぐらい、だけ、ない、ほど、ようだ、も平がなにします。副詞の中にも平がなで書くものが多いので気をつけましょう。「丁度」は「ちょうど」、「折角」は「せっかく」、「滅法」は「めっぽう」、「仰山」は「ぎょうさん」、「高々」は「たかだか」、「大分」は「だいぶん」、「大方」は「おおかた」、「将に」は「まさに」、「余りに」は「あまりに」、「益々」は「ますます」、「成る程」は「なるほど」、「是非」は「ぜひ」、「何故」は「なぜ」、「供に」は「ともに」、「暫く」は「しばらく」に。漢字が多いと読みにくいものです。漢字2、平がな3の目安で書いたらいいと思います。
May 5, 2005
コメント(0)
55.一口知識――「訊く」は使えない!耳をふさがない限り、周囲の物音は聞こえます。漢字では「聞く」、英語では「hear」に当たります。そうではなくて、自分の意思を持って(あるものに)耳を傾けるときは「聴く」と書きます。英語の「listen to」に当たります。「聴く」は身を入れてきく場合(音楽、講義など)に限り、どちらでもよいときは「聞く」を使うようにします。「尋ねる」「問いただす」という意味の「訊く」は、当用漢字にないので使えません。代わりに「聞く」を充てることになっていますが、これはいただけません。「訊く」は英語の「ask」に当たりますが、「hear」と「ask」は同じだといっているようなものです。「訊く」は使うなというなら、平がなのほうがまだましでしょう。「役に立つ」「利用」の意味の「きく」は、「利く」と書きます。「ききめがある」「効果」の意味なら、「効く」と書きます。「Aは仕事中にイヤホンで英会話をきいている」といううわさをききました。上司Bの警告、口ききならきき目があると思ったのは間違いでした。きき入れてくれません。以上の文章に漢字を充てるとこうなります。「Aは仕事中にイヤホンで英会話を聴いている」とのうわさを聞きました。上司Bの警告、口利きなら効き目があると思ったのは間違いでした。聞き入れてくれません。○ 聞く――うわさを聞く、聞き捨て、聞き流す、聞く耳持たぬ、話し声を聞く、物音を聞く○ 聴く――モーツアルトを聴く、C教授の名講義を聴く、国民の声を聴く○ 利く――顔が利く、利き酒、機転が利く、左手が利く、融通が利く○ 効く――効き目がある、薬が効く、宣伝が効いた
May 5, 2005
コメント(1)
54.五段構成(4)――痛快!ゴーゴリの「検察官」ゴーゴリの「外套」と「鼻」は高校生のときに読みました。社会人になってからも二、三度読んだと思います。主人公の下級官吏が新調した「外套」をめぐるまか不思議な話、圧倒的なユーモアとペーソス。「鼻」のほうは自分の鼻に逃げられた男のこれまた奇妙な怪談です。ともに現実とは思えない素材を扱いながら、リアルな描写で読者をぐんぐんと引っ張ります。細部を拡大して描写するその手法は独特です。ここで取り上げる「検察官」は舞台用に書かれた戯曲で、五幕から成っています。官僚社会を徹底的に批判した作品だったため、上層の批判がはげしく、作者は海外へ逃げなければならないほどでした。三幕目あたりにヤマ場のくる浄瑠璃と違って作者の目は五幕のオチにあります。事件の発端、事件の展開(a)、事件の展開(b)、事件の展開(c)、どんでん返し――という構成です。すべての筋は五幕目のどんでん返しのためにあります。事件の展開(a)から事件の展開(c)にかけての舞台回しは偽検察官の天下です。この男をめぐって上を下への大騒ぎ。役人社会はあたふた。引っ掻き回された揚げ句あっさり逃げられてしまいます。偽者だったことが発覚します。そこへ測ったように、本物の検察官がご到着!雷に打たれたような大団円となります。(第一幕) 舞台はロシアのド田舎の市役所。粗野な市長、汚職、賄賂は日常茶飯事という設定です。そこへ首都から検察官がおしのびで視察にやってくるという知らせ。(第二幕) 腹をすかした一介の下級官吏が宿賃を払えるあてもなくずるずると逗留していました。さぐりを入れにきた市長に本物の検察官と間違えられたのを幸い、検察官になりすまします。 (第三幕) 市長邸へ移った彼は大法螺を吹きまくり、明日にも大元帥に昇進する身だ、などとふんぞり返るので、一同はますます畏敬の念を強めます。(第四幕) 陳情にやってくる人間から金を巻き上げ、市長の娘に手を出し、母親の市長夫人にまで言い寄る始末です。そして、頃合を見て召使の進言を入れて、さっさと市から逃げ出します。(第五幕) この男を婿に迎え入れれば大将になれるとひとりご満悦の市長。そこへ郵便局長が駆け込んできて、友人にあてた例の男の書簡を読み上げます。郵便局長には、他人の手紙を開封する趣味があったのです。「老いぼれた去勢馬のようなバカやろう」これは市長のことです。郵便局長は「下司の飲兵衛」、病院監督は「頭巾をかぶったブタそっくり」などと書かれていました。怒り狂った一同が仲間割れしている丁度そこへ、本物の検察官の到着が伝えられます。
May 3, 2005
コメント(0)
53.五段構成(3)――恋は神わざ(別稿)古代ギリシアのコラクスという人は、修辞学の祖と言われています。西暦紀元前460年ごろ、弟子のテイシアスとともに法廷論争に関する史上初のテキストを作りました。法廷弁論は「序論」「討論」「結語」をもってせよと教えています。さらにこの三段構成の応用として、「序論」「説明」「証明」「補足」「結論」の五段論法を薦めました。後世の人が「補足」のところを「反論」に改めて「コラクス五段論法」を強化しました。すなわち「序論」「説明」「証明」「反論」「結論」の順に論をはれという教えです。前々回51の和歌「忍ぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問うまで」を、「コラクス五段論法」で論じたらどうなるでしょうか。四番目に「反論」を持ってきたために「結論」の前段を少し変えてみました。○ 恋は神わざ(別稿)(序論) 忍ぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問うまで(説明) 気取られないようにじっと我慢しているけれど、あの人を思う思いは顔にはっきり出ているらしい。「恋をしていらっしゃるのでは」と他人に問われるほどなのです。ああ、それでこそ生身の人間です。人として生まれたからには、異性を恋い慕うのは当たり前、わたしたちはそのようにできているものなのです。(証明) 人間の恋は生殖へのおごそかな儀式です。太古の昔にサルからわかれた人間が、ここまで進化、発展してきたのは異性を恋し、結び合ってきたからです。秘め事としての恋の生殖が、他の動物の生殖との違いです。二人の恋が燃えさかって思いをとげれば「めでたし。めでたし」。しかし恋の行方は容易に定まらず、数学の配列のようにピタリピタリといきません。青春はもどかしく、悲しい失恋も、うれしい成就もあります。(反論) ここに反論があります。恋をしなくても男は性欲の赴くままに、女を襲ってはらませることが出来る。恋のない「見合い婚」でも生殖はずっと機能してきた。生殖に恋は必須のものではない。そういう論理です。(結論) 聖書では、蛇にそそのかされたイブがアダムに勧めて禁断の実を食べたため、人間は恥を知ることになったと言います。素っ裸のアダムとイブは羞恥を知ってはじめて、いちじくの葉っぱを陰部にあてます。エデンの園神話は措(お)くとして、恋のない生殖は動物のものです。恋の生殖を秘め事にしたのは人間のつつましさです。誰に教わったわけでもありません。神のみわざとしか思えません。
May 3, 2005
コメント(0)
52.五段構成(2)――野球選手の浮沈江戸時代のことです。近松門左衛門の書いた浄瑠璃を竹本義太夫が演じて好評を博しました。そのせいか大阪あたりでは浄瑠璃は義太夫と呼ばれて親しまれ、関東でも浄瑠璃と義太夫が別物であると思っている人はいないようです。竹本義太夫は「貞享四年義太夫段物集」の序で、時代物の構成を次のように説明しています。一段目は恋、二段目は修羅、三段目は愁嘆場、四段目は道行、五段目は問答だというのです。わかりやすく言うと、一段目は「事件の発端」で、二段目は「事件の展開」、三段目は「悲劇の頂点」、つまり最大のヤマ場となります。四段目は「事件の新たな展開」となり、五段目で「事件の解決」、大団円もしくは破局となります。以下、「野球選手の浮沈」をテーマに、浄瑠璃の手法で簡単なストーリーを書いてみました。○ 野球選手の浮沈(事件の発端) 投手のHは日本の球界指折りのプレーヤーです。手元へきて鋭く変化するフォークボールにほとんどの打者は手が出ません。ニックネームの「マンモス」を裏切らない大活躍です。しかし海の向こう、アメリカには世界最高の大リーグという舞台があります。(事件の展開) 「野球選手となったからには、大リーグでプレーしてみたい」。そう思うようになります。所属球団と渡米について交渉を始めます。渋っていた球団もHの熱意に折れました。好条件でアメリカンリーグのXチームへ入団します。Hの球威は大リーグでも通用しました。ファン投票でリーグ対抗試合の代表にも選ばれました。2シーズンを終えました。(逆転の悲劇) 15年間投げ続けた右肩に激痛が走ります。名医として知られるドクター・ベークを訪ね、手術をしてもらいました。そのシーズンを治療に努め次のシーズンに賭けました。シーズン開始。見違えるような幸先のよいスタートです。ところがある日、恐れたことが起きました。あの古傷に激痛です。監督に隠して必死に投げても所詮、大リーガーには通用しません。大事なところでホームランを打たれ、チームも最下位転落。3Aへ降格。しかしそこでも「ホームラン配給投手」になります。球団はHに解雇を通告しました。 (事件の新たな展開) うなだれて帰国。案に相違して日本球界は傷心のHを温かく迎え入れ、数チームから「あれだけの成績を残したキミのことだ。ウチで投げてくれ」と誘われます。いったん球界引退を考えたHも知己が球団社長をしているチームへの入団を決断しました。しかし昔のような球威はありません。かつての「マンモス」はどこにでもいる「小象」になっていました。(結末) 今度は本当に引退です。「もう投げられない。これ以上チームに迷惑をかけられない」。そう記者会見ではき捨てたHのあとをBテレビ局の幹部が待ち受けて、最寄りのホテルへ誘いました。「野球評論家として5年専属で来てくれないか」。好条件です。今日の今日です。相手は「善は急げだ」と好意をみせます。大リーグを経験した目で、日米野球の違いという新分野の解説を担うのです。「キミならできる」。そう幹部の知己に肩をたたかれたHは、身震いするような気持ちで新しい挑戦を受けます。
May 1, 2005
コメント(0)
51.五段構成(1)――恋は神わざお坊さんの説法が五段構成でなされることはよく知られています。金言・和歌の提示に始まって、法義にそった解説、ひゆ・たとえ、法説の証明、結び、の順に説いていくのです。平安の前期に平兼盛(たいらのかねもり)という歌人がいました。同じ平家一族でも、平清盛が天下を取るずっと以前の人で、三十六歌仙にも選ばれています。家集「兼盛集」の中の「恋の歌」はとりわけ有名で、読む者の胸に深い共感を呼び起こします。その歌はこうです。○ 忍ぶれど色にでにけりわが恋はものや思ふと人の問うまでこの歌を用いて、お坊さんの説法で説いてみましょう。うまくいくかどうか・・・。○ 恋は神わざ(和歌) 忍ぶれど色にでにけりわが恋はものや思うふと人の問うまで(法義にそった解説) 気取られないようにじっと我慢しているけれど、あの人を思う思いは顔にはっきり出ているらしい。「恋をしていらっしゃるのでは」と他人に問われるほどなのです。ああ、それでこそ生身の人間です。人として生まれたからには、異性を恋い慕うのは当たり前、わたしたちはそのようにできているものです。(たとえ) 偶然出会ったふたつの磁石のようなもので、おたがいの磁気は引き合っています。自然の摂理です。ただし磁気の勢いは得てして同じでなく、一方の磁気ばかり強くてもう一方の磁石はこれに応えないこともあります。人にたとえれば切ない片思いです。(法説の証明) 人間の恋は生殖へのおごそかな儀式です。太古の昔にサルからわかれた人間が、ここまで進化、発展してきたのは異性を恋し、結び合ってきたからです。秘め事としての恋の生殖が他の動物の生殖との違いです。二人の恋の火花が燃えさかって思いを遂げれば、「めでたし、めでたし」。しかし恋の行方は容易に定まらず、数学の配列のようにピタリピタリといかないのです。青春はもどかしく、悲しい失恋も、うれしい成就もあります。(結び) 生殖に応える体に成長すれば、人は異性を恋して結び合おうとします。誰に教わったわけではありません。男は雄雄しくなり、女は美しく恥らいます。これは人知の及ばないことです。神のみわざとしか思えません。
May 1, 2005
コメント(0)
全100件 (100件中 1-50件目)
![]()
![]()
