後藤英彦の作文教室

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ごっちゃん815

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May 24, 2005
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74.小さな風がそこを訪れて・・・レトリックのいろいろ



「彼女は白鳥のように優雅だった」。「彼女の目は鹿のように用心深かった」。白鳥や鹿のイメージを借りて、こういうふうに叙述するのをレトリックといいます。稚拙を問わなければ、レトリックの心得のない人などいないと思います。

レトリックは文章の化粧です。例によって賛成する側、反対する側の二手にわかれます。千語を必要とするところをたったの一行で済ませることが可能です。賛成者の言い分です。

「文章の化粧」という言い方もレトリックです。文章の眉を整えたり、文章の目にアイシャドーをつけたり、頬紅や口紅をあしらって文章のイメージ効果をあげます。こんな言い方もレトリックです。

一方、これに反対する人は文章の筋が正確さを失い表現が清新でなくなる点を心配します。情報量もイメージの豊かな人とそうでない人とでは相当違ってくるというのです。

しかしわたしに言わせれば、こんな議論は時間の浪費です。論理を組み立てる学術論文や正確が命のレポートに、レトリックなど不要です。

レトリックを必要とするのはそういう硬派向けの記述ではなくて、小説や日常文の世界です。イメージに愉快を感じられる世界です。レトリックを使えば想像の領域は広がるが、レトリックを避ければ想像の分野はなくなります。

それは接続詞の場合の反対、とも考えられます。論理の道しるべとして硬派の論文に接続詞は欠かせませんが、小説にとって、接続詞の多用は余韻、詩情を高めるのにむしろ障害となります。論文にレトリックは不要なのに小説にはとても必要なのです。レトリックは小説や日常文を書くわたしたちマジョリテイーのためにあると言ってよいと思います。

レトリックにはいろんな手法があります。「王女は白鳥のように優雅だった」と書けば、白鳥のイメージとダブらせた王女の優雅さがしのばれます。「王女は白鳥だった」と書けば、「王女は白鳥のように優雅だった」よりもさらに強烈で直截的です。詩には向いていても、長文には、記述のバランスを乱すので不向きでしょう。



盛り上がった山並みを描写するのに「盛り上がった山並みがその盛り上がりの上にさらに、盛り上がっていた」と書けば躍動感が増してきませんか。

汽車の窓から雲を眺めています。「汽車の窓から空を仰ぐと白い雲がふたつ。青い海原を疾駆してわたしたちを追っかけてきた」

風の風景。「小さな風がそこを訪れては庭木をそっとゆすった」

レトリックにはいろんな可能性があると思います。






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Last updated  June 1, 2005 10:54:37 PM
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声字実相義@ 愛(i)を語る「あ」の分節 ≪…「あ」の音…≫は、梵語のア「 」の阿字…
??????@ ?????? 何?何?何?何?
哀歌@ すご~い なんてスバラし~んでしょうll
どぴゅ@ みんなホントにオナ鑑だけなの? 相互オナって約束だったけど、いざとなる…
ボーボー侍@ 脇コキって言うねんな(爆笑) 前に言うてた奥さんな、オレのズボン脱が…

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