後藤英彦の作文教室

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ごっちゃん815

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May 28, 2005
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79.人生はながいながい、ひとつのため息である――メタフォアとシミリーの冴え


新しい発見です。
偉人のレトリックにはよく隠喩(メタフォア)が用いられています。短く、するどく切り込む手法が好まれるのでしょう。たとえば、女スパイのすばしこい眼の配りを表すときに「彼女の眼は猫だった」とやって、「彼女の眼はまるで猫のようだった」とは言わないのです。

偉人のレトリックで人生を眺めたらどういうことになるか。学ぶにたる類例がここにいくつかあります。

甘っちょろい議論の通用しない現実を指摘して、鉄鋼王のカーネギーは「人生はいつまでも学校の討論会ではない」と言います。天才俳優、チャプリンの感想はもっと具体的で正直です。

人生は欲望だ、意味などどうでもいい。すべての生き物の目的は欲望なのだ。それぞれ欲望があるから、バラはバラらしく花を咲かせたがるし、岩は岩らしくありたいと思って頑張っているんだ。

最盛期の東映の社長だった大川博はやり直しのきかない人生の舞台表をこう表現しています。

人生は、リハーサルなし、待ったなしの一回こっきりの本番である。不安や危険には眼をつぶって僥倖(ぎょうこう)だけをたよりに冒険するのはじつに愚かしい。

この世の中、思ったとおりにいかないことがしばしばで、つい頭を抱えてしまいます。哲学者のショペンハウエルはその状態をみて「人生は不満と退屈との間を行き来する時計の振り子だ」と喝破します。凡人は「所詮、わたしは振り子」とつぶやくだけです。



昔読んだ本の中の、アインシュタインのレトリックを思い出しました。確かめようがないのですが、おおよそこういうふうでした。

人間は制限付きの時間を背負って、惑星のひとつである地球を訪れた霊長動物にすぎない。

隠喩(メタフォア)のつぎに愛されるのは直喩(シミリー)でしょう。「~のようだ」「~に似ている」といったレトリックです。最初に徳川家康の言葉と伝えられる有名な文章を紹介しましょう。

最初の一行に直喩(シミリー)を使っています。偽作の匂いの強いものですが、含蓄のある教訓がちりばめられています。

人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望み起こらば困窮したるときを思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基(もとい)、怒りは敵と思へ。勝つことばかりを知りて負くることを知らざれば、害その身に至る。おのれを責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより優れり。

そこへいくと芥川龍之介のレトリックはずっと軽快で、家康のような押し付けがましさはありません。「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である」。

中世の日本の武士が好んだ幸若舞の「敦盛」も、直喩(シミリー)を使っています。

人生わずか五十年 
下天のうちに比ぶれば 夢まぼろしのごとくなり 
ひとたび生をうけ 滅びぬ者のあるべきか



「敦盛」は織田信長の愛した語り舞踊としてよく知られています。桶狭間(おけはざま)の戦いに出陣するとき武将たちの前でこれを舞った信長は、自分の今の気持ちを「敦盛」に込めたのでしょう。





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Last updated  May 29, 2005 01:42:37 AM
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どぴゅ@ みんなホントにオナ鑑だけなの? 相互オナって約束だったけど、いざとなる…
ボーボー侍@ 脇コキって言うねんな(爆笑) 前に言うてた奥さんな、オレのズボン脱が…

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