後藤英彦の作文教室

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ごっちゃん815

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May 29, 2005
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80.鎮守の森が騒いでいた――擬人法のことなど



○ 折からの強い風で鎮守の森が騒いでいた。
○ 沖から立ち上がった白波が、どす黒い巨岩に向かって吠えたてた。
○ ポンコツの蒸気機関車は乗客を腹いっぱい詰め込んでいた。急勾配になると息を弾ませながらのろのろ登っていった。
○ 朝日が山の端(は)からにょっこり顔を出した。

言うまでもなく擬人法の練習です。人でないものの言動を、人であるかのごとく表現する手法のことです。

現代詩の中からひろってみましょう。

「雪崩の楽章」の坂本明子は詠います。「ああ、欲情の魚が育ち 青い妊(みご)もりの腹をみせてふたたび源に帰る日を私は怖れる」。「欲情の魚が育ち 青い任もりの腹」に工夫がみられます。

「花火」を詠った深尾須磨子のレトリックは最後の一行でまさに、花火のような輝きをみせます。擬人法の冴えです。


お前が強く光る時 刹那と永遠とが手を握る。

春山行夫の「ALBUM」は透明な爽快感、まるで春風のよう。

露台から見える 黄薔薇。 とほってゆく 少女。 遊んでいる 小鳥。 白い雲のしたで 話しごえ。 微風かしら パイプのけむり。

「微風かしら」は春山の声?それとも少女の問いかけ?そして、「パイプのけむり」へつなぐ絶妙のタイミング。

再び深尾須磨子。渡欧三回。フルートの名人、マルセル・モイーズに師事したこともある変わった経歴の人、レトリックの名手です。「私は若かった」からその一部。

その頃私は 若さの容器だった。幸福の容器だった。
私を愛するものの容器だった。甘い涙の容器だった。
ただ死とのみやりとりの出来る はげしい快楽の容器だった。
私のすべては いつもエジプトの女王の 血の容器だった。
そして私に一番縁遠いもの、それは冷たい涙と老とだった。

みたび深尾須磨子。「牧穫祭」からその一部。


みのりの歌をのせて お前がまわる 悠久の このひととき
空につづく夕べの窓 ランプを点(とも)してあなたを呼べば
何万光年のかなたから 星がおりてくる

「何万光年のかなたから 星がおりてくる」。この一行は擬人法の傑作でしょう。

「山本太郎詩集」の「旅」の一部から。擬人法の連続技の面白さ。父親は画家の山本鼎(かなえ)。


じつに泥質の茶店に腰かけ 顔をとりはずして 積年の汗をふく
街道は かげろう 小童たちの 手足や胴が バラバラになって
光のなかを泳いでゆく





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Last updated  June 1, 2005 10:52:52 PM
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??????@ ?????? 何?何?何?何?
哀歌@ すご~い なんてスバラし~んでしょうll
どぴゅ@ みんなホントにオナ鑑だけなの? 相互オナって約束だったけど、いざとなる…
ボーボー侍@ 脇コキって言うねんな(爆笑) 前に言うてた奥さんな、オレのズボン脱が…

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