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私は東京のど真ん中に生まれ育った、いわゆる軟弱な都会のもやしっ子、ってヤツだ。 それでも自分が子供の頃はまだまだ「遊ぶ=家の外」というのが基本で、学校から帰るや否やランドセルを放り出して、近所のハナタレやデブチンや妹分や実弟やその他モロモロと、長屋の路地裏や学校の庭や廃墟ビルや神保町の探検ルートや皇居周辺の土手っぷちなどへ飛んで行ったものだ。 男女差や年齢差が関係ない「遊び仲間」がまだまだ有効な、昭和の下町の猥雑さがギリギリあった時代だった。 子供ワールドは、それはそれは簡単で複雑で、楽チンで大変で、限りないイマジネーションと創造力を駆使する陶酔感がいつもあった。 オトナの監視やウザいルールを気にすることなく、自分の内にある情熱を具現化する楽しみ、遊び仲間と揉みながら妥協と協力のバランスポイントを探すスリル。 ちっぽけな学校の閉鎖プールですら、とてつもないドラマが展開する奇想天外ワールド。日が暮れて、お母さん達が呼びにくるまでの、私達のプレイグラウンド(=それがどこであれ!)は底なしに楽しかった、家に帰んなきゃなんないのが嫌だった。いつまでも遊んでいたかった、そんな時代だった。 しかしながら、最近の都会の子供は「家の中で遊ぶ」のが基本らしい。これは実家の姪っ子を介して知った、衝撃の事実である。 どうやら、「お外=危険なところ」であり、学校からの帰宅後であれ、週末であれ、お外で遊ぶのは「特別なイベント」で、事前オーガナイズや保護者同伴が必須らしい。 家の中という保護された、隔離された、温室のような環境で、身内以外の「自分とは異なる」他人との接触なしに、本やTVやゲームと過ごす一方通行な空想ワールドが、彼女のプレイグラウンドだ。 「ふーん、そういう時代なんだー」と思いながら、姪っ子の大人びた諦念を、その瞳の中に見る。 ところで、この「だって、もっと、ずっと遊んでいたいんだもーん」という気持ちは、実は大人になっても、ちっとも私の中から消えていかない・・・というか、いまだに一向に落ち着かずフラフラし続けては周囲の顰蹙を買っているから、常識良識がブンブンと大手を振るこの日本で、キチンとあるべき方向へ成長し、子供時代をちゃんと卒業できる周囲の人達を見るにつけ、それはスゴイ技術だ!と純粋に感嘆してしまう。 もうハタチになったから もう学生じゃないから もう社会人3年目だから もう三十路だから もう管理職だから もう子供もいるから もう親も年だから・・・・と、良識をモノサシに自らの生きる態度姿勢を改める、つまり、「善良で勤勉な一般市民」という役割にスッポリはまり、キチンとした服装で、キチンとした言葉使いで、会社や事業で生活費を稼ぎ、肉親や家族の面倒を見て、円満な社会生活を営んでゆく姿は、ある意味感動的ですらある。つまりそれが日本で「オトナになる」ということで、そこに「ついていけなーい」って甘えてる私の方が、単に幼稚なわけで。 実は私は過去にロンドンで遊び呆けてたヤンチャな時期があって、その頃のボーイフレンドが当時20歳も年上の40才過ぎたイイオトナだった。だけど、やっぱりそこはロンドンだったから、自称2Dデザイナーの失業保険でLadbroke Groveのカウンシルフラット暮らしで冷蔵庫を開ければフィルムケースの中にドラッグ保管(笑)というイカニモな輩で、日々のんべんだらりとプラプラしては遊び呆けていたし、Birds of a feather stick togetherということわざがあるように、彼の周辺には似たような「自称アーティストbutどうやって暮らしてるのかな?」系がゴロゴロ集まっていた。多感な若かりし頃に、そーゆーのに取り囲まれて過ごしてたから、「なんのパッションもナシに、単に生活費のためにスーツ着て毎日オフィスへ行く=それはオカシイ!」という常識がインプットされたのかもしれない。 だけど一方で、置かれた状況がどうであれ、自身の情熱とか、溢れんばかりの奔放なクリエイティビティを腐らせずにいられるのなら、外側はどうであってもイイノダ!というのもアリかなとも思う。バリバリのスーパー公務員が裏世界ではバリバリのSMパフォーマーとか、昼の副業「惣菜売場のデモンストレーター」業務に自身の全情熱を傾け燃え尽きる主婦とか、閉鎖病棟のベッドから見上げる5m四方の天井にハイパー脳内劇場を投影しクリエイターとして昇華するキチガイとか・・・世界はアナタ次第だ、確かにそうだインディード。やっぱり日本では、こうやって後ろ指刺されない「社会人A」の役をキチンとこなし、その裏で「好きなことやって」るのが、一般的なのだと思う。 ところで最近買ったthe Hoosiersのアルバムが超ツボ。ロンドン出身の3ピースバンドなんだけど、ドアホ丸出しのヒネくれたコミカルさで一発カマシタレー!って感じで(←なんだそりゃ)すんごいステキ。一聴する限りでは単なるポップバンド系なんですが、その実、昔のJapanese Whisperあたりの「ハジけたCure」というか、「不穏なバカ騒ぎ感」の匂いがプンプンする。 祖国イギリスを離れて10数年、今では湘南でぷらぷら遊び呆けてるダンナさんと一緒になって「ああ、もう本当にRayが心配っ!」と、このHoosiesを歌いながら、あー、やっぱりイギリスって、こーゆーパッションに任せて好きなことやって楽しくハッピーにフワフワ生きてきたい人ばっかりなんだろーなー、と勝手なことを思った次第。 http://www.myspace.com/thehoosiers http://www.thehoosiers.co.uk/home.html?cmd=make-frame
2008.01.25
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昨年の6月に、東京から逗子へ引っ越した。 それを機に、これまで体験することのなかった「満員電車での通勤」が私の日常になった。つまり、家畜のように輸送車両にて運ばれる通勤族の仲間入りをしたのである。 1時間以上もギューギューに押し込まれ、ヘンテコリンに捻れた態勢で、ガタゴトの揺れに身を任す。 体臭、口臭、腋臭、衣服に移った食堂の臭い、蒸れた足の臭い、安物の整髪料、お持ち帰り惣菜、オンナノコの香水・・・いろんな臭いがまぜこぜになって、ゲップやオナラやくしゃみや咳や舌打ちの中で、ため息ひとつ。 人々のイライラ度合いが、ネガティブエネルギーを放出し、それを受けて更にパワー倍層する、われらが暗黒オブザマインド、一直線に下降を描く、ああスパイラル。 長距離通勤快速の車内では、席の奪い合いが、企業戦士リーマン達のトッププライオリティらしい・・・オバタリアンのマナーがどうの、なんて言ってたのは誰だ?おばちゃん連盟は、席を譲る良識とオセッカイとやらが、まだまだちゃんとあるよ(ウザイけど)。 海外からいらっしゃっているガイコクジンの皆様は、「オー!ノー!これは、ニンゲンとしての尊厳に関わるモンダイでーす!ニホンジン、信じられませんネー!」と言って掌を見せては肩を大げさにすくめ、目ん玉をひん剥くのが関の山の底の浅さ。 私もそうやって、「あーん、もー!信じられない~(プンスカ)」と、自分をコッチ側に置いて問題と敵対するポジション確保しちゃえば、文句言うだけでいいから楽チンなんだけど、そういう売国奴な振る舞いには美学がなさすぎ。 だってさ、もう物理的に、東京で働く人々の数、東京周辺に住まう人々の数、その交通手段と頻度、ピークタイムの幅を考えたら、この状況は避けられない現実であって、その割には、実に効率よくやってます、ロボコン75点くらいです。 当初、ひゃー、こりゃもー堪りませーん!と、ギブアップ&リタイヤしかけた軟弱モノの私でしたが、半年もしたら慣れてきたから、人間の適応力というのはスゴイ。 それどころか、ちょっとした洞察すらも生まれてくるから不思議だ。 ギュウギュウの人混みに埋もれて、機械じかけのロボットのようにエゴを手放すのは、ちょっと脳内麻薬放出できるくらいのヤバさがある。極限を超越した降伏と諦念。全てを受け入れ、しかしなにものにも惑わされずに自分のセンターをキープする静謐さがそこにはある。押されたら、押し返さない、委ねる、戦わない、しかし全面降伏はしない、陰陽のバランス、望まない、足掻かない、ただそこにいる、そして「ある」だけの状態。車内の半眼の我々の悟りぶりは、インドのカオスの中で微笑むサドゥと同じくらい、かなりに戦慄的ですらある。 私、私、私・・・と自己がパツンパツンに主張しまくりのエゴ丸出し価値観からすると、家畜のように輸送車両にて運ばれる私たち通勤族は、「そこには人間性の欠片も・・・」という嘆きの対象なのかもしれない。 だけど、これはすなわち、いわゆる現代のZEN的修行の一環なのですよ、とか、思ったりしつつ、あっ、足踏まれた~、キーッ! 写真:僕らはみんなお疲れです。正月くらいは横になって寝かせろ~の車内
2008.01.12
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もっと遠くへ!遠くへ!と 視点はいつも先の方へ向いていた。 そうやってずっとなにかを探してきた気がする。 自分の足もとを見つめることもなしに。 こないだ、灰色の雲に覆われた日暮れの海岸を散歩した。 空には輝く星など見つからなかったけれど 足もとには小さな星がふたつ。 ふーん、こういうことか、と、立ちすくんだ。
2008.01.10
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いつまでも、いつまでも、エンエンと降り続く雨は、一生続くのかと思うけど あるとき突然、「あれ?雨が上がったのかな」、と空をみあげるときがくる。 おんなじように、いつの間にか、ずいぶんと癒されていた自分を発見するときがくる。 二度と光など見れないだろうと、かたくなに閉じていた心が、ほころんでくるときがくる。 こないだまでは、ふらついてたけど、「あれ?今日は気がついたら、ちゃんと一人で立ってるよ」と、きょとんとする。 ずっと苦虫をかみ締めてた自分の口から、ポロポロと愛が言葉となってこぼれてくる。 同じことの繰り返しに思えた日々は、決して停滞じゃなかった、のかもしれない。 今朝も静かな練習ができました。 ありがとう。
2008.01.09
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