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2006年ごろフィリピンに半年くらい滞在していた。なんとなく人生の転換期かなー、何か新しいコト始めようかなー、南の島でバンガロー経営とかしたいなー、といった適当な理由で、である。もちろんそんなコドモの戯言のようなホンワカンとした夢物語は実現せず、半年くらいでスゴスゴと帰国するのではあるが。その後、40代は東京〜湘南あたりで自営業、50の声を聞いた頃に再度外資企業でサラリーマン業、50代前半にアイルランド、イギリスへ移り住みずーっとサラリーマンとして企業勤めを続け、気がついたら還暦間際になっていた。イギリスの企業では「60歳で退職」なんてルールはなく、本人が望めば何歳までも働きつづけることができる。私も60歳になったら辞めようとか微塵も思ってなくて、イギリスの年金がもらえる67歳までは働き続けるつもりでいた。が、しかし、当時勤めていた会社の雲行きが怪しくなり、結果的に人員削減の対象となったため、この春に退職。あー、また職探しするのめんどくさいー、と不貞腐れていたところウチのダンナさんから一言。「次の仕事を探す前に、ちょいと長期で東南アジアのバックパック旅行しない?年齢的にラストチャンスだと思うし」確かに。私もダンナさんも若かりし頃はチープバジェットのバックパッカー野郎。新婚旅行からしてヴィエトナム貧乏旅行で、結婚後も日本に住んでいたときは年に数回東南アジアや太平洋の島々をリュックひとつの個人旅行で楽しんでいた。イギリスに移住してからは、12時間以上のフライトで行く東南アジアなんて、ある程度のまとまった時間がないと無理だよねー、と諦め、近場のギリシャやカナリア諸島へ短期(とはいえ2週間ほど)のホリディでお茶を濁していた。が、確かに無職となった今、時間はあまりあるほどあるではないか?ダンナさんもちょうど仕事の契約の端境機なのでほぼフリー!そしてそして、60オーバーの老年カップルがバックパック背負って東南アジアを回る、なんて今やらなかったら一生後悔しそう。ということで、即決5秒の早技で、その週にはヴィエトナム行きの片道チケット購入し、バタバタとパッキングをして、二週間後には帰国の予定を立てない片道チケットでロンドン・ヒースロー空港を飛び立った。ヴィエトナム*ミトーというメコンデルタの町に滞在し、手漕ぎ船や木造ボートでメコン泥川の支流を探索。*サイゴンでは下町の安宿に泊まり、周辺の路上マーケットやバイクの波、そしてハズレのないストリートフードを堪能。カンボジア*シエムリップへ飛び、アンコールトムやワットの遺跡群に圧倒され、外国人観光客向け飲食店通り「バーストリート」で安酒を飲んだくれ、予想以上の高温多湿にヘバって少し沈没。*シアヌークビルという中華資本の開発が頓挫しゴーストタウンとなった町で1泊。湿地帯のスラム、中国語看板だらけの街並み、建設途中で放置され廃墟化した巨大なビルヂング群など、元ビーチリゾートだったとは思えない荒廃具合。*シアヌークビルからはフェリーでロン・サンレム島へ。当初の予定ではここに2-3週間滞在予定だったが、天気が悪すぎて1週間で退散。*バスでプノンペンまで移動し、思った以上にまだまだ発展途上の路上を散策。古臭いホテルで亡霊(たぶん幻覚)に悩まされる。マレーシアで*クアラルンプールからバスで7時間ほどかけてマーシンという港町へ移動。いかにも旅社!という中華系ホテルで、ボロさとか虫系でヒエ〜とか言いながら一泊。*マーシンからフェリーでティオマン島へ。メインビーチのテケックから4WDでジャングルの山を超え、人里離れたジュアラビーチに3週間ほど滞在。ビーチフロントの掘立小屋に泊まって毎日海に入ってコドモのような日々。砂浜のサンドフライにしょっちゅう刺されては悶絶したり、ジャングルから降りてきた猿に追いかけられたり、頭上の椰子の木には何十匹ものコウモリがぶら下がり、ふと軒下を見ると巨大トカゲがノソノソ歩いていたりと、久々に自然に囲まれてる感アリアリ。*クアラルンプールへ戻り、繁華街のブキッビンタンに1泊。屋台ストリートのそばだったので、何食べてもアタリだし、夜の喧騒と朝の静寂のコントラストも面白かったフィリピン*そして現在はフィリピンのマニラ経由でパングラオ島へ来ており、観光スポットのアロナビーチに数泊滞在後、普通の田舎町でアパート借りての生活スタート。バイク借りてアチコチのビーチ行ったり、ボホール島側にある繁華街まで買い出しに行ったりと、20年前とおんなじ事やっております。(こんな感じで、そろそろ2ヶ月が経つけど、改めて書いてみると結構盛りだくさんだなぁ。)
2025.07.17
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ワタクシれっきとした日本人ではあるのだが、オトナになってからの食習慣が普通ではなかったせいか、日本を離れてもさほど「日本食が恋しい」とは感じてこなかった、過去形ではなく今現在も、である。思い起こせば幼少期、家にあった世界の旅シリーズ的なカラー図鑑を何度も何度も食い入るように読んでいたようで、中でも「世界の料理」パートに乗っている異国料理がやたらと美味しそうで、いったいどのような味がするのかを、アレコレ想像膨らませていた記憶がある。そんな小さいころに下手にインプットしてしまった異国への憧憬&異国料理への執着は、ウン数十年後しっかりと達成しているあたり、やはりしぶといしつこい蠍座のオンナなのであった。ともあれ、気が付けは、炊きたてのごはんにお味噌汁とか、今日はスキヤキよー&ワーイとか、2日目の煮詰まったのが美味しいんだぜーのカレーライスとか、そういう典型的な日本的な食事というのは、多分高校卒業とともにオサラバしてしまい、以降、やれフレンチだイタリアンだインド料理だタイ料理だ・・・と、当時火がつき始めたエスニックブームに後押しされつつ、なんかワケわかんないものを好んで食べるようになった。さらにロンドンに家出したのちに、若気のいたりで「保守的なイギリス人家庭生まれ→幼少期はシンガポール→少年時代は英国寄宿舎学校育ち→卒業以降アジア大好きバックパッカー」のいまの旦那を連れて帰国してしまい、彼のMixed-upされた食癖と相まって和洋折衷入り乱れたワケわかんない食事が、私の食生活の中心になったのである。日本で旦那と過ごした20年間、いわゆる日本食的な料理は数えるくらいしか作ってなかったんじゃないかな、と思う。炊飯器すらなかったし。なので私にとっての日本食って、会社のランチタイムに食べる定食屋とか、飲み会の居酒屋とか、たまにふんぱつする懐石や寿司や鰻とか、ほぼほぼ外食に限られていたわけで、正直いまのロンドン生活とあんまり変わらなかったということか。まあまあ、そんなこんなで、日本を離れて6年目にさしかかり、ロンドンでは日本の方々ともお知り合いになる機会も多少あり、お話をするたびに話題にあがるのが、やはりなぜか日本食の話。配偶者も子供も付き合いも現地ドップリの方は、やはり日本食からはかなり離れた生活がデフォルト化しているし、駐在さんや日本人どおしの家族構成の方々は美味しい日本食ライフを維持するため、どこそこのスーパーやデリバリーがお得で美味しい等々の情報が豊富。私も、たまに納豆食べたい!とか、海苔食べたい!とか、みそ汁のみたい!とか、半年に1回くらい思うことがあるが、納豆以外はたいて普通のスーパーで買えるし、納豆にしてもどの町に必ずある中華系または韓国系スーパーで冷凍ものが入手可能なので、あんまり日系スーパーとかデリバリーとかの必要性は感じてない。そんな、食の非国民であるワタクシが唯一、日本的なもので恋しいなあ、と感じるのは魚介類。日本料理としてではなく、食材としての魚介類。これがね、なんか切実(笑)ご存じのように英国は四方を海に囲まれた島国なので、当然ふつうに魚介類を食すると思われがちですが・・・、いや、実際皆さん食されてます。フィッシュ&チップスとか、スモークサーモンとか、サバのソテーとか、SUSHIだって普通にファーストフードとしてお惣菜コーナーに必ずあるくらい。が、しかしですね。島国のわりには魚介の新鮮さが日本と違うというか、生食ではなく加熱調理を前提としているようで。たとえばフィッシュモンガー(魚屋さん)に一歩足を踏みいれると「サカナ臭い」し、大きめスーパーのお魚カウンターで買う生魚は「生食厳禁」のクオリティだ。日本のように刺身用のお魚が欲しいときは、日系スーパーの冷凍ものを買いにいかねばならん、当然高価である。なのでね、別に日本食ってわけじゃないけど、ちょっと新鮮な浅利やムール貝をサクッとワイン蒸しかなんかで作りたいわーとか思っても、普段使いのスーパーでは新鮮なもの(調理前のもの)まず手に入らない。調理済みの真空パックや生臭いむき身パックなどはあるが、とても食べる気にはならない。ここのところ、糖分控えるために炭水化物ほぼ絶ちして、タンパク質を積極的に摂るよう心掛けているせいか、なんかお肉はおなかイッパイな感じがし始めてて、もうこりゃ魚介類でしょ~と思って、探しているのだけど、なかなか思うような食材がないの、通常の普通の日常の延長線上では。海を隔てたお隣の国おフランスでは、食に対する意識&執着が別次元だからか、魚介も普通に日常使いでいただいてらっしゃるのよね・・・。と、知人の話や、Yutubeを見ては、うらやましいわーと地団駄踏んでいるこのごろ。そんな悶々がずーっと燻っていたせいか、先日ロンドンで友人と休日ランチをしたときには、ついつい我を通して、フランスのブラッスリーとかでよくあるFruits de Mer 魚介類盛り合わせを所望。島国のイギリスでフランス流シーフードを食べるのもなんだかな、と思ったけど、コロナ以降の外食自体も久々だったし、日本人でも美味しくいただけるクオリティの魚介類もひっさびさだったので、相当堪能させていただきました。ただ、元日本在住者としては、日本だったらこのクオリティって、普通に普段の日常生活の延長線上にあって、決して「ハレのお食事」ではないよなぁ、と、ちょっと寂しい想いも感じたということも付け加えておく。
2022.08.15
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標題のとおり、久々に楽天ブログを更新しているのだが、この使いづらと見づらさは一体何事アルか?2022年中盤の今であっても、これが普通にまかり通っちゃうの?楽天ブログを利用しているのは、アフィリエイト目的がほとんどなのかな?最近ガタ落ちしてきてきた日本語運用能力の向上を目的に、匿名性の陰に隠れてつまんないアレコレを粛々と書き連ねようと思って再開したのだが、なんか気落ちするようなデザインやうざい広告、規制ガシガシの入力画面、とにかくアップしずらいし見づらい、なんなのこれ?思い起こせば20年前に、日々の毒を吐き出していた楽天日記。あの頃はこんなウザさを感じなかったと思うのだが、記憶違いだろうか?その後、Blogger や Wordpress でブログや記事を書いていたが、それと比較すると楽天やアメブロはちょっといただけないというか、目にうるさすぎる。じゃあ、さっさとBlogger や Wordpress でブログを書きなさいよ、という話になりますが、それがね、やっぱ何つーの、差しさわりのないキレー事をスカシて公に発信するような、個人のSNSの延長線上にあるようなヤツにうんざり辟易してきて、同じ土俵にいたくないわ、というのが本音。なんかSNS全盛を過ぎたいまや、誰もが発信者として公共の場にクソをまき散らすことが可能になってるじゃない?それをベタに勘違いしたフツーの凡人が、「何者かでありたい!」とか「価値を認められたい」とか、果ては「インフルエンサーになりたい」とかいう自己顕示欲がコントロールできなくなってる感じが、まさにSNS狂騒曲。脳内お花畑というか、身の程知らずというか、ネットのおかけで世界が近くなったわりに、個人ベースでは超視野が狭くなっている人が増えているような気がするのは、それは私が年取ったババァだからなんだろうな。ま、いいけど。でもまあとりあえずは、この楽天の使いづらさと格闘しながら、で少しずつ色んな意味でのリハビリを進めていきますわ、ポチポチ・・・。昔は手書きでポストに手紙や葉書を投函していたのよね。海の向こうへ届くのは1週間以上かかった。
2022.08.10
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北アフリカ沖に位置するスペイン領の群島、カナリア諸島というがある。(大瀧詠一を思い出すそこのアタナ!同年代です!)日本からは地理的にもあまりポピュラーな渡航地ではないが、イギリスやドイツでは「安くて近いビーチリゾート」として人気だ。ところで6年前まで日本に住んでいた我々夫婦は、生粋のビーチラバー(=単に南国のビーチを純粋に愛するという意味)で、近場のグアム・サイパンはもちろん、フィリピンのボラカイやパラワン諸島、タイのコサムイ・コタオ・コサメット、インドのゴア、パラオ(ここはダイビング目的)、マレーシアのティオマン、ニューカレドニア、フィジー、果てはタヒチまで、年に3-4回はどこぞやのビーチで1-2週間ほどダラダラとリラックスするのを糧に、日々の労働に精を出していた。当時住んでいた日本自体がすでにほぼ亜熱帯気候だし、数時間飛行機に乗ればアチコチの綺麗な手つかずのビーチに行けてしまう日本という国は、非常に恵まれている。そして、日本生活最後の10年は、湘南のとある海岸町にずーっと住んでいたくらいだから、夏!暑い空気!青空!太陽!ビーチ!水!というのが、当たり前に「ある」という生き方をしてきたのである。が、しかし。6年前に日本を去り、ダブリン経由でロンドンに居を構えるようになり、何が足りないか?っていうと、そうなの、夏!太陽!青空!の絶対量が非常に少ない。夏場は日が長くなるけど、冬場は朝起きても暗いし、お昼ちょと過ぎるともう暗いし、日が出ているべき時間でも曇りか雨で肝心の太陽がでてこない・・・・というのがデフォルト設定。これだけ太陽摂取量が少ないと、ニンゲンやっぱり太陽!青空!を希求するもので、イギリスではちょと天気がよければスグにどこでも日光浴してメラトニン生成してるし、ホリデーシーズンともなれば、国内外を問わず彼方此方のビーチへワンサカワンカと押し寄せる。フランスやイタリアの知人たちは、夏のバカンスは国内でまかなうことが多いようだが、イギリスやドイツの人々は、国外へ向かう方が多いみたいだ。(by さっくり自己統計)そんな海外派のイギリス人達が夏のホリディへ向かう渡航地としては、ギリシャの島々、地中海のマヨルカ島やイビサ島と並び、カナリア諸島がむちゃくちゃ人気で、超格安パッケージツアーなどがバンバン出ている。(どうやらイギリスのワーキングクラス系の方々は、この超格安パッケージツアーを活用なさって、イケイケゴーゴー的にホリデイをエンジョイされるようで、そのプチ・フーリガン具合は嘲笑の対象になるくらいだったりするから、世の中けっこう残酷というか、私こういう風潮嫌いだわ。)ともあれ、元ビーチラバーの我々夫婦も、いい加減そろそろホリディにビーチとか行きたいぜいう話になり、仕事や生活や住処や私のビザ問題(コレが一番の問題だったのよー、海外出れないし!プンスカ!)が落ち着いた2019年の夏にギリシャのケファロニア島へ10日ほど滞在した。バイクで島を回り、気になるビーチでノンビリ過ごし、「おおおお!やっぱ良いよね!夏!太陽!青空!ビーチ!」と、なんかチョイと我々の心の奥に変な火がついた。んでね、私も旦那さんもフツーにサラリーマンとして週5日拘束で働いてて、イギリスなのに有休がとりずらい企業にいるため(くっそー)、フラリと1か月ほど南の島でノンビリ・・・なんて出来ない境遇ゆえ、どうしても1週間くらいのちょっとした気休め程度のホリディでお茶を濁すしかなくて。これじゃタイとかフィリピンなんて、とてもじゃないけど行けないヽ(T-T )ノそんな社畜の我々の救世主としてon the beachなる、ビーチリゾートに特化した格安パッケージツアーのサイトがあり、イエス、これは前述したワーキングクラス系ご用達なのですが、我々このサイトで初めて「パッケージツアー」なるものを予約してみました。コロナが落ちつき始めた2021年秋のことです。カナリア諸島の一番観光地化されていないフエルテヴェンテューラ島10日間パッケージ。日本の感覚では、パッケージツアーというと添乗員付きの、すべてお任せツアーのイメージがあるけど、ここでいうパッケージツアーというのは、航空券&ホテル予約がセットになっているだけで、あとは丸っと自由。「イギリスのプチ・フーリガンにまみれてのビーチホリディなんて気が進まないわー」と、鼻持ちならないボヤキをかましながら、ルートン空港からLCC(格安エアライン)のeasyjetに乗り込む。ロンドン北部にあるルートン空港は、easyjetの本拠地で、他にもライアンエアーやウィズなどのLCCが就航するこじんまりとした国際空港だ。機内はLCCの中では座席に余裕がある方と言われていて、確かに欧州都市への1時間程度のフライトなら良いかもしれないけど、カナリア諸島はスペイン領とはいえアフリカ北部沖なので4時間半のフライト・・・こんなちっぽけな空間で4時間も過ごすのはヤッパ苦痛!という感じは否めない。が、しかし、なんといっても「格安ツアー」なワケだから、文句なんて言ってはいけない。言うくらいなら、何倍もの金額を出したそれなりのクラスで旅をしたまえ!というものだ。ま、そんなこんなで、あまり期待せずに向かったフエルテヴェンテューラ島、これがね思った以上に良かったのよ。火山島ならではの荒々しく乾ききった土地、砂漠や砂丘の中を車でドンドン進むと、手つかずの美しい海岸があちらこちらに点在。フカフカの白浜に、透明度の高い水色の海、そしてほとんどない商売っ気(笑)ビーチベッド&パラソルの貸し出しはあるけど、ビーチバーやビーチレストラン、土産物の売り子的なものがほとんどない!これが非常にポイント高し。環境客の質とか雰囲気も含めて、これまで見聞きしてきたカナリア諸島とは、ちょっと違う印象。どちらかというとあまり観光地化されていない島のようで、我々にはちょうど良い。ということで、昨年の秋と、今年も5月にそれぞれ10日ほどのホリディを、このフエルテヴェンテューラ島で過ごしたのであった。詳しくは、また気が向いたら書いてみる。
2022.08.08
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5年前からロンドンに住んでいる。基本、体育会系からは真逆に位置するニンゲンであるが、ある程度の運動をせんと健康上よろしくないため、やむなく渋々水泳を日課にしている。(いや1日おきだけど)しかし、よく考えたら、やれダイエットだー!やれボディメイクだー!と、30歳くらいからジムで筋トレや水泳、あげくにアクロバティックなアシュタンガヨガを続けてきたくらいだから、自分で思っているより全然「肉体派」なのかもしれない。ともあれ、ロンドンにきて不摂生がたたり、限りなく糖尿病に近いおデブちゃんになり果てた昨今、手っ取り早く運動再開しようと思い始めたのがランニング。が、近くのハムステッドヒースという丘陵地帯をガシガシ走っていたら、膝を痛めてしばらく歩くこともできなかった。くっそ。まあ、この体重で山道みたいなトコ走るのは無謀だわね、と軽く悟り、今年に入ってからは水泳にシフトした。イギリスにはBETTERというスポーツセンター協会があり、メンバーになっておくと各地の市営施設内で自由に運動ができるので、これを利用している。ウチから一番近いのは徒歩10分ほどの距離にあり、自宅勤務の身としては便利なことこの上ない。自宅での仕事が終わればチャーっと着替えて歩いてプールで水泳、帰りスーパーで夕食の買い物して帰宅、と地元で全部すんじゃうのは、やっぱ楽。が、しかし。楽だけど、なんかイヤだな~、と DAY1から感じていて、それが何故なのか気づくのにちょっと時間がかかったのだが、公共施設の更衣室やシャワーなどが、どうもやたらと汚く感じて仕方ない。「汚い!」と断言できず「感じる」にとどめているのは、周囲の人たちがまったく気にしていないからで、恐らく自分の日本的な衛生観念というか、ここイギリスでは潔癖症とみなされる病的反応自体が問題なのではないかと、軽く内省。だってさ、日本のジムやヨガスタジオの更衣室って、普通に清潔じゃない?壁やベンチに触れないようビクビクすることもないし、ふつうに素足かソックスで歩ける。それって、まあ室内は土足厳禁って前提あってのことではあるけれど。はてさて、ロンドン地元の公営プールの更衣室はというと、当然床は水浸しな上に、土足で歩くワケだから、ドロッとジャリッとしている。そのくらいならビーサン履いて歩けばいいのだが、そこに更に、無数の髪の毛の束、お菓子の食べかけ、ティッシュのかけらなどが、ドロッとゴチャッとへばりついていて、まぁ非常に不潔というか、オエッとするくらい不快なのだ。ビーサンを履いてソロリソロリと歩く私をよそに、他の人たちはほぼ99%素足だ。シャワーを浴びた後でも、このドロッとベトッとジャリッとした床をフツーに素足で歩いてる。そして、このドロドロジャリジャリの床を素足で歩いてプールエリアへ向かう、むろん日本のような腰湯的なものは、ない。たったこれくらいで気持ち悪がってドースルの?と呆れられそうだが、これだけじゃないのよ。たとえば個室シャワー、床はカツラが作れそうな量の髪の毛だらけ、なんなら壁にもやたらと髪の毛がへばりついている。壁やドアはベトベトしていて触るのが怖い、腰かけるベンチ的な部分も何故か絶対濡れてる、泥だらけの足跡、お菓子のかけら、意味不明のベトベト。そして最も解せないのは、清掃のおねーちゃん達は、割と頻繁にガッツリ水撒いて消毒液使って清掃している(2時間に1回くらいか?)にもかかわらず、常に汚いってことは、常に誰もがみな汚しっぱなし!ってコト?そんなこんなで、爽快にスイミング~!という気分にはあまりなれず、どちらかというと気分が滅入りながらの義務おつとめ感満載で、ちっとも楽しくナイ。まあね、そもそも外で土の上や犬のウンコの上を歩いた土足そのままで、絨毯引きの家の中に入って過ごして、時に靴履いたままベッドの上で横たわることすら、フツーに当たり前って世界に、過剰な潔癖症のニッポン人が入り込んでるワケだから、この軋轢は避けようがないのよね。2年前に始まったコロナ騒動では、この国の衛生観念と死生観の雑さに心底仰天しまくっていたけれど、なんかそれにも慣れちゃって、オノレの小心さとか、過保護で神経質で過敏な部分が、どんどんガサツになっていくようで哀しいのだが、それでも、このプールの更衣室だけは絶対慣れたくはない。建物は古くてカッコいいんですけどね。
2022.08.05
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10代の鬱屈した思春期に、「オイコラ!このやり場のない衝動や想念とどのように折り合いをつけたらよいのだ?」と、人並みに悩んでおった時に、救いの手を伸ばしてくれたのは海の向こうから発信されるニューウェイブやオルタナ系の音楽だった。それは欧州中心のバンドやアーティストだったけれど、UKものの占める割合が高かったため、個人的には(当時の語彙力の低さもあいまって)さっくりと「UKロック」とひとくくりにしていた。実は自分は非常に恵まれた、どちらかというと裕福な環境で育った「いわゆオジョーサン」なのだ、という自覚は昔からあった。そしてそれがとても嫌だった。地元の小学校や近所の遊び友達とワーワーキャーキャーやっていたお転婆娘だった自分が、中学受験して皇居そばの女子校へ進学した時点で、「はい、アナタはアチラ側ね」と、ハブられた気分になったのを覚えている。そしてうちの家族は非常に過保護で異常なまでに心配症でもあり、友人と出かけられないよう毎週末は家族で旅行やおでかけ、そして学校のスキー教室などは「危ないから」という理由で参加することができず、電車やバスなどの公共交通を極力避けるためにお抱えの運転手がいたほどだ。さらに残念なことに私の外見が「小さくてカワイイ系」だったため、どうしてもオジョーサンから抜け出せず、あこがれのギャル系(当時はただのヤンキー)にはとうてい辿り着けない、持って生まれた不公平を嘆いてもいた。(←バカタレ)そして、恐らくそんな私の外見を楽しむかのように、両親はこぞっておジョーさんらしい服装をごっちゃり買い与えては、しごくご満悦な様子であった。そんな、何の不自由もなく、重すぎる愛情を一心に受け、ヌクヌクと温室で育ってきたボンクラガールが思春期に日々何を思うかというと、「なんとなく自分が自分じゃないみたいだ」的な、「なんか、もっとこう、自分の生をイキイキと生きてみたい!」とかいう感情で、無論当時はそれを言葉にして整理するオツムは持ち合わせてなかった=ゆえに悶々と鬱屈していた。ちょうど中3の14歳のとき、そんな悶々をかかえながらも表面上は「ごきげんよう」とご挨拶をかわし過ごす学び舎にて、ひとりのクラスメートがカバンに安全ピンをごっちゃリつけているのが目に入った。当時の周囲の感性では、ステキ!とかカワイイ!とかオシャレ!からかなり逸脱したセンスではあるのだが、なぜか、なぜだか、その時にワタシの目には、「え、なにそれ、超カッコいいんですけど・・・!」と映ったのだ。たぶん、それが始まり。そのクラスメートから聞かされたイギリスのパンクロックの話、ちょっと遡ったモッズの話、アートやファッションの話・・・全部初めて耳にすることばかりだった。そして異常に興奮したのを覚えている。その夏はピストルズとクラッシュとWhoとヴェルベッツをレコードが擦り切れるまで聴き倒し、流れで発見したSiouxie & the Bansheeds に傾倒し(というかSiouxie教ですか?というくらい崇拝し)、思春期における精神の筆おろし無事通過!したのであった。これを機に、中3からドップリとパンクとニューウェイブの流れにはまり込み、ひいては見る映画、読む本、鑑賞するアート、理解したふりする現代思想(笑)など、いわゆる80年代オルタナの洗礼をうけ、以降の生き方の指針になった(ような気がしていた)神保町っ子の身としては、当然のごとくジャニスに入りびたり!その後は、インディバンド組んでギグしたり、宅録して海外の自主レーベルに売り込みに行ったり、エスカレーター式で入った大学を中退したり、果てにロンドンまで家出したりと、今思うと非常にイタイまでにワガママにやりたいことやりながら、生活というか生き方の中心にはいつも音楽があった。そして聞き続けている傾向の音楽は、常に変革し進化し、新鮮な驚きの連続で、決して飽きることなかった。音楽は私にとっては、表現芸術であり、時代の象徴であり、心のタガをはずすヒーリングであり、あらゆる感情を鼓舞するドラッグであり、世界や他者とつながるコミュニケーションツールであった。音楽があれば、この世知辛い人生も、多分生きていける!と、本当に思っていた。それだけ重要なナニカだった。単なるBGMではなかった。ピストルズ・クラッシュ(キッカケ)スージー&ザ・バンシーズ(傾倒)キュアー・エコバニジャパン・デビシルチェリーレッド・クレプスキュール系泣きのネオアコクリエーション系モーマス・ハウスオブラブ・ペイルセインツ・ローゼス・La's渡英してもろシューゲイズとおマンチェとレイブの波にのまれるライド・マブイブラ・ジェイムスXLレコード・デトロイトテクノ系オアシス・ブラー・ヴァーブ・レディオヘッドティーンエイジ・モグワイ・シガーロストラヴィス・コールドプレイ・アンダーワールド・スノパトリバティーンズ・インターポール・デスキャブ・フランツミュー・カイザーチーフ・アーティックモンキーズ・カサビアン80's~2000'sまでは、古くはレコード盤(その後CD)をジャケ買いしたり、海外の音楽情報を読みあさったりと、積極的に&能動的に音楽を入手する姿勢があったが、2010's以降音楽をとりまく環境がデジタル化するにつれ、アルゴリズムで導かれる「おすすめ」を受動的に聴くようになり、これまでの宝探し的な楽しみ(それは大失敗!というのもふくめて)が、激変してしまったのは確か。2010's以降は、もうインディとかオルタナというのが、主流のイチカテゴリーになっている昨今、そこにバカみたいな選民意識や「オイラちょっと皆とは違うんだぜ」的なスカシ方の存在意義なんてなくて。むしろ主流も亜流も同次元で横並びというか、それだけ今や私たちの選択肢には多用な広がりがあるという、大進化ゆえの平均化。ワタクシ個人的には、最近はSpotifyにお任せというか、お金もかけず(サブスク料はあるがこれまでのレコード&CD投資と比較したら米粒みたいなもん)これだけ音楽探求の枠が広がっていくのか!と思うと、逆に萎えてしまうのであった。ここ数年は、テクノ系のダンスものか、60-70年代の懐メロを中心に、やっぱり80's~2000'sの過去ものばかり聞いている。そんな中、お!これは!と感じているのが、Bicepというテクノ系ダンス音楽のデュオ。北アイルランドのベルファスト出身で、たぶんね、同じ時期に同じような音楽を聴いて生きてきた人の匂いがするの。88-93年のころレイブやテクノ、あのあたりの空気感。基本ビーチ好きゆえか、トロピカルなハウスとかテクノは好んでBGMにしていて(10代の私が聞いたら嘆きそう)、Kygoとか大好きなんですけどね(笑)、このBicepは似たようなジャンルでありながら、根本的に本質的に「若くて才能あるキョービのアーティスト」とは違う、これは確信する。ワーッ!と盛り上がるポイントの溜め方とか、予定調和から逃げる感じとか、ライブでの煽り方とか、やっぱ違うのよ。なんてゴタクはおいといて、まさかと思うけど、このブログの投稿に興味を持った1億分の3くらいの人はYoutubeでも見てちょうだい。ということで、すんごい長い文章でしたが、タイトルの「UKロック(オルタナ系)かぶれの成れの果て」とは、イコール、やっぱり何も変わってなくてBicepとか聴いてるよ、というだけのオチでした。PS:一番最初に聞いたのはコレ、結構ぶっ飛ばされた。
2022.08.04
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いま住んでいるのは、北ロンドンのゾーン2と3の境目当たりで、ロンドンの中心から地下鉄で15分程度の結構便利なエリアだ。よくある「ロンドンの治安」とかいうネット情報は、コピペのコピペの劣化情報を後生大事に使いまわしているため、噴飯もののガセネタがまかり通っているのだが、そんなネット検索結果8割を占める「ロンドンの治安情報」によると、私の住んでいる北ロンドンはどうやら治安が良いらしい。ウチはヴィクトリア時代の古い家をサックリとリノベした、ロンドンによくあるフラット。天井が高くて、出窓があって、奥行きのある裏庭といった「いかにもロンドンぽい」要素がミーハーな我々夫婦にはうってつけというか、かれこれ5年近く住み続けている。ウチからちょいと歩けばポッシュなエリアだし、「どこ住んでるの?」の問いに「〇〇〇だよ」と言えば、ちょっとロンドン知ってる人なら「あら、いいところね」と反応されるような、そんな土地だ。が、しかしね、ロンドンを深く知る者にとっては、最寄り駅とかエリアとか、あんまり関係なくて。同じエリアでも、道を1本へだてると治安の良さ・悪さがガラリと変わることが多い。実際ウチの最寄り駅から北上するとポッシュな高級住宅街、東方面へ南下すると猥雑なエスニックタウン、真下に南下すると小汚い若者が集うカムデンだったりする。また、エリアどころか、同じ通りをはさんで高級住宅とカウンシルフラット(公団住宅)が向い合せというのも、よくある光景だ。さらにここ数十年に加速したジェントリフィケーション(都市の裕福化・階級浄化)で、これまで低所得層が住み貧困と犯罪が交差するような危険地帯が、軒並み近代的な高層マンションやトレンディなカフェやレストランに侵略され、いつのまにやらインスタグラマブルでチャラいトレンディスポットになってたりするから、正直言って「治安がどうのこうの」のエリア区分は、まったくもって意味をなさないのが現在のロンドンなんじゃないかな。実際私の住む通りの向かい側はカウンシルフラットで、奇声大声や罵倒や喧嘩や破壊音などが珍しくはない。道端に散乱するゴミの状態とか、犬のフンの始末具合とかで、「ああ、ここは、低所得層の住む通りね」と、すぐにわかってしまう。同じ通りのこちら側は、ビクトリア時代の古臭い建物が並ぶが、ほぼ98%は1件屋ではなく、フラットと呼ばれる、各階ごとに住人が異なるアパート形式だ。そして、5年住んだ感触としては、7割外国人・3割英国人。外国人の内訳は、黒人系と白人系と西アジア系が多く、私のような東洋系は非常に少ない。と、いかにもロンドン的なごった煮状態の我がストリートであるが、なぜかパトカーや消防車がやたらと来るのだ。(我々夫婦も最近2度ほど消防車を呼んだ。詳細は後日)ちょっとした諍いや喧嘩などで呼ぶのか、月に数回はあの青白いライトがチラチラと窓の外を照らす光景に出会う。ウチは3階建てのフラットで、各階の住人はそれぞれ異なる国籍、肌の色、性癖、職業的ステータスを持っていて、特に親密になるわけでもないが、お互いに尊重しあっている感じが気に入っている。ベタベタせずとも、助けが必要な時にはお互い手を差し伸べることが自然にできる環境は、心地よいものだ。が、1年くらい前のこと、ウチのフラットの上の階へ、ダダダダダーッと警察らしき面々が突進していき、しばらくしてから以前の上の階の住人が後ろ手で連行されていった。あらヤダどうしたのかしら?と思っていると、移民局の手入れで検挙されたらしい。私も以前、ヴィサの切替に手違いがあり、突然「国外退去」の警告が来たくらい、この国は移民に対してマジ厳しい。ロンドンで最初に泊まっていたウィークリーマンションでも一度、不法滞在者を取り押さえしている現場に居合わせたことがある。そのくらい結構頻繁に起きている(のか?)んで、最近イギリスにしては蒸し暑い日々が続き、リビングの出窓を全開で仕事をしていた昨日のこと、何度も何度も玄関ポーチから屋内へ人の出入りが続き、さすがに「むむむ、何かあったアルか?」と様子を伺うと、なんとまたまた上の階の住人が後ろ手で連行されていった。(以前とは別の住人)前回は、「あーそうか、イミグレ系ね」と思うような柔らかい警官が主だったけど、今回はがっしりとした強面の警官が多く、ひょっとして犯罪系?といらんこと邪推しながらも、よく声をかけていた住人でもあったので、「それはナイんじゃないかな~」と思いたいナイーブな自分と、「やはり他人の内実はわからないだけに気を付けよう」と背筋を正し神妙な面持ちになった自分が、一瞬だけ同居した。
2022.08.03
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そんなこんなでロンドンで過ごすこと5年目に突入し、気が付けば日本ははるか彼方の遠い存在になりにけり。今年の夏は熱波到来で40度を記録した!とかボリスついに辞任!さて次期首相は誰に?とかウクライナ戦争を言い訳機に光熱費や生活費が爆上がり!とかエリザベス女王即位70周年で国中がハイテンション!とかコロナ禍で大幅人員整理の観光業界がシーズン到来に対応しきれず自爆中!とか日本の元首相が公道で暗殺!のニュース速報とかそんなこんな(割とどうてでもいいような)ビッグニューズがここ2か月くらいの出来事で、ああこの世は本当にどこまでも延々と果てしなく続くのだなぁ、と思うことしきり。四捨五入したら100歳!という人生の通過点もクリアし、いまや還暦まであとわずかというビミョーなお年頃なハズなのに、なんでかどうしてなのか、私の心は14歳の頃とあんまり変わってないみたいだ。週末は相変わらず飲んだくれて勝手に踊りだし、平日は「お堅いサラリーマン」の仮面をかぶり粛々と業務をこなすことにカタルシスを覚え立派な糖尿予備軍として日々の食事制限と運動(水泳)にマニアックに精を出し気がつくと次のホリディ計画で頭がパンパンになり(前回5月、次回9月)そうだ忘れてた!と副業の仕入れに大わらわしては足元すくわれたり見つくしちゃったNetflixやアマプラで過去の名作を掘り起こしては頬に涙しコロナ禍でおあずけしていたバレエやオペラやギグなどのチケット入手に悪戦苦闘したりそうそう、そんな感じで、なんだかんだと、そこがどの国のどの都市や町であれ、自分ってヤツは基本的になーーーんにも変わっちゃねぇな、ということを改めて再確認しているこの頃であります。どうでもいいけど、人生って思っていたより長くないかい?
2022.08.01
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6月の終わりにロンドンへ引っ越してくる前に、半年ほどアイルランドのダブリンに住んでた。イギリスにムリクリ取り込まれた北アイルランドではなく、ビョークを生んだアイスランドでもなく、U2とギネスとセントパトリックディの国、負の歴史を抱えたルサンチマンが隠しきれないまま、しかし武骨な人の良さがにじみ出るアイルランド。一見イギリスっぽい光景が広がるのだけど、やっぱりどことなく野暮ったくて田舎臭い(それはいい意味でも悪い意味でも)、というのが私個人的な印象。長い冬を挟んでの季節だったせいか、更年期のウツっぽい精神状態だったせいか、非常に荒んだ場所に住んでいたせいか、今から思い返すと結構ハードな半年だったような、気もする。ダブリンで最初に住んだ場所が、これまた非常にハードコアで、生活保護受給者、アル中ヤク中、ドラッグディーラー、不法滞在者、ミワユミコ、外国人などなど錚々たる顔ぶれが勢ぞろい(笑)で、地元のChavにすら「うわっ、そこ前に住んでたけど、ヤバいねー」と苦笑いされる通りだった。だけどね、ゴミだらけラクガキだらけで誰からも厭まれる場所だったけど、やたら絵になる光景が好きだったなぁ。安普請の隣人は、超イカレたヤク中カップルで、いつも怒鳴り合いのケンカをしていたけれど、訛りがキツすぎて何を言っていたのかよく分らなかった。もう絶対的に道を外したルーザー街道邁進中の彼らは、道端でもケンカ売ってばかりいたけれど、「なんかよく解らないスランティアイズのアジア娘」には変な気を使ってくれてたような気がする。ダブリンでは、やっぱり沢山のベガー(お金を恵んでもらう人達)がアチコチにいて。もう身なりからして、立ち居振る舞いからして、物乞いする者のソレだから、最初のうちはガン無視してた。目合わせちゃイカン!とか、ビビっていたのね、私。だけど、自分に余裕がでてくると、周囲を冷静に観察できるようになって。「小銭くれない?」と声をかけられても、「ごめんなさい、今は手助けすることができないの」と目を見て礼儀正しく断ると、必ず彼らは「サンキュー」と礼を言うことに気づいた。サンキュー?ビタ一文も施していないのに?何故お礼を?最初はピンとこなかったけど、立ち去り際にハッとした。あのサンキューは、きっと、「無視しないで断ってくれて、人として対応してくれてありがとう」だったんじゃないかな、って。確かに、止むにやまれない理由により道で寝泊まりしたり、物乞いをしなければならない彼ら彼女らは、どれだけの人々から蔑まれ、罵られ、無視され、虫ケラを見るような眼差しに晒され、傷つけられてきたことか。同じような状況でも、これがインドなら、断れば「何故だ!」と怒られるし。ロンドンなら、断れば「バカヤロー!」と罵られるし。そんな意味でも、アイルランドって、どこか朴訥だよなぁ、と、まったくもって勝手にそんなことを思っていた2017年初頭ごろ。
2017.08.02
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楽天日記をしたためていた頃から、はや十年あまり。当時はトーキョーで、ブツクサブリクサ言いながら真面目に働き、何かから逃げるように映画や音楽や旅行に没頭しては「なにもかもが陳腐だわよね」なんて自嘲気味に紫煙をフンガーとくゆらせ、いわゆる底の浅いオジョーチャンの成れの果てのようなオバチャン未満の中途半端な時期を持て余していた。その後、カッコよさそう!とチャラく始めたアシュタンガヨガにハマり、胡散臭いスピリチュアリティビジネスの恰好の餌食になること約10年あまり。カルトに傾倒したり、瞑想合宿でラリったり、インドで世界をひっくり返したりと、不良中年を満喫させていただいた。そして何の因果か判らぬが、気が付いたらアイルランドのダブリンに移住することになり、その流れで先月あたりからロンドンに引っ越してきた自分が、イマココ。思春期を過ごしたロンドンに20年ぶりに戻ってきたのだが、何一つ変わってないところもあれば、ウワー!っとジェントリフィケーションされてしまったところもあって、それなにり思うこと多々あり。だけどね、そんな風に色々とロンドンという街に思いを寄せている自分自身が、実のところまったく、なにひとつ変わってないんだってことに、実は今さっき気づいた。ま、ヒマなので、あれこれ書いてみるとする。この写真は現在住んでるノースケンジントンの駅から見た、あのグレンフェルタワー。まるでケロイドのように目の前にそびえる焼け跡、胸がつまる。
2017.07.29
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久々ログインしようとしたら、ユーザー名もパスワードも失念していた。脳みその隙間を這うようにして、過去の記録を掘り起こし、やっとのことでログイン成功するも、あらあら、随分と様子が変わっていて、なにがなにやら、リンクスってなんだ?なぜにこんなやたらとタブがあるのだ?と、まぁ、浦島花子さんの気分。ささ、日記でも書こうと思ったが、なんか異常に重い、遅い、やたらフリーズするで、げんなりしてきた。楽天日記がユーザーアンフレンドリーなのか、はたまた、私が時代についてゆけないババァなのか。あ、きっと後者だ。昨年1年間は逗子でボヨヨーンと無職な日々。楽しかった。しかし経済的にヤバかろう、という現実もあり、秋口くらいから呑気に職探し・・・これがまたビックリしたのなんのって、仕事が見つからないのだ。やり手ババァのこの私が、である。ニッポン社会さん、マジですかい?面接どころか書類選考で、落ちる落ちる。タカビーな経歴なのに、希望職種が秘書とかアドミとかの、アシスタント系だからか?と思い、マジなポジションにも応募してみた。流石に書類は通り、何社かの面接を受け、最終の社長面接もあった。しかし、やはり、ことごとく落ちるのだ。器量が悪いとは思えない。態度が悪いとも思えない。なぜだ、なぜなんだ?お母さんの答え:不景気だからじゃないー?ダンナさんの答え:マネジメントのポジションにしてはキャリア不足、サポート系のポジションにしては高経歴、という中途半端なところに位置している。友人の答え:歳だから。あと10歳若かったら状況全然違うはず。そうか、今の時点で世間は私を必要としていないのか、というのが私の見解。んじゃ、自分でなんかやろー、と思い立ち、2月から神保町でベジごはんランチのカフェをやっております。安い、ボリューミー、カロリーたっぷりキッチン南海系のランチやさんが溢れる神保町で、ヘルシーでオーガニックでシャンティなビーガンランチ^^なんて、かなりオルタナでパンクでしょ?案の定、かなり盛り上がっており、毎日テンテコマイの嬉しい悲鳴をキャー。ヨガも相変わらず、毎朝アシュタンガヨガの練習やって、週末は地元でヨガクラス開催して、っていうのが続いてる。音楽は聴かなくなっちゃった。本も読んでない。映画もまったくご無沙汰。ここ4年くらいTVがない暮らしだし。旅行もほとんど行ってない。なんかんだで、やれ音楽だー、映画だー、旅行だー、ってハイ状態だった頃って、自分の外側に答えを探してたのかなー、って思うあるよ。あの頃は「ここじゃないどこか」を常に求めてて、「いまここ」から目をそむけてた。それが悪いとかいうんじゃなくて、そうだったんだなー、って。いまは、寝て、起きて、ヨガって、身体使って人間相手に心をこめた仕事をして・・・それで充分で、いやちょっとtoo muchなくらい、これ以上なにを求めるのかな?って気がしてる。文句や不満は言い出せばキリがないけど、とりあえず、「これでよし」と思える生き方ができてれば、それはそれで充分しあわせなんじゃないかな、と。そういう意味で自分は、貧乏だけど、超シアワセもんだと自負しているのだ、エッヘン。
2010.05.14
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さて、無職であること、はや6ヶ月目。4週間に1度ハローワークへ出頭し、いくばくかの失業保険を有難く頂戴する。毎朝ヨガの練習を行う以外は、なんともノラクラと自由な日々が続く。年の初めに頚椎ヘルニアの急性症状に襲われ、神経の激痛と麻酔と鎮痛剤と麻痺と自暴自棄でグチャっ、と一旦壊れた以外は、えてして日々是こともなく、時は過ぎ、陽は落ち、夜の闇は巡り、月は満ち欠け、朝日は昇るのだなぁ、と。サラリーマンであったのは、たかだか13年あまり。ワーカホリックだったのはそのうちほんの5年くらいか。それ以外は、ずっとノラリクラリの日々を送っていたわけで、道理で最近のノホホンとした生活が妙にシックリと心地よいわけだ。起きて、ヨガやって、ゴハン食べて、昼寝して、山に登って森林浴するか/海に行って日光浴するかして、買い物しておうちに戻って、ゴハン作って、お風呂に入って、寝る、その繰り返し。別になんにも起きない、なんにも期待しない、なんにも失望しない、明日に望みなどかけない、思い出にしがみつかない、今日がまた来て、私はここにいて、空は高くどこまでも高く、鬱蒼とした緑は健やかに呼吸して、波は大らかな鼓動を刻み、風や湿度がゆるやかに流れ、陽の光に世界がキラキラと輝く、有難い奇跡のような瞬間、それだけで十分。なんにもしない、というのが苦痛でなくなったのは、いつからだろう?ここじゃないどこか、を求めなくなったのは、いつからだろう?「そういうのを”年とった”と言うんだよ」「そうやって繊細さを失っていくんだ」と昔の私が嘲笑しそうだ。ふふん、そうかも、だったら年をとるのもちっとも悪くない若隠居な気分で無駄な時間を無為に過ごす中年期に突入した私が言うのも何なんだけど、円熟とか、本来の豊かとかは、実はそこからしか生まれないんだよ、ベイビー。
2009.06.08
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えーんPC壊れた~!購入してまだ2年確かに一緒にインドへは行ったけど別段落としたりぶつけたりとかはしてないなのに突然Operating system not foundのメッセージが現れ一気にご臨終・・・周囲のPC詳しい方々に色々やってもらいましたがハードドライブがお釈迦ですソニーの修理サービスの呆れるほどの対応の酷さに愕然。故障・障害状況の説明もなくもちろん考えられうる要因の説明もなく>ハードドライブの交換が必要です>バッテりーの交換が必要です>分解した形跡があるのでナントカ料金をチャージします>テクニカルチャージもかかりますよって、修理費10万円ナリです~ああ、デザインがカッチイからとソニー製品を贔屓にしていたワタシは底の浅いお馬鹿なオジョーチャンだったのだなぁ、と。そんなメーカーさんの製品は金輪際ゴメンちゃいなので修理代と同じ金額で新規にDELLのPC購入することにしました。ま、それはいいとして、問題なのはワタシPCのバックアップとってなかったのってことで。ショックなのが写真過去5年にわたる私のさまざまなメモリーが全てパァ・・・!ガーンかなりブルー相当ブルーデータリカバリ屋さんへ送りつけ無料診断してもらったらデータ回復料金38万円の見積もり!38万円!ガーンかなりブルー相当ブルー
2008.08.22
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日本のサラリーマンはお疲れらしい終電のプラットホームではない安価カフェのソファー席、午前10時半どうでもいいけど神保町でこの道30年の老舗が誇るニッポンのサンドイッチやさんジャンクでキュートそれだけ
2008.07.23
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夕暮れの逢魔が時昼と夜のちょうど境薄闇がかる道端で視界の焦点が喪失きょうもいちにちがおわるらしいきのうとかわらぬいつもどおりにあすもきっとまたおんなじようにまたあしたね、ってぼくはいうんだだけど今日のあれもこれももう戻らない今日のありがとうはどこにいくのだろう今日のごめんねもなくなっていくのかな日が暮れる、さあ、おうちへ帰ろう
2008.07.23
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記憶はないのだが、生まれたのは文京区の音羽のあたりだったらしい。そして3~4才のときに神保町へ引っ越した。以来20歳くらいまでの間はずっと、この神保町近辺が私の世界だった。おうちは一ツ橋、学校は神保町からそして三番町へ、銀座の呉服屋だった父方の実家が三番町、父の道楽副業喫茶店のひとつが駿河台下、アルバイト先は文房堂のフォリオと錦華小学校横のベルギー居酒屋ブラッセルズ、貸しレコード屋のジャニスに入り浸って音楽を学び、高岡書店で漫画を学び、レモンと文房堂で画材を仕入れ、トマス外語学校で英語を学んでた。成人してからは、家を飛び出しイギリスへ行ったり、タイやフィリピンの南の国へ逃避したり、札幌や大阪へ移り住んだり、と10年以上はご無沙汰していた。父の死以降は、思い出がよみがえるのが辛くて、あえて避けていた部分もある。ところがここ最近、またまた神保町へ頻繁に足を踏み入れるようになり、気がついたら平日は毎朝九段下のヨガスタジオに通い2~3回は北の丸や皇居でお昼寝して、神保町でランチ、古本屋を徘徊、さぼうるで一息・・・と、昔みたいな日々。町並みは変わっても空気はそのまんま、この雰囲気がカラダの隋まで沁み込んでいるせいか、やたらと落ち着くのである。ついには先日オーガニックレストランで「ヨガ教えてちょうだい」とナンパされて、神保町で週1回ヨガクラスを開催することになった。これまた、不思議なご縁である。昔住んでいた長屋はもうない。幼馴染のお店屋さん・・・薬屋さん、パン屋さん、帽子屋さんetcは、しっかりまだ健在。いまやスタバも、ビレバンもある(天下の神保町に?!)。そしてジャニスもブラッセルズもいまだにあって当然さぼうるやロドリオ、ミロンガも健在。ガラクタ商会はとっくの昔になくなっちゃった。トマス外語も閉鎖されてる。救世軍は単なるオフィスビルに改装され、あの重鎮な趣を失った。変わるもの、変わらないもの。それぞれがいり混じり、常に新しい空間を満たしていく。世界はまわる、ときはすすむ。「そこ」にいつまでもとどまる理由なんて、本当はない。
2008.07.20
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葉山の御用邸前にとてもシャンティ(笑)な海岸があって。ちょっとした高台になっている芝生の緑と、その足元に広がる海岸は、ちょっと神々しいくらいで。この神聖さに本能が反応するのか人々はワラワラと、このスポットに引き寄せられるように。気がつくと自分もここに来ては、(それが会社を早退した慌しい日のほんの10分であろうと)とりあえずホテホテと散歩してついつい胸いっぱいに空気を吸ってうかうかと空間と世界を自分の内に満たしてたりする。逗子に越してはきたものの夏場の逗子海岸は非常に低俗軽薄騒々しい哉よって常に一色海岸な日々イン・サマータイム大抵誰それやに遭遇する世界は狭い。梅雨は明けないものの、ちょっとした夏日今年お初の入水水温はまだまだ冷たくて、ひんやりと火照った躁な心をクールダウン。水面にポカンと浮かんで屍のポーズ見上げる空には雲がポカンエルニドの橋渡し少年もきっと今頃同じ空を見上げてる世界は広いんだか、狭いんだかわははは、だ。
2008.07.19
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朝ヨガのクラスを終えてから、ぷらりと葉山の久留輪海岸へ。漁港のサビレ具合と、おざなりさが非常にチャーミング。人っ子ひとりいないテトラポットの上でボンヤリをかます。磯の匂い、波の音、風と、雲と。ひとりでプラプラ、世界を感じるのはそこがインドだろうと、日本だろうと、フィリピンだろうと。決定的な人の不在によって浮かび上がる燃えカスの想念のようなもの。ゴーストタウンや廃墟や休日のオフィス街の静謐な賑わい。梅雨明け前の湿気が靄となり山の上から降りてくる。恋しい人の笑顔を思い浮かべてはその輪郭がとっくにボヤけていることに気がついた。夏はまだこれから。
2008.07.18
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【絶望ポーカー恋愛編】今ここに、恋愛人生を賭けて絶望ポーカーに挑む者がいる。その女、ユミコ1029。ただならぬ空気をかもしだしたこの女性は、今から始まるポーカーに命さえ賭けているようであった。その緊迫感ゆえなのか、会場中が彼女の挙動を見守っていた。彼女は力強く最初のカードを引いた。┌─┐─┐─┐─┐─┐│結│孤│孤│我│依││婚│独│独│慢│存│└─┘─┘─┘─┘─┘カードを開くと、会場は寒気に包まれた。殺伐としたカードに包まれている。「これがユミコ1029の現状か…」笑えないカード群に、勝手に同情する者もいた。「フンッ…」ユミコ1029は鼻で笑っていた。ユミコ1029は「結婚」「我慢」「依存」を捨てた。捨てたカード、残したカードには、彼女の気持ちがよく表れていた。彼女は勢いよく次のカードを引いた。┌─┐─┐─┐─┐─┐│性│性│性│孤│孤││欲│欲│欲│独│独│└─┘─┘─┘─┘─┘「性欲」と「孤独」によるフルハウス…特に「孤独」を残しつつ「性欲」を引いたあたりに、よくユミコ1029の人柄が表れていた…。人はユミコ1029をこう呼ぶ。「悩めるフルハウス」と。────────【技名】ネガティブスタートからの「性欲」と「孤独」によるフルハウス【スコア】-157点────────◆この結果URLhttp://poker.hanihoh.com/r/?k=080627jenz4864e68350a82&th=10011EE◆絶望ポーカーhttp://poker.hanihoh.com
2008.06.27
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久々にマスタークレンズを始めた。 今日で6日目、かなりシンドイ感があるのに驚く。 マスタークレンズは、別名「レモネード・ダイエット」と呼ばれ 食事は一切摂らず、手作りのレモネードを飲むだけ、という断食と 目覚めに腸内洗浄を行い宿便をとる、という浄化法だ。 手作りのレモネードは、水(ぬるま湯)に +絞ったレモン汁 +メープルシロップ +カイエンペッパーを加えたもの。 (私はカイエンペッパーが苦手なのでパス) 腸内洗浄は起き抜けに 体温程度のぬるま湯に自然塩を加え 体液と同じ濃度にしたこの液体を1.5リットルを一気に飲み 体内を通過するこの液体で腸内から宿便を排出させる。 (私は朝練重視なのでこれはパス) 日々はいたっていつもどおりに過ごしている。 朝練もいつもどおり、仕事もいつもどおり ヨガレッスンもいつもどおり。 1日 14時のランチを境に断食決行 過食気味だったので、特になにも感じず 51kg 2月 頭痛・食欲アリ・通常便アリ(朝) 通常通りの練習 食欲は=イコールこれまでの習慣でしかない? 3火 冷え・舌苔・歯垢・食欲減る・通常便アリ(朝) 疲れ気味の練習・身体は柔らかい お腹が一気にペッタンコで笑えた 49kg 4水 動悸・眩暈・冷え・舌苔・歯垢・食欲なし・便ナシ クラクラとドキドキでシンドイ練習・身体はどんどん柔らかくなる 少しイライラしやすい自分を発見、でもそれを眺めてる自分もいたりして ヨガレッスンはかなりエネルギーを消耗しつつ、でもハイテンションで脳内麻薬大放出 48.5kg 5木 動悸・眩暈・冷え・食欲なし・便ナシ 変に覚醒したクールな練習・身体は軽い・前屈とねじりは柔らかい・後屈は固い マリーチCで初めて自分で手首がとれた 全身がしびれているような感じ、だけどアタマの奥の方がキンキンに冴えている すべてがスローモーション、この世の煩わしさは全てマヤカシ? 48kg 6金 動悸・眩暈・食欲なし・宿便アリ(朝)・生理スタート ダルさに負けて朝練はキャンセル むははは、日々是こともなし。
2008.05.16
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もともと嗅覚が人並みはずれて敏感ゆえ生きていくのが辛いときが多々あり。 電車や公衆トイレなどのパブリックスペースはもとよりプライベートライフでも体臭、口臭、過剰なデオドランド臭に、ウーン。 で、ここにきてやれヨガだ瞑想だー、浄化だデトックスだーなーんてやってたら、諸感覚器官が更に鋭敏になってしまったのである。 皮膚感覚は超エロいくて困っちゃうしオフィスではPCのヴァイブレーションがウザイし聴覚も過敏でアタマ割れそうだし視力はよくならないけど見なくても見えるものが出てきたし そしてなによりも、これよりも、大変なのが嗅覚アップ・・・どひゃー。 ところで 朝起きると口が臭いのはみんな一緒。 どんなにステキな彼だって、彼女だって一晩過ごした後のモーニングキスはゲロゲロだ。 虫歯や口内不衛生による雑菌バイ菌系の悪臭は犯罪だし胃が悪いとか、にんにく食べちゃったよ~、って口臭も困ったもんだけどどんなに健康&清潔&清廉潔白を保っていたって、口臭はある。 最近電車に乗るたびにうわー、くさー、参ったなーというのが、これ。 なんの問題もないけどシッカリある口臭イコール、内臓の臭い。 こればっかりは、逃げられないし善良な一般ピープル相手に私の怒りの矛先を向けられない。 みなさん電車に乗るときや近くに他人がいるような状況ではお願いです、鼻呼吸してください。口での呼吸はよくないですよ。
2008.05.14
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どうやら私は「だらしない」人間であるようだ。つまり「だらし」がナイのである。「だらし」ってなに?どのくらいだらしないかといえば例えば、どーでもいい人と「ま、いっか」と安易にセックスして後が大変だー!とか。例えば、自分の収入と支出を全然把握してなくて「ま、いっか」とヘラヘラ遊んで暮らして気がついたら自動ローン組んでてアチャーとか。例えば、翌日が大事な面接前とか、プレゼンとかであっても「ま、いっか」と前夜に深酒あおってガンガンいっちゃって当日は咽喉元のゲロを飲み込みながらのパフォーマンスで落第、とか。例えば、「痛い・痛い・すっごく痛い!!!!」と七転八倒しながらも「ま、いっか」で放置して病院へ行ったときにはもう手遅れだった、とか。自動引き落としならいいけれどコンビ二や郵便局で支払う類のものは「ま、いっか」で延ばし延ばしにして気がついたら電気やガスが止まってた、というのは何百回。(図書館の本の返却など、いわずもがな・・・)ま、えてして、そんな感じの人生。最近になってヨガなんて始めてしまい自分を俯瞰して観照するようになってこの「だらしのなさ」が、むっちゃチャーミング。今まで、この「だらしのなさ」は私の中で「なかったこと」にしてたから最初は、ドヒャー!と仰天くらったけれどよくよく見ると、なんかカワイイ。しかしここ最近の傾向としての何かを誤魔化すように異常に過剰に甘いものを食べまくるとか自分がどれだけお金を使ったか認識せず、なにも考えずお財布を開けるってのを、ちょっとなんとかしたいです。
2008.05.13
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朝、目が覚めてワクワクする気持ち。 緑の匂い、土の匂い、湿った匂い、朝の匂い。 鳥のさえずり、空を舞うトンビ、遠くに聞こえるお寺の鐘、踏み切りのカンカンいう音。 朝練の最中、ドリスティを中心にした視界が、流れるように回る光景。 シャバーサナでついつい寝入ってしまったときの、あの感じ。 通りすがりの人達の中に見るやさしさ、やわらかさ、ほほえみや、善や、光や、そういったもの。 都会のコンクリの雑踏の中で見上げる青い空、コンニチワ。 身体中が、細胞のいっこいっこが、ウワーっと、喜んでいるような、気持ちのよさ。 大好きな人と、見詰め合う瞳、言葉って、ほんとうは要らない?って思う瞬間。 店の中で流れる曲に、気がつくと同調している呼吸と、押し寄せるセンチメンタルな感覚。 時間も場所も忘れ瞬間タイムワープするたくさんの想念でイッパイな古書古本でのひととき。 ズル休みしてお昼寝する、都会のど真ん中のオアシス、作られた公園、というおおきな自然。 太陽の暖かさに全身晒して、たくさんのエネルギーをチャージする、ついでにおにぎりも頬張る。 電車のガタゴトに揺られながら、ついついコクリコクリとうたたねする、半覚醒の極楽、窓の外の風景が流れる。 夕暮れの海岸、そこに集う、人々、動物、打ち上げられた海の生物たち、波と風と雲。 潮の香りを胸いっぱいにすいこんで、チャンティング、バイブレーションに心身を震わせ、喜びに満ちる。 タラタラと歩きながら、どうでもいいことを話しながら、ポケットの中でつないだ手の暖かさに、心がゴロゴロ甘えるとき。 おうちに着いて、玄関の明かりを点し、ただいまホーム・スイート・ホーム、身体が心が心底緩む。 大きな窓の外に広がる、家々の灯火、それぞれの人生やらドラマやらを、大きな月が照らし出す。 熱いお風呂に浸かって、アロマオイルとロウソクの光で、余分なものを出してリラックス。 いちにちが終わって、すべてのものにありがとう、と、素直に思えることに、また感謝。 いつもの、毎日の、なんでもないことの中に、全てのものの中に、他人の中に、自分の中に、それはあるんだと。 そんないちにちでした. ラグ・ヴァジュラーサナは今日もカムアップできませんでした。
2008.04.25
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私は東京のど真ん中に生まれ育った、いわゆる軟弱な都会のもやしっ子、ってヤツだ。 それでも自分が子供の頃はまだまだ「遊ぶ=家の外」というのが基本で、学校から帰るや否やランドセルを放り出して、近所のハナタレやデブチンや妹分や実弟やその他モロモロと、長屋の路地裏や学校の庭や廃墟ビルや神保町の探検ルートや皇居周辺の土手っぷちなどへ飛んで行ったものだ。 男女差や年齢差が関係ない「遊び仲間」がまだまだ有効な、昭和の下町の猥雑さがギリギリあった時代だった。 子供ワールドは、それはそれは簡単で複雑で、楽チンで大変で、限りないイマジネーションと創造力を駆使する陶酔感がいつもあった。 オトナの監視やウザいルールを気にすることなく、自分の内にある情熱を具現化する楽しみ、遊び仲間と揉みながら妥協と協力のバランスポイントを探すスリル。 ちっぽけな学校の閉鎖プールですら、とてつもないドラマが展開する奇想天外ワールド。日が暮れて、お母さん達が呼びにくるまでの、私達のプレイグラウンド(=それがどこであれ!)は底なしに楽しかった、家に帰んなきゃなんないのが嫌だった。いつまでも遊んでいたかった、そんな時代だった。 しかしながら、最近の都会の子供は「家の中で遊ぶ」のが基本らしい。これは実家の姪っ子を介して知った、衝撃の事実である。 どうやら、「お外=危険なところ」であり、学校からの帰宅後であれ、週末であれ、お外で遊ぶのは「特別なイベント」で、事前オーガナイズや保護者同伴が必須らしい。 家の中という保護された、隔離された、温室のような環境で、身内以外の「自分とは異なる」他人との接触なしに、本やTVやゲームと過ごす一方通行な空想ワールドが、彼女のプレイグラウンドだ。 「ふーん、そういう時代なんだー」と思いながら、姪っ子の大人びた諦念を、その瞳の中に見る。 ところで、この「だって、もっと、ずっと遊んでいたいんだもーん」という気持ちは、実は大人になっても、ちっとも私の中から消えていかない・・・というか、いまだに一向に落ち着かずフラフラし続けては周囲の顰蹙を買っているから、常識良識がブンブンと大手を振るこの日本で、キチンとあるべき方向へ成長し、子供時代をちゃんと卒業できる周囲の人達を見るにつけ、それはスゴイ技術だ!と純粋に感嘆してしまう。 もうハタチになったから もう学生じゃないから もう社会人3年目だから もう三十路だから もう管理職だから もう子供もいるから もう親も年だから・・・・と、良識をモノサシに自らの生きる態度姿勢を改める、つまり、「善良で勤勉な一般市民」という役割にスッポリはまり、キチンとした服装で、キチンとした言葉使いで、会社や事業で生活費を稼ぎ、肉親や家族の面倒を見て、円満な社会生活を営んでゆく姿は、ある意味感動的ですらある。つまりそれが日本で「オトナになる」ということで、そこに「ついていけなーい」って甘えてる私の方が、単に幼稚なわけで。 実は私は過去にロンドンで遊び呆けてたヤンチャな時期があって、その頃のボーイフレンドが当時20歳も年上の40才過ぎたイイオトナだった。だけど、やっぱりそこはロンドンだったから、自称2Dデザイナーの失業保険でLadbroke Groveのカウンシルフラット暮らしで冷蔵庫を開ければフィルムケースの中にドラッグ保管(笑)というイカニモな輩で、日々のんべんだらりとプラプラしては遊び呆けていたし、Birds of a feather stick togetherということわざがあるように、彼の周辺には似たような「自称アーティストbutどうやって暮らしてるのかな?」系がゴロゴロ集まっていた。多感な若かりし頃に、そーゆーのに取り囲まれて過ごしてたから、「なんのパッションもナシに、単に生活費のためにスーツ着て毎日オフィスへ行く=それはオカシイ!」という常識がインプットされたのかもしれない。 だけど一方で、置かれた状況がどうであれ、自身の情熱とか、溢れんばかりの奔放なクリエイティビティを腐らせずにいられるのなら、外側はどうであってもイイノダ!というのもアリかなとも思う。バリバリのスーパー公務員が裏世界ではバリバリのSMパフォーマーとか、昼の副業「惣菜売場のデモンストレーター」業務に自身の全情熱を傾け燃え尽きる主婦とか、閉鎖病棟のベッドから見上げる5m四方の天井にハイパー脳内劇場を投影しクリエイターとして昇華するキチガイとか・・・世界はアナタ次第だ、確かにそうだインディード。やっぱり日本では、こうやって後ろ指刺されない「社会人A」の役をキチンとこなし、その裏で「好きなことやって」るのが、一般的なのだと思う。 ところで最近買ったthe Hoosiersのアルバムが超ツボ。ロンドン出身の3ピースバンドなんだけど、ドアホ丸出しのヒネくれたコミカルさで一発カマシタレー!って感じで(←なんだそりゃ)すんごいステキ。一聴する限りでは単なるポップバンド系なんですが、その実、昔のJapanese Whisperあたりの「ハジけたCure」というか、「不穏なバカ騒ぎ感」の匂いがプンプンする。 祖国イギリスを離れて10数年、今では湘南でぷらぷら遊び呆けてるダンナさんと一緒になって「ああ、もう本当にRayが心配っ!」と、このHoosiesを歌いながら、あー、やっぱりイギリスって、こーゆーパッションに任せて好きなことやって楽しくハッピーにフワフワ生きてきたい人ばっかりなんだろーなー、と勝手なことを思った次第。 http://www.myspace.com/thehoosiers http://www.thehoosiers.co.uk/home.html?cmd=make-frame
2008.01.25
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昨年の6月に、東京から逗子へ引っ越した。 それを機に、これまで体験することのなかった「満員電車での通勤」が私の日常になった。つまり、家畜のように輸送車両にて運ばれる通勤族の仲間入りをしたのである。 1時間以上もギューギューに押し込まれ、ヘンテコリンに捻れた態勢で、ガタゴトの揺れに身を任す。 体臭、口臭、腋臭、衣服に移った食堂の臭い、蒸れた足の臭い、安物の整髪料、お持ち帰り惣菜、オンナノコの香水・・・いろんな臭いがまぜこぜになって、ゲップやオナラやくしゃみや咳や舌打ちの中で、ため息ひとつ。 人々のイライラ度合いが、ネガティブエネルギーを放出し、それを受けて更にパワー倍層する、われらが暗黒オブザマインド、一直線に下降を描く、ああスパイラル。 長距離通勤快速の車内では、席の奪い合いが、企業戦士リーマン達のトッププライオリティらしい・・・オバタリアンのマナーがどうの、なんて言ってたのは誰だ?おばちゃん連盟は、席を譲る良識とオセッカイとやらが、まだまだちゃんとあるよ(ウザイけど)。 海外からいらっしゃっているガイコクジンの皆様は、「オー!ノー!これは、ニンゲンとしての尊厳に関わるモンダイでーす!ニホンジン、信じられませんネー!」と言って掌を見せては肩を大げさにすくめ、目ん玉をひん剥くのが関の山の底の浅さ。 私もそうやって、「あーん、もー!信じられない~(プンスカ)」と、自分をコッチ側に置いて問題と敵対するポジション確保しちゃえば、文句言うだけでいいから楽チンなんだけど、そういう売国奴な振る舞いには美学がなさすぎ。 だってさ、もう物理的に、東京で働く人々の数、東京周辺に住まう人々の数、その交通手段と頻度、ピークタイムの幅を考えたら、この状況は避けられない現実であって、その割には、実に効率よくやってます、ロボコン75点くらいです。 当初、ひゃー、こりゃもー堪りませーん!と、ギブアップ&リタイヤしかけた軟弱モノの私でしたが、半年もしたら慣れてきたから、人間の適応力というのはスゴイ。 それどころか、ちょっとした洞察すらも生まれてくるから不思議だ。 ギュウギュウの人混みに埋もれて、機械じかけのロボットのようにエゴを手放すのは、ちょっと脳内麻薬放出できるくらいのヤバさがある。極限を超越した降伏と諦念。全てを受け入れ、しかしなにものにも惑わされずに自分のセンターをキープする静謐さがそこにはある。押されたら、押し返さない、委ねる、戦わない、しかし全面降伏はしない、陰陽のバランス、望まない、足掻かない、ただそこにいる、そして「ある」だけの状態。車内の半眼の我々の悟りぶりは、インドのカオスの中で微笑むサドゥと同じくらい、かなりに戦慄的ですらある。 私、私、私・・・と自己がパツンパツンに主張しまくりのエゴ丸出し価値観からすると、家畜のように輸送車両にて運ばれる私たち通勤族は、「そこには人間性の欠片も・・・」という嘆きの対象なのかもしれない。 だけど、これはすなわち、いわゆる現代のZEN的修行の一環なのですよ、とか、思ったりしつつ、あっ、足踏まれた~、キーッ! 写真:僕らはみんなお疲れです。正月くらいは横になって寝かせろ~の車内
2008.01.12
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もっと遠くへ!遠くへ!と 視点はいつも先の方へ向いていた。 そうやってずっとなにかを探してきた気がする。 自分の足もとを見つめることもなしに。 こないだ、灰色の雲に覆われた日暮れの海岸を散歩した。 空には輝く星など見つからなかったけれど 足もとには小さな星がふたつ。 ふーん、こういうことか、と、立ちすくんだ。
2008.01.10
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いつまでも、いつまでも、エンエンと降り続く雨は、一生続くのかと思うけど あるとき突然、「あれ?雨が上がったのかな」、と空をみあげるときがくる。 おんなじように、いつの間にか、ずいぶんと癒されていた自分を発見するときがくる。 二度と光など見れないだろうと、かたくなに閉じていた心が、ほころんでくるときがくる。 こないだまでは、ふらついてたけど、「あれ?今日は気がついたら、ちゃんと一人で立ってるよ」と、きょとんとする。 ずっと苦虫をかみ締めてた自分の口から、ポロポロと愛が言葉となってこぼれてくる。 同じことの繰り返しに思えた日々は、決して停滞じゃなかった、のかもしれない。 今朝も静かな練習ができました。 ありがとう。
2008.01.09
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気がつけばもう年の瀬。 「あらまぁ、いったい何をしてきたのだろう?」って、あっという間に1年が過ぎてしまったことに、いつもながら愕然とする。でも、改めて振り返ると、今年は刺激の多い年だった。 インド放浪という貴重な体験と、湘南へ引越してからの生活。これは物理的に、かつ精神的に大きく変化をもたらした今年の2大イベント。 ヨガと瞑想を通して見えてきた自身の変化は、インド・マイソールでのヨガ修行、Sun&Moonという非常にスピリチュアリティに重きをおくヨガスタジオ主催のTTC(Teacher Training Course =指導者養成コース)を受けたこと、毎日の朝練で培い大発展を遂げた集中力、クラニオ・セイクラルとの出会いと実践、ポーズだけでないヨガを教えるという経験、そして先週終えた陰ヨガのTTC体験などから、沢山の影響を受けてきた。 先々週にヨガで怪我をしてリハビリに突入。同時に陰ヨガという、これまで私が毎日実践しているアシュタンガヨガの対極にあるヨガのTTCがスタート。おかげでココロもカラダもリセットできて、新たな方向性がはっきり見えてきた。 会社は早々に冬休みに入っちゃったけど(TTCもあったので)、双方の希望をキチンと話し合った上で、来年1年間の契約更新も決定したので、年が明けたら、また頑張ります。 新たに出会った人達、貴重な時を共に過ごした人達、ほんの一瞬であっても深い繋がりを持てた人達、一緒にいることがあっても繋がりを切ってしまった人達、実際に会えなくても繋がっている人達、死別してしまったけど永遠に繋がっていられる人達・・・本当に沢山の出会いと別れがありました。それは、物理的に捉えるのか、魂レベルで捕らえるのか、で変わってくるけれど、でも根本では時空を超えて皆繋がっているんだ、という確信が強くなった年だった。 基本はハートの部分。ここがちゃんとシッカリしてれば、大抵のことは大丈夫。国籍も文化も関係ない。恐怖や保身のために線引きをする必要など、まったくない。ノー・ジャッジメント。Life can be so simple 私たちがそう望めば。 クリスマスにはローストチキンをメインとした、英国風クリスマスディナーを作るのがしきたり(!)なのだが、ここ2年はダンナさんと一緒にクリスマスを迎えてこなかったので、本当にこれは久々のイベントです。だって、私、いまやベジタリアン!でもね、変なこだわりは全然ないので、せっかく私達ニンゲン様のために犠牲となった鶏さんを供養する意味でも、ちゃんと食べましたよ。2年ぶりの肉(いや、昨年フィリピンでと殺されたばかりの豚を食べました)は、食べた途端に体の中で強力なエネルギーに変わるのが凄かった!食べてる最中からカラダがポカポカ暖かくなって、2日くらいは「いつもと違う元気さ」が体内に漲ってました。これが動物性たんぱく質なんだなー、って、改めてビックリした。 皇居周辺は子供のころからの遊び場だったのと、今でも神保町絡みでよく徘徊してるので、私の故郷みたいな場所だ。こないだ寄り道してたら、クリスマスも過ぎてたのに、なんかやたらとライトアップされててキレイだった。 でも休みのたびに、太陽がゆっくりと落ちてゆく海岸を、ぼーっと眺める贅沢にまさるものはない。ああ、ここが、私の第二の故郷なんだなぁ。 さきおとついに陰ヨガのTTCを終了。たくさんの発見、と気づきで、心身ともに大掃除がなされた気分。 おとついは年内最後のマイソールクラス・・・でスタジオが水漏れ水浸し!になるというアクシデントに見舞われ、会社の年内最終出勤を終え、ひと段落~。 昨日は普段は行かないレッドクラスに参加後、1年間お世話になったスタジオの大掃除。それから先生や生徒さん達と一緒に朝食。それから、お母さんとランチ。それから、ダンナさんとデート。 今日は長谷のマイソールでサクッとリハビリヨガをしてから、さーて大掃除!である。大きな窓の外は、キレイな青空が広がっていて気持ちいい! 明日の大晦日は、奥武蔵の山中にある竹寺というところで、年内最後のアシュタンガヨガをやります。これは1泊2日の企画なのだけど、私は日帰りで参加。1年間の感謝の気持ちをこめて、ちょっぴり厳かな気持ちで、楽しんできたいと思ってます。 そんなこんなで、あら、やっぱりヨガづくしの1年でしたね~(笑) でれでは、みなさま、良いお年をお迎えください。 Om, Shanti, shanti, shanti
2007.12.30
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なんか最近、知人友人から 「こないだアナタの夢を見て・・・」 と言われることが立て続けにあった。 そして、その大半において 「あんまりヨロシクナイ状態の私」 が彼等・彼女等の夢の中にいたらしい。 たとえば、突然ぶっ倒れて昏睡している私、とか。 たとえば、すぐ隣にいるのに顔が見えない私、とか。 たとえば、ただそこでジッと静かにたたずんで見守っている私、とか。 たとえば、山の上の崖っぷちからポーンとジャンプして消えていく私、とか。 そういった夢を見たよ、と伝えてくれる彼等・彼女等は口を揃えて 「なんか判んないけど、気をつけてね~」と励ましてくれる。 しかし、私は一体なにをどのように気をつければ良いのでしょうか? というか、なんか私自身も、普通に道を歩いてて 「ああ、世界が遠いなあ」 なんてヘンテコな違和感に弄ばれる今日この頃。 ひょっとして死期が迫ってる? とか、物騒な滅相もないイラぬこと考えちゃったりして・・・。 でも、別に「今・lここ」で私の今生が終結を迎えちゃったとしても それはそれでオッケーだけどなー ってのが正直なところ。 むしろ私の人生は その瞬間を待ちわびる「死への憧憬」が ずーっとあったような気さえする。 すみません、縁起でもないですね。
2007.12.20
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さて今やどこの本屋に行っても目に付く、岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」から、私が何を得たか?というと・・・ *デブは、デブであるためにとてつもない努力をし続けている=必要以上に食べ続けている努力だ *フツーに身体の声を聞き、自然な食欲のリズム~空腹や満腹に忠実であれば、人間の身体はデブになるようにはできていない という、この2点につきる。 ごくごくフツーの当たり前のことだけど、これまで私はまったく理解してなかった事実なので、なにをいまさらイスラエルだけど、人生の大半を棒に振った「デブである」という根の深い問題解決の突破口なるかー?とちょっとコーフンしてきた。 つまり私的に解釈すると・・・ 食べることに対して頭や感情による「満足」「不満足」が拠り所になっているので、感覚が鈍化し肉体的な「空腹」や「満腹」が感じ取れない。だから、沢山食べて胃腸が満腹であっても、感情的「飢餓感」にコントロールされてしまい、満腹なことに気づかない・・・つまり、身体の声が聞こえていない状態。口寂しいから、とか、残すのがもったいないから、とか、帳尻が合わないから、とか、今食べておかないと・・・、とかいう理由による食事もしかり。マインドで食べているっていう、それだけのこと。 うーん、そうですね。これ、私です。 まずは、自分がどれだけ食べているのかを、正直に記録してみれば、この事実は否が応でも証明されるとのこと。「食べてないのに太ってる~」と文句たれてるおバカちゃんは、これで大発見をするらしい。どれどれ・・・私もちょっと記録をつけてみた、あら~、ギョッギョッギョーである。本当だ、デブであるということは、必要以上に食べているのだ~! 朝5時:起床 7時半~9時半:ヨガ練習 10時:通勤途中でキャラメルフラペチーノ(夏場)・キャラメルマキアート(冬場) 11時:朝食がわりの間食@オフィス マフィンとかドーナッツとかシュガートーストとかの甘食系×2個 ブルーベリーヨーグルト りんご・なし・柿・みかん・バナナのいずれか(季節による) 14時:手作りランチ@オフィス 玄米のおにぎり×1個(ただしかなりデカイ) 蒸し野菜(カリフラワー・ブロッコリー・ごぼう・かぶ・人参とかが多い)&ゴマ系ドレッシング りんご・なし・柿・みかん・バナナのいずれか(季節による) インスタントの無添加お吸い物 15時~18時の間:間食@オフィス チョコレートとかクッキーとか甘いおやつ ナッツは常にポリポリ食べてる ドライフルーツ(マンゴ・イチジク・プルーンなどがお気に入りの模様) 豆乳カプチーノとか、メープルミルクティとか、ココアとか たまにはアイスクリームも食している 差し入れのお菓子が多い職場なので、回ってくれば全て残さずいただく 19時~21時:帰路 夕食は食べないから、という言い訳の元、あんまり空腹にならないようキヨスクでお菓子を買って食べながら帰る(ドライマンゴとかベルギーワッフルとかショートブレッドとか輸入系お菓子が多い・・・なんで新宿駅構内に「成城石井」とかあるのだー?) 2日間記録をつけただけで、嫌になりました。1日平気で3000kcalくらい摂取してます。その殆んどは間食です。自分の認識では、ランチしか食べてないと思ってましたが、オフィスに居る間ずっと食べ続けていました。特にナッツは、肉も魚も卵も食べないから貴重なたんぱく質源として、沢山食べており、これはものすごいカロリーです。 なんで、私はデブなんだろう?の答えが出ました=太る分だけ不必要に食べてるからです! それも、本当に胃腸が空腹だから食べているのではなく、マインドや感情で食べているのです! 「私、あんまり食べてないのに、なんでデブなんだろう」なんて、もう金輪際言えませんね(笑) ヨギの胃袋は「1/2食物・1/4水・1/4空気」と言うじゃないですか?それが、私の場合、胃のキャパ+50%増量でもまだ飢餓感を感じてる、っていう・・・。 食べる=何のために?心を満たすために?なんで? 私は今、本当に空腹なのかな? まだ口をもぐもぐさせているけど、本当はとっくに満腹なのではないかな? この「食べたい」っていう欲求は、どこから来ているのだろう? 瞑想などで、自分の感覚には敏感になっていたと思ってたけど、こと食欲に関しては無法地帯もいいところ。正直、「空腹」「満腹」をカラダで感じられない。だって、それはいつもマインドからの声だったから。誤魔化すように、いつも緊張しているマニピュラチャクラのあたりを麻痺させるために、モノを詰め込んできたみたいだ。 マイクロダイエットとか、他の安易なダイエットは、やめとこう。まずは自分の自然な「空腹・満腹」を感じるようになろう。何か問題があるのなら、そこにちゃんと立ち向かおう。そこからスタートだ。食べる、という行為を義務や代償行為にしないように、きちんと味わって、マインドフルになってみよう。一口一口が、どれだけの深みを持って、自分のカラダという宇宙で、どのように代謝され廻って還ってゆくのか。これまで気づきもしなかったことだけど、ちゃんと見つめてみよう。そんな、静かな決意が生まれてきた。 1ヶ月2ヶ月で痩せようとか、体型をどうこうしようとか、それは無意味になってきた。今の自分のカラダは、今の自分そのものを現しているにすぎない。根っこの腐った植木の、花の部分だけ美しく着色しようとしても、それは一時的な嘘っぱちでしかない。 なんらかの理由があり私はずっとデブであった(今もだけど)。最近になってヨガを始めて、体型が邪魔になってきた。だから今回のような形でその要因を振り返ることができた。きっと先は長いけど軌道修正の一歩が踏み出せたのかな?って、ちょっとだけいい気分であります。
2007.12.05
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先日ダイエットしてやるー!と衝動的に書いた日記に対して、「なに言ってんだい、痩せたきゃ喰うな!」と一喝されるかと思いましたが、反対に沢山の方からいろんなアドバイスを頂きました、ありがとうございます。で、自称「間違いだらけのダイエッター」人生を歩んできた私ですが、今回のダイエットに関わる皆様のアドバイスをベースに、様々な考察の結果を総括すると、ひとつの大切なメッセージに出会いました。 自然であれ。 要は、究極、それだけなんですね~。私これまで、ヨガだー、瞑想だー、スピリチュアルな冒険だー、生命の息吹だー、本来の覚醒した存在だー、と言葉だけが空回りするウルサイ奴でしたが、肝心な根本的なところで「わかってない」というか、ヨガ的ナチュラル志向や、あるがままの本来の自分へ帰ることを、ちっとも体現してなかったということが、よーく判りました。 私はなんでデブなんだろう? というのが、14歳からの素朴な疑問だった。デブである原因がわかってないから、そこをクリアせずに、ムチャで効果だけが出るダイエットを繰り返し、結果的に摂食障害になったおバカちゃんだった。また、究極のAタイプ人間として、「努力をすれば結果は出る、目標は達成するためにあるもの」という生き方をずっとしてきたので、ダイエットというのは「すっごく単純な、自己達成感を容易に味わえるゲーム」として楽しんできたのかもしれない。 食べたいのを我慢する。辛いけど、我慢する。我慢している自分が高尚な存在に感じられる。結果体重がみるみる落ちてゆく。身体はボロボロでも心がハイテンションになってくる。私、スゴイ!これだけ我慢して犠牲を払ったからこそ、こんなに痩せることができた!私、スゴイ!・・・そんなエゴゲームは長続きせず、ある日気がつくと、堰を切ったようにドカ喰いの衝動に「完敗」するときが来る、ゲームエンド!そして、以前よりも体重が増し、心と身体が怠惰に膨張し鈍磨し大事なものを誤魔化してゆく。いいのいいの、またダイエットすればスグ痩せるんだから、と言い訳をしながら、咽喉に胃腸に食物を詰め込み詰め込み、イッパイになったら吐き出して更に詰め込んで・・・それはあたかも自ら窒息状態を作り出してはココロの空虚さを満たしている、愚かで醜く哀しい肉塊であったのだなー。 体重なんて、IN(=食べるもの)とOUT(=消費する活動)の算数じゃん?と、ジムで「走る・泳ぐ・筋トレ」のワークアウトにガムシャラに余念がなかった時期が10年くらい続いたので、「これだけ消費しているから、これだけ食べてもOK]とドカ喰い癖がついた、というのもある。ま、なんにつけても、やりすぎる傾向が昔からあったでことですね。 いつも、なにかしら「無理してる」状態が当たり前のものとして日々の大前提にあるなんて、なにかがおかしい!と、なんで気付かなかっただろう? 3年前の精神的破綻の解決策として、マクロビとヨガや太極拳を始めたのをキッカケに、煙草とお酒を断ち、ベジタリアン(ほぼビーガン)となった。別に無理している意識は全然なかった。アシュタンガヨガの朝練を毎日の日課にしてからは、一日1食の生活となった。別に無理している意識は全然なかった。反対に、意識的に「食べることに関して無理はすまい」と、甘いものはかなり積極的に食するようになり、ああ、私は自分にやさしい、身体の声をちゃんと聞いて、あるがままの自分を受け入れている、ナチュラルでヘルシなヨギーさんなのだわ、と悦に入っていた大馬鹿野郎である。 「ワタシ、目玉のあるものは食べないのー」とか、「玉葱やにんにくはエネルギーレベルを低くするから避けてるのー」とか、「朝練があるから、前夜の夕食は食べないのー」とか、「やっぱり浄化の意味でも、定期的に断食1週間くらいは当たり前ー」とか、思いっきり「アタマで食欲をコントロールしている不自然さ」に気付いていなかったのだー。あー、もー、バカバカバカバカー>< これだけヨガ的に適切である生活をしておきながら、どうも違和感がずーっとあって、それが最近の毎朝のヨガ練習中に沸々と湧き出してきた。無論、それは私にとって見たくないものだから蓋をし続けて、でもどんどん中から洩れてきて、蓋を押し付けて押し付けて、ああもう限界!とばかりに噴出した。 ちょっとなにこれ、私のこの身体?ポーズがとれないのは、こんなに余分な肉が体中についてるからじゃん?ヨガ的に適切である生活をしておきながら、なんで私はデブなんだ?・・・と、練習中にスタジオの中を見回して「ぎゃー!」と叫びたい衝動にかられた。それは、まるで、シマウマの群れの中に一匹だけ象が紛れ込んで、その象がシマウマと同じ姿勢をとろうともんどりうっている光景だったからだ。 アシュタンガを始めたばかりの頃、マリーチアーサナDができないのが単純に不思議で、先生に「なんででしょうねー?」と聞いたら、「うんと痩せればできるよ」と言われて傷ついた覚えがある。 以前同じスタジオで練習していた生徒さんに、「アナタを初めて見たときに、アシュタンガをやるには太りすぎなのでビックリした」とハッキリと面と向かって言われ、憤慨した覚えがある。 今通っているスタジオでは、事あるごとに先生から「ゆみこさんは体型的に難しいから、すごい努力しなきゃなんない」という指摘がシツコイくらいあって、都度ココロの中で癇癪と起こしているのも事実だ。 つまり、それだけ過敏になってしまうということは、そこに問題がある、ということで、もうこれまでみたいに、そこに蓋をしておくことはできないのだなー、というのがここ最近のアレコレ。 うーむ。 真っ先に思ったのは、マイクロダイエットで10kg痩せよう!だった。以前にも数回やって、あっと言う間に15kgくらい痩せた経験がある。(ただし、その後モノスゴイリバウンド・・・!)身体にもココロにも悪いのは判っているけど、とりあえず10kg減してスタートラインを人並みにしてから、生活習慣を正しく整えればよいのではなかろうか?と安楽的な思考にとりつかれた。が、これはかなりお高い!のでちょっと躊躇。 次に浮上してきたのが、ヨガの浄化方法のひとつである「ファスティング=断食」だ。何も食べずに自家製レモネードだけで過ごす。これも、以前7日間くらいやって、すごく気持ちよかったので、お!これだ!と膝をポーン。しかし、ヨガの先生から、ダイエット目的での断食はぜーっっったい止めてくださーい!と嘆願されて却下。 食生活を改善するったって、もう既に「玄米と野菜と豆とフルーツとナッツ、しかも殆んどローフード状態」なので、油ヌキったってもともと調理しないし、量を減らすったって1日1食だし・・・要は食うなってコト?と途方に暮れた。 では運動量を増やすのは如何なものか?と、アシュタンガヨガの朝練以外になにか運動を始めようかとも思ったが、いかんせん時間が捻出できない。昔みたいにジムに通って、泳いだり走ったりガシガシウェイトトレーニングできたらイイナーと思いつつも、今の生活環境を変えない限りちょっとそれはムリー! おー、まったくもってファックだぜー、とヤサグレてしまい、ついつい先日の日記を書き込んだ次第。皆様の有難いアドバイスは全て、「がんばってね、でも無茶で安易なダイエットはダメよ:)」って言ってくれてて、その気持だけで、もうジーン(泣)。 そして、この迷える子羊ちゃん(=私)が、「おおおおー!」と、感動に打ち震え、目からウロコがボロボロ落ちたのが、なんと、何を隠そうこの本 「いつまでもデブと思うなよ」岡田斗司夫 ・・・制限文字数超えたので、続く・・・
2007.12.05
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先週の日曜日からマイムーンディ明けの練習開始。特に可もなく不可もなく、ただ集中の度合いが日に日に高まっているのが感じられる。一時期苦しくて浅かった呼吸が、深く落ち着いた状態に戻りつつある。カラダの動きに無理して呼吸を合わせる辛さではなく、呼吸にカラダの動きをリードさせる楽しさ!最近スタンディングが非常に気持ちよい。特にトリコナーサナシリーズで感じられる四方へ流れバランスをとるエネルギーフローにメロメロ。生きる喜びと活力をリチャージしてゴー!(どこへ?) ところで21日の水曜日、バックベンドの練習中(チャクラ・バンダーサナ=アシストされたドロップバックから両手をどんどん足の方へ歩かせて、最終的には足首をつかむポーズ)でいまだかつてない深さへアジャストされて、ウガガガ~!四肢へ力を入れることも、呼吸をキープすることもできない極限の辛さの中で、そこに囚われないよう、この現象界はマヤカシなのよ~、反応への拘りはイラナイ~、抵抗しないで明け渡す~、と、とにかく「リリース」作業モードへマインドをシフトさせた瞬間・・・!→→→胸の奥底から搾り出すように嗚咽にも似た声と共に感情がドカンと噴出した。すごい怖くて、ずーーっと抵抗していたものがパカン!と開いちゃったみたい。まるで死から生還したかのように立ち上がったときには、体中が震えて涙がボロボロ出てて、失禁しててもおかしくないくらいのアワワワ状態。エーン、すごかった~><以前から少しずつ、こんな感じの「うわー!」って感覚があったけど、このときは自分の中心がパカーン!と開いたのが、はっきりと判った。バックベンドが苦手っていうのには、やっぱり意味があって、それが何なのかはどうでもいいけど、その何かがどんどん解放されてきているのを実感。アワワワワー、とビックらこいて現実世界に戻ってくるのに時間がかかったけど、先生がちゃんとサポートしてくれている安心感があったので怖くなかった。こんな風に、まるで生まれたての赤子のように、なんの保護も防衛もない、まっさらな素の状態に立ち返れる体験って、なかなかできるもんじゃない。その状態になる過程は、とても怖い。ずっと自分を守っていた鎧を脱ぎ捨てるようなものだ。でも、いったんこれまでに溜め込んだ拘り、囚われ、先入観、ジャッジメント、常識という規制、エゴなどを手放せたとき、同時にとても安らかにもなれるのを知った。これは、本当に先生の優しさと包容力へ信頼があってこその冒険!先生、ありがとう:) なんて朝っぱらから清清しくパコーンと開いた状態で、この日はクンルンネイゴンのセミナーへ参加した。 は?クンルンネイゴンってナニ?というと、7世紀の中国に発祥した道教に伝わる「覚醒のための実践法」で、近年になってアメリカ人のマックス・クリスチャンセン氏(氏のHP:http://www.kunlunbliss.com/subjects.html)によって日本・アメリカで布教され始めている。ちなみに氏の唯一の著「クンルンネイゴン」の帯は「呼吸法でも気功法でも瞑想法でもない。再覚醒のための特殊技法であるクンルンネイゴンの実践法を完全解説。崑崙山脈に伝わる一子相伝の秘法。あなたを未知の領域に導く…。 」と、トンデモ路線まっしぐらワールドである(amazon:http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%82%B4%E3%83%B3-%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3/dp/4899760841) このSHORTCUT TO NIRVANA(ショートカット・トゥ・ニルバーナ)ともいえる究極の秘儀を実践すると、体内のナディ(神経)が整えられ、心身が浄化され、自己のマグネティック(磁気)レベルに目覚め、体内エネルギーのフロー活性化による更なる浄化、至福の体験を通し開かれてゆき、すでに覚醒した存在である自己の本質へ向かうという・・・ミワユミコさんが「おおおおー!」と引き付けられるキーワード満載のエネルギーワーク。そして実は最近、このクンルンネイゴンの実践者と知り合い、その方のお話を聞くうちに「今、これを知っておかなきゃ」という衝動にかられていた、というのが事の顛末。 しかしワタクシ、昨年末にヒマラヤ聖者ヨグマタ(=相川圭子)のダルシャンを受けに行き、(そのときの日記:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=305174771&owner_id=2035075)彼女自身のオーラーやパワーには感動したが、それを取り巻く組織の「クイック悟り」を売りにしたビジネス・ビジネスにはゲロゲロとなった経験があり、正直こういった「お金払えば、即=悟れます!」なんていうのは信じてない・・・とゆーか、それを目指して日々修行している身としては、フザケンナヨ!なのだ。なのに、なにゆえに、このクンルンネイゴンがひっかかったのか?というと、最近ヨガをやっていると自分の中のエネルギーのバランスがスッゴク乱れている!ことが多く、瞑想をすると、それこそ基底のチャクラから上へ上へ噴出するエネルギーがスンゴイことになっていて、それこそ「ドッカン!」って感じでセッ*スもマスター*ーションもしてないのに絶頂感じてどーするワタシ?ってくらいで、ここここれは、なんとかしないとヤバイ!という背景があったからなのかもしれないです、多分。 で、スピ系癒し系の「楽天」みたいなVOICE(http://www.voice-inc.co.jp/)のHPで、マックス氏の愛弟子による「クンルン伝授」のセミナーがあることを知り、即申し込みをクリックしてしまった・・・おおお、インターネットの罠!しかし、申し込みをした後にセミナー参加者の体験談(http://www.voice-inc.co.jp/documents/workshop_page/kunlun/kunlun_lv1.html)を読んで、ちょっと引いた・・・うわー、しまったー!これはヤバイです~!でも、まずは自分のこの身で体験してから物申そう、と思い、変な先入観は持たないよう自分を律し、また事前にマックス氏の本を読むことをせず、まっさらな状態でセミナーに挑むことにした。だって、私たちはあまりにも沢山の偏見や先入観や植え付けられた価値観で自分の眼を曇らせちゃってるじゃん?そういうものから自由でありたい、という希求が、ワタシの冒険の原動力でもあるんだから。 で、しつこいけど、朝っぱらから清清しくパコーンと開いた状態でセミナー会場へ向かう。天気も良いし、なんか会場に入るなり「やたら躁状態」というかハッピーで、楽しくて仕方なく、「オープンであるにもほどがあるのでは?」というくらいの開きっぷりに自分でも愕然。通常こういう場では緊張しがちなのに、誰にでもやたら馴れ馴れしい私~、しかも素のまま(笑)。呼吸ワークでリラックス、気功をやってグラウンディングをしてから実際のクンルンの実践。実践の方法は公開厳禁なので、ここでは割愛。他にもいくつかエネルギーワークをやったりして結構楽しめたのと、講師のYさんのオーラがはっきりくっきり見えたのが印象的。クンルンの実践中、周囲では他の参加者さんたちがモノスゴイことになっていたけれど、ワタシ個人に劇的な反応はなく、いつもの瞑想と同じレベルに、ちょっと「楽チンさ」が加味され解放感があったくらい。周囲の反応・・・泣いたり笑ったり踊ったり震えたり異言を唱えたり・・・というのが、狐憑きというかシャーマニズムぽいなぁ、なんて感動したりして、ちょっとマインドが外部へ向かっちゃったというのもあるかも。ただ、会場内のエネルギーレベルも、伝授されたエネルギーも期待していたほどではなかった。正直、朝のマイソールクラスのスタジオの方がずっとずっとクリアでクリーンなエネルギーに満ち満ちているし、私の体内エネルギーもアシュタンガヨガや瞑想をしているときより低かった。多分、これは推測だけど、アシュタンガヨガとヴィパッサナ瞑想を日々の実践として行っていれば、このパート1で得られる浄化のプロセスとかエネルギーの高さといったレベルは十分クリアできるんじゃないか?と思った。でも、そういう実践を継続できない、または鍛錬はシンドイしな~という人達には、こういった伝授でバコーンと開くことが可能、それにはお金がかかる、というのが現実なだけで、どっちもアリですよ。 正直言うともっともっとパワフルなものを期待してたので、ちょっと拍子抜けの感は否めず、セミナー会場を出たときには「う~ん、なんだかな~」と、ついつい思ってしまったクンルン初体験。しかししかし驚きべき事に、このセミナー効果はじわじわと後からやってきて、今現在やたら全ての面で自分の中の「楽チン」加減が桁違いに高い!私の中でいつも自分を制限していたrestrictionが、セミナーのあの空間に入ったとたんにパーンと解けて、それがまた続いている。その証拠なのか、なんなのか、今朝の朝練は史上最高ぶっちぎりの至福感!いままでで一番気持ちよかった~、って涙ぐむ始末(って結局いつも泣いてるってことですね) いやー、ついこの間まで精神的クソ溜めに居た自分が、なんでこんなに明るくて元気なの~?と自分で突っ込みいれたくなるけれど、人生ってのはそーゆー風にできてるんだから、あんまり深く考えないでおくことにする。 そして、明日から2日間クラニオ・セイクラルの入門ワークショップへ参加です。どんなかな?
2007.11.22
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先週半ば頃、鼻毛をシャープなハサミで切ってたときに鼻腔内を傷つけたらしい・・・ アタタ。 そのときはあんまり気にならなくて、でもこういうのって、後からじわ~っつと来る。水曜くらいに「なんかヤだな、ムズイな、痛痒いな~」って感触があって、でも、そのまんま放っておいたら、むちゃくちゃ化膿してスンゴイことになってしまった! まず、傷が化膿して腫れまくり肥大の果てに鼻腔自体が塞がった。それから、この右鼻腔を中心とした顔の右半分が腫れて熱を持ち、ひいては頭痛、目の痛み、歯痛、咽喉の痛み・・・と、周辺の神経を刺激しているもよう。とにかく痛い痛い痛い!が度を越して、放心状態。「痛くない状態って、どんなのよ~?」とヤサグレる。更には、痛みを遮断しようと肉体が感覚を放棄している感じで、脳内エンドルフィン大放出で、ナチュラル・ラリラリ状態である。 木曜日は仕事をそんな煉獄の中グダグダと片付け、通勤地獄に揺られヨロヨロと倒れこむように帰宅し、そして着替えもせずにベッドになだれ込みそのまま朝まで爆睡。ダンナさんは、私がバリバリのサラリーマンだった頃を思い出したようだ・・・ゴメンちゃい。 翌朝、目覚めると、痛みと腫れは悪化していて、口をあけてしゃべろうとしても痛い、目をシッカリ開けることもできない、まるで虫歯が5~6本あるかのような痛みに始終貫かれる・・・!えーん。 私もダンナも医者嫌いで、なにかあっても「自己治療」してしまう傾向がある。「医者へ行ったら最後、悪化する!」というヘンテコな先入観があるのは、子供のときからの経験がお互いに似通っているからみたいだ。私も彼も、家族が病院へ入院したら2度と帰ってこなかった、っていうトラウマが数回ある。さらに、ちょっとした怪我で病院へ行って、とてつもなく辛い思いをした、という経験もある。ウンコに虫が沸こうと、指の骨を骨折しようと、放っておけば自己治癒力でなんとかなるんだ、と、結構真面目に信じてきるのかもしれない。 ここ2年くらいケミカルな薬を摂らないようにしてきたので、本当は鎮痛剤も飲みたくないのだけど、さすがの痛みに根をあげて、バファリンを摂取。が、全然きかない・・・大昔の「バファリン12錠イッキ飲みすら効かない生理痛」時代を思い起こして気分悪くなった。ボルタレンとかレキソ、デパスなんかをワンシートとか飲んだら楽だろうなぁ、とか遠くを見やりながら、いやいや、私は薬物摂取は卒業したんだもんね、と一喝。傷口には、なんとかマイシン系の抗生物質軟膏を綿棒でやっとこ塗りつける(鼻腔が塞がっちゃてるから、捻じ込むようにして・・・痛かったー!)もう、頭痛と歯痛と目の痛みでグワングワンだけど、一応会社へは向かい、ひととおりの仕事を片付ける。朝練はさすがに休んだ。 痛みがない状態って、どんなのよー? 私はここでずっとココロの中で「イタイイタイイタイー!」って叫んでいるんだよー! 満員電車の中で顔をしかめつつ周囲の他人の群れにココロで毒づく。そして、たかがオデキひとつでこんなにヤサグレてる自分が愚かしくて笑えてきた。 病気や後遺症、老化、生まれつきの障害、さまざまな被害・公害・毒害・天災・事故・・・身体に障害を持ち苦痛を共に生きるのがデフォルトな人達が沢山いる。五体満足で健康優良児な「当たりクジ」を引いてこの世に生まれてきた私など、想像すらできない状態が「当たり前」の人達が、フツーにいるのだ。 私は、通勤時間が長いから・・・と、電車の優先席に平気に座って眠りこけたりしてるけど、その横でその席を必要としている人がいるかもしれない、など想像すらできない無神経な奴です。 私は、「なんでもやればできる。できないのは努力が足りないだけだ」と平気で思い、口にしてきたけど、その「努力」自体が不可能である、という状態を想像することすらできない、独善的なバカヤロウです。 なんだかわかんないけど、激しくごめんなさい、って気持ちでいっぱいになってきた。いつもの状態が「当たり前」と思う傲慢さ、愚かさ・・・そんなもんに慣れちゃいけない。当たり前だからこそ、慈しみ、感謝する気持ちを失わないことがどれだけ大事かことか。 ちょうど10年前に他界した父の死の直前の数週間、「生きていたカラダが少しずつ壊れて行く」というのを目の当たりにした。先週まではトイレなんて普通に行けていたのに、今週は母の肩を借りてヨロヨロと5分も10分もかけて行くようになり、ついに昨日には排泄活動そのものすら自分ではできなくなった・・・中身の魂はそのまんまなのに、入れ物の肉体がぶっ壊れてるチグハグさ、でもそれが人生ってもんだ、確かなものなどありっこないい、永遠なんてクソだ、ないよそんなもん!と心に深く刻んだのを覚えている、はずなのに・・・こうやって、何度も何度も忘れちゃー、あっイケネー、とかやってるあたり・・・私はちっとも学ばないなぁ。 で、週末はドンドン腫れがひどくなり、イタタタターと泣きながら秋の青空の下、長谷のマイソールクラスへ参加して「ウジャイ呼吸が・・・できない!」と後悔したり、近所の山々でのんびりと過ごしたりした。 週が空けて、本日月曜日の朝練には行ったものの、頭痛・眼痛・歯痛・鼻の痛みでグワングワンもさることながら、ここのところ荒んでいたココロがバリバリに毒を持っていて、最低最悪の練習をして不快感に加速がついた。やー、アシュタンガってすごいね、no matter whatそのときのココロの表れがそのまんまパワーアップしちゃうんだもんなぁ、今日みたいに最悪のクソみたいな気分の時は、紙上最強の性悪野郎となり、なんでもかかってこい!くらいの勢いだ。 あー、なんだって、こんなバッカみたいにヨガの練習してるんだろー?アホクサくて、やってられなーい!と全てをチャラにしちゃいたいぞー、もー! で、あまりにいたたまれなくて、スタジオに居ることすら恥ずかしくて、逃げるように会社へ向かい、近所の耳鼻科へやっとこ行く。 「いやー、これは・・・。 ずいぶん辛かってでしょう・・・(慈悲の目) これね、海馬とか(違ったかな)その辺に繋がってるんで、放っておくと死に至ることもありますからね、来てくれて嬉しいですよ。」 マジですか?先生、こんな鼻毛切りに失敗して付けた傷が元で死んじゃうなんてアルの?そんな人生って、フザケてないかい? でも、ま、お薬一式もらったことだし、これで5日ぶりに痛みからの解放、うれしい。
2007.11.05
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http://zaziefilms.com/hiroshimanagasaki/# 今週はアルバイト先のボスが日本不在のため、ノンビリと半休やお休みを取ったりして、普段なかなかとれない自分のための時間を持つようにしてきた。そして、昨日は一日お休みを取り、九段下での朝練後、台風上陸間近の物々しい風と湿気と雨の中、(元)地元の神保町を徘徊してて、ふと目に留まった岩波ホールの「ヒロシマ・ナガサキ」を鑑賞することにした。 日系3世のスティーブン・オカザキが25年を費やし、ヒロシマ・ナガサキの原爆被爆者のインタビューをベースに作成した地味―なドキュメンタリー。それがなんで私のアンテナにひっかかったのかというと、「音楽がモグワイだってよー、やるなー」と聞いていたからだった。真面目に「唯一の被爆国として、ヒロシマ、ナガサキの悲劇を忘れるな」という、ジャパーニーズ優等生的動機は、これっぽっちもなかったのは確かである。 ところで、太平洋戦争に対する私のスタンスは、非常にニュートラルな位置にあるのだ。これは、愛国心ある家庭で育ったこと、イギリス人配偶者を持つことで「極東→西洋」視点の転換の機会があったこと、そして相反する双方の解釈は常に国家によるプロパガンダ教育の賜物であると理解しながら、個人レベルでの人として、一国の国民として、互いの国の歴史と文化の差による大きな溝に橋をかけ続ける、結構地道な努力をしてきた結果なんである、エヘン。 日本的な被虐的歴史観も、それと反するネオナショナリズムも理解する。連合軍大国の尊大な選民意識とパワー合戦の愚かさも理解する。その上であえて、こだわりや囚われ、狭い範囲内においてのみ有効な常識という洗脳、そういったものから自由であることを選択したのが、私の「こだわり」であったりするわけです(笑) さておき、かつては隠蔽されたヒロシマ・ナガサキの惨劇を目の当たりにして、「かわいそう」と安っぽい涙を流しカタルシスを得ることだけは、恥ずかしいからしたくないよなー、と斜に構えて鑑賞すると、意外とトーンのフラットな、静かなドキュメンタリー作品だと気づく。「どうだー、こんな悲惨だったんだよー、あーだー、こーだー」と、御印籠のように「ヒガイシャー」を振り回し、ヒステリカルに煽動するような作品だったらヤダナー、なんていうのは杞憂に終わった。 被爆し、生き残り、辛苦を舐め、生き地獄の60年を「生かされて」きた証言者たちのインタビュー。原爆の開発に関わった者、エノラゲイの航空士、リトルボーイ・ファットマンに関わった科学者たちのインタビュー。原爆投下後の廃墟、目を覆う被爆者、復興してゆく町、生活を営み始める人々、進駐軍とパンパン、といった映像。連合軍サイドのプロパガンダと人種差別がバシバシの、当時のアメリカTV番組。現在の日本の平和と繁栄を象徴する、渋谷・原宿を闊歩する若者たちの映像・・・入れ替わり立ち代り、これらの映像が淡々と流れてゆく。変なジャッジメントはなしだ。FACTS・事実・・・、「絶対的な真実」ではなく、当事者たちの事実が、ただそこにあるだけ。 たしかに、そこに、惨劇はあった。 原爆の加害者がいた、被害者がいた・・・大きな全体像を捕らえれば加害者も被害者であった、被害者は「加害者」というレッテルを貼られた国家の国民であった。生き残った被爆者の敵は敵対国ではなく、自国の同じ日本人による差別であり、命を捧げよと教わったニッポン国家による無視であった。敵国アメリカではむしろ、無償で被爆者への援助を惜しまないチャリティ精神が普及する土壌が、そういう文化があった。 誰が悪で、誰が善なのか、そんな白黒ハッキリつけられる事柄じゃない。これは、どんな物事にも言えることだけど、簡単に善悪を分け隔つ線引きなど、本当はどこにもない。面白いことに、この映画の原題は奇しくも「White light/Brack rain」だったりする。それは単純に、ピカドンのピカがwhite light(真っ白な閃光)で、その後に降ったBlack rain(黒い雨)ってことなんだけど、なんか私は「白・黒」という深読みをしてしまう。 これまでの、いわゆる原爆に関するドキュメンタリーは、「被害者の日本サイドvs勝てば官軍サイド」の両極がほとんどだったと思う。つまり、白黒ハッキリした世界観。でも、このステーブン・オカザキの「ヒロシマ・ナガサキ」は、先述したとおり、限りなく淡々とニュートラルだ。これは彼の日系3世というポジションを思えば、ごくあたりまえなんだろう。だからこそ、ものすごい説得力がある。 原爆投下の数日後に撮影された白黒の映像がゆっくりと流れる。ガレキ、廃墟、この世の終焉、塵芥、死体、虚無・・・そこにモグワイの脳髄に突き刺さるようなメロディが、変なセンチメンタリズムを払拭するかのように、私たちのアタマを覚醒する。悲しくて、美しい、すごい印象的な場面に圧倒されて、涙があふれてきた。 私たち日本人はなんやかやと、ヒロシマ・ナガサキの惨劇は学んできている。この映画の冒頭に出てくる原宿の青少年が口を揃えて「ヒロシマ・ナガサキなんて知らない」というのは嘘っぱちだ。(よ、ね?)瞬時に十何万人が死んだこと、そして後遺症として何十万の死があったこと、生き延びた被爆者が差別の対象として生きてゆかねばならなかったこと・・・「はだしのゲン」をはじめ、いろんな映画や文学、音楽、ドキュメンタリーなどで、日本人だったら誰もが「大前提として身に刻まれてる知識」なはずだ。だから、このドキュメンタリーを見て、「知らなかった!」と衝撃を受ける日本人って、あまりいないんじゃないかな。「それは知識として知っていたけど、これほどまでとは・・・絶句・・・」くらいがMAXで。それよりも、「恨み節」で終わらない、すがすがしさに反対に感動すると思う。 一方、日本以外の国の人達には、知らされていない事実を知るドキュメンタリーとしての価値があると思う。この作品は今年8月にアメリカでTV放映されたと聞いたけど、どんな反響だったのかな?多分、それどころじゃないよ、ヒロシマ・ナガサキなんて過去の話でしょ?今ここにある危機の方がもっと大事なんだからー、で終わっちゃうんだろうな。 でも、見に行ってよかった。知ってるつもりで知らなかった事実に触れられた。なによりもこの日は上映後、作品内でインタビューを受けていた被爆者のひとり吉田勝二さんのトークがあった。確かに後遺症として身体的不具合があるけれど、すごくポジティブなエネルギーを発散されていて、疲れきってる私たち現代人よりもっともっとパワー溢れてる。だからこそ、彼は被爆しながらも「生かされ」て、こうやって「伝える者」として選ばれたのだと思う。最後に握手させてもらった彼の手は、柔らかく暖かだった。 ただ、いただけないのは、トークの後の質疑応答時に、いかにも!の市民グループっぽい方の、「平和」「第九条」について、サクラ的ご意見があったこと。せっかくの、この作品のニュートラルなポジションが理解されず、一部のファナティックな団体のツールになっちゃうのは、やだなぁ。
2007.09.07
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を、しているのであります。実は昔、ほぼアル中でした。5年くらい前がピークで、朝会社へも行けない日々が続き、私のサラリーマン人生は破綻する予定だったくらいで、ま、いろいろあってなんだかんだで、2年前にお酒は辞めた、というか、もう飲めなくなっちゃったから、それはもう過去のハナシ。ヨガを始めて、肉体的にも精神的にも沢山の変化が現れるようになって、ひとつ解せないなぁ、と常々思っていたのが、突然の「甘いもの中毒」状態。生まれてこの方、甘いお菓子やケーキが美味しいと思ったことはなかった。貰いものなら口にしても、自分で積極的に甘いものを食べようなんていう欲望とは無縁の、およそ女の子らしくない人生だったにも関わらず、ですよ。毎日チョコやらクッキーやらアイスやらフラペチーノやらマフィンやら、もう、食べる食べるの日々、ああ泡沫、マイライフイズスゥイート。毎日の「エンゲル係数」ならぬ「甘いもの係数」は、昔のアル中時代の「お酒係数」に匹敵するのではないかと、いう勢い。そういや、私はヘビースモーカーというか、チェーンスモーカーでもあったので、口愛期を抜け出せてない私のリビドーのなせる業か?お口の手持ち無沙汰を甘いもので満たしているアルか?とか、思ったり・・・あー、もうひとつ、爪を噛む癖もなくなったことだしねぇ・・・。でも、いくらなんでも限度というものがありましょう、と思ったのと、砂糖は嗜好品と同じく避けるべし、っていうのもアタマでは「ごもっとも!」と思うし、9月から始まるTTCの準備としても良いタイミングかな、ということで、砂糖関係はちょっと避けてます。でも、気がつくと、オフィスでチョコに手が伸びてるし、スタバではホイップ増量で、とか言ってる自分。これは、本当に欲してるというよりは、単なる習慣なのかな?でも日に日にそれにも慣れてきて、おかげで、しっかりゴハンやパンの炭水化物食べるようになったし、フルーツの摂取量も増えてきてる。おお、健康的じゃん、私!しかし、ついに甘いものまで切り捨てちゃって・・・うーん、この後はどんな形で、依存傾向の欲望処理がなされるんでしょうか?
2007.08.25
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台風の影響か、ザブンザブンと荒い波が次から次へとやってくる由比ヶ浜で、昨日初めてのサーフィン。 おー、むっちゃ荒い波風に呑まれてサーフィン・デビューなんてカッコイイやん、となめきっていた阿呆は私です。 さすがに波はデカイし、ロングボードだし、イントラさんが「OK、ハイ、ゴー!」とタイミングを教えてくれるので、一回目ですぐ立って波に乗れた。 でも、沖へ出るまでが大変。大量の藻にからまれ、デカイ波にザブザブ呑まれ、いけどもいけども前に進めない。ひー。 でも、あの波に「乗った!」瞬間の浮遊感は堪んないね。一瞬の無になる開放感・・・空に浮く感じ。 で、あっという間にバランス崩して水の中へドボン!波に呑まれてもんどりうって、ボードでアタマうって、水飲んで、脚にアオタン作って・・・!ゲボゲボゼーゼー言いながら、また沖へ向かい、繰り返しす。 すごい、すごい。楽しいよ、これ!なんていってるうちに、あっという間の2時間が終わる。 うーん、これっきりじゃなくて、ちょっと真剣にやりたいなぁ。 しかし、やんちゃな私の余計なオマケとして、途中で腰をグキッっとやってしまった。ほぼギックリ腰で、か、かなりキてるよ、これ、ヤバヤバです。 楽しすぎて、張り切りすぎでした・・・と、反省。 ヨガの練習がまたリハビリモードへ逆戻りだ、しゅん・・・><
2007.08.05
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湘南に越してきたからには、サーフィンでしょ?と常々思ってた。 ヨガ(特にアシュタンガ)との深い繋がりもあるし。 というか、なんといっても、むちゃくちゃカッコイイもんなー。 あの、自然と対峙する、究極のバランス、「空」という瞬間 想像するだけで、クラクラしそうだ。 最近、近辺の散策もひと段落し、 生活もなんとなく落ち着いてきたので さっそく来週末に、プロサーファーの大特訓を受けることにした。 とりあえず最初は基本をしっかり押さえて あとは定期的に練習できればいいかな、と思って。 今日は台風の影響で、きっと波も高かろう、と思い 夕方、雨が上がったころを見計らって逗子海岸を散歩。 案の定タイフーン・サーファーが沢山沖に繰り出していた。 普段逗子海岸はウィンドばっかりで サーフィンしてる人なんて殆ど見ないんだけど 今日は違うねー、サーファーうじゃうじゃだよ。 それも、みんな、かなり興奮してる感じで。 荒く高い波を見ると、それもそうだろうなぁ、と納得。 遠くでは、冗談みたいに上手いサーファーが 海面が生き物のようにうねる中を ゆるやかに、しかし力強く、かつ優雅に 神様の魔法のように波に乗っている。 うわー、すげー。 観てるだけで興奮してきたよ。 まずは、やりたい、と思ったことを始める元気 それが自分の中に漲ってきたかも。 うーん、楽しみー:)
2007.07.15
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あららら、なんか、むちゃくちゃ忙しい。 というか、やりたいことが多すぎて 時間が足りてないだけなんだ、と気づいた。 なくせに、時間配分というか いわゆる「タイム・マネージメント」などが苦手だし、嫌いだ。 だって、時間に追われると 自分の大事なものが麻痺してくる。 だから、あえて 無理やり作り上げた「ハイパーテンション」状態で サクサク物事を進めてゆくことからは 卒業したつもりだったりする。 One day, one thing 一日一イベント くらいでのんびり暮らすのがいい。 でも、これって、インドやフィリピンならいざしらず 日本で、東京でやってゆくのは難しい。 ところで最近、アルバイト先で フランス人のマネジメントのアシスタントをしている。 若くて有能な肉食西洋人の彼(←すごい偏見!)の アグレッシブかつイケイケゴーゴー!的ノリを見ていると ああ、私も昔はそうだったなぁ、と感慨深い。 と同時に、そこで麻痺した感覚と不安を抱え、ごまかし、突っ走る彼が やたらとあぶなっかしく見えたりもする。 エゴエゴエゴ・・・マインドマインドマインド・・・ プライドと防御の戦闘服! ひー、巻き込まれないように、自分をちゃんとキープしておこう。 こないだ地元の山林を、ヘロヘロと散歩して 雨上がりの湿った土のにおい わんわんとむせかえる緑のにおい 人工的な騒音のない空間を堪能してたら みるみる元気がチャージされてきた。 ニンゲンって本当は 思っているよりずっと単純なんじゃないかな って、笑いだしたくなった。 最近は葉山の海岸ばかり行ってる。 御用邸のまん前の海岸に寝転んで ぼんやり海と空見て過ごす。 あ、そうか こうやって「ぼーっ」とする時間が増えた分 他にやることの時間が減っている っていう、それだけのことか。 だから忙しく感じてるんだ、きっと。 なんか、とりとめもないですね。 最近はアタマの中、こんな感じで、ゆるゆるです。 みなさま、よい週末をお過ごしください。
2007.07.14
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逗子に越してきて、3週間が経った。 初日の土曜日は、なんか妙にワクワクして、子供みたいなテンション大爆発。 赤帽で送ったダンボール30箱もそっちのけで、近所を散策、ゴー。 通りがかった亀岡八幡宮では「こころのまつり」 http://kokoro.rootstock.net/About.html という、代々木のアースデイみたいなイベントが開催中。 エコでオーガニックでピースフルな雰囲気の中、まったりとリラックス。 うーん、引越し早々縁起が良いわい、と、ひとりゴチる。 代々木みたいに、一癖あるこじゃれ系若者の群れ中心ではなくて、普通の家族連れが大半で、ほんとフツーに楽しく過ごしているのが自然でいいなぁ、と思った。 だってこういうのは本来オルタナでもファッション的ステータスじゃないし、その場限りのイベントでもなくて、フツーの生活の延長であるべきもんなんだよね。 平日は九段下で朝練、それから新宿でアルバイト、家に戻るのは10時か11時という生活パターンが確立されつつある。 結局平日はあんまり逗子にはいないのだ。 それでも、朝5時過ぎに山のふもとに建つ家を出ると、朝靄、朝露、緑の息吹、遠くに煙る霧、そして鳥のさえずりにココロがザワめき、そして深呼吸する幸福に満たされる。 長い1日を終えて、満員電車に乗って逗子に着き、電車から出ると空気が違うのに気づく・・・深い緑の匂い、海の匂い、開けた空間の匂い・・・うーん、幸せだなぁ。ここに越してきて本当によかった。 実は「海のそば」というロケーションが、今回の引越しの理由のひとつだった。 でも、実際にここに来てみると、山と緑のパワーに魅了されっぱなしの自分発見。 静寂の中に、凛とした、深みのあるすごいバイブレーション。 あー、山って、土って、草木って、本当に生きているんだ!っていう感動。 逗子に越してきた6月は、ムーンディが3回!という異例な月。 満月で始まり、新月を月中で迎え、また満月で月を終えるのだ。 2週間前の新月の夜、逗子の先達Sちゃんに連れられて、山へ蛍を見に行った。 都会育ちの私は、蛍を見るのはこれが初めて。 街灯なんてない真っ暗な山道をテクテク行き、鬱蒼とした池の辺に腰を下ろすと、真っ暗な暗闇の中にポワン、ポワーンと浮いては消える仄かな蛍の光に包まれた。むせ返る緑の匂いを胸イッパイに吸い込みながら、視界が奇妙に歪んでいくような錯覚を覚え、幻想的な夜光の発光体達の乱舞にうっとりとする。 周囲には人っ子ひとりおらず、時折ウシガエルがブイブイ鳴き、新月なのに意外と明るい夜空に照らされた水面には、バチャンと魚が水しぶきをあげる。 そんなだから、週末は極力東京へは出ずに、地元で過ごすことにしている。 こないだの日曜日は、早朝に逗子海岸でぼんやりした後、テクテクと歩いて葉山の朝市へ。 http://www.shonan-style.jp/contents-special/koto/asaichi/hayama/asaichi.html 取れたての海の幸や山の幸、オーガニックなお惣菜やスゥイーツ、できたてのマグロ丼やつみれ汁などなど、うーんと新鮮で美味しいものばかりがズラリ。 あわわわ、これはお母さんを連れてきてあげなきゃ、です。 一時的にベジタリアンを撤回して「つみれ汁」を堪能。Chayaのオーガニックでナチュラルなアンパンを頬張る。味の濃ゆい野菜と、オレガノを鉢で買ってご満悦。 これまでずっと、家から徒歩20分の逗子ビーチばかり行ってたけど、昨日はバスに乗って葉山の大浜海岸、一色海岸へ足を伸ばしてみた。 逗子ビーチよりずっと「地元ビーチ」していて、のどか度アップ。 ほんと自然の海、ココロからほっと落ち着ける感じ。 このあたりには、「御用邸」があるんだけど、この空気と景色と空間を感じたら、なぜここに作られたのか理解できる気がしてくる。 S&Mのステーシー先生が、7月にここ葉山でヨガのワークショップをやるので、興味のある方はご一緒しましょう! そんな感じで、とりあえずは元気に過ごしてます。 かしこ
2007.07.01
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先週末にガーッと物件巡りして、住むトコロがやっと決まり、来週には引越し。いよいよ逗子ライフのスタート。 生まれも育ちも東京のど真ん中、学校や勤務地もDOOR TO DOORで30分前後、という生活をしてきた私にとって、これはちょっと素敵なチャレンジなのだ。 とりあえず日本でちょっと腰落ち着けよう、と決めた時に、都会のコンクリートの中じゃなくて、自然の息吹とリズムが感じられる場所に住みたい、って、真っ先に思った。プライオリティ・ナンバーワン。 だけど都会からまるっきり離れてはいられない、ってこともフィリピンの生活でよーく判ってるし、ちょっと頑張ってみようかな、と思ってる仕事場が新宿だから、通勤圏内でなければ。 その点を考慮して、探してたのが、鎌倉・逗子・葉山。逗子は「海!山!緑!以上!」って感じが気に入って、鎌倉近辺よりも空間が感じられるのが良かった。町もフツーだし。新宿湘南ライナーの始発駅だし。 そしてなによりも今、季節はまさに夏!へと向かっているのだー。 この夏はサーフィン(ヨギーとしては是非体験したい)と、ヨット(昔ディンギーをちょっとだけやってた)にトライすることに、どうやらなっているらしい。 うーん、ワクワクするー!
2007.06.02
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してたみたい。 インドを旅行中、列車の棚から荷物を下ろすときに小指をグキンとやって、ずっと痛かったんだけど、そのうち治るだろうと思いつつ、かれこれ1ヶ月以上が過ぎた。いくらなんでも、いまだに痛い、それもかなり痛い、っていうのはおかしいよな、と、やっと気づき、今朝の朝練の帰りに整形外科へ。 「あー、ほら、ここんとこでキレイに折れてるよ、骨」 「こんなに放っといちゃって、そうとう痛かったんじゃないのー?」 レントゲン写真を見ながら先生が言った。 「はぁ、そういえば痛かったような気がしますー」 と答えながらも、ああ、やっぱりねー、と独り苦笑い。 そういえば昔から「痛み」に鈍感、というか「痛み」に対する耐性が高いんだけど、さすがにここまでとは・・・うーん、我慢しすぎちゃダメです。大げさなミニギブスでグルグルの右手を見ては、またまた猛反省。 雨があがると、いいなぁ。
2007.06.01
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ダージリンからアッサム経由でデリーへ、そしてゴアで荷物をまとめてムンバイに戻り、デリー、バンコクと、飛行機を乗り継ぎ、乗り継ぎ、やっと成田着。 なんども離陸、着陸を繰り返して、でもいつまでたっても「ああ、まだインドだ」って感じで、インドはホテルカリフォルニアみたいに、チェックアウトはできても、なかなか去ることができない、と誰かが書いていたのを思い出した。 実はインドには、たったの三ヶ月しかいなくて、でも一年くらいいた感じだ。 たくさんの色々なアレコレを学んだ。これまでの自分のリミテーションをぶち壊すことができた。とんでもない極限の両極が同時に存在する現実を目の当たりにし、自分のなかにも同様に相反する両極があることを身をもって知った。 人々の中に宿る光り、それは人種も身分も貧富の差も関係ない。アチラとコチラを分け隔てるのは外部的な国境や宗教や階級じゃなくて、自分自身そのものだ。自分次第で、表面的な線引きを越えて、私達の内なる光りや、もっと沢山のものをシェアすることができる。 最も近く、最も遠い、最大の他人だったダンナさん。この三ヶ月でその距離が微妙に変化してきた。アナタは外人だから、アナタは男だから、と線引きしていたのは私だった。歩み寄ることより、拒絶することで私はなにを守ろうとしてきたのだろう? これまで海外から日本に戻るたびに、気分が萎えてきたものだ。灰色の町、無表情な人々、過度な秩序、表面的な世界・・・でも、それをそのように映しだしてるのは自分だ。「ここ」をいつまでも「逃げ出したい」牢獄にしたいのなら、いつまでたっても、どこまでいっても、不幸で不満だらけのままだ。成田に降り立つやいなや、それがスーっと解った。 日本到着の翌日、IYC九段下でフルプライマリーのレッドクラスに参加。二ヶ月ぶりの練習。重力に負けてる自分のカラダ発見。 その翌日から同じく九段下で朝練マイソール開始。2日目にして身体中がスゴイことになった。全身 これ筋肉痛。床のものを拾うのもエッチラオッチラ状態・・・><アシュタンガヨガというのは、とても肉体的にハードなんだな、と、なにを今更みたいな事を思った。 その翌日からは、ケンさんの神保町スタジオへ。グルジのオールドシャラみたいな、超少人数制のマイソールクラスだ。筋力とバンダを失った、この鈍りきったヨレヨレの身体が、どう変わってゆくのか。これまでの「当たり前」が大きなチャレンジになってる。日に日に変化してゆく過程が、はっきると、くっきりと、感じ取れる。面白い。ワクワクする。 東京の町を歩きながら、「あ、そういえば、2~3日前はインドにいたんだっけ」と、たまにハッとする瞬間がある。あの臭いも騒音も暑さも、なんか遠い昔のことみたいだ。 3日目から以前勤めてた会社に復帰。なんの違和感もなく、あたりまえのように物事が進む。昔からの知り合いのインド人にバッタリ、甘~いインド菓子を貰い、口イッパイに懐しい味をほおばった。あちこちのヨガ友達とも再会しては、前とおんなじようにワーワー過ごす。あれ、私本当にインドに行ってたんだkっけ?ますます時間の感覚がおかしくなってくるような、でも、何かが決定的に違う、微妙な感覚。 自分を犠牲にした「仕事ホリックな」生活からの脱却。これがここ最近の自分の最大の変化だったのに、なぜだかまた「仕事にバリバリ」方向に進む予感がする。なんか一回りして、元に戻った、みたいな。「自分を犠牲にしないで仕事を楽しむ」という選択肢に、なぜ昔は気づかなかったんだろう。 うん、そう。一回りして、元に戻った。全てがそんな感じ。ダンナさんにしてもそうだ。休んじゃってたヨガもそうだ。意を結して辞めた仕事もそうだ。結局これまでのアレコレは、結局ここに戻るためのものだったのかな?もいっかい、リハビリを兼ねて、やりなおし、やりなおし。そういうことなのかな? なんて首を傾げてると、1歳半の姪っ子が片言のニホンゴを駆使しながら、突進してくる。天使の翼で包んでくれる。この生き物は純真そのものだ。抱きしめるとミルクの臭いが鼻をくすぐる。インドで抱きしめてきた沢山の子供たちと、この姪っ子になんら差はない。瞳はまっすぐに私の本当の中心を見つめる。 ま、いっか。 とりあえず、みなさま、ただいまです。
2007.06.01
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イギリスの殖民時代に作られたヒルステーション(避暑地)のひとつ、お茶の栽培でも有名なダージリンにやってきた。標高2100m、周囲を山々に囲まれ、遠くにヒマラヤの頂上を望み、山腹に沿って上下に広がる、急な坂道と階段の町だ。 Siliguruという町からダージリンまでは乗り合いのジープで3時間。日本だったら6人乗りであろうサイズのジープに、運転手を入れて合計14人がキュウキュウに乗り込み、曲がりくねった未舗装の山道を、インド流ドライビング・スタイルで、標高2100mまで登ってゆく。この狭い道幅で、よく対向車とぶつからないものだなぁ、と感心しながら、ガタンゴトンと右へ左へブンブン揺られ、ジープのヘッドライトが照らす真っ暗な山道をじっと眺める。標高が上がってゆくにつれ、どんどん肌寒くなってゆく。遠くの山陰が月の光に照らされ、窓の外を流れてゆく。ああ、そろそろ満月なんだなぁ、と、思う。人口の灯がない場所で月の光は、とてもとても明るく輝き、あたりを照らす。 夜10時ごろダージリンに到着する。街中なのに、あたりは真っ暗だ。お香の匂いが充満してる。その中に強力な消毒液の臭いが潜んでいる。全ての店は閉まり、人影はなく、ゴーストタウンのようにひっそりとしている。野良犬の数がやたらと多い。寒さに震えながら、なんだなんだこの街は?と思いつつ、急な坂道に息をきらせながら宿を探す。 朝は近所の寺院から聞こえるチャンティングで目が覚める。窓を開けると段々畑のように上下に広がる街並みが一望できる。街並みの向こう側は、お茶畑が広がり、植物公園の森林が見え隠れし、周囲の山々が陰影を描く。北側には雪に覆われたヒマラヤの山々の頂上が、ちっぽけな下界を圧倒するように鎮座している。うわー、絶景やー、参った! さっそく街を徘徊する。真っ先に感じるのは、そのインドらしからぬ異国情緒、というか、違和感。 *住民の大半がネパール人・チベット人・ブータン人なので、待ち行く人々の風貌が親しみやすい。 *リクショー、オートリクショーがない! *牛がいない・・・つまり、道に牛の糞がない! *道端にゴミがない!それどころか、ゴミ箱すら置いてあり、ゴミ収集車まである。 *暑くない!それどころか、寒くてセーターやショールが必要。 *建物が植民地時代のコロニアル風でこ洒落てる。 私にとってインドは、イコール=とんでもなく「暑い・臭い・ウルサイ」なんだけど、その点からすると、「涼しい・空気がキレイ・そこまでウルサクナイ」ここダージリンは、ちっともインドじゃない。まるで、インドにウンザリした外国人旅行者が駆け込む避難地みたいだ(笑)。植民地時代のイギリス人たちにとっての避暑地だったというのも、スッゴク頷ける。 少しの間、ここでちょっと骨休めです・・・。ふぅ。
2007.06.01
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コルカタ=スラム、貧困、混沌、ゴミだめ・・・そういったイメージが出来上がっちゃってるのは、なんでだろう? トランジットとしての短時間だけど、実際にコルカタに来てみると、デリーよりもずっとずっと潤いがあって、河もあるし、街路樹で緑豊かだし、コロニアル風の古い建物が残り、なんか昔訪れたサイゴンを彷彿とさせる生き生きとしたチャーミングな街だな、と、まず思った。貧しいけれど、汚いけれど、人々の「生」を、その息吹を生き生きと感じた。 ガヤから乗った夜行列車がハウラー駅に着いたのは午後の2時。駅からはオートリクショーでサダルストリートへ行こう、と思ったら、なんと駅前周辺はオートリクショーが禁止されていた。仕方ないので、黄色いタクシーをインド人家族連れとシェアして、ハウラー橋を渡り、サダルストリートへ。 ニューデリー駅そばの安宿街Pahar ganjiは、汚くゴミゴミしてる。最初は「おー、インドやー」とワクワクしたが、慣れてくると、正直ゲンナリしてくる。そして、人々の作り出す雰囲気が、良くない、殺伐としている・・・なんか、危険な感じがする場所だなぁ、と、背筋が寒くなる 感じだ。 一方、コルカタの安宿街サダルストリートは、妙に健全で明るい印象。確かに物乞いも多少は居るけど、しつこくないというか、普通の光景として溶け込んじゃっている。外国人観光客向けの店も、明るく健全だし、なにより人々からネガティブな空気が流れてない。あ、これは、決して「貧しさ」や「汚さ」がない訳じゃないよ。やっぱりインド、どこまでもインド、「暑い・臭い・ウルサイ」からは逃げられない。でも聞いたり読んだりしていた先入観とは、まったく別物で拍子抜け。結局旅する土地というのは、自分自身の目で見て、身体で体験するものこそが真実なのだなぁ。 残念なことに1日半だけの滞在で、慌しく近辺のニューマーケットをプラつき、タクシーに乗ってジャイナ教寺院とヒンズー寺院(カーリーテンプル)、そしてラーマクリシュナ(&ヴィヴェーカーナンダ&サラダデビ)のアシュラム総本山へ行っただけ。次回はもっと長く過ごしたいな、と思った。 そして2日目夕方にはエア・デッカンで(出た!超格安航空券!)一路ダージリンへ向かう。
2007.06.01
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答え:席がない バラナシ→ガヤのチケットもWLだったけど、発車予定の2時間前に駅でコンファームできた(=座席を確保できた)ので「フーン、当日になればキャンセルがバンバン出て席が取れる、インド鉄道というのはそういうシステムなのかー」と勝手に思ったアホは私です。 ガヤ→コルカタのチケットもWLだったので、発車予定時間のちょい前に、ガヤ駅の専用オフィスで「コンファームして頂戴!」とチケットを差し出すも、「あ、ダメ、これコンファームできないねー」と、突っ返される。え?「では、どうしたらいいんでしょうか、オフィサー様?」と、インド人みたいに権威にゴマをする態度で伺うと、「とりあえず、列車が来たら乗る。そしてTTオフィサーに相談する。必要であればお金を払う」とのこと。TTオフィサーとは、車内で乗車券・予約席のチェックする人で、日本の車掌さんと違い、やたらエラそうなのが特徴だ。そうか、とりあえず乗っちゃえば、なんとかなるんだー、と、バカな私は素直に受け止め、列車が来るのを待った。 やっぱり何時間も遅れたコルカタ行きの列車が、プラットフォームに着くやいなや即車両に乗り込み、空いてる座席はないものか?とウロウロするも、どうやらほぼ満席の模様。これは、TTオフィサー様とやらに相談すべきなんだな、と思い、車両と車両の間の簡易座席にチョコンと座り、TTオフィサー様がやってくるのを待った。トイレの臭いが気になる。視界に入るゴキブリが気になる。寝台車両のシーツや枕を取り替えたりする係員さん達が、どうした?だいじょうぶか?席が見つからないのか?と気にかけてくれるが、私のコンファームされてないチケットを見ると、「可哀想にねぇ」と言わんばかりに、憐れみの顔を見せる。うーん、やな予感。 TTオフィサー様がエラソーに通りかかったので、チケットを見せながら「事情があり、席はコンファームできなかったが、どこぞやに空いているであろう寝台座席を与えてくれないものか?もちろんいくばくかのお礼はするつもりだ」と伝える。TTオフィサー(女性)は、表情ひとつ変えず、私のチケットと、手に持っていた予約座席管理表(らしきコンピュータ打ち出しペーパーの束)とをチェックし、「アナタのチケットはコンファームされていない」と、はき捨てるように言って、サッサと立ち去っていった。「あのー、それは、判っていることなんですよ、オフィサー様、その上でのお願いなんですがー」と、追いかけようとしたが、側に居た係員さんに「ノーノー、やめときー」と、止められる。この係員のおじちゃん曰く、やっぱりこの列車は満員御礼らしい。 え?ひょっとして、私この先10時間の乗車、寝台座席ナシなの? この先10時間ものあいだ、ここのトイレ臭い場所で、半ケツが乗るだけの簡易座席で過ごすの? WLで座席がコンファームされてない、ってことは、こういうことなんだぁ・・・。 わたしゃ、アホや。 つか、なんでこんなチケット売るんだ、インド? 2等座席の車両に空きがないか見に行こうかな?と、一瞬思ったけど、ガヤ駅のプラットフォームに列車が入ってきた時点で既に超満員な2等・3等車両へインド人がオラオラオラオラと猛突進で乗り込んでゆくのを見ていたので、諦める。「いつでもどこでもモッシュピット」に慣れてるインド人ならいざ知らず、かよわき私が乗り込んだところで、「ヒェー、ハラホロヒレハレー」で終わっちゃうのは目に見えてるもんね。 係員のおじちゃん2名組は仕事がひと段落ついたらしく、私の目の前の床に毛布とシーツを敷いて、仮眠をとる準備を始めた。車両と車両の間のトイレがある連結部分、ここが彼らの寝床だ。憐憫の表情でイッパイのおじちゃんは、「ここで寝なさいよ」と、彼の寝床を私に譲ろうとする。でも、私はそこでトイレの水浸しの床のスグ側に横たわる勇気がなく、断る。 半ケツだけ乗る簡易座席に座り、少しでも眠っとこうと目を閉じる。係員のおじちゃんは、拾ってきた紙切れで天井の電気を覆い、少しでも暗くして眠りやすいようにしてくれる。さらに、AC車両のドアを半空き状態にして、涼しい空気が入ってくるようにもしてくれる。ガヤ駅で列車を待っている時から、ムシ暑さにゲンナリしていたので、これには相当楽になった。ふぅ~、極楽~、って感じ。そんな私の様子を見て、バチンとウィンクをひとつくれた係員のおじちゃんは、「2時間後の○○○駅で、きっと誰かが降りるから、そしたら寝台座席を確保できるよ」と、教えてくれる。グッナイ、おじちゃん、ありがと、よい夢を。 こんなちっちゃい簡易座席でも、こんなガタガタ揺れる場所でも、ニンゲンって眠れるもんなんだ。自分でもビックリするくらい熟睡してたらしく、ハッ!と気がついたら係員のおじちゃんに起こされてた。どうやら、寝台座席に空きが出たらしい。「カム!クイック!」と言いながら、新しいシーツと枕を渡し、座席まで案内してくれる。3ACの一番上の席へ、よっこらしょ、とよじ登り「サンキュー・サンキュー・サンキュー」と百回くらい係員のおじちゃんへお礼を言い、「ああ、でも、この席を予約した人がこの駅以降から乗り込んできたら、どうなるんだろう?」と思いながらも、ヘロヘロの頭と身体は横になるや即バタンキュー。下車するのは終着駅のコルカタなので、乗り過ごす心配もなく、ココロ安らかに眠った、眠った。 チケットがWLでも、インドだからとりあえずなんとかなるだろう、と思ってる私も愚かだけど、やっぱりなんとかなっちゃうところがインドらしい。でも、これからはちゃんと座席を確保してから列車に乗り込もう、と、律儀な純ジャパの私は本当に心からそう思った。
2007.05.17
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ここブッダガヤーでは、各国の仏教寺院で修行している坊さん&尼さん以外のローカルなインド人の大半はヒンズー教徒みたいだ。仏教徒の最も聖なる巡礼地なのに、意外だなー、と思いつつ、その数少ないローカル仏教徒の人達と話をすると、ほとんどがヒンズー下層カーストの貧しい生まれ育ちで、自分の意思でヒンズーから仏教徒へ改宗している。 ヒンズー教には「カースト」という階級制度があり、21世紀の現在であっても、インドのあらゆる場面で、このカースト制度は非常に有効、というか、人々のDNAに刻まれた「あたりまえのもの」として歴然と存在する。ローカル新聞を開けば、必ずといっていいほど、アンタッチャブル(不可触民)の悲劇が取取沙汰されている。最底辺のカーストに生れ落ちたら、一生周囲から蔑まれ、穢れたものとして忌み嫌われ、人間以下として生きてゆかなきゃなんない。実際に子供のころ、学校で自分は席を離れた場所に置かされる、自分が触ったものには誰も触れたがらない、ランチタイムは教室から出て行かなければならない、などなどの体験をした、と、自ら仏教徒へ改宗した男性から聞いた。 日本に生まれ育った私たちが「えー、そんなの酷いねー」なんて簡単にジャッジできる次元の問題じゃない。例えば、私たちアシュタンギが敬愛してやまないパタビ・ジョイス、グルジはブラーマン(カースト最高位)の身分だから、自分よりカーストが低い人が作った食事なんて、ゼッタイ食べないよ。それが、あたりまえなんだもん。駅でポーター(荷物運び)に自分たちの荷物を持たせてる中流階級の家族連れの態度を見てごらん。ポーターを「ニンゲン」だなんて思ってないし、そう扱ってないから。電車の中を這って掃除する男の子なんて、虫けら扱いで乗客に足蹴にされてるよ。 それに、日本だって部落やアイヌ、そして女性に対する差別がしっかりあるんだから、その辺の認識や責任をおざなりにして、他国の階級制度に口出す資格はないというか、いや、意見を持つのは自由だけど、説得力はない気がする。 ともあれ、仏教もジャイナ教もシーク教も、ヒンズーのカースト制度に反発するカタチで派生した信仰なわけで、そういった意味ではヒンズーのカースト制度から抜け出すための改宗というのは、「ああ、そうかー」と、やたら納得できる。そして、この地ブッダガヤーは、仏陀が悟りを開いた(=enlightened)まさにその場所、ということで仏教徒のメッカとなり、様々な変容をした各国の仏教寺、僧院、修行僧、巡礼者が集まる中、ここに生活するローカルにとって最も身近な「脱カースト制度」信仰が仏教である、といったところなのかな。 それでは、本来の意味で仏教というのは、一般市民には根ざしてないのか?という疑問が湧いてきた。結局インドはヒンズーの国で、亜流としての仏教、って感じなのかな?とか、色々と。そういえば、これまでに出会ったインド人の殆どは、ヒンズーかクリスチャンかムスリム、たまにシーク(これはアムリッツァへ行ったからだけど)だった。現役&元お坊さん以外で仏教徒にはあんまり遭遇してない。つまり訪れた地域がそういう所ばかりだった、ってことでもある。だからこの点でブッダガヤーは、「村をあげて全面仏教徒!」ってところなのかな?なんて期待していたのに・・・。 そんなこんなを胸に抱えて、各国の仏教寺院、僧院をプラついてみる。チベット、ビルマ、タイ、中国・・・きらびやかな極彩色の建物が立ち並び、門前には物乞いと土産物のストール。オフ・シーズンのせいか、寺院・僧院を訪れる人数は少ない。ほとんどの寺院は歴史が浅く、古くて質の高いものを良しする日本的感覚からすると、「え?ちょっとこれチャチじゃない?安っぽくない?とってつけたような仏像じゃない?」なんて拍子抜けする。それでもココロ落ち着く寺院では、仏陀像の前に座りこんでリラックス。外はメチャクチャ暑いので、静かでひんやりとした境内はオアシスのようだ。たまにインド人の家族連れがドドド、とやってくる。外国人観光客はめったに見かけない。 実はブッダガヤーには2日しかいられなくて、日本寺院で座禅をするか、菩提樹の元で瞑想をするか、どっちにしようかなー?と悩んだ結果、やっぱり菩提樹の元で瞑想でしょー、とあっけなく答えがでた。しかし、ここブッダガヤーも呆れるほど暑いので、朝と夕方に分けて行うことにした。特に夕方は6時から本堂でお坊さんたちが集まり一斉にチャンティングを行い、それがマイクを通して外にも流れてくるのが、とても雰囲気良くてねー。うーん。2500年前の太古に思いをはせ、ゆったりとした時間に身を任せる。自宅でやる瞑想、瞑想会でやる瞑想、お外でやる瞑想・・・それぞれに良さがあるけれど、こうやってお外で神経質にならずに開放的に行う瞑想は気持ちがいい。周りを見ると、いろんな人たちが思い思いに瞑想をしている。自由ですよ、って雰囲気が、そこにはあった。 インドに疲れたなぁ、と思い立ち寄ったブッダガヤーで一息。そこには、特にすごいこともなければ、新しい発見も洞察もなかった。そこにあったのは、なんの変哲もない「ただここにある」っていうことそのもの。白でもなければ黒でもない、右でも左でもない、善でも悪でもない、限りない中庸。インドのヒンズー世界から受ける印象は「極端な両極が同時に存在する混沌と寛容」なんだけど、仏教世界から受け取る印象は、「限りなく中庸」って感じだ。 究極のバランス、その極致、果てに無となり、すべてとなる・・・そんなイメージ。 瞑想をしていると、確かにそんな一瞬がある。一瞬の「中性浮力」状態。内へ内へ内へ・・・と向かい、その果てに全てを覆いつくす、呑み込むような、これまでの世界が論理が常識が「ご破算」になる瞬間。その静けさ、身体感覚もなくなる、浮遊感。 うーん、なんか言葉では言い表せないんだけど、これまでやってきた瞑想の感覚(?)と、ここブッダガヤーで感じた「仏教」的印象がキレイにジグソーパズルみたいにパチンとはまったみたいな気がした。でも、そんなことは、本当はどうでもいい。私は仏教のことなど、ちっとも判ってない。理屈も論理もセオリーも知らない。でも大事なものは、すでにいつも「ここ」にあって、それは私の中にちゃんとあるんだ、ってことに間違いはなさそうだ。
2007.05.17
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どうやら私は変な先入観に惑わされる傾向があるようだ。「ブッダガヤーは、日本人観光客目当てのインド人が沢山いて、片言の日本語でバンバン攻撃してくるよー」と、複数の日本人から聞いて、「うーん、それは苦手だなぁ」と、敬遠していた。が、どうも流れ的にブッダガヤーは行くことになってきた。むむむ、と唸ること数分、とりあえず行っとけー、と私の中でGOサインが出たものの、実はあんまり気乗りがしてなかった。ガヤ駅に着いてからゴミゴミとした悪臭漂うデコボコ道を、リクショーでブンブン振り回されながらブッダガヤーへ向かう間も、「ああ、インドだ、どこへ行ってもインドだ・・・」と、わけの判らない愚痴を繰り返してた。 しかし、ひとたびガヤの街中を抜けると、スコーンと緑まばゆい田舎の風景が広がる。水平にエンエンと続く畑。そして遠くに、山。おお、アジアの光景だよ、いいねー、と瞬時にナゴむ。ブッダガヤーは思っていた以上に、ど田舎のこじんまりとした村だ。名前だけは超有名なのに、こ、こんな、ささやかな村だったのか?とビックリ。点在するお寺に立ち寄らなければ、ほんの1時間足らずで歩いて一回りできちゃう、そんな程度の規模。観光スポットとして人混みでワイワイしているのか?と思いきや、メインのマハボッディ・テンプル周辺にチョコチョコと土産物の屋台があるくらいで、あとは閑散としてる。シーズンオフのせいもあるけど、本当に、かなり閑散としている。そして、数少ない観光客相手の物乞いや物売りも、どこか「投げやり」というか、しつこさがなくて、拍子抜け。バラナシのインド人ビジネス攻撃ワールドが嘘のように思えてくる。 そうそう、物乞いと言えば、これまでに色んなタイプの物乞いチームと対決してきたけど、ここブッダガヤーはちょっとユニークだ。やたらと馴れ馴れしく話しかけて、ついてくる子供たちは、お金やペンや飴玉よりも、「本を買って」欲しがる。「勉強したいけど、お金がなくてできないんだ」というアプローチは、ブッダガヤーなどに来るインテリ層にかなりアピールすること間違いなし。流石だ。 メイン・テンプル脇のマーケットで、普通の単純な好奇心溢れるフツーの人々に囲まれて遊ぶ。なついて離れない子供達と大騒ぎをしてると、隣に居たおじさんは、私のデジカメを手に取り、画面を見ては興奮し、お礼に売り物のきゅうりを3本もくれる。こんなに食べれないよー、と困る私を見て、近くにたむろってた家族連れのおばさんが「こうやって食べなさい」と、きゅうりを切ってくれて、それを頬張る私の姿を写真に撮らせろー、と顔面麻痺の青年が近寄ってくる。一緒に写真に写りたい男の子は、オモチャの紙幣を嬉しそうにかざし、得意満面の笑顔をカメラに向ける。おお、久々の、下心のないフツーの人々だ。癒されるなぁ。 ここ数日間背負ってきた重い荷物を一気に降ろした、そんな感覚が全身を走った。眉間の皺も、肘鉄で身構える姿勢も、荒い呼吸も、負けてなるかと力をこめる視線も、ここならいらないやー。ほっ。
2007.05.17
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Varanasi 混沌のなかの静けさ2007/4/24~27 バラナシに来て、ハイエナのような観光客目当てのインド人にウンザリしてきた。これまで滞在したどの地にも、観光客目当てのインド人は沢山いたけれど、対応はけっこう楽チンだった。でも、ここバラナシは限度を超えてる。そのしつこさや狡猾さもさることながら、なによりも「その数多すぎ!」なのだ。だって、5分とひとりで静かに歩いてられないんだよ・・・Leave me alooooone!と、どれだけ叫んだことか!ウンザリやー、放っといてくれー!そして、連日「信じられないくらい暑い!」ってのも、このイライラに拍車をかけてた。 「道端で声をかけてくるインド人=悪い人」じゃない。これまでに沢山の「見返りを何も期待しない親切」に助けられてきた。単純な素直な好奇心で近づいてくる人達と楽しく過ごしてもきた。確かに、親切を装いながら「あわよくば・・・」って下心ある人も沢山いる。でも、その下心をくすぐらなければ良いだけの話で、なにも全ての声をかけてくるインド人が敵なわけじゃない。そのインド人を敵にするか否かは、自分次第だ。というか、「私たちはみんな仲間なんだよ、ある意味」って、本気で思ってた。 しかし、だ、モノゴトには限度があって、申し訳ないけれどバラナシで私は、5分に1回の「インド人攻撃」に辟易し、日に日に「かたくなな貝」のように閉じていった。日に日に余裕を無くしてゆく。日に日に不必要に神経質になってゆく。面白いことに、ここバラナシで撮った写真は、すごい緊張した顔してんの、私・・・判りやすいなー(笑)。 で、こんな風に自分のハートが閉じて、自分に余裕がないと、自分を守ることが最優先となってしまい、結構平気で周りの人達を傷つけるんだな、と、すごい後悔したことが2回。共に貧しい女の子ふたりを、傷つけ、泣かせ、怒らせた。 インドにいると学校へは行けず、物乞い・物売りをせざるをえない子供たちがたくさんいる。インドの物売りは大概「○○○買ってー!10ルピーお願い」じゃなくて、「どこから来たの?インドは初めて?」と、無邪気に話しかけてくる。さり気なく話しかけて相手の警戒心を解いてから「ビジネス」に移るという寸法だ。でもね、子供の場合、大半は「観光客と話すのが楽しい。構ってもらって嬉しい。楽しいひと時を過ごすのは嬉しい」っていう単純な部分もある。だから、私はこれまでに沢山のちびっ子ギャング達と一緒に遊んできた。物乞いや物売りをしなければならない彼らの顔が、純粋な笑顔で光が射す瞬間が、好きだ。単純に嬉しくなる。そして、そうやってひとしきり一緒に遊んだあとは、お金なんて渡さなくても、「またねー、バイバーイ」と笑顔で別れることができる。 だけど、バラナシの私は「あー、もー、インドやだー!」モードになっていて、うわべだけは優しい観光客のふりをして、作り笑いで対応しながらも、ココロの中では鬼が住み着き、ちょっとでも「インド人ビジネス」の臭いがするやいなや、汚く卑しい言葉で相手を攻撃していた。それが年端もいかない子供相手であってもだ。残念なことに、不必要な警戒心から、貧しく無邪気な物売りの女の子を、2回も、まったく不当に傷つけ、泣かせ、怒らせた。これまで、周囲の観光客の攻撃的な態度を見るにつけ、「ひでーよな」と批判していたのに、同じ事を自分が行っている事実に愕然とし、自分の罪深さに呆れ、これまでの自分の偽善ぶりに虫唾が走った。 こうなると、「インド、ヤダー!」スパイラルに加速が増してくる。日中は42~3度、夜も37度くらいまでしか気温は下がらない暑さにウンザリ。道路をゆくリクショーやクルマのクラクションの騒音にウンザリ。インド人ビジネス攻撃にウンザリ。治らない下痢にウンザリ。人混みにウンザリ。スパイスと糞尿とクミン汗の臭いにウンザリ。人々の怒鳴り声にウンザリ。不必要な押し合いへし合いにウンザリ。止まらない咳にウンザリ。じゃまくさい牛にウンザリ。しょっちゅう起こる停電にウンザリ。インド、やだー!Too muchやー! ということで、気分転換もかねて、さっさとブッダガヤーへトンズラです。 バラナシからブッダガヤーまでは、夜行列車で。夜中の12時発予定は、期待通り4時間ほど遅れて、また駅で野宿。この駅、どの場所もむちゃくちゃ臭いのに辟易・・・信じられないくらい臭い公衆便所を5倍くらいに濃縮して、炎天下で発酵したゴミ収集所と合わせたようなあの臭いは、思わずゲロでそうになった、マジで。でもとなりのインド人はイビキかいて熟睡・・・あー、もー、なんでアンタ達は糞尿とゴミと同じ場所で、ゴキブリとドブネズミに囲まれて、フツーに寝たり食べたりできるのよー、キーッ!・・・と、なんか無性に腹が立ってきた。 やっとやってきた寝台車は、既にデリーから乗ってきた乗客で満席。しかも、みんな熟睡(そりゃそうだよ、朝の4時だもん)、床にはゴミや食べ残しが散乱し、それが人々の匂いと混ざり合い、ゲロゲロだ。私の席も他の誰かに取られており、すでにイライラの私を更に激怒させる。キーッ!このデブッチョ母さんをケリ倒してやろうかと思ったが、そこはグッと我慢。車両のコンダクターに、その役目はやってもらう。寝不足のヘロヘロ状態では、怒りもパワーを失う。とっとと自分の席にもぐりこみ、寝る。気がつけば、11時。ちょうどガヤ駅につく。アナウンスもないし、車掌さんに「着いたら教えてね」とお願いするのも忘れてたのに、よく寝過ごさずタイミングよく起きれたなー、とビックリ。
2007.05.17
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Varanasi 混沌のなかの静けさ2007/4/24~27 バラナシからオートリクショーで約1時間、仏陀が解脱後最初の説法を説いたというSarnathという町へ行ってきた。古い仏教寺院の遺跡と、スプータ。チベット、ブータン、日本、中国、タイなどの色んな仏教国の寺院(&僧院)とジャイナ教寺院が狭い地域に点在する、こじんまりとした町だ。 客引きと自称ガイトの多さとしつこさには辟易したが、きちんと礼儀正しく断れば、バラナシと違って相手も礼儀正しく去ってゆくので扱いやすく、嫌な気持ちになることもなかった。道を行く人々の1/3は観光客、1/3が観光客目当てのインド人、そして残りの1/3がこの辺りの寺院の修行僧だ。これまでの、ヒンズーやシークの町とはちょっと違った空気が流れてる。 メイン・テンプル以外の各国寺院は、殆ど参拝客もおらず、閑散としていた。でも反対に、変に慌しい感じがなくて、ゆっくり見て回れるのが良かった。ヒマそうな住み込みの僧と無駄話をして、お賽銭とお祈り、その繰り返し。やたらケバイ各国寺院を見た後に入った日本寺院では、妙にホォっと落ち着いたあたり、あういうミニマルでミニマムな禅的美しさは私たちのDNAに刻み込まれてるのかな、とか思った。 だから同じ仏教でも、チベットやタイなど他の国の仏教は、「まるで別の宗教」を見ているような気になってくる。でも、大乗・小乗・各国バージョンみんな合わせて全部ひっくるめて大元は、ここインドに生まれ、悟りを開き、教えを広めたシッタールダ・ゴータマさんなんだよね。そうだよ、インドは、仏陀を、仏教を生み出した国だったんだ(な、なにを今更?)。インドに来てから、シーク教だ、ヒンズー教だ、ジャイナ教だ、信仰というものはなんぞやー?と一人盛り上がっておりましたが、肝心の仏教が抜け落ちてたよ!(な、なにを今更?)。ニッポンジンとして「仏教」を感じること・学ぶことをおざなりにしちゃイカンではないか、おー! と、いうことで、この後コルカタへ行く途中で、想像通りブッダガヤーに立ち寄ります。
2007.05.17
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Varanasi 混沌のなかの静けさ2007/4/24~27 午後はオールドシティのバザールを徘徊。基本的に地図は持ち歩かないので、細道の迷宮をさまようのは楽しい。ラビリンス。方向感覚が一気に狂う。もう2度とここから出られないような錯覚。あの角を曲がると何が現れるのか?不安と期待を感じる。自分でコントロールできるものなど、ない。食い入るような視線に晒されながら、行き着く先は火葬場ガート。ああ、ものごとはそういうふうにできてるのだね、と、笑いたくなる。 3体が焼却中。熱と煙で目がチカチカする。もっと臭いのかと思ってたけど、使われてる木材がサンダルウッド系なのかな?香木の臭いが充満してる。意外と外国人観光客がおらず、見学してるのはみなインド人。最後に頭蓋骨をバシーンと叩き割る場面では、パチパチと手を叩いてた。フーン、って思った。へんなセンチメンタルな感情は、ここでは無用だ。 生きて、死ぬ。 身体は滅びる。 あたりまえのこと、それが目の前にある、それだけのこと。 野良犬は人骨にありつけるのは、まだかまだかと、あたりをウロウロして落ち着かない。すぐ側では、子供たちが水しぶきをあげて遊び、洗濯の作業をする人々が汗だくになって働いている。水面にはお供えの花飾りと、灯篭、腐敗しきったゴミ、人間と動物の糞尿、犬の死骸、生活排水、それらが混ざり合い、溶けあって、ヘドロみたいな光を放つ。人々にとって、ここは神殿であり、トイレであり、浴場であり、社交場であり、葬儀場であり、つまり、「生きる」ということの舞台なんだ、きっと。
2007.05.12
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