「Life」を求めて

「Life」を求めて

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2006.02.16
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カテゴリ: 哲学について
教育とは何だろうか?

それは単純な情報の伝達ということでは、けしてない。

それは自覚の拡大を促すことである。

意識に人格性を付与していくということである。

ナイノア・トンプソン(1.14日記「地球交響曲第三番」参照)に従って考えると、「成功体験の普遍化」である。

生命進化のプログラムである。


以前から「意識」を扱う職に就きたいと思っていた。

それを自分は哲学者という言葉で考えていた。

でも哲学者でなくても哲学はできるし、意識を扱う職は沢山ある。




大学の教員のみが教育に携わっているのではない。
職員も教育に関与している。

教師と生徒という関係で、現実的な教育現場の展開を大学教員は担っている。

職員はその教育の「場」自体をプロデュースしていかなければならない。
その関与のしかたは、教員よりもむしろ哲学的であると同時に組織経営的であるかもしれない。
それは、学問とは何か、教育とは何か、社会とは何か、大学という場所とは何かを常に問い続けることだからである。
そして、時代にあわせてその答えは変化して行く、そしてそれに合わせて教育の場所をその都度創造していかなければならない。
だから大学の場合(とりわけ私立大学は)教育理念と、経営理念が別のものではないと思う。


社会は、時代によって人間に何を要請するかが変わってくる。
石器時代なら食料を得るための教育を
戦時下なら、人を殺すことの教育を

現代は人間に何を要請しているのか。
単純に、
戦時下だから人を殺す教育をすれば良い、
とか、
時代の流れが早過ぎるから、ゆとり教育にすれば良い、

教育というのは、そんな単純な場当たり的なものではないと思う。
時代や、社会を超えた人間像、それを考えるのが教育者であると思う。
実は教育職というのは、かなり宗教性を帯びた職であるのだと思う。

自分が弓道場を建てたい、というのも、
自分独自の教育の現場を求めているからであるとも言える。
哲学と弓道を通じて、自分は自覚を拡大していきたい。その自己成長の欲求を
自己を超えて実現していきたいんだと思う。

やはり、教育者になりたい。





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Last updated  2006.02.17 03:12:24
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