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2007.10.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 『悲しき女学生』が隠れた名曲だったと、前回冒頭に書きましたが、これは必ずしも正しい表現ではなかったかもしれません。

 昔から知っていた曲ではあっても、ほかのヒット曲ほど耳に残らなかったのにはいくつか理由がありそうですが、そういう曲もあるという良い見本ですね。
 というわけで今回じっくり聴かせていただいた感想を。

         **********************

4. いかしたイントロ
 いわゆるロッカバラードだが、特にシンプルなオルガンのアルペジオは印象深い。
 イントロのバックは、エレキが軽くコードを押さえ、ウッドベースは常套句を奏で、スネアドラムがブラシで8分を刻む。これらがオルガンを支えて、ただのアルペジオは前面に押し出され、それでいてさりげなく、これから始まる歌を文字通り導く。
 このオルガンによる3連のアルペジオは、サビ前まで続く。サビになるとオルガンはコードを押さえ、男性コーラスと相まって、盛り上げ役に回る。3連はピアノの高音部のコード演奏に任せる。つまりサビはロッカバラードの常套手段だ。そしてまたAメロに戻ると、最初と同じパターンを繰り返し、これ以上あまり凝らずにエンディングを迎える。約2分13秒。

 でも、どこかで聴いたような、何かを思い出したような感慨に襲われ、懐かしさがこみ上げてくる。きっと、同じパターンの好きだった曲が、ほかにも何か記憶の底に沈んでいるのだろう。
 いずれにしても、このオルガンのアレンジがなかったら、僕はこの曲、こんなに気に入らなかったかもしれない。

5. 愛称:ボビーソックス 
 この曲のシンプルなメロディーとアレンジは、単純でなんのひねりもない歌詞の内容にマッチしていると思うが、このシンプルさは本国で流行らなかった一因かもしれない。
 さて、このたびじっくり歌詞を聴いてみた。

 ♪ ブルー・ボビーソックス 
   君はひとりぼっちで 悲しいんだね
   ブルー・ボビーソックス
   君は最愛の人を 失ったんだね

     学校帰りはいつも 彼と一緒だったのに

     彼の心は ほかの誰かのところへ
     君の知っている愛は すべて消え去って

   ブルー・ボビーソックス 
   わかるよ 君がどんなに彼を恋しいか 

   今でも唇は求めているね 彼への口づけを

     でもいつの日か 君は見つけるさ
     心から君を 愛してくれる人を
     そしたら誰も 二度と君を呼びはしないさ
     ブルー・ボビーソックス なんてね

 あ、思わず全訳してしまった。
 まあ単純に、失恋した女学生に対する慰めソングなわけだね。「ブルー・ボビーソックス」のところは、そのまま「悲しき女学生」に置き換えてみてほしい。ほら、全く問題ないでしょ。
 つまり、Bobby Socks はあだ名とか愛称のように使われていて、"Blue Bobby Socks" って「ブルーなボビーソックスちゃん」つまり「ボビーソックス履いた悲しい女学生さん」…というわけだから、『悲しき女学生』がかなり適訳と知るのだ。

6. 邦題『悲しき女学生』に至る経緯(推測です)
 『砂に書いたラブレター』のヒットから2年後の1959年に発表され、さらに3年後の1962年、日本で流行ったという流れの中で考えてみると、この曲にこの邦題が付いたわけは容易に推察できる。
 僕の記憶では、一番最初に『悲しき~』のタイトルが付いた曲は、ケーシー・リンデンが歌い、ザ・ピーナツの日本語版で流行った『悲しき16才』だった (おそらくこの前には『悲しき~』はなかったと思うが、…)。 これが1960年のこと。
 その後、61年から63年にかけては、みなさんご存じの『悲しき街角』や『悲しき足音』を筆頭に、『悲しき~』が続々登場する。
 そして『悲しき女学生』も、この「悲しきブーム」とも呼ぶべき盛り上がりに合わせたかのように出てくるわけだが、これは冗談ではなく、実際にブームに合わせて発売したのではないか。
 レコード会社は、何年か前の曲や本国で流行っていない曲でも、日本人受けしそうなものがあれば、それらしい邦題をつけてレコードにして売り出した。当時まだ、海外からの情報は、ダイレクトに我々の元に伝わっては来なかったから、誰も別に変に思うようなこともなかったのだろう。
 こうして日本独自のヒット曲は数多く生まれ、『悲しき女学生』もそれなりに売れたというのが真相だろう。
                   (文中訳:穴沢)

  関連日記 : 『恋の砂文字』

         **********************

 『悲しき女学生』を調べていたら、同じパット・ブーンの 曲に『なみだの高校生』という、これまたとんでもない邦題の曲があったんですけど。 あ、嘘じゃありませんよ。
 『なみだの高校生』に関しては、タイトルすら覚えていませんけど、是非一度聴いてみなくてはと、『悲しき女学生』を聴きながら思ったような次第であります。 





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Last updated  2007.10.03 09:31:13
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