2. Bruno Filippini (ブルーノ・フィリッピーニ) 3. Bobby Solo (ボビー・ソロ) 4. Pino Donaggio (ピーノ・ドナッジオ) 5. Gigliola Cinquetti (ジリオラ・チンクエッティ)
あれれ、ダスティー・スプリングフィールドの名前がないぞ。
1. のジョディ・ミラーはひとりだけ、英米系の名前ですが。
まあ、このようなことには容易に気づいていただけるでしょう。答えは、僕の昔の日記を読んでもらえればすぐにわかることなんですが、ちょっと引っ張って。 ではヒントを。 実は、ここにあげた5人は1965年のサンレモ音楽祭入賞曲を歌った人たちです。つまり、『この胸のときめきを “Io che non vivo (senza te)”』はこの時の入賞曲だった。
お、サンレモ音楽祭に反応した人、・・・お年がばれます。 で、この年の優勝曲はボビー・ソロの『君に涙とほほえみを “Se piangi se ridi”』だったので、3.はちがう、と。 ジリオラ・チンクエッティは『あこがれはいつも心に “Ho bisogno di vederti”』で入賞。したがって5.もなし。 ブルーノ・フィリッピーニの歌った『恋する瞳 “L'amore ha i tuoi occhi”』も入賞曲でしたから、2.でもなし。 え~~、『恋する瞳』ですって~~。・・・って、思わず叫んでしまったあなた。伊東ゆかりの着物姿を思い浮かべていませんか。懐かしいです~~。 そうです。そもそもサンレモ音楽祭は、イタリア人とイタリア以外の国の人が組んで歌うのが特徴でしたね。『恋する瞳』は、イタリア人のブルーノ・フィリッピーニと日本人の伊東ゆかりが歌ったのを、覚えている人も多いと思います。 『君に涙とほほえみを』は、あのニュークリスティー・ミンストレルズ。『あこがれはいつも心に』は、なんと、コニー・フランシスが共演者ですよ。 すべてイタリア語のまま歌いますけど、みなさんとてもイタリア語が上手でしたね。
それにしても、1965年のサンレモはすごい顔ぶれですよ。ファイナルに残った12曲だけでなく、予選落ちした12曲にも大物がずらり。中には2曲エントリーしている歌手も何人かいます。そりゃあ、わざわざアメリカ辺りからイタリアの音楽祭に出向いて行くんだから、2曲歌ったっておかしくはないですけどね。 大物って、どんな顔ぶれだったかって。・・・そりゃあすごいですよ。 当時のイタリアンポップスの人気歌手や、カンツォーネの大物に加えて、外国勢では、上記のニュークリスティー・ミンストレルズ、コニー・フランシスのほか、入賞したのが、ウド・ユルゲンス、ペトゥラ・クラーク、ジーン・ピットニー、キキ・ディー、そして伊東ゆかり。予選落ちの中にも、ティミ・ユーロ、ジーン・ピットニー、ジョニー・ティロットソン。ダスティー・スプリングフィールド。たいしたもんですねえ。 あ、 ダスティー・スプリングフィールドですよ、うわさの。 このとき彼女は2曲エントリーしていますが、どちらもファイナルには残れず、予選落ち。ただし、歌った曲は、“Di fronte all'amore” と “Tu che ne sai?” で、『この胸のときめきを』ではなかったのがおもしろいですね。
ニュークリスティー・ミンストレルズは、優勝曲のほかに、ウィルマ・ゴイクと組んで、『花咲く丘に涙して“Le colline sono in fiore”』でも入賞してますから、大したもんですよ。この2曲は、僕の大好きなカンツォーネですからね。