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私はかなり古い携帯をずっと使っていました。これは9年前の今頃、旦那と出かけた最後のクリスマスマーケットでその当時最新であった折り曲げることのできる携帯を二つ買いました。旦那が使っていた方はすでに何年か前に壊れて私ように買った二台目は旦那が亡くなったあと義理父が使ってましたがそれをまた私が譲り受け、9年という長い年月を古い旦那が買った携帯で今までやってきました。まぁ、今ではこんな物持っている人がいないであろうという代物でしかも画面が時々真っ白になってしまうことが度々あり、替え時でした。そしてついにiPhone5をゲットしました。こちらミニパソコンみたいなものなので、とにかく自分でいじってみないことにはなれないし、昨日が沢山あるのでHPをPCで開いて睨めっこしながら奮闘しております。確かに画像もきれいだし、何よりも軽い!義理父がiPhine4Sを持っているんだけど、こんなに差がわかるほどの軽量化、さらに薄さ。今までの古い携帯ではなかったことばかりなので便利さを実感してます。さらに日本語ですべて機能を使いこなせること、もちろんメールだって日本語で打てる。10年以上前のイギリスにいたころとは数段海外生活は便利になってきている。とはいえ、このブログも途中まではiPhoneで書いていたんだけど、PCの方が見やすいし、文字が打ちやすく速いので途中からiPhoneから書くの止めてしまいました。まぁ、そのうち慣れるでしょう。
2012年11月26日
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手術をした病院はとても大きな病院でした。だから待っている間、ちょっとうろうろとしてみましたが、夜中ということもあり、人影はなく、これは迷った時に聞く人がいない!と思い、おとなしくまた救急の待合室というか、ベンチがあるところまで戻りました。タカラの部屋は一人先客がいました。その人がいびきをかいてよく眠っていて、そしてなぜか棚に置いてある水が入っているビン決まった感覚で揺れる…。入院している人たちは健康でないので、きっと気にならずに寝れるのでしょうけど私は少しの間気になって眠れず・・・でも私はそんなに寝ることに関しては神経質でないので結局疲れもあり、寝ることができました。手術の後ということと薬のせいもあってタカラなんてすぐに眠ってしまったし、同室の人は全くお構いなしのような人でした。この約2週間、タカラが学校へ行けなかった間、タカラのお友達が何度か遊びに来てくれました。こちらとしても2週間、健康でない人が完全にうちにいるというのは結構な仕事なわけで、全く自分の時間がなかったし、とにかく何をするにもまず準備に時間がかかる。タカラは左の肩下から指先が少し出るくらいまでギプスをしているので今まで来ていた洋服の袖が入らないので何枚かワンサイズ大きい長袖Tシャツを買い、左手だけ半袖にカットしてミシンで縫いました。さらにジーンズもお腹がゴムの物を買い足しました。この片腕だけ短い長そでは怪我が治ったら残った右腕も短くして半袖として着てもらおうと思っています。今日で手術してから丸2週間が経ち、昨日の検診ではギプスから出ている指と肩を少し動かすようにしないと筋肉が固まってしまって後が大変だといわれた。確かに全くスポーツをしなくなって2週間、タカラは少しやせたように見える。というか足もお腹も腕も筋肉が落ちてしまったようだ。休みで全くスポーツをしないでいる時は外遊びをしたり、何かしら体を動かしているけど、ひじを骨折しているので振動もよくないので走ることもなく、重い荷物も持つことがなく、重いのは自分のギプスをしてる左腕だけ。人の筋肉ってつけるの大変だけど、こんなにも簡単に落ちていくものなんだと自分の子供ながら見ていて驚いている。実際、手首は怪我をしてないけど、ギプスで動かなくなっているので昨日の検診では自分の力では手を手首から曲げることができなかった。きっと本人が一番驚いていることだと思う。
2012年11月21日
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タカラが今月の6日に左ひじを骨折しました。これが結構の大事でして今日からまた学校へ行きましたが、ずっと休んで自宅療養してました。今日から行けるのもとにかく学校で人にぶつかられたり、転んだり、重いものを持ったりしないことで何事も起こらなければという話で完全に医者からゴーサインが出て学校に行ったわけではなく…そもそもは6日に遡ります。タカラは選手育成の体操コースに行っています。11日に大会があるので、そのための練習を秋休みもしてました。ちょうど2時間の練習が終わる頃、平均台から落下して左ひじから肩にかけて強打した模様…肩から下のひじの骨が完全に外れたように折れてしまいました。私は火曜日の迎えにいつも出れないので、オマかオパにいつもお願いするのですが、その日はたまたま私が迎えに出ていました。スポーツセンターに着くと(18時半頃)外に救急車が止まっていて、この時間だときっと泳ぎに来ている大人にでも何かあったのかなぁと思って中に入りました。体育館を見てみるとどうもタカラの姿が見当たらないなと思っていたところにトレーナーの娘さんが”タカラが怪我したから今、救急車の中にいる”って言われて慌てて外に出ました。その娘さんがタカラが何も言わないから…って言っていて救急車に乗ってタカラに会った時に”痛い、悔しいんでしょ”って聞いたらタカラが泣き出しました。どうやらそれまで泣いてなかったようです。そのまま近くの病院へ、私は救急車の後について車を走らせていきました。病院についてから検査をしてこちらが本当に倒れるくらいにタカラが痛がったのがレントゲン写真を撮るとき。これ、痛くても少しの間我慢しないといろんな角度から写真が取れないから相当いたかったようで、見ているこちらが気分が悪くなってきてしまった。この時にタカラに”オパに電話してここに来てもらっていい?”ってタカラに初めて聞いた。オパが来て外科の1番上の先生まで来て話し合いをした結果、1、レントゲンで見えない部分が折れていたり、傷ついていたりするとここでは手が負えなくなるので救急車で大きな病院に行くか、2、ここで手術をして、もしもの時はやはり大きな病院へ搬送するという選択肢を迫られ、1の方を選んだ。2を選ぶとすぐに手術は受けられるけど、もしもの時は全身麻酔でもう一度手術を受けなければならず、子供の体力を考えて一回で済む大きな病院へ行くことを選んだ。ここまでにすでに午後8時頃までかかっていた。タカラには痛みどめが与えられて救急車に私も一緒に乗って救急車では50分ほどかかる病院へと向かった。車の中で揺れると痛いので何回か痛がったけど、途中タカラは寝たりもしていたので、助かった。病院に着いたのが午後9時半頃。そこで手続きやら検査やらをして午後10時15分頃にやっと集中治療室へと向かうことができた。この日はまだほかのオペが終わっていなくてそこでいろいろとタカラを含めて説明を受けて午後11時30分頃、タカラはようやく手術室へと向かった。私はというとその間、救急の窓口のそばのベンチで手術が終わるのを待っていた。この病院のある町のすぐ近くに旦那のいとこが住んでいるのでオパが自分の妹である旦那の叔母に連絡していとこが入院に必要なものを用意して叔母と叔父が病院に着いた時には駆けつけてきてくれていた。だからすぐ入院でも準備は万端だった。彼らはそのご自宅に帰っていった。さて、日付が変わって7日。午前1時40分頃、手術が終わったから集中治療室の方へ来るように言われた。出頭した3人の医者から無事成功したこと、難しい骨折部分がなかったこと、神経は傷ついていないことを知らされて安心した。そして医者が、”タカラ、ママが来たよ!”っていう言葉を聞くのと同時にタカラが麻酔からうとうとと覚めてきた瞬間だった。そして私も病院でベットを出してもらってタカラの隣につけてもらい、タカラは薬も効いているせいかすぐに眠ってしまった。そして朝になり、検診を受けてから今日の昼にはすぐ退院できるとのこと、でも明日、近く病院で診察を受けること、6週間後にまたこちらの病院で肘に入っている針金を取るための相談やら予後診察を受けること等の説明を受けた。学校は1週間はいけないということで自宅療養とのことだった。私も救急車で来てしまったので、迎えに来てもらわないと家に帰れないのでオパに連絡るすると午後2時ごろまでは迎えに来れないとのことで叔母に電話すると”それじゃ、私が迎えに行くからそれまで家でゆっくりしていけば”と言ってくれたのでそうすることにした。その日の夜が実は大変だった。病院では手術後だし、痛みどめも効いているし、とにかくタカラはぐっすりと眠ることができたんだけど、家に帰ってきてとにかくギプスが重いので重さでどうしても手がいたくなってしまうし、何度も何度も起きてとにかく寝位置を変えた。次の日に近くの病院での診察で(救急で運ばれた初めの病院)このことを話すとやはり痛みどめが必要なのでホームドクターの主治医から処方箋をもらって薬を出してもらった方が良いといわれた。手術の後もレントゲンで見て、とてもきれいに手術をしてあるといっていた。傷口の様子をこれからも見ていかないとならないので、また1週間後に来るように言われた。タカラはずっと家にいたんだけど、これが本当に大変で、大変なのは私で、手以外は健康なタカラは本当にわがまま放題でこちらは何度となく切れた。子供には手を骨折した時にする首からまく支えの三角筋を付けることは許されておらず、左手は肘が折れているので右手で左手を支えていないとタカラは歩くこともできない。座っている時もできるだけ左手は高い位置に置くことを言われているのでどこへ行くにもクッションを持ち歩く。もちろん学校へも今日は持参した。だから基本両手は完全に塞がっているので、何をするのにも手助けが必要なわけで。でも口は達者なので、こちらは頭に来る。家でもできるだけ、宿題の他にできる勉強は継続した。どんなことを言って今日、家に帰ってくることやら・・。怪我をしてから学校はつまらないといっていた子が学校へ行きたいといって毎日せがむようになった。これで健康でいることがどんなに素晴らしいことなのかを少しは身に染みてわかってくれたらよいのだが・・・・。明日もまた病院です。
2012年11月19日
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