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物価高とか生活苦とかそういうものに対して上から金を降らせる政策と言うのは政策の名に値しない愚策ではないかと思う。お殿様が特別にコメを恵むような政策で、そういうものは近代ではあまりなかったと思うのだが、この頃はかえって目立つようだ。東京のある区では、給付の対象を住民税非課税世帯と子育て世帯に限定して大炎上したという。住民税非課税世帯の多くは年金生活の高齢者で、中には財産所得や貯金の取り崩しで裕福に暮らす人もいる。子育て世帯の所得はかえって高いので、子育て世帯というだけで支援しようというのは、そろそろ支持を得られなくなっている。一方で、生活保護以外の困窮者を抜き出すのは難しい。同じ額の所得でも、高収入の配偶者を持つ人が趣味的にやる仕事と、実質的に家族を支えている仕事とでは意味合いが違う。そんなわけで最近では一律給付というのが多い。この給付が紙の商品券のような形で送られてくるのなら問題ないのだが、東京都のように付与ポイントだとやっかいだ。生活応援事業の期間は2027年4月1日と限定されているのに、あまり周知されていない。スマホでポイントを取得するのだが、スマホを持っていない人は恩恵にあずかれない。昨日、このポイント取得をやってみた。東京アプリの他に、デジタル認証アプリも入れなければならず、普段からスマホで支払いをしていない人は、さらにそのためのアプリもいれなければならない。マイナンバーカードを持っていない人も手続きができない。そこで思う。この生活応援事業の期限が近づいた時、ポイントをもらっていない人が相当数いて、ちょっとした騒ぎになるかもしれない。どこかでポイント取得の指南をしているところがあるというのだが、スマホの操作に慣れていない人には時間がかかる。さらにこんな不安もある。この制度を悪用して、スマホ操作になれていない人に多少の金を渡し、自分のスマホにポイントを入れて、その差額を利得する輩もでてくるのではないか。もちろんそうした行為はなんらかの犯罪にひっかかるようになるのだろうけど、この制度はそうした出来心からの犯罪者を生むかもしれない。この制度には脱現金化とか電子決済の普及とかいう目的もあるのだろうけど、旧人類のせいか、見えないところで金が動くのには気味悪さがある。ましてや、預金とスマホを結び付けるつもりもさらさらない。スマホ決済は便利なようなのだが、外出するときには、鍵といっしょに財布も持ち歩くので、いちいち画面を出さなければならないスマホはさほど良いとも思えない。
2026年07月28日
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安倍元総理の国葬について、いまさら議論するのは生産的ではないのだが、時間がたつほど反対が増えているように見える。統一教会や五輪汚職以外になにか要因があるのかと考えてみると、このところネットニュースなどで目立ってきた日本衰退論も関係しているのかもしれない。一人当たりのGDPで順位を落としていること、賃金が上がらずいまや韓国にも抜かれていることなどは、いまさらの話であるが、こうしたものがメディアで大きく取り上げられることはなかったように思う。情報にうとい人だといまだに日本はアジアでダントツの先進国で豊かな国だと思っている人もいるかもしれない。現実には百円ショップに東南アジアの観光客が安い日本土産をめあてに神社や招き猫の模様の入ったトートバッグなどを買っているのであるが。そうだとしたら戦後復興を緒につけ、その後の豊かな時代の基盤を築いた吉田総理の国葬ならまだしも、日本衰退の時代の元総理の国葬など疑問がわくばかりだろう。日本の衰退の真偽については検証する能力も知識もないのでなんともいえない。ただこれは事実認識の問題であって、右か左かとか、ましてや日本を貶めているかどうかなどとは全く関係ない議論である。非正規化、賃金の低下は高齢化によるものであれば、さほど深刻ではないのかもしれない。もちろん高齢化は少子化の結果でもありそれはそれで問題であるが、一方で多くの人が長寿となった結果とみれば悪いことばかりではない。ただ、どうもそれだけではないようにも思う。現役世代であっても、就職や転職がうまくいかず、低賃金のまま、いくらもがいても浮上出来ない人々というのも増えているのではないか。安倍元総理はさかんに有効求人倍率を口にしていたが、その求人の中味についてはあまり語っていなかった。人が定着しない職場では、しょっちゅう求人をするので有効求人倍率は上がる。低賃金の職場から低賃金の職場に移っても浮上はできない。白い小さな犬は可愛がられるが大きな黒い犬は顧みられないという。子供の貧困、せいぜいシングルマザーの貧困は問題視されても、中年男性の貧困についてはあまり語られない。安倍総理に限らないのかもしれないが、ここのところ続いた政権は、そうした貧困を「自己責任」として見捨ててきたのかもしれない。
2022年09月22日
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去年に比べると今年の梅雨は梅雨らしい梅雨で、気温も去年に比べて低い。ところがヨーロッパでは早くも40度を超える日もあるというのだから驚くばかりだ。普通に考えればかの地は夏でも日本よりも涼しいはずで、そのせいかエアコンの普及率も低いという。なにか地球規模で大きな気候変動が進行中なのかもしれない。閑話休題映画「免許返納」を見に行った。あまり予備知識を持たずに見たので、当初は日常系ドタバタコメディだと思っていた。ところが見てみると、主人公はかつて一世を風靡したスター俳優で、ライバルである俳優の最後の願いを叶えるというストーリーになっていた。主人公は、かつてのアクションはできなくなっているが、かといって映画賞狙いの「老人家族」の主役というのも本意ではない。それに、ライバルにハリウッドからラスボス役のオファーが来たのも面白くない。もちろん、主人公のように芸能界で息長く活動できる人は一握りの幸運児だけである。そうはなれなかった人々も映画には出てくる。子役の時はもてはやされたものの芸能界からは消え、今ではマネージャーをやっている女性。そして若いころは小劇団に所属し芸能界を目指していたが、一向に目が出ず、今はスナックのママになっている女性。こういう人々もきっと多いだろう。子供の頃、CMなどで話題になっていた子役で大人になってから名前を聞いた人は少ない。小劇団所属の俳優も数多くいて、もともと演劇の世界はプロアマの境界があいまいな世界で、演劇だけで生活できるようになるのは一握りだという。これはこれで面白い映画なのだが、難を言えば、ハリウッド関係者が全然それらしく見えなかったことと、合成映像だけでアクションを作るのはいくらなんでも無理ではないかということくらいだろうか。そしてまた、タイトルとなっている「免許返納」はストーリーの中心ではないし、今時、70歳くらいで免許返納するという人は少ないのではないか。
2026年07月07日
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「楽園のカンヴァス」を読んだ。伝説のコレクターの所蔵するルソー作品の真贋を鑑定するために呼び寄せられた男女二人。一人はMOMAのアシスタントキュレーター、一人は新進のルソー研究者。ルソー研究者は才色兼備の日本女性で作者の理想的自画像なのかも…と思ったがよけいなかんぐりだろう。対象となるのはルソーの大作「夢」とそっくりな「夢を見た」という作品。絵は果たして本物かどうか、本物にしろ偽物にしろ、これが書かれた背景は何か、ルソーの「夢」にでてくるモデルの女性の正体は誰か。そうした様々な謎にさらにインターポールの女性がからみ、一種のミステリー小説のような趣もある。ただ全体にどことなく少女漫画のような雰囲気を感じるのは、作者が美しい女性作家だと思うからだろうか。さらにいえば、アシスタントキュレーターには次第に女性研究者に対する愛が芽生える展開になっており、恋愛小説のようでもある。豪華な西洋館、謎、恋愛となると、ゴシックロマンにも似てくる。けれども、この小説の面白さの一番の要素はルソーという画家とその作品ではないか。ルソーは最初の頃は日曜画家の子供じみた絵と言われ、なかなか評価が定まらなかったが、今では多くの人に愛される画家となっている。同じ作者の「たゆたえども沈まず」を読んだときにはゴッホの画をみたが、今度はルソーの画を見ながら小説を読んだ。画家の人生、絵の描かれた背景、そうしたものに思いをはせれば、絵の数だけ物語があるのかもしれない。
2026年07月08日
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フェミニズムというものは世界のどこの国にもあるのだが、日本と他の国とのフェミニズムには大きな違いがあるように思えてならない。それは、下品な言い方なのだが、日本のフェミニズムには「下半身」がないのである。女性の能力を生かせ、女性を重要な地位につけろ…ということは声高に主張するが、売春や犯罪の問題について、こうしたフェミニズム論者から何か言ってきたという話はあまりきかない。だから従軍慰安婦の問題も外国ではかなりの部分、女性の人権の問題としてとらえられてるのに、日本ではどこの国が「日本をおとしめている」といったようなとらえ方しかされていない。「日本をおとしめている」という視点ではなく、女性の人権という視点でみると、この問題も別の形でみえてくるのに。*人権問題と考えると何がみえてくるのか。それは連行の強制性よりも、国家の関与の下で、公的に慰安所が設置されていたこと自体が問題なのではないか。そこに来た女性が暴力で強制されていなくても、金を貰っていたとしても、ひとたび慰安所に来れば、そこは戦場であり、自由はない。そういう施設があったということ自体人権侵害である。これに対しては慰安所は他の国にもあったという人もいる。そんなことはない。こうした慰安所があったのは日本とナイスドイツだけである。http://fightforjustice.info/?page_id=2425また、当時は売春は合法だったという意見もある。でも、それをいうのなら奴隷制度だって「当時は合法」でだからといって、それがよいというものではないだろう。が、それをいうのなら米国の奴隷制だって、当時の米国の法律では合法だった。「当時は合法」という議論はその程度のものである。さらに、他の国の軍隊も女性に対する暴力は行なったという議論もある。こういうふうに当時は他の国も酷いことをやっていたという議論は、「何ちゃんだってやってるもん」という子供の論理である。だいたい他にもやっているということを言い始めれば、ナチスだって悪ともいえなくなる。アフリカの奴隷狩りやオーストラリアの原住民ハンティング、畑をつぶしてゴム園を作った事による大量餓死…公平にみてナチスとどっちが悪いと言われても返答に窮する。*慰安婦には半島の女性ばかりでなく、多くの日本人女性もいた。戦後、GHQが進駐した時にも、政府の関与の下で日本人女性が進駐軍相手の慰安所に集められた。インドネシアには日本軍人に暴行されたオランダ女性もいた。国際的に「イアンフ」といえば、こうしたヨーロッパ人女性の受難の方が知られているのではないか。日本人も含め、慰安婦となった女性の苦しみや悲しみ…そうしたものに想いを馳せる人が、日本のフェミニストとよばれる人の中にはいないということが不思議でならない。
2014年08月06日
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いささか旧聞になるのだが、8月14日のニュースに「氷河期百万人支援、政府研修業者に成功報酬」というものがあった。30代半ばから40代半ばの引きこもりや非正規雇用の人々が研修を受け、正規雇用で半年定着したら研修業者に成功報酬型の助成金を出すのだという。たしかに今年はひきこもりによる通り魔殺人、それに触発されたようなひきこもりの子供殺人などの事件があり、あらためて80-50問題の深刻さを世に印象付けた。また、ひきこもりというのではないが、ゴルフ練習場で障碍者枠で勤務していた男のけん銃強奪事件や生活保護受給者?の男の放火大量殺人事件もあった。したがって、このニュースを見ると、政府もようやく氷河期支援に重い腰をあげた…なんて思うのかもしれないが、研修業者に助成金というのはあまりにも的はずれだ。大学入試に英語の民間試験を導入するなんてのが癒着の匂いがぷんぷんするように、この研修業者に助成金なんてのも、同じようなものではないか。こうした施策にいくら税金を投入するのか知らないが、同じ金をかけるのであれば、こうした人々を公務員として正規雇用で雇うわけにはいかないのだろうか。宝塚市で行ったような取り組みである。新卒の枠ではないので、高給である必要はないし、昇格昇給がなくてもよい。それでも、何年もひきこもっていた我が子が公務員になって毎朝定時に出勤するようになった…というだけでも本人も家族も救われる。税金の無駄だとか、これ以上公務員を増やしてどうするのかという声もあるかもしれない。けれども外国に撒く金や兵器を爆買いする金があれば何十万もの人々を雇うことができる。そして彼らに与える給料は生活保護のように天から降ってくる金ではなく、彼ら自身の人生を立て直すための金であり、彼らの家族も安心するための金である。
2019年11月10日
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有名女性作家のコラムがアパルトヘイトを主張しているということで問題視されている。http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/13/sono-ayako-column_n_6677760.htmlたしかに内容をみると、外国人労働者を入れた上で居住区を分けると言う主張はアパルトヘイト推奨ととれないこともない。これについては著者にも言い分があるようであるので、大いに議論した方がよい。それにしても、そもそもなぜこうしたものが外信発で問題になったのだろうか。コラムの内容もさることながら、こうしたものが日本国内で問題にならずに、まず外国で問題視されたのが不思議である。そしてまたネット上では、これが大いに海外で問題視されているという情報はいくらでもでてくるのに、日本のテレビや新聞ではあまり報道されていないのはなぜなのだろうか。日本と外国との情報落差がここにも…という思いである。*件の女性作家は若い頃から才色兼備ともてはやされてきた人で、これまでも審議会委員など数々の要職を経て、夫君ともども活躍されてきた方だ。そして肩書きは小説家でも、何を書いたかという作品名が思い浮かばないのも夫君と共通している。件のコラムは小生も読んだが、外国人の居住を分けろという箇所よりも、まず介護職というのは誰でもできる仕事だというくだりにひっかかった。まさにそういう感覚が多くの人にあるからこそ、介護職の処遇はさっぱりよくならないし、もはや介護の現場では人材崩壊といった事態が起きているという話もある。介護現場への外国人導入はさらに介護職の待遇を悪化させるだけであろう。
2015年02月19日
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アパルトヘイトめいたコラムが問題となった女性作家について再び書いてみる。小説家は大勢いるのになぜ彼女だけが審議会、講演、コラムなどでもてはやされるのだろうか。老いなどの問題についての新書版エッセイも絶好調で出せば売れるという状況だ。読みやすい文章を書く才能…それもある。だけど彼女の文章や発言がもてはやされている最も大きな理由はそれが「本当のこと」だからではないか。「本当のこと」というのは、語弊があるのであれば、「多くの人が本当だと思っていること」と言い換えてもよい。男性の政治家や経済人が言えば問題になるようなことでも、昔から才色兼備ともてはやされてきた女流作家の発言であれば、すっと社会に通ってしまう。アパルトヘイトを称揚したとされるコラムを読んだが、実は一番ひっかかったのは居住は別にしなければならないというくだりよりも、介護の仕事は日本語力も専門知識もいらない誰にでもできる仕事だというくだりだ。これくらい介護という職業をバカにした発言はないと思うのだが、現実にはそう思っている人が世の中には多いから、介護職の待遇は向上しないし、外国人をよべばという議論もでてくる。このほかにも、この方は、途上国の貧困の実態を紹介しながら、「日本の貧困はアフリカよりもマシ、貧困層は甘えるな」という趣旨の発言も何度も行なっている。彼女の夫君も彼女に劣らず様々な公職についているが、その夫君も教育問題をあつかった会議で、「非才、無才はせめて誠実さだけを身につけて欲しい」という発言をしている。つらつら考えるに、居住区は別だの、いっしょには住めないだのという発言は必ずしも人種や民族についての発言ではないのではないか。要するに…こういうことだろう。誰でもできるような仕事をしている非才、無才は誠実さだけを身につければよい。給料が低いの待遇が悪いのと甘えるのではない。アフリカに比べればはるかに恵まれているのだから。能力なんて期待していないのだから、とにもかくにも誠実さだけを身に付けて、文句はいいなさんな。でも、我々は貴方達とは同じところに住むつもりはないのよね…。
2015年02月19日
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後悔していることがある。ここのところは読んだ本は原則として読んだ本としてカテゴリ分類しているのだが、昔はそうしたことをしていなかった。そのため、カテゴリで検索しても、でてこないことが多い。印象に残っている本もずいぶんあったのに、その当時どんな感想をもったのかがわからないのは残念なことだ。ところで、この自分が読んだ本を検索してみると、読んで印象に残った本、読んだことは覚えているが中身の記憶のない本、読んだことすら忘れている本の三種があるようだ。最後の読んだことすらも覚えていない…というのは少し怖ろしい。最近、ひやひやしたことがある。電車の中でスマホを探したけれどもない。外出先では地図、路線、スケジュール確認などでスマホを一度はみるものなのだが、必死でスマホを見た記憶をたどる。たぶん、家に置いたままなのだろうと思ったのだが、家にスマホがあることを確認するまでは気が気ではなかった。無意識のうちにスマホを出し、無意識のうちにスマホを置いたままにするなんてことはないだろうなあと思うのだが、それでも、どっかに忘れて悪用されたらと思うと不安はつきない。さすがに銀行口座との紐づけなどはしていないし、個人情報などといったってすごいものがあるわけでもないのであるが。この頃のニュースでわからないことがある。皇室典範の改正が政治課題になっていることである。内外ともに難問山積みの今の状況ならもっと他に検討しなければならないことがあるように思う。皇室典範は関心事だし、多くの人がそれぞれの意見をもつテーマではあるのだが、今急に検討しなければならないことであるとも思えない。次の皇位継承などは何十年か先の話であるし、皇族の減少と言っても、皇族の公務のほとんどは制度上の根拠のあるものではない。なぜ今なのだろうか…と不思議でならない。
2026年07月09日
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ちょっと興味深い統計がある。http://www.pewglobal.org/files/2007/10/258-topline.pdf 秋原葉月さんのブログで紹介されていたもので、原資料は鳩ポッポさんの紹介である。この95頁では、「極貧状態にあり自分自身の能力で生活し生計を立てる能力のない人々を助けることは国や政府の責任である」という設定に対して、Mostly disagreeとCompletely disagreeの合計が日本は38でありトップとなっている。つまり極貧状態で実際に餓死凍死の危険のある人に対してそんなのほっとけと考える人の割合が非常に大きいのである。この結果については驚くというよりもやはりそうなのだろうな…と思う。*だいたい政治家からして生活保護は恥だの公的扶助に頼らないのが日本の美風だのいうくらいであり、それがまた「問題発言」ともみなされない。でもそうした政治家にかぎって愛国心だのなんのというのも不思議である。飢えている自国民を冷酷につきはなすのであれば、愛国というのは何なのか…たしかに愛国と愛国民は違うといえば違うのだが。そしてまたこうした極貧状態の者に対して非常に冷淡な日本人の感覚の背景には何があるのだろうか。だいぶ前の日記にも書いたのだが、どうも背景には日本独特のケガレ意識があるように思う。たしかに日本の社会や精神風土にはよい点が沢山ある。互いに思いやり、助け合い、卑怯な行為を憎み、残虐な行為を不自然なものとして忌み嫌うなど…。恨みを残さないことを美徳とする(恨五百年という国もあるし、他国ではそうでもない。)のも日本人としては良い点だと思う。しかし、こうした美風とはうらはらに不幸なもの、不運なものには限りなく冷酷な風土もこの日本にはあるのではないか。*共同体の成員は、その成員である限り、和を尊んで暮らすのだが、ひとたびケガレた成員は共同体から排除し、その不幸には皆がみてみぬふりをして、触れないようにする。そんな感覚である。ケガレの中には罪のケガレ、恨みのケガレもあるが、同時に病、不幸、そしておそらく極貧もケガレとされる。前科者に対する差別偏見もあるが、それと同時に犯罪被害者に対する冷淡さも際立っている。なぜ日本でだけハンセン病の元患者に対する監禁が公然と長期間行なわれたのか、なぜ日本では拉致被害者が帰国したときこれは一時帰国で北朝鮮に帰るのが当然だということを政府関係者やマスコミが言っていたのか…。これと極貧者が飢えようが凍えようが冷淡でいるという感覚と通じているように思えてならない。不幸、不運にケガレた者は共同体から排除し、あとは遠ざけ、ひたすら見て見ぬふりをする。
2013年01月06日
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NHK未解決事件ファイルをみた。怪人21面相事件やオウム事件などの一事件を扱ったものではなく、いくつかの事件をあつめて編集したものだ。行きずりの犯罪やプロの犯罪、そして外国人がらみの犯罪はなかなかわからないだろう。その一方で犯人が被害者の顔見知りで平凡な人間であれば、わりあい検挙はたやすいのかもしれない。未解決事件の中にはこうした事件は難しいだろうなと思うものもあるし、逆にこんなのがなぜわからないのだろうというものもある。後者の例ではないかと思ったのはアパートに住む主婦が刺殺された事件で、現場付近で手から血をながしている中年女性が目撃されているという。こんなのはどうみても、犯罪の素人で被害者と同じ生活圏の人間のように思えるのだが、それでもわからないところをみると、目撃された女性は事件とは関係ないのかもしれない。一般論ではあるが、どんな人にも、そしてどんな家にも他人にはいえない事情があったりする。そしてそうした情報は警察に届かないこともあるし、届いてもマスコミには掲載されない。謎めいた未解決事件も真相を知ってみると、案外ありふれたものだという場合もあるのかもしれない。番組で紹介されていた未解決事件はいずれも殺害された遺体があり、そこから事件が始まっているものばかりである。でも、世の中には、そうしたもののない行方不明事件もあり、その方がよほど不気味でおそろしい。こうした事件をあつめたサイトはネット上にいくつもあるが、一番、気味悪いと思いのは赤木神社で40歳代の主婦が姿を消した事件である。家族で千葉県から赤城山観光に来ていた主婦が「赤木神社に参拝する」といって小銭だけもって車をおり、そのまま行方がわからなくなったという。五月の連休中で小雨交じりの天気であったが、観光客もぽつぽつとおり、車を止めたのも神社のすぐそばであった。荒唐無稽なのかもしれないけど、小雨交じりの神社の境内のどっかに異界への穴があったとしか思えない。
2015年03月26日
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朝日歌壇にはときどき特異な境遇の方の歌が載ることがある。連合赤軍事件の坂口弘やホームレス歌人だけではない。米国で長期間服役している郷隼人という人もいる。その郷隼人の歌集「LONESOME隼人」を読んだ。極限状況の中の望郷の念を切々と歌ったものが多い。独活三葉山葵 筍 紫蘇茗荷 思いつつ食む 獄食スパゲティこうした状況の中でもっとも恋しく思うのは食べものでありその香りだろう。漢字で書くことで、文字から質感がわきたつようだ。それにしても、おそらく殺人の罪で、無期懲役のようで、娘さんがいるようで、そして既に20年以上も服役している鹿児島出身の男性。米国にいる日本人は多いとはいえ、殺人罪で無期懲役となる例はそんなにあるとも思えない。このような人がいればどっかで報道されていると思うのだが、こうした事件が報道されたという記憶はない。郷隼人で検索をしてもでてくるのは短歌の記事ばかりだ。本当に存在しているのかしら。カリフォルニアの刑務所に無期懲役囚として収監されている日本人郷隼人…。だけれどもそんな疑問はすぐにふきとぶ。短歌は切実で、無機質で陽光あふれる刑務所と想い出の中の「日本」との対比が切なく、とても嘘とは思えない。振り向けば ずしりと重き服役の 十四万二千九百時間我のみが 初日にこだわる 獄庭に 太陽(サン)など拝む 者あらずして**食材偽装のニュースが連日大報道されている。マスコミはニュースを追いかけ、ニュースを作る。これも、エレベーターのとじこめや電車のオーバーラン、入試の採点ミス同様の「つくられたニュース」ではないのだろうか。メニューのなんとかエビが別のなんとかエビだなんてことは今までだって普通にあったことなのではないか。そしてまたブラウン管の中で憤ってみせるキャスターとは別に、この問題で怒っている人っているのだろうか。自分だったら、おいしくいただいた何エビが本当は別のなんとかエビだとかと聞いても別に腹がたたない。そしてまた、これが大問題だというのであれば、本の著者偽装というのはどうなのだろう。タレントの誰それが書いた本が実はゴーストらライターの筆になるものだとしても誰も問題にしない。むしろ本当にタレントが書いたと信じると純真だといわれるのがオチだろう。それでは日本人が書いたのに外国人が書いたというふれこみで本を売るのはどうなのだろう。はるか昔、ユダヤ人が書いた日本人論なるものがベストセラーになったが、これで出版社が批判されたという話は聞かない。読者は「ユダヤ人の目でみた日本人の姿」が知りたくて金と時間を使ったのに。評論だけではない。日本人を主人公にした小説を外国人名で出すのも似たようなものだろう。外国人の筆で日本人がどう描かれているかを知りたくて、本を買うことだってあるのだから。どうでもよい食材の偽装はあんなにぶったたかれるのに、こちらの偽装は叩かれないのが不思議だ。なんのことはない。出版社も含めたマスコミ業界は他人の業界をスケープゴートにしてお祭り騒ぎをやっても、自分たちに火の粉がかかるような批判は決してしない。
2013年10月29日
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私こと七詩さんは性年齢一応不明(笑)としてあるので、あまり世代ネタは書きたくないのであるが、昨日の日記で教育について書いた流れで、今でも不思議に思っていることを書いてみることとする。ここ数年教科書をめぐる論議がかまびすしく、つい最近も東京都が「つくる会」の教科書を採択したと話題になっているが、こんな議論をみるにつけ、自分が学んだ教科書にはもっとすごいのがあったなんて、つい思ってしまう。といっても、社会科や国語の教科書に社会主義や共産主義を賛美する内容が載っていたとかそんなのではない。問題は確か中学3年の時の音楽の教科書である。「山や川が呼んでいる」という題のポーランド民謡が掲載されていた。短調の曲調と明るい歌詞が不釣合いであったが、教師は「短調でも明るい歌詞をつけるときもありますよ。そうするとちょっと悲壮な感じがでます。この歌はもともとは革命家だったらしいのですが。」とそんな説明をしたような…。記憶しているかぎりでは下記のような歌詞であり、クラスの遠足などでも女子達がうたっていたようである。山や川がよんでいる みんな元気にでかけよう夏はすぎて草に木に 風に命がみなぎる胸をはれ胸をはれ あおげはるかな青空道は広くひとすじに すすむぼくらをまねくよでも、よく考えるとこの歌詞は変だ。春が来て草に命がみなぎるのならわかるけど、なんで「夏がすぎて」なのだろうか。それにポーランド民謡というけど、ポーランドに山なんてあったっけ。それはともあれ、曲調は軽快で、教科書の中では好きな曲の一つであった。※だから高校に入ってから、ある大学の紛争を扱った「圧殺の森」という映画をみたとき、ワルシャワ労働歌としてこの歌がでてきたときにはびっくりした。しかも歌詞も教科書とは全く異なり「立てはらからよ、行け戦いに 聖なる血にまみれよ」といった、今でいえばテロ賛美のような歌である。なぜ、このワルシャワ労働歌が教科書に掲載されていたのか、本当に不思議である。※ちなみにこのワルシャワ労働歌の来歴を調べてみると、やはりもともとはポーランド民謡であったが、それがロシア革命で革命歌として歌われ、やがてはワルシャワ条約機構軍の行進曲にも使われるようになったという。それと同時に世界の左翼陣営でもひろく歌われたのは周知のところである。もともとポーランド民謡だったときにどんな歌詞だったのか、なぜポーランドの歌が革命のロシアで歌われたのか、この歌にはどうもいろいろな経緯があり、日本で中学の音楽教科書に掲載されていたなんてのもその一挿話なのかもしれない。※余談であるが一世風靡した人気漫画「男組」のラストシーンでも、なぜかこのワルシャワ労働歌の歌詞が全文掲載されていた。荒唐無稽なバトル漫画と左翼革命歌とのとりあわせも中学教科書への掲載同様、趣旨不明であった。※※この歌以外にもポーランドの民謡はなぜか教科書や学校が配る愛唱歌集などでも多く紹介されていて、「娘さん」や「ポーレチケ」は定番であった。その中の一つに「へい、ヤシネック」という歌があって、その歌詞に「~麦飯とたくわんじゃお昼までもたないよ」という一節があったが、なぜ「ヤシネック」(人の名前?)なのに麦飯とたくわんなのかとひどく疑問に思ったものである。
2004年08月29日
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東京は世田谷区にある閑静な住宅街、その住宅街の一角にある碑文谷公園でバラバラ死体がみつかった。池から足がでていたとかいう報道もあり、非常な猟奇的事件のようなのだが、真相は案外と平凡な事件なのではないか。バラバラにしたのは、おそらく遺体を運ぶためだろう。衣服をとったのは身元を隠すためだろう。そうなると遺棄した人物は車を運転しない人物で、至近距離には住んでいないだろうけど、自転車で走行できる程度のところに居住している。そして遺体の身元を隠そうとしたのは、遺体の人物と近しい関係にあった。まあ、そんなことを考えてしまう。違っているのかもしれないけど…。隣接する目黒区でも何年か前、目黒不動と林試の森公園で、やはり切断された死体が遺棄されていた事件があった。こちらの方は解決したのかどうかあまり記憶にない。井の頭公園のバラバラ殺人は迷宮入りの様相を呈し、「人違い殺人」という説まででている。こうした事件と碑文谷公園の事件はずいぶんと違うように思う。それにしても、もし、こうした事件で犯人が捕ったら、裁判員裁判となる可能性もある。そうなれば裁判員にあたった方は殺害の詳細や遺体の状況について、詳細な説明を受けることになる。やはり職業としてそうした道を選択したわけでもない素人には無理のように思う。この間はどっかの裁判で暴力団関係者が裁判員に声をかけ、そのため、裁判員の車での送迎も検討中という。いままでどれだけの税金がつぎこまれてきたかしれないけど、そろそろこの裁判員という制度も無理があったと認め、「勇気ある撤退」をするときではないか。**昨日、さる著名なアスリートが引退表明をしたらしい。頭もよさそうだし、語学もできる。もしかして都知事選?まさかね。
2016年06月25日
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政治ネタは書かないようにしているが、選挙の直後くらいはよいだろう。それにあくまでも中立の立場であるが…、今回の選挙にはやはり二つの特徴があるだろう。一つは参政党の躍進であり、もう一つはマスコミよりもネットの影響が強くなり、今までマスコミから遠いところにいた人々の票を起こした可能性があることである、参政党の躍進についてはいまさらいうまでもない。ただ参政党自体は数年前からあのオレンジの幟やオレンジのシャツを着た運動員をみかけることが多くなっていた。選挙には膨大な金がかかる。いったいあの資金はどこからきているのだろうか。党首は特に著名人というわけではないし、個人の支持者の寄付だけというのも信じられない。次にネットの影響であるが、ネット動画の配信に熱心だった政党には参政党とれいわがある。休憩時間に指先一本でみることのできるショート動画も多く、参政党とれいわが、今まで政治に期待できず、マスコミからも距離があった層の票を掘り起こしたということがいわれるが、事実だろう。東京新聞には、参政党とれいわのどちらに投票しようか迷っていたというロスジェネ非正規社員の話が載っていたが、まるまる創作とも思えない。周囲にも、比例と選挙区でれいわと参政党に分けて投票したという人がいる。れいわも伸びたことは伸びたのだが、参政党の急伸に比べればずいぶん違う。両者とも自民党政権がとってきたような移民拡大には反対で消費税の減税や廃止など政策的に共通点が多い。戦前の皇民化教育ははるか昔であの国粋主義的憲法草案が受けているとも思えない。いったいこの差異は何によるものなのだろうか。
2025年07月23日
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我々は労働力を呼んだがやってきたのは人間だったという有名な言葉がある。これはスイス人が50年以上前に言った言葉で当時問題になっていたのはイタリアからの移民だった。人間であれば、自分なりの幸せを求め、その人なりの価値観も人生観もある。愛する家族もあるし、よりどころになる宗教も持っていることもある。辛くて人の集まらない職種に当座の人員不足のために呼んだところで、いつまでもそんな仕事をしていたくないのは同じだろう。結局、人手不足というものの不足しているのは待遇が低く人がやりたがらない仕事だ。そこに人間を外から呼んでも解決策になるわけはない。世界にはいろいろな国があり、途上国には政情不安の国もある。期限がきたら帰国を義務づけたところで帰れないという場合もでてくるだろう。外国人労働者とは違うが日本にいる在日の方も半島の動乱で帰れなくなったという人が多いという。シンガポールのように厳密な出入国管理がどこまでできるかはわからないが、それでも、できるだけの出入国管理をすれば移民として社会を変えるような流入は起こらないかもしれない。移民の最後は骨を埋める…つまりその国で死を迎えることだろう。だから移民政策と墓地の問題は切り離せない。そこで問題となるのは土葬墓地である。外国人の中には宗教上の理由から土葬を必須としている場合もあるという。日本も昔は土葬が普通だった。しかし、それは火葬の設備がなかったというのが大きな理由ではないか。両親の実家の墓地にいったとき、ところどころ地面がぼこっと柔らかくなっているところがあり、それは土葬をしたところだという。土葬の場合には、たやすく墓地の整理もできないので、その影響は何十年も残る。また、土葬が普通だった昔は墓地にはときどき燐火が飛ぶのが見えたという。そういうものを見たいか見たくないかはともかくとして、土葬墓地は日本の風景を変えていくのではないか。外国人労働者を全く入れるなとかそういう議論をするつもりはない。けれども、労働力不足だから外国人を呼ぶにしても、やってくるのは人間だということを意識しておきたいものである。
2025年10月24日
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上手い小説だと思った。新選組隊士吉村貫一郎について、新選組の同輩、出身の南部藩の武士などの関係者が語る形式となっている。そして聞き手はおそらく若い記者か小説家だが、その正体は最後まで明かされず、これはあくまでも読者の代わりに聞くという設定なのだろう。聞いている時代は第一次大戦のあたりなので、新選組が歴史となった頃だ。したがって、吉村寛一郎が藩校で学問や剣術を教えていた上級武士の子は実業家や医師になっているし、新選組の生残りは酒屋に転身したり、名を変えて官吏になったりしている。彼らが彼らの立場や視点から、吉村貫一郎という南部藩を脱藩して新選組隊士となった人間の一生について語るわけである。貫一郎の脱藩も新選組入隊も尊王攘夷のためでもなければ幕府への忠誠のためでもない。ひたすら「妻子を食わせる」というそれだけのためだ。ただその「妻子を食わせる」という一事の中に本当の義というものがあるのではないか。妻子を食わせる…というのが、ジェンダー平等の今に会わないというのであれば、自分や身の回りの人を食わせると言い換えてもよい。そういう人が増えれば増えるほど多くの人が食えるようになるのだから。そしてその多くの人を食わせるという理想はネタバレになるが、最後の語り手により多少は果たされる。小説の最後は、貫一郎の南部藩にいた時の上司である上級武士が朝敵として処刑される前に書いたという書簡になっているが、ここでは、妻子を食わせるために新選組に入った吉村貫一郎を誠の義士であるとし、食わせるという具体的な個人を活かすことを飛び越えて、抽象的な忠義だの奉公だのが飛び交うようになると、国が危なくなるとしている。滅私奉公だの欲しがりません勝つまではの先に何があったかを思うとそういう考えもあるのだろう。歴史の見方にはいろいろあって、英雄的な人物が天下のため、日本のために動いたという見方もあれば、もっと等身大の人物の行動の集積で歴史が作られるという見方もある。考えてみると、現実の歴史というものはこ後者に近いのかもしれない。日本の将来を思って政治家を志すというよりも、毎日鮭缶を食べる境遇になりたいから成功を目指し、その先に政治家があったという方が現実味がある。小説で描かれる新選組の多くの隊員もにわか武士や食い詰めた足軽で、幕府への忠誠心とか尊王攘夷とかとは関係ない。また、多摩地域には剣術自慢の農民の子弟がいて、彼らにしてみれば、武士の時代はほぼ永久的に続くであろうし、これを機会に武士になろうという者もいたのだろう。ただし、当時の実際の武士も相当数いた。それが、実際に京都で斬りあいをするとなると、にわか武士を募るしかなかった。それだけ江戸時代の武士というものが形骸化していたのかもしれない。
2026年05月29日
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物価高やイラン情勢など生活に直結する問題が山積しているのに、今、国会で問題になっているのは、国旗損壊罪、皇室典範改正、そして副首都とみごとに国民の生活とはあまり関係ないものばかりだ。いったいどうなっているのだろうか。特に副首都については、その副首都がどういうもので、何のために置かれるのかがわかりにくい。首都機能の一部を他都市に分散し、非常時のバックアップとするというのだが、これは東京とは地理的距離のある都市に優先的に公共事業を割り当てたり税金を投入しようという構想で、もともと利権がらみの話にしかみえない。日本の場合、非常時といえばまず震災や富士山の噴火などで、そうなると、関東の都市や震災の危険の指摘されている都市は除外される。それでも、具体的な候補はいくつかの都市に絞られそうなのだが、その中から決めるとなると大変である。かつて首都移転構想というものがあり、いくつかの都市が名乗りをあげていたが、どこも決めてがなく、いつのまにかいわれなくなった。あれと同じようなことになるのではないか。日本の人口は今後も減少をしてゆくが、それは均等に減っていくのではなく、集中しつつ減っていく。急激に人口が減っているところもある反面、都心の区では小学校を新設しているところもある。やがては全国津々浦々にインフラを整備することも不可能になってゆくのではないか。そうなると政策としても集中を進めてゆかざるを得ない。最近熊などの獣害のニュースが多く聞かれるが、これも過疎の結果なのかもしれない。熊ではないが、最近、千葉県富津市の旅館に行ったとき、住民が減った一方で、猿や猪が多く出没するようになって大変だといった話を聞いた。熊のようにニュースにはならないが猿、猪、鹿といった野生動物も増えている。東京にも空き地や空き家が目立つようになったが、東京からほど近い市原市にも廃墟といってもいいところがある。住民がいなくなった団地と完全に人の気配がなくシャッターだけになった商店街である。商店街が代替わりで普通の住宅街になっていくというところはよくあるのだが、そこは、アーケードは壊れたまま撤去されておらず、看板の色も褪せていないなど、全く時が止まって凍結したような光景であった。そうした廃墟の中に一軒だけ、人が集まっているところがあり、何かと思ってみるとある政党が活動に使っているようである。男女の賃金格差是正、選択的夫婦別姓という文字が大きく掲げられてあった。※訪れたのは土曜日の午前で、もしかしたらシャッターを閉めた商店の中にも、営業しているところもあるのかもしれないことを付記しておく。
2026年07月12日
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最近、ある新聞のコラムに選挙の際には有権者テストを行い、知識がなかったりSNSに流されたりしやすい人々は選挙から排除すべきだといった意見が半ば冗談めかして書いてあった。もちろんこんなことはできっこないし、マスコミに流されるのは良いがSNSに流されるのは悪いなどというのも全く意味不明だ。それに、知識というか知能で有権者資格をきるようにしたら、結局のところ、金持ちだけが選挙権をもった制限選挙の時代と同じようなことになるだろう。今のような高度に発達した資本主義社会では、多少の例外はあるにしても、階層を決める要素は血統でも親の資産でもなく、本人の能力、それも知的能力という要素が一番大きいのだから。古代ギリシャでは賢人政治が理想とされたというが、賢人政治がもしあったとしても、それは単に賢人に都合がよい政治が行われるだけだろう。自衛隊員が貧乏人の子がなるといった発言もそうなのだが、リベラルといった人々ほど差別的な感覚が目立つのはどういうわけなのだろうか。自分らと違う意見を持っている人々はうましかばかり…こんな感覚でいる限り支持など伸びようがない。現政権の支持率が比較的高いことだって、支持者が別に推し活感覚で支持しているわけではないし、そもそも推し活政治なんて言っているのはマスコミだけだろう。この前の選挙での自民圧勝の一番大きな原因は推し活というよりも、自殺点のような立憲民主と公明との合併が元凶ではないか。そのあたりの反省もなく、有権者のレベルに原因をもっていこうとするから…ダメなんだよと言いたい。
2026年07月16日
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ワールドカップについては、国民性の展覧会という言葉があるらしい。優勝国が歓喜にわくのは当然にしても、そうでない場合、暴動が起きる国、監督を糾弾する国、国民こぞって大歓迎する国と反応は様々だ。まあ、監督もそうなのだが、選手だって常人には考えられないほどの厳しい練習を積んできていて、精いっぱいやってきたのだから、あまり責めるのもなんだかなあと思う。今度ばかりは某アスリートの名言のメダルメダルというのならあんた達がやってみればと言った気持ちも分かる気がする。必死な選手達の試合をビール片手に楽しんでいたのだからよいではないか。敗退したからこそ、今度こそという楽しみがあるというものだ…とスポーツ音痴でスポーツに興味のない私などは思うのだ。あと、FIFAの会長はワールドカップの出場国をさらに倍増することを考えているという。今回でも、ワールドカップで初めてその存在を知った小国があったが、これを増やすとなると主な国はたいてい出られることになる。巨大な市場になりうる中国をどうしてもだしたいらしく、これも、どこまで本気かわからないが、米中共催という提案も行ったらしい。選手のユニフォームなど出場国の多くの人が購入するし、中国出場ともなれば、そうしたグッズを通じてのFIFAの利益は膨大になるだろう。そして放映権料もある。だから中国を出場させたいというのもわからないでもない。そうして考えていくと、将来的には試合の時間も中国のゴールデンタイムに合わせるなんていう時代がくるのかもしれない。
2026年07月22日
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「父と子」を読了した。この小説に描かれている世代対立はロシア特有のものがあるが、社会が変動していくときに、急進的な若い世代と保守的な親世代の対立というのは歴史のあちこちで常に起きているものだろう。日本でいえば、文明開化期の封建的な親世代と開明的な子世代、終戦後の軍国主義に染まった親世代と民主的な子世代というように。「父と子」は日本でもよく読まれたと思うのだが、最近はどうもこうした古典は影が薄くなっているようにも見える。急進的なニヒリストのバザーロフと彼に心酔するアルカージーという人間関係は、全共闘運動でもみかけたことがあるし、それに似たものは青年主体の様々な社会変革運動でもきっとあるものだろう。そして、アルカージーが結婚という人生の新たな局面にたったときには、この関係は終わりを告げる。「父と子」は世代の対立を描いた小説ということがよくいわれるが、全体を読むと親子の情愛を描いているところが印象に残る。もちろん親が子を思うほどには子は親を思わないので、親の子に対する情愛である。中学生の時に読んだ際には気づかなかったのだが、特にバザーロフの父の優秀な一人息子に対する恐れの混じった愛と、その息子が死んだ後の悲嘆の場面が印象的である。そして臨終の際の宗教の問題もある。無神論の子に対して、親は宗教的儀式を望む。世代効果だけでなく、加齢効果もあるのだが、親世代の方が子世代よりも信心深いものである。同じような場面は「ある愛の詩」にもあったと思う。バザーロフはロシア文学史上初めて現れた雑階級出身の人物とされる。たしかに父は貴族出身でないが、軍医にまでなった後は貴族の娘と結婚し、領地を持っている。もともとの貴族ではないので、農民には親近感を持たれているが、それでも旦那であることには変わりない。本格的に地主以外の階級の主人公がでてくるのはもっと後になってからだろう。登場人物の誰もがどこかにいそうであり、そして誰もが小説の中で生きている。古典的名作文学にはこうしたものが多いし、今は読まれなくなっているのが残念に思う。
2026年07月24日
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今朝の朝日新聞社説には例の問題でことの本質はNHKと政治との距離にあると説いている。そもそも番組放映前にNHK幹部と政治家が会ったこと自体が問題であるとするのである。たしかに番組放映前にあったこと自体は当の政治家も含め、当事者は否定していない。そしてそれがどうかとなると議論もあるだろう。NHKは他の民放とは立場が違うが同じ報道機間でもあるのだから。※しかし、やはり今の時期にでてきたこの社説をみると論点のすりかえのように思う。現在、問題となっているのは特定の政治家が特定の番組の内容について「圧力」をかけたかどうかである。NHKと政治家一般の距離という問題ではない。そうであるならば、やはり重点は政治家の側でよびつけたかどうか、番組について何をいったかではないのか。そして重要なのはあくまでも客観的事実であって、言った言わないの水掛け論となっている「圧力を感じた。」かどうかということではない。※NHK幹部と朝日のやりとりについては実はテープがあるという説もある。しかし、仮にテープがあったとしても、朝日はそんなものを表にだせるだろうか。取材対象に了解なく録音していたとなれば種財源と記者との信頼関係はずたずたになる。政治家や要人は、以後、朝日新聞の取材に対してはオフレコ発言も含め何も語らなくなるだろう。※このNHKvs朝日の問題ではもともとの番組の問題点を指摘する声も高い。現物をみていないので何ともいえないが、昭和天皇を強姦でさばくなど一部の人からみればとんでもない内容だったようである。ただ、やはり現在問題となっていることと番組の中味自体の議論は区別すべきではないのか。ひどい番組だから圧力がなくても幹部が事前チェックするのは当然だったのではないかという傍証にはなりえても、これをもって政治家が圧力をかけてもよいという議論には決してならないのだから。また、これと関連して従軍慰安婦など過去の植民地支配下で起こった問題が現在進行中の北朝鮮をとりまく問題と結びつけられるようになると、それこそ一部勢力の思う壺であろう。強制連行や従軍慰安婦には反論できても、関東大震災時の朝鮮人虐殺はどうなのだろうか。制度の不備につけこんでの土地の収奪、そして宮殿に乱入しての皇后暗殺はどうだったのだろうか。植民地支配下の行為を今の規範で評価すれば100%の正当化などできるわけもない。アジアやアフリカの他の植民地支配だって同様であろう。ただ、それだからといって現代の日本人に何をしてもよいということにならない。昔、強制連行を考えると少数の拉致事件被害で騒ぐのはフェアでないというおそろしく低脳な発言をした某政党議員がいたが、これはいいかえれば「ホロコーストを考えるとイスラエル旅行中のドイツ人が殺されても騒ぐべきではない。」とか「アヘン戦争のことを考えると中国人がイギリスに麻薬を密輸したからといって問題視すべきではない。」といっているようなものである。幸いこの議員はきえたが、今でも北朝鮮は同様の発言をしているし、日本国内でもこれと同趣旨のことをいう人は後をたたない。※さて、北朝鮮といえば近々あのジェンキンス氏が記者会見を行うという。北朝鮮での非人道的な行為など、つつみかくさず語ってくれるものと期待したい。一度は戦場から逃げた彼だが今度の戦いからはきっと逃げないだろう。なにしろ今度の相手は圧制や抑圧という非常に戦いがいのある人類共通の敵である。そして、また、ジェンキンス氏につづいて生還した5人の被害者の方もきっと何かを語ると信じている。もちろん被害者という立場には望んでなったのではないし、語りにくいこともあるかもしれないが、しかし、あの人達も結局は、同情すべき被害者として生きるよりも、勇気ある告発者として戦うことを選択するのではないだろうか。※※世の中は朝日VSNHKで騒がしく、前述のように朝日などは「そもそも事前に政治家と会ったことが問題」なんて露骨なすりかえをやって逃げを図っている。朝日の自爆を眺めるのもも楽しみだが、それよりも気になるのは小泉の施政方針演説。北朝鮮に大して制裁のセの字もないのは予想通りだが、核問題の「包括的解決」って何よ…。次のことはをぜひ知りたいものである。1 総理のいう「包括的解決」には核放棄あるいは凍結に見返りを与えることは含まれるのか。2 その見返りには次のものは想定されているのか。 ・エネルギー支援 ・食糧支援 ・経済支援3 2でyesだとしたら、日本からの支援も想定されているのか。ちなみに韓国ではこの「包括的解決」には経済支援が当然大きな要素として考えられている。
2005年01月22日
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東京でもそろそろ「梅雨明け宣言」がでそうなのだが、この「宣言」という言葉がいつも気になっている。宣言と言うのは関白宣言とか平和都市宣言とかいうように、自分の意思を表明するものだ。気象庁が別に梅雨と言う気象現象そのものを左右しているわけでもないのに。皇室典範が改正された。他に問題山積のこの時期になぜ典範改正を急ぐのかよくわからない。世論調査では女性天皇を認めるという意見が多いようなのだが、改正は皇位を男性に限るものになっている。世論調査結果に表れている国民の意見との関係はどうなるのだろうか。もちろん、この世論調査の聞き方は抽象的に女性天皇について聞いているわけで、特定の人物を想定したというものではないのだが。今やる必要がないと言えば国旗損壊罪も副首都と同様だ。国旗損壊罪は成立したが副首都はこれからだ。副首都は複数指定が可能であるので、東京から距離のある核都市が指定され、新幹線延伸などの錦の御旗になっていくのだろう。懸案となっている北陸新幹線の大阪接続や東北新幹線の札幌までの接続である。今までの政令市の上に副首都という格上の都市ができる感覚なのだが、無駄な出費のないことを願いたい。集中しつつ縮小というのは、これから日本のあちこちでみられる現象で、東京でも都心には高層マンションがどんどん建設される一方で、昔からの住宅街では櫛の歯の抜けるように空き地がでてきている。スポーツに興味はないが、ワールドカップというお祭りが終わるのは寂しい。今年の流行語大賞候補は「なんでやねん」もあるが、なんといっても「バイキングロー」ではないか。ユーチューブでは、大勢の市民が一体となって応援している光景がでてくるが、一体となった応援はうらやましい。さっそく甲子園の応援でも、とりいれるところがでてきているという。
2026年07月19日
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