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【丸印】 先述のお寺のご住職が集められた墓石の中に、丸印が彫られているものがありました。このお寺のぼちではなくではなく、どこかの墓地で処分されそうになっていたものであろうと思われます。どこから運ばれてきたかは判りません。 この丸印が付いているのは、仏教の宗旨とは関係がないようです。とすると、墓石に戒名が彫られた後で、この丸印を彫ったのかもしれません。墓石の文字は、お寺のご住職が書かれたと思いますので、それが書かれた後、文字を石工だ彫った後で、○を彫ったとも考えられますが、このきれいな彫り方からすると、石工が彫ったように思えます。 この丸印が彫られている墓石は、板碑型のものばかりです。会津では、板碑型の墓石の方が、四角柱の墓石よりも古いと考えられます。ヨーロッパの墓石の形状の影響を受けているのかもしれません。宗門人別制度が施行される以前には、墓石を建てる習慣を持っていたのはキリシタンだけであろうと思われます。 天領南山御蔵入に、「天正」と彫られた四角柱の墓石があり、確かに風化が進んでいるように見えるのですが、礫岩系の石なので、風化しやすかったのだろうと思いますし、もしそれが本当に天正年間に建てられたものであれば、キリシタンであるとしか考えられません。
2009.03.08
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【子安観音像】 前述のお寺にある「子安観音」像です。何故、曹洞宗のお寺に観音菩薩が祀られているのか判りません。まして、「子安観音」像です。禅宗系のお寺に「子安観音」が祀られているのは、改革派・長老派系の教会の礼拝堂に聖母マリア像が置かれているくらい不思議なことだと小生は思っています。 今までにも、何回もここに書かせていただきましたが、「儀軌」という「密教の儀礼・行法や図像に関する規則」(広辞苑)には、「子安観音」という像は記されていないそうです。しかし、会津だけでなく、日本ではかなり広範囲にこうした「子安観音」像が祀られています。 日本では、いつのまにか、「同じ仏教なのだから」ということからか、歴史研究の中でこうしたことが問われなくなってしまいました。あるいは、「葬式をするのは仏教みたいだ」という考え方を日本のキリスト教会の中で耳にしてきました。そして誰もが、宗門人別制度はキリスト教(ローマ・カトリック教会)の儀礼と組織形態のコピーだということをおっしゃらなくなっていました。 また、仏教寺院が葬式に関与するようになったのは、どんなに早くても17世紀半ばからだということも認識されなくなってしまいました。それまでの仏教寺院は、そして、境内に墓地を造ることもしていません。キリシタンはそれぞれの場所で潜り続けていました。近年になっても、キリシタン時代の習慣が残っていた村があります。歴史教科書に記されていることと、現実はかなり異なっているようです。そうした意味では、古代日本の民衆史から、日本の歴史研究は見直す必要があるかもしれません。
2009.09.21
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【不動明王】 不思議な不動明王です。右手に剣を、左手に索を持っているのは、一般的な不動明王と変わりませんが、背中に羽があります。小生はこうした不動明王を初めて見ました。 イスラエルの守護聖人、天使ミカエルだろうと思います。この村の年輩の方には、ご存じの方がいらっしゃるかもしれません。ここからそう離れていない村にも、キリシタンのものが近年まで残っていました。小生はそれを見たことがありますし、ここでもそれをご紹介したことがあります。 伝承が潜ってしまい、キリスト教のことをご存じない方々は、これが天使ミカエルだとはどなたもお考えには慣れないと思います。キリシタン時代のローマ・カトリック教会と現在のローマ・カトリック教会では、様々なことが異なっています。戦後に行われた第二バチカン公会議の結果です。しかし、こうした天使ミカエルなどに関しては、現在でも洗礼名=教名に使われています。 「ミカエル」という固有名詞をご存じない方は多いかと思いますが、これを英語読みすると「マイケル」です。キリスト教の世界では有名な固有名詞です。会津には、こうしたミカエルであろうと思える像が他にもあります。不動明王像にいたっては、そこら中に残っています。帰農した武士集団が、村の守護聖人にしていても何の不思議もありません。
2009.04.10
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まだ蒲生氏郷が秀吉によって会津へ移封される前、旧塩川町の中心部に栗村憲俊という塩川領主がいました。父親は栗村憲勝。城は今のJR塩川駅の東側一帯がそうだったと考えられています。浄土宗塩泉山阿弥陀寺やその隣の駒形神社のあるところ一帯だったと考えられています。 この栗村憲勝には、塩川伯耆守という弟がおり、会津を狙っていた伊達政宗に近づいていたと伝えられています。 祖父 栗村憲勝 大叔父 塩川伯耆守 父 栗村憲俊 この栗村憲俊の長男が、栗村弾正清政です。 伊達政宗は、会津盆地内の土豪を調略していました。栗村憲勝と憲俊は会津盆地の頂点に立っていた葦名家に忠誠を誓っていましたが、塩川伯耆守は密かに伊達と内通していたと言われています。栗村弾正清政はこの塩川伯耆守の影響を受けていたがために、祖父憲勝と父憲俊によって毒殺されてしまいました。戦国時代の陰惨な出来事です。 この時代、つまり天正17年(1589)の伊達政宗による会津侵攻の頃には、葦名家の会津盆地統治力はかなり低下していたと考えられます。かなりの土豪が伊達に内通していました。伊達に内通している塩川伯耆守に接近していた栗村弾正清政を危険視した、祖父と父が、孫であり息子である栗村弾正清政を毒殺したしたのは、そのためであったと考えられます。 毒殺されたのは、天正16年(1588)3月15日。 この時、栗村弾正清政は塩川城ではなく、塩川城の北西にある上江村の館に祖父憲勝と住んでいたと言われています。塩川城での宴の後、翌日、この自宅で死んだとされています。 栗村弾正清政には四郎右衛門という息子がいました。この四郎右衛門は『新編会津風土記』の記録によれば、蒲生氏郷の時代「耶麻郡割元役」という、猪苗代町から西会津町にかけての会津北部・耶麻郡の農民の代表者であったとされています。そして、「天正19年蒲生家家臣帳」「文禄3年蒲生家高目録」「寛文風土記」「新編会津風土記」「家世実紀」などを解析していくと、承応3年(1654)に保科家によって捕縛され、翌年の明暦元年に処刑されたとされている5人のキリシタンのうちの一人は、この栗村弾正清政の孫の四郎右衛門であり、一人は蒲生氏郷の家臣もしくはその息子であった人物であろうと思われます。 (但し、この捕縛から処刑に至るまでの記録を見ると、そこには多くの疑問があり、また「新編会津風土記」や「家世実紀」の別の記録からして、この5人は処刑されることなく、後に赦免されているように見えます。 伊達に内通し、鉄砲等の近代兵器を手に入れていたことは何を意味しているのか。「蒲生氏郷を東北キリシタンの初見とする」という仮説がありますが、その仮説は、あくまでも記録上の仮説でしかなく、残された痕跡を残された史料(文字資料)から考えると、蒲生氏郷以前にキリシタンが東北に入り込んでいたことも考えられます。 この写真の墓は、小さな正方形の土手に囲まれたところに建てられていて、江戸時代になって子孫によって建てられたとされていおり、『新編会津風土記』にもその存在が記されています。(側面に彫られた伝承がすべて記されています)この土手の向きも気になります。 この写真は2005年5月16日に撮りました。後ろには上部が雲に隠れた飯豊連峰が写っています。会津にお出かけの際は、是非お立ち寄り下さい。静かでいいところです。 明治時代の会津の自由民権運動史の原点でもあります。 参考文献 上記の他に 「塩川町史」 塩川町史編纂委員会 塩川町発行 昭和41年
2006.10.05
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【火縄銃と三段戦法】 松本城の天主閣にあった説明板ですが、火縄銃はこうした構造になっています。先端から黒色火薬を入れ、専用の棒で黒色火薬を突き固めます。圧縮した黒色火薬に点火すると爆発しますが、圧縮していない黒色火薬は、導火線のように燃えるだけです。そして、そこから玉を転がし入れます。この玉は、銃口よりも径の小さいモノでなければなりません。でないと、黒色火薬の爆発熱で膨張して、銃身の途中で詰まってしまう可能性があります。 ですから、下に向けて発砲する時には紙を先端から入れてそれで玉が転がり出ないようにします。そして、火皿に黒色火薬を入れて、引き金を引くと、火縄の先端の火が火皿の黒色火薬に引火し、その火が銃身の末端に圧縮された黒色火薬を爆発させて、玉が銃口から飛び出します。この時に、銃身の末端の部分は相当な高温になりますから、すぐには次の射撃の為の火薬を入れて突き固めることが出来ません。 ですから、この銃身の部分が冷めるまで待たなければなりません。こうしたことを考えると、長篠合戦で織田・徳川連合軍が使ったといわれる、鉄砲隊の三段戦法は不可能であるということが判ります。ですから、三段戦法は後の時代の鉄砲をよく知らない人物が、想像で書いたとしか考えられません。かなり以前ですが、テレビの番組でこれを実際にやって検証していました。 また、一般に黒色火薬に用いる硝酸塩は、ヨーロッパから輸入されていましたが、飛弾高山でこの硝酸塩が作られていたことが明らかになっています。原理は、熱帯魚などの水槽を浄化する装置と同じです。アンモニアを硝酸塩にしてくれるバクテリアを利用して作ります。ただし、この方法だと、硝酸塩と他の物質の比率の調整が難しいので、爆発力の高い黒色火薬を作ることは難しかったであろうと思われます。くれぐれも実験なさらないようにして下さい。実験であっても、爆発物取り締まり罰則違反になるそうです。
2013.09.10
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