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【宗門人別制度の形態とその社会的機能】
仏教が日本に国教であった時代はないと以前に書きましたが、では宗門人別制度=寺請制度=檀家制度はどのようなものであったのでしょうか。それを考える前に、キリスト教が国教になっている国のことを少し考えてみたいと思います。例えばイギリスの国教会がその典型であろうと思われます。イギリス国教会の頂点に立っているのは、主教ではなく、国王です。と同時に、イギリス国教会の中で使われる『祈祷書』という礼拝の式文のようなものがあるのですが、イギリスではこの『祈祷書』を変更するには、国会の承認が必要で、その承認を得た上で、国王がサインしなければなりません。もうしばらく前に新しい祈祷書を編纂したのですが、国会を通っていませんし、国王もサインしていません。ですから、この新しい『祈祷書』は「こちらを使ってもいい」という式文集になっています。
あるいはドイツの国教会はルター派で、聖職者は国家公務員ですが、ルター派でない教会ではすべて、聖職者は国家公務員ではありません。そして国教会では献金を集めるのに、税金と一緒に徴収しています。ですから、ルター派以外の教会の信者は、その旨を申告することで、その「教会税」を徴収されることはありません。日本の宗門人別制度は仏教を国教にしていたのではなく、国民を管理するために作られた制度です。学校の教科書では、キリシタンを取り締まるために作られた制度だとされていますが、隠れようと思えば、かなり楽に隠れることが出来ました。そして、万が一、檀家からキリシタンが見つかると、お寺のご住職の最高刑は梟首でした。ですから、お寺の墓地にキリシタンの痕跡が残っているのであろうと考えられます。
そして、明治になって、この宗門人別制度は廃止されましたが、同じものを「戸籍」として作りました。最初に作られた「戸籍」には「族称」が記入されていました。それをご覧になったことがある弁護士さんからお伺いしたことがあります。「華族」「士族」「平民」という身分を表すものです。そして、宗門人別制度は明治政府が破棄しましたから、法的な拘束力は全くなくなってしまいました。会津で明治期に建てられた墓石が少ないのは、そのためであろうと思われます
上の写真は、とある村の墓地の一角です。この村にはお寺があるのですが、墓地はそのお寺から少し離れたところにあります。真ん中の写真はとあるお寺の本堂を撮った写真ですが、本堂の裏に墓地があります。宗門人別制度が施行されて、埋葬が行われるようになり、お寺の裏に墓地を造成したのであろうと思われます。下の写真はまた別のお寺を撮った写真ですが、このお寺の裏にも墓地があります。ここはもしかしたら、墓地があったところにお寺が建てられたのかもしれません。大正大学の藤井正雄氏はそうした墓地があると、著書の中で書かれています。しかし、宗門人別制度が施行される前に墓地があったということはどういうことなのでしょうか。因みに、このお寺の本堂は「キリシタン方位角」を向いています。