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学校で学ぶものは損得勘定なんでしたっけ・・・?日本では一応18歳までは子供扱いなんですよね・・・?だとすれば、金銭感覚や損得勘定を考えないで只管物事の合理性を純粋に考えられるのもこの時期なんですよね・・・?そんな時期に損得や有利、不利などの感覚を植え付ける教育って如何なものでしょうね・・・?子供時代の純粋さを云々して、"あの頃は"などと嘯く大人の傲慢で不遜な態度は、子供にとって誠に気持ち悪い(気もい)ものに映っているのでしょうね・・・?外国から見れば、生活感の無い日本という国は異常な世界に映るのかも知れません。国境を接して常に侵略、被侵略の繰り返しを体験して来た国にとって、自国のアイデンティティは非常に大事な物になってしまったけれども、日本では、隣の北朝鮮が好戦的態度を取ったとしても、非現実の出来事のように実にのんびりと人事のように捉えている。結局、日本にとって世界史観などというものが存在しないし、また必要ともしていない事がはっきりと浮き彫りになってしまった。世はグローバルへ向かうと言いながら、その実、そんな感覚を一番持っていない大人達が、どうやって学校教育のグローバル化を先導して行くのか全く持って不可解としか言いようが無い。受験などというものは、あくまで、その学校、研究機関への適正を見極める位のものであって、本当に勉強したいと思った時に受ければ良いシステムに変えなければ受験の意味は殆ど無いと言っていいと思う。頭の良い、真から勉強の出来る人間は、学校の授業を受けているだけで充分出来る人間であって、受験を職業訓練の場とするのは、最も恥ずべき行為である。非常識人間育成の場と化す学校にならない事を切に願うものである。
2006.10.31
昨日WVJ(ワールド・ビジョン・ジャパン)の地域活動報告会に行って来た。幾らかは予想していたことなんだけれども、報告会そのものの段取りの悪さも手伝っていささかげんなりしてしまった。現在私は、スリランカの小学5年生の女の子のチャイルドスポンサーを引き受けている。あくまで引き受けているのであってスポンサーになっているつもりなど全くない。ボランティアって何・・・?と聞かれて皆さんはどう答えますか?無償労働奉仕とでも答えれば良いのでしょうか・・・?ボランティアの存在などというものは、要するに社会が、世の中が歪んでいることの証明みたいなものなんですよね・・・!!市民が税金を払うのは、自分達の事はもちろん、全体として社会的不公平によって社会規範が崩れないように公僕を雇って、公平な社会システムを作るためなんではないでしょうか・・・?税金の課税率に差があるのも、富める者が貧しき者のために穴埋めをするからなのではないでしょうか・・・?日本では、多分に富める者は税金を沢山払う変わりに社会からの見返りも沢山受けるシステムになっていないでしょうか・・・?報告会の中で、こんな遣り取りがありました。チャイルドスポンサーには支援チャイルドやその家族からお礼の手紙や写真が送られてくるのだけれども、その手紙がどうもやらせみたいで有難さに欠けるから、もっとリアリィティの有る物にしてもらいたい。というものでした。はっきり言って、情けないやら悲しいやら苛立たしいやら全ての感情が湧き上がって日本人の本性を見せ付けられた気分でその場を逃げ出したくなったものです。彼らは、貧しくて、食べる物を始めとして生きる上での全てに窮しているからこそ、支援の手を甘んじて受け入れるのであって、教育も受けられず、仕事も無く、日々生きて行くだけの彼らに何を求めると言うのでしょう。ボランティアスタッフがいればこそ、せめての証としてスタッフが代筆や世話をしてやっとの思いで、通信(郵便)事情も儘ならない地域から送っている物を、そんなに躍起となって欲しがらなくてはならないだろうか・・・?ボランティアには、沢山問題があるのは事実である。しかしながら、そこに無くてはならないのが無償の愛でなくてはならない。基本的にボランティアなどというものが、この世から消えて無くなる日こそが理想社会だと唱える仏陀の戯言でした。
2006.10.23
日本の政治家は阿呆ばかりか・・・?例え但し書き付でも日本が核兵器を保持する議論をしなければならないという言い方をすれば当然突っ込まれることは覚悟しなければならない。よくよく考えてみて御覧なさい、今日本がどうこう動いたからと言って北朝鮮が何か聞いてくれますか・・・?答えは絶対的にNOですよね。今も昔も北朝鮮に対して発言権を持っているのは間違いなく中国以外に考えられない訳です。仮に北朝鮮の核保有について発言するとすれば、"中国が何らかのアクションを起こさない限り近隣諸国は核保有について何らかの協議をせざるを得ないでしょう。中国は、核の拡大についてどのように考えておられるのかはっきりとした姿勢を正して頂きたい。""我々は、今後中国側の姿勢、行動次第で今日の核実験問題に関する態度を改めなくてはならなくなる。""それ程に日本、韓国を始め他のアジア諸国は中国の外交努力に期待を寄せ、一日も早い問題解決の実現を望んでいます。""もしこのまま中国が手を拱いて北朝鮮の挑発行動を容認し続けるならば、アジア諸国全体としてこの問題を協議し、毅然とした対策を考えなくてはならないでしょう。""万が一にも、我々は中国を差し置いてこの問題の解決をはかる議論も協議をもするつもりはなく、唯、只管、今は中国の対北朝鮮政策の真摯な対応を期待するものであります。""この事は、やがてアジア全体の平和と友好に寄与し全世界の政治的安定にも繋がるものであり、国家間の平和、友好、親善が武器や暴力によっては解決されないと言う事を知らし召してくれる事でしょう。""それ程に我々は中国の持つ影響力を認め、その懐深い対応を願って止みません。""しかしながら、それ程までに信用と溢れんばかりの期待感を裏切るような対応しか取られないのであれば、我々も毅然として問題解決の対策を協議せねばならなくなるでしょう。"とか何とかほめ殺しする位の度量の大きさを見せておくれよ。軽薄に感情に任せて言う事が言いたい事を言う事ではないでしょう。一歩引いて優勢に立つ何事も、日本古来の和の保ち方ではないですか・・・?
2006.10.18
皆さん一度は、なぜ学校へは行かなくちゃならないのと質問した経験はありませんか・・・?最近やたら学校に意味を持たそうと躍起になっている方々がいらっしゃいますが、詰まる所学校などというものは出席する事で根気を養う位の意味があれば充分ではないでしょうか・・・?って、簡単に聞こえますが、学校を良くサボった経験のおありの方にはお分かりでしょうが、これがなかなか難しいもので、昔、大昔には無遅刻、無欠席のご褒美が出た位凄いことなんですね、これが・・・!!!私も小学校は若年性高血圧でしょっちゅう偏頭痛を起こしながら遅刻、早退はありましたが、無欠席だけはやり遂げました。お陰で半世紀を過ぎた今日でも休みが取りたくなくて非常に困ったものです。欧州流に考えれば、子供の頃からロングバケーションに慣れているから、大人になっても違和感なく休めるというもので、習慣のないことはなかなか馴染めないものです。日本の学校教育の在り方も、大人社会を規範とする訳ですから、この時代でも、昔よりは休日の拡大が出来たにせよまだまだロングバケーションには馴染めない日本に於いてやたら休日を増やしたり、学校にいる時間を短縮するのは如何なものかと思います。むしろ、学校の授業でしか勉強しなかった私などに言わせれば、学校の授業が充実していれば他で勉強する必要はないし、むしろ学校にいる時間を増やせば塾などに行く時間も無くなり、学校の校庭や体育館を開放して遊びたいだけ遊ばしたほうが人としてまともな人間形成が出来ると思うのですが如何なものでしょうか・・・?私の中学校の指導目標は(主体的人間形成の確立)というもので、今でも憶えておりますが、これを主題テーマにして校内の弁論大会の壇上に上がったものです。中学生でも、純でありながらませた子は充分大人に伍した考え方を身につける事の出来るもので、子供を子供として大人の世界から遠ざけるのは非常に誤った考え方と言わざるをえません。男女七歳にして席を同じゅうせずとはよく言ったもので、自我が確立して行く課程に於いて男女の区別、自分と他人との区別が出来るようになると自分が人間である事に目覚めて来るものであり、人は他人を見て初めて自分が人間である事を自覚出来るのですから、この世で自分一人だけなら、自分が人間であることも自覚できないし、人間である必要も無い訳です。学校は本来こういうことを滔滔として教え育むべきであり、その先の子供達の生き方は彼らの自由であり、生き方を規定する領域に立ち至るべきではないのである。最近の教育は、魂を入れない外観ばかり重要視する教育となって、考え方の原点を指し示す教育が全くなっていない。問題は、国を愛せといって納得する人間を創るのではなく、国を愛するとはどういうことかを考えられる人間を創る事なのである。話が随分横道に逸れましたが、学校に限らず、あんまり一つの事に意味を持たせようとしない事が重要な事ではないかと思います。
2006.10.05
少なからず、これまでの首相や各権力中枢に於ける最高権力者の姿勢表明演説には、基本的に一番大事なものが欠けていた。つまり、一体自分がどのような社会や会社及び統括する集団をどのように運営し、どのような状況を生み出すのが最も理想的かという具体的な理念が欠けているのである。根底には、自分の持つ人間学とも呼べるあらゆる科学研究を総合的に捉えた究極の思想哲学がなくてはならない。学校や研究機関が何のためにあるかと言えば、それは人間とは何かを追求する場であって、その事がつまり人を育てるということに繋がって行くのである。人間が滅びるまできっとこの命題についての答えは得られないかも知れないが、だからこそ人間は生きなければならず、この世に生を受けた人間一人一人がその答えを導き出す使命を帯びているのだから、何人の命を軽んじることは出来ないのであり、自ら命を絶つ行為など断じて許されざるべき行為なのである。小学校から学校とは一体何なのかを教える、明示する事無しに何の意味があるのだろうか・・・・?話がちょっと横道に逸れたが、つまり人間を統率して導くべき地位に就く者は、まず人とは人間とは何かを自らの主張に込めなければ何の価値もないということである。日本国一国を考えるに当たっても尚一億二千万人の人間がこの国の国土で生を受け暮らしを営んでいる、今や自らが何たるかを考える余裕のある人間がどれほど存在するだろうか、自らを見つめ、人間とは何かを熟考出来る人間が増えれば増えるほど恐らく犯罪は減り、自らを律する事の出来る人間が多少の損得勘定で自らの生きるべき道を踏み誤ったりはしないであろう。幸福の高は経済や権力や物質などの人間を離れたところに存在するものではなく真に人間の内なる精神に宿る安息と興奮の揺らぎの中に存在する大きさなのである。自らの失政が招いた美しくない国日本を再び美しい国日本などと天に唾する標語をお考えになる首相に何の資格のあるべきや・・・? 人気ブログランキングへ
2006.10.05
日本は疲弊している。今や日本が世界に及ぼす影響力は強大になって来ている。あちこちの病む国々は日本を誤解し何でも出来る国、何でもしてくれる国のように思っているふしがある。特にイラクでは間違った支援策を講じたため、日本に対する風当たりが強いものがあったりする。決して世界の中の日本はそんなに強くて豊かな国ではないという事を知らしめる時が来ている。資源も国土もさして持たない国、日本が世界第二の大国などと持て囃されてこのまま突き進んで行けば必ずや悲惨な運命を辿ることになる。そんな状況の中で、日本の暴走に歯止めを掛ける立場にあるマスコミ共までが、経済成長路線を直走ろうとする政府の政策を肯定するかのようなコメントばかりするのは、第二次世界大戦中のマスコミの在り方と同じだと言わざるを得ない。
2006.10.04
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