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外国の言葉は、その多くが個人主義から生まれた所から、表現が簡単で明瞭である。世界の言語の中でも日本語はかなり特殊であり、解らない(自分の言葉でない事を言葉にする)、判断しようのない事までも表現しようとする(他人の心を思い遣る)ため非常に難解な言語になってしまった。私は最近、一世代位前の人達から私が良く使う一般的という言葉について批判を受ける事が度々である。その人達は、一般的と漠然とした事について意味の無いものとして判断なさるらしくある特定の条件を指定しなければ話をしても始まらない(無意味なものである)と考えておられるらしい。しかしながら、日本という国は伝統的に一点集中を嫌い、焦点を暈す(ぼかす)ようにして、個人批判を避け、遠まわしに対象になるものに自ら気付かせる手法を取って来たのである。そこで、子猫殺し云々であるが、どちらにせよ、私は命を奪いました、その事を決して悪い事だとは思っていません。現代のペットに関する状況を考えなければならないのです。皆さんは、どう判断しますか・・・?という問いかけは、挑発行動ではなく、明らかに罪の意識の薄い人間が懺悔の値打ちも無い告白をしているとしか判断できないのでは・・・と思う。これを特定の問題について、現実を投げかけて討論するという事だとすれば、人を殺してさあこの事の問題点は何処にあるのかと問題提起するのと同じ事だとは思いませんか。問題が起こりそうな状況を推察して、問題が起こる前にその芽を摘み取るために議論してこそ意味のある事で、たとえ不幸にも問題が起こったとしても、まだ救われるのではないだろうか・・・?出る杭は打たれる。の諺がある通り、出すぎると大変な事になりますよ・・・。
2006.09.22
先日、我社の営業会議で埼玉は川口に出張して来た。久しぶりに、越谷に住む愚弟の家に泊まることとなり、甥や姪としばしの触れ合いを楽しんで来た。土曜日には、愚弟と高校生の甥と三人で両国に相撲を観戦に行く事になった。スポーツは殆どどれもこよなく愛する私だが、特に相撲は幼き頃からの一番のお気に入りで、小学生のころは学校の土俵や砂場で一日千番も取ったものである。愚弟はその付き合いをさせられていたのだから、同じ感覚を持っていると思っていたのだが、全く最近は興味を失っており、幕内の関取さえご存知ないような有様であった。世界中で相撲熱が高まる中、日本では遊びで相撲を取る子供も見かけなくなり、日本人の関取の凋落には目を被いたくなる昨今の角界である。私はナショナリストではないので、何処の国の関取が強くなってもかまわないし、より強い関取が誕生する事は良い事だと思っている。国際化の進む現代に於いて、れっきとした場所に外国の人が根を下ろし、そんな所から外国の血が混じり日本の本当の良さやより力強い日本人が生まれる事を期待して止まない。因みに私は松登、初代朝潮、初代豊山、明武谷などのファンであった。
2006.09.21
今日は日本の事実上の総理大臣(日本に於ける最高権力者)の決まる日です。日本の場合、最高権力者と言っても彼自身に大きな力があるわけでも無いので、むしろ陰の力の大きさが問題になります。陰の力、即ち財界や暴力団、そして過去から営々として受け継がれた魑魅魍魎たる日本の闇社会を牛耳る輩達である。おかしいとは思いませんか、明らかに常識では考えられない事が常識となって法律と言う名で庶民を甚振る決め事を作ってしまう。総理大臣とは最高権力者だから思った事は何でも出来ると考えるのは普通でしょうに、それが回りに気を遣うばかりで何も出来ない。総理も人の子命は惜しいから、警察を当てにしたいのだが、出来ない法律ばかり作ったものだから結局天に唾する形で自分に跳ね返って来てしまったのが、今日の日本という国の在り方になってしまった。仕方ないので、自衛隊を軍隊に昇格させて指揮権を持てば、将軍になれると考えているのが今度の総理大臣になるお方の考え方のような気がしてならない。
2006.09.20
最近何だか非常に疲れています。週一テニスさえ負担になって来て、一週間がやけに長く感じられます。やっぱり歳には勝てないって事でしょうか・・・?世の中も矛盾だらけで、既に支配する側に回った者だけが楽をしてお金儲けをするといった構図が出来上がってしまっています。常に支配階級を支えるため、汗に塗れ、汚れた仕事をしてきた人間は、いつも最後に切り捨てられて行きます。いつまで、我慢に我慢を重ねるつもりなのでしょうか・・・?一寸の虫にも五分の魂という言葉がある通り、一寸の虫も寄せ集まれば大きな力になると言うのに、一寸の虫は何時までも支配者に媚び諂って生きて行こうとするのです。こんな事何時まで続けていたって、根底から変わって行く事はありません。頑迷な労働者諸君、このままだと、何時か戦争の尖兵にされかねませんよ・・・!!
2006.09.19
私思うんです。自分の大事な人が想いを残して死んで行くなんて耐えられないと・・・。私の大事な祖母が死んだ時、彼女は苦しんで苦しみぬいて息を引き取りました。九十歳になってから、突然下顎に癌が出来てしまい、物が食べられなくなってチューブで流動食を直接胃に流し込んでいたのですが、寝ている時に引き抜いてしまい、流動食が気管に逆流し(誤嚥)肺が潰れて、それが原因で亡くなってしまいました。その時、私は随分病院を恨んだものである。これは、絶対病院の怠慢であり、医療過誤に違いないと、怒りに打ち震えたものです。しかし、田舎に祖母を残して、遠く都会に飛び出して、そのまま故郷を振り返ろうともしなかった自分が一番悪かったのではと我が身を呪い、自責の念に駆られたのも事実でありました。家族を顧る事より社会の矛盾がどうのこうのと、何時まで経っても大人になろうとしない自分が腹立たしくもあり、むしろ益々社会への絶望感が増幅して行ったように思います。老人ホームに入れられた祖母を時たま見舞いに行くと、嬉しそうに「あら、来なはったか」と言って、おもむろに起き出して大好きな煙草を吸いに行くのが恒例になっていました。その祖母が、ある時私に、「北海道は広いとこですかね」と話の中で聞いてきた事があります。祖母にしてみれば、何の気なしに聞いた事なんでしょうけれども、私の胸には随分応えた一言でした。それ以来ずっと心に思う事があります。自分の家族や身の回りの大事な人々には、私がどれだけ我慢する事になっても、思い残すことなく生きて欲しいと・・・。だから今は、かみさんにも良く言っています、お金残すな、心残り残すな、好きなように生きろ、死ぬ時に悔いだけは残さんとってくれと・・・。世の中には、まだまだ自分が偉いと馬鹿みたいに思っているおやじがごまんといるらしい。好きな事を好きなだけやって、家族を虐げていると、その内大変な事になりますよ。お母ちゃんの強き心にもっと尊敬の念を払いませんか。きっと良い事がありますよ・・・・・・・・・・。
2006.09.11
私が、ロスト・シティに始めて行ったのは1975年の事だと記憶している。モダンフォーク好きの私にとって日本初のブルーグラス&カントリーミュージックのライブハウスと聞いていたので、初めて行った時はどんな凄い殿堂なんだろうと期待に胸を膨らませていた。神戸三宮からサンロードのアーケードを元町方面に向かいトアーロードを横切って暫く(4~50m位か)行くと左手に中華料理の光蘭があってその先の路地を左に入り次か次の十字路を右手に入って2~30m行った左手に恐ろしく古ぼけた掘っ立て小屋の長屋続きの一角に間口三尺、面積十坪に満たない暗く薄汚い殿堂は存在していた。こう書くとロストをこよなく愛するファンには何てことをと言われそうだが、田舎育ちの世間知らずとはこんなものだったのです。しかしながら、最近はやりのちょい悪おやじじゃないけれど、何となく引かれる不良の匂いとでも言うのでしょうか、たまらなく魅力に満ち溢れた場所に思えたのでした。マスターの野崎謙二氏は、その昔、テレビでもたまに紹介される田淵章二氏(アメリカでフィドル奏者として一線で活躍中)と二人で海を渡り、かのグランド・オール・オープリーに日本人として始めて立った人である。いわば伝説的な日本人の一人である。バンジョーなる楽器が、未だ未知の楽器だった頃、自転車のホイールを代用して作らせたという逸話も残っている位で、1960年代にアメリカへ何のツテもなく楽器一つ下げて行くなど無謀な行為としか言いようの無い行動であった。あの頃の日本人の逞しさは何処へ行ってしまったのだろうか・・・!?
2006.09.08
仏のテニスも1年半になり、色んな意味でスランプに陥っている。生来が怠け者体質の仏は、練習が大嫌いなので、週一テニスも家を出る間際まで休もうかなぁ~とついつい怠け心が頭を擡げて来る。ある意味、おばちゃんばかりのテニス教室の在り方にも問題があるのだが、と偏に他者に責任転嫁するのも仏の悪い癖である。かといって、テニスの同好会などにコンタクトをとって参加しようとした事もあったのだが、先に言ったように怠け者体質の仏には非常に辛い(仕事に疲れた後はしんど過ぎるし、テニスで疲れて仕事にならないのも困る)ので、悪循環の繰り返しなわけである。テニススクールでは、年1~2回お遊びのような大会を催したりするのだが、ペアも作れないので、試合も楽しむ事が出来ない。もちろん目指すはシングルスの大会で試合をする事なのだが、この状況では、体力も技術の向上も望むべくも無い。何せ、最近では子供扱いしてたおばちゃん達もだんだん上達して来て、こっちの方が慌てる場面も出て来た。特にサーブは、軟式時代でも前衛専門だったので、もう一つ感が掴めずお寒い限りである。打てる事幸いに、何でもかんでも力任せにひっぱたたく事が快感になるものだからおばちゃん相手のストローク合戦ではロブを上げるばかりでフラストレーションがいよいよ募ってしまう。どなたか良いテニスの付き合い方を是非教えて下さい。それから、50代のテニス爺さんのテニスの楽しみ方(本気でやるには)をレクチャーして頂けたら喜びます。何卒よろしくお願い申し上げます。
2006.09.08
中田英寿君のファンではない、今も変わらず、彼を好きにはなれない。それとは別に、彼の言いたい事は良く分かるような気がする。一人孤立するという事は、自分を良く見つめていれば自ずと気付く事である。仲間意識に頼った先回のサッカーワールドカップでは、その事が否応無しに現出した良い例である。中田は必死だったと思う。今のチームでは、他の出場国に勝つなどと大それた事の言えるはずのない事を解っていたから・・・!?他の国の代表チームのこの事に賭ける熱い想いを知っていたから・・・!!!旅行気分のアジアの後進国など相手にもされていなかった事を、彼は確かに知っていた。だからこそ、その屈辱を、試合でこそ晴らしたかったのだと思う。だがしかし、日本のイレブンは負けて当然のように平然としていた。口では何とでも言える、確かにその瞬間は悔しかったであろうが、昔の日本の代表がそうであったように、腹を切るという程の想いが無かったのも、また事実なのである。彼は、必死でその事を訴えたかったのだと思う。他国を黙らすには、他国より遥かに強く熱い想いを力に変えていく事が必要だと言う事を・・・!!!でもそれは徒労に終わった、涙が止めどなく流れるのを押さえ切れなかった、悔しくて、情けなくて、ただ負けたから悔しかったのではない。熱い想いを共有する事の出来なかった、余りにも子供じみたチームメートに行き場の無い怒りを通り越した、憤りにも似た悲しみを覚えたのだと思う。張本勳氏は常に涙を流すな(特に試合に勝った時、負けた時に)と渇を入れておられるが、あの時の中田英寿の涙はそのようなものでなかったと弁護しておきたい。結局、彼は、ある意味惜しまれつつピッチを去った、このことについて私は何も言うつもりはないが、彼なりの責任の取り方なのか、こんなレベルで二度と同じ想いを繰り返したく無かったのか、それは皆さんの想像にお任せしたい。
2006.09.06
世の中は、まさに金、金、金の時代。消費者金融なるものが出現してわずか30年余年の間に、この事が原因であの世に行った人の何と多い事か・・・!!!世の中(日本社会)に、このようなものが本当に必要なのだろうか・・・?確信犯的に、こんな所からお金を借りて、自分一人が満足して他人に迷惑もかけないで、どうなろうが知った事ではない。一番被害を被るのは、その人間の周りの人達であり、最も弱い立場の人々が難渋するのではないのか・・・!!!日本国中央集権自堕落政府はあえて弱者救済の仕事を放棄すべくこのような暴力犯罪集団的組織をのさばらせているのではないか・・・!!!人間とは弱い動物である、何でもかんでも、隣の芝生の青さばかりを見て、根っ子が腐っていようと、隣と同じ物を求め自分を見失い、堕落して行く。その堕落しきった政府に政治などという最も清真なものが求められる難しい仕事を任せているのだから、社会が堕落するのも当然である。暴力団と手を握り、暴力的企業集団と攣るんで国家を蝕む、獅子身中の虫とはおのれらのことだ。おのれら如きイカサマ師に国家百年の大計など軽々しく論じられたくないは・・・!!!教育がどうの、憲法がどうのと、人の道を外して、裏街道まっしぐらのような人間達にどうして国家の行く末など任せられるだろうか・・・!!!小市民達よ、本当に、裏社会と堕落した政治家と、日本を食い物にする企業グループに自分達の魂まで抜き取られてしまってそれで良いのか・・・!!!自分達の、血と汗が滲んだ血税を掠め取られるならまだしも、それを使って益々自分達に不利益を及ぼし続ける悪代官と悪徳商人共をこのまま見過ごして行くのか・・・???奴らを殺すにゃ道具は要らぬ、悪事の元を断てば良い。悪事の元、即ち、小市民から吸い上げる血税がある限り、悪事の元は無くならぬ。税金などと言う目眩ましの名目に騙され続けて、何も言わず、黙って言われるがままに貢いでいると、その内大変な事になりますよ・・・!!!!!!!!
2006.09.06
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