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大相撲の本場所の期間中、我が家では、昼の3時頃からテレビのチャンネルがBS11に合わせられている。 そこに映し出されているのは、おおよそ“相撲取り”と呼べないような、ザンバラ髪にアバラの見えている青年たちだ。 彼らは“力士”ではない。大相撲において力士と呼ばれるのは十両以上。そして、一般的に地上波のNHKで“大相撲”として放送されるのは、相撲界という組織の頂点に相当する幕内の取り組みだ。この幕内の取り組みが始まるのが、だいたい4時40分ころから。3時あたりに放送されているのは、十両未満……つまり「力士の卵」たちの取り組みである。卵=半人前だから、力士の証である大銀杏を結うことも許されない。 立会いのぶつかり合う音も「ペチッ」といった感じだが、そんな若き力士候補生たちの取り組みを、わたしの母は、見るでもなしにいつも見ていた(少なくても、わたしが実家で暮らしていた6年前は。たぶん、今でもそうだと思う)。一緒に幕内の取り組みなどを見ていると、母はときどき「この力士、序二段の頃から絶対に幕内に上がると思ってたのよ。すごく立会いが早くて、前みつを引くのが上手いの。若い頃の○○(たぶん往年の力士)に似た感じなのよね~」などとご高説をのたまいながら、今では力士に相応しい肉体と大銀杏を得たその関取の駆け出し時代に、思いを馳せていたりする。 昨年の大晦日、格闘技の興行“ダイナマイト”にて、元横綱の曙太郎がボブ・サップに敗れたとき、母は怒っていた。 不甲斐ない敗北を喫した曙に対して……だ。 それは「怒り」としか形容しがたかい感情の発露っぷりだった。「こんなの、負けるのあたりまえじゃない! 相撲しかやってなかった人が、いきなりボクシング(正確にはK-1)に参戦して、勝てる訳ないじゃない。まともにパンチなんか打ったことないんだから。それに、必要な動きだって、ボクシングと相撲じゃ全く違うんだから。こんな負け方して、本当にみっともない」。 「“元横綱がプロの格闘家としてデビューする”というトピックスそのものに情報価値があるうちに、注目度の高い相手と試合をする必要があったんだよ」――などというわたしの“冷静な正論”も、効果なし。どうやら母の憤りは、「こんな負け方してみっともない」という、極めて感情的なひと言に集約されるようだ。 母は別段、現役当事の曙を応援していた訳ではない。彼女が曙に対して正にしろ負にしろ、ここまで激しい感情の動きを見せたのは初めてなのではないか。 結局のところ、それは曙が“横綱”だったからなのだろう。大相撲という、どこか非現実的(神聖、と言い換えても可?)な世界……そのヒエラルキーの頂点にまで上り詰めた人物が、極めて通俗的な空間で惨敗を喫した。その事実が、どうも我慢ならなかったようだ。もしかしたら母は、横綱とは人間と神様の間に位置する存在と思っているのかもしれない。 今日、久しぶりにテレビで大相撲を見た。「最近、相撲を見ていない」ということにすら気が付かずにここ数年過ごしてきたことに、自分自身、軽い驚きを覚えてしまった。実家にいた頃は、日々変化する優勝争いの動向をいつだってそらで言え、千秋楽ともなれば夕方5時には必ずテレビの前に陣取っていたわたしが、幕内力士の半分も名前がわからなかったのだ。 社会人になり、平日休日問わずに相撲の放映されている時間にテレビを見ることがなくなったことが、最大の理由だとは思う。だが、世間の相撲に対する関心が、一時期に比べると著しく低下しているのも事実だろう。 貴乃花と武蔵丸という“一時代”を築いた最後の横綱たちが土俵を去り、そして若乃花や曙ら功労者たちが相撲界を離れたという現実は、大相撲から興行としての娯楽性を削ぎ、国技としての地位や格調を地に落とした。さらに、一世を風靡した若貴兄弟たちに奇行が目立ち始めた際は、相撲界の相撲界たる所以である“仕来たりや格式”によって生じる歪や一般社会との乖謬が取り沙汰されもした。大相撲の人気凋落が叫ばれ危惧される昨今だが、これも世の趨勢なのかもしれない……。 久々に見た大相撲は、大関・栃東の綱とりがかかった場所だった。栃東は、父も同じ四股名で活躍した二世力士。そういえば、母は先代の栃東を憎からず思っていたのだろうか、息子である二代目の行状に注目していたふしがあった。彼がもし横綱になったならば、母は恐らく、この2人の同名力士の歴史や因果について、あれやこれやご高説をのたまってくれることだろう。 「歴史があるから、伝統があるから」という理由のみで、その衰退を憂うのも「なんだな~」とは思う。でも歴史が長ければ、それだけ因縁の試合や語るべきうんちくは増えていく。そして因縁やうんちくは、そのまま新たなドラマを生み出すファクターとなる。さらにそれらドラマの積み重ねが、その世界で生きている人々の地位や存在感に厚みをもたらすこととなる。格闘技というものにほとんど関心も造詣もないわたしの母が曙の敗北にあそこまで憤ったのは、大相撲界が有している継承性と係累に起因している。数世紀にまたがる歴史と伝統は、やはり伊達ではないのだ。 今場所は、向こう数年の大相撲界の盛衰を占う上で、ひとつ分岐点となるかもしれない。久々に、大相撲に注目してみようと思ってみたりした。
2004年01月13日
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新年、あけましておめでとうございます。昨年は、公約どおり(?)ほとんど日記を更新しなかったわたくしめですが、年が改まったのを機に心機一転!今年はせっせと更新していこうと、心を入れ替えた次第です。で、「まずは新年を迎えて景気付けに映画でも見よう!」と思いたち、ようやく見ました、『マトリックス レボリューション』。一時期は、映画館で見るのをあきらめかけていたので、なんとか見ることができて一安心です。感想??すっごく面白かったです!!話の展開どうのこうのじゃなく、キアヌ・リーブスの魅力全快!! 「それが堪能できたんだから、別にザイオンの未来がどうとか物語の整合性とか、そんなものどうでもいいじゃん」……と思うくらいに。『マトリックス』という作品は、よくも悪くも“主演=キアヌ・リーブス”が根幹。彼という役者(人間)をどう楽しむかが重要なのではないかと、いっそうのこと思うことにしたわけです、わたしは。で、わたしはキアヌくんのことを、ハリウッド界きっての“巻き込まれ系俳優”ではないかと思っています。予期せぬ事態に巻き込まれて狼狽する――そのことにかけては、他の追随を許さない! 三谷幸喜とか、松尾スズキの舞台とかに主演しても、絶対に映えると思うな、彼。キアヌくんが、なにゆえそんなに“受難”が似合うのか?けっこうこれはわたしにとって長年の課題であったのですが、今回、はっきりわかりました! それは、あの目にある。焦点がやや合ってなくて、目の前の物が見えてるんだか見えてないんだかよくわからない感じ。でも、決してウソをつける人間の目(人を騙すだけの知略のある人の目)じゃない。すごくよく言えば、実直な……身も蓋もない言い方をしちゃうと、蒙昧な……つまり“おバカさん”っぽく見えるのである。おバカさんな美形! う~ん、最高!!今作に限らず、『マトリックス』シリーズ内のキアヌくん扮するネオは、実に“5W1H”のしっかりした子である。初対面の人に会えば「who?」、よく解らない場所に連れてこられては「where?」、オラクルやモーフィアスから救世主としての使命を諭されては「why?」、周囲の人々から無理難題を課されては「how?」。あげくの果てに、周囲から「なんとかしろよ!」と言い寄られ、おろおろしながら「? don’t know」と答えるしまつ。未だかつて、こんなに頼りない救世主がいただろうか!2ちゃ○ねるに書き込んだら「“おしえてくん”は帰れ」「過去ログを読めと激しく言いたい」と、罵倒されること間違いなし。わたしは、これら一連のキアヌくんによるパフォーマンスを「キアヌギャグ」と命名しているが、『レボリューション』はキアヌギャグの集大成だと思っている。なんたって彼、今作ではついに、年端も行かない少女にまで「Where am ??」と、必死の形相で聞いてましたから……。ふと思ったんですが、仮想現実世界“マトリックス”から抜け出た人たちって、今現在の状況に違和感を感じていたり、「この世界が現実じゃなかったらな~」と夢想していた人たちってことですよね? それもかなり高い次元で。これって要は、“ヒキコモリ”とか社会不適応者―――ですよね、ぶっちゃけた話。そんな人たちの中にあって、キアヌくんは救世主に選ばれた。つまり彼は、“キング オブ ひきこもり”ってこと。ちょっとここから先は誤解を恐れずに言っちゃうのですが、ひきこもっちゃう人って、外見だとかベシャリだとか知性だとか……いずれにしても、自分の能力に関してなんらかのコンプレックスを抱いている訳じゃないですか。でも、キアヌくんが演じていた“Mr.アンダーソンくん”は、見た目もよけりゃ頭もいい。普通に考えれば、ひきこもる要因は少ないはず。にも関わらずひきこもったアンダーソンくんとは、真性の“ひきこもり体質”なのではないかと。救世主となりえたのも、然もありなん。この役、キアヌくんにとって恐らく、役者人生最高のハマリ役となるのではないでしょうか。追記そうそう、先ほど書き込んだ件に関して、ひとつ書き忘れたことがありました。キアヌくんは、“ハリウッドいち目隠しが似合う男”だとも、わたしは思っています。『雲の中で散歩』だったかな? 女性(彼女?)に目隠しをされたうえに「いいって言うまでとっちゃダメよ」と言われ、そのまま置いてけぼりにされた姿には、彼の魅力が凝縮されておりました。目隠しを取るでもなく、何かアクションを起こすでもなく、そのまま“ぽつね~ん”と立っている姿を、カメラが引きのカットで捕らえる。監督さんも十二分に承知してましたね、彼の味を引き出す術を。今作でも、目隠しキアヌくんが登場します。やっぱ、オーシャウスキー兄弟も知っていたね、キアヌくんの真骨頂を。
2004年01月05日
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