東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2016.01.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「聖なる神に近づく道」  2016年1月18日

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network 
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年7月4日放映「 真の幸福 」
140724聖なる神に近づく道.jpg

「聖なる神に近づく道」

                        甲斐慎一郎
                       レビ記1~10章
  主は完成した会見の天幕にお住みになり、その天幕からモーセを
呼び寄せ、彼に告げて仰せられました。この時、主の仰せられたこ
とが記されているのが「レビ記」です。ロバート・リーは、「レビ
記は、贖われた民のために書かれたものであって、どのようにすれ
ば神に近づき、神を礼拝することができるかを示したものである」
と述べています。  
一、聖い神に近づく道――幕屋において祭司がいけにえをさ
さげる(1~10章)  
  エジプトにおいて奴隷であったイスラエル人は、過越の子羊の血
によって贖われましたが、彼らが聖い神に近づき、神を礼拝するた
めには、次のような三つのことが必要です。まず主は、モーセを通
してイスラエルの民に、幕屋を造るように命じられました。モーセ
と民は、主が命じられた通りに幕屋を建てました(出エジプト25
~40章)。
  次に主は、ささげ物をささげるように仰せられました。これには
任意的なものと義務的なものがあります。前者は、「全焼のいけに
え」と「穀物のささげ物」と「和解のいけにえ」です(レビ記1~
3章)。後者には「罪のためのいけにえ」と「罪過のためのいけに
え」があり(同四、五章)、どちらも犯した罪の贖いをするために、
牛や羊などがほふられ、その血は祭壇に注がれました。なぜなら、
「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはない」からです(ヘブ
ル9章22節)。
  そして主は、アロンとその子らを祭司職に任命されました(レビ
記八章)。祭司は「罪のために、ささげ物といけにえとをささげる
ため」、「神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命
を受けた」人です(ヘブル5章1節)。アロンは祭司の職務を忠実
に遂行しましたが(レビ記9章)、その子のナダブとアビフは、異
なった火を主の前にささげたので、焼き殺されました(同10章)。
これは、祭司職の神聖さを教えるためです。

説教要約 800 神の支配とサタンの支配

二、聖い神に近づく道――幕屋と大祭司といけにえであられ
るキリスト
  このようにイスラエルの民が聖い神に近づき、神を礼拝するため
には、幕屋において祭司がいけにえをささげることが必要でした。
しかしこれらのことは「本物の模型にすぎ」ません(ヘブル9章24
節)。              
  大祭司は、ささげ物といけにえをささげるために地上の聖所(幕
屋)に仕えていましたが、彼らは「天にあるもの」、すなわち「真
実の幕屋である聖所」の「写しと影とに仕えてい」たのです(同8
章5、2節)。また大祭司は、「民のためだけでなく、自分のため
にも、罪のためのささげ物をしなければなりません」でした(同5
章3節)。      
  「しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司
として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた
物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、や
ぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、
まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです」(同
9章11、12節)。
  このようにして「私たちは、イエスの血によって、大胆にまこと
の聖所にはいることができ」ます。なぜなら「イエスはご自分の肉
体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設
けてくださった」からです(同10章19、20節)。
  「まことの聖所にはいる」というのは、天の御国にはいることで
すが、それはまた私たちが聖い神に近づき、神を礼拝することを象
徴的に表しています。ですからキリストは幕屋の垂れ幕として私た
ちの罪のためにご自身を裂かれ、また悪も汚れもない聖い大祭司と
なるとともに、傷のないご自身を永遠のいけにえとしてささげられ
たことによって、私たちが聖い神に近づき、神を礼拝することがで
きる道を備えてくださったのです。

説教要約 885 人類の新しい始祖であるキリスト

次回は2016年1月25日「神を求める道」です 

甲斐慎一郎の著書 → 説教集






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Last updated  2017.04.15 21:29:58コメント(0) | コメントを書く


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