ーーー 複刻記事 ーーー
英語帝国主義
2006
先日、私は『英語帝国主義』という言葉を使ったが、
(中略)思いついて偶然に使用したに過ぎない。
つまり、私は『英語帝国主義』という言葉が、実際にあるとは知らなかったのだ。
ところが『英語帝国主義』または『言語帝国主義』という言葉は、言語学その他の分野で、テーマらしいのだ。
フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』から引用してみよう。
英語帝国主義とは、世界に何千とある言語の中で英語だけを唯一の世界共通語とするイデオロギーであり、英語使用者に多大な権力、利益をもたらし、それらに魅了された人々が次々に英語習得に乗り出す現象、すなわち英語支配の世の中をさす。
大石(1990) と津田(1990)が「英語帝国主義論」の口火を切った。
海外でも、Phillipson (1992)やPennycook (1994, 1998)によってこの問題が指摘された。
「津田」とは津田幸男氏のことで、『英語支配の構造―日本人と異文化コミュニケーション』という本で「英語帝国主義論」を論じているようだ。
これはアマゾンを見ても目次も批評もないので内容はわからない。
「大石」とは下記の大石俊一氏のこと。
★ 「英語」イデオロギーを問う―西欧精神との格闘 大石 俊一 (著)
この本はもちろん持っていないし、読んでもいないから、出版社/著者からの内容紹介をコピーしてみよう。
【出版社/著者からの内容紹介】
本当に英語は〈必要〉なのか?という疑問から「国際共通語」としての世界的な英語の広がりを、本書は「英語支配」としてとらえ、その影と負の部分を明らかにした画期的な一冊。
まだ誰も気づいていない「言語差別」という視点からの日本―アメリカ文化論
としても有益。
【目次】
1 「英語」をめぐる心理的葛藤
2 日本における「英語」「英会話」素描
3 「英語」帝国主義に抗して
4 「英語」抑圧装置に抗して
5 「東」と「西」の真の平等性にむけて―西欧普遍主義の克服のために
この目次で大体中身がわかるような気がする。
>5 「東」と「西」の真の平等性にむけて―西欧普遍主義の克服のために。
これがポイントだろう。
東(欧米以外)は西(英米=先進国)の英語に征服・支配されている。
それは、《帝国主義》と《西欧普遍主義》と《人種差別》によるものだから、劣等感を廃し、言語的な平等をめざすべきだ。
これはmakhさんの主張とほぼ同じだと思う。
イデオロギー的な反英語論と言っていい。
世界が英語への一極化へ突き進む事への反感の表明と言える。
しかし、
>本当に英語は〈必要〉なのか?という疑問
と言われても、
英語が必要でない現代なんて考えられないではないか?!
もちろん、「英語は全然必要でない」とは言っていないのだろうけれど・・・。
この説を日本人の立場から具体的に実行するとなると、英語の使用を抑制して、英語以外の自国語(日本語)を、世界共通語候補として育てようと言うことになるのだろうか?
これはなかなか「根気」の要る、壮大なプロジェクトである。
また、これは日本人の独り相撲では全く問題にならないことで、「日本語を世界共通語候補」として採用してくれる仲間が大勢いることが条件となる。
これは、ほぼ不可能だろう。
外国語というものは文化である以前に先ずツールなのだから、日本語圏が日本だけという条件の日本語はいくら言語人口が多くても世界語にはなれない。
ただ、日本語を公用語の一つとして採用してくれている国は世界にあるはずがないと思うが、これがあるのである。
名前は忘れたが、戦前に日本が統治した南洋の島国の内の一つである。
戦前に日本は南洋の諸国で日本語教育をしたから、お年寄りで日本語がしゃべれる人口がある。
これは例外であって、日本語が通用する国があるだろうか?
台湾・朝鮮も戦前の日本語教育で、老齢層を中心に、日本語を「話そうと思えば話せる」人口がある。
しかし、これらの国が日本語を公用語として採用してくれる可能性はほぼゼロだろう。
それどころか、韓国などは、日本文化だって輸入禁止なのだから、とんでもない話である。
ハワイなどは日本人移民も多い州だし、なによりも芸能人をはじめ日本人観光客が争ってブランド店でブランド品を漁るから、そう言う店では店員が日本語をしゃべる。 「土産・ブランド店公用語」ではある。
しかし、結局、現実問題として日本語が国際語になりうる可能性は小さい。
これはみなさんが認めるところだろう。
単純に「使用人口が多い」という言語はけっこうある。
例えばスペイン語がそうだ。
中南米・スペインに膨大な言語人口を持っている。
それは世界語になる《必要条件》ではあるかも知れない。
しかしそれが世界共通語としての《十分条件》ではない。
スペイン語はどうか?スペイン語を母語としない人々同士が、あえてスペイン語でコミュニケーションを取るケースは原則として無いといってもいいだろう。
同じように、インドのヒンデゥー語、ロシア語、アラビア語、中国語、それに日本語を加えて、言語人口は多くても第三者の他言語の民族とのコミュニケーションのためにその言葉を習得しようとするケースは少ない。
例えば、米国人が日本人と話すためにロシア語を話すことはない。
中国人がアラブの人と話すためにヒンデゥー語を話すことはない。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「世界」といっても、今の世界は昔の世界とは規模に於いて違う。 昔の世界はギリシャの本国と属州、それに植民地、交易相手国などの「ギリシャ世界」だったり、「パックス・ロマーナ」ローマ式平和の「ローマ帝国内」であったり、した。
つまり、世界語の「世界」が昔はもう少し小さく限定されていた。
そのなかでは、古くは「ギリシャ語」や「ラテン語」が欧州での世界語としての地位を持っていた。
その後の欧州では、ラテン語を母語としない民族同士がラテン語を通して会話した。
法律も聖書もラテン語だった。
教会内部での言葉はラテン語だった。
近代になってフランス語が世界語になった。
フランス語はその点、例外的にフランス語を母語としないもの同士が、フランス語を通じて語り合う自他共に許す国際語だったが、現在のフランス語は、その地位をほぼ英語に譲っている。
★ ★ ★ ★ ★ ★
ここで、私の現実認識を書いておきたい。
● 現在、世界語としてのDe facto standards ディファクト・スタンダード(事実上の標準)は英語であって、これを否定する人はほとんどいない さらに、この状況はこれから、ますます顕著になるはず
● 英語は、その文法的単純さから、世界語としての能力が高い言語である
● 英語以外の言葉にも同等の位置を持たせるべきだという意見もあるが、英語に代わって世界語になる可能性をもつ言葉は、少なくともあと一世紀は出てこないだろう
● マイナーな言語の言語としての価値を否定しているのではない
世界語としての能力と価値が無いのである
世界語になれない言語は、『世界語』としてでは無く、
その言語の言語圏での価値・文化がある
★ ★ ★ ★ ★ ★
以下は私の意見。
● 個人・国家レベルでのイングリッシュ・ディバイド English divide (英語格差)を避けるために、日本での英語教育をもっと強化し、効果的にすべきである
● ディファクト・スタンダード(事実上の標準)に逆らっても、マイナス面が大きいので、それには従ってメリットをエンジョイすべき
この最後の「ディファクト・スタンダードには屈せよ」というポイントには反論もあるだろうと思う。しかし、これはもろに現実的な志向で、思想性などはない。
言語は文化だという異論もあるかとは思うが、世界語に限っては言語は相互コミュニケーションのためのツールだという認識を持ちたい。
自己の文化は自己の母語の中で守ればいいではないか?
日本人なら、日本語+英語でいいではないか?
私の経験でも、例えば昔の話になるが、ビデオ・テープの規格で、ディファクト・スタンダードであるVHSに逆らって、画質がいいからといってソニーのβ方式にこだわった人間は結果的に馬鹿を見た。 私もその一人だったが、だんだん発売されるβのビデオが少なくなって、ビデオ・レンタルショップはVHSの全盛となり、借りることも出来なかった。
パソコンの世界でも、古いMS-DOSの世界では、NECの98シリーズが圧倒的なシェアをもっていて、他者まで98規格のパソコンを作っていた。 私は海外にいたので「英語も使えて、携帯できる」東芝のラップトップをずっと使用していたが、98の豊富なソフトに比べると、ソフトの量が限られていて、我慢をしたものがいっぱいある。
言語、特に世界語はツールであるという観点からは、素直にディファクト・スタンダードに従わないと「得うるべき利益」を取り逃すことになると思う。
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