28人の最終登録メンバー入りを目指して、33人のWBC代表候補たちの
サバイバル戦が始まった。ふるい落とされる5人は誰か? ポジション別に
占ってみた。
【投手(15人から2人落選)】
黒田(ドジャース)の辞退で追加招集された岩田(阪神)がピンチ。シート打撃
などの実戦練習がスタートする17日から、すぐに結果を出さないと苦しい。
また、球数制限がある先発が降板したあとを受ける中継ぎ枠の争いが厳しい。
田中(楽天)内海(巨人)、小松(オリックス)、 渡辺
(ロッテ)も合宿最初から
飛ばしていく必要がある。 (夕刊フジ)
渡辺俊介
(國學院栃木高-國學院大-新日鉄君津)。
「世界一低い(地上3cm)」アンダースロー投手と言われている。120km台の
直球にスライダーとシンカーを中心に90km台のスローカーブを織り交ぜた
巧みな投球術をもち、プロでの現役8年間で通算65勝(44敗)の成績を残して
いる。
世界大会の経験も豊富だ。
西武・ 松坂大輔
(現・レッドソックス、横浜高)、ホークス・ 杉内俊哉
(鹿児島実高-
三菱重工長崎)、ホークス・ 松中信彦
(八代一高-新日鉄君津)らとともに、2000
年に開催されたシドニー五輪の日本代表選手に選出された(結果はメダルなし
だったが)。2003年の第1回WBCにも出場、この時は金メダルを獲得し、渡辺
は優勝に貢献した。
<國學院栃木高時代>
エースで4番の元・西武の 小関竜也
に次ぐ2番手投手だった。甲子園の出場経験
はない。後にプロの世界で大活躍する投手にしては、地味め高校生活だったかも
しれない。
■高校時代のチームメイト■
前出の小関竜也がいた。
■栃木県内のライバル■
特に著名な選手はいなかった。
■甲子園のライバル■
甲子園には出場していない。ちなみに渡辺が高校3年だった1994年夏、甲子園
優勝したのは佐賀商高。この時、佐賀商高の臨時コーチを務めていたのは、OB
の 香田誉士史
(現・鶴見大コーチ)。当時の身分はまだ駒澤大野球部の部員だった。
そして翌年、大学を卒業直後に北海道へ渡り、駒大苫小牧高の監督に就任。駒苫
を強豪校に育て上げた実績は周知のとおり。
<國學院大時代>
餅田正美
氏(当時)が渡辺の父親と國學院大野球部の同期だったということらしい。また、
二年先輩に 宮田仁
(日産自動車、横浜市立桜丘高)というアンダースロー投手が
いたことも決め手になったという話もある。
渡辺が入籍した当時の國學院大は、東都大学リーグ2部の常連だった。だから、
書籍 『神宮の奇跡
』
( 門田隆将
著、講談社刊)で最近話題になった学習院大等
がライバルだったようだ。
2006年、國學院大の後輩たちが入替戦に勝利し、1部に復帰を果たした時、
渡辺は自身のブログにこんなことを書いていた。
「なんと私の母校、國學院大學が東都大学リーグで1部昇格をついさっき決めま
した。僕が在学中は2部で3部との入れ替え戦もやったりと、1部には遠い存在の
チームでしたので本当にうれしいです。最近ではプロ入り選手も増えて、本当に
層の厚い強いチームになってきていたので期待していたのですがついに昇格しま
した。秋から神宮球場で戦う後輩の姿が見れると思うと本当に感動します」
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