宮崎で合宿中のWBC・日本代表候補は21日、サンマリンスタジアム宮崎で、
初の実戦となる巨人との練習試合を行い、10-0で大勝した。
投手陣では、2番手の田中(楽天)が2回3分の1を投げ無安打ピッチング。
先発・和田(ソフトバンク)、3番手・内海(巨人)の両左腕も無失点の安定した
投球だった。一方、終盤に登板した馬原(ソフトバンク)、藤川(阪神)は安打を
許し、課題を残した。
○...先発マウンドに立ち、3回途中まで1安打、1四球で無失点に抑えた 和田
。
一回2死一塁で、ラミレスに対し、カウント2-2から外角への直球で三振を奪う
など上々の結果だった。
それでも本人は、直球がややスライドしていたのが不満だったようで 「結果オー
ライだった」。
城島(マリナーズ)と、ソフトバンクで一緒にプレーしていた05年
以来のバッテリーを組んだのには 「昔、やっていた感覚で投げられた」
と、
不安なく投球できたようだ。(毎日新聞)
和田毅
、現在ホークスでチームメイトの 杉内俊哉
と同様、いわゆる 「松坂世代」
の投手のひとり。また、このブログ 「あま野球日記」
にとって、奪三振数を話題に
するたび、よく登場する投手名である。東京六大学リーグの奪三振数では、法政
大・ 江川卓
(元・読売、作新学院高)の記録(443個)を抜き、476個の最多記録
保持者ゆえ。
wikipediaを見て、和田の家族は「スポーツ一家」であることを初めて知った。
父親は日体大で野球部の選手、1973年には首都大学リーグの首位打者
(打率.433)に輝いた実績をもつ。弟も立教大で野球をやり、今は地元・島根の
県立高校で野球部の監督を務め、母親はかつて実業団のバレーボール選手
だった。また、和田の奥さんの義父は 佐藤道郎
(日大三高-日本大)。
※佐藤道郎は 野村克也
(現・楽天監督)が南海ホークスの監督だった時代
(1970年代前半)に、同チームで活躍した名リリーフ投手。
日本大時代にも活躍し、東都大学リーグ・年間勝利数の記録(16勝)を持っていた。
だが07年、東洋大・ 大場翔太
(現・ホークス、八千代松陰高)に破られた(17勝)。
和田毅
(浜田高-早稲田大)
<浜田高時代>
1997年夏(2年生)、98年夏(3年生)の2回、甲子園に出場している。
97年はエース・ 石川雅規
(現・ヤクルト、青山学院大)を擁する秋田商高に初戦
敗退した。この試合、最終回に入るまでは浜田高が2点リードしていた。ところが、
9回に和田が突然乱れ、8番打者の石川に押し出し四球を与えてサヨナラ負け
を喫した。
98年は3回戦で帝京高と対戦。 森本稀哲
(現・日本ハム)にセンターオーバー
の2点本塁打を浴びながらもスコア3-2で辛勝。準々決勝で 古木克明
(現・オリックス)のいた豊田大谷高に延長の末、惜敗した。
■高校時代のチームメイト■
後にプロに進んだ選手はいない。
■島根県内のライバル■
邇摩高の 清水清人
(元・中日)や、97年の島根県大会決勝で浜田高に敗れた
矢上高の 酒井順也
(元・読売)がいた。
■甲子園のライバル■
前出の石川雅規、森本稀哲、古木克明など「松坂世代」と呼ばれる選手たち
多数。
<早稲田大時代>
■大学時代のチームメイト■
後にプロに進んだ選手が多数いるため、02年秋季リーグ・早慶戦第2戦
(最終戦、02年11月3日)のスタメンをそのまま紹介します。
※この時が和田にとってリーグ戦最後の試合。
1番 (4) 田中浩康
(現・ヤクルト、尽誠学園高)
2番 (9) 青木宣親
(現・ヤクルト、日向高)
3番 (6) 鳥谷敬
(現・阪神、聖望学園高)
4番 (5) 比嘉寿光
(現・広島、沖縄尚学高)
5番 (7) 伊藤貴
(現・?、秋田高)
6番 (3) 武内晋一
(現・ヤクルト、智弁和歌山高)
7番 (8) 由田慎太郎
(現・オリックス、桐蔭学園高)
8番 (2) 坂本康朋
(現・?、敦賀気比高)
9番 (1) 越智大祐
(現・読売、新田高)
※尚、和田は前日の試合で完投勝利し、この試合は3番手投手として登板した。
■東京六大学リーグのライバル■
上記の試合、敗戦投手になったのは慶應義塾大の 長田秀一郎
(現・西武、
鎌倉学園高)。他にも多数いるが、例えば立教大・ 多田野数人
(現・日本ハム、
八千代松陰高)、法政大には 土居龍太郎
(元・横浜、高知高)や後藤武敏
(現・西武、横浜高)がいた。
■全国大学のライバル■
亜細亜大の 木佐貫洋
(現・読売、川内高)、 永川勝浩
(現・広島、新庄高)、
九州共立大の 新垣渚
(現・ホークス、沖縄水産高)、日本大・ 館山昌平
(現・ヤクルト、日大三高)、同じく日本大の 村田修一
(現・横浜、東福岡高)、
専修大・ 江草仁貴
(現・阪神、盈進高)、東海大・ 久保裕也
(現・読売、沖学園高)、
神奈川大・ 加藤大輔
(現・オリックス、九州国際大付高)、創価大・ 小谷野栄一
(現・日本ハム、創価高)ら多数。
※最後に。
和田が早稲田大を卒業時(02年)、近鉄バファローズの 梨田昌孝
監督(当時、
現・日本ハム監督)は、島根・浜田高の後輩である和田を熱心に勧誘していた。
残念ながら、和田はホークスを選択し、ボクはガッカリしたことが当時の苦い
思い出ではある。
同年、和田に振られて、近鉄が1位指名したのは 坂口智隆
(現・オリックス、
神戸国際大付高)。この坂口、遅まきながら昨年は大ブレーク。142試合に
出場し、ゴールデングラブ賞を獲得した。
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