前回の続き。
■今年(2010年)の沢村賞は広島・ 前田健太
が獲得した。今年4月8日のヤクルト戦で「リリースの瞬間にだけ力を込める感覚」をつかみ、究極のエコ投法を手に入れて沢村賞に結びついたという。 前田は今季、この沢村賞をはじめ「最多勝」「最優秀防御率」「最多奪三振」「ベストナイン(最優秀投手)」「ゴールデングラブ」「最優秀バッテリー」「プロスポーツ大賞」と、なんと「8冠」奪取を達成した。
今秋のドラフトで読売から1位指名を受けて入団を決めた中央大・ 沢村拓一
は、
「まだ沢村賞をとるような投手ではないかもしれないけど、自分なりにしっかりやっていけば、先も見えてくると思う」
(サンスポ)と、「沢村賞」獲りに向けて抱負を語った。
■「沢村賞」。言うまでもなく往年の大投手、 沢村栄治
を讃えてその名を冠した賞だ。ただ、その沢村が豪速球投手だったということは知っていても、それ以外、いったいどんな投手だったのか、ボクは詳しく知らなかった。
たまたま読んだ 千葉茂
著『猛牛一代の譜~無冠のセカンド讃歌』(ベースボール・マガジン社刊)には、その疑問に対する答えが少しだけ書いてあった。以下に引用。
「吾輩には、実にコントロールのいい快速球投手という印象が強いのであります」 と記し、続けて
「脚を高々と上げて、華麗ともいえるダイナミックなフォームから、理想的なオーバー・スローで投げ降ろす・・・。その上、リストの利いた、おそらく投手の条件をすべて具備した投手であったでしょうか。二塁で守っている吾輩の耳にピシッピシッという音が聞こえたのは、スナップの柔らかさから、投げた瞬間に、指が手首の内側を叩いていたに違いありませぬ。それがピシリとコーナーをつき、守っていてもまことに気持ちのいいものでございました。無類の制球力と申すべきでしょうか・・・」。
ただ千葉さんが知っている上記の沢村投手像は、 沢村栄治
投手の全盛期を過ぎてからのこと。全盛期の凄さはさすがに千葉さんも知らないため、沢村投手の好敵手だった阪神・ 松木謙二郎
さんに話を聞き、その内容を著書で紹介している。その沢村像は、千葉さんが知っているものよりさらに凄かった。松木さん曰く、
「長いこと野球やったり、見てきたけどあんな凄い球はその後ないやな。(手ぶりをまじえて)こうボールが低めに来るやろ、膝からずっと下や、こりゃボールや、クソボール、そう思ったら、あんた、それがグッーと伸びてきて、真ん真ん中のストライクや、あんなにボールて伸びるもんかと思うほど。最初は狐につままれたみたいや・・・凄かったでえ。
それだけやない。あのドロップ、これもまだその後お目にかかれんわ。なんやこう(また手ぶりが入って)一回、グッと伸びて、高いボールになるかと思ったら、それがあんた、スコーンと落ちるんや、これはもう沢村の独壇場や。あれを打つのは人間の目じゃとてもとても・・・ほんとうに、沢村の全盛時代は凄いちゅうか、なんちゅうか・・・」
(以上、『猛牛一代の譜』より)
■いやはや、なんというか驚くばかり
ちなみに沢村投手の全盛期とは1936年(昭和11年)秋と1937年(昭和12年)春を指すようだ。また静岡・草薙球場で ベーブ・ルース
や ルー・ゲーリック
ら大リーガーから4者連続三振を奪ったのは1934年(昭和9年)11月20日のこと。京都商高を中退して、まだ間もない頃のことだった。
※職業野球は、1937年まで春と秋の年間2シーズン制だった。
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