12月9日、斎藤佑樹が札幌ドームで、梨田昌孝監督とともに入団会見とセレモニーを開いた。斎藤を一目見ようと集まった観客数は8000人。会見の冒頭、斎藤は、
「北海道民のファンの皆さん、こんにちは。東京都の早稲田大学からきた投手です。本日、北海道日本ハムファイターズと正式契約をさせていただき、入団することが決まりました。初めに言っておかなくちゃいけないことがあるんですが、4年前の2006年の夏に(早稲田実業高のエースとして)駒大苫小牧との試合がありまして、道民の方はもしかしたらイヤな気持ちでいるんじゃないかと思うんですけど、僕と同期の(先にプロ入りした)選手よりはマイナスからのスタートと思って、一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします」と挨拶した。
同席した梨田昌孝監督は「先発ピッチャーとしてやってもらいたい。今、自分の中で決めている先発はダルビッシュ、武田勝、ケッペルの3人だけ。みんなと競争して4枚目、5枚目、6枚目を狙ってほしい。(先発投手として)中5日、6日という調整は難しいかもしれないが、色々と先輩から聞いて、先発としてやれるような練習をしてもらいたい」と期待を寄せた。
(ニュース北海道)
■早稲田大・ 斎藤佑樹
(早稲田実)が冒頭に話した2006年夏、 3連覇を目指す駒大苫小牧高と決勝2試合を戦ったことはまだ記憶に新しい。
決勝再試合、最後の打者・ 田中将大
(現・楽天)を空振り三振に仕留めた外角への速球をボクは鮮明に憶えている。斎藤の快投が北海道民が願う駒大苫小牧3連覇の夢を打ち砕いた。
※斎藤の会見の話を聞いて、ボクは元・楽天の 吉岡雄二
(現・メキシカンリーグ、ヌエボラ レド)のことを思い出した。吉岡にも斎藤と似たような経験があった。1989年夏の甲子園・決勝、帝京高のエースだった吉岡は、 大越基
(現・山口早鞆高監督、早稲田大中退-ホークス)を擁する仙台育英高を降し、深紅の優勝旗の「白河越え」を阻んだことがあった。そしてプロ入り後、 近鉄バファローズ消滅
を経て何の因果か、「敵地」仙台の楽天イーグルスに移籍した経緯がある。
■斎藤佑樹が生れたのは1988年。同じ年に生まれた現在プロで活躍する選手は多い。高卒後、すぐにプロ入りした田中将大、 坂本勇人
(現・読売、光星学院高)、 前田健太
(現・広島、PL学園高)、 増渕竜義
(現・ヤクルト、鷲宮高)らはその代表例。
また今秋のドラフトで指名され、新たにプロ入りする期待の新人もたくさんいる。斎藤をはじめ西武・ 大石達也
(早稲田大、福岡大大濠高)、広島・ 福井優也
(早稲田大、済美高)、横浜・ 加賀美希昇
(法政大、桐蔭学園高)、ロッテ・ 伊志嶺翔大
(東海大、沖縄尚学高)らもいる。
彼らの生れた1988年は、野球界の将来に向けての「当たり年」だったといえる。そしてこの年は、伝説の 「10・19」
が生れた歴史に残る年でもある。斎藤の入団会見に同席した 梨田昌孝
も、その「10・19」を伝説にした主役の一人だった。
■一番印象に残っているのは、ダブルヘッダー第1試合で勝ち越し中前安打を放ったシーン。優勝するためには2試合とも勝たなければならなかった近鉄、 なかなか勝ち越せず同点で迎えた9回表に生れた貴重な適時打だった
。
決して脚が速いといえない二塁走者・ 鈴木貴久
(故人)が懸命の快走で本塁に滑り込んでギリギリのセーフ。鈴木と 中西太
コーチと抱き合って、そしてグラウンドを転げまわって喜び合っていた。
そして二塁に達していた梨田は、その2人の姿を見て遠慮がちにガッツポーズ。いや、本人にとっては遠慮などなかったろうけど、なにせ 「自身初めてのガッツポーズ」
(後日、本人談)。両腕を挙げたガッツポーズは左右の腕を目一杯広げ、さらに左右どちらのヒジも直角に曲がっていたものだから、お世辞にも格好いいものではなかった。だけど、 梨田のこの安打が、ダブルヘッダー第2試合が消化試合になってしまうところを「伝説の試合」に変え、「1988年10月19日」を歴史に残した。
※同年シーズン終了とともに引退した梨田にとって、この一打が現役最後の打席になった。
■入団会見で同席した梨田昌孝監督と斎藤佑樹。梨田が現役最後の打席で放った一打が歴史を作り、その1988年に斎藤佑樹は生れた。ボクは以前、 近鉄バファローズ
を中心にプロ野球を見てきた。そしてこの4年間は斎藤佑樹を中心に大学野球を観てきた。
そんなものだから、 この2人が会見で並んだ姿を見ると、これまでのプロ野球(過去)とこれからのプロ野球(未来)が「クロスした瞬間」に思えたのだ
。
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