2006年03月19日
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「勉強せよ」
 逓信省内で比べ物にされてゐた下村宏氏は、遠く台湾くんだりへ往つてしまふし、その後《あと》はと言へば、弾力のありさうな者は誰一人無し、数へてみると、何といつても、
 「俺だ。」
 「俺だ/\。やつぱり俺だよ。」
と、それ以来通信局長の田中次郎氏は、思ひなしか逓信省内が広々としたやうに思はれた。
 逓信省内には、大学を出たての若い学士連が虫のやうに蠢々《うよ/\》してゐる。それを集めて咋年の秋から読書会といふものが起された。場所としては京橋の清新軒などが利用されてゐた。皿の物をかちかち突つきながら揚《あ》げ立《たて》のフライのやうな新しい書物の講釈から、時事問題などが話題に上《の 》されるのだ。つい先日《こなひだ》の晩にも例会が開かれて、通信局、管船局各課の高等官の卵共が、ずらりと田中局長の前に並んだ。
 「勉強だね、勉強しないと直ぐに世間に忘れられてしまふし、第一物事に目端が利かなくなる。」
 他人《ひと》の財布の中までも見通しさうな眼つきをして田中局長は言つた。局長のお言葉だけに、下役には、それが亜米利加発見このかたの真理のやうに聞えた。皆は脂肪肉《あぶらみ》のビフテキをかちく言はせながら、各自《てんで》に腹のなかで、
 「局長のお言葉だ。大いに遣《や》るぞ。」

 その翌日、突然休職の辞令が田中局長の頭に降りかかつた。夕刊を眺めた下役共は夢ではなからうかと自分の鼻先を抓《つね》つてみたりした。その折省内の廊下でばつたり出会つた若い「通信局」と「管船局」とがあつ
た。
 「驚いたね、昨夜《ゆうべ》だつたぢやないか。」
 「さうよ、だからさ、勉強しないと目端が利かなくなるんさ。」





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最終更新日  2006年04月19日 23時14分20秒
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