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『九十八歳になった私』橋本治(講談社) 以前同筆者が老いについて書いていた本を読みましたが、基本的にはあそこで展開された思考を虚構にスライドした感じの小説であります。例えばこんな風に書いてありました。 人間は、自分中心の天動説で生きてるもんですから、「自分は年寄りだ」と思ってそれを認めようとしても、「自分以外の年寄り」は、やっぱりいやで、「他人と同じ年寄り」のカテゴリーに入れられるのがいやなんですね。(『いつまでも若いと思うなよ』新潮新書) ここに盛られた意見が、本書ではこんな感じで描かれます。 (困ったもんだ。すぐ年寄りは「俺は違うんだぞ」という自慢をする) (でも、それ取ったら生きてる理由もないな。人間は、自慢することによって自分を立たせる生き物だからな) (困ったもんだ、寝っ転がったままでも自慢する) どうですか。……ふーん、こんな感じで小説になるのかぁと、ちょっと興味深いところですね。 さて、本書のあとがきに、筆者自身がこの小説は三十年後を描いた「近未来空想科学私小説」だと書いています。純文学雑誌『群像』の近未来特集に短編を一つ書いたら、面白いから連載にしようという依頼があってこうなった、とあります。 昨今の純文学雑誌の動向については、まるで私は無知でありますゆえ、はー、そんなものなんですかとしか感想の書きようがないのですが、なんといいますか、「タルイ」といえば大いに「タルイ」感じのお話しであります。 それは100歳直前の主人公私小説一人称展開ですから、冗漫さもリアリズムだというところではありましょうが、でも、例えば私は寡聞にして読んでいないのですが、野上弥生子が九十九才で書いた『森』という小説もそんな冗漫さを持っているんですかね。(もっとも野上の『森』は別格中の別格だという評価はどこかで読んだ気はしますが。) ともあれ極端にダラダラした展開の中で、もしも読解のポイントがあるなら、私は2つだと思います。 1つ目は「ディストピア」。この言葉は筆者のあとがきにも出てきますが、今の日本に住んでいて、三十年後をふと思った時、そこに今より住み良い社会が広がっていると考えられる人はかなりの楽天家であろうということで、同感せざるを得ない気はします。 本書は、東京大震災が起こって東京神奈川千葉崩壊、国内の原発も二個が壊れ火力発電もだめで電気供給も不十分、被害地域と被災者の数が多すぎて、主人公は栃木県の日光のあたりの仮設にひとりで住んでいるという設定です。 さらにその日光の仮設近くの森に、プテラノドンが現れるという展開もあるのですが、まぁ、プテラノドンはともかく、そしてそれが30年後なのかはともかく(例えば南海トラフ大地震が今後30年の内に発生する確率は実際70%以上もあるんですよね)、大いにリアリティを刺激する日本の姿であります。 そして2つ目の読解ポイントは、100歳前の作家の一人称という設定ですから、究極の生きる意味でしょうかね、やはり。例えばこんな部分。 「今日の自分は昨日の自分とおんなじように生きてる」という状態で漂っているということなんだろうなと思った。それで、「明日も同じように自分は生きているだろう」になると、別に不安にはならなくなるなと思った。「不安になる」というのは、体力を必要とすることだから、ボーッとしてりゃ不安にならぬ。過去、現在、未来が区別のつかないようになってしまえば、不安なしに永遠の雲の上を動く静かなホバークラフトに乗っかかったみたいに (あ、また指が固まった) 突然目を覚まして「行かなきゃ」と飛んで行くのはいいが、どこへ飛んで行くのだろう? いいな。目的がなくて、まず行動があるだけですむ人生というのは。人間はなんだって脳味噌などという余分なものを持っているのだろうか。私だって、朝起きて「あ、そうだ」と思ってそのままどっかに飛んで行けちゃう人生だったら幸福だと思う。 カナブンはどこへ行くのだろうか? ……。いかがでしょう。 なるほどこんな事を堂々と書くためには、確かに、100歳直前小説家一人称私小説くらいの設定は、必要な気がしますね。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2018.09.30
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『壁』安部公房(新潮文庫) 安部公房が最もシュールレアリストっぽくしていた頃の作品集です。 かつて私は、文学作品(特に長編小説)にシュールレアリスムは難しいと考えていたことがありました。(今でも基本的にそう思っています。) その理由は、言語芸術は「意味」からの離陸が困難だからです。 そんな「バイアス」で見ますと、この「壁-S・カルマ氏の犯罪-」ほどイメージが飛び跳ねたような、かつそれなりの長さを持ったシュールレアリズム小説(「壁-S・カルマ氏の犯罪-」は本文庫で約130ページです)は、その後の安部公房は書いていないように思います。 本書の構成を簡単にまとめますと以下の形になります。 第一部 「S・カルマ氏の犯罪」(130ページ) 第二部 「バベルの塔の狸」(72ページ) 第三部 「赤い繭」(4つの短編小説) 第三部の4つの短編小説もなかなか面白いのですが(かなりテーマがくっきりとした短編小説で、筆者は一時期共産党に入党していたようですが、それっぽい感じの作品群です。でも、イメージの鮮烈さと苦いユーモアはやはりかなり独特なものです。)今回はそれは少し置いて、前の2つの小説(短めの長編と中編)を比べたいと思います。 「バベルの塔の狸」は「S・カルマ氏の犯罪」の半分の長さですが、私は、こちらの方が作品としての縁取りがくっきりしていると感じました。いえ、それは短い故にそうなのかも知れませんが。 まず、「S・カルマ氏の犯罪」ですが、これは主人公が名前を失う話であり、名前を失うことで現実社会の中で存在権を喪失するという話です。 …という風にまとめますと、これは安部公房の全作品に流れる「永遠の不在証明」のテーマそのものであることに気づきます。この後に書かれたすべての公房作品の揺籃が本作だといってあながち誤りでないような、つまり、上記に私は縁取りがくっきりしないと書きましたが、そんなに簡単に輪郭(=大きさ)のはっきり見える作品ではないと言えるかも知れません。 一方「バベルの塔の狸」ですが、さてこの作品の魅力は何かと考えて私が思い至ったのは、結局のところ「とらぬ狸」の魅力じゃないかということでした。 作品冒頭で一人称の主人公は、自らを「ぼくは貧しい詩人です。」と自己紹介します。 そして「ぼく」が考えついた様々な詩的発想物(食用鼠、立体顕微鏡写真、液体レンズ、時間彫刻器、倒立式絞首台、人間計算図表など)が「とらぬ狸」を養い、「とらぬ狸」はついに「ぼく」の影を食べて「ぼく」の体を目玉を残して透明にしてしまい、バベルの塔に連れて行くという話です。 この一連のストーリーの中で、「とらぬ狸」は、そのシュールレアリスム的な発想力・想像力の素晴らしさをさんざん賛美するのですが、そして最後は、それゆえに「ぼく」を殺そうともするのですが、結局のところこれは安部公房の「詩との別れ」ではないでしょうか。 言うまでもなく、文学活動の初期に詩との決別をした小説家は、少なくありません。 島崎藤村もそうでしょうし、中野重治なんかもそんな小説を書いていますね。(これは閑話ですが、逆の形、つまり小説家をやめて詩人になったというケースはほとんどありません。なぜとも思いますし、当然だとも思いますが…。) 公房と同時代で有名どころのそんな作家を挙げれば、何といっても三島由紀夫でしょう。三島にも詩との別れを扱った「詩を書く少年」という哀愁漂う短編小説がありますが、公房も、散文を本格的に書き出す前に、極貧の中で「無名詩集」という詩集を作っていた、そしてそれは全く評価されなかったのは有名な話です。 「バベルの塔…」の最後で、「ぼく」は「時間彫刻器」を使って、「とらぬ狸」に影を食べられる直前の過去に戻ることに成功します。 そして、こんなラストシーンです。 顔を上げると、アカシヤのしげみの下に、とらぬ狸が坐ってじっとこちらを見ていました。あの朝と、そっくりそのまま同じ具合でした。やがて狸は静かに腰を上げ、にやにや笑いながらこちらに近づいて来ました。 とっさにぼくは立上り、手帳をまるめて投げつけていました。つづいて手あたり次第の小石を拾ってなげつけました。病的な興奮にかられ、狸が手帳をくわえて逃去った後でも、まだなかなか投げやめることができないのでした。それから急に死ぬほど腹がすいていることに気付きました。もう詩人ではなくなったのですから、腹がすくのが当然なのでした。 「ぼく」は様々な詩のアイデアが書いてある手帳を「とらぬ狸」に投げつけ、激しく興奮します。 そして最後に「腹がすく」とありますが、今回私は本書を読んで(多分今まで3、4回読んだと思いますが)、かなりいろんなところに飢えや貧困についての具体的なイメージが散りばめてあることに気付きました。 それは書かれた時代のリアリズムとしてのものでもあるでしょうが、「腹がすく」ことに意識的になることが、あるいは筆者にとって、芸術上のネクストステージのキーワードであったのかも知れません。 なるほど、この度本作が安部公房的「私小説」なのだと理解(誤解?)した私は、「とらぬ狸」の魅力と残酷さについても、なんだか身近にしっとりと分かるような気がしました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2018.09.15
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『ミーナの行進』小川洋子(中公文庫) はやいもので、小川洋子氏が『博士の愛した数式』を書いてベストセラーになってもう15年になるんですね。(ネットでちょっと調べてみました。以下の年譜関係の部分もみんなそうです。) そのベストセラー作品の、次の次の長編小説が冒頭の本書であります。 以前私は、作家のキャリアの中には、思いがけないヒット作が出てくる時があるのではないかということを、本ブログに書きました。 その時、二人の作家の2つの長編小説を例に取り上げたのですが、その一つが村上春樹の『ノルウェイの森』で、これについては村上春樹自身の、思いがけないヒットであり、さらに自分の求めるものの本筋の作品ではないというニュアンスの言葉があります。 でもねー、やたらに売れますとねー……。 中には、それまでの作品の持ち味やテーマなどが微妙に変わっていく作家がいるような気がします。さて小川氏はどうなんでしょうか。 これもネットで見ますと、小川氏は村上春樹などと並んでフランスでよく読まれるとあります。(村上春樹はもちろんフランスだけではないでしょうが。)私はさもあらんと思いましたね。 小川氏の作品の多くに流れる失われたものへの哀愁めいたものの底には、なにか存在そのものが持つ、小さくて冷たくて黒くて硬い、カチンと乾いた音のするようなものがあるように感じます。 この哀愁と硬質なものとの絶妙なバランスが、いかにも優雅と残酷に嗜好のありそうなフランスで受けたのじゃないかと私は思いました。そしてそれは、『博士の愛した…』もそうだったと思います。 さて『ミーナの行進』です。 私は、ベストセラー『博士の愛した…』の次々作の本書には、硬質なものがあまりない、あっても『博士の…』ほど有効に効果を発揮していないと思いました。 とすると後に残るのは、失われたものへの哀愁だけということになり、少しはっきり書くと、これはポピュリズムとセンチメンタリズムと、きわどい関係を持ちます。 例えばこんなところ。 私は邪魔にならないよう注意しながら、そっと彼らの間をさ迷い歩く。なのに必ず誰かが私に気づき、まるで三十年の月日などなかったかのようにさり気なく、「なぁんや、そこにいたん、朋子」と声を掛ける。「そうよ」と私は、思い出の中の人たちに答える。 ネットで本書の感想をパラパラと読んでいますと、このあたりの過去へのノスタルジーはほぼ絶賛という感じがします。そして、これは女流であるからかもしれませんが、そんな絶賛は、女性の読者にとても多いようにも思います。 実はもうひとつ読んでいて少し気になり続けたことがあったので、これもネットで探ったのですが(結構あちこちに行かなければわかりませんでした)、本書の初出はどんな形であったかという事です。(そんな情報は、普通本文の終わった後のページに書いてあるものですが、少なくとも中公文庫にはありません。) それは新聞小説でした。ただ毎日の連載ではなくて、週一回の、そして新聞一ページすべてが掲載一回分の連載であったという事です。 それがわかって私は一応納得したのですが、何がというとストーリーが重層的に進まず、エピソードの「羅列」のようになっていることについてです。 結局のところ、本作はよく使われそうなフレーズで言えば「大人の童話」なのかもしれません。 ここまで読めば、たぶんお判りいただけると思うのですが、実は私は本書をさほど楽しく読み進めることができませんでした。 ただ私は、自分があまり楽しく読めなかったことが、作品の客観的評価とは必ずしも重なるものではない(特に最近はわたくし現実社会に対する無知さ加減が拍車をかけ、世間的評価基準がズレまくっているような……)、ということは自覚しております。 そもそも私が「大人の童話」をさほど楽しく読めないことについては、坂口安吾の影響がありまして、安吾の「文学のふるさと」という一文のせいです。 この随筆はなかなかの名文で、確か高校の教科書にも載っている(載っていた)と聞きますが、例えば「赤ずきんちゃん」の童話には切ないようなものがあり、それはまがうことなき文学のふるさとであると書かれています。 そして安吾は、それをとても愛するが、しかし大人の仕事はふるさとだけにかかずらっているものではないとまとめています。 私は、昔に読んだこの文章の影響からいまだに逃れられないでいる、ということであります。 ただ、あまり楽しく読み進めることができなくても、筆者が本書において誠実に文章を綴っていることは感じました。 ネットの感想の中にも、文章が好きだというものがいくつかありましたが、ちょっと言葉を選びますが、小川氏の文章には、真面目な優等生が真剣に物事に取り組んでいる姿を彷彿とさせるところがあります。 そんな文章を読むことの楽しさについては、上記にあまり楽しめなかったなどと書いた私にも、充分快さをもって感じることができたのでありました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2018.09.02
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