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共働きのため、学童で遊ばせており、17時に迎えに行くことになっています。事件はなんでもない金曜日に起きました。りさが学童からいなくなってしまったんです。17時に迎えに行ったとき、先生も「行方が分からない」と。パニックになりました。ランドセルもなかったので、どうやら一人で帰ってしまったようです。車ですぐに家に行きました。でもいません。ますますパニックになりました。私は走って通学路を捜し回りました。主人にも電話して、主人は仕事を中断し、一緒に捜してくれました。18時過ぎ、さんざん捜し回った挙句、再び家に行ったら玄関にちょこんと座っていました。嬉しそうな顔をして私の元に歩いてきました。私は、彼女をはたきました。「何してるの!」そう言って怒りました。りさは驚いて大泣きしました。私も怒りながらも安堵の涙が止まりませんでした。主人が来て、私たちをなだめすかして家の中に入りました。学童に連絡すると、先生が仰いました。「今、学童の生徒や親御さんが校内や周辺を捜索してくれてますので、安心しました。無事を伝えて、帰宅してもらいます」。一時間以上もみんなりさのために捜索してくれたんです。我が家では、みんなで泣きながら夕食を食べました。夕食は主人が作ったカレーです。私は作る気にはなれませんでした。はたいたこと、怒ったこと、本当に正しい判断だったのか、夕食を家族3人で食べながら悩み続けました。りさは、泣きながら夕食を食べました。多分、褒められると思ったのでしょう。それが、急に怒ってはたかれた。その不条理を感じていたのでしょう。「みんなが心配するでしょ」。主人が何故私が怒ったかを説明してくれました。その夜は3人で布団を敷いて寝ました。りさは、泣きながらもやがて眠りにつきました。主人が言いました。「正しい判断だったと思うよ」。私はそれを聞いて、再び大泣きしました。初めて号泣というものをしました。捜し回って見つけてはたいた。その私の判断が正しかったと言ってくれる人がいる。この幸せに感謝です。号泣していると、りさが起きてしまいました。「お母さん…ごめんね」。そう言いました。「でも自分で帰ってこれるようになったよ」。そう自慢気に話していました。「そうね」。私は、娘の思いを受け止め、そして続けました。「お母さんが思っている以上にしっかりしてるのね。お母さんもごめんね、だね。でも心配したんだよ。みんなで捜したんだよ。」後はまた涙で何も言えませんでした。週末はりさの提案で、ホームセンターでお花をいっぱい買いました。そして、それを学童の玄関の花壇に植えました。月曜日、いつものように学童に迎えに行くと、りさはランドセルを背負って嬉しそうに走ってきました。先生がその後ろを走ってきて、「お花、ありがとうございます。好評ですよ!」と仰いました。「ありがとうございます…」私はそう言ってまた涙が出てきてしまいました。「みんなでお花に水をまいたの」りさの友達が言いました。りさは何を考えているのか分からないな、と思いました。ここまで予想して花を買いたいと言ったのか、ただ欲しかっただけなのか。とにかく、色々考えて生きている。それだけは確実に言えることです。これからも色んな考えを披露して欲しいです。でも心配させないでね。愛するわが子への2つの難問です。
2011年09月24日
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今までいろんなことがありました。特に小学校の時の通学は大変でした。りさは通学を嫌がって歩こうとしません。最初のうちは、父や母が車で送り迎えしていました。でも、両親に負担があると思って、私はりさをおんぶして毎日小学校に通いました。「ちゃんと歩いてるよ」、嘘をついていました。嘘をついて毎日りさをおんぶして学校に通っていました。集団登校でしたが誰も何も言いません。私は自分のランドセルを片手に持って、りさをおんぶして歩いて歩いて歩きました。そのまま、養護クラスまで連れて行きます。養護クラスでも先生に気付かれないように学校の手前でおろして歩かせました。そんな通学生活を一年くらい続けたころでしょうか。たまたま庭掃除をしていた校長先生におんぶしているところを見られてしまいました。「怪我したの?」そう問われて、「はい今日だけ」。そう答えました。でも校長先生は見ていたんですよね。毎日、学校の近くで妹をおんぶしている姿を。でも校長先生は両親には告げずに黙っていてくれました。後で仰いました。「子供のことは子供に任せる。それが信条ですから」。そんな生活に終わりが来たのは、なんでもないことがきっかけでした。学校で使う笛をりさが忘れてきたのです。おんぶしてる途中で笛を持った母が来ました。「何してるの?」。「りさが足が痛いって言うからおんぶしてるの」。また嘘をつきました。「うそつき!」母が言いました。「毎日おんぶしてるの!?」。言葉が出ませんでした。りさは泣きました。私の背中が濡れて温かくなるくらい泣きました。りさは降りようとしませんでした。なぜ歩きたがらないか分かりません。私は正直に言いました。「毎日おんぶしてる」。母はその場にうずくまってしまいました。こんな親不孝があるものか。私は深く反省しました。りさが重い口をあけて言いました。「みんな歩くの速いんだもん!」。それか、原因は。私は納得しました。今まで頑なに拒んでいた理由を言ってくれました。その日は、母と私がりさと手をつないで三人並んでゆっくり登校しました。遅刻しましたが、校長先生は笑って出迎えてくれました。「今日は遅いから心配しましたよ」。そう言いながら庭掃除を続けてらっしゃいました。それから、しばらくは母と私が手をつないでゆっくり登校することにしました。三人並んで色々おしゃべりしました。勉強のこと、友達のこと、運動会のこと、りさが色々考えてるんだなぁ、と思い知らされました。りさはりさなりに努力しているんだ!、そう感じました。りさが自分一人で歩くようになったのは、私が小学校を卒業してからです。それでもしばらくは母がおんぶしていましたが、父が言ったんです。「りさ、みんなと同じようにできなくて悔しくないか?親孝行しなさい」。りさは何も答えませんでした。意味分かったのかな?、という疑問もありましたが、次の日からりさは歩き出しました。自分一人で歩いたのです。母は手をつないで登校しました。みんなと同じ速さで、りさにとってはまるで競歩のように。母は帰ってきて泣いたそうです。「りさが歩いたよ。自分で歩いたよ」。父も満足げでした。明くる日、「もうお母さん来なくていい。一人で歩いて学校行く」。りさが言った言葉です。家族全員泣きました。力強かったです。その強い意思を感じ、誰も何も言えませんでした。りさは集団登校し、校長先生に言ったそうです。「これが親孝行ですか?」。校長先生はゆっくりと口を開きました。「そうだよ。最高の親孝行だよ」。
2011年09月17日
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喜ばしいことに、りさに従姉妹が誕生しました!その時のお話です。生まれそうという知らせを聞いてから、りさが夜寝てくれません! 学校でお昼寝ばかりして夜はしゃきっと元気いっぱいです。毎夜DVDを見ながら踊っています。「お母さんは寝てていいよ」。と言ってくれました。私は、毎日弟の奥さん(妊婦)の世話をしているので、いいのかな、と思いつつ、夜はぐっすり眠らせてもらいました。そんなこんなでいよいよ弟の奥さんが出産準備のために入院することになりました。その時です、りさが何と! 千羽鶴を持って病室に現れたんです。「どうしたのそれ?」、と尋ねると、「夜、お父さんと一緒に作ったの」。とのこと。DVDで踊るのは、私が眠りにつくまで。寝た後はりさと主人が一生懸命夜なべして作ってくれたと言うんです。私は泣。私の弟の奥さんも泣。「ダウン症じゃない子がいいね」。りさの言った言葉です。私はただ泣くばかり。「ダウン症の子でもいいよ」、主人が言ってくれました。「だってりさと同じだもん。かわいいじゃん」。今度はりさが泣きます。主人も男泣き。みんなで泣いてダウン症でもいいからとにかく健康な子供を産んで欲しいということで意見が一致しました。生まれてきたのはダウン症ではない普通の子でした。一番喜んだのはりさです。「ちいさーい!」、とはしゃいでいました。「りさ、名付け親になるか?」、と私の弟が言いました。「名付け親って何?」、りさが答えます。「赤ちゃんに名前を付けるの」。すると、りさが言いました。「私がそんな大切なことしていいのー?」。私の弟が答えます。「いいよ」。りさは何日か考え、名前を決めました。『千鶴(ちづる)』に決まりました。10歳の子が考えた割にはすばらしい名前です。お友達に千鶴という子がいたみたいで、その子に大変よくしてもらっているということで、千羽鶴も作ったし、同じ名前がいいと言ってその名前に決めたそうです。今でもあのときの千羽鶴は我が家の寝室に飾ってあります。私の弟から譲り受けたのです。千羽鶴を見るたびに思います。「私は、最高の家族に恵まれた。りさの優しさに対して私は何ができるのか。優しくもあり、厳しくもあり、そんな母親にならなくては」。時にはりさに厳しく接します。泣かしてしまうこともあります。「このくそばばあ」そんなこと言います。でも、りさはその後、必ず笑います。「怒ってくれてサンキュー」。そう言って笑うんです。この子の純粋さは誰に似たのでしょうか。私ではない。多分主人です。りさと一緒に夜なべして千羽鶴を作ってくれた主人。ちょっと怖いと言って出産の立会いを断った主人。彼の優しさがりさに遺伝したんだな。優しい家族と思いのこもった千羽鶴に支えられ、私はここまでやってきました。千鶴ちゃんの成長も楽しみです。りさもよく面倒を見てくれます。りさとその他3人の兄弟と主人と私。この6人の絆は強いですよー。すべては寝室に置かれた千羽鶴のおかげ。愛情のこもった千羽鶴、おすすめです。千羽鶴を見ると、ふとしたときに涙が出ます。それまでの緊張の糸がぷちんと切れるような感覚です。母は強くなくては。いつもそう思います。これからも厳しくしますよー。りさよ、覚悟しなさい!
2011年09月10日
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りさは若手お笑い芸人に、はまった時期がありました。何時何処でも「そんなの関係ねー!」。私の目の前で何度も繰り返して喜んでいました。そんなりさにユーチューブを教えてあげました。まだ入力の仕方が分からなかったので、次々に芸人の名前を言われ、言われるがままに検索しました。でも、りさは動画を最後まで観ませんでした。次々芸人の名前をいい検索させられました。最後には、芸人の名前が思い出せず、落ち込んでいました。色々出てくるのに感心したようでした。「楽しいの持ってんじゃないか」。うらやましがられました。「いつもこれやってるの?」と聞かれたので、「あんまりやらない」と答えました。「豚に真珠だな」。「りさ~、ことわざ知ってるの?」と聞くと、「ばあばにことわざカルタ買ってもらった」、と言っていました。「ばあばもやるときはやるよ」りさの言葉です。りさと私とばあばでそのカルタをやりました。りさは読むの専門。ろれつが回らないような言葉で頑張って読みます。ばあばは「もっとしっかり読んでやー」と言っていましたが、私は、最初の言葉ではなく、続きもしっかり聞いてことわざを推測して探しました。このときもりさは「そこにあるよ、そこ」なんて言って教えてくれます。「とろいなぁ」そんな言葉も浴びせられました。ユーチューブはその後大ヒット。りさのつぼに完全にはまりました。キーボードの「m」を押して、「も」と言っていました。ひらがなが分かるようになってきたので、ひらがなも打ちたそうでした。そこで思い切ってひらがな入力にして自分で打たせました。りさは俄然やる気になってきました。「面白いな、よくやった褒美を遣わそう」そう言って頬にキスされました。どんどんおませさんになっていくりさを見つめて心底感動しました。成長している。昨日より今日、今日より明日。すごくたくましく生きている。生きているんです。この奇跡は、障がいを持った方にしか分からない極上のスパイスです。この瞬間の喜びは何物にも変えがたい。「こんな経験ができるのもりさのおかげだよ」。そう言うとりさは「きもい」と言いました。このたくましさがまた頼りになります。何時までも元気でいて欲しい。そう願うばかりです。
2011年09月03日
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