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エアコンをつけた瞬間のカビくさい匂いにも慣れた。もうすぐ8月、セミの声、直射日光が肌を突き刺す、ノースリーブ。スーパーに入った途端、訪れる涼しさ、快適。また外に出る、暑い、不快。カーテンを洗う。窓を拭く。タバコを吸う。何かに依存したい。読書をする、眠たくなる、そして眠る。永遠の繰り返し、それでも私は日常を愛している、と思いたい。サガン「冷たい水の中の小さな太陽」冒頭に引用された詩に惹かれた。未知の彼女はぼくのいちばん好きなかたち、人間であることの悩みからぼくを解放してくれたひと、ぼくは彼女を見、それから見失う、そして ぼくはぼくの苦しみを甘受する、冷たい水の中の小さな太陽のように。ポール・エリュアール
2006.07.28
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最近、また読書をはじめたわけである。自分が死ぬまで果たしてどれだけの文学を知ることができるのか、時間は限られている。最近、そんなことばかり考えてしまう。日常の雑務、といってしまえば自分の日常行っている業務って何だろうということまで疑問は否応なく降りかかってくるわけだけれども、自分が今しなければならないことというのは、紛れもなく自分自身が選択してきたことなのであり、やはりそれは人生で必要なことで不可欠なことなのである。それをこなした上での限られた余暇の中で、私は文学を知りたいと思っている。今まで自分が生きてきた40年という長い時間に感じたことのない焦燥感、時間は年々早くなっていくのだ。フィツジェラルド「グレートギャツビー」野崎孝訳不思議とひきつけられる文章である。私はまだ本を読み始めたところで、多くの作家を知らないが沢山の本を読む読書家というのも憧れるのであるが気に入った本をじっくり2度3度と読み返し、味わっていく読書家というのも憧れるのである。もう一度読みたい、そんな文章なのだ。「ギャツビー、ぼくが心からの軽蔑を抱いているすべてのものを一身に体現しているような男。もしも間断なく演じ続けられた一連の演技の総体を個性といってよいならば、ギャツビーという人間には、何か絢爛とした個性があった。人生の希望に対する高感度の感受性というか、まるで、一万マイルも離れた所の地震さえ記録する複雑な機械と関連でもありそうな感じである。しかし、この敏感性は、「創造的気質」とえらそうな名称で呼ばれるあのよわよわしい感じやすさとは無縁のものだった。それは希望を見いだす非凡な才能であり、ぼくが他の人の中にはこれまで見たことがなく、これからも二度と見いだせそうにないような浪漫的心情だった。」
2006.07.08
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