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朝日が脳死移植で方針転換か?田中良太2009/01/22 大阪大学病院で心肺同時移植が成功した。これを報じた記事を見て、朝日はこれまでの臓器移植についての判断基準を変えた、と受け止めた。世界レベルで見れば、臓器移植はかなり行われているおに、日本では朝日に代表される慎重論、というより知見の浅い論理が横行し、移植は阻まれてきた。朝日の方針転換は注目に値する。 ◆「足りぬ臓器提供者」訴える朝日の記事 17日午後、大阪大学医学部付属病院(大阪府吹田市)で国内初の心肺同時移植手術が行われ、成功した。この事実を1面で報じた朝日18日付朝刊は社会面トップで、<心肺同時移植成功 待機の年月、やっと 足りぬ提供者>という記事を掲載している。 <国内初の心臓と両肺の同時移植を受けた患者は、幼いころから重い病に苦しんでいた男性だった。手術が順調に進んだのを受けて会見した医師たちは、ひとまず安心した様子。だが、提供者が少ない国内状況はまだ続く。>との前文を付けた。 ◆米国渡航移植なら1億円超える場合も 今回手術を受けた30代の男性患者のほか、03年米国に渡航して心肺同時移植を受けた愛知県日進市の55歳の男性のケースも書いて、提供者が少ない日本の現状を嘆く内容だ。 結びは<心臓移植を国内で健康保険を使って受けると費用は約170万円。だが、米国で受けると5千万~1億4千万円かかる。「資産を手放すなど失ったものは大きかった。でも移植を受けて良かった」と青山さん(日進市の男性)は言う。>という文章だ。 ◆朝日の方針転換? この社会面記事を読んで、「ようやく朝日も分かったのか」という気がする。こうした「臓器不足」の現状がどうして生じたのか? 朝日の責任が大きい、というのが私見である。朝日は今後、「臓器不足解消」を目指す方向で、この問題を報道していくという方針を固めたのだろうか? そうあってほしいと願いながら、今後の報道を注目して見ていきたい。 ◆行われていないに等しい日本の死後臓器移植 臓器移植に関心がある方はご存知だろうが、日本の臓器移植法は、移植のための臓器提供を極めて限定された場合にしか認めていない。このため臓器移植の件数は、世界各国と比較にならないぐらい少ない。他国なら救われているはずの人々が長期にわたる厳しい闘病生活を送り、最終的には亡くなっている。 ◆専門的知見を否定する医療の急先鋒 こうした事態をつくったのは、医学の専門的な知見を無視する「世論」であり、朝日はその世論の急先鋒だったのである。朝日の脳死論の典型は1991年6月15日朝刊に掲載された社説<脳死を死と認めたとしても>である。臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)が中間意見をまとめたのをきっかけに掲載されたものである。以下、その内容を引用・紹介しながら、私見を書く。<>内がこの社説の文章であり、その後の文章が、田中の見解である。 ◆「医学の越権行為」 <脳死はほとんどの場合、救急・終末医療のなかで作り出される。昔なら、呼吸が止まれば、まもなく心臓も止まった。いまは人工呼吸器が酸素を送るので心臓は打ち続ける。その結果、脳死が先にやってくる。この状態で死と判定するのが世界の医学界の潮流となっている。 臨調の少数意見も、脳死状態があることは認めているが、「それを人の死と認めよというのは医学の越権行為だ」と根本的な疑問をはさんだ。この問いかけが当たっているのかどうか。もっと議論を深める必要があると思う。> ◆素人の越権行為こそ問題 脳死は人の死というのが世界の医学界の潮流であることは認めざるをえない。それでも「医学の越権行為」という言葉まで使って、脳死を人の死とすることを認めたくない。その心情を最優先させて、脳死論を組み立てるという「宣言」であろう。 法的根拠があるのか、それとも慣習なのか? 死亡診断書を書けるのは、医師だけである。ほんらい医学界が、「死の定義」を心臓死から脳死に変更すれば、それですむはずだった。「死の定義」に医師でない素人が口をはさむことこそ、「素人の越権行為」であろう。 ◆「死の判定を早める」 <脳死を死と認めたとしても、それが正確に判定できるか、判定にあたる医者を信用できるか。この疑念は晴れていない。 その根底には、脳死が臓器移植と結びつけて議論されてきた経緯がある。心臓や肝臓の移植には、脳死の段階での真新しい臓器が必要だ。そのために、死の判定を早めるのではないか、という心配がぬぐいきれない。過去の和田心臓移植にみられた疑惑など、医療への不信があるからだ。> ◆すべての医師は堕落している? 朝日は医師不信も、むき出しにした。確かに「医の倫理」が問われるような、堕落した医師が多いのは事実だ。しかし日本には、先端医療にチャレンジしている医師は多い。そうした医師たちは、技術的に高レベルであると同時に、倫理面でも問題はない。医師を一緒くたにして、すべての医師が「倫理」を問われるべき、堕落した存在だという、歪んだ認識を活字にして恥じない文章である。 ◆起訴されるべきだった和田教授 和田移植の「疑惑」が強調されている。1968年8月、札幌医大で行われた和田移植は、臓器提供者の脳死を確認したのかどうか、疑問だ。提供者が生存中に、その心臓をえぐり取った疑いが濃厚だ。また移植を受けた患者の拒否反応を抑止する措置も不十分であり、もともと完治させる見通しのないまま行われた生体実験的手術であったとみられる。提供者、患者の2人とも和田寿郎教授に「殺された」といっても過言ではない。 この「事件」については、和田氏を起訴し、刑事罰を科すことこそ必要だったのである。検察は逆に、和田氏が医師免許を持っているというだけの理由で、起訴を見送ってしまった。 そのころの検察は、医師免許を持った人物が「治療行為だ」と主張した場合、違法性を問うことはできないという消極論で凝り固まっていた。この場合、和田氏の行った行為は、意図的な殺人とみなして殺人罪を適用するのが正しい選択だったはずだ。 「犯意」の供述がとれなかった場合でも、業務上過失致死罪の適用は可能だったはずだ。「医師免許」の存在で起訴を見送った検察の姿勢は、江戸時代の医師が匙(さじ)を拝んでいたという小話を思い起こさせる。 ◆江戸時代は匙、現代は免許を拝む? ある町医者が、神棚にさじを置き、毎朝おがんでいる。近所の人が「どうしてさじなんか拝むの」と訊いた。 「決まってるじゃないか。さじがなければ、オレはとっくの昔に人殺しで縛り首になってしまっている。こうして無事に生きていられるのも、さじのおかげだ」と答えたというのである。 落語の枕によく使われていた。医師免許があれば起訴しないというのであれば、現在の医師たちはさじのかわりに医師免許をおがむのかもしれない。 個人・和田の犯罪について刑事事件としての処理をきちんとしないから、医師一般への疑惑が高まった。和田移植の問題で必要なのは、検察批判である。検察の事件捜査について論理的批判の視点を持ちえないのでは、朝日論説委員の知性を疑いたい。 ◆世論がもたらした「信頼の欠如」 <今日の信頼の欠如を深刻に顧みることなく、法律での認知によりかかって臓器移植をやりやすくしようとする動きに懸念を抱く人もいる。単に法律で規定すれば問題が解決するわけではない。> 「信頼の欠如」は、世論によってもたらされている。新聞を含むオピニオン・リーダーたちは、日本でも他国並みに臓器移植が実施されるよう、医療に対する過度の不信感を払拭するよう努力すべきである。 ◆脳死認知で、末期濃厚治療もなくなる <脳死を認めることと臓器を提供することとは別の問題だ。脳死が人の死だとすれば、そのあとに医療費を圧迫するほどの濃厚医療を施すことは、むだなばかりか、人間の尊厳にかかわることになる。> 脳死を人の死とすることは、その後の「医療費を圧迫するほどの濃厚医療」を防止するメリットもあるということにならないだろうか? ◆ムダな論議は弊害ばかり <この脳死議論の間にも、国内での臓器移植を待ち切れなくなって、海外へ出かける患者が続出している。論議が長引くことが患者たちを突き放す形になっている。> ムダな論議は早くやめて、日本でも他国並みに臓器移植が実施できるようにすることが望ましい。 ◆「遺体に対する特殊な感情」 <臓器を提供したいという善意は生かしたい。この点では臨調委員の意見も一致をみているようだ。だが、脳死を社会的に公認したところで、提供者が出てきて臓器移植が定着することにはならないだろう。 遺体に対する日本人の特別な感情もあるようだ。医者と患者との対等の信頼関係を築いていくなかで、移植医療のあり方を考えてほしい。> ◆土葬から火葬へ転換した経験 何ごとでも「特別な感情」を克服して、新たな時代の要請に対応しなければならない。「遺体」の問題でいうなら、江戸時代末期まで100%土葬だったのに、明治以後、逆にほぼ100%火葬に転じた。公衆衛生の見地から、火葬への転換が奨励されたからである。この大転換を達成した明治の日本と対比すると、脳死・臓器移植を受け入れられなかった20世紀末の日本の内発的な「社会力」は恐ろしいほど落ちている。 ◆臓器移植国会でも同じトーン 朝日は結局、臓器移植法の成立(97年6月17日)まで、このトーンの社説を掲載し続ける。「臓器移植国会」開会中の朝日社説の日付とタイトルだけ、以下に掲げよう。 1997年4月8日 臓器移植法案を考える 4月17日 移植法案の採決は急ぐな 4月22日 改めて問う移植法の意味 4月25日 参院は移植法案で真価を示せ 6月6日 まず温かな医療がなければ 6月18日 移植医療は公開・公正を貫け ◆読売は「移植の道開け」 この段階で読売社説は、以下のようなものとなっている。 4月23日 国会は「脳死」移植に道を開け 4月25日 「脳死」移植へ衆院の扉が開いた 6月18日 1歩前進の脳死移植に残る課題 読売もそれまでは、朝日に追随して、脳死を人の死と認めず、臓器提供の条件を厳しくすべきだと主張していたが、臓器移植法案がまとまり、国会で審議される最終段階で、脳死移植に道を開くべきだという主張に転じていることが分かる。 読売と比較して、はるかに頑なだっただけに、朝日が方針転換と思われる記事を掲載したのは、注目に値するのである。
2009年01月24日
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78例目の脳死移植へ1月12日23時59分配信 時事通信 聖マリアンナ医大病院(川崎市)に脳腫瘍(しゅよう)で入院中の20代女性が12日、臓器移植法に基づく脳死と判定され、日本臓器移植ネットワークは移植に向けた準備に入った。同法施行後、脳死判定は79例目、移植は78例目。 心臓は国立循環器病センター、肺は岡山大病院、肝臓は東大病院、腎臓は北里大病院、膵臓(すいぞう)と腎臓を同時に九州大病院の患者に移植する方向で検討している。 初の心肺同時移植へ=80例目の脳死判定-兵庫1月17日12時4分配信 時事通信 兵庫県災害医療センターに頭部外傷で入院中の30代男性が臓器移植法に基づく脳死と判定され、日本臓器移植ネットワーク(東京都港区)は17日、移植に向けた準備に入った。脳死判定は80例目、移植は79例目。心臓と両方の肺は大阪大医学部付属病院の患者に移植される見通しで、国内では初の心肺同時移植となる。 男性は2008年4月、健康保険証の意思表示欄に脳死下で臓器を提供する意思を記していた。 心臓と両肺の移植が予定されているのは、肺高血圧症を伴う先天性心疾患の男性患者。肺移植の待機順位1位で、かつ同時移植の待機者だった。 ドナーの方、及びご遺族の方々ありがとうございます。そしてドナーの方のご冥福をお祈り申し上げます。
2009年01月17日
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肝臓門脈に制御細胞 京大准教授ら確認 新治療法に道肝臓の移植後に免疫抑制剤が不要になる「免疫寛容」の患者の多くは、肝臓の門脈の周囲に制御性T細胞(Tregs)が存在することが、京都大医学研究科の小柴貴明准教授、上本伸二教授、再生医科学研究所の坂口志文教授らの研究で分かった。移植された肝臓の「門番」として拒絶反応を起こす免疫細胞の攻撃を防ぐらしい。国際移植学会の学術誌「トランスプランテーション」で27日に発表した。 文部科学省が選定し京大とアステラス製薬が共同で進める「次世代免疫制御を目指す創薬医学融合拠点」での研究。 Tregsは臓器移植後の拒絶反応を抑えたり、自己免疫疾患の発症を防ぐ細胞。坂口教授がマウスで見つけ、攻撃的な免疫細胞の一つであるT細胞を抑える働きがあることを突き止めている。 小柴准教授らは、京大で生体肝移植を受けた患者の肝臓から針で組織を少量採取し、Tregsの存在を調べた。強い拒絶反応のため移植した肝臓を切除した患者は、Tregsが確認できなかったのに対し、免疫寛容の患者の肝臓は通常の10倍以上に増えていた。 Tregsは消化管から肝臓に入る門脈や肝動脈が集まり細い血管に分かれる「門脈域」に存在していた。肝臓に入る攻撃的な免疫細胞の活性化を抑えて拒絶反応を防ぎ、免疫寛容を導くらしい。 腎移植後に免疫寛容になった患者の腎臓にTregsが存在する可能性は報告されているが、場所の特定は世界初。小柴准教授は「Tregsはマウスだけでなく人の免疫寛容にも重要。Tregsを増やして臓器移植後の免疫寛容を導く新しい治療法を実現したい」と話している。
2009年01月05日
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ソウル【ソウル25日聯合】保健福祉家族部と国立臓器移植管理センターが25日に明らかにしたところによると、ことしの脳死による臓器提供者の数は、昨年より102人多い250人だった。 脳死による臓器提供者(ドナー)は、2002年が36人、2003年が68人、2004年が86人、2005年が91人、2006年が141人、昨年は148人と、増加傾向を示してきた。 ことしの臓器提供は1119件で、腎臓が469件で最も多く、肝臓227件、心臓82件、膵臓(すいぞう)21件、肺14件、小腸1件などとなっている。日本は100分の1くらいでしょうか?お隣では増えてるのに・・・ですよね。
2009年01月05日
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