とりあえず乗ってみた

とりあえず乗ってみた

2023.12.24
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テーマ: 鉄道(27817)
カテゴリ: 乗り鉄・東日本編







【クリスマス向けエッセイ「弱男の瞑想」】
ごく普通の日本を愛する日本人が異国行事に現を抜かすなよみたいな批評もあるが、クリスマスはそもそも西洋でも土着していた文化が湾曲して今に至ってる代物だ。

だから本来クリスマスに形は定まってない。

故に別に律儀に冷めたチキン食べて醒める必要もないし、バカみたいに潰れたケーキを食べて肥える必要もない。

焼き肉屋で牛肉食いまくってパフェ頼んだ方がうまい。

そもそもなんでクリスマスに安い南米かタイ産の鶏肉加工食品とか食わなきゃいけないのか?

ダイエットブームで皆いつも鶏食ってるのに特別も糞もない。

何より俺に関しては誰か伴侶や子どもがいるわけでもないし、一生そうした予定が出来ることはない。

尚更クリスマスとかの行事に何か盛り上げたりする必要は無い。



故に俺は浅草が憎い。

多分11月下旬に貰ったインフルは浅草で貰ったような気がするからだ。

まぁそれはさてき、そんな訳だから俺は親に孫の顔を見せることも一生無い。

一方で親もそうした事を望んでいない。

俺の目の前で語る口先ではだが。

ただここまで来ると自己との葛藤だろう。

現に持たざるという現実に悔しさ卑屈さが全く無いと言えば嘘になる。

だが仮に奇跡でも起きて持てた所で、どうにかなるのかという疑問もある。

ハッキリ言って俺単体で世帯を維持出来るだけの経済力は無い。

二人三脚出来る層は、既に俺と同年代なら大半籍入ってるのでハッキリ言って居ない。

少子化してるんだから当たり前だ。

そもそもこの国は女を偶像として神格化し過ぎている。



それを例えるなら電車は大好きだが絶対に鉄道会社の正社員にはなれないタイプの害悪撮り鉄と、口先だけの労いを非正規や委託駅員に軽々しくかけ鉄道会社というのは偉いなんてうわべだけ崇拝する鉄道オタクだ。

そんな者達まみれの現代社会の中、仮に天地が引っくり返って子どもを持ち孫として親に会わせた所で、俺の両親は周りの富裕層ジジババのような可愛がりや孫の世話が出来ないことを理解している。

ジジババにとって孫とは可愛いモノみたいな話があるが、今も昔も表で悪目立ちするジジババなどはこの薄汚れた人類社会で長寿してきた生の歪みみたいなものだ。

良い者達とは彼らと同じ時を生き、社会に無惨に搾取されて死んでいった顔も名も知らぬ仏達に過ぎない。

今の一部の氷河期達の悪目立ちも、いい氷河期達は劣悪な社会でこの世から大半消えたからだろう。



一部の子持ちが独身者を詰り、一部の弱者男性ないし弱者女性が更に他の弱者男性ないし弱者女性を詰るのもそうした負の連鎖の一つでしかない。

持たねば比べ、持てても比べ、望み妬み僻み増長してゆく。

美しく十代二十代で有終の美を飾れなかった者達の醜き様は、俺もそうした年齢社会へ更に突入してしまった事を教えてくれたのだ。

虚しいがそれが現実だ。

そんな惨い現代社会の中を電車というのは決められたレールに添って目的地に進んでいく。

とある罪人が決められたレールに添って生きる事への反感を述べたみたいな話をうろ覚えで記憶しているが、そもそも人生にはレールなど無い。

本当にレールに添って生きているなら、大半の人間はミンチより酷い状態になる。

だが現実にはどれだけ黄色い線踏み越えるようなクソ危ないホームへの集(たか)り方してる撮り鉄連中が合挽きミンチになったみたいな話を俺は聞かないし、死に様を晒すスマホバカの撮影した牛ミンチ画像も令和の成熟したインターネッツには出回ってこない。

それが現実というモノであり、それくらい世の中とは非情で血も涙もない。

人生にレールがあるなんて主張は結局の所ネグレクト世帯で育った弱者ですらない愚者達の、自己愛から生じた破滅願望の類がでしか無いのだ。



どんな人間も電車とは一つになることは出来ない。



寄り添うとか救済とか言いながら何もしない権力者達の嘘を鵜呑みにせず、自分の手足で進める限り進む他無い。

自分を救えるのは自分のみだからだ。

故に愚者達の足の引っ張り合いに、例え弱者男性であっても巻き込まれない様に生きる。

それでも引っ掛けてくるようなら骨砕く勢いでその足を踏みつけ突き進むのだ。

故に俺はこれからも電車というものに………………乗っていくのだろう。






【新幹線こまちに乗ってみた】
10月に実家帰省し帰路を在来線特急で考えていたのだが、分かれ際の喫茶店とかでのやり取りとか駅までの交通状況が押していたので結局新幹線を使うことにした。

知っての通り、新幹線こまちは本来秋田へ向かう新幹線だ。

しかし東京~盛岡間は行きも帰りもはやぶさと連結している。

グランクラスが無い点や盛岡以降にはいけないと言う欠点があるが、それを特に考えなければはやぶさと似たような感覚で乗ることができる。

更に途中乗車のこまちにはやぶさにはない強みが幾つかある。

それを幾つか紹介しようと思う。


↑車窓にこれと言って何か映るわけではない。東北新幹線は移動に特化してると思う。


【座席配置】
はやぶさの指定席は3×2に対しこまちの座席は2×2。若干こまちの方が小さい車両だが、並んで座った際の圧迫感がはやぶさより若干少ない。また座席も若干はやぶさより柔らかい気がする。

ただし座席シート幅がはやぶさより狭いというデメリットがある。

個人的にはあまり気にならなかったが高身長とかガタイが良かったりするとデメリットだろう。

また家族連れだとやっぱり座席が多いはやぶさの方が良い。

一方でこうしたこまちの特性はソロ客にはすべて強みになる。

極端に広すぎる空間が無いので、落ち着きやすいのだ。


↑身軽にした割にはガチャガチャ袋がかさんでた。おみやげ紙袋多いとやっぱりはやぶさの方が良いかも知れない。



【はやぶさより空席が多い】
シンプルに繁忙期以外ははやぶさと比べると空席が多い。これはみどりの窓口で仙台~東京の切符を買うと大概はやまびこかはやぶさになるからだ。

またはやぶさのシートが3×2の関係で事前に空席を確認してはやぶさの座席を確保しても、複数人グループ客とかが空いてる通路側座席に一人入ったりする事もある。 

こまちはシートの関係もあってそうした事が少ない。

せいぜいあっても似たようなソロ客が来る位だ。

故に仙台~東京で直前にえきねっとでこまちを予約し乗った際に隣の座席が空席のままならほぼ確実に相席される事はない。

仙台の次は大宮だからだ。


↑コンセントは窓側のみ。ここははやぶさと同じ。


【車内販売が回ってきやすい】
はやぶさ同様にこまちにも車内販売が来るが連結してる両数が少ないので回ってくるのが早い。仙台~東京間でも余裕で買える。


↑申し訳程度の秋田要素。



乗り心地そのものに差異は無く、空間の違いにどれだけ差を感じるかどうかがこまちorはやぶさを選ぶポイントにもなりそうだ。

秋田方面行くなら否応なしにこまちだが。

行きに秋田に向かわないのにこまちを使うと迷惑になると言う話もあるが、帰りの場合でしかも仙台まで来て空席を埋める場合はあまり迷惑にはならない。

そもそも行きでもこまちの空席率は高い。

東北は人口減少や少子化の影響を受けているため人が純粋に少なく、観光客や帰省が重なる年末などの繁忙期以外はこまちの両数でも割と過剰輸送になりがちなのだ。

ただし最近は都市部居住者の地方回帰だとか色々進んでいる様な気がする。

東北や西日本では俺と同世代のゆとりとかZ世代中心に出生率の改善も見られる気もする。

今年は減少したが来年は出生率も改善すると思う。

何故ならまだコロナ禍抜け出したばかりだしな気がするからだ。

あと十年位したらこまちの空席事情も懐かしいものになるような気がするので、今の東北だからと悲観する必要はない気がする。

寧ろこれからは東北の時代な気がするからだ。

だからもし東北に行く用事があったらこまちの指定席はオススメだ。





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最終更新日  2025.08.29 00:00:37
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