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2017.02.13
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カテゴリ: 探訪 [再録]

                                                                                           [探訪時期:2015年11月]
即成院と雲龍院を探訪した序でに、 泉涌寺周辺を思いつきで散策 してみました。泉涌寺の境内自体は以前に訪れたことがあり、別の機会にゆっくりと拝見することに。周辺を歩いたことがありませんので、そちらを優先することにしたのです。
その散策結果のご紹介です。

雲龍院を出て、坂道を下ると、途中に見えたのが冒頭の写真です。広い道が整備されています。御陵がありそうなので訪れて見ることにしました。ここは初めてです。

奧に進むと、御陵の垣根があり掲示が出ています。

守脩親王、淑子内親王、朝彦親王という3陵墓 が並んでいるのでした。
後で調べてみると、幕末から明治時代の皇族です。梨本宮守脩 (なしもとのみやもりおさ) 親王、桂宮淑子 (かつらのみやすみこ) 親王と称するようです。幕末の動乱期において、三条実美と結びついた長州藩の尊攘派が宮中において力を増す中で、公武合体派が巻き返しを謀りました。文久3年(1863)の「八月十八日の政変」と称される事態です。宮中からの長州藩排除について孝明天皇から内意を引き出したのです。このとき 公武合体派として公家側の立役者となったのが、朝彦親王 だったそうです。 (資料1)




泉涌寺大門に至る道路まで下ったところで、西方向にあるのが、 「賀陽宮墓地・久邇宮墓地」 です。こちらは、稲荷山を起点にして、東山トレイルを歩き泉涌寺大門の前に行く途中で幾度か眺めている御陵です。この柵のそばを通りすぎるので、こちらのことは知っていました。調べてみると、かつての皇族となる宮家です。1947年以前の伏見宮家の血統に属する傍系皇族に位置づけられた11宮家のうちに入るようです。 戦後の皇室は大正天皇の子孫に限定 されています。 (資料2)

大門を通り過ぎ、泉涌寺の外周の北側を歩いたことがないのでまわってみました。

道路沿いに歩いていて、外から眺めた泉涌寺の仏殿(右)と舎利殿(左)の全景

境内の外周を回り込んで行くと、御寺の後方つまり東の山側になります。

ここにあるのが、 「孝明天皇 後月輪東山陵」 です。宮内庁の陵墓説明板には、 「英照皇太后 後月輪東北陵」と併記



この陵墓の北方向に幅広い坂道があります 上って行くと、途中に「後白河天皇観音寺陵」と宮内庁の説明板が立っています。 ここまで来たので、陵墓前まで上ることにしました。



急な石段の上に、 観音寺陵

後は坂道を下るだけです。 泉涌寺周辺の地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

また、 泉涌寺の公式サイトの「泉涌寺境内略図」もわかりやすいかも知れません。こちらからご覧ください。

坂道を下る途中で、再び泉涌寺の境内が見えるスポットがあります。

境内の中、舎利殿の奧は、再び築地塀で囲まれた門があります。 唐破風の御車寄が見えるのが「御座所」の建物 で、その右に方向の 入母屋造の大きな建物が「霊明殿」 のようです。

          仏殿の側面を遠望した景色と屋根のズームアップ


大門から回り込んできた道とは別の道に右折し進むと、 「善能寺」の門 が見えました。

山門から境内を眺めると、本堂は工事中でしたので、境内に入り近づくのは遠慮しました。一宇だけで境内は広々としているように見えます。

「本堂祥空殿は昭和46年(1971)7月3日北海道横津岳において遭難した『ばんだい号』のご遺族谷本庄蔵・輝子夫妻が時の藤田俊教住職との法縁に基づき航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願して建立寄進されたものです」 (駒札より)
 建築家大森健二博士の設計で、昭和47年(1972)11月に竣工されています。

門から見て、左斜め前方には巨大石の石組みが見えます。後で調べてみると、これが 本堂前にある「三尊石」 です。 この三尊石には、俳人荻原井泉水が航空殉難者のために詠んだ手向の供養の句が刻まれている のです。 (駒札、資料3)
   南無観世音 藤はようらく 空に散る
写真を拡大して見ると、左の大石に刻まれています。

本堂の周辺に 本堂が竣工した 昭和47年に重森三玲作庭による「仙遊苑」 があるのです。地泉鑑賞式で一部枯山水の庭だそうですが、境内に入らなかったので、拝見を逸しました。三尊石もその作庭の一部のように思われます。今度機会をみつけて、再訪してみたい所存です。「この庭に使用されている百二十余の阿波石は、徳島の西尾秀蔵氏より寄進され、また作庭は、日本航空・東亜国内航空両社の寄進によって作られた」といいます。 (資料4)

一方、右方向には、 稲荷大明神を祀る社 があります。

このお寺、 もとは八条油小路にあって二階観音堂と呼ばれていた のを、弘仁14年(823)に弘法大師が稲荷大明神を祀る寺として善能寺と号されたそうです。二階観音堂には聖観音が祀られていて、 稲荷神の本地仏が聖観音だとか。そのため、ここが日本で最初に祭られた稲荷大明神となります。
日本史の年表を見ると、「823年 空海、東寺を賜う(教王護国寺)」と記載があります。東寺の建立にあたり、建物の材木は稲荷山から調達したそうですので、稲荷大明神を祀るという関係が納得できます。
「天文24年(1555)、後奈良天皇の論旨によって泉涌寺の護持院として当山内に移り、稲荷信仰として栄えたが、今はひっそりとして訪れる人も少い。」 (資料4) このことから善能寺が泉涌寺の塔頭と位置づけられる経緯が私には理解できました。泉涌寺は寺伝によると天長年間(824-34)弘法大師空海がこの地に一宇の草庵をむすび、法輪寺と名づけたのが起源だといわれているので、その開基時期の関係に戸惑ったのです。 (駒札、資料3,4)
善能寺は 「洛陽三十三所観音」の第十八番霊場 でもあります。


「善能寺」の前の道の傍を川が流れていて、石橋の架かる山門があります。

近づくと、そこが 「来迎院」 です。

「泉涌寺の塔頭で、藤原信房が泉涌寺の第4世・月翁 (げつおう) 和尚に帰依して一院を興したのが始まりと伝えられる」 (駒札より) お寺です。時代は鎌倉時代で、月翁律師が来迎院の開山とされています。

山門の左の柱には、 「大石内蔵助ゆかりの遺跡 含翠茶庭」 という木札が掛けられています。茶室・含翠軒は赤穂浪士大石内蔵助良雄の建立と伝えられているそうです。大石内蔵助は山科に浪宅を構えていたのですが、「寺伝によれば良雄は表向きは山科に閑居しているとみせかけ、実際は当院でその大半をすごしたといわれている」 (資料3) のです。
雲龍院に「龍淵」という大石内蔵助良雄筆の書が残されているということに触れています。ここに茶室を寄進し、大半をここに居たとすれば、ここの地形を考えても、茶室で討ち入りの密議をしたということも頷けます。 来迎院が大石の念持仏とされる勝軍地蔵尊や赤穂浪士に関する遺品を多数蔵している という説明も頷けます。 (駒札、資料3)

今回は境内を拝見するだけでにして、庭園は別の機会にまたゆっくりと拝見することにしてスキップしました。

来迎院は山腹にありますので、山門の正面は真っ直ぐに石段があり、その上の高みにお堂が見えます。

石段の上にあるのが 「廣福殿」という扁額が正面に掛けられた「荒神堂」 です。
三宝大荒神坐像(重文) が安置されています。写真を見ると、寄木造、玉眼入、極彩色で唐風の衣冠を付けた木像です。この種の木像では我が国唯一だとか。脇侍として木像護法神立像五躯も安置されているそうです。護法神立像はいずれも高さ70cm、寄木造、極彩色、玉眼入で、火焔髪を有し、上半身裸形の武装した荒神だといいます。 (資料3,5)

三宝とは仏・法・僧をさします。この三宝を守護する神が三宝荒神で、清淨な火を愛する神だそうです。そこから古来、民間では竃 (かまど) の神として信仰されてきているのです。 (『日本語大辞典』講談社、資料3)

来迎院は、古くは皇后宮の安産祈願所とされてきた ことから、一般には 安産守護の神としても信仰されているようです。 これに因んで、 「胞衣 (えな) 荒神」 とも呼ばれるとか。 (資料3,5)

唐破風屋根・向拝の右の柱には上記 「三宝大荒神」の木札 が掛けられ、左の柱には 「布袋尊奉安」の木札 が掛けてあります。荒神さんの傍に、七福神の布袋尊が祀られているのです。 この泉涌寺の「泉山七福神巡り」の布袋尊にあたります。

来迎院の仏像は、こちらのページをご覧ください。


向拝の蟇股と笈形
木鼻
蟇股の透かし彫りが割と簡素ですが、その上の笈形は大瓶束の両サイドは草花の意匠で彫られています。見ようによっては、大きな目がこちらを見ているようにも見えて、おもしろい感じです。木鼻も割とシンプルなデザインです。斜め上にぐんと伸び上がっているところに特徴があるように思います。

屋根の軒を支える手挟(たばさみ)に彫られた瑞鳥の造形に惹かれます。


荒神堂の傍には、 石造船形の上に数多くの布袋像が奉安されています 。信者の皆さんの祈願が込められているのでしょう。
 境内に朱色の鳥居が立つ社があります。

小社を拝見すると、 「三宝大明神」の扁額 が屋根に掲げられています。


境内の一隅には、 弘法大師空海の立像 が安置されています。手前には「祈願の御石」が積まれています。
銅像の向こうに見える角柱が
 これです。 「弘法大師独鈷水」 と刻されています。


その傍に、小社が祀られ、片側に石像群が祭られています。
弘法大師が独鈷 (仏具の一種) を以てうがち霊水の井戸を掘り当てられたという場所 です。 洞窟のような形状の横井戸になっていると言います。 柄の長い柄杓で霊水を汲み上げるとのことです。弘法大師修行場を伝える遺跡の一つでもあるようです。 (資料3,6)
「霊元天皇に仕えた女官、小少将局の娘は生まれつき目が不自由であったのですが、この独鈷水で目を洗えばよいという霊告を聞いてそのようにしたところ、たちまちみえるようになった」(資料6)という伝承があるようです。


荒神堂のある境内地より一段低く、弘法大師像と同じ境内地ですぐ近くに 本堂 があります。
山門側から眺めた本堂
本尊は阿弥陀三尊像 が安置されていて、ここに大石内蔵助が念持仏としていたという 勝軍地蔵像 が安置されているそうです。また、霊元天皇(第112代:1663~1687)の念持仏である 幻夢観音菩薩像 もこの本堂に安置されているそうです。この観音像には、霊元天皇が寵愛された小少将局に関わった霊夢譚が残されているようです。上記にご紹介した「来迎院の仏像」のページをご一読いただくと良いでしょう。


本堂の前方、石段に向かう参道の傍に 宝篋印塔 が建立されています。その向こうに見えるのが祈願の御石の積まれた場所です。これで位置関係がご理解願えるでしょう。


最後になりましたが、山門を入り、左折して石畳を歩むと、 含翠茶庭や茶室・含翠軒 を拝見できる建物の方向になるようです。ここは次回の楽しみとして、山門脇から写真を撮るにとどめました。

思いつきでの立ち寄りでしたので、場所を確認した段階というところです。
改めて、ゆっくり探訪の対象地にしたいと思っています。

この後、経路の途中ということで、今熊野観音寺に少し寄り道してみました。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 守脩親王墓、淑子内親王墓、朝彦親王墓  :「京都通百科事典」
2)  かつての皇族たち~11宮家の人々 :「日本史の部屋」(ハピネス)
3) 『昭和京都名所圖會 洛東-上』 竹村俊則著 駸々堂 p79
4) 見学 泉涌寺(せんにゅうじ)の文化財  :「京都林泉協会」
5) 来迎院  泉涌寺 山内寺院の紹介  :「御寺 泉涌寺」
6) 弘法大師独鈷水   :「来迎院」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
御寺 泉涌寺  公式サイト
重森三玲の庭園 その9 泉涌寺 善能寺 仙遊苑  :「はーとべるツアー」
善能寺 仙遊苑  :「exciteブログ」
泉山 善能寺  洛陽三十三所観音 :「京の霊場」
泉山七福神  年中行事 :「御寺 泉涌寺」
来迎院(泉涌寺塔頭)  ホームページ

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Last updated  2017.02.15 22:07:05
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