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友人に、誕生日おめでとうと書いたはがきを送りました。でも、返事はこないでしょう。そういう人なので、仕方ありません。以前、珍しく友人からきた手紙の中に、私のからの便りを読んだ時はなんとも思わなかったけれど(アクシデントがあって)じんわり来た、という趣旨のことが書かれていました。私は、友人から手紙が来たら、すごく嬉しいです。でも、その友人は、きっと「ああまた来た」というだけなのかな、と思いました。手紙(はがき)の内容は、相手の状況がわからないので、あたりさわりのない月並みなことしか書けません。そんなこともあって、彼女にとって私の手紙はダイレクトメール並なので返事を書く必要がない。そんな風に思われているのかもしれません。彼女から返事がなくても、仕方ないと思ってきました。これは私の自己満足だと。例えていうと、植物に水をやる感じです。この友人関係を枯らさないように、時々水を与えようという、自己満足の行為。でも相手が「手紙が来て嬉しい」という感じではないのだとしたら、水のやりすぎかもしれません。友人は、きっとそんなに水をやらなくてもいい植物のタイプなのでしょう。でも私は、何年も会っていなくて、近況もわからなくて、年賀状のやりとりだけだと、久しぶりに会った時はほとんど初対面の人と同じじゃないのかな、と考えるのです。それが不安だったのです。私が、友人関係にしがみついていたんですね。友人は、向こうが私を必要とした時に、ふいに連絡をくれるんだと思います。出産祝いに(私的にはかなり奮発して)○○を贈りたいと思っているんだけどと相談したところ断られたので、それでも喜んでもらえるようにといろいろ考えて普通レベルのお祝いを送りました。そして、数年後、その○○を買ってくれないかなぁ、と連絡がきてびっくりしたことがあります。私は万年金欠病なので、(あの時はなんとかなったけど)今は無理やわ~、と断りましたが。お互い生活環境がちがってきて温度差がでてくるのはしかたがありません。だからこそ、少しでもそれを緩和しようと思っていました。でも、これは、私の不安感のためのしがみつき、なんでしょう。返事をくれない。都合の良い時だけ連絡してくる。そんなことに私はモンモンとしている。でも、それを訴えて、私の望むように行動することは彼女にとって負担になるでしょう。相手に負担を強いるのは、この場合、おかしい。私は、私の中の彼女を開放しなければいけません。それで、疎遠になったとしても、それは仕方ない、のでしょうね。私は、この植物(友人関係)を大事に育てようと、季節を見て程々の水やりをやってきたつもりです。もう、十分できることはやってみたので、水やりはやめます。この後枯れるかもしれないし、もしかしてかえって元気に育つかもしれません。ただ、元気で幸せでいて欲しいといつも願っています。
2011年02月15日
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先日、夫が出張で、ひとり夕飯でした。簡単なシチューを作りました。夫はホワイトシチューが好きではないので、ふたり夕飯の時には作らないものをつくろうと思いつきそれはいいアイデアに思えました。いいアイデアだと思ったですが、ただどうしてもひとり分を作るのは面倒くさいと思ってしまうのも事実。その面倒くさいを振り払って作りました。ちょっと多めになってしまったけれど。それで、出来上がったらちょっと味が薄かったのです。でも一皿目はそのままでぺロり。さておかわりです。お鍋にある分の味を調節することも可能です。でも、面倒…。そのままでもいいや…。どうせ食べるの私だし…。だめですよね。この思考。夫がいたら、少しでもおいしく食べてもらいたいので味を調整します。他者にはするのに、自分にはしない。あかん!あかん!と台所に立って味を調整しました。一皿目よりおいしくなりました。自分の中の面倒くさがりな面と自分を大切にしない面。小さなことですよね。でもこれに侵食されているのです。同じような小さなことを、何度でも修正しこうと思います。自分をしつけなおします。幸せになるために。
2011年02月03日
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