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何かを書きたいとか、言う欲が消えてきた。現実を生きると文章にしている暇が無いな~。
2006年10月31日
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私の夢の中に、心理療法士になりたいという夢がある。実践的な療法を身につけたいと思っている。数学の教師で休職中の友達は躁うつ病、という事になっている。実際、分裂病、躁うつ病と大きく分かれている、二つのくくりで、薬を用いる以外治療は日本では殆どなされていない。入院は薬と生活療法といえると思う。本当の躁うつ病、分裂病は薬の補助で大分軽快するが、心の痛みから来た、病気は薬では治らない。そして、直る見込みを感じるのはこうした、外部からの原因がストレスに成って発病した人を心理的に本人さえ、気がつかなくなった、心の痛みの治癒を助けたいと思っている。今日、数学のレッスンを受けた。彼は、教えながら、生かされた感覚を覚えた。心がかなり落ち着いた態度を取ってきた。彼は数学は生きていく上で役に立たないと思っている。授業は、殆どの学生が眠っているようだ。2.3年周期で発病してしまう。学生が眠ってしまう教室は彼を充分傷つけているが、彼もまた、数学というものの必要性を私を教える事で学び取って欲しいと企てている。生徒を眠らせない強さを身につけて欲しい。
2006年10月26日
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心というのは、脳による判断の反応の総称だ。予想外に、守りの甘いところに、突き刺さる言葉などで、反応が悪くなる。実際、痛いとかだるいとか、苦しいのは身体的に苦しいのだ。ドンナ場合にも、攻撃者の受け止めをやめて、自分で癒すしかない。1に睡眠。2に食事3に快便。長い間、下痢が続いたが最近落ち着いてきた。しっかり、食事を取る事で、下痢していたが、痩せもせず、無事心の傷は癒えたようだ。副産物として、緊張状態だった気持ちが落ち着いた。どうにでもなれ、と開き直ったのが落ち着きを生んだようだ。しかし、未だ少しだるいな~。少し怠惰なくらいが落ち着いているのだろうか?なわけないな。時間はもう少しかかりそうだ。
2006年10月26日
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以前、植木鉢を写真に載せた。水曜日は、2時間ほど、ろくろで、陶芸作品を作る。素人芸だが、実用的なものをつくろうとする。現在、電子レンジで作るスープ用の大どんぶり製作中。一時間半かけて通うがナカナカ面白い。焼き上がりは、2割ほど小さくなるので、大きめに作るのがコツ。前回気持ちがまとまらず、粘土に戻した。水を張って保存した所為か滑らかな土になっていた。10キロ600円の土らしい。ふんだんに使わせてくれる。土の良し悪しはわからないが、上薬で、色が楽しめる。植木鉢を作ったつもりが・・・・・。上薬で、底穴がふさがって器になってしまった。結構きれいな色なので、食器に使ってみようかともおもう。写真はいつか纏めて、載せようかと思う。
2006年10月25日
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と、祈った。滅多に無い事だが、この数日夢見が悪い。場所を変えて寝てみてもすっきりしない。目覚め際に、何かに乗り遅れたような焦燥感。50年近く生きていると、それは体からのSOS。家でゆっくりする。とはいえ、昨日から保温水筒に小豆をつけていたのを思い出す。机の上の、捨てていいものを選別するなど。(使えるけれど、使わないものは捨てる事にした。)そして、放送大学の穏やかな声を耳にしながら、まどろむ。「神様。お願い、助けて。」こうこころでお願いするときは相当具合や、気分が悪い。お祈りの所為か、今は、文章を更新できるほどに回復した。神様有難うございます。ディア・コスモスだ。(神をコスモスと呼ぶのは私の勝手なので、嘘だとか言わないように)
2006年10月23日
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先の日にバーシモン大ホールで発表会が終わってから、ゴスペル熱が醒めた。歌うときに体がついていかない。脱力感でいる。今日、区民祭で小学校の体育館で歌った。慣れてくると、少しも上手に感じないのだが、反応を見ていると他の出し物より、観客の反応がいい。少し身を入れて歌う。やはり、40人近い人間の数の力だとおもう。
2006年10月22日
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計算できないがそれくらい前だ。こんなものは、これ一点だが、(8枚組みの一枚)昨日、の話。「なんだか、広島の絵みたい。」という感想。それに対して、「どんな死に方をしても、生まれ変わる前は一緒なんだよ。」と答えた。母が亡くなった時、身につけていた、ブレスレットに残留思念が残っていてこの映像を見た。そして、生まれ変わった場所が、現在より過去だった。丁度、彼女が生まれた頃。それで、私は生まれ変わって他の人間になるならまだしも、もう一回自分をやるのは面倒だと思っている。悔いの無い人生を送って、生まれ変わりをしたくないのである。
2006年10月20日
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写真を見て書いた。写真と絵のちがいは、絵は実際のものを目で見たまま書くのではない。どういう構造で猫に見えるのかを書く。陰影で考えると、写真のほうが優れている。昨日、「絵は引き算で書くってどういうこと?」のような質問が有った。目に映った、「余計な物を省いて世界を描く」という事だよ。と答えた。写真は情報が多すぎて、猫の目以外の形は漠然としている。絵を描く時は、ここから、足が出てとか、体が大きく見えるけれど実際には頭の3倍の長さか~。立体の三角形の見え方とか、円の影、横からの影と上からの影、色んな集合の情報で描く。陰影と色で、全ての情報を描くなら写真のほうが優れている。そして、見る側も猫の写真と可愛いと思うがドンナ肢体をしているかは把握できない。
2006年10月20日
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2006年10月20日
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実際、絵の限界を感じてへこんでいるところだった。友人に連絡しないまま、もし偶然あえたら、と手に持っていた。友人というより、飲み仲間なのだけれど・・・・。いつも、違う席で、常連か客の総数が多い店。同じ人と隣り合わせになる事の少ない。でも、お互いに顔を見知っていたり話している場合は多い。酒を飲んでるから、ほぼ忘れている。が、何かの拍子で思い出す。「何もっているの?」「楽譜、それと・・・・」彼女は、トイレに立ちかけ立ったので、「先にとトイレどうぞ。」「ああ。有難う。」彼女が用を済ませている間、私は上着を着て帰りの身支度をしていた。そして、彼女がトイレから出てきて、箱の中から、ブルーローズの絵を出した。賛辞省略「注文なんだ。」「この場合は友情のね」「作品に納得しているんでしょ?」「今回は納得してない。こんな小さな絵は初めてだし」「岡本太郎、でも誰で自分がいいと思えたいいのよ。」「自分で限界感じて、意見が欲しくなったんだ今回は。」「私は色々難癖言うよ」「ヨロシク。私の特徴はノンポリなんだ。良ければ何でもいいの。」今日の夕方。会う約束をした。連絡先のために携帯番号を相手に入力すると、しっかり登録があった。やはり、仲良く騒いだ日が有った。わたしが、タバコのおまけの「桜の模様の携帯灰皿」を自慢する。「欲しい」という。「駄目!これは一つしかなかったから。」彼女が「あ!おまけの人だ。」と前回の場を思い出した。以前、タバコのおまけの「鏡」とか皆に上げたら、お返しに「イヤリング」を貰った時が有った。除菌の芳香剤もメンバーがくれた。私が「わらしべ長者だ~。」と笑っていた時の隣合わせた飲みメンバー。彼女はアクセサリーの製作助手をしている人だ。的確な意見してくれる人が出来るのは嬉しい事だ。私は彼女を抱き寄せて「神様の連れてきてくれた私の天使さん。」とささやいた。昨日、数学の休職中の中高の先生とも知り合った。数学を教えてもらう代わりに絵を教える約束をした。都合を合わせながら、暫く、個人レッスンの日々が続きそうだ。
2006年10月19日
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普通が一番。泡雪は、実際出会った人に、特殊な感情をもたれる事が多い。正直またか。とおもう。知り合いの友人だったので、気楽に電話番号を教えてしまった。一度ドライブを付き合った。それだけで、期待されてしまった。連日、電話の応酬。最初は友達から、といわれても、その先は答えられないのは最初から、こちらからは見える。友達はいろんなタイプがいてもいい。でも、一人の男性として好きになるのは人生のうちそうそうあるものではない。この歳になると、自分の男性に求める好みがわかっているから、ありえないこともわかる。何度も、忙しいから、と断わっても、「好きだから電話している」といわれる。好きになるということは、特別な感情で何でもしていいというわけではない。そうした人は、自分の寂しさを誰かで埋めようとしている。こうした事で一番困るのは、私が気持ちに応えられないと納得すると≪恨みに変わる≫。そうした人は、私の感情はお構いないだから、困る。自分の寂しさを紛らわすためのすきだらだ。生きる事は自分の物語を紡ぐ事。そうそう、暇な時間は無い。友人とは息抜きに馬鹿話を出来るのがいい。自分の寂しさや、孤独と向き合えた人だけが友人となれる。孤独の中で楽しさが生まれるからだ。誰かで埋めようとしている人は、一緒にいても退屈なだけじゃなく、楽しさを提供するのに疲れる。楽しさって、空気を吸うことの気持ちよさを感じる事。実際この簡単そうな事が一番難しい。でも、自分でそれが出来ない人。そんな奴友達に要らないよ。人は他人を背負うほど強くない。でも、人は一人で立とうとする仲間には優しいものだ。
2006年10月17日
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以前、絵を描いたり、焼き物を作ったとき。それなりに納得が出来たのだが、今はどこか未だもう一つのものを感じる。しかし、もう一度書き直してみるとそれ以上どころか、形にするのも難しい。納得いかないが、今の力量なのだと受け止める事にした。原画は直径5センチほどの薔薇。友人に連絡してみよう。相手が要らないといえばそれまでの事だ。草花に水が足りてないのか、元気なく私を覗く。水を遣ると生き返った。犬猫と違って、枯れても文句を言わないが、花の枯れる姿は悲しい。冬を越せる草とそうでない草と、これからお別れが始まる。種が飛んできたり、自然の交配で、不思議なスミレが出来上がったり。来年が楽しみだ。苗のまま枯れたものもある。結局相性の問題。冷蔵庫の中で芽を出した玉ねぎは鉢に置いたらやたら元気に育っている、周りのコスモスを枯らした。北の踊り場なのに・・・・。ねむの木は今のところ残っている。
2006年10月14日
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2006年10月13日
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2006年10月13日
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書き始めて、4日くらい経つつと、形になってくる。途中のあたりをつけたものは、日記に写真で載せたものだ。絵を開くと、子供たちが群がってくる。2~3歳くらい。おねえさん・おねえさん。(2・3歳の子は大きい女の人をお姉さんと呼ぶ)「これなあに?」しばし、絶句。「絵の具だよ。」「えのぐ?」「絵を描くものだよ」「これは?」「筆」「ふでっていうんだ」お母さんたち≪すみませんお邪魔しちゃって・・・≫「いえ、おき楽で大丈夫ですよ。」「何かいているの?」「そこ見てごらん。こんな風に見えないかな。」「う~ん。電車?」「そうそう。」道具を覗き込む子供に「なめちゃだめだよ。毒だから。」「どくって?」「体に悪いものだから」「わかった」絵の道具も、絵を描くところもはじめて見たに違いない。クレヨンの線描きとは、別物に感じたのだろう。後ろのほうでお母さんのささやく声がする。≪私たちって、駄目としか言わないものね≫子供の指に絵の具がついた。すかさず、えのカバーした紙に擦り付けた。「よく、絵になすらなかったね。擦っていいところがわかったんだね。」子供もそれほど馬鹿じゃない。状況で、していいことと悪い事がわかるのだ。大人と違うのは、拭いていい?と聞かないところかな。暫くして、老人の二人連れが・・・・。「プロの絵描きさんですか?」少し間を置いて、「はいそうです。」「やっぱりプロじゃなくちゃ、こんな風にかけないわよね~。」「私たちには絶対かけないわ。」一瞬考えたけれど、学校の課題と作品展以外数は少ないけれど注文でしか書いていない。(部屋に飾れない、死後の世界の絵を描いた事がある。)その一部(夜空)を買いたいという人がいたが断わった。お金を取って描くのだからプロなのだろうな・・・・・。筆を折っていたので生活成り立ってないから、アマチュアかな?あは。難しいね。どうなんだろう。傍から見ると素人の域ではないようだ。電車マニアがリクエストを出してきて、電車は一台しかないシャボン玉図柄の電車になった。私はポシィないからな~。点景で入れたのに・・・・。マニアは、「シャボン玉電車が絵になったらどうなるだろうと思ってたのが、夢がかなった。」と大喜びで、絵の写真を撮っていった。リクエストどおり、電車番号まで入れた。9331お陰で線路を書いていたのが、電車の絵になってしまった。ははは。
2006年10月12日
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パソコンの前に座っている時間が大幅に減った。出かけている時間が多い。今日も天気なので、絵を描きに行く。出来る事しか所詮出来ない。今は、絵を描くことに出来るだけ時間を割きたい。絵を買ってくれる人はいる。自分の中でその期待にこたえられるか正直怖さがある。筆を執れないのはそうした心の弱さだ。開き直ってみる。こころと戦う。下手でもいいんだ。ただ、無心で描こう。
2006年10月12日
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17歳。最後に作った曲の歌詞をちょうど季節なので載せて置く。欅の木は、秋の中で、木の葉を落とします。秋の日差しよ~。秋の祈りよ~。落ち葉のじゅうたんは、野良犬を王者に仕立てた。秋の日差しは、栄光の輝きそえた。どうぞ、どうぞ、そのままでいて欲しい。どうぞ、どうぞ、そのままでいてほしいと~。欅の木は秋の中で、種をまきます。秋の恵みよ~。秋の祈りよ。過ぎ行く年月をいとしくい~だき。戻らぬ命を静かにみつめ。もう一度、もう一度芽生えて、欲しいと、もう一度、もう一度芽生えて、欲しいと。あ・あ・あ~。あ・あ・あ・あ~。あ・あああ~、あああ・あ・ああああ~あああ~ああああ~。作詩、作曲をやめてしまったのは、この曲で言い尽くしてしまったからだ。人は何のために生きるのか。そう考えた12歳の時から、5年経ってた。それから、現実の中で戦い生きる人生が始まった。そして、今も生きている。
2006年10月11日
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昨日は天気にも関わらず、気落ちして何もする気にならなかった。姉から部屋の掃除の依頼があった。今日は、気を取り直して、掃除の後、書きかけの駅の風景を描きに行こうと思う。
2006年10月10日
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2006年10月10日
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懐かしい風景だ。長野の駅で、私は如是姫に出会った。如是は銅像の姿だけれど・・・・。私は二晩如是に祈った、私の病気を治してくださいと。長野の駅に着いたとき、風景がタイムスリップしたようだった。二晩如是と語って、現在の風景に変わった。恐ろしかった事といえば・・・・。出会った人が、「生きていたとき楽しかったと語ったことだ。」まるで、死後の世界に来たようだった。私は如是に祈った。私は今も生きているし、無事友人と会って、阿弥陀のお梅ばあさん?ゆかりの地。北竜湖で母に良く似た石像に会った。そして、父も母も大変私を愛した事を話してくれた。善光寺も訪ねる事が出来た。善光寺では、如是のお父さんの分も浄財した。虹の岡、私はその岡で、手に届きそうな、星を見た。好きな人にきちがいといわれ今はかなり、辛い時期だけど。貴女と星をみた岡が確かに有った事。そのテーブルにスミレの花をかきのこした事。確かな事実として、心の支えにする。実際私の中で、何が本当で、何が嘘なのかわからなくなってきた。私は本当に気が違ったのか?長野から、帰る時私は如是にプラムとトルコキキョウを捧げた。
2006年10月09日
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馬鹿っといわれて馬鹿になれりゃいい。きちがいだと言われても、恥をかいても、人間としての誇りを持てるやつはいい。女に生まれて女になれりゃいい。まともな子を産んで、有閑マダムになって、世間一般に言う女になれるやつはいい。女になる前に、人間になろうとして、どちらにもなりきれず、虚しくて、私に対する批難の言葉が身にしみてでも私は恐らくあなたがたより、はるかに若くはるかにおろかだろう。でもはるかにやり直せるだろう。この歌は13歳の時泉谷しげるの唄をきいて、作ったものだ。ラジオ関東でオンエアされた。それから、36年の月日が流れた。女である事も、人間である事も、同一線上にあることが理解しただけで、今も大して変わってないな。きちがいとも今もいわれるしな~・・・・。傷つくようになったな。17歳で作詞作曲はやめた。少し泣いた。
2006年10月09日
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8月のはじめから、最近まで、いろんな事があった。例えば、ある医科大学の公開講座を受けた。物の怪の困ったところは、色んなものを隠す。お金もそうだが、教科書も消える。交通費のプリペイドだけは、死守した。実際、物の怪は、手の中のものさえ消すので、カードを残してくれたのは温情だろう。時々私の記憶違いもある。ゴスペルの発表会は終わったが、途中楽譜が消えている。練習用のデータが消える。そんな時どうするか・・・・。とりあえず、自分の体を運ぶ事に専念する。持ち物は後の事だ。一連の出来事を、物の怪とヒトくくりにして、今回ゴスペルの仲間に話した。練習場で、私の楽譜を保管してくれる事になった。昨日、録音機のデータが戻ってきてくれた。ゴスペルの仲間のすごいところは、物の怪の話を受け止めてくれた事だ。そして、対処方法を一緒に考えてくれた事。練習のとき、楽譜を持たなくて、曇った顔をして、練習に出ていた理由をむしろ理解したという感じだ。飲んでいる最中。物の怪は、ライターをイヤリングに替えてしまった。ライターを借りる。物の怪は、部屋だけに固定されているのではなくて、いつもそばに居るみたいだ。物の怪と共存する事に決めた。私は幽霊を見ない。だから、物質を移動させる事で私にシグナルをしているのかもしれない。空即是色・色即是空だ。
2006年10月09日
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昨日、打ち上げで、メンバーと話す機会が出来た。その時、私が年齢を言うと、え~!!!!と言う反応がある。いつもの事。私の外見は、行っていても41歳くらいに見える。8歳か、9歳、若く見える。このことは、30代の頃から始まっている。この日記を書くことによって、初めてオバサンの自覚が持てるようになった。若く見えても、49年のこの世の空気を吸った経験がある。通称は「しん」で通している。本名がきれい過ぎて、芸名みたいなので、正式な場所でしか使わない。本名から、「エメちゃん」と呼ぶ人も居る。相当頭のいい人だ。多くの人は、聞きなれない名前は覚えられないからだ。それでも、チャン付けだ。わたしの、見た目は年齢より、幼く見えるのだ。でも、社会経験から、色んな相談に乗る。昨日の相談は、年齢より上の人に、物言いをしにくいと言う事だ。32歳。ちょうど、社会のリーダーの位置に来る年齢だ。そこで、30過ぎたら、気がついた人、意見するのは義務だと言う事。「あとから、そう思ったんだよね~。」と静観する人が居る。それは卑怯な行為だ。とまで、言い切った。気がつくキャラクターと、気がつかないキャラクターが有って、気がつかない人は言われるとなるほどと思う。私は、気がつく部分と、鈍な部分がある。よく、20代の子に説教されるが、嬉しい。若い世代に良く教えられる。新しい気付きは楽しいからだ。
2006年10月08日
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打ち上げで、カシスのウーロン割、オレンジ割り、グレープフルーツ割など、5杯飲んだら、2次会の席に移った頃、回ってきてしまった。やばい!やっぱ帰るわ。と駅の近くのコーヒー店で休み、結局タクシーで帰ることに。タクシーではしばしの間、横に成らせて貰うほど、回った。口だけは動かしていました。車の運転にまづわる話と≪きれいなおばさん好きですか≫シリーズで。家に帰ってきて、本題に入るよ・・・・・。オーノー!久々の半ドアだ。階段の途中に、こでまりの枝が落ちていたので警戒したが。勿論出るときは、二つの扉しっかり鍵をかけている。気味が悪い。薬を追加して飲む。一般の安定剤と違って、パルスや、ドパミンをブロックするものではなくて、情報そのものを遮断する薬だ。つまり、一つの事に固着して考えすぎない事が出来るくすり。3年前、サイエンスの一月号発表された、その物質が見つかったので、実用化されて2年。日本では今年から使われている。正直帰ったら家のドアが半ドアで開いているのは、気持ち悪い。久々の事だが。また、アナザ・ステージに突入の合図のようだ。よく判らないけれど・人間型の物の怪の仕業だ、階段に花の枝を落として行くやりうちは、忍者系だな。私を≪くの一≫為らず、≪横一≫のメンバーにしたいようだが・・・・・。私は未だどことも固定したくない。見えない物の怪たちでもつかれるのに・・・。足のある、忍者系もう少し私を脅さない方法を考えてよ。笑えないのは嫌いだ。
2006年10月07日
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初舞台でしたね。いかがでしたか?先生はじめ、終わった後、こう声をかけられた。答えに詰まった。後から考えて、無事勤める事が出来ました、とでも答えればいいのかな?と思ったけれどそういう事でもないみたいだ。緊張した~楽しかった~。等など、そうした答えを求められているみたいだ。質問には一定の期待された答えが既に有る場合が多い。どこ行くの?ちょっとそこまで。答えになってないみたいだけれど、そうした決まり文句がある。中学の2年から主に顧問の先生に一年の指導頼めないかといわれ体操部に出席していたが。私の部活の本来の席は混声合唱に置かれていた。2年か3年か続けて報知新聞主催のコンクールで金賞を取っている。一人で、ハイソプラノを張っていた。他の人に出ない音があるからだ。ソロではない。一人で合唱のみんなの出ない音の部分を担った。小学校では1年から5年まで、声楽をしているので、舞台で独唱もしている。独唱は緊張するが、合唱は楽しい。連帯責任だから、間違える気負いが無い。
2006年10月07日
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これは、父が私に教えた事です。目をつぶって、手を取り合い、そこに天国を感じたらそこが天国だ。と言うのです。物質社会のなかで、空即是色・色即是空。これは、唯一物理の世界と共通項です。目に映るものは、思念による共同幻想の上に成り立っているともいえるのではないでしょうか?≪幻覚妄想が有ると言う事は≫、恐らく共同意識と巧く連絡が取れない状態を言うのかな?と思っています。コンピューターでいうネットワークですね。目に映るもの、目の見えない人が始めて見えるようになるとき、光の渦に見えるそうです。見えるということは学習でなされます。脳の情報処理です。私が絵を描きたいと思ったのは、モネの風景画をみて、私にも自然がそう見えると思ったからです。そのときの感動は忘れません。特に、夕日の中の麦だわら、朝日の中の麦だわらは嬉しくなりました。絵を描くこと自体は面倒で余り好きではありません。
2006年10月07日
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見るとは無しに、放送大学をつけたいた。昨日、2学期が始まったばかりで、内容が偉く濃い。今日は夕方から、都立大学駅近くのバーシモンホールでゴスペルのリハーサルがある。6時半に駅で待ち合わせをしていた。5時、外は嵐のような雨。そろそろ行く準備をしなくては・・・・。と思ったら、私の一番関心のある、心理学の概要が始まった。応用心理学のだ。入学しているわけではないので、学科のスケジュールが判らない。しか~し。準備をしなくては。つまり、腹ごしらえだ。今日はボ~としていて、食事をサボっていた。冷凍庫から、うどんをだして、具は卵ととろろ昆布で。一人暮らしで日が危ないので、電子レンジで調理をする。すきっ腹にまずいもの無し。偉く美味しい。心理学の講義の前に延々と見ていたので頭も疲れ気味。このタイミングはきついな~と思った。興味ある心理学を講義を取るよりも、限られた時間の中では、生きるために食べなくては・・・・。勿論片手間には見ている。これが私の実践心理学だ。プライオリティの問題だ。出かける支度が出来た頃、授業も終わった。
2006年10月06日
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一時私はものが食べられなくなった。お腹がすかないわけではない。植物も生きていると思うと、全てのものが食べられなくなった。公園仲間が、私を自宅に招待してくれた。どうやらその日のメインは私だったようだ。家までのエスコート役の男性は私に駄菓子屋さんでお菓子を買ってくれたり気を使ったくれた。小学校の近くには駄菓子屋が今もある。異常に安い。タイムスリップした感じだ。ホームパーティの手土産に私は鳥の腿のフライを買った。かつお(周りを湯引きしなくても食べられる美味しいもの)、卯の花、マスカット、それと余り出回っていない、新種のプラム。私は食べた。栄養が回ると、体に痛みが走った。ひざだ。このところの緊張状態では、痛みさえも感じない。彼女は私に、目のくらむような、着物をくれた。襦袢までくれた。帯もくれた。それらは、普通の時には着られない、晴れの舞台に着る着物だ。着る練習用に、ウールの着物も貰った。引っ越すというので、ゴブラン風薔薇の図柄のカーペットもくれる約束をした。(現在もう、洗濯して部屋に敷いてある)私は、緊張状態で、情緒が不安定になり。最後、こう言った。「もう何も欲しがりません、だから、命だけは助けてください。」わたしは、狐につつまれた気持ちになってしまったのだ。
2006年10月06日
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思えば長い日々だった。電波障害をはずしてくれたみたいだ。先週F通本社で見てもらったら、ある部分にはパスワードがかけられているそうだ。電話相談では、絶対に判らなかったと思う。状況も電話では説明不可能だった。ロックがかかったのは、何が起きたか判らなかったからだ。直接本社訪ねて、技術者に状態を見てもらった。泡雪の仲間は多義に渡っている。極端な例で言えば、ホームレスも居る。公園仲間がいて、その中に、ホームレスをしている人も居る。ホームレスは、清潔にしている。こじきと違うのは、何にかして毎日働いている。最近では、銀杏取り。くるみ取りの時は怖かった。ストーカーさんの種類は、宗教団体から、警察、自衛隊、右翼、芸能関係者、企業などなど。ありとあらゆる団体だ。それどれの思惑で動いているので、私にはさっぱり目的が見えなかった。前日も述べたとおり、最近は慣れてきた。私は一人暮らしなので、近所の喫茶店に居ると、家が不在なのは歴然だ。8月の終わりに、旅から帰ってきて、家の異常に気がつき、鍵を変えた。にもかかわらず、進入してくるのは、国家の関連と思われた。暖簾にポマードの匂いつけていくな~。臭いよ~。この日記も、誰もが侵入できないようになっているみたいだ。だからこんな事も、平気で書ける。逆にわたしは、それらの事をどう受け止めたか、書いて置くべきだと思った。一時は命も狙われた。呪詛をかけられたようだ。(一定の法則で相手を呪い殺す手段)初めての経験だが呪詛返しをした。乗った新幹線には落雷するわ。生きながら黄泉の国に足を踏み入れた。そして、わたしは・・・・。アイ、スティールアライブ。帰りのバスは、ブレーキに異常があるわ。何とか無事に東京に帰ったが・・・。黄泉の国とこの世とのはざまのゆれに悩まされた。先日公園仲間から、「シンには手を出すなといっておいたからもう大丈夫だよ」と言われた。良くがんばったな。とも言われた。誰にどの組織の言ったのかは私は知らない。世の中には、科学する事も出来る一般の人が理解できない不思議がある。世の神は、人が作った神だ。だから一定のルールしきたりがある。昔、目を通した事があって諸宗教の特徴は大まかに捉えている。でも仏像勉強しないとナ・・・。本来、神様は喧嘩をしない。同じ一つのものの人の見る立場による違った見え方に過ぎないからでも、人の作った宗教のルールは喧嘩する。アプローチの仕方の違いだから、どっちがただしいともいえない問題なのだが。私に神は何かと聞かれたら、コスモスと答える。花じゃないよ、宇宙全てだよ。神の摂理に従う事を目指しているが人間がやわで教育的な指導を受けている最中みたいだ。32代目は悟楽(ごらく)は死去して。33代目 悟空(ごくう)になるのかな?ストーカーの団体だけではなくて、最近目に見えない物の怪との生活にも慣れてきたよ。今日も掃除手伝ってくれた。でもね・・・・。パソコンのマウスと、録音機の充電器早く出してね。ヨロシク!!!。写真の緊張感はそうした中からうまれた。
2006年10月05日
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2006年10月05日
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昨日、ゴスペルの練習の後、仲間の一人と飲む約束をしていた。いつもの牧師の店だ。DJのアンディ。土曜日の11時から15時、JウェーブのDJらしい。友達が、彼のほほキスをした。私は、彼にフレンチキスをした。アンディは外人だ。アンドレア・なんとかだ。彼は名刺をくれた。友達は、さすが泡雪、わたしは、もらっていないといった。私は、英国王立の何とかの誰だ誰々とか、すごい肩書きの人から名刺をもらったりするが、名刺の使い方がわからない。コレクションに加わるだけだ。一連のストーカー事件はこうした、私の名刺をもらえてしまうキャラに有るようだ。夕方病院から友達と帰るとき、一緒にお茶をした。彼女は私の周りの異変に気がつく。「あそこで電話している人、変じゃない?」「あらそう。私はもう気にしてないの。」とこたえた。もちろん、電車の中も囲まれている。彼女は英語で話そうと言って、二人で英語で話し始めた。こうした周りの干渉は社会の一員になるということかも知れないと最近悟ってきた。それはそうと、地獄も三途の川も、この世の人が考えたこと。行きのときは、320万くらいとられた記憶が。帰りは、6万に負けてくれた。現世に、帰ってこれたのだろうか・・・・・。見えない壁の向こうから帰ってこれたのだろうか?
2006年10月04日
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