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結婚する人以外男女の性別は関係有りません。男女ともただ可愛い人が好きです。人間的に、可愛い人。一生懸命生きているのにどこか不器用な人。完全な人のバランスに近いと、意外とほっとかれるもの。突っ込めないから。男性でも女性的な優しい顔立ちのほうが好きです。ごつごつした人筋肉隆々より、すこし、ポッチャリお肉が被っている感じ。均整のとれた、見目麗しい、優しい男性は無条件に好きですが、敢えていじる必要の無い人は、見ているだけで満足。一夜の思い出だけで充分だと感じてしまいます。いつ会っても楽しいとは思いますが。偶然会うことを楽しみにする。わざわざ、会ってどうする事もない。でも、なんとなく放って置けない人って好きです。でも、勿論、それに見合うだけに楽しい事一杯教えてくれる人が好きです。残念ながら、その楽しい事、ついて行けないほどの情報量なのですが・・・・。だから放って置けないような隙見たいのが見えてくる。きっと私だけだろうな。この人を理解できるのはみたいな、占有権みたいなプライドを満足させてくれる。男にとって生活力があることは基本条件ですが。女に頼る男の人は好きじゃ有りません。甘えてくれるのは嬉しいです。相手自身の自覚の無いところに、自主的に手を差し出す事が楽しいのよね。勿論。君の事だよ。やっぱり、自覚ないでしょ?君のいつも幸せ祈っているからね。(私の周りでは、最近私が誰かを好きに成ったようだと、誤解されています。昔の職場に挨拶に行った時、一人で行くと会場で退屈しないよう気を使われないように、お付き合いいただいた男性の事が噂の現況だと思いますが・・・・。スタンガン打たれた日。同伴者は私の特別な好きな人ではありません。意識しないでよい、彼は飲み仲間です。私は未だ片思いで、遠距離の人です。都内住民では有りません。)
2006年06月30日
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携帯を落とした。本体も心配だが何より、電池が吹っ飛んで消えた。5階の階段から、下のどの階に無い。トホホ。そういうわけで、携帯連絡ご遠慮ください。楽天でね。パソコン開けないときは、ネットカフェで楽天チェックかな?完全に孤立する可能せいだいですが・・・・・。生きてますから。
2006年06月30日
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テラスの薔薇は、日差しに負けて、ぐったりしてしまった。さようならだね。未だ、花が枯れてないので、一緒にお風呂に入る。しかし、茶色の薔薇は、形がきれいなのか、色が渋く汚いのか?・・・?ほのかに、いい香りがする。
2006年06月29日
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夜なのに、布団を干してある。これは・・・・。梅雨の晴れ間の布団の洗濯だ。夜気で、湿る前に、未だ、温まっていない、翌日の夕方取り込む。一夜昼で、仕上がり・・・。ダウンとシルクの布団は、この時期良く洗濯する。洗濯機でだ。そんなわけで、洗濯機は6キロ以上可能なのものをお勧め。綿布団、羊毛以外は、洗える。羊毛は縮みごわごわになって布団としては使えなくなるよ。梅雨の晴れ間。冬の汚れがムッと鼻につくからだ。ストーブを片付けて、いきなりクーラー入れている。東京は、真夏日を記録した。私は、匂いに敏感で、自分の匂いでも限界が来ると臭いと思う。
2006年06月28日
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茶色い薔薇は、店先で見るときれいだが、家に帰って、飾ってみる。わいんのビン。ガラスの器。かろうじて、流線型の形にいけると、フォーカルポイントの花がきれいに見える。きっと、ろうそくなんか合うんだろうな。緑に、ワイヤーロープをあわせてみる。なんだかいい感じ。花なんか眺めているの、いつも夜なので、画面が暗いな~。
2006年06月28日
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昨日おととい、力を注いだら、日記まで、手が回らない。書く力が尽きる。二日目にして、少しコマ漫画らしくなってきた。が、ネタが内輪ネタ。職員には、大うけでも、内情を知らない人には、通じない。しばらく精進しないとな・・・・・。
2006年06月27日
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2週間ほど前、ふと4コマ漫画を書いてみようと思った。この2週間、最近の漫画を買い集めた。4千円以上かかった。あ~!一年ほど前、私の好きな人を誘惑する為にブラジョンさんの、お絵かき掲示板で、ブラジョンさんと、二人で作った、≪猫女≫のキャラ、パクラレてる~。ぱくられブラジョンの書いた、猫女の手は、黒い手袋したたのも。そのまんまや~。泡雪の日記では、タイトル≪変が気になる≫で乗せたものだ。あそこまで書くのに、裸の絵から書いたのだぞ~。実は。泡雪は、イラストライターの経歴がある。私のイラストで、オリーブという一デザイナーに天下の高島屋が負けたのだ。絵は、子供の頃から褒められることは有っても、シリアスな私に漫画は無理と自覚していた。しかし・・・。この際。私は、ブラジョンさんの、小学生のお嬢さんが書いた父の日の絵から、漫画の書き方を習った。そして、後は、習うより慣れろ。手書きで書いているし、この原稿は、出版社に提出をもくろんでいる。ここには、2006年6月25日の日曜日。初めて泡雪が漫画を書いた日と記しておく。大いなる野望の記念すべき第一歩だ。
2006年06月25日
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「勝つ気が有るのか~!」とか「××死ね~!」とか。サポーターが選手をやじってどうする。確かに、苦笑いする、場面多かったけれど、ナカナカやるねって、場面も多かった。応援は、落ち込んだときに励ます事。一番残念に思っているのは、選手なんだから。勝たなかったら、処罰って昔の共産圏みたいじゃない?≪お疲れ様、4年後はもっと楽しませてね≫、とねぎらって選手を迎えようね~!しかし、4日も、パソコンとじると、セキュリティの更新に時間かかって立ち上げが面倒だね。
2006年06月23日
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最大級のコンセントレーションで、疲れた。今朝の試合は、結果を知ってから夕方に進行を見た。まぁ。日本の課題が浮き彫りに出ていた。調子の良いとき気分が高くなりすぎ浮き足立つ、追い込まれるとしっかり落ち込む。日本の課題は、最後まで、コンセントレーションを保つ事かな?試合が終わるまで、結果に気がつかないほどの仕事への集中力が必要な気がする。ブラジルは、その部分で立ち直りが早いね。日本は先制点取った後、同じパターンがでるね。勝つ事に気負いすぎるのかな?4年前より、大分成長してる気がしたが・・・。4年後、若手のメンバー大分代わるのかな?中田は次は居るのだろうか?実年齢より、精神力の年齢なのかな?ところで、中田はいくつになったのかな?見た目では判らないな。川口は良くがんばったね。イエローカード貰うほど。クロアチア1-1とブラジル戦でも、4-1は相手ののアンラッキーに大分救われた気がする。日本はミスが多かったのかな。日本のラッキーは多かった気がする。神様は日本に微笑んでいたと思う。神様って?キャプテン≪翼≫の見えない風?まぁ。試合の判らない女性の見方ですけれどね。4年後が楽しみだ。この文章への酷評はご遠慮します。だって、ルール良くわからないんだもん。
2006年06月23日
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アダルト系の楽天使用者から総攻撃に有ってます。パソコンが汚くなりそう。たすけて~!!!。映像の女の人精神的に不潔そうです。イタリア並みに芸術性高めてから来てね。
2006年06月18日
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今日は、パルは置いていく。おいおい。それは、前のパソコンの名前。そういえば、このパソコン名前が無い。それと、新規の迷惑トラックバックは確認を省いてに削除しますので、その辺宜しく。
2006年06月18日
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今日は、帰宅日。最近、実家で過ごす事が多くなり、パソコンも一緒に移動する。私のノートは重い。キャリーバックで運ぶ。昔飼っていた猫を連れていたときは、5キロだったが、それほど重く感じなかった。パソコンは体重移動が無いからか重い物は不便だ。次回新しくする時は、絶対減量が条件だ。なんだ、かんだ、出かけるの渋って遊んで中々帰宅するしたくをしていない。用意しないと、いつまでも、帰れないぞ^^今日の予定は・・・。飲み屋でサッカーの応援です。奇跡はみんなで起こすもの!空気は、世界に繋がってます。応援しようね!サムライブルー。ところで、あの、黄色いタンクトップは?実は、サッカーの事を何年経ってもよくわからない。(グループ競技全て、ルール・オンチ)北沢選手が好きでした。それと、中田。ワールドカップで、中田を見れると思わなかった。なわけで、皆と飲み屋で、観戦だ。でも、夜十時だから・・・。でゆっくりと雨の日は出かけたくなくて。でもそろそろ、用意しよう。
2006年06月18日
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満月に因んだお話は沢山ある。月の光のイメージは?銀色の光。オオカミ男の話。私が一歳の時に出会った神様は、月に座った女神様の姿を採っていた。だから月はやさしいイメージがする。生まれつき疑い深い私は、何かの本にそんな絵はないか、影響されたのではないかと、全部の絵本の裏表紙をひっくり返して、探した。そして、夜空に浮かんだ女神様と私の距離は有ったのにその姿は、紙絵を重ねたように、立体として構成が出来ない。私の意識は、お座りをした、私自身の後ろ姿を見ていた。本当に女神様だったのか、目が醒めたときに疑ったのだ。その事から、知った事は、神様はそれぞれの人に理解しやすい形で現れるという事だ。(私には、人間型の女神の姿を取っていたが、神様は女に限ったものとも当然思わなかった)それが女神さまだと信じたのは、目が醒めて実際に焼けどのひきつれが取れて痛みも消えたからだ。その晩、ばあやにやけどの原因を聞いて、やかんから、お湯が顔を目掛けて飛んできた事をぼんやり思い浮かんだが、その事の方が夢のごとくで、はっきりしなかった。年齢が一歳だと知ったのは、分かれて育った7歳上の姉に再会して、やけどの時期を知って、あれは、一歳の時だと知った。自分の意識は、大人の現在と同様だった。その夢を見た日から私の自意識が始まっている。(自意識に年齢はないみたいだ。)子守唄でも、「月はやさしく銀の光を注ぐこの夜。」とモーツアルトのに日本語の歌詞が添えられている。知り合いの日記のタイトルに月の写真の話が出ていた。誰か忘れたが、最近創刊された、写真雑誌のシリーズで、月光写真を撮っている人のも買った。その人は、月光写真。ストロボを使わず月光だけで、花や星や風景を撮っている。月の光は、神秘的だ。今週の月曜日、黒い雲の間から、月が姿を少し見せてくれた。満月に見えた。火曜の夜は、しっかり見えて、やはり満月に見えた。月は2・3年前から良く眺めるようになったが、急にやせたり、ゆっくりやせたりして月の習性は未だ良く学習されてない。二日間満月というのは有るのかな?無いのかな?目に乱視があるので、眼鏡をかけないと良くわからない。でも、とっても美しくて、見ると気分がよくなるのは確かだ。私は月夜に吼えません。うっとりほんわか気分がよくなります。花もいっそう美しく見えます。満月の夜貴方はどんな気分になりますか?
2006年06月16日
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昨日、露天で可愛い薔薇を見つけた。「あ!それ可愛いね。」「5本しかないから、一本300円で1500円。全部持って行きな。」そのうちの一本を私に見せる。その薔薇は、スプレーで、一本に5個花がついていた。「あら、スプレーなんだ。可愛さには勝てないね。でも、2本でいいわ。」「友達に一本上げるから。」そこに、すこしみすぼらしい、お母さんと可愛い男の子が来た。わたしは、「これ一本持って行くといいよ。300円ですごく可愛いから。」手に取ると、その枝には、7個花がついていた。「あら~。7個もついている。」男の子も少し興奮。「スゴーイ7つもついてるの?」おばあさんもやってきた。私は「一本持っていくといいよ。一本で十分きれいだから。」おばあさんが手にした枝も、7つ花がついていた。「なんで、私が営業してんだろう・・・。」でも、その花は、300円では十分の魅力の花だ。そして、露天のお兄さんは、そのお母さんにも、おばあさんにも、300円は考える大切なお金だという事がわからない。1500円で、全部買っても、その一つ一つの薔薇の可愛さは味わえない。そして、花はぜいたく品なのだ。300円あれば、一品おかずが増えるのだ。お母さんの着古した服から、300円は断腸の決心だ。でも、その薔薇は十分その親子を豊かにする薔薇だと私は思って薦めた。そして、小学生の男の子も大喜びしていた。男の子は美しいものが好きだ。おばあさんも顔をほころばせて喜んでいた。私に包んでくれた、薔薇だけが、5輪と6輪で花数が少なかった。それでも、十分美しかった。最後に残った一本の枝も5輪だった。露天のお兄さんも一気に1200円売りこした。ゴスペルに行く途中で、飲み屋の牧師の所に六輪を薔薇を届けた。練習後早く変えるつもりが、気安い女の飲み仲間が着たので、結局2杯飲んで12時を越してしまった。帰り道、親しげに「お~!一緒にのみに行こうよ。」と声をかけられた。私は、知人かな?と思った。確かな認識は無かったが、その誘いが非常に意志的に感じて、私は応じた。その二人は親子連れだった。「どこに行こうか?」「ムーン・シェンナは?」と言われた。「ムーン・シェンナならいいよ。」最近私も行き始めた店だ。その店は、直接親しくないが、牧師の飲み仲間の一人が開いた店と噂を聞いて、前回オーナーの顔も確認している。店に入るくだり階段で、女の子が行きすがった。二人の女の子も、その親子ズレと知り合いだった。挨拶をして、私はその女の子たちが持っていた紙袋を欲しがった。きれいな赤い薔薇写真のの紙袋だった。女の子は、美容院のだけれど、袋だけならと快くくれた。アースという店の紙袋だった。店に入って簡単な挨拶をして私が終電に乗れるタイミングで私が店を出れるように話を進めてくれた。その間、20っ分位だったと思う。そして、その店の18日の日本戦応援チケットの購入代金を払ってもらった。店の人との話で、私が購入する事になったのだが、親父が払ってくれたのだ。私は「ゴツァンでした。」と先に店を後にした。昨日、敗戦して、皆に未だ試合はあるぞ!とアピールしたくて、私はサムライブルーの「ジャっパン・ネイション・チーム」「ロード・オブ・ウィーナー」の応援Tシャツを着ていたのだ。彼ら親子は、口は利いたことないけれど絶対に牧師の店で私を見かけて居る筈。東京の人は、あからさまを嫌うのだ。べたべたした付き合いよりも、アッサリととぼけて色んな話をする。終電で家に帰り、カメの中に突っ込んで行った薔薇の花を花瓶移そうとした。鼻を寄せると、いい香りがした。匂いをかぐのに、紙をはずさない事に。茎を折ろうとすると、細い枝がもう一本添えてあった。私は再び花を覗くと、低い位置に、薔薇が一輪増えていた。私の留守に、誰かが同じ薔薇の一輪を増やしてくれたのだ。私の居ない留守でも、しっかり見守っている。と言うメッセージのように思えた。感謝。感謝です。
2006年06月14日
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この日記を書き始めたのは、わけのわからない、集団ストーカー行為とコンピューターの知識が無くて、ネットをつないだとき、ハッキング、トラッキングに会って、誰にも信じてもらえなくて悲しい時期だった。私自身はファイヤーウォールの中から出れなくて、外から変なメールが入ってきていた頃だ。わたしは、そのメールに返事を書いていたわけだ。それと、外国から英語で、1000通ほど、質問が着ていた。メールが送れなくなった誰か助けてくださいだの。こんな質問も有った。果物をミキサーにかけたら、コピー出来るだろうか?私は、テイストをコピーできると答えた。英語が苦手な私は1000もの質問に答えなくてはいけないかと思うと気が遠くなった。誰かに、助けてもらいたくても、私自身が事態を把握できなくて、試行錯誤していた。表に出ると、知らない人につけられている。被害妄想と思われても仕方ない状況。神経が参っていた。私は、盗聴法が存在する事をありがたく思った。どうせ、盗聴されるなら、信頼できる人たちに盗聴して欲しかった。とはいえどうすれば、連絡を取れるか、そして、私をストーカーしている人たちの正体がわからなかったから。そのストーカー行為は気持ち悪くて、ある時、アパートに新しいズックが2足入っていた。中国製のお粗末の品だった。サイズは合っていた。粗末な品と言うのは一足は赤紫のセンスの悪いコーデュロイのズック。もう一足は、スニーカー素材が悪くて、コーティングが剥がれるような品だ。私は、怯えず反抗的に履いて歩いた。不気味だが、なんとも意図が判らない。自宅に居るときに、ストーカーさんと、鉢合わせになることも有って、3年連続、警察に届けた。下着を盗まれる事も。柄、色ものを残して、白のショーツ全部取られた。むかつくし、気持ち悪いし・・・。警察に届けると、被害者の私が、全部の指の指紋を取られた。そして、犯人は捕まらない。コンピューターのハッキングで悩んでた、トロイの木馬などを未だ公表される前だ。助けを求めてSOSを出した接触してくれる事を待っていた。名刺をくれてサイトを紹介してくれた人に警察に訴えられた。交通の国の仕事を請け負っていた、プランナーの人だ。私は悲しかった。そこで、昔の職場で知り合った偉い方々に挨拶に行って、日記を書いて居るので見守ってくださいとお願いをした。この日記の馴れ初めは、そんな事からだ。私の、SOS発信所なのだ。
2006年06月14日
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毎週、火曜日はゴスペルの練習で、自由が丘に来る。練習場所のコミュニティセンターの前で、やはり、毎週火曜日?消防団が訓練をしている。最初の日は、瓦礫に嵌った人を助ける場面を想定して訓練をしていた。瓦礫をジャッキで持ち上げる場合の、それぞれの立ち居地。声かけなど。実地の場所で、すばやく動くためには、仮想訓練が必要で、目立たないところで訓練を積み重ねている。昨日は、消防のホースの運び等、実際散水訓練をしていたようだ。携帯のカメラ未だ使いこなせないので、映りが酷く悪い。全国に120団がある。臨時の国家公務員らしい。以前、知り合いが居たが、地域の防衛団だとばかり思っていた。東京は12団あるそうだ。これは、目黒区の団だ。
2006年06月14日
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本格的な梅雨を迎える前に、自宅の部屋を片付けに帰ってきた。そんな事をしていると、難しい面倒な事は書けない。以前、側転なんてどんな場所でするの?とお尋ねが有った。ここは、JR南武線の駅。溝の口改札前の広場。滅多に通らない駅。税務署に行くとき、乗り継ぎ駅を間違えた時。そんなときしか通らない。写真横のままでごめんね。ガラスを使って、中学生・高校生?ぐらいの子が、良くダンスの練習をしている。イナバウアーのポーズから、頭のてっぺんから落ちて打ったら、相当痛い事理解してくれた?側転は、少し広い場所があれば簡単に出来ます。上手な場合は、廊下ぐらいの幅があれば出来るはずですよ。片手ずつつく。平均台から降りるときの、一番簡単な降り方ですから。でもね、頭を打ったら、びびって、側転も出来なくなったみたい。私は挫折に弱いの。負傷すると、体が怖がってしまって、足が地面を離れなく成っちゃう。
2006年06月14日
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消すのが大変です。それに、人気の無いブログですから張っても余り人は見ませんよ。お互いのためにお願いします。同じ原稿の貼り付け、止めてね!お願い!
2006年06月12日
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2度目の入院は私は、婚約をした相手と別れを決心したとき。19歳から、少し勉強した心理学を駆使して、自分の記憶を封じ込めて精神科に逃げ込んだ。最初に入院した病院を訪ねたのだが、面接したドクターの前で私が奇異行動を起こした。私のポケットには、普通の人が携帯しないようなものが入っていた。何を思ったか、その普通の人が持ち歩かないようなものを取り出した。それは、風船だった。私は、風船とか、子供の玩具が好きで偶々その日着た服に入っていたのだ。いきなり、風船を膨らました。男のドクターはおびえて席から立ち上がった。私は内心、「こんなことで、ビックリするドクターは信用できないな。」と思った。一旦待合室に戻って。もう一度別の先生が面接した。女医さんだった。声が素晴らしく美しかった。体は大変太っていた。いのししのような顔をしていたが、私は、美しい声に引き付けれれた。母は私に、「この先生でいいの?」と訪ねた。私は「ウン」と答えた。その先生はちょうどその日、その病院から契約を打ち切られたところだった。2度目の病院は、精神科の大型病院で一言で言うと豚箱だった。2時間に一度のタバコの時間。一度に2本配られて、戸口の近くの2・3人に火をつける。患者同士で、タバコからタバコに火を移していく。食事はたいへん美味しく、一ヶ月で、14キロ太った。いろんなタイプの幽閉された人たちが居た。作業療法と称した内職を斡旋して、タバコ代の足しにしていた。どんな内職かと言うと、手提げの紙袋の紐を結んで取り付ける仕事だ。それをしている患者さんには、一枚一円くらいの手当てがつく事は後から知った。暇だから参加していた。(私は契約をしていなかった)笑ったのは、姉の店の紙袋が回ってきたときに世の中の仕組みを感じた。男女混合病棟で家族は病室まで入れない。男の看護士が、チェーンをクルクル回しながら、巡視している。全ての患者のタイプを観察して、飽きてきたところ。何かの拍子に、私は看護士から顔面にパンチを食らった。男性患者からもパンチを食らいそうになったが、交わした。「うひゃ~。とんでもないところに来てしまった。」一度目の経験から。知った事はよく眠ると退院になる。当時は自分の記憶があいまいになった原因は忘れていた。記憶が無いから、事態に対して、前向きな対処策をひたすら考えて居たようだ。私は時期が来るまでタバコも食事も無視して眠りまくった。薬が入っていたので眠る事が出来た。一年後、その女医から、家族に言われた事は。「奇跡的に直ったみたいです。」最悪なのは、最初に気力や抵抗をなくすために入れられる保護室。今振り返っても、そこの隔離室は、人間の尊厳の部分を大きく破壊する構造だ。最初は布団すら入れてくれない。凹凸の無い埋め込み型の便器があるだけだ。窓は高い位置に小さく空気取りに小さく開いているだけだ。裸電球と監視カメラが備え付けてある。今、本から知った事は、狭い空間に閉じ込められるとジタバタ運動を起こす。自分でもどうしてドアをたたくのか判らない。そこに入れられると誰もがドアを叩いた。そして、気力の萎えた三日目に出される。それは、その病院での洗礼みたいなものだ。私が隔離病棟に強いのは、最初最悪な環境を体験しているから、他は天国のようなものだ。後にもこれほど酷いところを知らない。退院後、女医のクリニックに通っていたら、そこに勤める看護婦さんに、メモを渡されて、この女医さん少し変だから、他の病院に紹介状を書いてもらうようにアドバイスされた。城南病院。関東労災と2件病院を回って貰っていた薬をみせて相談したが、治っちゃたんじゃないですか?関東労災病院では、「あ~。その女医さん家にも来ましたよ。確かフランス帰りで脳波詳しいらしいですね。」暗に女医との契約を断わった話をしてくれたみたいだ。これは、看護婦の忠告は≪私にとって最大のラッキー≫だった。何年か後、新宿のタカノのフルーツパーラーで、この女医を見かけて、ギョッとした。赤い帽子を被って、パフェを一人で食べている女医にどこか狂気すら感じた。「うひゃ~。こんな人にどうしてついていったんだろう。」と言うのが感想。医者と言う肩書きと白衣を着た女医に医者がおかしいはずは無いという思い込みが機能したのだと思う。3年ほど経って、日産の職員だった患者が電話口で泣いていた。あの女医のおかげで人生が失われたと・・・・。それも、本人の生命力と運命を切り開く力の関係だ。当時私は、入院前の記憶がはっきりしていなかった。入院後から作った記憶を頼りに生きていた。自分が記憶を消した事も忘れていた。この最悪の病院の経験時に思った事は、そこで働いている人の事だ。65歳のおじいさんに、70歳の家政婦さんがついていたり、殺伐とした病院で働くスタッフは家に帰るが殆どその空間を共有して生きている事実だ。後の噂で聞いた事は女子の入院患者と巡視して回る看護士が性的な関係を持っていたことが事件になった。荒れた病院だった。当時の噂では日産自動車の患者が多くを占めたときがその病院の最盛期だったそうだ。病院には患者の流行タイプで作られる部分も有るようだ。この入院経験が私の最初の仕事。老人病院の介護の仕事に目をつけさせた。次回は老人病院勤務から、テーマの武田病院の治療の話の移る。武田病院の経験が私の病気に対するスタンスを決定した場所だ。そしてこれからの精神科が目指す形を先駆けて模索治療を行った病院の話です。
2006年06月12日
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なんだか、重い角度で、精神科を取り上げてしまったみたいだ。私が、精神科と関わりを持ったのは、ハワイでキリスト教の洗礼を受け、帰った後に、聖霊の話をしたり、体感的に不思議な気の動きを感じる話を兄弟たちにした。私たち兄弟は5人。上の二人の兄弟は、日本で中学を終えた後、中国に留学に行き、文化大革命という時代に巻き込まれ、別れて育った。私が幼稚園のときに、中学3年生の大人の形になったばかりの、兄、姉と別れ、再会したときは、30歳のおじさん。に成っていた。私が18歳の時、若い方の姉が先に日本に帰国となり、ほぼ同時に結婚が有った。大人に成ってから、姉妹の付き合いを始めた。また、姉が嫁いだ先が、経済的に豊かな家族だったため。家族の中で発言権が大きかった。15歳から成長期に日本から離れて8年~15年異文化に居た姉と再び兄・弟姉・妹関係になる試みが有った。両親とは、私が中学3年生の頃から、仕事の関係で親子別居になり、親の前の顔と外での顔。二つの性格を持って生きていた。その上、私の場合、19歳のとき友人関係で女性として不幸な事故に会い、進行性記憶障害を起こしていた。この、退行は両親に相談をしていたので、原因には触れてないが現状を話した。両親は理解していて治療の協力を約束してくれた。(両親は当時の医療の現場を信用していなかった。)分かれて暮らす兄弟姉妹は知らないことだった。両親の海外旅行中に、聖霊の話をする私の態度の変化に戸惑った、外国帰りの姉が神経内科を片っ端から連れて歩いた。兄弟の中で、わたしの受けたキリスト教の宗教で洗脳されたと感じた人もいたし、自分で書いていても、説明力不足だな~と感じるのだが。両親を含めて本当の私、普段の私というもの知らない状態で成長した。恐らく、全て表現が私自身で、周りの期待する自分と感じるもの演じる癖が有ったとおもう。自分で書いていても、説明力不足を感じるが。厳しい親の影で別の顔を持って遊んでいる自分も存在した。当時親子別居。兄弟離散という、妙な衛星家族は少なかったと思う。兄弟、姉妹、両親。外の友達。そうした、人たちが慣れていた私。そうした演じ分けた自分に破綻が起きた。姉の嫁ぎ先に、夫の弟が、子供の頃発熱で、知恵遅れとして育てられていた。そこで、精神病。厄介者。としての家族の面倒を見る役目を姉がしていた。それで、聖霊の話をするわたしを、気が狂った。と思ったらしい。当時、私の友達に、役者の草野ダイゴという人が居た。51歳でお亡くなりになっているが。その役者さんの仲間の小野さんと言う刑事役をするひとの、家族に精神病院に通う家族が居た。結局。小野さんの説得で、歯医者の私の兄が研修で世話に成った総合病院の精神科の門を開いた。家族で精神的な病気を持っていたとしても、精神病院の門は一般と少し離れたところにある。その門は、社会の構造の中で、過去には重い扉だったのだ。昔は、一度その門を開いたら帰ることの無い門。座敷牢の役割を多く担った病院が多い。3人のドクターが私のベッドを囲み。少し、調子が高いようだね。暫く観察しましょう。と言う事で当時通っていた英語専門学校の中退が決まった。あ~。又中退か。がっかりした。ハワイへ行ったのは、英語学校の夏季特別レッスンだった。ホテルにハワイ大学の教授を招いて受講して、最後の二日、ホームステイのカリキュラムにファースト・アッセンブリー・オブ・ゴットという教会で受け入れをしてくれた。看護婦さんからは、薬に逆らわないようにアドバイスを受けた。3ヶ月の投薬観察の結果、医者にもよく判らない。と言う結論だった。病気の診断が無かったので、当然退院後のバックアップは無かった。兄弟は、判断に関して罪悪感を感じる部分と、仕方が無かったといういい訳でよく見舞ってくれた。わたしは、入院したことで、「神仏の事は二度と口にするまい」と決めた。今振り返って、この門が開かれた事が大きく人生を変えたと思う。私は「精神病院に入れられた」と言う事に大きく打ちのめされた。もし自分の周りにクリスチャンファミリィが居たら事情は違っていたか?と考えた。そうして、もう一つ。人生の逃げ場所を覚えたと言う事だ。一度入院した人は、入院を繰り返すと言う。それは、社会から切り離される事。当時は治療で治った人を余り見る事はなかった。病気のメカニズムが解明されつつある現代。日本で治療の可能性が出てきたのは、最近の事のような気がする。現在は、初期の治療をお勧めする。性格は薬では治らないが。病気の場合。大脳を十分休ませる。どんな場合もそれ以外の治療法は無い。明日は2度目の入院先の話をする。入院はどこでも、同じではないという意味で話をしたい。病院との出会いが運命の分かれ道。正確に言うと、ドクターとの出会いと言ってよいと思う。
2006年06月11日
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精神科というと、どういうイメージがするだろう?先日、豪憲君を殺してしまった母親。確かにあれも、精神科の病状を示している。社会に不適合で事件を起こす人。生活に行き詰まって犯罪を犯す人。この二つはどう違うのだろう?私が思うに犯罪傾向を持つ人ということで、一つ括り。病気が犯罪を起こさせたのではないと言うこと。多くの場合精神科にかかる人は社会に適応できないで引きこもるのが関の山だ。ここで、取り上げる犯罪は人身に危害を加えると言う意味で、書類上の犯罪は別の事として欲しい。精神科の病気を持った犯罪傾向のある人。それは、日本人でも、外国人でも犯罪を犯す人は居る。そして、他人に危害加えることを好まない人も居る。もう一つ別に考えられるのは、安楽死型。生きているのが苦しくて、子供を道ずれに死のうとする。この場合だけは病気がさせた。と言えると思う。子供と自分の同一視があり、死が相手の利益と思われているからだ。日本の精神病はそうした、事件がらみのものが精神病と同一視される傾向がある。フロイトの時代をみても外国の精神病の状態は傾向が違ってきている。身体器官がどこも悪くないのに、体が動かなかったりヒステリー型のものが多く記述がある。「アルプスの少女ハイジ」に登場するクララは、歩けないのは精神的な病気なのだろう。そうした病気が外国では多かったようだ。それと脳梅毒型。脳の一部に障害が起きて殺人事件を起こした。そうした、ケースの事件の精神病的な見地で罪を問えないとか問うとか。日本では他人に手を上げた時、(飲んで喧嘩になる。上司に殴りかかる等。)警察を呼ばれた場合、精神科に送られる最初になる場合が多い。傷害罪か、精神科。家族の場合でも誰かが暴れて警察を呼ぶと精神科に送られる。措置入院と言う。最近はこのケースが多いようだ。ここでは、そうした難しい精神病の話はやめておく。事件で通院歴があったとか無いとかの殆どはこのケースだろう。そして、こうしたものはかなり少ないケースなのだ。最近微笑ましかったのが、寝不足でハイになってきて、自分より背の大きな弟に柔道の技をかけた、背の低い150センチくらいの可愛い女の子が、両親の通報により措置入院になった。両親もニコニコしていて、「でも、凄かったでしょ?」と自慢していて弟には「だてに剣道してないわ。」と言い放されている。きっと軽く交わしたのだと思う。試しに彼女が私に技をかけてみても、ひねり返して倒してしまうくらいの技だ。(私は小林拳で攻撃技は無い)一般的な精神病は、神経内科などから派生したような形が多い。大人しくも無く、落ち込んだところは無く、エキセントリックだ。胃潰瘍。虫垂炎。それらも、精神的なストレスが病気の形に出た代表的なものだ。若干正気を失って気分がファ~とした感じになるのが一般的な最初の症状だ。神経が参ってかなり衰弱しているからだ。こうした状態の人は、体の方は健康に保たれているから体とは巧く出来ている。二つのパターンに分かれると思う。見え方が違ってもどちらも同じ原因だ。今日はここまで。あしたは精神科病院の色々なタイプの話をする。
2006年06月10日
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百円均一で買ったクレパス。鉛筆よりはかどるので、結構愛用している。たまにしか書かないが。公文の広告を見て書きたくなった。写真を見て書くことは殆どしたことない。女の子は簡単に描けた。居合わせた、作業療法士がお持ち帰り。私の習字の筆で書いた作品を飾りたいと言って保存している。クレヨンの作品もあげた。その後男の子を描いてみたら、難しい、時間がかかった。好みというわけではない。写真とぜんぜん似てなくて、きもい。クレパスは面白いよ。
2006年06月09日
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今年は黒がはやりなのだろうか?冬から夏に衣替えの季節。黒のかばんに、黒の衣装。この黒という色は、老若男女誰でも身につけられる色だ。カジュアルの人も、スーツの人も、みーんな黒ばかり着ている。わたしは???ややはずして、青紫のスラックス。今は、ボトムというのだろうか?パンツというのだろうか?柄物を着ている人も地が黒だ。私はアンチ黒を着ようとしても時計と指輪が黒だ。しかし、今年ほど黒を皆が着ている年は珍しく思う。なんだか、妙なきがする。今日、貴方は何色着てますか?黒!やっぱりね。
2006年06月08日
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週の半分は、鶯の鳴く、やぶのあるところに居る。パソコンは、重いので、自宅に帰るときは持っていかない。しかし、この町は不思議に満ちている。私の体が最初に瞬間移動したのも、この町に最初に来た日だ。最初は、何が起きたか判らなかった。移動したときは、眠って居て自我の無いときだった。あら困った。ここはどこ?という感じ。私は、生きているのかな?と夢の中で目が醒めたかの感じだ。まぁ。前にも書いたので、ここでは瞬間移動の話はやめておいて。不思議といえば・・・。けしの花。気がつくと、病院の敷地に入る前の公道。行政が土地を借りて、花壇を作っているところのポスト。(民家ではなくて、花壇の端にポストがある。)警察の派出所の横。貯水タンクの横の分かれ道。オレンジ色の一重のケシの花が咲くのだ。ケシの実はアンパンの上に昔は乗せていて、毒性の物とそうでないものが有るのは小学校の低学年から知っていた。小学生の頃、山手の空き地に赤いケシの花を見つけると、これは実をつけるのかな?と良く見に行っていた。滅多に見る花ではない。ポピ~と似ているけれど、種は同じだと思うが、怪しいけしは、みんな一重だ。この土地は少しいろんなところで、怪しい。警察の横にケシの花が咲いているのはやはり妙だ。写真は公道に成っている実。当然ヘロインの元になるとは思わないが。
2006年06月07日
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2006年06月07日
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今週の月曜、火曜とNHKで放送された、星の王子様を聴いた。とても感動した。そして思ったこと。この物語を楽しめたら、もう大人だ。星の王子様に告ぐ。子供は、王様のマントで隠れてしまうほどの小さな星を想像できない。星の王子様が一日の内に何度も夕日の見える小さな星を想像できない。火山で、目玉焼きが作れる事も信じられない。何故なら卵を産むニワトリやら、生活物資をどこから運んでくることが判らないから。人間の生活離れをした王子様が、バラしか住まない星のどこが王子様なのか?子供時代にはそうした、現実との乖離で頭を悩ませて、その物語が何を意味しているのか理解する余裕が無かった。英語版の本を幼馴染から手渡されたのは中学2年。ごろだ。1.ワンス・アポンナ・タイム。2.ロング・ロング・アゴ~。3.ウェン・アイ・ワズ・ヤング。きっと、3番目だな。後、覚えているのがボアコンストラクタ~という、蛇の名前。帽子の片方に目が書き込まれている。でも、それは、ボアコンストラクタ~という蛇のお腹にゾウが飲み込まれて居るのだと言う。お話の上では、その絵が帽子に見えなくてはならないのだけれど、帽子にしても、中々日本では被っている人が居ない。帽子と思うことも難しかった。人は見かけによらないとか。本末転倒。通貨のシンボル性など。費やした自分の時間への愛着。などなど。何から何まで大人にならないとわからないことだらけだ。何よりも、「大人は知らない。」と繰り返すあたりは、大人に成ってないと言い切れないよね。大人を否定するすることで、自分を青年だと誇張しているような。素直にほめてないが、NHKの星の王子様の朗読で、初めて物語の趣旨がわかりました。星の王子様へ私が大人になって、良かったと思えることは、誰にハバカルことなくお菓子を沢山買い食いできるようになったことです。(昨日覚えた言葉を使って。)トコトン意味より強度で生きています。はい。大切なものは死ぬ時に残った記憶です。それまで大切に蓋をしておきます。
2006年06月04日
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今でも苦しいことは、言葉にして吐き出すけれど、公開の日記には深くは書かない。苦しい思いを与えた本人に文章を書き捨てる。それは、心の平安を求めての行為で、考えを纏める為ではない。先日誰かが私にぶつかった。「痛い!」と声を上げたら、「痛いでしょう」と帰ってきた。腹ただしいやら、可笑しいやら・・・。「ふつうは、ごめんだろう?」とぼやいたが、無視された。このところ、不可解な小さな出来事が多くあって。現象が不可解なのではなくて、何ゆえの意味不明な現象に悩まされていた。ペットボトルのキャップに小さな葉を浮かべていた。花の下に有った双葉が成長が早くて面白く見ていた。水を足しても足しても、水が零れて、キャップを変えもしてみた。変だな~。と思いつつ、水を足すことを辞めなかった。すると、その水に青の色が加えられた。諦めて、鉢の土に挿した。その小さな葉は土に混ぜられていた。それにしても、不可解なのは、何ゆえにそんなことをするのか?誰がと言うことはたいした問題ではなくて、何ゆえの干渉なのか?不可解だ。これは、一番小さな出来事だ。干渉される不愉快と、最近助かったことがある。部屋に他人が侵入して、色々と弄ってくれている。その目的は、不可解だ。最近は命を狙われるわけではないので、「まぁいっか」と最大限の許容をしている。助かったのは、4日ほど、家を不在にしていた。宿泊先に鍵を忘れた。管理人を訪ねても、後付の電子ロックは、私たちに渡された分で、追加注文を面倒でしなかったらしい。万一古いほうの鍵が閉まっていたら開ける事が出来る。最近は殆ど使ってないから、無理だろう。と思いつつ。管理人と部屋に向かった。驚いたことに鍵が開いていた。私は、未だに何かに干渉されているけれど許容した。すると、自分の過失も助けられている。有難うです。こんなわけの判らないこと、文章を書いて、論理的に整理しようが無い。最近は、多くのことを書くよりはその前に観察することが多くなった。
2006年06月03日
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5年ほど前のこと。乗り継ぎ駅のガラスに向かって、男の子たちがダンスの練習をしていた。背の小さな余り頭のよさそうではない子が、側転に挑戦しては失敗していた。私は彼の隣で、側転を披露してあげた。先輩の側転は早すぎて、彼には側転がどういう動きか把握できていないようだったからだ。背の小さな男の子は私の演技を見て、すぐに側転が出来るようになった。側転は手をつくタイミングで、両足を肩に乗せる感じにする。倒立よりも、足が開いている分、片手、片足ずつの処理で難しくは無い。ポイントは、腰が両手の上に乗ることだ。そこまでは良かった。バックブリッジ教えようと思って、両手を上にのけぞって、片足をけりあげたら・・・・。「ゴ~ん!」頭頂が音を立てた。イタ~!チビの男の子に。「無理しないでくださいよ。」といわれた。今年、イナバウァ~が流行った。わたしも、ギャグでイナバウワァ~のポーズで、笑いを取っていた。で、ふと気がつくと。イナバウワァ~の技の形って、バックブリッジに入るときのポーズだと気がついた。真似して筋肉痛になったが。バックブリッジが出来なくて、頭を打って以来側転もしたことが無い。バックブリッジが出来なくなっていることは予想してなかったから、頭を打った。肩が入らなかったので頭頂を打っている、物凄く危険な落ち方。その失敗経験で、側転も無理かなとふと怖くなった。え~い。とにかくやってみよう。なんとか、側転しているようだが・・・。きちんと両足が肩に乗っているように感じられない。きっと、腰の位置が下がって斜めになっている気がする。近いうち誰かに見てもらおう。側転が出来ようが出来まいが、大勢に影響は無いのだが。気になる。側転の失敗はどこを打つのか?肩の位置を腰が超えると背中から落ちるな~。危険予測すると何も出来なくなるな。
2006年06月02日
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姉たちが超能力者が好きで、中国から日本に超能力者招待したことがある。あ~!いかん、いかん。こんな大切なネタをこんな日記に垂れ流してもいいのだろうか?とおもいつつ。ニュートンと言う雑誌の記事に反応して、書いてしまう私が居る。モノや場所、全てに固有の住所みたいなのが有る。超能力者はそれらの、住所から今ある位置を見つけられる。失せモノの発見を姉が頼んだときに、駐車場の垣根に落ちているのを発見された。姉は鍵を亡くした。鍵には固有の住所が有って、現在のその住所が存在位置になる。判るかな?判らないだろうな・・・・。そうした物の固有の住所づけを人為的機械的に行い、全てのものが整理される。超能力者でなくても、見通しが利くようになるのだ。そして、その基盤は既に出来ているらしい。実は既に基盤が出来ているということで、納得したことがある。物質移動などが、頻繁に起きるのは住所の書き換えが起きているからだ。これ以上は言えないいえない。2012年以降、これらの変動はもっと激しく成ると思う。君は正気をたもてるかな?
2006年06月01日
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テレビネタですが・・・。美の象徴として、森みつこがとりあげられる。「太平記」だったかしら?森みつこがでんぐり返しをする舞台。でんぐり返し=前転であります。私は、その舞台の初期の頃に見ています。もう、30年経つのかな?先日テレビで、森みつこの年齢にふれた。86歳という年齢を聞いたビックリした。おうおう。わたしが舞台を見て思ったのは、50過ぎで十代の役は無理があるよな~。と思っていたが。86歳で十代の役はすご過ぎる。初期に芝居を見ていたので、「変わらない演技」と言われるが・・・。でんぐり返し、下手になってますから・・・。前転の最後、足が伸びてますから・・・・。でも、でも、86歳。凄いです。お綺麗です。芝居の中では、落ちぶれた家の美人娘が女郎やに売られた時に、娘とともに下働きで売られた色気の無い女の子役。(女郎をみて、綺麗な服を着る女郎に憧れて、ユニークさで売れっ子になる。)美人の役ではなくて、でも86歳だと美人で・・・。秘訣は?便秘しないことだそうです。でんぐり返しの最後はひざを立ててください。もっと若く見えます。
2006年06月01日
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先日、映画監督の誰々さんがお亡くなりになった。享年79才でした。と報道で聞いた。職業も間違えているかも知れない。が、79歳という年齢が気になった。50歳を過ぎるといつ亡くなっても可笑しくない世代だ。かといっていつ死ぬ保障があるわけでもない。79歳という年齢は、死んでも納得される年であることは間違えない。簡単に計算して、私の年齢から30年だ。天才と言われた人が30代で亡くなっている人も多い。30年と言う時間に良くこれだけの作品を残したなと思える人も多い。私の一日は為されることが少ない。30年の年月で何が出来るのか?そろそろ仕切りなおしする時期だ。ナオ・タイムス・フォ~・チェンジ。生んでくれた母は42歳で亡くなった。育ての母は59歳だった。父は71歳。養母は33年の年月を私に費やした。私は彼女の作品だ。あと30年。私は何を残せるだろうか?悲観的に見ると風のまま終わるのかな?
2006年06月01日
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